音楽やグラフィックスのため;
SafariやChromeでご覧ください。
IE9は多少不安定です。mp3をDLする際にはIE9が便利です。
Tödliche Kantaten  Ein Musikkrimi Sebastian Knauer
2011年にドイツで出版された 新しい小説です。
「バッハ 死のカンタータ 音楽ミステリー」
というタイトルで翻訳しました。

知 の 音 楽
ゴ ー ル ド ベ ル ク 変 奏 曲
The Goldberg Variations

Music of Desire
R.Schumann's Kreisleriana
聖律の音楽
平均律クラヴィーア曲集第1巻
楽律の音楽
平均律クラヴィーア曲集第2巻
MUSIC in the Air
Schoenberg's Piano Works


TO ENGLISH PAGE
MUSIC OF INTELLECT the Goldberg Variations



バッハの ゴールドベルク変奏曲についての様々なデータにアクセス
また、 mp3 と midi データでゴールドベルク変奏曲全曲を聴く

ゴールドベルク変奏曲全曲

by Pianoteq Stage


サウンド コラージュへ

1997年6月29日,1997年10月10日,1998年1月4日,1999年7月3日,2000年6月20日,2003年4月21日,2012年4月28日
藤田伊織

E-mail address: mocfujita@aol.com

このページへのメールは皆さんで共有するため公開を基本とします。
ゴールドベルク変奏曲へ

人というものがすべて虚空に浮び
足を置く大地を持たない者であるなら
まず大地を与えることこそ
恐怖から院はおろか衆生をも救うことであるはずでした

西行花伝(辻邦生)より
ゴルドベルク変奏曲へ進みます。
mp3とmidiデータでゴールドベルク変奏曲全曲を聴きます。
楽曲についての理解を深めます。
歴史について調べましょう。
誰がゴルドベルク変奏曲を演奏してきたでしょう。
バッハとグールドのヴァーチャル対話です。
皆さんからのお便りです。
(第1部) (第2部) (第3部) (第4部) (第5部)
ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」と「春」とともに楽しむゴールドベルク変奏曲


[修正事項]
01-アリアの音符データにミスがあったので、修正。970515
02-ヴァーチャル対話の「あなたの意見」をnetscape用に修正。970608
03-皆さんからのお便りです。(第2部)を追加しました。970629
04-皆さんからのお便りです。(第3部)を追加しました。971006;971121
05-ラルフ・カークパトリックのCD及び演奏データ 971010
06-皆さんからのお便りです。(第4部)を追加しました。980104
07-サウンドコラージュを追加しました。980104
08-久しぶりに修正をしました。20020307
09-トップページのレアウトを変えました。20030421
10-全体を1ページで見られるようにしました。内容は変わっていません。20120428

知 の 音 楽
ゴ ー ル ド ベ ル ク 変 奏 曲

1997年1月18日 藤田伊織
E-mail address: mocfujita@aol.com
表紙へ

はじめに@

 音楽は「知」の対象となりうるかどうかを最初に問わなければなりません。しかし、音楽全体、すなわちクラシック、ポピュラー、ジャズ、演歌など全部を検討の対象にしたのでは、その解答を得るのは困難です。「知の音楽」といっているのは、ここでは特定の曲、すなわちバッハのゴールドベルク変奏曲であって、他の多くの曲を対象とするのではありません。ゴールドベルク変奏曲が、どのように「知の音楽」としての実体を持ち、「知」の対象となり得るかを考えていきます。ただし、音楽の専門家の分析、評論等の形式はとりません。実をいえば、音楽の専門家でない筆者にとってそのような形式はとりようがないのです。そのかわりに、SMF(スタンダードMIDIファイル)のデータを扱うことができれば、自由に「知」による取組みが可能になるようにしてみたいのです。
 ゴールドベルク変奏曲を知の音楽として考えてみようということになったきっかけは、やはり、グレン・グールドの演奏です。グールドのデビューレコードのゴールドベルク変奏曲は、1955年の録音ですが、いかにも、「知」の挑戦といった感じで、逆に筆者には曲そのものの姿が見えてこず、最初は正直いって余り好きになれませんでした。その後、他のグールドの演奏では、バッハの平均律クラヴィア曲集第2巻第14番で感銘を受け、さらにモーツアルトのピアノソナタで引き込まれ、すっかりグールドのファンになってしまいました。そして、ゴールドベルク変奏曲のことは暫くの間、すっかり忘れていたのです。
 1981年に再度、ゴールドベルク変奏曲を録音したグレン・グールドは、そのあとすぐ、1982年に、亡くなってしまいました。享年50才でした。グールドの多くのファンの同様、私もその死に強い衝撃を受け、奇しき運命によりもたらされた1981年のゴールドベルク変奏曲にとりつかれてしまいました。1955年と1981年に録音された演奏は同じものではありません。録音技術そのものも1955年にはアナログ・モノラルでしたが1981年にはデジタル・ステレオ録音となりました。演奏についても、1981年の演奏は、知が宇宙の精神と合体したかのような大きな拡がりのあるもので、1955年の鋭角的な知の挑戦とは異なっています。
 1981年以降、CDプレーヤが普及してきました。筆者が生まれて初めて買ったCDが、グールドのゴールドベルク変奏曲でした。このCDは友人にプレゼントしました。その後も他の友人にあげるなどして現在のグールドのゴールドベルク変奏曲のCDはたしか5枚目になっています。
 この曲は、百回、二百回と繰り返し聴いてきましたが、聴いたり、一歩進んで楽譜をみたりするだけでは、この曲がいかに「知の音楽」であっても、具体的に取組みようがありません。そこに大変役に立つ道具が現れました。コンピュータ、MIDIそしてデジタルピアノです。こうした道具の力を使うことによって、筆者にも「知の音楽」への挑戦のための道具が準備できたのです。
 さあ、ここから皆さん、ひとりひとりの「知の音楽」を一緒に求めていきましょう。

目次

はじめに
第1部 
  1. 眠りの音楽

  2. 知の音楽 
    1. 眠り」から「知」へ
    2. 知の対象としてのグレン・グールド
    3. 知の技法
    4. 音楽としての存在は
    5. ピアニストからの自由
    6. 楽器からの自由
    7. スタンダードMIDIファイルとは
    8. 参考:作成システムの変遷

  3. 音楽の分析 
    1. 楽譜の分析
      1. 楽譜
      2. 演奏の楽器及び調律
      3. 楽譜における表現(MIDIにより演奏を聴く)
      4. 調声
      5. 音域
      6. 構成 
        反復/小節数/拍子/カノン(CANON)

    2. 演奏の分析 
      1. 誰が演奏
      2. いつ録音
      3. ピアノかチェンバロか、どちら
      4. 1955年のグールドの録音のテンポ
      5. 反復の取扱い
      6. テンポの設定
  4. 知の音楽への取組み 
    1. 反復の組合せ
    2. テンポの設定
    3. ダイナミクスの設定
    4. 装飾音等の変化
    5. 音の長さ
    6. ペダリング
    7. 曲と曲との間の長さ
    8. 移調(トランスポーズ)
    9. 音律
    10. カノンの分析
    11. 繰り返し聴く
  5. 再び眠りのゴールドベルク変奏曲 
    1. ゆっくりおやすみ
    2. フォルケルの「バッハ伝」
    3. ヨハン・ゴットリープ・テオフィルス・ゴールドベルク
    4. ヘルマン・カール・カイザーリンク伯爵
    5. 不眠症
    6. ト長調
    7. 変奏曲
    8. 豊かな眠りを体験しよう!
第2部  
バッハの予感とグールドの回想
参考資料
演奏CDリスト
参考文献リスト
グレン・グールドによるコンサートでのゴールドベルク変奏曲演奏の記録

第1部へ


第1部

1 眠りの音楽@

 ゴールドベルク変奏曲をバッハが作曲した目的は何だったのでしょうか。それは「眠り」なのです。「知の音楽」を看板に掲げているこの文章で、突然、「眠りの音楽」だというのは、変に思われるかもしれません。しかし、作曲の経緯によればそういうことなのです。それぞれのCDの解説文には書かれていますし、ゴールドベルク変奏曲のファンであれば既に良く知っておられることと思いますが、あらためて一応紹介すると例えば次のようになります。

 「バッハは自分の弟子のゴールドベルクを音楽家としてカイザーリンク伯のもとに勤めさせていました。カイザーリンク伯は、バッハに『眠れない夜の気分をいくらかでも引き立てるような、穏やかでしかもどこか陽気な感じの曲』を依頼し、バッハは伯の不眠症を癒すためこの曲を作曲して伯に送ったのです。カイザーリンク伯はこの曲を高く評価したのでしょう、多額の報酬をバッハに与えています。そして、この曲名は、最初の演奏者であったであろう、バッハの弟子のゴールドベルクにちなんでつけられました。」ということでした。ただし、ゴールドベルク変奏曲の解説として書かれるたびにすこしづつニュアンスが異なってしまっています。ちなみに、オリジナルの楽譜の表紙には「種々の変奏を伴うアリアからなる二段鍵盤のクラヴィチェンバロ用クラヴィア練習曲−愛好家の心の慰めのために−」と記されています。

 グレン・グールドは、1955年の最初の録音に際し、レコードのライナーノートにおいて、「この曲が子守歌として成功したのだったなら、ゴールドベルク名人はこの刺激的で辛口の楽譜を本当に忠実に弾いたかどうか、かなり疑わしい。」と指摘し、「眠りのための音楽」説を単なる逸話として片付けています。1955年の自らのレコードデビューに際し、究極の知的挑戦の対象としてこの曲を選び、その結果、多くの人々の支持を得たのですから、グールドのコメントとしては当然のものでしょう。

 ラルフ・カークパトリックは、1934年に編纂したゴールドベルク変奏曲の楽譜の解説において、「バッハのフレーズを真に表現するための音楽的感覚は主として知性によって導かれることが多いし、またそうでなければならない。」といっており、「知の音楽」としての認識を示しています。

 現代の聴き手は、この曲を不眠症を癒すために聴いているのではなく、大袈裟にいえば「知の音楽」として音楽的知覚力の究極を極めるつもりで聴いているのでしょうから、「眠りの音楽」とのギャップは埋めようもなく、また埋めるつもりもなく、知の挑戦を楽しんでいるのです。
 眠りを前提とした音楽が、現代において知の挑戦の音楽となり、ひとりの伯爵のためとされた音楽が、現代において多くの人々に共有される音楽になっています。これまで多くの演奏家が取り組んでいますが、これほど多くのゴールドベルク変奏曲ファンがいるようになったのは、やはりグレン・グールドの功績といってよいでしょう。

 「知の音楽」と「眠りの音楽」、この関係はとても興味をひかれるものです。「知」と「眠り」は、どちらも人間の心、精神、意志に直接結び付いています。できるだけ多角的に調べたり、推測したりして「知」の面白さだけでなく、「眠り」の心地好さも確かめていきたいものです。

先ずは「知」のほうから始めましょう。「眠りの音楽」の意味については、また、あとでもう一度考えてみることにします。


続きへ

第1部

2 知の音楽@

「眠り」から「知」へ@
 眠りの音楽から知の音楽への転換は、グレン・グールドによってもたらされたとしても、ゴールドベルク変奏曲自身が知の音楽の性格をもともと持っていたことは疑いありません。バッハの時代は、依頼を受けて、あるいは誰かに献上してその対価を得るために作曲されることがあったのですから、カイザーリンク伯の依頼は依頼として、バッハは創作的関心を集中してこの曲を作曲したのでしょう。すなわち単なる子守歌として生まれた曲ではないのだと思います。
 カークパトリックのこの曲に対する賛辞は最大級のものです。「リリシズムや悲劇的な情熱、歓喜の横溢を通して、アリアとその変奏は、あらゆる個人的なもの醜いものを排し、完全に洗い清められた神性を体現させているかに思われる。」という具合です。
 グレン・グールドは、この曲を「不朽の鍵盤用作品のひとつ」とか「前代未聞のこの壮大な構築物」といって、その偉大さを表現しています。
 ただ、いくら良い曲であるからといって、即「知の音楽」というわけではありません。ゴールドベルク変奏曲は「知」による取り組みが行われる特別な性格を持った曲だと思われるのです。また、曲の構造は、「知」の対象として読み取られ、音楽として組み立てられるという作業に相応しいものです。
 これは、ロマン派の音楽、例えばシューマンのクライスレリアーナのように作曲の段階では音楽の「知」を駆使しているにしても、演奏においては、感情の波を演奏者の天才的な技術で表現する音楽とは異なります。ゴールドベルク変奏曲は大きな感動を呼び起こしますが、それは知的な感動ともいうべきものであり、「知の音楽」としての歓びをもたらすものであるといえましょう。


「知」の対象としてのグレン・グールド@
 ゴールドベルク変奏曲で「知」の音楽を考えるためには、グレン・グールドについてもまずひととおり知っておくことが必要です。
 グールドは1932年 9月25日にカナダのトロントで生まれました。1955年にバッハのゴールドベルク変奏曲でレコードデビューし、しばらくはコンサートにも出ていましたが、1964年にステージから去って、レコード制作に集中しました。コンサートをしなくなったので、そのことが世界中の話題になるとともにライヴで聴きたいと思っていたファンは皆残念がりました。グールドはそのかわりといっては変ですが、ラジオやテレビでの仕事では活躍しています。そして、1981年にゴールドベルク変奏曲の再録音をして、その翌年1982年に急に50才で亡くなってしまったのです。グールドはその演奏で、特にそのレコードやCDで多くの人に、他のピアニストでは考えられないほどの影響を与えました。バッハの作品をとおした「知」のアプローチは、グールド固有のものとしてもよいでしょう。
 しかし、他方、いろいろな奇行でも有名になってしまいました。そのいくつかを紹介しましょう。

・ピアニストなのにコンサートを放棄してしまいました。

1964年以降はステージでの演奏はやめてしまいました。そのころ、録音技術が充実してきたので、スタジオでのレコード制作を中心とした音楽活動にしてしまったのです。ビートルズも、1970年代には、コンサートをやめて、スタジオにこもるようになったのですから、グールドはそれを先取りしていたわけです。音楽評論家のなかには「ステージでの演奏を聴かなければわからない」というのが持論の人もいますが、そういった条件付けは映画の面白さを「舞台で見てみなければわからない」というのと同じかもしれません。

・演奏する姿が変わっています。
脚を短くした椅子に床すれすれに座ってピアノを弾くし、片手があいているときには指揮者のように自分の演奏に対して指揮をするのでした。手袋をしたまま演奏したという話しもあります。 また、演奏中にハミングしたり歌ったりするのはいつものことでした。グールドの唸り声はその多くのCDで聴くことができます。

・レパートリーが普通ではありません。
ピアニストが普通得意にするショパンやシューマンなどは絶対に演奏せず、バッハを中心にシェーンベルクやヒンデミット、ウエーベルンを演奏の対象として好み、そして、ファンにとっては宝物のようなモーツアルトのピアノソナタ集、もう少し進んでベートーベン、ブラームスというようにかなり限定されています。ベートーベンでもパガテル集、ブラームスでは間奏曲集と普通のピアニストとは曲の選択の考え方そのものが異なるようです。

・ピアノが特別です。
1959年のビデオ「オン・ザ・レコード、オフ・ザ・レコード」ではグレン・グールドがニューヨークのスタンウェイ&サンズ社の店でピアノを選んでいる光景を知ることができます。グールドは特にアクションの軽いものキーとキーの間の幅が大きいものを探し求めていました。自宅のスタジオにはチッカリングを改造したものがあって、それが基本になっているようです。ほとんどの録音にはスタンウェイの特別に選ばれた一台、そして最後のゴールドベルク変奏曲は偶然見つけたヤマハの中古ピアノが使用されたのでした。ピアノ選択の経緯を追ってみるだけでも、なかなか興味溢れるものとなるでしょう。

・普通の時にも変わっています。
暖かいのに手袋をつけ何枚も重ね着をし、年中各種の薬を常用している。ピアニストとしては当然かもしれないですが、手を守るためか握手はしないし、肩をたたかれたれたりすると激怒するといった具合です。

・そしてなにより演奏が特別です。
変わり者としてのエピソードには事欠きませんが、そんなことがなくともゴールドベルク変奏曲や、平均律クラヴィア曲集、特に第2巻の第14番、モーツアルトのピアノソナタ第11番の演奏があれば、それを聴きさえすれば、他のことは全く知らなくても、聴くだけで音楽の大きな喜びを経験できるのです。


「知」の技法@
 音楽を含めた芸術における「知」の技法について考えてみます。例として、サンドロ・ボッティチェルリのビーナスの誕生を素材としてみましょう。ビーナスの誕生は1485年頃に完成したイタリアルネサンスの代表的名画のひとつです。かっては多少すすけた色調のなかに落ち着いた美しさがあるとされていたこの作品は1982年に完了した修復によって、つややかな色彩の中に光あふれる美しさがあるとあらためて絶賛されました。修復は永年にわたり付着した汚れを驚異的な技術で根気よく除去した作業で、その結果現れた真の作品の姿や色彩は、皆を驚かせました。
 これをゴールドベルク変奏曲にあてはめて考えてみましょう。絵画作品と音楽作品の決定的な違いは、どこにあるのでしょう。それは、絵画であれば、見れば一応わかることです。それでも現在でこそ、優れた印刷技術によって、実物でなくともその色彩や作品の内容を楽しむこともができますし、海外旅行をしてイタリア・フィレンツェニまで行けば実物を見ることもできますが、以前はこうした作品を見ることは大変困難なことであったろうと想像します。ゴールドベルク変奏曲はクラヴィア練習曲集第4部として印刷・出版されたとはいえ、バッハの死後、話題にされることも少なく、平均律クラヴィア曲集に傾倒したかのシューマンですら、ゴールドベルク変奏曲をよく知らなかったということです。とにかく楽譜があっても、普通は見るだけでは音楽として楽しめないので、誰かそれを演奏する人がいなくてはなりません。絵画作品は公開されていれば即鑑賞することができますが、録音技術がなかった時代には、音楽はそれが演奏されている時間しかこの世界に物理的に存在することができないという厳しい条件の下にいるのです。そうしたことからバッハは練習曲集という出版の形式を選び、すこしでも多くの演奏の機会を生みだそうとしていたのだと思います。つい最近まで、すなわち50ー 60年前までは、楽譜としての存在はあっても音楽としての希薄な状況でした。録音技術の発達を契機に、その真の姿をこの世界に出してくれたのがグレン・グールドでした。グールドによって、ゴールドベルク変奏曲は、きらきらとした光を伴って聴衆の前に復元されたのでした。
 現在はフィレンツェに行かなくとも素晴らしい印刷やCDROMのデータとして、本物とみまごうようなビーナスの誕生を自宅であるいは図書館などで見て楽しむことができます。そうはいってもフィレンツェのウフィツィ美術館という場所、実際の作品の大きさ、さらに観客などすべての条件の下で見る、すなわち実物を見るという実体験にまさるものはありません。
 ゴールドベルク変奏曲は、いまではCDになっていますから、どこにいても、どんな時間でも聴くことが可能です。ところが残念ながら、バッハ自身の演奏も、ゴールドベルクの演奏ですら聴くことはできません。そのかわりバッハ作曲のゴールドベルク変奏曲の演奏誰々(ピアニスト)と、いうことになります。音楽の場合には演奏者がいないと成立しないようなのです。そして、ピアニストとの組み合わせでは20ー30もの作品になってしまいます。グールドでさえ、代表的な録音が2つあるのですから。これらの演奏された作品はビーナスの誕生の類推でいえばコピーや印刷に相当するのでしょうか、それとも模写なのでしょうか。
 ところで、ボッティチェルリのビーナスは別のところで別の生命を与えられています。それはアンディ・ウォーホールによるものです。マリリン・モンローの顔の絵でも皆に知られていますが、ビーナスの顔もウォーホールによって見事に別の作品になりました。その作品はボッティチェルリのビーナスの頭部ではありますが、作者はアンディ・ウォーホールです。このようなことをゴールドベルク変奏曲にあてはめるとどうなるのでしょうか。
私は生まれ変わったヴィーナスです。
髪を短くしました。
そして、21世紀に来ました。
普通の女性になって、ゴールドベルク変奏曲を楽しみたいと思います。
アンディ・ウォーホールのまね
グールドさん 藤田さん
こんにちわ

 「知」の音楽というからには、音楽の作品が「知」の対象として扱う、あるいは扱われる必要があります。それでは、「知」の対象として扱うにはどうしたら良いでしょうか。コンサートやCDの演奏評のように「虚飾を排した端正な演奏」とか「いささかも毛羽やほこりが付着せず、くっきりした輪郭を描いて気持ちがいい」とか、「謹厳で集中的というより、外に向かって開かれたいきかた」とか「音楽を自分のピアニズムに引き寄せると同時に、作品の内的世界に深く分け入っている。」とかいって、分かったような分からないような表現や扱い方では、「知」を標榜する姿勢にはなりません。さりとて、音楽を対象とするのですから、面白みの少ない作業にはしたくありません。特に、音楽関係者の間の暗号のような言葉・用語で、楽譜の内容を説明し、記述することは避けなければならないと思います。そうした記述はそれなりに意味があるのは想像できますが、これはたとえて言うなら、ある外国語で書かれた文章がわからないからといって別のやはりわからない外国語を使って説明するようなものです。
 というわけで、楽譜を出発点として、また演奏として実現したものを、すなわちいろいろな演奏家によるゴールドベルク変奏曲のCDを調べて、楽譜と演奏の間の、演奏家による知の操作に注目します。幸い、ゴールドベルク変奏曲はかなりの数の演奏家によって録音されていますので、そのうちのいくつかをサンプルとしてみることにします。


音楽としての存在は@

 ところで、音楽としての存在はどこにあるのでしょうか。作曲の立場から見ると、さしあたり成果品は楽譜ですが、演奏されなければ音楽にはならないともいえます。しかし、バッハやそれ以降の時代では、評判になれば楽譜が出版され、広まりますから、楽譜そのものも音楽としての存在であったとも考えられるのです。ゴールドベルク変奏曲の場合は、楽譜、演奏者、楽器が揃ってはじめて音楽が聴くことができるのですが、もうすこし、つっこんで考えますと、楽譜を見ただけで頭の中で音楽として聴ける能力のある人がいるでしょうし、楽譜自体も暗譜してしまっている人もいるでしょう。ロックやジャズのいくつかの場合のように、楽譜を作らずに演奏者が楽器をとともに音楽を直接作り出してしまうこともあります。そうした観点からすると、SMFのゴールドベルク変奏曲のデータは楽譜に相当するのか、それとも演奏の分類にはいるのかと、混乱してきます。

ピアニストからの自由@

 話が回り道してきましたが、ここで指摘したいのは、作曲されてから250年経って、1992年にゴールドベルク変奏曲は、SMF(スタンダードMIDIファイル)のデータになり、演奏者すなわちピアニストの手から解放されて自由になったということです。すくなくともゴールドベルク変奏曲のファンであって、シークエンサーを操れる人みんなの手に渡されたのです。
 私たちにとって、このような「自由」があってこそ、「知の音楽」としての意味を持つのだと考えます。ただし、この「自由」はかなり手強いものです。グールドは言っています。「そしてここには直覚によって統合された調和がある。この調和は技と吟味から生れ、完成された技能によって円熟し、ここに芸術のなかではきわめてまれなことではあるが、意識下に描かれた構想の幻影としてあらわれてくる。可能性の頂点にたって勝ち誇りつつ。」と。この言葉の「技」や「技能」は作曲に関してのものか、演奏について言っているのか、どうもわかりにくいのですが、どちらにしても大変高度なレベルを示しているので、「自由」を自らのものにするためには、かなりの努力を要するでしょう。
 それに、「自由」という言葉の使い方は難しく、無制限の自由が有り得るかのような誤解を生じやすいのですが、「自由」の限度はそれぞれの人の、グールドの言葉を借りれば、「技」や「技能」の範囲にとどまることになるでしょう。それでも少なくとも、指で鍵をたたくための能力の制限からは解放されるに違いないのです。実際、ピアノを練習しても、指の能力が演奏の質、巾を大きく制限してしまうのですから、そこから解放されることは、その先になにがあるかは見えなくてもそれだけで素晴らしいことです。

楽器からの自由@

 グールドは「バッハに関するいかなる議論も、楽器の選択という古くてうんざりするような問題を避けて通るわけにはいかない。つまりピアノかハープシコードか、あるいは・・・というやつだ。」と考えていて、グールド自身はピアノには違いないがグールド特製のといっていいピアノで、音的にはハープシコードに少し近いものを使っていました。コンサートをやめてからステージで演奏することがないので彼が使うピアノは自宅と別荘とスタジオにある非常に限定されたものとなりました。 グールドはそうした幾つかの限定されたピアノの他にはフーガの技法を録音した際にオルガンを使っていたし、ハープシコードで録音した曲も幾つかありましたが、それは例外といってよいでしょう。
 グールドは「楽器の問題は本質的にはなんの重要性もないということだ。」といっていてシングルシンガーズやワルターカーロスのバッハも評価していました。そうはいいながらも、グールドは自らが演奏するために選ぶピアノのキーボードのアクションには執念といえる程の注意と関心をむけていたのでした。  私達はSMF(スタンダードMIDIファイル)を使うのですから、楽器はそのデータを受けて音を出すものであれば何でもよいともいえます。普通はピアノの音を使いますが、優れたデジタル音源は本当に良い音を出してくれます。ピアノ専用の音源であればもっと良い音も出るでしょうし場合によっては音律を選べるものもあるのです。音律については後に説明します。
 SMFを使って、音源にピアノでなくてハープシコードを選択すれば即座にハープシコードによる演奏を体験できてしまいます。そればかりかパイプオルガンでもオーボエでも、またストコフスキーばりにオーケストラででも演奏させることが可能です。ちょっと不謹慎かもしれませんが、サンプラーという装置を使い、人の笑い声をサンプルしたデータを音源としてゴールドベルク変奏曲の第2変奏を演奏してみますと聴いている方も抱腹絶倒してしまいます。
 そうはいっても本当に音楽として楽しむためには、その曲にあった音源を真剣に選ばなければなりません。さらにその音源にあったレベルの設定なども考慮する必要があります。それより先の音の出し方、出方、すなはちエフェクターやスピーカの設定はSMFのデータでは対応できないので、それぞれのシステムで調整することになります。
 ゴールドベルクがカイザーリンク伯の屋敷の控の間で夜更けに演奏するチェンバロの音がどのように響きあいながら、伯爵の耳にまで伝わっていったかを再現することも可能かもしれません。

スタンダードMIDIファイルとは@

スタンダードMIDIファイル(SMF)とは、異なったシーケンサーやシーケンスソフトの間で演奏データを自由に使えるようにするための共通のフォーマットのことです。すなわちMAC(マッキントッシュ)でもWINDOWSでもデータディスクのファイルを読めさえすればよいのです。このゴールドベルク変奏曲のデータはATARIのコンピュータでSMF以外で作りはじめられましたが、後にSMFに変換され更に現在はIBMのシステム上で生きています。ですから大部分のソフトで問題なく使えますが、ソフトによっては多少音がつながったりして苦労する場合もあるでしょう。
このSMFがとても役にたつ、知の道具になるのです。

参考 システムの変遷@

 ここで参考のために筆者の音楽のためのシステムの変遷を紹介します。
1981年(1世代)
ATARI400+MUSIC-COMPOSER(カートリッジ)
(CPUモトローラ6502、32KB、カセットデータレコーダー)

1984年(2世代)
ATARI130XE+MUSIC-COMPOSER+その他のソフト
(CPU6502、130KB、5インチディスクドライブ)

1986年(3世代)
ATARI1040ST
(CPU68000、1MB、3.5インチディスクドライブ)
+MUSIC-STUDIO+スタインバーグPRO24(1989年以降)
+デジタルピアノ( 1987年以降)+SC88(1994年以降)
これでMIDIシステムになりました。

(1995年)(4世代)
IBM APTIVA MUSICVISION(YAMAHA SOUNDEDGE)
(CPUDX4/100MHz、8MB、540MBハードディスク、CDROM)

(1996年)(5世代)
IBM APTIVA MUSICVISION(YAMAHA SOUNDEDGE)
アップグレード
(CPUDX4/100MHz、32MB、2.1GBハードディスク、CDROM、Windows95)

(1998年)(6世代)
SONY VAIO NOTE( YAMAHA SoftSynthesizer )
(CPU P2 240MHz、 64MB、4GBハードディスク、CDROM、 Windows98)
アップグレード
(CPU P2 240MHz、 64M、28GBハードディスク、CDROM、 Windows98)
アップグレード
(CPU P2 240MHz、 192MB、220GBハードディスク、CDROM、 WindowsMe)
2008年6月末に10年使ったソニーのバイオが、動かなくなりました。

(2008年)(7世代)
DELL studio 1535 Notebook computer
( Core2Duo 2.10GHz、 4.00GB、 320GBハードディスク、 DVDROM、 software synth、 Windows VISTA )



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第1部

3 音楽の分析@

 知の音楽としてのゴールドベルク変奏曲BWV988を楽譜の側からと演奏されたものの側から、それぞれ分析します。

(1) 楽譜の分析@

a 楽譜@
原典の名称(ドイツ語)

Clavier-Ubung bestehend in einer Aria mit verschiedenen Veraenderungen vors Clavicimbal mit 2 Manualen. Denen Liebhabern zur Gemuths-Ergetzung verfertiget von Johann Sebastian Bach, Konigl, Pohl. und Churfl. Saechs. Hof-Compositeur, Capellmeister u. Directore Chori Musici in Leipzig. Nurnberg in Verlegung Balthasar Schmids.

