憲法制定権力     民主主義 平和 国民の総意   革命権

法の窮極に在るもの


唯物史観            国際正義と世界経済 

終戦後の1年半も経ぬ内に書かれた驚くべき思索
法哲学の冒険と希求


読者の皆様。
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法の窮極に在るもの

(法の究極に在るもの)

尾高朝雄 著

1946年(昭和21年)12月25日 著

電子テキストデータ化 藤田伊織 2020.08.30

original from 国立国会図書館:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1281297
English Version: What exists in the ultimate of Law?



尾高朝雄先生は執筆当時は東京大学法学部教授(法哲学)でした。歯の治療中にペニシリン注射でショック症状を起こし1956年5月15日に57歳で死去されました。1956年5月に亡くなられたため、その著作物の著作権保護期間は2007年1月1日に終了しています。現在の2018年に改正された著作権法は遡及しないので、この著作物については、すでに著作権保護期間の終了が明らかです。これについては、この著作の出版元である有斐閣の確認をいただいております。私としては、この著作物がもっと広く読まれ、研究され、外国語に翻訳されることを期待して、このたびウェブページを公開する次第です。公開された電子データになっていないと、読むことができる人が限られているだけでなく、研究や、特に翻訳が進みません。私、藤田伊織としては、この日本語文の公開に引き続き、これから英訳をしてそれを公開する所存です。時間がかかるとも思いますが、小説などとは違って論理的な文章なので、テキストが電子化されていれば、AIの翻訳でも、世界の皆さんには判読できるかもしれないので、それも期待しています。なお、電子テキスト化にあたって、基本的に現在の漢字、語法にあわせることを了解いただきたいのですが、旧字体の雰囲気も残したくなったので、結構混在してしまいました。ただ、電子データですので、すぐにネットで調べられます。それを活用してお読みください。
また、尾高朝雄先生は昭和23年に出された当時の文部省制定社会科教科書「民主主義」も実質的に書かれています。少年少女に向けて、民主主義とは何かを熱く語りかけています。これもお読みいただければ幸いです。

ご意見等は imyfujita@gmail.com  にお願いします。誤字・脱字についてもお知らせいただければ、幸いです。

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はしがき

00001 この数年間、筆者が最も力を注いで来たのは、法と政治の関係の問題であった。實定法(以下、実定法)の現象を考察すると、法は政治によって作られるし、また、しばしば政治によって破られる。それを見ると、法の窮極(以下、究極)に在るものは政治の力であると考えざるを得ないようになる。単に、法そのものが政治の力によって動かされるばかりではない。それにつれて、法を研究する學問(以下、学問)も、政治に対する客観性を維持することができなくなって、政治動向への追随に浮身をやつすようになる。しかし、かくては、法も法學(以下、法学)も政治の傀儡に堕してしまう外はない。こういう趨勢に対して、何とかして法および法学の確乎たる自主性を基礎づける道はあるまいか。ーーそれが、昼夜を問わず著者の脳裡から離れない主題であった。

00002 本書は、この主題について書いたいくつかの論文を解きほぐし、それに、残された重要な問題に関する部分を新たに書き加え、全体として一応のまとまりをつけたものである。新たに書き加えた部分には、唯物史観に対する批判があり、国際法の根本理念についての考察がある。ともに、著者の力に余る大問題である。しかし、政治の圧力がいかに強大であっても、経済の法則がいかに一切のイデオロギーを無視して作用するように見えても、その更に根柢(以下、根底)には、政治の矩となり、経済に方向を與える(以下、与える)ところの法の理念が儼存(以下、厳存)するという著者の信念は、つたないながらに全篇(以下、全編)を通じて表現されているであろう。