Clavier-Ubung

bestehend
in einer

A r i a

mit verschiedenen Veraenderungen
vors Clavicimbal
mit 2 Manualen.
Denen Liebhabern zur Gemuths
-Ergetzung verfertiget von

Johann Sebastian Bach,

Konigl, Pohl. und Churfl. Saechs. Hof
-Compositeur, Capellmeister u. Directore
Chori Musici in Leipzig.
Nurnberg in Verlegung
Balthasar Schmids.
クラヴィーア練習曲集
二つの鍵盤をもつ
チェンバロのための
アリア
と種々の変奏より成る。
愛好家の心を慰めるため、
ポーランド国王およびザクセン選帝侯の
宮廷作曲家、楽長にして
ライプツィヒの音楽監督たる
ヨハン・セバスティアン・バッハにより作曲。
ニュルンベルクの
バルタザール・シュミットにより出版

(ヘルマン・ケラー著「バッハのクラヴィーア作品」東川清一・中西和枝共訳:音楽の友社による。なお、「選帝侯」とは当時のドイツで貴族間の選挙で選ばれる統治者を示します。)



作曲年
 ライプツィッヒ時代、1741年又は1742年、バッハの円熟期57才の時の作品です。
 この時期に平均律クラヴィア曲集第2巻が出版されています。ただし、この第2巻はもっと以前の作品も多く含んでいてこの時期に集中的に作曲されたわけではありません。それよりもゴールドベルク変奏曲の完成と平行して「フーガの技法」の準備が進められていたことが重要な意味を持っているといわれています。


分析の対象とした楽譜の版

ラルフ・カークパトリック版

「1934年9月15日 ザルツブルクにて」と記された楽譜は、邦訳されて音楽出版社ゼンオンから出版されています。この楽譜にはカーク・パトリック自身による詳しい解説がつけられているとともに、オリジナルの楽譜だけでなく、それに対応した装飾音の奏法と、2段鍵盤用変奏をピアノで弾くときの奏法について、もう一つの楽譜が掲げられています。特に装飾音については詳しく記されていて専門家でなくても、オリジナルから実際の演奏への道筋をたどることができるのです。私もこの楽譜に出会わなければ、ゴールドベルク変奏曲の分析など思いもよらなかったことでしょう。


ブライトコップ版、バッハ協会版
1850年に、バッハの作品を刊行するために設けられた協会がバッハ協会で、ブライトコップ&ヘルテル社の協力を得て1900年までに、全46卷の編集を完了させています。これがバッハ全集です。


その他の版
ピアノ練習用の一般的な楽譜ではオリジナルが省略されているとともに、装飾音についても偏った解釈のものがつけられていて、それがあたかもオリジナルのように表現されている場合があるので注意が必要です。
例として、新編世界大音楽全集バッハピアノ曲集1器楽編1音楽の友社(1989.11.25)では、原典に近い形すなわち装飾記号のみのついた楽譜です。この楽譜の版元はミュンヘンのG.HelenVerlagと付記されています。こうした楽譜では初学者には演奏は困難でしょう。それぞれの装飾記号の意味から学ばなければならないからです。

b 演奏の楽器及び調律@

 二つの鍵盤をもつチェンバロが楽譜において指定されている楽器です。楽譜どおりに演奏する為には2段鍵盤でなければ、両手が重なってしまう部分のある曲もいくつかあります。1981年のグールドの演奏のビデオを見ますと、両手が自由に交差してまるで2段鍵盤で演奏しているかのようです。普通はピアノで演奏する場合、通常はオクターブずらしたり、重複する音を省略します。
 調律は当然ですが平均律とは指定されていません。平均律のピアノで演奏することは問題ありませんが、別の調律、例えば中全音律であれば、より深い味わいが出てくるかもしれません。

c 楽譜における表現@

アリアや変奏の曲名をクリックしてください。データを取得できたり演奏を始められます。
(全曲連続演奏は こちら mp3版 それとも  こちら midi版
曲  名mp3調 性拍 子小節数声部鍵盤特   性
 アリア  (midi) (mp3)ト長調3/432   
第 1変奏 (midi) (mp3)ト長調3/4322声一段
第 2変奏 (midi) (mp3)ト長調2/4323声一段
第 3変奏 (midi) (mp3)ト長調12/8163声一段同度カノン
第 4変奏 (midi) (mp3)ト長調3/8324声一段 
第 5変奏 (midi) (mp3)ト長調3/4322声一or二段 
第 6変奏 (midi) (mp3)ト長調3/8323声一段2度カノン
第 7変奏 (midi) (mp3)ト長調6/8322声一or二段 
第 8変奏 (midi) (mp3)ト長調3/4322声二段 
第 9変奏 (midi) (mp3)ト長調4/4163声一段3度カノン
第10変奏 (midi) (mp3)ト長調2/2324声一段フゲッタ
第11変奏 (midi) (mp3)ト長調12/16322声二段 
第12変奏 (midi) (mp3)ト長調3/4323声一段4度カノン
第13変奏 (midi) (mp3)ト長調3/4323声二段 
第14変奏 (midi) (mp3)ト長調3/4322声二段 
第15変奏 (midi) (mp3)ト短調2/4323声一段5度カノン
第16変奏 (midi) (mp3)ト長調2/2-3/848 一段フランス序曲
第17変奏 (midi) (mp3)ト長調3/4322声二段 
第18変奏 (midi) (mp3)ト長調2/2323声一段6度カノン
第19変奏 (midi) (mp3)ト長調3/8323声一段 
第20変奏 (midi) (mp3)ト長調3/4322声二段 
第21変奏 (midi) (mp3)ト短調4/4163声一段7度カノン
第22変奏 (midi) (mp3)ト長調2/2324声一段アッラプレーベ
第23変奏 (midi) (mp3)ト長調3/4322ー4声二段 
第24変奏 (midi) (mp3)ト長調9/8323声一段8度カノン
第25変奏 (midi) (mp3)ト短調3/4323声二段アダージョ
第26変奏 (midi) (mp3)ト長調18/16-3/4323声二段 
第27変奏 (midi) (mp3)ト長調6/8322声二段9度カノン
第28変奏 (midi) (mp3)ト長調3/4323声二段 
第29変奏 (midi) (mp3)ト長調3/4323声一段 
第30変奏 (midi) (mp3)ト長調4/4324声二段クオドリペト
アリアダカーポ(midi) (mp3)ト長調3/432 一段 

The Goldberg Variations
曲名をクリックして下さい。演奏が始まります。
ダウンロードが安定するまで多少時間がかかることがあります。
演奏時間00:00 [曲の長さ:00:00]

ゴールドベルク変奏曲全曲---(midi)---
mp3

ボッティチェリの「ヴィーナスの誕生」と「春」とともに楽しむゴールドベルク変奏曲


(感想、意見など送って下さい。)
mailto:mocfujita@aol.com

d 調性@

ト長調、ト短調
第15、21、26の変奏曲はト短調となっている以外はすべてト長調です。ト長調が基調になっている理由についてはあとで考えたいと思います。


e 音域@
全体の音域は、 最高音が 1G 最低音が d3です。
もともとチェンバロのために作曲されたのですから、音域がそんなにひろいわけがありません。4オクターブ半程度です。突然のようですが、シューマンのクライスレリアーナとの比較すると、こちらの方は6オクターブと、当然に音域は広くなっています。
また、もとは2段鍵盤用であったので中音域で両手が重なってしまうので、演奏家によっては、どちらかを1オクターブずらせて弾いていることもありますので、演奏上の音域は多少広がっているかもしれません。


f 構成@

[反復]@

 アリア及びすべての変奏は楽譜上、AABBすなわち反復が指定されています。例えば、平均律クラヴィア曲集では、一般にこの反復の指定の形にはなっていません。
 さらに、ゴールドベルク変奏曲の場合には演奏者によってアリアや変奏は、曲ごとにA−B−,A−BB,AAB−,AABBの基本的パターンのうちの一つが選択されて演奏されることが普通で、その選択は現状では演奏者に任されてしまっています。このようなことはクラシック音楽ではめずらしいことです。なお、記号の<−>は演奏における<省略>を意味します。
 まず、グレン・グールドの演奏をみてみますと、1955年のものと1981年のものでは、反復の取扱いに大きな差異があることが分かります。1955年には、32曲全曲反復なしのA−B−(なお、1959年のライブ演奏の録音では、A−B−が30曲、AAB−が2曲でした。)でしたが、AAB−は1981年には13曲となり、その分だけでも全体の演奏時間は長くなっています。ちなみに、どちらのグールドの演奏にも、後半の反復をするA−BBあるいはAABBの形式は採用されていません。
 楽譜(ラルフ・カークパトリック版)に再度よく目を通してみると、16小節目で1回目の演奏と反復された2回目の演奏が変化することになっている変奏があります。第2、第4、第6、第16、第25変奏の5曲です。これでも1955年のグールドは構わず、A−B−で演奏しています。バッハの書いた音符が一部とはいえ省略されているのです。
 このように反復の取扱いの考え方により演奏はずいぶん違ったものになってきます。

[小節数]@

 まず、アリアは32小節でできていますが、この32という数字は全体の曲の数と同じです。そして、アリアはまた16小節の前半と16小節の後半でできていて、変奏曲全体も16曲づつの二つの部分に分けられます。各変奏も基本的には16小節の前半と16小節の後半の32小節で構成されています。例外は、第3、9、21及び30変奏の8小節+8小節、第16変奏の16小節+32小節です。

[拍子]@

 アリアの3/4拍子が基本で、途中で拍子が変わる曲も含め3/4拍子が15曲です。また3/8拍子が4曲 、4/4拍子が3曲、2/4拍子が2曲、2/2拍子が3曲、6/8拍子が 2曲、他に12/8拍子、12/16拍子、9/8拍子、18/16拍子と3/4拍子の組み合わせ、などいろいろな拍子が使われています。特に第26変奏は右手と左手が18/16拍子と3/4拍子にそれぞれ割り当てられていて特殊な拍子です.SMFどデータ上では3連符か付点で取り扱うことになります。

[カノン(CANON)]@

 30の変奏のなかで、第3変奏からの3曲ごとに「カノン」の形式がとられています。1度すなわちユニゾンから9度までの9つのカノンがあります。そして第12変奏の4度と第15変奏の5度のカノンは反進行(旋律の上下が逆さま)になっています。
 カノンとは、ひとつの声部の旋律を他声部が厳格に模倣していく対位法の一形式です。マルセル・ビッチ;ジャン・ボンフィスの「フーガ」によれば、「カノンによる模倣とか、単にカノン(模範、典則などの意味)という言葉は、連続し、接近する模倣でふたつの音句(先行句、追行句)が重ねられるものを言いあらわす楽語である。」と説明されています。一度のカノンとは、模倣している旋律がもとの旋律と同じ音の高さ、すなわちユニゾン、のカノンのことです。ちなみに、8度のカノンであれば、1オクターブ異なる旋律が模倣するということになります。カノンの作曲は、高度に知的な作業であるといわれています。
 なお、1974年にはゴールドベルク変奏曲の和声をもとにしてバッハにより作曲された14のカノン(BWV1087)がストラスブルクで発見されています。
 また、カノンはバッハの時代だけのものでなく、モーツアルト、ベートーベン、シューマンもカノンによる書法を頻繁に用いていました。特にシューマンはカノンの勉強や練習に自らの精神的安定を求めていたのです。シューマンは、「カノンやフーガの分析は大変有益で、いわば全人格に道徳的な強さを与える効力があるともいえます。バッハには萎縮したり病的であったりするところがなく、すべてが永久の生命をもって作曲されているのです。」と考えていました。しかし、どうもシューマンはゴールドベルク変奏曲を知らなかったようです。彼の書簡集には平均律を始め多くのバッハの曲についてのコメントがあるのですが、ゴールドベルク変奏曲については筆者の読んだ限りにおいてはなんのコメントもありませんでした。もし、知っていて奥さんのクララに演奏してもらっていたら、精神症のあれほどの苦しみに襲われることはなかったのではなかろうかと想像してしまいます。もっとも、E.A.ホフマンの作品「クライスレリアーナ」には、ゴールドベルク変奏曲らしいバッハの曲を楽長クライスラーが演奏する場面がはじめの部分に出てきます。
 また、十二音音階音楽で知られるシェーンベルクはカノンの熟練者だったといわれています。「月に憑かれたピエロ」の17番、18番がその例とマルセル・ビッチ;ジャン・ボンフィスの「フーガ」では紹介されています。
 


(2)演奏の分析@

一覧表にまとめてみました。それぞれの項目について分析しましょう。

ゴールドベルク曲演奏データ 凡例:var(変奏)、tmp(テンポ)四分音符=##、f/p(強/弱)

演奏グレン・グールドグレン・グールド藤田SMFカーク・パトリック 熊本マリランドフスカイエルク・デムスバレンボイムカール・リヒター トン・コープマン グスタフレオンハルト演奏
時間 0:51:08 in 19810:38:21 in 19550:45:45 in 19920:42:22 in 19520:52:52 in 19930:45:46 in 19341:13:48 in 19??1:19:52 in 19891:17:26 in 19701:02:22 in 19870:47:12 in 1976
repeat時間tmpf/prepeat時間tmp repeat時間tmpf/prepeat時間tmprepeat時間tmpf/prepeat時間tmprepeat時間tmp repeat時間tmprepeat時間tmprepeat時間tmprepeat時間tmp
mm:ssq =mm:ssq =mm:ssq =mm:ssq =mm:ssq =mm:ssq =mm:ssq =mm:ssq =mm:ssq =mm:ssq =mm:ssq =
AriaA-B-03:05321.5 A-B-01:5352A-B-02:393755A-B-02:0248AaBB04:16462.0A-B-02:1743A-B-02:1444AABB04:5340AABB04:0348AAB-03:5438A-B-02:3039Aria
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var22AaB-01:031872.5A-B-00:42187AAB-00:5920039 A-B-01:10112AAB-01:001973.0AABB01:35166AABB01:30175AaBb01:18202AABB01:31173AAB-01:04184A-B-00:46171var22
var23A-B-00:581012.5A-B-00:54109A-B-00:4912055 A-B-00:58101A-B-01:11832.5A-B-01:1578AABB02:1388AABb02:2681AABB02:1786AAB-01:5875A-B-01:2074var23
var24AAB-01:44641.8A-B-00:5777A-B-01:037079 A-B-01:5439AABB02:35572.5AAB-01:3570AABB04:0236AABB01:5676AABB03:0248AAB-02:0155A-B-01:5439var24
var25A-B-06:03161.5A-B-06:2915A-B-04:272247 A-B-04:0024A-B-05:34181.5A-B-03:5026A-B-03:3627AaBB10:3618AABB06:5029AAB-05:3326A-B-04:0724var25
var26A-B-00:511153.3A-B-00:52113A-B-00:5410963 A-B-01:0591A-B-00:561053.3A-B-01:0393AABB02:0693AaBB01:41117AABB02:3377AAB-01:5974A-B-01:1381var26
var27AaB-01:211102.3A-B-00:49121A-B-00:4712687 A-B-00:51116A-B-00:561062.5A-B-00:50118AABB01:56102AABB01:34126AABB01:53105AAB-01:3594A-B-00:57104var27
var28A-B-01:03942.0A-B-01:1084AAB-01:2510463 A-B-01:0788A-B-01:09852.5A-B-01:1876AABB02:3377AABB02:3178AABB02:2979AAB-02:0173A-B-01:3363var28
var29A-B-01:01962.5A-B-01:0098AAB-01:1711495 A-B-01:0689A-B-01:01963.0A-B-01:1578AABB02:1388AABB02:0594AABB02:1388AAB-01:5278A-B-01:1182var29
var30AaB-01:30683.0A-B-00:4885AAB-01:277071 A-B-00:5969AAB-01:25723.0A-B-00:5278AABB01:5869AaBB01:4081AABB01:4280AAB-01:3167A-B-01:0562var30
AriaDCA-B-03:46261.0A-B-02:1145AABB04:534056 A-B-02:0746A-B-02:50341.5A-B-02:2042A-B-02:1543A-B-02:4635A-B-02:0547A-B-02:4236A-B-02:3039AriaDC

a 誰が演奏しているでしょう。@

 最初の記念碑的演奏は、1934年のワンダ・ランドフスカによる録音でした。この演奏があまりにも有名で、それ以外はもういらないという状況が暫くの間あったようです。1955年にグールドが自らのデビューアルバムをゴールドベルク変奏曲にしたいとCBSに伝えたところ、コロンビア・レコードのトップは反対しました。その時のようすは、オットー・フリードリック著の「グレン・グールドの生涯」に記されています。「いくら何でもそんな冴えないめんどうでややこしい作品に、駈け出しのピアニストのキャリアを賭ける気は君にはあるまい。」また、「ゴールドベルク変奏曲なら、あの恐るべきワンダ・ランドフスカが、これまた恐るべき彼女のハープシコードですでに録音しているではないか、それに、音楽通の大半の間ではゴールドベルクと言えばランドフスカなんだよ」と、ある重役は言ったそうです。
 その後の演奏者を、入手可能なCDからリストアップしてみます。録音年順に、ワンダ・ランドフスカ、カール・リヒター、グスタフ・レオンハルト、グレン・グールド(再録音)、トン・コープマン、ダニエル・バレンボイム、日本からは熊本マリさんです。それ以外に、録音年が不明のものとして、イエルク・デムスの録音もあります。また、グレン・グールドには1959年録音のザルツブルクでのライブが残されています。その他タチアナ・ニコラーエワ、アンドレイ・ガヴリーロフなどが録音しています。
 録音の記録ではありませんが、グールドが公開で演奏した記録があります。その記録によりますと、彼が23才の時にオタワで演奏したのを始めとして全部で27回世界各地で演奏を行っています。ゴールドベルク変奏曲の公開での最後の演奏は、1961年にロス・アンジェレスで行われました。当時の公開演奏のうちザルツブルクでのライブがCDになっているのです。当時は結構ステージでグールドのゴールドベルク変奏曲を聴くことができたのですね。

b いつ録音しているでしょう。@

 ワンダ・ランドフスカが一番古くて1934年、記録で探した限りにおいては、その次に古いのがちょっと意外ですが1955年のグレン・グールドになります。グールドは、1959年にもライブ録音を残しています。ただし、1959年の演奏についてはグールド自身がそれをレコードなりCDで発表する積もりがあったかどうかはわかりません。そのあとは10年以上経過した1970年のカール・リヒター、また暫くして1976年のグスタフ・レオンハルトです。この二人の演奏はそれぞれ特徴的であって、風格もあり、歴史的に残っていく演奏だと思います。そしてしばらくして、1981年のグールドの驚愕の再録音となります。
 その後は、1987年にトン・コープマン、1989年にダニエル・バレンボイムが録音していますが、1981年のグールドの再録音の存在が大きすぎてか、影が薄いようです。最近の1993年の熊本マリさんの演奏は、グールドとの対抗心はさらさらないとみえて、自然な良い演奏に感じられました。
 このほか、ジャズピアニストのキース・ジャレットの1989年のチェンバロによる演奏もありますが、ジャズピアニストでも弾けますよ、という程度の演奏でした。

c ピアノかチェンバロか、どちらで演奏しているでしょう。@

 ピアノで弾いているのは、グレン・グールド(デビュー版)、グレン・グールド(再録音版)、ダニエル・バレンボイム、タチアナ・ニコラーエワ、アンドレイ・ガヴリーロフ、熊本マリです。
 チェンバロで演奏しているのは、カール・リヒター、グスタフ・レオンハルト、トン・コープマン、イエルク・デムスとワンダ・ランドフスカです。それに、キース・ジャレットもチェンバロでした。
 楽器の選択は、それぞれの演奏家がそれぞれの考えがあれば、それによって行っています。グレン・グールドの場合は、デビュー版では、スタンウエイのうちから特に気に入った一台(C174)、再録音版では、当時愛用していたスタンウエイ(CD318;1945年製)が搬送中の損傷でグールドにとって使えなくなってしまったので代わりを探していたところ偶然、グールドがニューヨークで見つけて気に入ったヤマハの中古ピアノが使われました。
 グスタフ・レオンハルトは、1730年頃パリで製作されたブランシェのモデルにより作られた、1975年のウイリアム・ダウド製のチェンバロです。
オルガンでの演奏もあります。

d 1955年のグールドの録音は本当に凄くテンポの速い演奏だったでしょうか。@

 確かに、ゴールドベルク変奏曲の全曲演奏で、38分17秒はとても短い演奏時間です。しかし、アリアと全ての変奏を反復なしに演奏していますから、他の演奏とそのままの比較はできません。そこで、少し単純化して、グールドがもし反復を省略せず演奏したとしたらどうでしょう。すなわちA-B-でなくAABBの場合を想定してみます。実際には繋ぎの部分があったり、AaBbという演奏もありうるので簡単ではないのでしょうが、それは目をつぶって、「A-B-」を「AABB」にするわけですから、演奏時間は2倍です。38分17秒を2倍してみますと、76分34秒となります。この76分34秒をバレンボイムの演奏の82分38秒(最後のアリアをA-B-で演奏しているため、79分52秒にアリアの反復分の 2分46秒を加えました)と比較しますと、演奏時間で8%程度の違いで、大差のないことが分かります。
 演奏の速さは、なにも演奏時間の比較によってのみ、なされる訳ではないでしょう。

グレン・グールドの演奏のテンポの比較

1955年の演奏と1981年の演奏を比べてみると
冒頭のアリアといくつかの変奏は確かにテンポがかなり速くとられていますが、
それ以外はほぼ同じテンポであることがわかります。
変奏のなかには1981年の演奏のほうが速いものもあるのです。

e 反復の取扱い@

 グレン・グールドは1955年版ではA−B−のみの演奏で、1981年版ではA−B−19曲、 AAB−13曲に変化しました。1959年のライブ録音では第4変奏と第30変奏のふたつの変奏がAAB−で演奏されました。
 演奏家によって反復の取扱いは様々です。
反復の取り扱い
このデータを見ると、いろいろな演奏のしかたがあることがわかります。
バッハやゴールドベルクはどのように反復を考えて演奏したのでしょうか。
GG81GG55フジタクマモトランドデムスバレンリヒター コープレオン
反復 反復 反復 反復 反復 反復 反復 反復 反復 反復
アリアA-B- A-B- A-B- AaBB A-B- A-B- AABB AABB AAB- A-B-アリア
1 A-B- A-B- A-B- A-B- A-B- AABB AABB AABB AAB- A-B-1
2 A-B- A-B- A-B- AABB A-B- AABB AABB AABB AAB- A-B-2
3 AAB- A-B- A-B- AaBb A-B- AABB AABB AABB AAB- A-B-3
4 AAB- A-B- AAB- AABb AABB AABB AABB AaBb AAB- A-B-4
5 A-B- A-B- A-B- A-B- A-Ba AABB AABB AABB AAB- A-B-5
6 AAB- A-B- AAB- AABB A-B- AABB AABB AABB AAB- A-B-6
7 A-B- A-B- A-B- A-B- A-Ba AABB AaBB AABB AAB- A-B-7
8 A-B- A-B- A-B- A-B- A-B- AABB AABB AABB AAB- A-B-8
9 AAB- A-B- AAB- AaB- A-B- AABB AABB AABB AAB- A-B-9
10 AAB- A-B- A-BB AaB- AABB AABB AaBB AABB AAB- A-B-10
11 A-B- A-B- A-B- A-B- A-B- AABB AABB AABB AAB- A-B-11
12 AAB- A-B- A-B- A-B- A-B- AABB AABB AABB AAB- A-B-12
13 A-B- A-B- A-B- A-B- A-B- AABB AABB AABB AAB- A-B-13
14 A-B- A-B- A-BB A-B- A-B- AABB AABB AABB AAB- A-B-14
15 AaB- A-B- A-B- A-B- A-B- A-B- AaBB AaBb AAB- A-B-15
16 A-B- A-B- A-BB A-Bb A-BB A-Bb AABB AABB AAB- A-B-16
17 A-B- A-B- A-B- A-B- A-B- AABB AABB AABB AAB- A-B-17
18 AAB- A-B- A-BB AAB- A-Ba AABB AABB AaBb AAB- A-B-18
19 A-B- A-B- A-B- AaB- A-B- AABB AABB AABB AAB- A-B-19
20 A-B- A-B- AAB- A-B- A-B- AABB AABB AABB AAB- A-B-20
21 AaB- A-B- AAB- AAB- A-B- A-B- AABB AaBb AAB- A-B-21
22 AaB- A-B- AAB- AAB- AABB AABB AaBb AABB AAB- A-B-22
23 A-B- A-B- A-B- A-B- A-B- AABB AABb AABB AAB- A-B-23
24 AAB- A-B- A-B- AABB AAB- AABB AABB AABB AAB- A-B-24
25 A-B- A-B- A-B- A-B- A-B- A-B- AaBB AABB AAB- A-B-25
26 A-B- A-B- A-B- A-B- A-B- AABB AaBB AABB AAB- A-B-26
27 AaB- A-B- A-B- A-B- A-B- AABB AABB AABB AAB- A-B-27
28 A-B- A-B- AAB- A-B- A-B- AABB AABB AABB AAB- A-B-28
29 A-B- A-B- AAB- A-B- A-B- AABB AABB AABB AAB- A-B-29
30 AaB- A-B- AAB- AAB- A-B- AABB AaBB AABB AAB- A-B-30
アリア A-B- A-B- AABB A-B- A-B- A-B- A-B- A-B- A-B- A-B-アリア
演奏 GG81GG55フジタクマモトランドデムスバレンリヒター コープレオン演奏

 カール・リヒターとダニエル・バレンボイムはアリア・ダ・カーポ(最後のアリア)をA−B−で演奏したほかはすべてAABBとしています。イェルク・デムスも基本はAABBですが最初と最後のアリアと第15、 21、 25変奏のゆっくりの曲をA−B−で演奏しています。トン・コープマンはなにを考えているかわかりませんが、アリア・ダ・カーポをA−B−としたほかは、すべてAAB−でした。グスタフ・レオンハルトは、その硬そうなイメージからは予想外でしたが、すべてA−B−の演奏でした。熊本マリさんは、全体に自由な設定で最初のアリアをゆったりとAABBで演奏し、いろいろな組み合わせてしなやかにやさしく演奏していて素敵です。
 変わっているのワンダ・ランドフスカです。 1934年のものですから、SP時代でもあり、3枚か4枚組みの大変貴重な録音です。その時代にはこれしかなかったのでしょうから、きっと大きな影響力を持っていたと思いますが、意外な部分があるのです。全体としてはA−B−が多いので、これはきっと録音時間を短くするためにそうした演奏になっているのかと考えながら聴いていますと、第4変奏ではAABBとなりますし、第5変奏ではあれっと少し驚かされます。それは、A−B(A/2)すなわち後半の16小節を一回演奏した後、それに続けて前半の前半分の8小節を繰り返しているのです。この形は第7及び第18変奏でも使われています。これによりランドフスカは独自の表現(インディビジュアル・タッチ)を加えたということらしいのですが、彼女以外に一般向けに演奏する人はいなかったようだし、まして録音されたのは、これだけだったようですから独自の解釈をこういう形で加える必要が本当にあったのでしょうか、疑問に感じます。
 スヴャトスラフ・リヒテルは、1975年にズザナ・ルージチコ−ヴァのハープシコード演奏会でゴールドベルク変奏曲を聴いて、その感想を次のように記しています。「バッハのこの巨大な作品をハープシコードで聴くのは初めてだ。グールドの演奏会での演奏とレコードは聴いたことがある。いつの日にか自分も弾いてみたいものだ。・・・最後まで弾きとおせるものなら。 プラハ出身のこのチェンバロ奏者は実に真面目に弾いており、有難いことに繰り返しを全部やっている(繰り返しをやらなければ、全曲弾かない方がいいくらいだ)。」 また、少しさかのぼりますが、1972年にグールドのレコードでバッハのパルティータを聴いた感想は、グールドを「バッハの最も偉大な演奏者」と最大限の評価をしながらも、「グールドにおいては、いっさいがちょっとばかり輝きすぎ、外面的すぎる。その上、いっさいの繰り返しを行わない。これは許せない。」と、繰り返しについての強い考えを示しています*。結局、リヒテルはゴールドベルク変奏曲を録音どころかコンサートでも演奏しませんでした。
(*出典: リヒテル ブリューノ・モンサンジョン著中地義和・鈴木圭介訳2000)


f テンポの設定@

・アリア
 主題のアリアについては、普通のテンポで、<トントントトトーン>と演奏する場合と、ゆったりと<トーントーント・ト・トーーーン>のように弾く場合におおまかに分けられます。グールドの新旧の演奏がその典型的な例といってもよいでしょう。1955年版では1分53秒、1981年版では3分5秒というようにかなり変化しました。どちらも素晴らしい演奏です。他の演奏者はだいたいこの中間にそれぞれ位置します。1981年版のグールドの場合、ゆっくりといっても緊張感に満ちたという表現がふさわしい程まで充実したもので、のんびりしたといった印象とはまったく違います。
 テンポでなく演奏時間で比較すれば、グールドの1955年の1'53"は、熊本マリの1993年の4'16"の半分以下に過ぎません。それこそ「あ」という間にアリアは終わってしまうのです。

早く-------------------(「反復なし」に換算して比較)
  1'53"    グレン・グールド(1955年)

  2'08"    熊本マリ(1993年) ただし、AABBでは4分16秒
  2'17"    ワンダ・ランドフスカ(1934年)
  2'39"    藤田SMF(1992年)
   ・
   ・
  3'05"    グレン・グールド(1955年)
 (4'16"    熊本マリ(1993年))

ゆっくりと-------------

・第25変奏
 1981年のグールドの演奏(6分3秒)は1955年の録音(6分29秒)より多少テンポが早くなっています。後にグールドは1955年の演奏では、第25変奏をまるでショパンを弾くように感傷的に演奏してしまったと回顧しています。


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第1部

4 知の音楽への取組み@

それぞれのゴールドベルク変奏曲@
 音楽の愛好者、ゴールドベルク変奏曲のファンにとって何を試みることができるでしょうか。SMF(スタンダードMIDIファイル)のデータがあれば、次のような要素において新たな演奏を試みることができるでしょう。これは知の試みといえるもののはずです。

(1)反復の組合せ@

 コピー及びデリート機能を使えば、自由に変更できます。アリアと変奏のすべてをAABBで演奏すること、逆にABだけで演奏することが可能です。ただし、変奏によってはAとA又はBとBの間のつなぎを工夫しなければなりません。変奏を全部AABBで弾いているダニエル・バレンボイムの演奏でも、AとA又はBとBの間のつなぎでなんとなく無理をしているようなところがあります。それぞれのアリア、変奏でAB,AAB,ABB,AABBを実際に聴いてみますと、そのうちのどれかが一番ぴったりしてきます。しかし、それだけでは不十分で、前後の曲とのつながり、全体の流れにも気を配らなければなりません。グレン・グールドの1955年の録音のようにABで全曲を通してしまうのは、当時としては天才的見識というほかありません。また、全曲の楽譜通りAABBでの演奏はグールドの演奏の緊張感を味わった人にとっては冗長に聴こえてしまうでしょう。
 さらに進んで、AA´Bのように変化をつけることも考えられます。A´の変化としては後述するダイナミクス(ベロシティ)の変化、装飾音による味付けの変化が想定できます。しかし、演奏において変化に必然性を持たせるまでの段階に行くのは至難の技です。

(2)テンポの設定@

 ゴールドベルク変奏曲においては基本的に一曲ごとに一定のテンポを設定していきます。
 コンピュータと電子音源を使うのですから、機能的に許容される範囲で、速く演奏することも、ゆっくり演奏することも可能です。速く演奏する場合は、優秀なピアニストが演奏できるスピードの限度を超えてしまうこともあり、超絶技巧のようで面白く聴けることもありますが、それで良い音楽になるとは限りません。むしろ、何度も聴いて、音と音の響き会い、つながりを確認しつつ、テンポを設定することが必要です。その結果が、人間には演奏できないテンポになったとしても、それはそれで良いのではないでしょうか。
 ゆっくり演奏する必要がある時には、例えば4分音符を倍の長さの2分音符にするような変換を行ってから、調整をすると無理の無い演奏になります。本書のSMFデータに入っているアリアはこの方法によってゆったりしたテンポを実現しています。ただし、ゆっくりしたテンポでは音源の善し悪しはっきりと出てしまいますので、その面での注意が必要です。

テンポの速い例
 第5変奏曲、第10変奏曲、第18変奏曲、第22変奏曲が四分音符換算でテンポが速い曲といえます。演奏者によってそれぞれ異なるだけでなく、四分音符換算が妥当かどうかの議論もあります。また、ゆったりとしたアリアのあとすぐでは第1変奏曲はとてもテンポが速いように感じられるでしょうから、曲と曲のつながり方もテンポの感覚に大きく影響を与えます。


テンポの遅い例
 第25変奏は、ふつうゴールドベルク変奏曲の中でテンポの最も遅い曲です。コンピュータを使う演奏では、各音符の長さを倍にするなどにより、とことん遅い演奏が可能です。しかし、テンポの遅い演奏では、一音一音が非常に重要で、それぞれの音に演奏家のエネルギーがこめれられていないと聴くに値するものにはならないでしょう。
 グールドの演奏では、6分3秒、藤田の場合では4分27秒です。


一つの曲の中でのテンポの動き
 一曲ごとに一定のテンポを設定することにして、一曲の中でのテンポの揺れは最初は考えないほうが良さそうです。グールドの演奏でも当然、リタルダンドやテンポルバートがありますが、それはグールドにより厳密に設定されていると考えます。また、カークパトリックは、バッハの曲では、「和声上・旋律上のあらゆる細部は、フレーズ全体または楽章全体に対してはっきりと対称的な関係をなすよう配されているために、リズムに変化をつけると、音楽的構成に歪みが生じることもあり得る。」と言っており、テンポの揺れを、「精緻を極めたバロック建築に災いをもたらす地震」にたとえています。
 実際、安易なテンポの変化をつけると、演奏の質は極端に低くなったような感じを受けます。特にバッハの音楽では表面的な感情の動きよりも音の構成が重要で、さしあたり、手を入れないほうが良い演奏になるようです。

(3)ダイナミクスの設定@

 ダイナミクス(又はベロシティ)、すなわち音の大きさの設定も一曲ごとに行います。
 ダイナミクス自身は、一つ一つの音のベロシティによって決まるだけでなく、それぞれの音の長さ、音の重なりによっても異なってきます。均一のベロシティの音で演奏したからといって、ダイナミクスがその曲の中で一定ということではありません。例えば、ハープシコードでもレジスターの変化によらず、音の長さ、タイミング、音の重なりによってダイナミクスの変化が得られます。SMFのデータの扱いでは主としてベロシティの曲ごとの変化でダイナミクスを設定していくことにします。
 音源がピアノの場合、鍵を強くたたいた音と、優しく弾いた音は性格が異なります。単に同じ音のボリュームを上げたり絞ったりしたものとは違うはずです。それは実際にピアノの鍵を自分でたたいてみても、優れたピアニストの演奏を聴いてもわかります。
 したがって、ダイナミクスの設定は、他の曲より大きな音で、又は小さな音で、というような比較の問題以上に、音色の設定の意味を大きく持つのです。使う音源によっても異なるでしょうが、ダイナミクスの変化と音色の変化を十分把握しなければなりません。
 幸い、コンピュータを使う場合は、一定のベロシティで演奏することが可能で、音源がデジタルピアノであれば、その幅のある音色の内、限定された部分すなわち一定の音色だけで一つの曲を演奏できます。そのため、曲ごとにベロシティを変えると曲ごとの演奏での音色の変化も際立ってくることになります。
 ゴールドベルク変奏曲は、ハープシコードでの演奏が想定されていました。ハープシコードでの演奏の場合は一曲ごとにレジスターの変更を行って、音色・音量を変えていきます。普通一曲の中では途中変更はしないので、音色は変わりませんし、ハープシコードのメカニズムから考えて、キータッチによる音量の変化もありません。カークパトリックは、「各変奏内では、レジスターの変更はまったく必要ない。表現の中に耳障りな不安定さが生じるだけであり、構造の対称性が完全に損なわれるからである。」といっています。
 したがって、さしあたり、一曲の中ではベロシティの変化は行わず、曲ごとに一定の設定をしましょう。
 ただし、ハープシコードのメカニズムを再び考えてみますと、二段鍵盤による演奏の指定もありますから、右手・左手での音色の差に対応した設定も考えられます。
 こうして、ピアノでの演奏では、ゴールドベルク変奏曲のアリアと30の変奏、さらにアリアダカーポを巡る間、ピアノの音色の変化を最大限に活用します。すなわち、一曲ごとに変化する音色を実現するのです。それを際立たせるためにも、一曲の中での音色の変化、元に戻って、ベロシティの変化はひかえることにしましょう。

(4)装飾音等の変化@

 バッハの音楽では装飾音の考え方、取扱いは深遠な問題です。いろいろな文献に様々な解釈があります。このスタンダードMIDIファイルのデータではカークパトリック版の楽譜にほぼ沿っていますが、シークエンサーの能力の限界やデータ入力の方法の都合から、そのままにはならなかったし、また、演奏を繰り返し聴くことを通して修正を加えていったので、随分と独自のものになっています。
 トリルの部分を考えますと、実際の演奏者の場合は、左手と右手の絶妙なリズムのバランスがあり、それをそのままコンピュータのデータとすることは困難でした。人間の演奏では、楽譜では表現できない柔軟なリズム感覚があるのです。楽譜から出発するデータ作成ではそこが一番の難所です。また、現在のピアノの鍵盤は、バッハの時代のチェンバロやクラビコードの軽くて敏感な鍵盤とは異なり、重く、かつ音が大きいという性格を持っているので、バッハの時代の装飾法をそのまま適用しようとたら、うまく弾けないし、音響的にもすっきりしないかもしれません。
 さらなる修正の可能性としては、装飾音の考え方そのものの変更もありえますし、演奏を聴いた結果を基に、リズムや継続長さの変化もできるでしょう。グールドや熊本マリさんの演奏ではいろいろな装飾音の表現の仕方を聴くことができます。装飾音により曲の内容は大きく変わりますから変化をつけるにあたっては大胆かつ細心の配慮が必要です。
装飾法

音を聴いたらブラウザーの「<」でもとの画面に戻ってください。

Trillo/ Mordant/ Trillo u.
Mordant
/
Cadence/ Doppelt
-Cadence
/
Idem/
Doppelt-Cadence
u. Mordant
/
Idem/ Akzent
steigend
/
Akzent
fallend
/
Akzent u.
Mordant
/
Akzent u.
Trillo
/
Idem

バッハの音楽においては、同時代の他の作曲家に比べて、装飾はかなり少ない といわれています。それでもこのゴールドベルク変奏曲では、装飾の効果は大変 大きく,特に冒頭のアリアは装飾によってその美しさが比類のないものになって います。装飾記号によって飾られた楽譜からはその一見シンプルにみえる姿の中 から豊かな表現が湧き出てくるようです。
「いろいろな記号についての解説、及び装飾音の上手な演奏法を示す」ため、 バッハは「クラヴィーア小教本」(1720年)に奏法の一覧表を書き込みました。 これをバッハの子供たちは手本に勉強したのです。

(5)音の長さ@

 コンピュータの機種やソフトの特性によっては、同じ音が連続する場合に、前後がくっついてしまい、変な演奏になることがあります。システム的には前の音がONして音が出て、次にOFFになって音が消え、指定の微小時間ののちに次の音がONになることになっているはずですが、OFFの信号とONの信号が混乱することがあるようです。そんなことがあるのかと思われるかも知れませんが、あることはあるのです。基本的にはCPUの性能が高いシステムで、ソフトでもこの点に配慮したものであれば問題はありません。
 そこで、例えば4分音符の連続のような場合、それぞれの音を少しずつ短くしておけば心配がなくなります。データを楽譜表示する場合には、譜面上のクオンタイズを利用すれば、見た目での混乱は防げます。
 逆に、トリルの場合は、音符入力のまま二つ以上の音符が交互になっているので、音が細切れになってしまいますので、それぞれの音を少し長くして、次の音と多少重なるようにすると、良い場合があります。最新のソフトではこの機能が組み込まれています。
 スタッカートの場合、もとの音符のどれくらいの長さにすれば良いのか迷うところです。
このSMFデータでは、特段のことがなければ、元の音の半分の長さと設定しています。しかし、他の音の長さとのバランスや、ピアノの音の特性を考慮しつつ、自分の耳で聴いて調整すべきと考えます。ピアノの音は打鍵のあとの時間によってその性格が大きく変わりますから、一つの音で考えると、音の長さをどうするかによってその音の性格を決めることになるからです。
 もうひとつ、これは繰り返しになりますが、音の重なりによって曲のその部分のダイナミクスが変わってくるということにも配慮しましょう。

(6)ペダリング@

 ペダリングの効果は大きく2つに分けられます。ひとつめは音を伸ばす効果です。鍵を押した指を鍵から離しても、その前からサステインペダルが踏み込まれていれば、その音はペダルを踏むのをやめるまで減衰しながらもとぎれることなく続きます。この効果だけを考えるのであれば、MIDIを使う場合は、その音を必要なだけデータ上で長くすればよいのでそれ程難しくはありません。
 もうひとつの効果は鍵を押していないピアノの弦全体を開放することによる響き、すなわち共鳴の効果です。ハンマーが打った弦の周りの他の弦が共振することによって、多くの部分音が発生して、響きは豊かになります。この効果もあってピアニストにとってペダリングは重要な意味を持っているのです。さらに付け加えれば、ハーフペダリングというような演奏技術もあります。ハーフペダリングはペダルを途中まで踏み込んだ状態でまだダンパーが弦に微妙に接触していて、その接触の度合によって多様な響きを産み出す技術です。本当に傑出したピアニスト例えばホロヴィッツなどはこの達人であるといえるのです。
 ゴールドベルク変奏曲では、楽譜上、ペダリングの指定はありません。また、音楽の性格上、ペダルを使用しないほうがよいとの意見が多くあります。かなり以前のグールドの演奏中のビデオを見ますと、足を組んで弾いている姿があり、この場合ペダルの操作はしていないのです。しかし1981年のゴールドベルク変奏曲演奏のビデオ録画をみますと少しですがペダルを使って演奏している姿がみられます。グールド自身によればサステインペダルはめったに使わず、ソフトペダルを使っているということです。ソフトペダルによりピアノの弦の3本で弾くより2本で弾くことができ、ずっと明確で贅肉のとれた音質になると考えていたようです。
 MIDIにはペダルのコントロールデータがありますが、ゴールドベルク変奏曲ではそれは使わず、必要な音は音符そのものを長くして、音を継続させるようにするのが良いでしょう。

(7)曲と曲との間の長さ@

 最初のアリアが終わって、変奏が始まり、ひとつの変奏が終わって次の変奏になる。そうして、最後の変奏が終われば、アリア・ダ・カーポです。曲と曲との間の長さ、静寂の長さは、全曲をとおして演奏する際の重要なポイントです。それは、グールドの演奏をそのつなぎの部分に注意して聴けば、分かるでしょう。
 この長さには、前の曲、続く曲の性格が影響してきます。従って、十分聴き込んで設定する必要があります。しかし、どうすれば、最適な間隔になるかは明確にはいえません。グールドの演奏でもいろいろな「間」のとりかたがあります。ひとついえることは、リズムの継続でしょうか。前の曲、続く曲では、テンポやリズムが異なることが多いのですが、きっと内在するリズムの継続があるのではないかと考えます。グールドの演奏では必然的ともいえる「間」になっています。  データ処理上は、変更は比較的簡単です。「間」にあたる音のない部分のテンポを変更することにより実現できます。

(8)移調(トランスポーズ)@

 原曲は、ト長調が主になっていて、ピアニストはこれを移調して演奏することは普通考えられませんし、実際そうした例はこれまでなかったと思います。
 移調は、原曲の調の性格との関係を考えれば、安易にするようなことではなく、また、音律の問題もあり、鍵盤楽器上では移調はすべきものではないとの考え方もあります。これは前のところで記していますが、平均律と平均律以外の音律の問題です。バッハはオルガンでは中全音律を主に使っていたと考えられていますし、クラヴィアではヴェルクマイスターの音律法が用いられていた可能性が高いのです。当然、ゴールドベルク変奏曲も今日の平均律以外のバッハが平均律と考えたヴェルクマイスターの音律法かあるいは中全音律などにより調律されたハープシコードで演奏されたでしょう。
 ところで、今日は一般に鍵盤楽器(ピアノ、電子ピアノ、シンセサイザー等)及び音源モジュールは、平均律に調律されています。こうした音源を使っている場合は、カラオケの場合と同じ様に移調しても音の高さが変わるだけで、それ以外の問題、すなわち、和音の響き、和声の問題は起きてきません。当然、音の高低による曲の雰囲気の変化は生じます。こういうわけで、平均律を使う限り、好きなように移調ができますので、やってみる価値があるかも知れません。具体的には音源の方で移調してしまえば、簡単に実現できます。

(9)音律@

 バッハは平均律クラヴィア曲集を作曲したので、いかにも現在使われている平均律すなわち等分平均律で鍵盤楽器を演奏していたかの印象がありますが、バッハが平均律と考えた音律には中全音律やヴェルクマイスターやナイトハルトの音律も含まれていたと推定されています。
 音律は理屈を理解するのに多少困難を伴う上に、その差異も微妙ですから、あまり気にすることはありません。とはいっても、一応ここで説明しておきましょう。音律というのは、音階を組み立てる際に、本来よく響きあう音程としてオクターブ(ドード)、5度(ドーソ)、長短の3度(ドーミ、ラード)がありまして、オクターブはいつでもハーモニクスにより完全に調律できますが、5度(ドーソ)、長短の3度(ドーミ、ラード)はお互いにずれてしまってぴったり一致とはならないのです。また、これらの音を優先的に調律しますとレ、ファ、シの音が隣の音に近くなりすぎたりして、和音の内容によってはとてもやな音が出てしまったりもするのです。さらに、それぞれの音の隣りどおしの音の高さの上での間隔がまちまちになり、移調したりすると、音楽としては堪え難いうなりを発生することもあり、作曲家の悩みの種だったのです。そこでそれぞれの音を響きをそこなわないように気をつけながら少しずつずらせて調律する方法がバッハの時代にできたのです。そこでバッハは早速、平均律のための曲をつくったのでした。当時、調律方法にはいくつかあって、代表的なものが中全律法、ヴェルクマイスターやナイトハルトの音律法、さらに等分平均律法でした。バッハが等分平均律法のみがよい調律法だと考えたかどうかはわかりません。どちらかというと中全律法やヴェルクマイスターの音律法のほうが普及していたのです。現在でも、クラッシックの場合には管楽器やバイオリンのような弦楽器は純正律で演奏されます。そのため響きを大切に取り扱うことができるのです。等分平均律は、特にオクターブ以外の音程の純正さはそこなわれ、また各々の調の性格は失われてしまいます。
 ゴールドベルク変奏曲の本当の響きを目指すなら、逆に、等分平均律の世界から離れて、他の音律に挑戦することも意味があると思います。これは音源の仕様及びシークエンサーの能力によって可能な場合とそうでない場合があります。可能な場合でも、簡単な操作ではないことのほうが多いようです。

音律と不確定性原理の係わり合い

(10)カノンの分析@

 カノンは特に知的作業を伴って作曲されています。その作られかたを分析して、単にチェンバロでの演奏でない、新しい演奏のあり方を探求してみたいと思います。この作業はよい演奏そのものを目指すものではありませんが、カノンの知的な面白さを改めて楽しむきっかけになるでしょう。


(11)繰り返し聴く@
 以上の(1)から(10)までを個々に考えることも大事ですが、やはり組み立てたものを何度も繰り返し聴いてそれぞれの「知」に即したものに創り上げていくことが重要です。カイザーリンク伯も、ゴールドベルクの演奏で何度も何度も聴いたはずです。私達も何度でも聴いてみましょう。


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第1部

5 再び眠りのゴールドベルク変奏曲  @

(1)ゆっくりおやすみ @
 再びアリアに戻ってきました。ここからは、今一度、眠りの方向へ歩んでいきます。グールドは「主題(アリア)は目的でなく出発点であり、変奏は円を描くのであって直線をなすものではない。」といっていました。しかし、知の挑戦を続けていればいつかは休まなければなりません。カイザーリンク伯がゴールドベルクに弾かせて聴いた演奏をシミュレートしてみました。データは、(goldslep.mp3)for mp3  あるいは、(goldslep.mid)for MIDIにあります。こういう音楽がひょっとすると本当のゴールドベルク変奏曲かもしれません。「眠れない夜、寝室の隣の控の間で演奏され、穏やかに伝わってくるチェンバロの調べ、どこか陽気で、気分が少し引き立ってくる。」そのような演奏です。
 そういえば、トロント市内のグールドの墓碑には、ゴールドベルク変奏曲のアリアの初めの部分の楽譜がなんとなく楽しげに写されています。安らかにお眠りとでもいうように。グールドはついに、知の挑戦の果ての永遠の眠りに到達したのだ、と思いたいところです。
 ところが、ゴールドベルク変奏曲と眠りの関係は、1 の「眠りの音楽」で紹介したように、グールド自身によって否定されているのです。グールドは、「この曲が子守歌として成功したのだったなら、ゴールドベルク名人はこの刺激的で辛口の楽譜をほんとうに忠実に弾いたかどうか、かなり疑わしい。」といっていました。また、この曲のCDの解説は、たいがい決まって、不眠症対策用の曲であるという逸話を一応紹介したうえで否定しています。
ゴールドベルク変奏曲で「おやすみなさい。」

(2) フォルケルの「バッハ伝」@

 その逸話の出典は、ヨハン・ニコラウス・フォルケルというドイツの音楽学者による、バッハについての歴史上初めての伝記「ヨハン・セバスティアン・バッハの生涯と芸術と作品について」です。フォルケルは1749年生れですから、ゴールドベルク変奏曲の出版の7年後、バッハが亡くなる約一年半前に生まれています。20才でゲッティンゲン大学法律学科に入学しますが、音楽が好きで、それが専門となり30才でゲッティンゲン大学音楽監督になったのですから、伝記作家というより音楽家といったほうが良いかも知れません。音楽史家として「一般音楽史」を執筆したほか、オラトリオの作曲もしています。
 フォルケルが52才の1802年に伝記を発表するまで、執筆にあたってはバッハの息子で2男のカール・フィリップ・エマヌエル・バッハと密接な連絡をとっていたと伝えられています。また、長男のウィリアム・フリーデマン・バッハとも親密な交友関係にあったのです。そのフォルケルの「バッハ伝」によれば、ゴールドベルク変奏曲にまつわる話は次のようでした。
 「すべての変奏曲の模範ともいうべきこの曲 − 誰にもわかる理由からこれに倣って創られたものは一曲もないのであるが − が創られたのは、元のザクセン選挙侯宮廷駐在ロシア大使カイゼルリンク伯のお陰である。同伯はしばしばライプチッヒに滞在し、そのときゴールドベルク(藤田・注;「バッハ伝」のなかで、有名になったバッハの弟子のひとりとして、ケーニスベルクのゴールドベルクを「非常にしっかりした洋琴奏者であったが、作曲の天分は格別もたなかった。」と紹介している。)を伴い、バッハから音楽の教授を受けさせた。伯爵は病弱で当時不眠症に悩んでいた。伯と同じ家に住んでいたゴールドベルクは、そのような時には控の間で夜を過ごし、伯が眠れる間何かをひいて聴かせねばならなかった。あるとき伯爵はバッハに、ゴールドベルクのため、穏やかで、快活な、眠られぬ夜に気分が明るくなるような洋琴曲を書いてはくれまいかといい出した。バッハは、この希望に最もよくかなうものは変奏曲 − それまでバッハは変奏曲というものを基礎的和声が不変なため面白くない仕事と考えていた − であると確信した。この頃のバッハの作品は、もはや芸術作品の模範と称すべきものばかりであったが、この変奏曲はかれの手によってそのようなものとなり、またバッハがこの種のモデルとして遺した唯一のものとなったのである。伯爵はその後この曲をただ自分の変奏曲と呼んでいた。彼はそれを聴いて飽くことがなく、そして永い年月の間、夜に眠れないことがあると、『ゴールドベルク君、わたしの変奏曲をどれか一つ弾いてくれたまえ』といいつけるのであった。バッハは自分の仕事に対して、この曲に対するほど沢山の報酬を与えられたことはなかったようである。伯爵は金の杯に金貨 100ルイを充たして彼に贈った。しかし、この作品の芸術価値からするならば、たとえ報酬が千倍大きかったとしても、なお十分とはいえぬのである。」(田中吉備彦訳著「バッハ傾聴」から、フォルケルの「ヨハン・セバスティアン・バッハ その生涯、芸術および作品について まことの音楽芸術の愛国的渇仰者のために」より。注を除き、原訳のまま、ただし、一部省略)
 他の資料により補足すれば、「1741年にバッハは、任地のライプツィヒから選帝侯国の首都であるドレスデンに旅した。ドレスデンは進歩的な音楽のいとなみの一大中心地であり、バッハの肩書きは、その『宮廷作曲家』であった。ドレスデン入りしたバッハは、称号請願の際に力添えをしてくれたロシア大使カイザーリンク伯爵のもとを訪れる。そこで、バッハは、ヨハン・ゴットリープ・ゴールドベルクという14才の少年に出会った。この少年は、なみなみならぬ楽才のゆえに10才の頃ダンツィヒからスカウトされ、伯爵邸に仕えながら、鍵盤楽器演奏に磨きをかけていたのであった。」とのことでした。
 ところが、グールドに限らず、これには異論を唱える人が多く、このエピソードは信憑性が低いとの評価が一般になっています。ゴールドベルク変奏曲は曲の内容から考えて、「穏やかでいくらか快活な」という並のレベルでなく、「きわめて生命力に満ちた、バッハのクラヴィア技法の神髄を示す音楽である」というわけです。
 また、具体的理由として、
 a この難曲を与えられるには、当時のゴールドベルクは14才か15才で若すぎる。
 b 1742年に出版された初版の序文で、伯爵の依頼にバッハはまったく言及していない。
  (ただし、バッハがその初版本の一冊を伯爵に贈ったことは知られている。)

の2点が指摘されています。それぞれの理由について検討して、本当にただの逸話であったかどうか考えたいと思います。

(3) ヨハン・ゴットリープ・テオフィルス・ゴールドベルク @

ゴールドベルクの肖像(想像図)
そうです、私がゴールドベルクです。
自分の顔が公開されたのはきっと初めて です。

バッハと若き日のグールドのイメージから
モルフィングの手法で合成しまし た。

(Johann Gottlieb Theophilus Goldberg の想像肖像画;本人の肖像画は現存していません。)



 まず、理由 a についてはどうでしょう。
 ヨハン・ゴットリープ・ゴールドベルクは、1727年、ダンチヒ(現在のポーランド北部グダニスク)に生まれ、1756年にドレスデンで29才の若さで亡くなっています。フォルケルは、ケーニスベルクのゴールドベルクと呼んでいますから、生まれはダンチヒでも近くのケーニスベルクで育ったのかも知れません。カイザーリンク伯との出会いは、1737年にダンチヒで、伯が41才のとき、ゴールドベルクは10才で楽才のある少年の時でした。カイザーリンク伯は1733年から46年までドイツ南部のドレスデンの宮廷に駐在していました。仕事の都合でダンチヒを訪れ、ゴールドベルクに会ってドレスデンに、呼び寄せたかしたのでしょう。
 ドレスデンは当時の進歩的な音楽のいとなみの一大中心地だということでしたから、ポーランド北部にあるグダニスクから、そこにスカウトされてくる少年はかなりのレベルであったと推定されます。一時、バッハの長男のヴィルヘルム・フリーデマン・バッハに師事させてもいるようです。バッハ自身も4年後に14才となったゴールドベルクに会っているし、短期間ではあるが弟子にしたぐらいですのですから、その能力は十分把握できたでしょう。ただし、この変奏曲を若いゴールドベルクに献呈するわけはないことは容易に想像できます。
 それにしても1年たって15才になった少年にこの難曲が演奏できるとは考えられないという意見もあるでしょう。グールドと比較するのはいけないかも知れませんが、あえて比べてみましょう。オットー・フリードリック著「グレン・グールドの生涯」によれば、グールドは、10才になるまでに、すでに平均律クラヴィア曲集第1巻全曲をマスターしていたのですし、14才には公開演奏で、平均律の前奏曲とフーガ変ロ短調やパルティータ第2番などを演奏しています。20才にはシェーンベルクやベルク、ウェーベルンなどに取り組んでいるのです。グールドが初めてゴールドベルク変奏曲を弾いたのがいつかは分かりませんが、23才にはあの驚くべきデビューレコードを出したのですから、もっと若い頃からこの曲に関心を持っていたのは確かです。
 ゴールドベルクは演奏者としての能力以外に、作曲もしていたことが知られています。かつて、バッハの作品といわれていたもののなかに、ゴールドベルクを作曲者と推定すべきものがあるというのです。それは、「2つのバイオリンと通奏低音のためのソナタ ハ長調BWV1037/Anh.187」です。Anh.187はバッハの作品でない可能性のあることを示すバッハ協会の記号です。たとえバッハ作曲でなくても、まれにみる名曲の一つに違いありません。この曲の作曲者と推定されるのですから、ゴールドベルクは当時それなりに認められた演奏家・音楽家と考えられます。ただし、フォルケルのコメントでは、「非常にしっかりした洋琴奏者であったが、作曲の天分は格別もたなかった。」となっています。バッハ一族に比べればフォルケルのこの様な評価も当然かも知れません。
 そして、曲の名称は何を意味しているのでしょう。「ゴールドベルク変奏曲」は後世につけられた通称で、本来の名称は「クラヴィア練習曲 種々の変奏を伴うアリアから成る−2段鍵盤のクラヴィチェンバロ用−愛好家の心の慰めのために−」でした。それも「クラヴィア練習曲集第4部」として出版されているのです。練習曲でも超絶技巧のものはかなりありますが、とにかくバッハ時代の練習曲です。グールドのように素晴らしい演奏をするのは大変困難なことですが、演奏すること自身をゴールドベルクができなかったとは考えにくいのです。
 アンナ・マグダレーナ・バッハが書いたといわれてきた「バッハの思い出」(山下 肇訳 ; なお、後世の別人の創作です。アンナ・マグダレーナ・バッハが書いたものではありません。内容は、面白いし、事実とそう異なっているとは思えないが、歴史上の証拠になるものではない。参考文献を参照してください。)では、ゴールドベルクを、「(バッハは)弟子の数が大へん多く、わたしは到底その一人ひとりの名をみなあげることはできませんが、特に一頭地をぬきんでて、各自の受けた比類なき教育に報いるところ大きかった弟子たちの中には、きわめてすぐれたクラヴィーア演奏家ゴットリープ・ゴールトベルクもはいっておりました。この人には後にカイザーリンク伯爵家に抱えられ、セバスティアンはこの人のために『30の変奏曲付きアリア』を書きました。その曲は二段鍵盤のためのチェンバロのためにつくられたもので、私たちが通常ゴールトベルク変奏曲とよんでいるものでございます。……(中略)……… 伯爵の勧めで、彼の弟子、しかも特に素晴らしい弟子になったヨハン・ゴールトベルクがおります。この人は日夜クラヴィーアを勉強して、まもなく驚異的な上達を示し、軽快な熟練と完全な運指法を身につけました。この弟子のためにセバスティアンが書いた『30の変奏曲付きアリア』は、これを弾く人の不出世な技術程度を示す証拠となるもので、極めて少数の人しか弾けないほど、要求度の高いものでした。」というように紹介しています。
 また、カイザーリンク伯は、この曲を「私の変奏曲」と呼んで愛聴していたとフォルケルは伝えていますが、「カイザーリンク変奏曲」とならず、「ゴールドベルク変奏曲」と呼ばれるようになったのは、やはりゴールドベルクの演奏が良かったのだろうし、評判になっていたのだろうと推定します。
 最近の資料(CD「ゴールドベルク変奏曲 アンドレイ・ガヴリーロフ(ピアノ);録音1992年;ドイツ・グラモフォン POCG-1708」の鳴海史生氏による解説文)にでは、「バッハがあらかじめ平易な部分だけから成る変奏曲を浄書し、カイザーリンク伯爵に献呈していた(したがって、『クラヴィーア練習曲集第4部』はその増補改訂版)とすれば、フォルケルの伝える話にも十分に筋が通るであろう。」という解説者自信の推測がみられます。しかし、これはあくまでも推測に過ぎないようであり、演奏上「平易な部分」といったものがこの変奏曲においてどのように分類し得るものだろうかと疑問があります。