00003 政治が法を破って恬として省みないというのは、第二次世界大戦終結にいたるまでの大きな風潮であった。獨裁(以下、独裁)主義の政治動向が昂然として民主主義的法治国家の法を破り、いわゆる枢軸側の國々(以下、国々)が嵩にかかって国際法を破ってその政治目的の達成を圖(以下、図)ったごとき、それである。戦争の結果は、こうした傾向に一つの終止符を打った。法を破る必然性を力説する点ではむしろ急先鋒というべき共産主義も、「合法的」な枠の中でその活動をつづけるという態度に歸著(以下、帰着)しつつある。国内の矯激(以下、過激)な政治動向に法を破る權利(以下、権利)を認めるならば、同じ政治動向が更に国際法を破って武力を行使することに、同様に理由があるということになって来る。そうした考え方を一掃することは、法の権威をば高め、平和の基礎を確立するための根本前提である。しかしながら、法の権威が再び確立された今日こそ、ひるがえって法自らの徹底した反省が行われなければならない。そうした問題について関心を有する読者諸賢にとって、本書に何らかの参考となる点があるならば、著者の本懐これに過ぐるものはないであろう。

00004 本書の稿が漸く成ろうとしていた頃、著者がウィーンで一方ならぬ学恩を受けたケルゼン教授から絶えて久しい音信が、未知の朝鮮の新進法学者・黄聖秀氏によってもたらされた。ケルゼン教授はナチスの圧迫を受けて、アメリカに移り、目下バークレイのカリフォルニア大学に在任しておられ、黄氏はその下に在って法学および政治学の研究をつづけて来られたのである。進駐軍に随伴して帰国の途に就こうとする黄氏にあてどもなく托(以下、託)された恩師のこの音信は、国際的な文化の交流から全く遮断されていた日本の一学究に、いかに大きな歓喜と激励とを与えたことであろうか。著者は、ケルゼン教授の純粋法学に必ずしも全面的に帰依する者ではなく、本書の中でも随所に純粋法学に対する批判を試みている。しかし、あらゆる政治の圧迫に毅然として対抗し、終始變(以下、変)らず法および法学の自立性を擁護するために戦いぬいて来られた教授の崇高な学者的態度に対しては、改めて心からなる畏敬の念を捧げないではおられない。

00005 戦争中、著者は去るに忍びぬ朝鮮を去って、京城帝国大学から東京帝国大学に移った。その朝鮮もいまは日本から離れて、受難の環境の中に建国の大業を目ざして雄々しく起き上りつつある。著者は、その名も京城大学と改められた過去十六年間の職場に対して断ち切り難い愛着を感じ、朝鮮の最高学府としてのその健やかな発展を祈ると同時に、あくまでも客観的な眞理(以下、真理)第一主義を以てこれまでの歴史を貫き、したがって、今日もまた著者の身邉(以下、身辺)を純粋に学問的な雰囲氣(以下、雰囲気)をもって包んで呉れている東京帝国大学法学部に、盡(以下、尽)きない感謝を覺(以下、覚)える。

00006 本書は、有斐閣の「法学選書」の第一編として公刊される光栄を擔(以下、担)った。校正を終わるに當(以下、当)って、有斐閣主人江草四郎氏をはじめ、本書の刊行に尽力せられた鈴木善一郎氏その他の各位に対して、真心よりの謝意を表する次第である。

昭和二十一年十二月二十五日
尾高 朝雄



目次
緒論 法の究極に在るものは何か

  考察の出発点
  法の本質・法の形相・法の理念
  法の理念と現実とを媒介するもの

第1章 自然法の性格
  法を超越する法
  自然法の内容
  自然法の機能
  自然法理念の政治化
  国民主権主義と国権絶対主義
第2章 憲法制定権力
  法を作る力
  規範主義と決定主義
  POUVOIR CONSTITUANT
  VERFASSUNGGEBENDE GEWALT
  憲法制定権力の政治性
第3章 革命権と国家緊急権
  法を破る力
  革命権
  DOMINIUM EMINENS
  STAATSNOTRECHT
  革命権および国家緊急権の政治性
第4章 法の原動者としての政治
  法の究極に在る政治
  法および法学に対する政治の優位
  理念としての政治
  実力としての政治
  政治の矩としての法
第5章 法の下部構造としての経済
  経済の上部構造としての法
  法を破る階級闘争
  法を作る階級支配
  プロレタリアート革命と国家の変貌
  法を変革する階級闘争の理念

第6章 国内法の究極に在るもの
  法における普遍と特殊
  特殊共同体秩序としての国内法
  国内法の普遍理念
  公共の福祉と国民の總意(以下、総意)
  国民の総意を把握する方法
第7章 国際法の究極に在るもの
  国際社会の法と政治
  国際政治の理念
  国際政治の現実
  国際法秩序の建設
  国際正義と世界経済


緒論 法の究極に在るものは何か

 

1 考察の出発点

01001 法と人間生活との間には、考えれば考えるほど深い関係がある。一片の法理の有無は、人間の吉凶禍福を、いな人間の生死をさえも左右することがある。例えば、日本民法第一條(以下、条)ノ三の「私権ノ享有ハ出生ニ始マル」(第三条 私権の享有は、出生に始まる)という規定は、一見しただけでは、別段深い意味があるとは思われない。しかし、この規定によって、人はすべて權利能力者であり、權利能力のない奴隷は存在しない、という原則が示されている。この原則は、一方からいえば、人間解放の趣旨に立脚するが、他方からいえば、法制上の人間解放だけで片づけて、経済上の解放の裏づけをともなわないのは欺瞞である、というはげしい論難の的ともなっているのである。また、日本では、主として共産主義運動を弾圧するために、治安維持法という法律が大正十四年(一九二五年)に制定され、終戦後廃止された。この法律のあるとないとで、社会思想家や社会運動の闘士の運命にいかに厳しい明暗の双曲線が描きいだされていたかは、今日だれしもの痛切に知るところである。兵役法にもとづく赤紙の召集令状一枚で人はいかに大きなショックを受けたことか。金融緊急措置令が発表されたとき、どれだけ多くの人びとが狼狽し、狂奔したことか。憲法一箇条の改廃は国家の相貌を一変せしめるに足りる。法の人間生活におよぼす影響力は、まことに測り知れないものがあるといわなければならない。

01002 法は人生にかように大きな影響をおよぼすものであるから、法の良し悪しは常に深刻な論議の対象となる。各方面にわたって法の大規模な変革が行われつつある今日において、珠にしかりである。例えば、家族の関係は法によって詳しく規定されているが、その根本方針としては家という共同體(以下、体)を本位とするのがよいか、家を廃して個人本位にするのがよいのか、日本のような家族制度は醇風美俗なのか、封建時代の遺物なのか。容易に解決し得る問題ではない。また、例えば、個人の財産権は憲法の保障するところであるが、所有権は権利としての保護に重点を置くべきか、社会信託的な義務の面を強調すべきか、すすんで、これに大いに公法上の制限を加える必要があるのか。制限するとすれば、いかなる方法によりどの程度まで制限すべきものなのか。生産財貨は国家の管理に移すべきであるのか。特に土地は国有とするのが至当であるのか。正に白熱の論争の的となるべき問題である。あるいは、契約自由の原則のごときも、いまどき啓蒙期の自然法論のように国家による干渉をなるべく排除することを理想とする者はないとしても、さりとてこれを統制法の金縛りにしてしまうのがよいとは決していえないであろう。ナチス・ドイツの学者さえ、経済活動の流動性と創意性とを重んずる立場から、ある程度の契約の自由は認めなければならないと論じた。自由か統制か。どこまでの自由の制限か、どこに統制の限界を置くべきか。これまた国民経済上の福祉と至大の関係を有する重要な論点である。