(4) ヘルマン・カール・カイザーリンク伯爵@


(Reichsgraf von Hermann Carl Keyserlink の実際の肖像画です。)
そうです。わたくしがカイザーリンク伯爵です。
その変奏曲はわたくしのものでした。

 理由 b に関連して検討する前に、カイザーリンク伯とはどの様な人だったでしょうか、できるだけ調べてみましょう。
 カイザーリンク伯は、1696年ポーランドの北、現在のリトアニアのあたりのクーアラント生れで、1764年にワルシャワで亡くなっています。1764年といえば、バッハの伝記作者フォルケルは15才ですから、フォルケルがカイザーリンク伯に直接会ったことがあるとは思えません。ロシアの大使として1733年から46年までドレスデンの宮廷に駐在し、1746年からはベルリンに駐在しています。
 繰り返しになりますが、1741年にドレスデン入りしたバッハは、宮廷作曲家という称号の請願の際に力添えをしてくれたカイザーリンク伯を訪れています。カイザーリンク伯はその後も1747年にはフリードリヒ大王へのバッハの謁見を実現させるなど、バッハに対する支援を続けていました。バッハが、こうした恩義のある伯爵の依頼を中途半端に扱うとは考えられません。
 アンナ・マグダレーナ・バッハの「バッハの思い出」では、「カイザーリンク伯は音楽の大変好きな、また豊富な知識をもたれた方で、セバスティアンの最も熱心な礼讃者の一人となられ、幾たびもドレスデンからわざわざ、彼(バッハ)に逢い彼の曲をきくために、おいでになりました。……(中略)…… この曲は、伯爵の特別な懇請によって、ゴールトベルクのために作曲されたものですが、それは、この伯爵が時おり鬱々として眠れない夜など、ゴールトベルクにこの曲を弾いて貰って、その楽の音によって最も効果的に心を明るくするためでありました。伯はこの曲を幾度きいても決して倦きませんでした。そこでセバスティアンにこの作曲のお礼として美しい嗅煙草盆に金貨百ルイを添え、本当に気前のよい贈物をしてくださいました。」というように、記されています。この「バッハの思い出」は小説のようなものですから、史実として捉えるのは難しいけれども、こんな風だったかな、と思わせられます。
 また、伯爵の依頼に対してバッハが選んだ形式、すなわち変奏曲が、不眠症対策として本当に適切であることも、バッハが真摯に取り組んだ証拠のように考えます。このことについては後で詳しく考えます。
 1742年に出版された初版の序文で、伯爵の依頼にバッハはまったく言及していないことについては、当時「宮廷作曲家」であったバッハが、自分が仕える王侯へならいざしらず、いくら恩義があり親しいとはいえ、ロシアの大使に献呈することはできなかったはず、ではないでしょうか。それも練習曲集なのですから。  バッハ作曲の音楽の献呈の記録を調べてみます。バッハの場合は楽譜に献辞が記されていることは、かなり少ないといっていいと思います。列記しますと次のとおりです。

献呈の記録
  ・カプリッチョ「最愛の兄の旅立ちによせて」変ロ短調 BWV992
      1704年頃、兄のヨハン・ヤーコブ・バッハに
               兄がスウェーデンに旅立つため
  ・ブランデンブルグ協奏曲 BVW1045-1051
      1721年、ブランデンブルグ辺境伯クリスティアン・ルードヴィヒに
               就職活動の一環として
  ・アンナ・マグダレーナ・バッハのためのクラヴィア小曲集(音楽帳第2巻より)
      1722年 第1巻、1725年第2巻 妻のアンナ・マグダレーナに
  ・パルティータ第1番 変ロ長調 BVW825
      1726年、ケーテン公に
               その年に生まれたケーテンの公子を祝って
  ・ミサ曲ロ短調のうちの「キリエ」と「グロリア」
      1733年、ザクセン選帝侯フリードリッヒ・アウグスト2世に
               ザクセン宮廷での官職願
      (ミサ曲ロ短調の全体は1748,49年に完成)
  ・音楽の捧げもの BVW1079
      1747年、時のプロイセン王(フリードリッヒ大王《2世》)に
               宮廷作曲家の称号をもとめて
ということで、非常に特別な場合か、最愛の家族に対してのみ献呈の記録があります。
 また、楽譜に記された、バッハ自身の序文等には、「愛好家の心の慰めのために」といったような表現がみられるだけで、「誰々の依頼にもとづき」とか「誰々に感謝して」などの表現はみられず、ゴールドベルク変奏曲の場合にも、カイザーリンク伯について楽譜の序にコメントすることは、念頭になかったと考えます。つまり理由 b は根拠となりません。
 フォルケル、ゴールドベルク、カイザーリンク伯、そしてバッハと、それぞれの人と経緯を見てきましたが、ゴールドベルクが若すぎるとか、楽譜に「献呈」などの表現がないとかいったことは、カイザーリンク伯の依頼の有無に関係がないことがわかってきました。つまり、グールドのコメントやCDの解説で逸話として片付けられしまっているカイザーリンク伯の依頼は、逸話の類いでなく実際にあったということを否定できないのです。
 それでも、礒山雅氏がカール・リヒターのゴールドベルク変奏曲のCDに1972年につけた解説で、「厳格な秩序の中で繰り広げられる変奏の多彩さと音楽の新鮮な生命力には驚嘆のほかはない。(もしこの話が事実だとして)カイザーリンク伯爵は、この曲を聴き終えると、かならずや心労から解放され、安らかな眠りに誘われたことであろう。その心を慰める力ないし解放の力は今日でもなお、失われていないのではないだろうか。」といっているのは、「眠り」とこの曲の関係を幾分でも肯定的に記述している礒山氏でも、たとえ不眠症に効果があるにしても、聴いているうちに眠くなるというふうなことは、このような名曲に対して、是認できなかったからでしょう。
 礒山雅氏の「伯爵は、この曲を聴き終えると、心労から解放されて」という分析のうち、「この曲を聴き終えると」の部分について、私には異論があるのです。すなわち、ここは「この曲を聴いているうちに」であるべきだということです。これはこの曲が「眠くなる曲」だといおうとしているのではなく、「不眠症を癒す力を持つ音楽」、「知の病い」である不眠症に対抗しうる「知の音楽」ということはできないだろうかと考えてみたいのです。
 ここでも後世の創作とはわかっていますが、アンナ・マグダレーナの「バッハの思い出」を引用しましょう。ライプチッヒ時代の思い出として書かれています。「クラヴィコードは私たちの寝室にまで一つおいてありまして、よく彼(バッハ)は真夜中に起き出して、コートを羽織ると、一時間も二時間もこれを奏いていたことがあるのを思い出します。そんな時でも、かれの奏き方はとても安らかな調子ですので、眠っている子供たちの妨げには少しもなりませんでした。いえ、むしろ、その音色は子供たちの夢の美しい伴奏になってくれたと思います。その時はわたくしもじっと静かに横たわったまま、この音色が静まりかえった暗い家の中のすみずみまでも流れていくのに耳傾けてきいておりました。時には窓の格子ごしにさしこむ月の光も彼の安らかな姿を照らしていました。それがいつもわたくしには、まるで主の前庭から聞こえてくる歌声のように響くのでした。夜にはいつでも彼は平和な音楽しか奏かなかったからです。そうして、よくわたくしは、彼の手から流れ出る優しいメロディーにきき惚れながら、セバスティアンがまだ寝床に戻らないうちに、いつしか、うとうと快いまどろみに沈んでしまったことを告白致さねばなりません。」バッハが、奏いていたのがゴールドベルク変奏曲ばかりとは思いませんが、少なくともバッハの曲をそれもバッハ自身の演奏で聴きながら快いまどろみに入っていく素晴らしい経験がここでは表現されているのです。いかにも本当らしい話です。

(5) 不眠症(Insomnia)@

 カイザーリンク伯はどの様な不眠症に悩まされていたのでしょうか。今となっては知る由もありません。不眠症は百科事典によれば、「睡眠のできないこと。特にその習慣的、慢性の状態をいう。アルコール中毒や高血圧などの病気による不眠症と、神経症の症状としての不眠症があり、大多数は神経衰弱が原因で、症状は、一般に眠りが浅く、夢が多く、また就眠が困難のため、明け方に睡眠が深くなる。」と説明されています。別の百科事典では、「不眠をおこす原因が特にないか軽いにもかかわらず、ぜんぜん眠れないという人や、不眠の原因を取り除いてもまだ眠れないとか、はたからみると十分に眠っていると思えるのに、本人は眠れなかったとうったえる人がいます。この場合には、睡眠の障害は軽いにもかかわらず、主観的に強く不眠をうったえることが多く、眠るということを強く意識するために、かえって眠れなくなるというのを特徴としています。たとえ、深い睡眠をとっていたとしても、自分自身では眠っていないと思い込んだり、起きてからの睡眠に対する充実感のなさや無力感といって自覚症状から、眠れなかったという意識をもつものと考えられます。」と不眠症の複雑さが指摘されています。
 カイザーリンク伯は、不眠症とはいえ、バッハの音楽でそれを癒そうとしているぐらいですから、アルコール中毒などではなく、やはり外交官としての仕事の性格からストレスの蓄積が原因であろうと想像したくなります。
 1742年前後のドイツはどんな状況だったのでしょう。そこからカイザーリンク伯の仕事振りが推測できないでしょうか。
 1740年にフリードリッヒ2世(大王)がプロイセンの王位につきました。太子時代は文学や音楽にふけり、武断的な父王フリードリッヒ・ウィルヘルム1世としばしば衝突しましたが、父王の死後、即位するや父の残した強大な軍隊と豊富な国庫をもって領土拡張をはかり、皇帝カール6世死後のオーストラリア継承問題に乗じてシュレジエン(現在のポーランドの西南地区)を占領、1748年のアーヘン条約でその領有を確認させました。その後、報復を志すオーストリアの女帝マリア・テレジアが、フランス、ロシアと結んでプロイセンを脅かしたので、英国と結ぶフリードリッヒは機先を制して1756年ザクセンに侵入し、7年戦争を引き起こしました。「国家第一の下僕」と自称し、ヴォルテールと親しい交わりをもち、ベルリンの科学アカデミーを再興し、信仰の自由を認めた王は、啓蒙専制君主の典型とされているのですが、その政治の本質は「人間不信に基づく独裁政治」にほかならないという評価がなされています。
 カイザーリンク伯はロシアの大使として1733年から46年までドレスデンの宮廷に駐在し、1746年からはベルリンに駐在しています。すなわちフリードリッヒ2世が現在のポーランド方面に領土拡張を始めたとき、ロシアの大使だったのですから、外交関係は非常に緊迫していて仕事は大変だったと推定されます。その後、1750年頃には、プロイセンはロシアと対立していますし、ゴールドベルクが亡くなった1756年には、伯の元の駐在地であるザクセンにプロイセンは侵入したのですから、なかなか穏やかではありません。フリードリッヒ2世は音楽を愛する立派な王であったのでしょうが、外交的には別の顔をもっていたに違いありません。こうした王との交渉に携わっていれば、カイザーリンク伯でなくても、不眠症になり、眠れない夜が多くなると思います。
 伯の本国のロシアは当時どうだったでしょう。これも結構大変な時代でした。
 1740年まではイヴァン5世の娘アンナ・イヴァノヴナのビロン体制と呼ばれる恐怖政治の時代でした。アンナは1740年に死ぬ前に妹エリカテリーナの孫で生まれたばかりのイヴァン6世を自分で後継者とし、ロシアにとっての外国人であるバルト人を摂政に指名しましたが、3週間で親衛隊により失脚させられ、次にはイヴァン6世の母が摂政に仕立て上げられ、ドイツ人の大臣が補佐することになりました。ところがそのドイツ人大臣も直ぐに交替させられたのです。ロシア人は皆、外国人に実質的に左右されていることに嫌気が差してきて、ついに真のロシア人、すなわちピョートル大帝の娘エリザベータを期待するようになりました。親衛隊が画策したフランス大使やスウェーデン大使との陰謀にのって、1741年にエリザベータは兵を率いてイヴァン6世とその母を捕らえ、帝位につきました。女帝エリザベータ時代はロシア国内は大きな混乱がなく経済もそれなりに進歩的に改革されたようです。しかし、対外的には平和な時代とはとてもいえません。クーデターに手を貸したスウェーデンとは敵対し、逆にスウェーデン軍を破って、その結果1743年にロシアはフィンランドの東南部を手にいれてしまいます。ドイツ(プロイセン)との関係では1740年から1748年のオーストリア帝位継承戦争で互いに敵対しました。
 こうした外交上非常に困難な状況の下で、伯は深刻な音楽でなく「穏やかでいくらか快活な」音楽を求めていたのも十分理解できます。
 不眠症の治療法は、現代の薬物療法を除外すると、精神療法、催眠療法、自律訓練法が考えられますが、ストレスによる不眠症であれば、就寝前の音楽や読書、軽い体操が効果を有するようです。当時はどの様な治療法があったのでしょうか。それにしても、約 250年前の18世紀において不眠症の対策として、バッハ特製の音楽を考えるというのは、なんという素晴らしい発想ではないでしょうか。

(6) ト長調(G-Dur;G-Major)@

 ゴールドベルク変奏曲は全体としては、ト長調です。第15、21、25変奏が例外的にト短調になっています。この調声の選択には、何かバッハの意図があるのでしょうか。 ト長調のクラヴィア曲のうちト長調のものを探してみると、つぎのようになります。
・平均律クラヴィア曲集第1巻及び第2巻の第15曲のプレリュードとフーガ
 これは当たり前ですね。平均律クラヴィア曲集にはすべての長調及び短調の曲が含められているのですから。
 第1巻の第15曲(BWV 860)のプレリュードは気軽で陽気な曲であり、フーガは舞曲を思わせる軽快な曲で、つまり明るい曲といわれています。
 第2巻の第15曲(BWV 884)のプレリュードも軽快であって、フーガはこれも軽快な分散和音からなっています。
・フランス組曲第5番ト長調(BWV 816)は、全6曲のフランス組曲のなかで、特に明るく晴朗と評されています。
・パルティータ第5番ト長調(BWV 829)は、全体として軽快な、流麗な快活なという印象のようです。

 以上のように、バッハのト長調のクラヴィア曲は、「明るさ」と「軽快さ」というのが基調になっていることがわかりました。そして、ゴールドベルク変奏曲です。ゴールドベルク変奏曲も本当は「穏やかで、快活な、眠られぬ夜に気分が明るくなるような曲」に違いありません。

(7) 変奏曲@

 フォルケルのバッハ伝によれば、カイザーリンク伯の依頼に対して、「できるだけ早く依頼に応えるために、一連の繋りがあり、長大ではあっても、長さをかなり自由にできる」とか、「バッハは伯の希望に沿うためには、変奏曲が一番良いと考え」ということで、変奏曲の形式が選ばれたとしています。
 なぜ、長い曲である必要があり、変奏曲が一番良いのでしょうか。
(理由1)
 演奏時間が短い曲では、長く続く夜、眠る前に曲が終わり、そのあと恐ろしい静寂が襲ってくるでしょうし、空しい気分になってしまうでしょう。グールドの1955年版の演奏のように全曲を37分程度で終わっても、この間に眠れるようであれば、不眠症ではありますまい。グールド以前には、反復もして、なおかつ、もっとゆっくり演奏するのが一般的であったと推定します。

 カークパトリックの楽譜(1934年版)により、カークパトリックの指定するテンポで反復を省略せず演奏すると、81分を要します。つまり、1時間21分です。カークパトリックの指定するテンポは、基本的にそれ程ゆっくりしたものではなく、緊張感のあるてスピードなのです。イエルク・デームス、ダニエル・バレンボイム、カール・リヒターのCDでの演奏はみな、80分弱前後です。毎日、ベッドに入ってから1時間以上眠れないのであれば、不眠症といえるかも知れません。それでも、この曲を聴きながら、1時間20分までに眠れれば、目的に、まさに適っています。
 『ゴールドベルグ君、わたしの変奏曲をどれか一つ弾いてくれたまえ』とカイザーリンク伯は言っていたと、フォルケルのバッハ伝には記されていますから、その日の気分にあわせて一部が演奏されたことも考えられます。その場合でも全体の長さが十分ないと眠る前に曲が終わり、そのあと恐ろしい静寂が襲ってくることになります。

(理由2)
 理由は、はっきりとはされていませんが、バッハ自身は対位法的な場合を除いて、変奏曲という形式をあまり好きでなかったようで、オルガンのコラール変奏曲を除いて変奏曲らしい作品は少ししかないのです。変奏曲は、絶えず同じ基本和音が続くため作曲としてはやりがいのない仕事とバッハは思っていたという見方もあります。

 変奏曲の主題には、2の条件が要求されます。ひとつは旋律で、もう一つは和声的構成です。
 ゴールドベルク変奏曲の主題であるアリアは、「アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳」に含まれているサラバンドです。バッハは、1720年、最初の奥さんマリア・バルバラに4人の子を残して先立たれてしまい、しばらく悲嘆にくれていたのですが、アンナ・マグダレーナという素晴らしい再婚相手に恵まれたのです。アンナ・マグダレーナはケーテン宮廷の若いソプラノ歌手で音楽の十分な素養もあって、バッハを支えました。このあたりの経緯は、アンナ・マグダレーナ・バッハによる「バッハの思い出」に詳しく、感動的に表現されています。バッハはアンナ・マグダレーナの愛情と献身に応えて、クラヴィア小曲集を1722年と1725年に愛する妻のアンナ・マグダレーナに捧げたのでした。1725年の音楽帳に含まれるゴールドベルク変奏曲の主題となったアリアは、基本は素朴であって、心優しく豊かに飾られた旋律を持つ穏やかな曲で、アリア単独でも素晴らしいものです。「バッハの思い出」のなかで、アンナ・マグダレーナは、「この曲(ゴールドベルク変奏曲)のテーマがセバスティアンの頭に生まれたのは、おそらくわたくしが楽譜帳に写しておいたト長調サラバンド舞曲によってであろう」と回想したことになっています。音楽帳自身は美しく装丁され名前の刻印された楽譜帳であって、まずバッハはパルティータを2曲書き込んでおいて妻にプレゼントしました。その後、一つ一つ書き加えられたものなのです。すなわち、このアリアがアンナ・マグダレーナの手により書き込まれたのは1725年よりあと、それも音楽帳の曲の中でも最もあとのグループに入ると考えられています。
 また、テーマであるサラバンドの和声的構成は、グールドによれば、「自らの必然的存在に揺るぎない確信を持つ」「この気品に満ちたグラウンドバス」で出来ていて「恒常的に堅固」だということです。「優しく、揺るぎない」という表現は、なにかアンナ・マグダレーナのことをいっているような感じがします。
 すなわち、旋律も和声的構成もともに素晴らしいアリアですから、主題として最適ではあるのですが、変奏においては、この旋律はまったく忘れ去られています。そして、その低音進行だけが変奏のなかで繰り返されているのです。
 グールドが「ここには直覚によって統合された調和がある。」という時の「直覚」は、「このアリアの和声的構成」と言い換えてもいよいのではないでしょうか。そして、「統合された調和」が、心理的安定、すなわち不眠症対策として効果を持つのだとバッハは考えたと推定します。母のような、愛する妻のようなアリアがつくる美しく、穏やかでかつ安定した豊かな胸に抱かれながら、思索は自由に豊かに、時には活発に巡っているようでいて、同時にいつでもアリアに戻れる安心感がある。そして、時間は経過してもいつかは必ずアリアに戻ることがわかっている。たとえ、眠りに入るまで暫くかかったとしても、それは豊かな時間であって、眠るための孤独で空疎な戦いの時間ではないのです。
 音楽は、目が覚めているときには時間と共に生まれては消えていきます。ところが、眠りかけているとき、眠っているときには時間はまったく別の動きをするのです。ビジュアルなイメージでいえば、時間を逆行したり、時間の断片を重ね合わせたりしているのです。この変奏曲の場合には、アリアと30の変奏が、自由にかつ豊かに重なり合います。実際に耳に聞こえてくる音楽と、心のなかで響いている音楽が入れ替わったり、重なったりするようになります。そのため、やはり旋律より、和声的基礎が共通になっている変奏曲が相応しいのです。

(8) 豊かな眠りを体験しよう!@

 これまでいろいろ述べてきましたが、グレン・グールドを初めとするゴールドベルク変奏曲愛好家は、この曲があまりにも素晴らしく、あまりにも刺激的なため、この曲で「眠る」などということを、いわば不謹慎なものとしてこれまで無意識のうちに排除してきたのではと考えました。そうしたことは、それぞれの愛好家の真摯な気持ちからでているのですから、それを非難するなどというつもりはまったくありません。かえって、そうした気持ちが、この曲から「知の音楽」としての音楽の新しい楽しみを私たちに与えてくれてきたのだろうと思います。
 カイザーリンク伯がゴールドベルクに弾かせて聴いた演奏を筆者がシミュレートしたデータ、(goldslep.mp3)for mp3  あるいは、(goldslep.mid for midiを聴いてみて下さい。シミュレーションの考え方は、まず、反復は楽譜通りにして、言い換えればすべてAABBです。テンポは、基本的リズムというか心身的リズムに則って設定します。ダイナミクスは、音符の密度との関係で決めました。こうした結果、「知の音楽」として組立てたゴールドベルク変奏曲とかなり違ったものになりました。こういう音楽が本当に近いゴールドベルク変奏曲かどうかは皆さんの判断に因ります。でも「眠れない夜、寝室の隣の控の間で演奏され、穏やかに伝わってくるチェンバロの調べ、どこか陽気で、気分が少し引き立ってくる。」そのような演奏になるよう努力してみました。読者の皆さんも自由にそれぞれ自分の好きなシミュレーションをしてみて下さい。きっと、ゴールドベルク変奏曲による豊かな眠りを体験できることでしょう。@
ゴールドベルク変奏曲で「今度こそ、おやすみなさい。」

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第2部@

バッハの予感とグールドの回想@

(この内容はフィクションです)

 これから先は、ゴールドベルク変奏曲にまつわるすべてのことをカノンの構成にあわせて、バッハとグールドに語っていただこうと思います。それぞれのお話は史実に基づく幹の部分とそこから自然にのびた枝や葉の部分からなっています。全体としてはフィクションですからそのつもりで楽しく読んでいただきたいと思います。


バッハグールド

よく来たね !

今は



同度カノン

J.S.Bachの予感(1742年2月)
 「私はかねてから相当の規模の変奏曲集を作曲することを思いたっていた。これまで作曲した多数の曲のなかで、変奏曲を深く追及したものがなかったからだ。しかし、なぜか将来、その変奏曲集がイニシャルGに関わりのある演奏家によって、私の作品の中でも代表的なものとされるような予感がしたこともあり、それならばとGで始まる主題を使うことにした。そして、丁度その目的にかなった主題として、アンナ・マグダレーナの音楽帳にかつて妻が書留めていたサラバンドを見つけ出した。主題のアリアとした、このサラバンドの冒頭の音は、G3及びG5midiである。」
 「しばらくして、カイザーリンク伯がライプツィヒの我が家にたち寄られたとき、伯爵から御自身の不眠症を和らげるような曲の依頼があった。伯爵は御子息がライプツィヒ大学の学生であったので、この1、2年はたびたびライプツィヒのまちを訪れていたのだった。不眠症対策という意味では、変奏曲はきっとそれなりの効果を発揮するであろうと考え、作曲途上にあったこの変奏曲集を完成させ、伯爵に贈ることとした。考えてみると、伯爵の屋敷では私の優秀な弟子の一人であったヨハン・ゴットリープ・ゴールドベルクすなわちG.G.が専属の音楽家となっている。ゴールドベルクが演奏することになれば、私の予感は実現することになると思った。」
 「後に、ゴールドベルクが伯爵の屋敷で夜の眠りの時以外にも、伯爵の親しい集まりにおいても、この変奏曲集の素晴らしい演奏をしているとの話を聞くようになった。伯爵は、「私の変奏曲」といっていたようだが、すでにこの楽譜が出版されていて、世間ではゴールドベルク変奏曲という名称が広まってきた。私自身もこの曲がGの変奏曲あるいはゴールドベルク変奏曲として後世に伝えられるのであれば、それも良いであろうと考えたのである。」
 「また、遠い将来あらたに、GなりG.G.の名前を持つ演奏家が現れ、天地に再び、この変奏曲で安らぎを与えるであろうという気がする。その時にはその演奏家の名前を新たに冠してこの変奏曲が呼ばれるようになれば良い。」
 「さて、あの同度カノンmidimp3(第3変奏)では、ひとつの旋律が1小節を隔てて、重なり合うものだ。曲想は明るく軽やかで、心を穏やかさをもたらすであろう。時を隔てて自らが自らに重なり合うことのある種の重苦しさを癒してしまおうと思ったのである。」@

グレン・グールドの回想 (1982年2月)
 「私が、ゴールドベルク変奏曲をデビュー曲にした理由は、まだ誰にも知られていない。私自身もこれまでそれについて語ったことはない。それは、表現してしまえば余りにも単純で、謎とか秘密とか言うのも少し気が引けるからだが、表面上のことはともかく、その意味するところはとても深いのである。フーガの技法の主要な4音がBACH(変ロ、イ、ハ、ロ)となっているように。」
 「私は皆に話好きな人間に思われているが、実は肝腎のところは口にださない性格であった。話したことはすべて本当のことだが言わないでいたこともまた多いのである。」
 「すでに30年以上前になるが、初めてゴールドベルク変奏曲の楽譜を見たとき、即座に『これは私の変奏曲だ。』と心の中で叫んでしまった。なんと私のイニシャルが曲の一番最初と一番最後に刻み込まれているではないか。最初の重なった二つの音も最後の重なった二つの音も、GとGなのだから。バッハはこの様な曲を私のために用意していてくれたのだ、と思った。それも2百年も前に。ゴールドベルク変奏曲のGとGの始まり方そして終り方には深い意味が秘められているはずだ。」  「ところが、資料を調べてみると、ゴールドベルクというのは人の名前だった。ヨハン・ゴットリープ・ゴールドベルクはバッハの弟子のひとりで、曲名は、その名に因んでつけられたいわゆる通称であることがわかった。」
 「私は、歴史上の人物であるゴールドベルクに対して激しい競争心を感じた。と同時に、私とゴールドベルクの間に何か共通するものを見出ださざるを得なかった。ゴールドベルクはポーランドの北部グダニスクの出身のようだ。私もアメリカ大陸の北部カナダのトロントで育った。かれは当時の音楽の中心としドレスデンに移り音楽活動を行った。私もニューヨークでデビューした。ひょっとしたら、顔付きまでも似ているかもしれない。残念なことに彼の肖像画は残されていないのでそのことは確認できない。ただ彼は20歳台で死んでしまっている。彼のイニシャルにはGが二つ含まれている。私のイニシャルにもGが二つ含まれている。そうはいっても彼のJ.G.Gより、私にもミドルネームはあるが、私のG.Gをみればイニシャルの形からして、この曲については私の方がよほど正当な演奏者ではないか。ひょっとしたら彼はJr.G.G.なのかもしれない。ただし、このことは秘密にしておこう。しかしゴールドベルクというのが人の名前でなく文字どおり、ドイツ語で金の(ゴールド)山か鉱山(ベルク)だったのなら、この変奏曲の音楽的豊かさから見て納得できたであろうに。」  「この曲が子守歌として成功したのだったなら、ゴールドベルク名人はこの刺激的で辛口な楽譜を本当に忠実に弾いたかどうか、かなり疑わしい、とさへ、最初の録音の当時、私は考えた。ゴールドベルクへの対抗心はこのように強かったのだ。「この変奏曲」の正当な演奏者となるにはどうしたらよいだろうか。こうした疑問から私の演奏家としての活動が始まったのである。」@
同度カノン