01003 更にすすんで、国家という制度そのものの是非善悪となると、問題は一層複雑・重大となる。国家は一つの法制度である。国家は法によって組織された国民生活共同体である。この巨大な法制度については、古くから氷炭相容れざる両極端の考え方が対立している。すなわち、積極の尖端には、国家を人倫の理念の最高の具現と見る国家至上主義があり、消極の先鋒には、国家をあらゆる人間邪悪の根源としてその廃絶を主張する無政府主義がある。しかし、それは別として、その両極端の間にも、国家の価値をどこまで肯定し、国家の機能をどこまで拡張しようとするかについては、世界観の相違によってさまざまな段階がある。今日の日本のように戦時中の国家至上主義が敗戦によって国民の胸奥とのつながりを絶たれたあとでは、逆に国家の比重を軽く見る思想に走り易い。しかし、他面また、国内の逼迫した事情からいえば、経済生活を色々な点で高度に社会化して行く必要がある。それには、国家の権力による一貫した統制を行わなければならない。さてしからば、今後の国民生活に対して国家の枠を大いにゆるめるべきであろうか。ー 個人の自覚のために、世界人としての教養を高めるために、はたまた超国家的な世界組織の建設にむかって一歩をすすめるために、あるいは、国家から離れ去ろうとする人心に対して、もう一度国家の組織力の強化を図るべきであろうか。ー 国民共同体の統一を確保するために、国民が精神上の無国籍人と化すのを防ぐために、はたまた道徳・経済・文化の再建にむかって国民の足並みを揃えて行くために、これらの二つの方向と密接に結びついて、天皇制の意義をどこに求むべきかの問題がある。更に、国会中心民主主義の一本槍で進むべきか、政府の執行権を強める工夫が必要ではないのか、行政機構の中央集権か地方分権か、等の諸問題も、これにともなって切実な法的価値判断の対象となって来る。

01004 最後に、国家を超越する今後の世界構造の問題もまた、いまだかつてない真剣さを以て全人類の関心事となりつつある。その当面の焦点が国際連合に存することは、いうまでもない。国際連合は、第一次大戦後の国際連盟に比していろいろな点でたしかに強力である。したがって、将来の国際平和維持のために国際連盟よりもはるかに効果のある活動を行うであろうことが期待される。しかし、国際連合も、やはり国際連盟と同じように、世界が多くの独立の主権国家から成り立っているという前提から出発する。そうして、それらの主権国家の間の協定をその組織原理としている。さような主権国家を単位とする国際組織がはたして真の平和の保障たり得るか否かは、依然として疑問である。主権国家相互の間の協定や条約は、国家がそれを守ることに利益を認めている間だけ守られるということは、過去の国際法が骨身にしみて体験して来たところだからである。そこで、主権国家の概念を否定し、各国家をば高度の自治性を有する地域行政国体の地位にまで引き下げ、以て人類全体を単一の世界連邦に統合するのでなければ、恒久平和はあり得ないという議論が成り立つ。しかしながら、かかる世界連邦が現在または近い将来の歴史の段階においてはたして実現可能であろうか。よしんばそれが実現可能であるとしても、さような世界連邦によって複雑微妙な諸民族の利害関係を確実に調整して行くことができるかどうか。むしろ、各国家の独立性を認め、法の前でのその平等を原則としつつ、現実政治の面ではきわめて少数の強大国がヘゲモニーを掌握し、世界警察の任務を担当するという組織の方が、かえって平和のための有効な保障たり得るのではないか。かような将来の世界構造の構想をめぐって、これからの国際法または世界法をいかに建設するかが、人類当面の大問題として提起されているのである。

01005 これらの多岐・複雑な問題を解決するための努力は、二つの方向に向かってすすめられるべきであろう。その一つは特殊化の方向であり、他の一つは一般化の方向である。一方からいうと、これらの問題の一つ一つを論究するためには、それぞれ特殊化した専門の知識と研究とを必要とする。家族の問題、所有権の問題、契約の問題は、いづれも民法の領域に属するが、そのおのおのが更に色々と特殊の問題を派生せしめる。家族の問題にしても、都会生活者の家族と農業経済単位としての家族とでは同日に談ずべからざるところが多いであろう。所有権にしても、農地の所有権などになると、農業経済学上の精密な研究と結び付けてこれを検討することが必要であろう。契約となると、借地借家の関係、小作契約・労働契約の関係など、いよいよ特殊の事実に立ち入って立論しなければならなくなるであろう。国家の問題、国際法の問題、いづれも同様に特殊・具体の観点に立って考察して行くのでなければ、正しい解決のいとぐちを見出すことはできないであろう。

01006 しかしながら、それらの問題は、一方ではいかに特殊化した研究を必要とするものであっても、その根本において同じ「法」の問題であるという一般性を有する。したがって、その解決のためには、他方また一般化の方向へ向かっての、すなわち、法一般の根本原理の方向にむかっての、突っこんだ考察をすすめて行かなければならない。ここに「突っこんだ」考察というのは、問題の皮相面にとどまることを許さないという意味である。もしくは、概念や論理の綺麗ごとを以て片づけることのできないという意味である。単なる法の形態論ではなく、法の存立の根本にまでさかのぼる論究のことである。実定法に対する評価の最高の規準は何であるか。実定法を動かし、実定法を破り、法を破ったあとに新たな法を作り出す力はいかなるものであるか。それは、法とは異なる力であるのか。あるいはやはり法的な力であるのか。そういうところまで吟味のメスを深く入れて行こうとする考察のことである。要するに、それは「法の究極に在るもの」の論究である。一方で、ますます具体・個別の現象領域に立ち入る実定法学の特殊研究が真剣にすすめられているとき、他面これと相呼応しつつ、法一般の究極の在るものにまでさかのぼる論究を行うことは、法の根本原理の学たる法哲学の任務でなければならない。

 

2 法の本質・法の形相・法の理念

02001 一般に用いられている法哲学の言葉を以てするならば、ここに論じようとする法の究極に在るものは、「法の本質」であるといってもよい。法の究極に在るものは、法をしてまさに法たらしめているもの、それを度外視しては法を考えることのできぬもの、それなくしては法が法として存在し得ないもの、すなわち、法の本質に外ならないのである。

02002 けれども、もし人が単なる論理的な捨象の手つづきによって法の概念を抽出し、これを法の本質と呼ぼうとするならば、さような意味での法の本質は、ここにいうところの法の究極に在るものではない。まして、人が多様な法現象の異を去り、同を採り、法と呼ばれるものの類概念を構成して見たところで、それによって、法を法たらしめている根源が示されたことにはならない。法の特質、例えば、法は対人関係の行為の規律であるとか、あるいは、法は強制の契機と結びついた規範であるとかいうような特質をとらえて、それによって法という対象を明確に見さだめ、法を法以外の対象から明らかに区別することも、学問の仕事として重要な意味をもたないわけではない。しかし、概念上いかに完全に法たる特質をそなえている規範が「規範意味」の世界に存在しても、もしそれが実在する人間の関係を有効に規律する力をもたないならば、それは実際には法ではないのである。法たる効力のない規範は空文である。効力の根拠から切りはなされた法規範の構造をいかに精緻に分析してみたところで、それは概念と論理の綺麗ごとであるにすぎない。故に、法の究極に在るものを法の本質と呼ぶならば、その法の本質は、普通の法哲学にいわゆる法概念論とは全く別個の角度から探究されなければならない。