2度カノン

J.S.Bachの予感
 「私の作品で個人の名前がつけられるのはめったにない。特にあの変奏曲については、出版に際し、「クラヴィーア練習曲集 二つの鍵盤をもつチェンバロのためのアリアと種種の変奏より成る。愛好家の心を慰めるため、ポーランド国王およびザクセン選帝侯の宮廷作曲家、楽長にしてライプツィヒの音楽監督たるヨハン・セバスティアン・バッハにより作曲」と命名したわけだが、曲名としては長すぎるし、とりとめがないというわけか、この頃は皆がゴールドベルク変奏曲と呼ぶようになった。ヨハン・ゴットリープ・ゴールドベルクは確かに高いレベルの演奏を行うが、それを聴くことができるのは、カイザーリンク伯を含む非常に少数の人だけだ。評価が高いといってもそれではものたりない。伯爵個人に献呈したものではないし、とにかくもっと多くの人の目に留まり、耳に入るようにしなければならないと思い、練習曲として出版することにしたのだった。そうしているうちに第二のGあるいはG.G.が現れるであろうから。」
 「さて、あの2度のカノンmidimp3(第6変奏)で、1小節遅れて追ってくる旋律は、もとの旋律より2度高くなっているのだが、その重なりは幾重にもまたいつまでも落ちていく感覚を与えるであろう。しかし、暗い淵に落下していくのではなくて、明るい宇宙へ落ちていく気分を醸し出しているのだ。いわば,音の空間における無重力状態を経験しようというのである。」@

グレン・グールドの回想 
 「『実のところ、ゴールドベルク変奏曲に限って言えば、ほかの曲ほど聴く気にはなれない。おそらくは、聴きたくてたまらなくて聴くというよりは、義務で聴く、という感じなんだ。』などと表向きには言ってきたが、つまり、この曲は『私の変奏曲』であって、私が聴く曲ではなく、誰かに聴かせる曲なのだし、録音の完成時には自分でもこれは最高だと感じていたのだが、発売後この演奏を耳にするとどうも違和感を感じざるをえなかったのだ。こうしたことは、まだ、誰にも打ち明けたことはない。」
 「いま考えると最初のゴールドベルク変奏曲の録音では、『私の変奏曲』という意識が強く出過ぎていて、この曲のもう一つの面である癒しの要素が抜け落ちていることがわかる。当然、かのゴットリープ・ゴールドベルク君をこてんこてんにやっつけてやったには、違いないが、やっつけるほうに夢中になって、本当にこの曲を『私の変奏曲』にするという取組みが欠けていた。レコードセールスの面では申し分なかったけれど、こうした欠点があったため、誰もこの曲の名前を変えて『グレン・グールド変奏曲』にしようとは言わなかった。バッハにしても、『ゴールドベルク変奏曲』という名を自分で付けたわけではないのだから、『グレン・グールド変奏曲』になっても反対する理由はないと思うけれども、これは絶対に自分からは言い出せないことだ。」@
2度カノン


3度カノン

J.S.Bachの予感
 「不眠症(INSOMNIA)には私自身はなったことがない。逆に眠らずに作曲や写譜の仕事をしなければならないことが幾度となくあった。そのせいか今ではかなり視力が減退してしまっている。たいていの場合にはアンナ・マグダレーナが手伝ってくれたので、かえっていい思い出になっていることが多い。また、曲想が浮かべば寝る気になれず目がさえて楽譜や時には鍵盤に向かってしまうこともあった。私がクラヴィアを夜更けに弾いているとアンナ・マグダレーナは起きて私の側にきて静かに聴いていようとしてくれるのだが、しばらくすると長椅子で寝入ってしまうのが常であった。それにしても私自身は眠るときには深く熟睡することができたし、ベットにはいってから眠ろうとしても眠れずにいらいらするというようなことはめったになかった。家族のことや仕事の関係で寝付けなかったこともあるにはあるが、それにはそれなりの理由のあることなので、問題が解決すれば再びよく眠れるようなったのである。」
 「カイザーリンク伯の不眠症についてはお話しを聴いてかなり深刻な様子であることがわかった。当然、仕事に関しては外交のことであるから具体的なことは伯爵は話されないが、ロシアの外交官となったおさななじみのゲオルク・エルドマンからの手紙をあわせて推察すると、伯爵のお国のロシアではここ数年激動と緊張が続いているし、このザクセンといえどもプロシアとの関係では神経がすり減りそうな状況であるらしい。そうした外交の仕事を大使として日夜責任を負っていれば不眠症という病気になっても不思議ではない。」
 「あの変奏曲は当初の構想段階から不眠症対策を意識して作曲を始めたものではない。しかし、伯爵の依頼に対して、丁度あの主題のアリアが適切であったのと、私が意図する変奏曲集という形式が効果があるであろうと考えたので、作曲を続けて完成次第贈呈することにしたのであった。変奏曲集といっても私が構想したのは、主題の旋律を変化させる変奏曲ではなく、基本となる和音の構成を主題として変奏曲全体の基盤とするものであった。旋律を変化させることは既に多くの曲において多様な方法で実現してきているので、そういう形での取組みをする気にはならなかったのである。この共通の基盤の上での多様な変奏は、ある旋律から際限なく変化していく普通の変奏曲集とは異なり、基本的に安定したものであって、どの変奏も回帰していく場所を心得ているのである。あたかも胎児が母の心臓の鼓動を聴きながら自由な夢をみるような、そういった変奏曲集となるであろう。それゆえ不眠症に悩む伯爵をお慰めするには最適なのである。」
 「さて、あの3度のカノンmidimp3(第9変奏)では、2度のカノンとは逆に1小節遅れて追ってくる旋律は、もとの旋律と同じ形だが3度低くなっている。曲想も2度のカノンとは逆であって、暖かく気持ちのよい風に吹かれて浮かび上がってしまいそうな気分を作り出している。このような音程差の小さい順行カノンでは重なり合わせることによって幾重にも無限の方向への動きを現出することができるのだ。2度のカノンでは無重力感、3度のカノンでは浮遊感を作り出した。」@

グレン・グールドの回想 
 「私自身は不眠症もあったが、それだけでなく過敏症、過剰清潔性向などの影響下にあった。いろいろな薬を常用したり、夏でもコートを着てマフラーをしたり、世間からは変人とみられていたのだ。とはいってもそういったことに一概に悩まされていたというわけではない。私の悩みは別のところにあったのだ。それは「限界」についてのことである。この変奏曲に最初に出会ったとき、すぐに「私の変奏曲」として全体を把握し尽くしてしまったと考えたのだが、その後20才を過ぎた頃には、更に進んでピアノ音楽の全体が見えてしまったと思うようになった。見えてしまうということは、すなわち限界を知ってしまうということにほかならなかった。その限界の恐怖がそれ以降私につきまとうことになったのである。特にどんな曲でも初見で演奏できてしまうことが、かえって恐ろしかった。初見演奏は技術的に高度なことと考えられがちだが、それこそ私自身がピアノ音楽のノウハウを総て導入してある機械的装置となって、楽譜がインプットされれば音楽を出力するだけということにすぎないともいえるのである。作曲という創作活動への道も閉ざされていると感じた。というのは、限界のあるピアノ音楽の世界で、総てのことが見えてしまったのだから、既に私には新たにピアノの曲を追加するすなわち作曲する必然性がなかったのである。それで、しばらくはピアノの演奏に集中してみることにしたのだった。」
 「この変奏曲について、うんざりすることの多い各地でのコンサートを続けながら、演奏上で足りないものは何だろうと長い間と考えていた。「癒し(ヒーリング)の要素」だと理解できるようになったのは、演奏のリズムのシステムを認識して使い始めた頃で、最初の録音の後、5年ほどたってからだ。リズムのシステムそのものは、どの曲にも適用できるが、特にゴールドベルク変奏曲では、重要な意味を持つことが予測できた。しかし、その時点ではゴールドベルク変奏曲の録音をやり直すことはできなかった。それはレコード会社やマネジメントのせいではなく、つまり、商業的な意味でやり直せなかったのではなく、私自身まだ機が熟していないと感じられたからである。」@
3度カノン


4度カノン

J.S.Bachの予感
 「確かに、不眠症対策のための音楽として、カイザーンク伯に初版の楽譜をお贈りしたが、あの変奏曲には2面性があって、不眠症対策のほかに、一つの調性のなかで、一つの主題を基にどこまで変化を生み出せるかという挑戦の意味もあった。それは、不眠症対策のためのものが、「癒し(ヒーリング)の要素」であるとすれば、いまひとつは、それに相反するかのようだが、「知の挑戦の要素」であると言える。いわば睡眠と覚醒、この二つの要素の融合があの変奏曲の真の意味なのである。どちらにしても音楽によって聴く人に何か安定した基盤を与えることを目指している。その上で、眠りも知の挑戦も自由にできるのだ。ただひたすら拡散していくものでなく、大地に根付く美しい自然のように自由で広々しているとともに安定した安らぎを求める音楽として考えたのだった。」
 「こうしたことが理解されるときが、いつの日にか来るであろうか。わが弟子のゴールドベルクは、私が以前に指導しておいたこともあり、この二つの要素をなんとか使い分けて演奏している。だから、伯爵がおやすみの時にも、お客様を招かれた時にも、それぞれ評判になる演奏を行っている。だが、二つの要素の真の関係については理解していない。彼はまだ若い。作曲当時の私の年齢にならぬと理解するのは無理なのかも知れぬ。」
 「さて、あの4度のカノンmidimp3(第12変奏)では、旋律の最初の音が4度の差を持ち、1小節遅れて追っていく旋律はその音を基準に上下が対称になっている。この反行カノンでは音の動きが不安定になる。拡散したかと思えば密に重なり合う。聴き手の心理状態にはこうした不安定さもままあるであろう。しかし、それにしても不安定なまま崩れてしまっては困るので、第3声部にはしっかりとした四分音符を置いてスタートさせた。それでも旋律の発散する不安定さに影響されて、第3声部も動き回らずにはいられない。そうしたこともあって、4度カノンに続く第13変奏は、軽やかに動く上部の旋律で、とにかく不安な気分を取り除こうとしているのだ。」@

グレン・グールドの回想 
 「父や母が私とゴールドベルク変奏曲との間になにかのつながりを考えていたとは思えない。家系がノールウェイの作曲家グリークにつながるとはいってもグールドという姓は珍しいものではないし、グレンもよくある名前だ。だからG・Gというようなイメージはなかったと思う。ただし、グリークの内向的な性格は受け継いでいるかもしれない。」
 「初めてゴールドベルク変奏曲に出会った時のことを話してみよう。それはバッハの平均律の練習が一通り終わってさて次の教材を何にしようかと、当時のピアノの教師だったトロント王立音楽院のアルベルト・ゲレーロが思案していたとき、偶然この変奏曲の楽譜が私の目にとまった。先生これはどんな作品ですか、と私は聴いたのだった。ゲレーロは、バッハには珍しい変奏曲の練習曲だよ、というだけで、それ以上の話はなかった。私自身はじめはこの作品の作曲の経緯にはまったく関心がなかったが、冒頭のG3,G5の鍵を押した瞬間にこの変奏曲のすべてが把握できてしまったように感じたのである。」
 「そういえば、アルベルト・ゲレーロはこの変奏曲をしばしばコンサートなどで演奏していたらしい。だが、私自身はこの変奏曲の彼の演奏はコンサートでもレッスンでも聴いたことがなかった。ゴールドベルク変奏曲は既に私の変奏曲になってしまっているのに、レッスンを始めてみるとゲレーロは「ああでもない」「こうでもない」と的はずれな指示を押し付けようとするものだから、私にはもうゲレーロの相手はできなくなった。」
 「18才のときには、この変奏曲をデビューレコードの録音の水準まで完全に演奏することが出来ていて、ゲレーロの指導は必要がなくなったし、かえって妨げになっていたのである。そして19才になってからはゲレーロの指導は受けずに他の曲もすべて自分ひとりで演奏を組み立てるようになっていった。」@
4度カノン


5度カノン

J.S.Bachの予感
 「秋のある日、ザクセン選帝侯国の首都であるドレスデンを訪ねた。ドレスデンについた次の日、あの変奏曲の初版楽譜をたづさえてカイザーリンク伯爵のお屋敷に向かった。エルベ川にかかるアウグスト橋を渡って、ブロックハウスの角を左に曲がると官邸の事務所がありその何軒か先が伯爵の屋敷であった。ヨハン・ゴットリープ・ゴールドベルクにはひと月ほど前、なにかの用にかこつけてライプチッヒにこさせ、前もってあの変奏曲のレッスンをしておいた。私自身が伯爵のために演奏してさし上げてしまうと、ゴールドベルクの演奏との差を後々まで気になさると危惧して、演奏を差し控えることにしていたのだった。伯爵は楽譜を見ればすぐに聴いてみたいと言うであろうし、ゴールドベルクに演奏を命じると思う。ゴールドベルクは初見で弾く能力はある。しかし、大恩ある伯爵に、献呈とまではできぬが初版楽譜をもって贈呈することとしたのだから、ゴールドベルクにも目的を認識した演奏ができるようにしておかねばならないと思っていた。伯爵はゴールドベルクの演奏でことのほか喜んでくださった。」
 「オルゴールのようなものは別として、音楽は教会へ行くか、ツィンマーマンのコーヒー店でのコンサートへ行くか、どこかのサロンで聴くか、自分で演奏する以外に、普通は楽しみようがない。また、自分で演奏する以外の場合には、曲目を自由に選ぶことは難しい。その点、カイザーリンク伯爵は特別な恵まれた環境にある。自分が求める音楽、すなわちあの変奏曲を好きな時間に何度でも聴くことができるからだ。これは音楽にとって新しい楽しみ方だ。」
 「将来、多くの人にとってこのようなことが可能になれば素晴らしい。将来のG.G.が実現してくれるかもしれないという予感もある。また、楽譜から直接に音楽を感じるということも夢でなくなるかもしれない。これまでも演奏のレベルの制約で曲の内容が制限されたり、演奏のおかげで新曲が台無しになったりした苦い経験がたくさんある。熱心な演奏家によって演奏の技術は今でも次第に向上しているが、神学校のろくでもない学生たちのような連中を相手にするのはもう懲り懲りだ。」
 「さて、あの5度のカノンmidimp3(第15変奏)はこれまでのカノンとは異なりト短調である。また、4度のカノンに続いて反行としている。さらに、私にしてみれば珍しいことだがアンダンテという指定をしている。これはあの変奏曲の前半の最後の重要な位置を占めることも含めて特別なカノンとなるであろう。
 やはり1小節おいて追ってくる旋律は先行する旋律より5度高く始まり最初の音を基準に上下が対称となっている。4度のカノンとは異なり不安定さを楽しんでしまう余裕はなく,冒頭の2小節で最大限2オクターブ離れた旋律の2つの声部は反行形式のカノンという制約を乗り越えて何とか重なり合い絡み合おうとする。しかし前半の16小節ではどうしても下降に対して上昇といった運動が卓越してしまった。後半の16小節では反行カノンという形式上の構成を乗り越えて深さと高さの融合に向かい、癒しと夢の共存する時間を作り出したのだ。
 ここまで来て、もし伯爵がお休みになれないとしたら、本当に気の毒なことである。続く第16番変奏では、ぱっと気晴らしをせねばならない。」
@

グレン・グールドの回想 
 「私は1955年から61年までの6年間に、この変奏曲を30回以上、モスクワやレニングラード、ベルリン、ザルツブルクを含め世界各地のコンサートで演奏した。大変な回数のように思えるが、聴衆の数を1回平均2千人とすれば、6万人ということになる。レコードの場合には、百万枚のセールスがあれば、少なくとも百万人の人が一回以上、聴いたことになる。コンサートで百万人の聴衆に聴いてもらうとすれば、この変奏曲を年間5回で1回2千人のペースでは百年かかってしまう。そういう意味ではコンサートは徒労に過ぎない。それにこの変奏曲に関していえば、聴衆はコンサートという一番眠りたくない時に、眠りに誘われるかもしれない、そのような力のある曲を聴くことになるのだから矛盾がある。もっとも、当初は私の演奏で眠りたくなる人はいないはずだと思っていたが。このように考えてくるとコンサートが辛くなり、ステージから退くことになったのである。そうしたら、コンサートからのドロップアウトの理由をいろいろ詮索する人がたくさんでてきた。確かにコンサートで旅を続けることは身体的、精神的に辛いし、「コンサートは死んだ」というようなメッセージを滲み出したこともあるが、本当はコンサートを続けるにつれてこの変奏曲の演奏が変化し、ついには聴衆の中に眠りに落ちる人が見られるようになったことが大きく影響しているのだ。眠った人がでるようになったのはステージで演奏していても分かるのである。しかし、その理由は、私の演奏が緊張感を欠いたり、弛んだりしたからではなく、より良い、演奏になったことにあるという、背反する事態だったのだ。」
 「聴衆にしても、良い演奏だったからこそ眠くなったということなので、演奏に対して文句をいわなかったのだろう。だからといって、聴衆に対して居眠りをするなとか、もっと眠れともいえないではないか。例えば、コンサートホールの座席を外して、ベットをいれれば良いのだが、そうはいかない。ゴールドベルクがかって住んでいたドレスデンではこの変奏曲を演奏する機会はなかったし、たとえそうした企画が出たとしても、断っていたであろう。それでもベルリンではこの変奏曲のコンサートをしてしまった。あとで知ったのだがカイザーリンク伯爵はベルリンにもいたことがあり、必然的にゴールドベルクはベルリンでこの変奏曲の演奏を何度も続けていたはづだった。200年以上を隔てて、彼の地でゴールドベルクは伯爵一人のために眠りに導く演奏をし、私は2000人以上の聴衆を眠らせないように頑張っていたというわけだ。こうしてこの変奏曲のコンサートは成立しなくなってしまった。その後3年程で、すべてのコンサートをやめることにしたのだった。」
 「この5度のカノンには、バッハの最高の瞬間がこめられている。本当にひどく心を動かさせる音楽なのだ。聴く人はこの曲が敬謙な感情に満ちた大変な名曲であることはわかっても、5度の反行カノンとして厳格なルールに従って作曲されていることを意識しないであろう。5度の反行カノンといういわば人為的に設定されたルールがバッハの手によってとはいえ、これほどの曲を生み出したことに驚きを覚えずにはいられない。」@
5度カノン


6度カノン

J.S.Bachの予感
 「あの変奏曲を練習曲集として出版することにしたのは、こうした曲は公開の場で演奏されることは今のところ考えられないので、とにかく多くの人によって演奏されない限り曲として聴くことができる人が少なくなってしまうという恐れからだ。そして、一般の愛好家にとっては演奏の技術さえしっかりとあれば、余分な感情移入をせずに、的確な演奏が可能になるような曲だからだ。しかし、あの変奏曲の真の意味である睡眠と覚醒の二つの要素の融合を演奏で実現するには、天才演奏家の存在が必要となるであろう。しかし、そうした天才演奏家が出てきても誰に聴かせることができるのだろうか。誰が聴くことができるのだろうか。」
 「さて、6度のカノンmidimp3(第18変奏)は5度のカノンとは異なり、ト長調で順行に戻っている。追いかける旋律は6度上を半小節をおいてついてくる。高音部でついてくる旋律は先行する旋律のこだまのように響く。ここには複雑なことはなにもない。6度上のカノンの安定性を発揮した落ち着いた曲になったのである。」@

グレン・グールドの回想 
 「オーディオ技術は随分進歩した。この変奏曲も、今回はデジタル・ステレオ録音で、CDになった。最初の録音がアナログ・モノラルでドルビーシステムもなかった時代ののLPだったことを考えると、この25年間の変化は素晴らしいものだ。これからも、どこまで技術革新が進むのか想像もできない。ただし、今の時点で私に必要なものは一応そろっていると思ったのである。1955年の最初の録音でも幸いなことに、テイクを幾度もとって完全な録音にする装置はあった。クラシック音楽の録音では、当時これは画期的なものであった。今回の録音ではデジタル技術が十分に活用できたので満足している。つまり、ピアノ演奏をして、そして録音をしてそしてLPなりCDで出すという意味では、ここで完成を見たということである。これからも技術的改良が進んでも、この観点からみれば、基本的内容は変わらないと思う。技術的展開があるとすれば、まったく別の方向へのものになると思う。」  「例えば、2声、3声、4声といった、ポリフォニーの曲で、各声部毎に別々のチャンネルに録音し、4チャンネルのステレオで部屋の4角にスピーカを置いて聴くというようなことが面白そうだ。これはピアノ演奏としてはまったく非現実的なものになるが、逆に聴き手が問題の中心になる。」@
6度カノン


7度カノン

J.S.Bachの予感
 「実際の演奏は当然必要だが、演奏を伴わない場合でもなお、存在しうる音楽のありかたを考えてみるつもりだ。私は数多くの場所・機会に演奏をしてきているが、演奏し一度音となった音楽は後に残らない。その場にいた人以外の人は決して聴くことはできないのだ。弟子の何人かが演奏を行うとしてもその数は限られている上に、昨今の私の音楽は古いものと見なされつつある。ヨハン・アードルフ・シャイベ氏には私の音楽を「自然に逆らった骨折り損」というようにきめつけられたのだった。私の音楽は古いとか新しいとかの流行に関わるものではなく、本質的なものだと自負しているが、聴き手はそのように真剣には考えていない。下手に高尚な名称をつけた曲集を世に出すと、かえって流行後れだなどと言われかねないので、あえて練習曲集ということにしてあるものも多い。このほうが結果的にどのような形であれ演奏されて音や音楽になる可能性が大きくなることが期待できると考えたのだ。あの変奏曲にしても「クラヴィア練習曲集第4部」として世に出すことにしたのだった。また、今後はたとえば、楽譜上の操作、鏡像や反行といったことを手初めに試みてみたい。手始めにあの変奏曲のアリアの最初の8つの低音に基づくカノンに取り組んでいるのだ。」
 「さて、7度のカノンmidimp3(第21変奏)はト短調となった。あの変奏曲における短調のカノンは5度のカノンとこの7度のカノンの2曲のみである。ただし、7度のカノンは順行であり追ってくる旋律は先行する旋律の7度上を行く。7度のカノンは前半、後半ともに8小節しかない。追う旋律は半小節の差でついていく。6度のカノンの明るいこだまではなく、暗く沈んだこだまとなった。」@

グレン・グールドの回想 
 「クラシック音楽の鍵盤楽器での演奏、特に独奏は、いずれはコンピュータによる演奏に取って変わられてしまう気がする。バッハやモーツアルトは作曲するためにピアノ使ったのであり、既に作曲されて楽譜になったものを再生することにだけ意義を見出だしていたのではない。今後も、独奏というものが意味を持つとすれば、そこには作曲という創作行為あるいはインプロブィゼーションがなくてはならない。極端な言い方をすれば、バッハやモーツアルトは彼等自身がインプロブァイズしたものを楽譜に書き写したものに他ならない。」
 「ビートルズが好きというわけではないが例として話そう。彼らの初期の作品は、彼等自身ステージで何度も演奏したが、しかし彼等の名曲の一つである A day in the lifeは、録音されレコードになった時以外、彼等自身によって演奏されることはなかった。それではクラシック音楽のようにこの曲でもオリジナルに忠実な演奏を他の人がすることに意味があるだろうか。ウエスモンゴメリーのようにアレンジすればまた、別の曲としての意味がありうるが、オリジナルがあるものについてはオリジナル自身のほかなにもいらない。」
 「この変奏曲についてみれば、1981年に「グレン・グールド変奏曲」になっていて、もうそれ以上私にはすることがない。逆にいえば1955年の録音は、いわばグレン・グールドがゴールドベルク変奏曲をたまたま演奏した記録にすぎないのだ。たまたま録音するというか演奏すること自体は近い将来、音楽が好きな人であればだれでもコンピュータを使うなりしてできるようになってしまうであろう。」@
7度カノン


8度カノン

J.S.バッハの予感
 「あの変奏曲に関わりがあるので、妻、アンナ・マグダレーナのことも話さねばならない。アンナ・マグダレーナは、もともと音楽の素養があり結婚前は美しい声の歌手であったし、結婚してからはたまには歌手として歌うこともあったが、普段は家事の合間を見てクラヴィアを練習したり、私にとっても子供達にとっても素晴らしい妻として、母として我が家をきりもりしてくれている。家事以外にも我が家の庭にいつも花をたやさない心があった。特に黄色いなでしこが好きだった。主題のアリアは、1725年にそんなアンナ・マグダレーナにプレゼントしたうす緑の表紙の音楽帳に、いつだったか私が作った曲の草稿をアンナが書き留めていたト長調のサラバンドが基になっている。アンナが気に入ったせいもあって、あの変奏曲の主題とするまでに、私自身も幾度か手をいれていたので、楽譜としてはかなり見にくくなってしまっていた。私がアンナに、カイザーリンク伯にお贈りする変奏曲集の主題としてこのサラバンドを使っていること、また将来出版するつもりであることを話したところ、アンナは、それでは綺麗しにておかなくてはと、かなり修正の重なったページを破りとって、新たに空いていたページに浄書してくれたのである。」
 「そういえば、カイザーリンク伯は、ライプツィヒの我が家を幾度も訪ねて下さったが、ある時、伯爵から、奥さんも何かクラヴィアを弾いていただけないでしょうか、と言われて、妻、アンナ・マグダレーナは、とても恥ずかしがりながらも、かねてから伯爵が私に対して暖かい支援をして下さっていることも十分知っていて、また、伯爵自身が大変立派な方であるとも思っていたので、それでは一曲だけと言いながら、例の音楽帳を出してきて、その中で一番彼女が気にいっている、気持ちの優しい曲を選んで演奏したことがあった。思い出してみればそれがこのサラバンドだった。」
 「さて、8度のカノンmidimp3(第24変奏)は8分の9拍子であること、2小節おいて、8度下で順行で追ってくること、そして途中で追ってくる旋律が8度上に入れ替わることが特徴である。8度の差は1オクターブであり、また2小節離れていることもあって、構成上難しいことは何もない。ただ、不安な心の苛立ちを写す長いトリルが後半の冒頭に現れる。8度のカノンの明るいようで、実は不安に苛立つ雰囲気は、次の第25変奏で十分に癒されるであろう。」@

グレン・グールドの回想 
 「この変奏曲のテーマであるアリアのサラバンドは気品に満ちたグランドバスの上に作られていて、常にしっかりとした和声的構成を持っている。このアリア単独でも名曲として位置付けられよう。また、変奏曲全体も名曲中の名曲であることは間違いないが、なかには、例えば第14変奏はその場しのぎの作り方でできた曲といっても良いし、第25変奏は突然にもメランコリーと主観的表現に満たされたアダージョでまるでショパンのノクターンのようにロマンチックな、というのは時代が前後しているが、雰囲気を持っている。この第25変奏を旧録音ではショパン弾きのような演奏をしてしまった。つまり、きざっぽいほどわずかにダイナミクスを減少させたり、テンポを動かしたりしていた。新録音では、かなり不気味で情感が貧弱だと思われるかもしれないが、苦しみつつ耐えようという尊厳を持たせたつもりだ。それに、第30変奏は、最後の変奏としては何かがさつな趣きがある。この第30変奏は、クオドリペトという通俗的な様式によっており、多少場違いな雰囲気を持っている。それでも全体を通してみれば、第30変奏といえども素晴らしく、変奏曲として必然的な構成としかいいようがない。」
 「この変奏曲は、絶対主義国家やバロック庭園のように徹底して組織化されており、対位法的技巧と謎に満ちている。対位法やカノン、フーガのはらむ可能性について熟考するとき、中世的な錬金術と近代的な研究活動の境界線上に立っているように思えてくる。」 @
8度カノン


9度カノン

J.S.バッハの予感
 「昨年(1741年)は息子のカール・フィリップ・エマヌエルがポツダムの宮中における宮廷チェンバロ奏者に就任しためでたい年であったが、同時によくコンサートを催した当地ライプツィッヒのコーヒー店主のツインマーマンが亡くなった寂しい年でもあった。さて、妻アンナ・マグダレーナとはよくともに旅をしたのだが、カール・フィリップ・エマヌエルに会いにベルリンへいく途中、ライプツィッヒに残してきたアンナ・マグダレーナが病気になったとの知らせがあり、ベルリンへの旅を中止して急遽ライプツィッヒに取って返したことがあった。我が家へ帰ってみると妻はもうすっかり元気になっていて、こちらが拍子抜けしてしまうほどであった。先妻の息子のところへ私ひとりで会いにいくことに、何かこだわりがあるのかもしれないと考えたものである。」
 「さて、9度のカノンmidimp3(第27変奏)は2声部のみで作っている。すなわち、低音のバス声部を伴わせていない。そのため、とてもさっぱりした曲になった。前半は追う旋律が順行で1小節おいて9度上で始まる。後半は追う旋律は9度下で始まる。確かに形式的には厳格なカノンではあるが、順行でもあり旋律が重なり合う部分が少ない。実を言うとカノンとしては9度にもなると、2度や3度のカノンで作ったような時間的空間的感覚が出てきにくいのだ。あの変奏曲では3曲目ごとにカノンを配置してきたが、眠りの観点からは9度のカノンで止めて置くことにした。あの変奏曲を材料にしたカノンは別の機会に取り組むことにしよう。」@

グレン・グールドの回想 
 「今年50歳になるのだから、かねてから考えもし言ってもきたように、ピアノ演奏はもうやめることにした。年齢でくらべてみると、バッハとは違ってこの年になっても父や母は生きている。いや私よりずっと健康なくらいだ。2年前に遺書を書いた。慈善団体に全財産を寄贈するといった内容だ。本当は80歳ぐらいまではピアノ以外のことをして暮らすつもりだったから、遺書など今はいらないと思っていた。しかし、どうもこの変奏曲の2回目を録音してから様子が変わってきた。身体から力が失われていく感じだ。何かこの変奏曲に殉教を求められていたのではなかろうか。若かった頃、なにも考えずにこの変奏曲をコンサートで弾き続けたり、まして調子に乗って録音のし直しなどしていたら、あのゴールドベルクと同じように30歳になる前に死んでしまっていたかもしれない。」
@
9度カノン


クオドリベット

J.S.バッハの予感
 「偶然の一致だが、カイザーリンク伯の依頼があったとき、すでにあの変奏曲を例のサラバンドをテーマに作曲を続けていたことから、伯爵がアンナ・マグダレーナの演奏であのサラバンドを気にいってくれたのは、好都合だった。伯爵の依頼の趣旨は不眠症対策であったので、あの変奏曲の後半の作曲においてそのことも配慮していこうと考えたのである。ひとつには、夜ふけに演奏がなされることを考えて、月の満ち引きの約30日になぞらえて変奏の数を30とすることにしてみた。それからある程度演奏が進んで時間が経過したら、深く静かに、かつ穏やかに沈み込んでいく変奏も必要であった。そのことを第25変奏で実現したのである。したがってこの第25変奏は感傷的に演奏されるべきものではなく、淡々と沈み込んでいくことこそが重要なのである。それでも眠りの精が訪れてこなければ、それ以上無理にあがいても仕方がない。そこで、少し賑やかな、気分の負担にならない変奏をいくつか続け、最後に例のクオドリペトで気晴らしをしていただく。こんな構成になったのである。」
 「第30変奏をクオドリペト(Quodlibet)、すなわち混成曲、アンナ・マグダレーナにいわせれば<ごちゃまぜの曲>にしたのには訳がある。ドレスデン駐在のロシア大使であるカイザーリンク伯には、かねてから私の音楽を評価してくださっていて、6年前の1736年になるが、私がザクセン選帝候宮廷作曲家に任命されるようになる際、大変ご尽力をいただいた。実際、宮廷作曲家拝命の知らせは伯爵を通してもたらされた程だったのである。その年、私は宮廷作曲家任命を機会にザクセン選帝候国の首都ドレスデンに赴き、12月1日にはジルバーマンが聖母教会のためにつくった新しいオルガンでザクセン選帝候宮廷作曲家拝命の記念の趣旨で心を込めて演奏を行ったのであった。その演奏をカイザーリンク伯も聴いておられて、とても感動されたとの伝言を寄せられたこともあり、伯爵のお屋敷を訪ねて、お礼を申し上げたところ、伯爵は親しく私を迎えてくださり、大好きな音楽についてばかりでなく、いろいろなお話をしてくださったので、私には旧知の友人のようになってしまったのである。それ以来、伯爵はライプツィヒに来られる際には我が家にも立ち寄られるようになった。特にこの数年はご子息がライプツィヒ大学に学んでいることもあり、幾度も立ち寄られる機会があった。そうした中のある日、伯爵が我が家においでになったとき、ちょうどバッハ家の家族音楽会を催していたのだった。その時の家族演奏会では、伯爵がおみえになると最初は遠慮がちに続けられたが、親戚や弟子や友人も集まっているので、しまいにはいつも通りの賑やかさになり、真面目な音楽だけでなく、まちなかで流行の歌なども歌ったのである。伯爵にしてみれば、珍しい経験となったようだが、幾つもの歌のなかで「一人の乙女midi;ほんとうに久し振りだ。さあ、もっと近くへ、もっと近くへ、もっと近くへ」と「にんじんだいこかぶらmidi;ナッパとかぶに追い出された。おかみさんがちょっぴり肉を食べさせりゃもっと長続きしたのに。」の時に特に楽しそうにしておられたのが私の記憶に残ったのである。その日にはこの2曲を使ったクオドリペトはだれもしなかったが、他のいろいろなクオドリペトは賑やかに繰り広げられたのであった。伯爵は後に、まちではクオドリペトのような愉快な音楽がいろいろあるのだな、と私に話されたことがあった。そこで、先の2曲をクオドリペトの様式で変奏にしてみようと思い付いたのであった。」
 「さて、あのクオドリベトのところをなぜ10度のカノンにしなかったのであろうか。順番でいけば第30変奏だからちょうど10度のカノンにあたるはずなのだ。しかし、9度のカノンのところで言ったように、あの変奏曲全体の眠りへの取組みからして10度のカノンはもう適当ではないという感じが強かったのである。10度のカノンは例えば3度のカノン(第9変奏)の旋律声部をどちらか1オクターブ上げるか、下げるかすればできる。しかし、声部が離れていて絡み合うこともない。そこには音の空間における無重力状態というようなのもは現れてこない。
 そこで,第30変奏は、カノンやなにかのごちゃまぜ、すなわちクオドリベトになったのである。それでも最初の4小節はカノンの形態をとっている。ただし、冒頭は8度だが、続く部分は5度のカノンという変則としたのだった。
 そういうわけで第30変奏は率直に言ってカノンではないが、ごちゃまぜの意味するとおりいろいろな仕掛けがなされている。特ににんじんだいこかぶらの旋律midiは第30変奏16小節の中で8回使っている。元の旋律、5度上、同度、9度上、2度上、2度下、3度上、4度下である。その旋律が出てこない小節は16小節中3小節のみだ。
 最後の部分、すなはち前半の第7、8小節と後半の第7、8小節には転回可能対位法を埋めこんでいる。全体は4声だがそのうち最高音部と下から2番目の声部がそっくり入れ代わるmidiのである。@

一人の乙女にんじんだいこかぶらにんじんだいこかぶらの旋律入れ代わる

グレン・グールドの回想 
 「「癒し(ヒーリング)」のことを考えてみるとあの第30変奏は大きな効果を持っている。クオドリペトというような通俗的な曲の組み立てを超えて、また、アリア・ダ・カーポが次に聴えてくることを予感させながら、第30変奏は演奏している人、そしてきっと聴いている人にとっても、閉ざされていた心が、その幾重にも重ねられた殻を一枚一枚開いていくように解放されていくことが感じられるのである。」
 「このことは私自身にとっても大きな癒しとなった。これまでの50年近く、私はピアノから離れずにきた。確かに、ピアノを弾くこと、そして弾けることは大きな喜びであった。また、そこに限界もあった。それは、バッハがもし現代に生きていたら、バッハは作曲し、その卓越した演奏技術によって、自分の好きな楽器、ピアノでもチェンバロでも好きな楽器を駆使して、自ら演奏しそれをCDにするであろう。その時に私の存在の意味はあるのだろうか。グレン・グールドの演奏の意味は。という問いかけであった。これはずっと私にのしかかっていた重しのようなものであった。この第30変奏を弾いていると不思議にその圧迫感から解き放たれた感覚になったのである。」
 「現実にはバッハは歴史上の存在であり、残っているのは楽譜だけだ。そこで私はバッハ作曲、グレン・グールド演奏という唯一無二のオリジナルを作ろうとしたのだった。それが唯一の存在の意義になる、そう思えたのだった。そうした意識が演奏中の無意識のハミングというか唸り声になってしまうのかも知れなかった。これこそグールドのオリジナルには違いないからだ。その観点からしても、コンサートを数重ねてオリジナリティを拡散させてはいけないこともわかってきて、1964年以来コンサートから離れている。気を付けないと、ピアニストは演奏をする装置、鍵をプログラムにしたがって叩く機械になってしまう。他の楽器、例えばバイオリン、フルート、楽器ではないが歌やコーラス、などであれば、作曲家と演奏家の分離が有り得てもっと気が楽であろうと思う。」
「音楽芸術としての作品は、楽譜と演奏が一体となったものをもって、一つの作品としてとらえられるようになってほしいし、そうなるべきだ。その意味では、もともとこの変奏曲は形としては理想的になっていた。すなわち、「バッハ作曲ゴールドベルク演奏の変奏曲」で「ゴールドベルク変奏曲」というわけだ。現代で考えれば当然「バッハ作曲グレン・グールド演奏の変奏曲」で「グレン・グールド変奏曲」と皆が考えてくれるようになってほしい。ゴールドベルクに語呂をあわせれば、「GouldBlend(グールド・ブレンド)」変奏曲とか「GouldBrag(グールドブラック)」変奏曲すなわちグールド自慢の変奏曲というのはいかがであろう。」@


アリア・ダ・カーポ


J.S.バッハの予感
 「ヨハン・ゴットリープ・ゴールドベルクは優秀な演奏家だから、その名があの変奏曲に通称として付けられることになっても、私は構わないと思うが、それにしても、言葉そのものの意味からすると「ゴールドベルク」とは、金鉱山といったところで、そうすると曲名も「金山変奏曲」というわけで、いかにもはではでしい。実際伯爵からは、あの変奏曲を贈った報酬として金貨を山のようにいただいたのだから私達家族にとっては金の山「ゴールドベルク」という名はぴったりなのかもしれない。また、あの変奏曲のうちのカノンは更に発展していく可能性をひめており、音楽における錬金術の素ともいえる。その点から言っても金の山「ゴールドベルク」の名はあたっているのだろう。さりとて金のイメージがぴったりなわけではない。こうした名称の影響を受けて後世の人々が金色のイメージの音楽を期待してしまうのではないかという不安がある。カイザーリンク伯に不眠症対策として贈ったからといって、むやみに静かに弾いてほしいというわけではないが、出版した楽譜の表題には「愛好家の心を慰めるため」と記したとおり、穏やかでしかもどこか陽気な感じの演奏が最も相応しいと考えている。他の名称として例えばカイザーリンク伯の名をいただいて、カイザーリンク変奏曲としたら、カイザーは皇帝につながるから「皇帝関連変奏曲」というような仰々しいものとなって、伯爵には申し訳ないが、とても相応しいとは思えない。 本来、何とか変奏曲のような通称は必要ないと思ってはいるが、あえて付けるとすれば、「金と同じ価値」という意味のドイツ語で、「GleitchenGold」というのはどうだろうか。とにかく将来はイニシャルG・Gの後世の演奏家の名前を付ければ良い。」@


さて、ふたりのお話しはここまでです。
バッハが予感して、グールドが希望したかもしれないことですから、
皆で「あの変奏曲」「この変奏曲」を
「グレングールド変奏曲」とあらためて名付けようではありませんか。


貴方の考えは?

貴方の考えは?


@

グレン・グールド変奏曲
The Glenn Gould Variations


(感想、意見など送って下さい。)
mailto:mocfujita@aol.com

資料へ続く ゴルドベルク変奏曲へ進みます。
mp3とmidiデータでゴールドベルク変奏曲全曲を聴きます。
楽曲についての理解を深めます。
歴史について調べましょう。
誰がゴルドベルク変奏曲を演奏してきたでしょう。


参考資料 @

演奏CDリスト
参考文献リスト
グレン・グールドによるコンサートでのゴールドベルク変奏曲演奏の記録

ゴールドベルク変奏曲演奏CDリスト
演奏者;(使用楽器);CD番号;(演奏時間);(演奏者コメント;解説者評;筆者演奏評)など ( 演奏年順に配列しています。)@


  1. ワンダ・ランドフスカ  (ハープシコード) EMICDH7610082 (45'46") 1933

  2. ラルフ・カークパトリック (ハープシコード) Music&Arts CD-976(4-CD set) (43:36) 1952(1997)
    (演奏評:このホームページを公開した1997年6月には、ラルフ・カークパトリックの演奏の録音の存在は私も知っていましたが、本当に聴くことができるのかな、と言う感じでした。実際にCDになって入手できたのは、1997年10月です。聴いてみて、とても良い演奏なのでかえってびっくりしました。
    と言うのは、カークパトリックは、この変奏曲の楽譜の編纂や解説で傑出した仕事を残しているので、研究者のイメージが強かったし、これだけの優れた演奏であれば、それもグールド以前のであれば、なぜ多くの人がコメントしなかったのかという疑問が浮かんだからです。現時点(1997.10.10)の個人的な感想では、ピアノではグールド、ハープシコードではラルフ・カークパトリックの演奏があれば、他にはもういらないと言ってもいいとすら思います。
    ただ、この録音はこの変奏曲のためだけのものではなく、バッハの4つの練習曲集全曲を1952年に録音(イギリス組曲は1957年)したものの一部です。つまり、グールドのようにゴールドベルク変奏曲として世に問うたのかどうかわかりません。それでも、このCDは、当時のマスターテープ Ampex 402B ; 38cm/sec のデータを1996年にデジタル化したもので、ワウフラッターの除去など素晴らしい技術により、古い録音とは思えない音です。
    演奏は、すべて繰り返しのないA_B_です。また、ヴァーチュオーソと言う感じではありませんが、変な抑揚などがなく、すっきりしています。
    The 1952 Haydn Society recording; performed on a Chickering/Dolmetsch harpsichord; Historic mono )

  3. グレン・グールド (ピアノ) CBC PSCD2007 (42'30") 1954
    (演奏評:驚くべきことに、1955年より前の1954年に演奏された記録がカナダの国立図書館に残されていて、それを今私達は聴くことができるのです。グールドのゴールドベルク演奏の記録としては、4番目に公になったものです。グールド自身はこの演奏がレコードやCDになることを予想していなかったと思いますが、ファンとしては貴重な記録として、また楽しみとして聴きたいものです。
    この演奏は、あの衝撃のレコードデビューの1年前の1954年6月21日に放送されたリサイタルの録音です。録音といっても、放送局での録音ではなく、グールドが自分で聴いてみるための録音なのです。それも、テープレコーディングではなくディスクレコーディングのようです。CDにするにあたっては、ノイズ除去などに現在の最高の技術が使われたということですが、それにしても良い音で復元されています。
    1955年のデビューレコードとどこが違うのでしょうか、気になるところです。演奏技術の面では、生演奏の生放送であるにもかかわらず、ほとんど完全な演奏で、これも驚くほかありません。特に違いのある点としては、ピアノの音の質が華やかなことと、グールド特有の唸り声が聞こえないこと、そして最後のアリアの前半部分を反復していることでしょうか。反復は最後のアリアだけで他には反復されているところはありません。唸り声は音が当時のラジオ電波に乗っている間に、空に吸い込まれてしということにしましょう。
    全体としては次の年の録音で完成する演奏への過程にあるといえましょう。)

  4. グレン・グールド (ピアノ) ソニークラシカルSRCR8923 (38'21") 1955
    (演奏評:これこそ、衝撃のデビューレコードです。クラシックのレコードでこの演奏ほど多く売れたものは他にはないそうで、いまでもCD屋さんでよく売れているようです。最初のレコードジャケット(懐かしい言いかた方ですね)のデザインも衝撃的でした。ぜひレコードジャケットも復刻してほしいと思います。)

  5. グレン・グールド (ピアノ) ソニーSRCR-9500 (37'07") 1959(ザルツブルク・ライブ)

  6. ヘルムート・バルヒャ (ハープシコード) エンジェルTOCE-7232 (75'45") 1961

  7. チャールズ・ローゼン (ピアノ) (75'50") 1967

  8. ウィルヘルム・ケンプ (ピアノ) グラモフォンPOCG-2996 (60'48") 1969

  9. カール・リヒター (チェンバロ) アルヒーフPOCA2019 (77'26") 1970
    曲のなかで起こっている音楽的な事件を好き勝手につくり変えているといった印象を聴衆に与えてはいけません。ここにABCという3つの成分からなるバッハの曲があるとします。バッハ特有の構築性のために、それぞれの部分はそれ特有の性格が与えられなければならず、ひとつの部分であまり多くの色付けがされると、3部分の大きな対比が失われ、聴衆は部分がいくつになっているかわからなくなってしまいます。しかし、AをAとして表現する為に、その部分全体をひとつの色としてしまうためには、演奏する側にそれを支えきるだけの息がなければなりません。息というのは精神の支えとか張りとかいう言葉で言い換えてもようでしょう。こういった息は一度に身につくものではありません。テンポひとつをとってみてもその曲特有のテンポが演奏者の魂に刻み付けられるまでにはかなりな時間を要します。(演奏評:チェンバロの音がかなりはでで、これでは眠れません。)
  10. イエルク・デムス (ハープシコード) プラッツP27G527 (74'05") (1970頃)
    バッハは最も芸術性の高いそして最高の技術を要する鍵盤楽器のための変奏曲を作曲した。(演奏評:テンポのゆれが大きい。また、音のベロシティの設定がいろいろに行われている。)
  11. グスタフ・レオンハルト (ハープシコード) 独ハルモニア・ムンディBVCD5022 (47'23") (1970頃)

  12. 高橋悠治 (ピアノ) デンオンCOCO-7964 1976

  13. タチアナ・ニコラーエワ (ピアノ) メロディアVICC40126/7 (83'19") 1979

  14. トレバー・ピノック (ハープシコード) アルヒーフPOCA-2112 (60'47") 1980

  15. クリスティアーヌ・ジャコット (ハープシコード) INTINT820.539 1981

  16. グレン・グールド (ピアノ) CBSソニー22DC5543 (51'18") 1981
    (演奏評:永遠に残る名演奏です。グールドはこの演奏を我々に残してこの世を去ってしまいました。CDのジャケットのグールドが椅子にぐったりとそわりこんだ写真を見ると、かっての若々しく多弁な印象とは打って変わって、憔悴して何かに苦しんでいるかのような雰囲気を感じます。しかし、演奏そのものには、苦しみや辛さの影は射し込んではいません。それどころか、一生の間、聴き続けたいと思うほどのすばらしい演奏です。この録音を残してくれたグールドに、私は感謝しています。)
  17. エディット・ピピト・アクセンフルト (ハープシコード) カノラータ30CM-7-8 1983

  18. ケネス・ギルバート (ハープシコード) 仏ハルモニアムンディKKCC-36 (66'49") 1986

  19. アンソニー・ニューマン (ハープシコード) DUN-DIW501 (55'26") 1987

  20. アンドラー・シフ (ピアノ) ロンドンPOCL-5127 (72'15") 1987

  21. トン・コープマン (ハープシコード) エラートWPCC4248 (62'23") 1988
    聴き手を眠りに付かせることでなく、次から次へと新たな驚きに出会わせることを意図した。(演奏評:新たな驚きはまったく用意されていなくて、だからといって眠りを誘うような安らぎもない、恐ろしいほどに緊張感の欠落した、まったくつまらない演奏です。)
  22. ユゲット・トレフェス (ハープシコード) デンオンCOCO75631 (79'17") 1988

  23. ダニエル・バレンボイム (ピアノ) エラートWPCC3256/7 (80'35") 1989
    私はゴールドベルク変奏曲をすでに25年以上にわたり研究してきた。今日(1989年)私はその解釈が提出する問題点のある部分がかすかに見えてきた。
    (演奏評:トリルはライブの状況でもよく考えられていてよい音がする。実際のコンサートで演奏されたとは信じられないほど長時間の演奏で、部分的にはよい演奏だが、冗長としか言いようがない。)
  24. キース・ジャレット (ハープシコード) ECMECM1395 (61'40") 1989

  25. フッソング (アコーディオン) 不明

  26. グレン・ウィルソン (ハープシコード) テルディックWPCC-4313-4 (41'38") 1990

  27. ピエール・アンタイ (ハープシコード) 東京エムブラスMOPS30-84 (77'27") 1992

  28. アンドレイ・ガヴリーロフ (ピアノ) グラモフォンPOCG1708 (74'21") 1992
    (演奏評:ガヴリーロフは1955年モスクワ生まれ。18歳のときチャイコフスキーコンクール第1位。すべてAABBとしている。演奏はカシャカシャという感じのピアノの音でできている。なにか工場の騒音のような音になっていて、聴くのも億劫な気がする。第15変奏になってやっとチャイコフスキーコンクール第1位の感性が現れるが、それもつかの間また工場の騒音に戻ってしまう。ピアノでチェンバロのカシャカシャした音を出そうとしているのかもしれない。第25変奏ではやっぱりというように感傷的なイメージが出てくる。それを11分以上も続けるので、もう結構ですといいたくなる。)

  29. 熊本 マリ (ピアノ) キングKICC110 (53'11") 1993
    自然に感じたまま28年間の自分というものの全てを、音に表現できたと思う。
  30. 園田高弘 (ピアノ) HVーEvicaHTCA-1010 (75'45") 1994

  31. コンスタンチン・リフシッツ (ピアノ) デンオンCOCO-78961 (79'02") 1994

  32. ピーター・ゼルキン (ピアノ)BMC BVCC-724 (47'03") 1995

  33. シトヴェツキー(編曲:弦楽合奏) ワーナーWPCS 5004 (59'55") 199?

  34. クリストフ・ルセ (ハープシコード) ポリドールPOCL1619 (??'??") 199?

(演奏データの一覧表の表示)
参考文献リスト@

  1. 楽譜 J.S.バッハ ゴールドベルク変奏曲
                   ラルフ・カークパトリック編(1934年)
                   荒木雄三訳      ゼンオン・ライブラリー

  2. グレン・グールド著作集1,2
                   ティム・ペイジ編
                   野水瑞穂訳      みすず書房(1990年)
    ゴールドベルク変奏曲に関するグールド自身による論文が面白くかつ重要です。1955年版のLPのライナーノートに書かれたものです。また、フーガの技法についての論文は、グールドの対位法への強い思いがあって、読みがいがあります。
  3. グレン・グールドの生涯
                   オットー・フリードリック著
                   宮沢淳一訳      リブロポート
    ゴールドベルク変奏曲の旧版、新版、それぞれの時期のグールドの考え方が紹介されています。
  4. バッハのクラヴィーア作品
                   ヘルマン・ケラー著
                   東川清一・中西和枝訳 音楽の友社(昭和47年)

  5. チェンバロの調律 −バッハの響きを再現する−
                   ヘルベルト・アントン・ケルナー著
                   郡司すみ訳      東京音楽社(1990年)

  6. 音響工学講座B建築音響
                   永田穂編著      コロナ社 (昭和63年)

  7. グレン・グールド大研究            春秋社  (1991年)
    バッハを語るU<ゴールドベルク変奏曲>新録音について、<グレン・グールドとティム・ペイジの対話(宮沢淳一訳)>が掲載されていて、大変参考になります。
  8. 作曲家別名曲解説ライブラリー12 J.S.バッハ
                   音楽の友社(1993年)

  9. バッハ傾聴 (フォルケルの「バッハ伝」の邦訳)
                   田中吉備彦著
                   法政大学出版局教養選書19(昭和43年)
    フォルケルの「バッハ伝」が初めて邦訳された記念的な資料です。
  10. バッハの思い出  (アンナ・マグダレーナ・バッハの小さな記録)
                (Die kleine Chronik der Anna Magdalena Bach)
                   アンナ・マグダレーナ・バッハ 山下 肇訳
                              ダヴィッド社(1967年)
    読んでみるととても面白く貴重な情報がたくさん含まれているのですが、学術的な資料としては他の文献などでほとんど参照されることはありません。なんとなく、後世の誰かの創作、すなわちフィクションではないかという危惧が頭に浮かんできます。いろいろあたってみたところ、やはり、この「バッハの思い出」は、アンナ・マグダレーナ本人が書いたものではなく、20世紀初頭にイギリスで書かれた創作である、という説明が見つかりました。作者はエスター・メネルという人で、シュピタ博士の名著「バッハ研究」を参考にしているので、内容にリアリティがあるということです。また文章が優れているので、アンナ・マグダレーナ本人によって書かれたと思いたくなります。創作であってもとても面白いのですから、本にはっきりとそうした事実を記しておいて欲しかったと思います。それでも、現在(1996年)でも書店で見かけることの多い本ですから、多くの人に読まれているのもまた確かです。
      1967年にジャン・マリー・ストラウブによって「アンマ・マグダレーナの手記」として映画になっています。(筆者は見ていません。)
  11. アンナ・マグダレーナ・バッハのための音楽帳
                   全音出版社
    オリジナルに復刻した楽譜帳です。表紙もオリジナルに復元されていて、とても素敵な音楽帳になっています。バッハのアンナ・マグダレーナへの心遣いがそのまま感じられます。一部の楽譜についてはオリジナルのコピーがつけられているし、解説がわかりやすく参考にもなります。そして、この音楽帳にゴールドベルク変奏曲のアリアがはいっているのです。
  12. バッハ図像と証言でたどる生涯
                   ミヒャエル・コルト;シュテファン・クールマン編著
                   三宅幸夫・山地良造訳
                   音楽之友社(1990年)

  13. バッハ叢書第10巻 バッハ資料集               白水社

  14. バッハ事典     角倉一郎編     音楽の友社(1993年)

  15. グレン・グールド変奏曲 ジョン・マグリーヴィ編 木村博江訳
                   東京創元社(1986年)
    本の題名はゴールドベルク変奏曲ですが、名称の問題については全く言及はありません。
  16. 大作曲家バッハ マルティン・ゲック
                   大角欣矢訳      音楽の友社(1995年)

  17. グレン・グールド/ゴールドベルク変奏曲( '81)
                   グレン・グールド コレクション
                   ソニーSRVM1103 (ビデオ)
    1981年録音の全曲演奏を記録したビデオです。
  18. グレン・グールドとの対話 ジョナサン・コント著 高島誠訳
                   晶文社(1990年)
    1974年の6時間に及ぶ電話インタビューの記録です。
  19. オンザレコード・オフザレコード 若きグールドの記録(’59)
                   フィリップス(1989年)(ビデオ)
    録音用のピアノ選び、トロント北部のグールドの自宅での練習風景、インタビュー、ニューヨーク・コロンビアスタジオでのバッハのイタリア協奏曲の録音風景が収録されています。
  20. フーガ    マルセル・ビッチ ジャン・ボンフィス 池内友次郎監修余田安広訳
                   白水社1981年原著1986年訳
    対位法とカノンを中心にフーガについて詳しく書かれている本です。
  21. ピアノ・ペダルの技法 ジョーゼフ・バノウィツ著 岡本秋典訳
                   音楽の友社 1989年
    コンピュータでピアノの音楽を演奏させる際に、大変参考になる内容です。ピアノ演奏の奥深さを窺い知ることができるとともに、データ作成の過程において、より豊かな響きを生み出す方向性を教えてくれます。
  22. GLENN GOULD SELECTED LETTERS
    Edited and compiled by John P.L.Roberts and Ghyslaine Guertin
    グールドの書簡集です。
    そのなかに、デュッセルドルフのクミコ・ナカヤマさん宛ての手紙(November 12,1972)がありました。日本の方かどうかわかりませんが、グールドの手紙を持っておられるなら、うらやましいかぎりです。ナカヤマさんは、グールド宛てのファンレターで「以前には、他のどの演奏家の演奏でも経験したことのない、デモーニアックな、超人的な何かが、あなたの音楽からは聴こえてくるのです。」と書いています。グールドはこれにこたえて、かなり長文な手紙を書いたのでした。
    「言うまでもなく、あなたが私のバッハの録音に対して特別な関心を持っておられることを知ってうれしく思います。しかし、貴書簡でまさに指摘しておられるように、**」


グレン・グールドによるコンサートでのゴールドベルク変奏曲

演奏の記録 @

22才1955.03.14 オタワ
07.29ストラトフォード
23才11.07モントリオール
1957.05.11モスクワ
05.16レニングラード
24才11.11トロント
11.16ピッツバーク
11.20シンシナティ
12.07ニューヨーク
1958.01.23フィラデルフィア
02.12キングストン
02.17ウィニペグ
03.21ボストン
03.23モントリオール
03.28レキシントン
07.23ヴァンクーバー
25才11.15フィレンツェ
12.14テルアビブ
12.16テルアビブ
1959.01.09パサディナ
02.24バッファロー
03.01ワシントン
05.16ベルリン
08.25ザルツブルクライブのCDがある。
26才10.12アナーバー
11.01サンフランシスコ
****ゴールドベルク変奏曲最後の公開演奏
27才1961.04.25ロスアンジェレス

****ゴールドベルク変奏曲以外も含めた最後のコンサート
32才1964.03.28 シカゴ

出典:グレン・グールドの生涯(オットー・フリードリック著)より


サウンド コラージュ

sound collage



music start


素晴らしい演奏家にアリアを少しづつ弾いていただいてそれを一つにしてみました。
どのような順で続いているか、当ててください。

M.K.=熊本マリ
R.K.=カークパトリック
W.R.=ランドフスカ
G.G.55=グールド55
G.G.81=グールド81

回答:次の a から e の内から選んでください。

a----M.K. +R.K. +W.R. +M.K. +G.G.55 +W.R. +M.K. +G.G81

b----G.G.55 +W.R. +R.K. +M.K. +G.G.81 +R.K. +G.G.81 +M.K.

c----R.K. +W.R. +R.K. +M.K. +G.G.55 +R.K. +M.K. +G.G.81

d----G.G.81 +W.R. +R.K. +M.K. +G.G.55 +R.K. +G.G.81 +M.K.

e----M.K. +W.R. +R.K. +G.G.81 +G.G.55 +R.K. +M.K. +G.G.81


回答方法:
次のような内容でmocfujita@aol.com までメールを送ってください。
回答:_ (a〜eのどれか)

コメント:(自由に)

メールアドレス:(よろしければ)


back



これで終りです。 ご覧いただき、ありがとうございました。



皆さんからのお便りの記録です。1997年から1999年頃までです。当時のままにまとめています。

皆さんからのお便りです。@


どんどん追加します。メールは皆さんで情報を共有するため、このページに載ることを前提に送信していただくようお願いします。ただし、「知の音楽」の趣旨に沿ったものかどうかの判断は藤田の責任でさせて下さい。了解いただいた場合以外は、お名前は出さないようにします。また、公開を望まない場合や部分がある場合には、その旨メールに記して下さい。よろしくお願いします。

19970517 morishigeさんから
すてきなホームページをありがとうございます。とても楽しませていただきまし た。このホームページそのものが、藤田さん自身の手による、香り立つゴールド ベルグの演奏なのではないでしょうか。
私自身は、グールドの演奏には少し聞きあきて、シフの演奏に新鮮さを感じてい ます。
ぜひ、ゴールドベルグだけでなく、他のクラヴィア曲にも手を広げていってほし く思います。次回作を期待します。
<藤田コメント;次回はシューマンのクライスレリアーナについてのお話を計画しています。>

19970515 T さんから

<藤田コメント;概略のところ「冒頭のアリアから以下のところを指摘します。」とのメールをいただきました。途中省略>

1 第6小節、バスの最終音:ピッチはdです(f#ではありません)
2 第15小節、アルトの最終音g’:次の小節までタイで繋げます
3 第20小節、バスb音が抜けてしまっています
4 第24小節、アルトの2ー3拍のg’が抜けています
5 全体にみて装飾が機械的すぎます。例えば、第11小節のソプラノにおけるトリルの速度調節。

<藤田コメント;T さん、ご指摘ありがとうございました。1から4までは本当に、間違いでした。早速修正いたしました。なにしろ10年以上まえに、はじめたMIDI化で、それも第1曲で、一番古くて、そのうえ、いわばいじくりまわしていたので、少し変になったし、またそれに気がつきませんでした。
ただ、5については、私の音楽的能力では、「機械的」な装飾以外にはしようがありません。
ところで、「4 第24小節、アルトの2ー3拍のg’が抜けています」について、いろいろ考えてみましたが、当時1987年頃、私自身が意図的に省略したのではないかという、朧げな記憶がよみがえってきました。というのは、ご指摘どおりGを加えてみますと、素人考えで恐縮ですが、どうも変な響きになってしまうのです。
そこで、楽譜を、3種類確認してみました。カークパトリック版の楽譜とそれに参考として付けられているオリジナル版のファクシミリ、そしてアンナ・マグダレーナのための音楽帖です。当然ですが、どれもGがありました。つぎに、グールドの二つの演奏、熊本マリさんの演奏で確認したところ、たしかに、そのGを弾いていましたが、かなり弱く、また、グールドの場合にはタイミングをずらしていました。
10年前の私のシステムでは強弱をつけたりタイミングをずらしたりはきっと面倒だったし、それよりも楽譜どおりが基本だったので、最初はGを入れていたのだと思います。そのあと、チェックのために何度も聴くわけですが、レベルの低い音源のせいもあって、その部分だけかなり怪しい響きだったのでしょう。それで、あえて、省略したのではないかと推測するのです。自分のことなのに推測は変ですが。
とにかく、私にとって何故変な響きになるのかは解りません。また、他の人たちにも同じように変に聞こえるかどうかも解りません。。一応、Gの2分音符をA+Gのそれぞれ4分音符にしてみました。>


19970509 ziggyさんから
ホームページ拝見しました.凄いデータ量で圧倒されました.
自分は2年前に会社の後輩からグールド81年版を借りて以来 ほとんど毎日聴き続け,その間にCDから耳コピしてMIDI データを作ろうとするも第5変奏で挫け,スコアを買ってきて グールドの演奏に近づけた演奏にするには?と,延々データを いじっていたところ,このホームページを見つけました.
最近ではスコアを入れるよりも,自分に演奏できるか?という 無謀とも思えるキーボード購入に踏み切り,aria,V.2,V.4,V.13 を弾けるようにまでなりましたが,それ以外の曲はリピート後 の演奏が難しく,なかなか遅々として上手くなりません.
一日15分程度でまだ1年も経っていないのでこの程度でしょう が,[基礎からやらないとダメになるよ]のピアノ経験者の忠告 にも耳を貸さずにひたすらゴルトベルクONLYです.
<藤田コメント;私もヤマハクラビノーバを購入してアリアの練習をしましたが、弾けるようにはなりませんでした。今、一応演奏できるのは、エリーゼのためにと平均律第1巻の第1番プレリュードだけです。もっぱら、音源として使っていました。ですから、ZIGGYさんはすばらしいですよね。>
ほとんど中毒な状態ですが,同じCDを聴いてもその日によって 違った面が見えたりして,楽しいことこの上無いです.
自分が理解出来ない領域をスコアを見ただけで解釈,表現できる 人っていうのは凄いなぁ,とつくづく感心させられます.
勿論,作曲したバッハは言うまでもありませんが...
長々と書いてしまいました..
自分もMIDIデータを入れているので,グールドもどき演奏を 聴きたい方がいらっしゃれば,メールします.
但し,第25変奏,最後のariaはまだ入力もしていません.
また,1曲づつのデータと通したデータがありますが,個々のデ ータをいじっているので,通したデータに反映されていない部分 があったりします.(何しろまだ全然未完成..)
ziggy@tokyobbs.or.jp

19970427 Sさん001
こんにちは。 ホームページ、いろいろと反響を呼んでいるようですね。 あれだけの内容ですから当然のことと思います。私も全ページを印刷し てことあるごとに読ませていただいています。
さて、お送りした私のメールが原文そのままページに掲載されていまし たので、ちょっと戸惑いました。(藤田;以下省略。すみませんでした。)
e-mail:pg6y-skt@asahi-net.or.jp


19970420 Tさん
はじめまして!
私もゴールドベルク変奏曲を偏愛するTと申すものです。
やっぱりいらっしゃるんですね、この愛好家が。ホームページを見つけて思わず「おうっ!」と叫んでしまいました。藤田さんと同じく私もグールドのこの曲の演奏からバッハに入りました。グールドの最後のCDは、たぶん500回以上聴いております。藤田さんと違うところは、私は楽器の演奏もできない楽譜も読めない楽曲の研究もしない、ただ聴くだけの愛好家だというところです。ただ、CDだけは、今のところ演奏別に69種類持っておりますので、若干気がついた事を申し上げますと、
一番古い録音−−Landowska, Wanda(1934)以前に、Serkin, Rudolf(appr.1928.Archiphon, Germany, 1992. ARC-105. Total Time:31'49")があります。
その次がLandowskaですが、その後のグールドの前にArrau,Claudio(1942)とLandowska,Wandaの再録(1945)があります。
またその後1970年のRichter,Karlまでの間にグールドを除き、Kirkpatrick, Ralph(1958)、Richter, Karl(1958?),Walcha, Helmut(1961), Tchaikowsky, Andre (1964), Leonhardt, Gustav (1965?), Rosen,Charles (1967), Kempff, Wilhelm (1969) があります。
イエルク・デムスの演奏がチェンバロ、ということになっておりますが、私が持っているCDはピアノ演奏です(Gakken Co., Ltd./Platz Inc., Japan.1993)。これは本当にチェンバロ演奏盤があるのでしょうか? あったらぜひほしいです!
また、アコーディオン演奏盤のデータは Hussong, Stefan (1988. Thorofon Record Co.,Germany. Total time: 55'23")です。
あと、面白いと思ったのは、演奏についての評価で、これについては藤田さんと私とでは、グールドを除いてまったく正反対のようです。私の評価ではコープマンとジャレットの演奏は5本の指(!)に入りますが、残念ながら熊本マリさんはかなり下位です(演奏会も聴いたことがあって、可愛くて好きですが、演奏はあまり上手とはいえません。もちろん私の主観ですから、お気に触ったらすみません)。(藤田コメント;気に触ってしまいました。私は熊本マリさんのファンですから、「上手といえない」となると、非常に残念です。また、「技術的に上手」という意味では、私のMIDIのデータが究極の「上手」であって、だからといって「いい演奏」とは言えないのは、心や意志や身体がないからです。熊本マリさんは綺麗だし、明るいし、優しいし、スペイン語を話すようだし、で、大好きです。でも実を言うと私もそれ程何回もマリさんの演奏を聴くというわけではありません。そこで、ピアニストの話なのですから、片手の5本の指でなくてせめて両手の10本の指には入れてやって下さい。!!!!;藤田コメント)
日本人の演奏で上位に置くとしたら伊藤栄麻さんので、繊細な表現が何とも言えません。園田高弘さんは悪くはないですが、力が入りすぎて少しうるさいです。私の好みでは、とにかくAriaは歌わせなければいけない。それも自分の歌を。コープマンもジャレットもその点は見事です。ジャレットは、並みのクラシック専門の演奏家などよりはるかに「音楽」のセンスがあると思います。彼のフランス組曲を初めて聴いたときは、その美しさに引き込まれてしまいました。あとぜひ聴いてみたいのがフリードリヒ・グルダのゴールドベルクで、彼のバッハはまとまったものが平均率だけなのが非常に残念です。彼の見掛けに依らぬ正攻法の端正な演奏はとてもすばらしいと思います。
ついつい長くなりましたが、この辺で。またもしお時間がありましたら私のホームページへもお立ち寄りください。BGMはもちろんゴールドベルクですよ!
日本語、英語のホームページとリンク集のページで、Ariaをそれぞれ3通りに「演奏」しま す。音楽のサイトではありません。実はメインの趣味は別の分野なんです。
今夜も久しぶりにゴルトベルクのCDをかけて寝ようかと思います。誰の演奏にしょうかな。 ではまた。
Y.T.
Email: jamides@da2.so-net.or.jp
Home: http://www02.so-net.or.jp/~jamides/

Sさん010
ゴールドベルク変奏曲は、グールドの演奏で知りました。大作ですが、それを midで演奏できることを知り、驚いています。私はmid初心者ですが、作品完成ま でのご苦労は大変なものがあっただろうと想像いたします。素晴らしい作品を提 供いただきありがとうございました。ゆっくり鑑賞させていただきます。
sigeji@wombat.or.jp

Tさん009
只今、楽曲解説を書く前に文献を多数読んでいるのですが、1725年の<<ア ンナ・マグダレーナのクラヴィーア小曲集>>に収められている彼女によ るアリアは、1740年以降に書き足されたものである可能性が高いことが 分かりました。ということで、バッハが作者である可能性も出てきたの ですが、この辺りはまだまだ論争が激しいようです。僕もこれからちょっ と独自に研究してみるつもりでいます。
鈴木雅明さんは御存知ですか? 来月に録音されるそうです。
http://www.music.qub.ac.uk/~tomita/
Email: y.tomita@qub.ac.uk

Tさん008
昨夜、メールを出した後で「ゴールトベルグ変奏曲」のページをもう一 度じっくり楽しく読ませて頂きました。バッハに関するウェブページで ここまで個性豊かにまとめたものは初めての遭遇でして、まったく脱帽 です。以下、読みながら気づいた点を書き出してみました。
先ず有名なGoldbergと現在の表題に関した問題ですけれども、事実関係 の研究に更なる進展がないとどうにもならない感がありますね。でも僕 なりに仮説を持っていまして、一応以下のように考えております。この 曲集は1741年の段階ではそういう風に呼ばれていなかったはずです から、逸話によって現在に伝えられたのは事実であるはずです。その逸 話が本物の表題を超えてしまったという背景の辺りをよく考えてみます と、余程強烈な印象が無ければそうはならなかったのではないかと思い ます。フォルケルの1802年の伝記が決定的になったと考えられてい るのですが、そこに情報を提供した息子二人が情報源であったのが最も 有力ですね。そこで時代を溯ると、1741年11月にバッハがドレス デンに赴いてカイザーリンクを尋ねた際、まず楽譜を一冊献呈し、逸話 はその後に交友関係から偶然に発生したのではないか、と考えるのが一 番妥当だと思っています。バッハの晩年のカノンへの執着やクラヴィー ア練習曲の性格といった作品面から考えてみると、やはりカイザーリン クやゴールトベルグはこの曲集の成立とはあまり関係がないように思え ることも僕の推論の一つの根拠となっています。また、「杯に金貨を山 盛り=ゴールトベルグ」というのは冗談が根底にある訳ですから、逸話 にちょうどいいわけです。それが本当であったかどうかは分かりません が、多分本当だったのでしょうね。つまり、偶然にそういったシナリオ が出来上がり、逸話になりうるジョークが生まれ、それに纏わる話が大 きく脚色され、それを息子がフォルケルに教えたと考えているのです。 これから仮説を証明をしなくてはなりませんが。
以下、少々細かい点についてのメモです。参考までに送ります。

part13.htmlについて
==========
* 「作曲年」ですが、Gregory Butlerというバッハ研究者によると17 41年のミカエル祭(10月)に出版されたというのが正しそうですよ。 また、平均律の第2巻はその時期には出版されていません。『出版』で はなく、ここでは『完成』とか『まとめた』という風に訂正されるとよ いと思います。
*「その他の版」で、新バッハ全集が抜けていますがどうしてでしょう (値段が高く一般には普及していないからでしょうか?)。バッハ研究 の最先端を行くクリストフ・ヴォルフ教授の労作も言及に値します。
*1974年にストラスブールで発見された14のカノンの件ですが、 それと同様に大切なことは、その楽譜がバッハ私蔵のHandexemplar(著 者保存本)で、バッハによる訂正を多く含んでいるという事実です。こ こに装飾をたくさん加えたりもしているのですが、そこを装飾の所で何 かおっしゃって欲しいなと感じました。これについては、ヴォルフさん の論文をご覧になっていただくとよいかと思います。

soushoku.htmlについて
===========
「バッハの音楽においては、同時代の他の作曲家に比べて、装飾はかな り少ないといわれています。」とお書きになっていますが、僕はバッハ はかなり多くを(しかも実音で)記入したと考えていますし、そういう 風に普通言われていると思います。シャイベも批判文でそう言っていた でしょう? その反対の理論はどう成立するのか興味があります。

shiryou.htmlについて
==========
「13.タチアナ・ニコラーエワ (ピアノ) メロディアVICC40126/7 (83'19") 1979」がリストにありますが、僕は彼女の1992年のものを持っ ています。 Hyperion CDA66589 (79'38")で、特に最後の二曲が涙が出 そうになるほどジーンときます。
と、以上です。これからも質の高いホームページを維持されますよう期 待しています。


Nさん007
I love BACH very much all of the world. I think his unique melody is wonderful. Now I practice Goldberg-Variation, it is difficult for me. But I hope playing it very good. If iwill be pianist , I will play BACH`s song , certainly I play.

Tさん006
Tと申します。噂に聞くhttp://www.people.or.jp/~imyfujita/を見 てみて、びっくりしました。ものすごいですね。実は、最近BCJの鈴 木雅明さんがレコーディングしているGoldberg Variationsの楽曲解説 を頼まれているのですが、日本ではどのぐらい曲が知られているか、イ ンターネットでちょっと探索してみましたところ、ものすごいページに 遭遇してしまいました。どうしよう!と思った訳です。
僕は平均律の第二巻が専門でして、そちらの方は何とか日本の皆さんが 知らないところを紹介したりできるのですが、Goldbergはもう十分に知 られていますね。
とにかく、このような素晴らしいページを製作された藤田さんに挨拶を したいと思いました。これからも宜しくお願いします。

丸虫天狗さん005
 私はネット上で丸虫天狗と名乗っている者です。私はロックからバッハを知り、好きになりました。クラシックの方は全くの初心者です。藤田さんにメールを出すのも場違い(?)のような気がします。ですが、HPを見せてもらって(まだ全部見ておりませんが、時間をかけてみたいと思っています)、勉強になった(感動しました!)のでメールを出させてもらいました。ハードロック、ヘヴィメタルと呼ばれる音楽が未だに好きですが、その音楽に、ネオクラシカルと呼ばれるものがあります。クラシック畑の人からすればお笑いでしょうが、私はそこからバッハを見つけて好きになりました。クラシックを専門的に学んでおりませんし、演奏者についてもほとんどわかりません。ただ、何となくいいなぁと思った人のCDを買っています。ゴルドベルグ変奏曲はトン・コープマンのものを買っています。HPを読んでから、グールドのCDが欲しくなりました。
 私が「これが知りたかった!」と思っていたことがHPにありました。演奏者の解釈から、平均律やその他の音律、またカノンなど、専門書を覗いてもちんぷんかんぷんでしたが、わかりやすく藤田さんの考えも入っていて楽しく見ること(読むこと)ができました。「知の音楽」という難しいテーマですが、クラシック音楽の、バッハの、ゴルドベルグ変奏曲を理解することの入り口に立てたような気がします。
 HPの管理、更新と大変だとは思いますがこれからも頑張って下さい。
blackstar@msn.or.jp

Nさん004
御無沙汰しております。早速ホームページ拝見させて頂きました。 大論文ですね。じっくり読ませていただきます。MIDIファイルも 綺麗に鳴りました。
奥様にもよろしくお伝え下さい(ホームページ作りに没頭して 怒られていませんか?:))

Aさん003
こんにちは、再度メイルします。ちょうど今MIDIのサウンドを聞きながら書 いています。 やはり何事も集中と継続が大事だと思います。藤田さんのこれまでの活動の結果 がよくまとめられていると思いますがぜひさらに充実させてください。 ファイルはダウンロードさせてもらいましたのでこれからも会社のPCでたのし みたいと思います。家のPCはまだ購入していません、会社のノートブックやATARI 1040!!をまだ使っています。会社ではペンティアム・プロ200でがんばっています。 さらに家に持ち帰らないPCが2台あります。ペンティアム100とDX2・66です。

Sさん002
リメールありがとうございました。 初めての方とメールを交わすのはいつまでたってもワクワクするもの。 ですので、お返事を戴けると嬉しさもひとしおです。
リンクの件もありがとうございます。早速リンクさせて戴きます。 日本でのバッハ関係のリンクがどんどん広がって行くことを願って止みません。 同じリンク・ページのTさんもそんなきっかけで交流が始まりました。
熊本マリさんのファンクラブへのお誘いもありがとうございます。 ファンクラブの会員になるのでしたら、ちゃんとした惚れ込みの思いを以って 入りたいと思います。いい機会ですので、熊本マリさんの演奏をいろいろと 聴いてみたいと思います。 音楽はバッハがメインですが、ヘヴィメタルからロックから演歌から アイドルから%%%%無節操です。バンド活動もやっています。 今後とも宜しくお願いします。

Sさん001
はじめまして。
突然ご無礼とは思いましたが、ホームページを拝見させて戴き感激のあまりメール をお送りします。
Yahoo!の新着で<ゴールドベルク変奏曲>の文字を見つけ出し、吸い込まれるよう にホームページを開けました。私もこの<ゴールドベルク変奏曲>という曲に魅せ られた人間で、もう20数年間ひたすらに聴き続けて来ました。そのせいかこの曲 に対する感性が麻痺してしまったのか聴いても聴いても飽き足らずどんどん深みに 落ちて行くばかりです。(^^;)
自分自身でもそんな半生?をバッハ叢書やさまざまな文献を紐解いたり、楽譜の考 察などして、行く行くは何かのカタチにしたいものだとかねてから描いていたので すが、毎日多忙であることを言い訳に何もしないまま今日に至っています。
その矢先、『知の音楽〜ゴールドベルク変奏曲』に出会って感激するばかりです。 詳細についてはこれからじっくり拝読させて戴きます。
なお、非公開同然ですが、私のAsahi-netのサーバにページがあります。参考 になるかどうか判りませんが、気の向いた時にでも覗いてください。
URL : http://www.asahi-net.or.jp/~pg6y-skt/goldberg/goldberg.html
e-mail:pg6y-skt@asahi-net.or.jp
(藤田・注;Sさんにはメールを勝手に公開した形になって、大変失礼しました。今後は、このホームページに寄せていただくメールは皆さん共有とするよう、あらかじめ表現しておきたいと思います。皆さんのご理解をお願いします。19970504)

皆さんからのお便りです。(第2部)@


どんどん追加します。メールは皆さんで情報を共有するため、このページに載ることを前提に送信していただくようお願いします。ただし、「知の音楽」の趣旨に沿ったものかどうかの判断は藤田の責任でさせて下さい。了解いただいた場合以外は、お名前は出さないようにします。また、公開を望まない場合や部分がある場合には、その旨メールに記して下さい。よろしくお願いします。

19970730 Kさんからのメールです。
熊本マリ・ファンクラブ会員です。
突然お便りします。
・・・(ファンクラブ)会報第12号(5月25日発行)で紹介されていたホームページ 制作中の記事を思い出し検索してみた結果、藤田さんのホームページに (www.people.or.jp/~imyfujita)たどり着きました。
マリさんに関するホームページと言うよりは(現状)、ゴールドベルグ 変奏曲とグレン・グールドに対する感動的な程に充実した情報量と情熱が強力に 伝わってくるホームページに感銘を受けました。 一見どころか百見の価値のあるホームページに触発されて、今また、 マリさんのゴールドベルグのCDを聴き直してます。
Kさん、メールありがとうございます。
熊本マリさんのファンになったのもゴールドベルグ変奏曲がきっかけです。カイザーリンク伯爵が、夜眠れないからといってゴールドベルク君の代りに美しい熊本マリさんに隣室で「私の変奏曲」をあのCDのように艶やかに演奏してもらったら、ますます、眠れなくなるかななどと思っています。

19970721 Sさんからのメールです。
はじめまして。Sと申します。
このサイトは「Goldberg Maniacs」から知りました。時々楽しませていただいております。 たまたま昨日、熊本マリのゴールドベルクを聴きました。 熱っぽい情緒の開花した非常に素晴らしい演奏だったと思います。 タッチも素晴らしかったし。
それで、今日はじめてそちらの解説を読んでいましたところ、 音律について少々誤解されているのではないかと思い、 老婆心ながらメールさせていただいた次第です。
 本文を引用させていただきます。
(9)音律@
 バッハは平均律クラヴィア曲集を作曲したので、いかにも現在使われ ている平均律すなわち等分平均律で鍵盤楽器を演奏していたかの印象が ありますが、バッハが平均律と考えた音律には中全音律やヴェルクマイ スターやナイトハルトの音律も含まれていたと推定されています。

「含まれていた」のではなく、この時代には今日言うところの「12等分平 均律」自体が「技術的」に存在していません。 この辺は古い音楽辞典でも誤謬をおかしているのでご注意下さい。
しかし、「等分平均律」は「理論的」には存在はしていました。 最初に「等分平均律」を記述したのはマラン・メルセンヌの『Harmonic universelle』(1636-7)です。ここでは半音周波数比を1.05946まで計算し ていますが、しかし実際に使用されたのはフレット楽器で、鍵盤楽器に使 われたのは19世紀半ばくらいのようです。
今世紀までは、「等分平均律」設定の支えである対数計算がほとんど一般 には困難な時代でありました。完全な周波数比による半音の測定は事実上 今世紀に入るまで不可能でした。ゆえに「12等分平均律」が技術として成 り立つのは、今世紀に入ってからのことです。しかも、ヴェルクマイスタ ー自身、このメルセンヌの理論は知らなかったようです。
 音律は理屈を理解するのに多少困難を伴う上に、その差異も微妙です から、あまり気にすることはありません。

差異は確かに微妙なのですが、音楽の印象が時によっては変わるほど効果 があります。特にピアノのニュアンスの違いを聞き分けられる耳を持つ方 なら、平均律と古典調律の違いははっきり分かる筈です。
そこでバッハは早速、平均律のための曲をつくったのでした。当時、調 律方法にはいくつかあって、代表的なものが中全律法、ヴェルクマイス ターやナイトハルトの音律法、さらに等分平均律法でした。バッハが等 分平均律法のみがよい調律法だと考えたかどうかはわかりません。どち らかというと中全律法やヴェルクマイスターの音律法のほうが普及して いたのです。

ここは完全に誤解があります。 バッハの言う「Wohltemperierte」とはそのもの「よく調律された」とい う意味でしかありません。「平均律のための曲」ではありません。 これが完全にヴェルクマイスターそのものであったかどうか、私自身確証 は得ていませんが、リューベックでのブクステフーデとの邂逅の際知り得 た可能性やJ.G.ヴァルターから知り得た可能性があり、ほぼまちがい なく、「Wohltemperierte」とはヴェルクマイスターの調律法を利用した ものであろうと推測されます。
バッハの「Wohltemperierte klavier」をミーン・トーンで聴かれたこと がありますか?フラットやシャープの多い調性の曲などヴォルフがひどく て聴けたものではありませんし、そもそもミーン・トーン自体、遠隔調の 作品にはほとんど使えません。ミーン・トーンはほぼオルガンが中心だっ たと思われます。
ゴールドベルク変奏曲の本当の響きを目指すなら、逆に、等分平均律の 世界から離れて、他の音律に挑戦することも意味があると思います。

最近はデータとして調律法も書き込むディスクが増えてきました。ヴェル クマイスターの第3番が一番多いようですが、ゴールドベルクだと、他に はフランス物にたまに使われるショーモンとかヴァロッティ、ヤング、ナ イトハルト、キルンベルガーあたりがあいそうですね。 ジャック・オッホのディスク(Blobe)はヴァロッティでした。 もともとこれらの古典調律は、ミーン・トーン5度のヴォルフをどのよう に逃がすかという改良法が出発点なのです。ここを理解して下さい。 ミーン・トーン5度を純正5度にいくつ置き換えるかで、 ミーン・トーン改良法とWohltemperierteとに分けられる旨書かれている 研究書もあります。基本はそこにあります。 とにかく、バッハ=平均律という誤解は、ヘルムホルツやリーマン以来の ものなので、権威に弱い日本人はなおさら固く信じているようです。
長々と申し訳ありませんでした。
Sさん、メールありがとうございました。音律は、私にとってはなお理解しにくい問題です。でも、とても良く知っている方がいるのですね。以前ローランドのSC−88を持っていたとき、平均律以外に挑戦しようと思ったこともありましたが、面倒になり中断してしまいました。たしかに、バッハは「良く調律された」クラヴィアのための曲を作ったのですし、当時周波数測定器はなかったでしょうから、バッハ自身が「良く」調律する方法で調律していたと思います。それは、現在の等分平均律ではないはずです。それに現在でもプロの調律士の方々は全ての弦について周波数測定器を使っているわけではないのです。そのうえ、「調律カーブ]というものがまた別にあって、現代のピアノが等分平均律に完全によっているかというとそうでもありません。 ゴールドベルク変奏曲の場合にはト長調で#が一つですから、古典調律が本当にあうのかもしれませんね。


19970715 Tさんからのメールです。
なんとも凄いホームページで驚いております。 私も、グールドの演奏には興味を持っておりました。 ただ、ゴールドベルクに関しては再録音よりも旧録音の方が好きです。不眠症の 為に書かれたこの曲を旧録音の演奏ではたぶん寝ることは出来ないでしょうけ ど。
それと、ランドフスカのSPは6枚組です。CDとかLPレコードと違って蓄音機で聞 くハープシコードの音色も素敵ですよ。
それでは、これからも楽しみにしています。
Tさん、メールありがとうございました。私は再録音も旧録音もどちらも大好きです。ランドフスカのSP6枚組がCDで出ています。蓄音機からのハープシコードの音色も素敵とは思いますが、蓄音機をまわしているうちに眠ってしまっては大変ですから、結局眠れないでしょう。

19970712 Oさんからのメールです。
はじめまして
一曲の作品からこれだけのHPをつくられたことその熱意と見識に感嘆しております。 私はバッハを主に聞き続けて25年、しかしなんの見識も持ち得ないミーハーファンです。
そのミーハーから戯れ言をば・・・
@グールドのゴルドベルクは何度聴き入っても私の理解を超えます。彼のモーツァルト/ソナタ集は何の抵抗なく聴けるのですが、ゴルドベルクは聴くたびに全身脂汗となり、心臓が強拍動します。最近は健康に悪いので?しばらく聴いていません。怖い物みたさでCDを手にはとるのですが、トレイに乗せる気がおきません。はっきり言って恐ろしい演奏です。ところで最近グールドを思い起こす演奏に出会いました。どっかのサイトにあったMIDIファイルによる演奏です。レコ芸風に言えば、「彼の演奏はペンティアムな感覚美が特筆されよう」かな・・・。

A脂汗をかいたといえば、カール・リヒター最後の来日公演、雨の日の石橋メモリアルで聴いたゴルドベルクは気を失うくらいに悶々しい演奏でした。今でも私のベストはリヒター盤なのですが、この日の演奏はレコード演奏のそれとはまるで違い、狂人博士が怪人を呼び覚ますがごとくホラーな様相を呈していました。リヒターが亡くなったのはそれから間もないことでした(死因は公然の秘密になっているそうですが・・)。自分も死ぬ前にはあんなことしてみたいと思う今日この頃です。

B私は人に推薦盤をきかれたら(滅多に聴かれませんが・・・)ヴァルヒャ盤を推薦します。おそらくいままで私の聴いた演奏の中でもっとも作為がなく、音楽が自然に蕩々と流れるからです。ゴルドベルグの真の美を見つけるには、この演奏姿勢がもっとも適していると思うんです。パトスは聴くものが呼び起こすもの、演奏自体はそれを邪魔にしてはいけません。演奏者が作為しなくても十分な内容が曲自体にあるのです。ですから最初の1枚の方にはこれを紹介することにしています。
わけのわからんことばかり書いて恐縮しておりますが、これからもこのHPのご発展、大いに期待しております。
Oさんはどのグールドの演奏を聴いておられるのでしょうか。1955年、1981年その他にもあります。1981年の演奏ならOさんをきっと癒すはずと私は思います。

それから、このHPのMIDIデータによる演奏について、感想をお寄せ下さい。(藤田)
19970712 Bさんからのメールです。
はじめまして
「知の世界」のHPを見させていただきました。 私はクラシックには詳しくないのであれですが 「ゴールドベルク変奏曲」に ずっと聞き惚れていました。(^o^)
今回、メールを送らせてもらったのは、 私のHPで「ゴールドベルク変奏曲全曲 」を 使わせてもらえないかと思ってメールさせてもらいました。
メールありがとうございます。 このHPの内容は、全体として著作権の保護がかかっていると思います。 特にMIDIのデータは、それなりの作業と努力の成果だと 自分では思っています。 でも、皆さんにそれぞれ自分のゴールドベルク変奏曲を作って欲しくて HPに公開している次第ですから、 自由に変更したり、演奏したりしていただきたいと思います。 でも、リンクを張ってくれるのは大歓迎ですが、 他の方のHPにそのままのってしまうのは、 なんだか、とても割り切れない気がします。 そこで、MIDIのデータをHPに使っていただく際には、 そのデータの作成者(この場合、藤田伊織)と リンク先(www.people.or.jp/~imyfujita/) を明記していただくことを提案します。(藤田)

19970706 音楽の専門家の宮澤淳一さんからメールをいただきました。
はじめまして。ネットサーフィンをしておりましたら、 藤田さんの《ゴルトベルク変奏曲》のページに飛び込みました。 《ゴルトベルク変奏曲》のこと、グールドのこと、 いろいろな内容が盛り込まれていて楽しいページのようですね。
ひとつ気がついたのですが、グールドの《ゴルトベルク変奏曲》の 1954年の放送録音が「エアチェック」であったことへのご言及に 小さな誤解があるように思いました。
「エアチェック」というのは 第1義としては、放送局が生放送を同時録音することを意味し、 リスナーがラジオで放送番組を録音することは第2義です。
このグールドの放送録音の場合、第1義に相当し、 生放送で弾いたときに放送局で同時録音していたアセテート盤を グールドが持ち帰り、死後発見されたのです。
(事情の詳細につきましては、日本コロムビアから発売された 国内仕様盤の解説に書きましたが、あらましは以上のとおりです。)
それにしても1954年録音の主情性はどこへ消えてしまったのか……
いろいろ考えさせる演奏ですね。
ページがさらに充実したものになりますように! (またときどき拝見いたします。)
宮澤淳一
***************************************
Junichi Miyazawa, Tokyo
walkingtune@bigfoot.com
***************************************
http://www.wisteriafield.com/Vienna/3739
宮澤淳一様
メールをありがとうございました。
ご指摘の件「エアチェック」は、私の早とちりでした。 William Aideさんの解説の「Techinical Notes by Peter Cook」の airchecks のところで思考が停止してしまって、きちんと読まなかったのが 原因です。
ですから、電波が空中を飛んでいるうちにグールドのハミングが消えたのかもしれない、というのは、訂正しなければいけません。 ご指摘ありがとうございました。

19970617 礒山 雅 先生から次のメールをいただきました。
 HP拝見。情報量の多さと徹底性に、度肝を抜かれました。近いうちにリンクを張らせてください。
 「眠り」は、バッハの音楽においてたしかに重要なキーワードになるものです。声楽曲のテキストを参考にされたらいかがでしょう。たとえば、《マタイ受難曲》のテノール・アリアにおける「目覚め」と「眠り」の同義性など、意味深長ですよね。
 それから、アンナ・マクダレーナの「思い出」は、20世紀の偽書であることが立証されています(←著者が、フォルケルやシュピッタを見ながら書いた)。これを引くと論証がかえって弱くなってしまうので、直していただいた方がいいと思います。
 ともあれ、学生がこれほどの意気込みで勉強してくれたら、どんなにいいかと思いました。発展を祈ります。
                           発信者:礒山 雅
                        TX3T-ISYM@asahi-net.or.jp
                          ProfISOYAMA@msn.com
                          NAG01636@niftyserve
礒山先生
メールをありがとうございました。
ところで、アンナ・マクダレーナの「思い出」はとても良くできたお話で、本屋さんで見つけて私も感動しながら読んみました。でも、誰も特に専門の方々は言及しないので変だな、もったいないなと、思いながらホームページを組んでいましたが、HP公開の直前になって先生ご指摘のとおり、後世の創作であるとの資料にたどりつきました。
それで、引用するすべての部分で修正なりコメントをつけたつもりですが、まだ不十分だったと思います。

19970624 沖縄のOさん
こんばんは。たいへんすばらしいホームページだと 思いました。私は最近になってバッハの曲に魅力を 感じはじめ、もっとよりくわしい情報を求めて インターネットで検索していたのですが、いろいろ 見た結果あなたのホームページに一番親しみを感じ ました。
これからもがんばってください。
Oさんメールありがとうございました。 沖縄の方ともこのように情報の交流ができるのは素晴らしいことです。これからも内容を充実していきますので、どんどんアクセスして下さい。

皆さんからのお便りです。(第3部)@


どんどん追加します。 と言っても、メールが最近めっきり減りました。再度皆さんに見ていただくために 新しい企画を追加します。ご期待ください。 メールは皆さんで情報を共有するため、このページに載ることを前提に送信していただくようお願いします。ただし、「知の音楽」の趣旨に沿ったものかどうかの判断は藤田の責任でさせて下さい。了解いただいた場合以外は、お名前は出さないようにします。また、公開を望まない場合や部分がある場合には、その旨メールに記して下さい。
よろしくお願いします。

Yuさんからのメールです。1997/11/19
こんにちは。クラシック音楽の中でも特に バッハの音楽が好きなので、音楽関係の サイトをあちこち見ているうちに、偶然、ここの HPにたどりつきました。今、第一部を読み終わったところでこれを書いています。
この先を読むのがとっても楽しみです。
バッハのクラヴィア曲のなかでも、この変奏曲は質・量とも 頂点に立つ音楽だと、僕も思います。CDは持っていないのですが 20年ほど前に買った、ヘルムート・ウ゜ァルヒャの演奏したものの レコードを愛聴しています。特にVar.19のリュート・ストップの部分が 気に入っています。
僕は、北海道に住んでいますが、去年と今年と2回、ゴールトベルク変奏曲 を聴く機会がありました。去年は小林道夫さんのチェンバロ演奏会のなかで 数曲、抜粋で、今年は札幌のKITARAホールで、高橋悠治さんのピアノ・リサイタル で全曲聴くことができました。これだけ短期のうちに、古典的なスタイルと 現代的な解釈で同じ曲が聴けたことは、幸運でした。改めてこの曲の 普遍性みたいなものを感じましたし、この曲の持つ魔力的な吸引力に みなさんが惹かれる理由もわかったような気がしています。
どうか、永く続けてくださいね。
高橋悠治さんのゴールドベルク変奏曲はまだ聴いていません。北海道でこの曲の演奏を ライブで聴けるのは、ほんとに幸運ですね。第2部も面白いですから是非読んでください。

京都のYさんからのメールです。1997/11/28
はじめまして ぼくは京都の大学に通う学生です。別に音大生でもないし昔ピアノを習っていた程度 ですが、ゴールドベルグ変奏曲に限らずバッハはとても好きです。このページもサー チエンジンでバッハといれてたどりつきました。最近すごく下手ながらにもイタリア 協奏曲を練習しています。皆さんのメールをみるとみんな専門的な意見が多くて驚く ことが多いです。MIDIをちゃんと聞きたいのですがなにしろ大学のパソコンなんで あまりおおっぴらには聞けないのが残念です。ともかくもこれからも時々寄らせていただきたいと思います。
Yさんメールありがとう。

香川のIさんからのメールです。1997/11/06
こんばんは 私は香川に住む女子高生のIといいます 普段はX−ファイルのジリアン・アンダーソンという女優が好きという理由と 映画が大好きでその情報集めのためにインターネットをやってるんですが  ピアノや楽器を弾くのが好きなので最近はクラシック曲や自分の好きな曲の MIDIファイルを探し回ってます で 私が最初に見つけたかったのはバッハの「ブランデンブルグ協奏曲」 なんです でもそのファイルが見つからず(たぶん見つからないのは 私が正式名称を知らないためだと思うんですが)いろいろ見て回っていた のです そしてあなたのページでこの曲を聴いたわけですが この曲はご存知かも知れませんが最近話題になっている映画 「イングリッシュ・ペイシェント」でジュリエット・ビノシュ演じるハナが 壊れたピアノに弾く曲なんです 「イングリッシュ・ペイシェント」は劇場でも 含めて 3,4回見たんですが やはりあの曲はステキです あなたがこの曲に魅せられるのもよく分かります なにやら支離滅裂な文になってしまいましたが これからもお付き合いして下さるなら光栄です では
Iさんメールをありがとうございます。同じ音楽を好きな人とこうしてお話ができるなんてうれしいですね。私も「イングリッシュ・ペイシェント」を見ました。心にしみる映画です。それに本当に映画のなかで、ゴールドベルク変奏曲が使われていました。教えてくれてありがとう。

Nさんからのメールです。1997/10/26
 藤田さん、そしてこの公開メール集のみなさん。こんにちは。  わたしのバッハの音楽の付き合いは約12年ほど、G.グールドとの付き 合い(CD上の)はかれこれ5年ほどになりましょうか? わたしの音楽 聴取ライフはジャパニーズ・ポップスやフュージョンなどがメインで、 (片手間に)バッハが入っている、ような感じの変則的なものです。こ んな場違いなところにメールを出して(それもひょっとすると公開され てしまう。)しまうのは、どうかな?っては思いましたが、あえて「さ さやかな声」を送らせていただきます。  バッハの演奏家でCDを買うときに選んでいたのは、当初はキース・ ジャレットやK.リヒター等だったのですけれども、自ずとグールドも視 野に入ってきました。「これはお定まりである」なんて発言すると、そ れは露骨な「ヨイショ!」に聞こえてしまうでしょうか?  本年(1997年)5月20日にわがパーソナル・コンピュータ(それは DOS/V機である)がAOLというブラウザ・ソフト提供社とインターネッ ト・サービス・プロバイダを兼ねたような変則的な業者によって(当時 のバージョンのネットスケープ・ナビゲータが日本電気のやっているプ ロバイダでなぜか接続できなくて、ダメモトで、えいやっ、で売り出し 中の当時のAOLの雑誌の付録みたいなCD-ROMに一縷(る)の望みをたくし たのであった。)、ようやっとWWWが開通したとき、せいぜい5番手ぐら いの訪問ホームページにここを選んだのでした。  その後、、本日、改めてここのサイトを「探索エンジン」経由で来た とき、第10250番目の訪問者だと知って、少なからずショックを受けまし た。「なんて(想像よりも)少ないアクセス数だ。」って。課金とNTTの 支払いが大変な額になると困るので、今回も長時間は「変奏曲」を聞く わけにはいかなかったけれども、地味なホームページだとは言え、現在 の10倍・20倍のアクセス数を経験していてもいいサイトだとつくづく考 えます。そして、パソコンはわたしは「素人に毛が生えたていど」だと 自覚しているんですけれども、MIDIで聞く「変奏曲」を実際に耳にした とき、「テクノロジーの勝利だ!」と「まるで明治初期に陸蒸気を初め て驚きの目で以(もっ)て眺めた先人たちのような」認識を持ってしま いました。  みなさん各自の「変奏曲」がどうか、今後も長きに亘(わた)って輝 いていますように。
「なんて(想像よりも)少ないアクセス数だ。」「地味なホームページだ」 と、的確な評価ありがとうございます。メールのタイトルが「全音楽ファンのマスト・ サイトかな?」でしたので、マストとは、何だろうと一瞬首をひねってしまいましたが、 楽しいメールでした。今後も続けてアクセスしてください。どんどん追加・修正していきますから。HPの途中からアクセスするとカウンターが増えないので、是非表紙部分すなわちindexページに行ってください。

コロラドのE・Hさんからのメールです。1997/10/26
I read your first section on Glenn Gould and "Music of the Intellect" and was hoping you had completed the section "under construction". Will you be completing it soon? How did the midi/digital piano help you understand it more clearly? I live in Colorado Springs, Colorado but spent 10 years teaching English in Company classes and to college students in the Tokyo area. I enjoy all kinds of music except rap and c/w. While in Japan, I studied the Japanese koto but lack a sensei here in Colorado Springs so I struggle on my own. I now wish I would have studied the shakuhachi since my previous musical training was with the trumpet. Please let me know when you expect to finish your work! Take Care.
なかなか時間がなくて英訳が進みません。「こりゃ秀英」もうまく働きません。 とにかく、外国でも見る方がいたことに感激しています。 なんとか、要望にこたえることにいたします。

Cさんからのメールです。1997/10/20
ゴールドベルグ変奏曲がこんなにもミステリアスな音楽だったとは知らなかったで す。グレン・グールドの演奏も以前から好きだったので、楽しく読みました。
楽しいことはよいことです。「ミステリアスな音楽」の表現はいいですね。 メールありがとうございました。

Mさんからのメールです。 19971012
大変な労作を載せられていること、まず脱帽です。
この変奏曲は私も大好きで、いろんなCDを漁っています。熊本マリさんのも近いうちに手にいれようと思っています。
いままできいたこの録音でいちばんすきなのは、じつは10数年まえのFM放送の「演奏者不明」の録音なのです。もうすりきれて音もわるくなっているのですが、捨てられません。
MIDIに興味をもつようになってまだ日が浅いのですが、私もBachとMIDIのページを作りました。音色で楽しむという趣旨のページです。いちどご覧になってください。ご批評いただければうれしいです。
--
tanzan@fuji.email.ne.jp
丹沢のページ http://www.asahi-net.or.jp/~ya9t-mtm/
メールありがとうございました。10数年まえのFM放送の「演奏者不明」の録音とは、一体誰の演奏でしょうか。それを調べる方法があります。私は2、3か月前に、あるシャンソンの題名が知りたくて、アメリカでHPを開いている方に、問い合わせをしました。その時、その歌の冒頭部分を.wavファイルにして添付しました。そうしたらすぐに返事がありました。インターネットメールのすごさを再認識した次第です。Mさんも試してみたらいかがでしょう。

宮澤淳一さんからのお便りです。971003
ごぶさたです。ご存じかと思いますが、 念のためお知らせいたします。
ソニー・レコードより「グレン・グールド・オリジナルジャケット・ コレクション」シリーズが10月1日と11月1日に発売されます。
10月1日分にグールドの《ゴルトベルク変奏曲》(1955年録音)が 昔の、最初の黄色いポジのジャケットのものが入っています。
一種のLPのミニチュアですが、それなりに存在感がありますので ぜひ店頭でご覧になってください。
また今回の盤ではグールド自身の解説の翻訳を依頼され、 新訳を試みました。さらに、1ヶ所訳注を付けまして、グールドが フォルケルの『バッハ伝』の逸話を誤解していたことにも触れました:
 (注釈)この逸話はフォルケルの『バッハ伝』(1802年)に由来  するが、それによれば、伯爵の求めたのは「眠れぬ夜を楽しく  過ごせる穏やかで快活な音楽」だったのであって、一般に思  われている「睡眠薬」ではなかった。……
ではまた。
宮澤淳一
宮澤淳一さん。いつも大変参考になる情報をありがとうございます。
知りませんでした。既に1955年のCDはあるので、ジャケットや宮澤さんの解説が 欲しいのですが、無理でしょうね。

いぐピョンさんからのお便りです。970813
はじめまして。
私は、福岡在住のピアノ教師です。
素晴らしいホームページに感動しました。
ぜひ、私のページからリンクさせて下さい。
バッハもグールドも大好きです。
ゴールドベルク変奏曲は、いつか弾いてみたい曲の1つです。
藤田さんのページも勉強の参考にさせていただきますね。
これからも頑張って下さい。
_/_/_/_/_/_/_/イグぴょん_/_/_/_/_/_/_/
http://www.bekkoame.or.jp/~igupyon/
igupyon@aqu.bekkoame.or.jp
_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
お便りありがとうございます。
ホームページを開いていると、離れている方や、初めての方からもこうしたお便りが いただけてとても楽しいですね。
イグぴょんさんのホームページも見せていただきました。
バッハの音楽は素敵です。もし、MIDIのピアノで演奏していただければ、私のHP でもアクセスしたいと思います。

ねぎさんからのお便り970810
「知の音楽、ゴールドベルク変奏曲」のページをいつも拝見しております。
その内容の濃さに加えて、ページの内容の進展にその都度感心してしまいます。
このたび、「バッハ・ライブカフェ」のページより、「知の音楽、ゴールドベルク 変奏曲」のページへリンクをはらせていただきましたので、ご連絡いたします。
さて、バッハ・ライブカフェでは、現在(8月一杯の予定)、「世界のゴールドベ ルク変奏曲特集」として、インターネット上のゴールドベルク変奏曲のある幾つか のページにリンクし、またその曲にもリンクして聴けるようにしています。
この中に、是非、藤田さんの「知の音楽、ゴールドベルク変奏曲」のページへのリ ンクと、そのアリアと変奏曲へのリンクを追加したいと願っております。
どうか、この件について、ご検討いただけないでしょうか?
嬉しいご返事をお待ちいたします。
バッハ・ライブカフェのURL:
http://www.asahi-net.or.jp/~kr6t-ngs/bach.html
メールアドレス: kr6t-ngs@asahi-net.or.jp
                       ねぎ氏
すぐに「リンクをお願いします」と、お答えしましたが、私のほうの メールの設定がうまくなくて連絡に手間取ってしまいました。 失礼しました。

皆さんからのお便りです。(第4部)@


どんどん追加します。 再度皆さんに見ていただくために 新しい企画を追加しました。 メールは皆さんで情報を共有するため、このページに載ることを前提に送信していただくようお願いします。ただし、「知の音楽」の趣旨に沿ったものかどうかの判断は藤田の責任でさせて下さい。了解いただいた場合以外は、お名前は出さないようにします。また、公開を望まない場合や部分がある場合には、その旨メールに記して下さい。
よろしくお願いします。

Hさんからのメールです。19971215
はじめまして、Hと申します。

たいへん有名な飯尾氏のリンク集より、「全曲のMIDIデータ」に惹かれて 接続した者です。[データは個人で楽しませていただきます。たいへんに根気 の要る作業に敬服いたします]

好きな音楽も、ごく広く、かなり浅くの域を出ない接し方ゆえ、とても「知の 音楽」を云々できる分際ではないのですが、ハープシコードやピアノしかない だろうと思って覗いた資料のページに、フッソングによるアコーディオン版や シトコベツキの弦楽合奏版がありましたので、「編曲物も完全に無視している 訳ではなさそうだ」と安心して、この電子メールをお送りすることにした次第 です。

何を申し上げたいのかと言いますと、ハープシコードやピアノ以外の演奏など、 資料のページを補うべく、僭越ながら情報差し上げようということです。

まずフッソング(アコーディオン)版について「不明」とのことで、それから ご紹介しましょう。これは国内発売仕様(といっても日本語解説がついただけ で実際は輸入盤ですが…)では、IDC-7202(ポリグラム)です。原盤は、CTH- 2047 (ドイツのTHOROFON Record)。1988年の録音です。また、全曲の演奏時間 はクレジットによれば、55'23"です。

高橋悠治のピアノ版も全曲演奏時間が抜けていますね。同演奏は、クレジット によれば、36'50"です。

また、武久源造(ハープシコード)の録音が未収録だったのは惜しかったです。 園田高弘と同じく1994年に録音されているもので、貴重な邦人録音としてぜひ とも収録してほしいと思います。CD番号は、ALCD-1013 (コジマ録音)です。 残念ながら手許にないので演奏時間についてはごめんなさい。

次にシトコベツキの弦楽合奏版について。これは、実際には弦楽オーケストラ (4-4-3-2-1)にハープシコードが加わっています。録音は1993年です。なお、 「シトヴェツキー」は誤りで、シトコヴェツキーとするべきでしょう。(私は ヴァヴィヴヴェヴォという表記が個人的にあまり好きではなく、また、最初に 接した「シトコヴェツキ」という表記で慣れているとのふたつの理由により、 以下「シトコベツキ」と表わすことにします)

そして、そのシトコベツキが弦楽合奏(+ハープシコード)版のレコードを録音 するよりずっと前の1984年に録音したのが弦楽三重奏(vn,va,vc)版です。CD は、原盤は C 138 851 A (ORFEO)てすが、国内でもOCD-2018として当時の日本 フォノグラムから出ていました。現在は同社はありませんので、どこかが引き 継いでいれば別の番号でしょう。全曲演奏時間は、クレジットによれば56'12"。

ここで藤田さんに声を大にしてお伝えしたいのは、シトコベツキが編曲をする きっかけになったのは、かのG.グールドの演奏に他ならないということです。 弦楽三重奏版のほうは、DOBLINGER のミニチュア・スコアが容易に手に入ると 思いますが、楽譜の冒頭には次のように記されています。

Diese Transkription ist dem Andenken von Glenn Gould(1932-1982)gewidmet

バイオリンは編曲者のドミトリ・シトコベツキ。ビオラはジェラール・コセ、 チェロはミシャ・マイスキーです。私は、彼らのレコードで初めて第30変奏の 美しさに大きな感動を覚えました。

さて、以下は参考に、録音順に3つほどご紹介します。

1986年(第1部),1987年(第2部)の録音。ジャズ・ピアニストのジョン・ルイス が発表した「チェス・ゲーム」というレコード。発売当時は日本フォノグラム。 32JD-10001(第1部),28JD-10060(第2部)という番号のCDがあったようです。 (私はLPしか持っていません。)夫人のミリヤナ・ルイスのハープシコード も加わっての演奏。おおむね原曲提示と即興演奏のスタイルです。演奏時間は、 手許の資料によれば、第1部が45'59"、第2部が49'24"という長大なものです。

1987年録音。ジャン・ギヨーによるオルガン版。編曲者は演奏者で、「展覧会 の絵」(ムソルグスキー)のレコードも出している人ですので、編曲大好き人間 としては世話になっています(笑)。輸入盤で、番号は DOR-90110 (アメリカ のDORIAN RECORDINGS)。国内発売仕様もあったようですが、よくわかりません。 全曲演奏時間は、クレジットによれば53'56"。

1996年録音。もともとハープシコード奏者の宮尾祥子によるシンセサイザー版。 「現代バッハとの出会い」と題されている。もちろん編曲は宮尾自身。これも 輸入盤(日本語解説あり(!))で、番号は 91 2466-2 (スロバキアのOpus)。 全曲演奏時間は、クレジットによれば73'37"。

ところで、レコードこそ持っていませんが、かつて(あるいは今も(?))FM ラジオで流れていた新潮社のコマーシャルも「ゴルードベルク変奏曲」でした。 私がまだ原曲を知らなかったころの話で、編曲は完全にポップスでしたけど、 「なんかいい曲だなあ」と幼い感想を抱いたものです。以来、私の大好きな曲 のひとつとなり、小林道夫氏のハープシコードによる全曲演奏会にもしばしば 楽譜持参で足を運ぶほどになりました。

このたびのMIDIデータ入手もたいへん喜んでおります。「知」の探求には ほど遠い私の音楽生活ですので、私のような者に楽しまれるということは場合 によっては不本意かもしれませんが、大きな心で、何とぞお許しくださいます ようお願いします。

長くなりました。これにて失礼いたします。今後もすばらしい情報発信を継続 されますように。

貴重な情報を送っていただきまして、ありがとうございます。私としては ゴールドベルク変奏曲はピアノの演奏がよいと思っているのですが、 バッハとグールドのバーチャル対話のなかではいくつかのカノンを ピアノ以外の音で鳴らしていますので、また聴いて見てください。


Nさんからのメールです。19971224
はじめまして,Nといいます。

藤田さんのホームページはブックマークして、ときどき のぞいています。

バッハは、以前はあまり好きではなかったのですが、 マタイ受難曲を聞いたことがきっかけで好きになりました。 それに、ゴールドベルク変奏曲に関しては、はじめ イタリアのマリア・ティーポという女性のレコードで聞いたのですが、 実はそれを聞いたとき、分けのわかんない、面白くも何ともない 曲だなーとがっかりして(というのは人からすごい曲だと聞いていたので) だいぶ長い間聞かなかったのです。ところが、ある時別の人とバッハの 話をしていて、僕なら無伴奏チェロを推薦すると言ったところ、その人は グールドのゴールドベルクを教えてくれたわけです。同じ曲なのに、 何という違いなんでしょうねえ。

ところで、初めてメールを差し上げたのは、実は、私はフランスの思想家 ジャン=ジャック・ルソーの研究をしています。このルソーというのは、 『エミール』とか『社会契約論』などで有名ですが、実は音楽家なのです。 しかも日曜音楽家というのではなく、本職が音楽家だったのです。フランス・ オペラでは有名なラモーとも論争をしているくらいの人なのです。そのあたりの ことは私のホームページを見ていただくとして、私のホームページで、ルソーの 作曲したオペラやモテットなどを紹介したいのですが、どんなふうにしたらいいのか よく分からないのです。それで、教えていただけないだろうかと思って、メールを さしあげた次第です。

藤田さんのホームページのようにアクセスするとすぐ曲が流れ出すというように するには、どうしたらいいのでしょうか。そういうことも含めて、ぜひご教示くだ さい。

ジャン=ジャック・ルソーが実は音楽家だというのは知りませんでした。
ところでホームページで音楽を扱うことについては、2年ぐらい前から取り組んできて います。いまでは簡単になりましたが当時はなかなか難しくというかわからなかったので 苦労しました。ところで皆さんのシステムでMidiのデータはきちんと演奏されている のでしょうか。


皆さんからのお便りです。(第5部)@


メールは皆さんで情報を共有するため、このページに載ることを前提に送信していただくようお願いします。ただし、「知の音楽」の趣旨に沿ったものかどうかの判断は藤田の責任でさせて下さい。了解いただいた場合以外は、お名前は出さないようにします。また、公開を望まない場合や部分がある場合には、その旨メールに記して下さい。
よろしくお願いします。

Tさんからのお便りです。99.04.22
はじめまして。京都で学生をしているTというものです。
何気なくゴールドベルクについて、ホームページってあるのかなと思って検索して みたら、こんな、宝の山のようなサイトを発見して、とても喜んでおります。
1年ほど前、初めて“Goldberg”を全て通して聴きました。’81グールドでした。 それまでも、曲の存在そのものについては知っていたのですが、聴く機会が無く、 実家にあった『ソニー・ベストクラシック100』とかいう、ほんのさわりの部分だけ が100曲入ったCDのなかの、”Aria"最初の8小節くらいを繰り返し聴いて、 ピアノで弾いてみるといった程度でした。
専門的な音楽の知識はないし、演奏の善し悪しなんてまるでわからない僕でも、 『この演奏はとんでもないものを内包している』と直感できるくらい強烈なもので した。なんて事を僕なんかがグダグダ書くのも気が引けるので、最近、ぜひ聴いて みたいなと思っていることについて、ちょっと書こうと思います。
それは、“Goldberg”全曲を混声四部の合唱で聴いてみたいというものです。幾重 にも複雑に絡み合う旋律をこれほど楽しめる試みは他にないんじゃないかと思って います。どのパートにどんな旋律を割り振るかも難しいですし、1時間近く声を出し 続けなければならない歌い手もしんどいでしょうけど(それに第28・29変奏なんて 歌えるのか?)。
ホームページを拝見していると、弦楽合奏はされているようですが、まだ合唱とい う形では奏でられていないようなので、どなたかにチャレンジして頂きたいなと、 切に願っています(それとも、もうすでに誰かが試みているのでしょうか?)。

次はサウンドコラージュへ回答を寄せられた方のお便りです。
コメント : まったくの素人で、アリアにトライ中ですが、 ピアノの指使いがわからなく苦労してます。
何かよい情報ありませんでしょうか?

コメント : 私は、教育学部音楽専攻3年生です。今度、4年生になります。 今は、卒業演奏会の曲決めで悩んでいます。
バッハの剤為塚湶Dきなのですが、これは長時間に及ぶので、卒演 には適してないですよね・・・。(持ち時間は、10〜15分)
このホームページはおもしろいですね。こういうのを探してました!

コメント : 楽しかったです。
私はパソコンをやっているときはいつもバックでゴールドベルク変奏曲を流していますが、飽きたと感じたことがありません。いつも大好きです。死ぬまでに弾けるようになりたいと本気で思っています。それに満足することはないでしょうが・・・。

Tさんからのメールです。
案外、解答する人は少ないのですね。
未だ、忙しくてゆっくり見てみる暇はありませんが、大変すばらしい サイトのようですね。
コラージュも面白い、もっと難しくしても良いかも知れません、 というのは、小生ゴールドベルグを意識して集めていた訳では ないのですが、22種類ほど数えたらありました。:-_)
Gould(ザルツブルグ、81年)、カニーノ、ニコラーエワ(1970 RELIEF) ロドマー(ギター)、キースジャレットあたりがこのみです。
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