02003 すなわち、法の究極に在るところの法の本質は、法の根底に在って法を動かし、法を通じて自己自らを実現して行くところの創造的な力を意味する。それは、法の本質といわんよりも、むしろアリストテレスにならって、法の「形相」(eidos)と名づけられるべきであろう。アリストテレスの哲学によれば、すべての事物は「素材」(hyle)をもつ。素材のない純粋の理念は、実在性をもたない。だから、素材から切りはなされた事物の本質を求めて見ても、それは実在する事物の本質とはいい得ないのである。けれども、逆にまた、単なる素材だけを取り出して見ても、それは事物の実体の可能態であるにすぎない。かように、素材の中に可能態として潜在しているところの事物の実体を、現実態にまで発展せしめ、顕在化して行くものは、そのものの「形相」である。例えば、石や瓦や木材は家の素材であり、可能態における家である。石や瓦や木材などを素材としてもたない家は、人の住み得る家ではない。しかしまた、石や瓦や木材は、それだけでは家にはならない。これを現実に人の住む家たらしめるものは、建築せられた家の中に自己を実現して行くところの家の形相である。その意味で、形相は、或るものを正にそのものたらしめる本質であるにとどまらず、事物に内在しつつ、そのものに不断の自己発展の力を与える原動者であり、そのものの本来あるべき姿を顕現せしめて行くところの「目的因」(causa finalis)である。法の中にも、そうした意味での形相がなければならぬ。例えば、夫婦の関係、親子の関係は、動物にも人間にも共通する家族の素材である。しかし、人間の場合には、その素材が単なる素材として在るだけではなく、色々な形の家族制度として構成され、変化して行く。そこに、家族法の形相がなければならぬ。夫婦の関係や親子の関係を素材としつつ、家族の真にあるべき姿を顕現せしめて行く家族法の形相は、はたしていかなるものであろうか。そこに問題がある。現実の特殊の法現象の中にひそむかような法のエイドスを、家族法とか財産法とかいう特殊領域を越えた法一般のエイドスとしてとらえることができるならば、それこそ法を動かし、法を発展せしめ、法に法たる生命を与える原動者に外ならないであろう。法の究極に在るものは、かくのごとき形相としての意味をもつところの法の本質なのである。

02004 法の形相としての法の本質は、別の言葉を以てすれば、法の「理念」(idea)であるといってもよいであろう。法は理念をもつもの、理念を実現しつつあるもの、ラアドブルッフにしたがえば、「法の理念につかえるという意味をもつところの実在」である。故に、法の根底にある理念をとらえることは、正に法の究極に在るものを明らかにする所以に外ならない。

02005 けれども、法の究極に在る理念は、プラトンの説いたイデアのように、個物をはなれ、現実を超越して恆存する絶対者ではない。現実から全くはなれて存在する法のイデアは、現実とは没交渉であるから、現実の法の創造・変化の原動力とはならない。だから、現実の法の中に内在し、実定法を動かしつつ、自らを実定法の中に実現して行く法のイデアは、プラトン哲学に説かれているような意味でのイデアではない。いいかえると、事実の目標として与えられているだけであって、決して事実となって経験界に現れることのない理念、すなわちカントの考えたような「規制原理」(regulatives Prinzip)としての理念は、ここにいう法の理念ではない。更にいいかえると、単に現実を「規正」(riehten)するだけであって、自分自身は永遠に現実化されることのない理想、シュタムラーの法哲学が法の導きの星としてかかげているような法の理念は、ここに求める法の究極者ではない。勿論、法の究極に在る理念は、現実そのものではなく、現実の目標であり、現実に対する価値の尺度となるであろう。その意味で、法に内在する理念も、これらの二元論的理想主義哲学のかかげるようなイデアと同じく、実定法に対する価値判断の標準としての意味をもつであろう。しかし、法の理念が実定法の価値尺度としての意味をもつとき、その理念は、すでに実定法をばその価値尺度にかなうように動かして行こうとする意欲によって裏づけられている筈でなければならぬ。実定法に対するかような意欲的・主体的な働きかけをともなわない法の理念は、いかに崇美の空に高く輝いていようとも、現実の人間生活から見て、ほとんど何の意味ももたないといわなければならないのである。

02006 したがって、ここにとらえようとする法の理念は、実定法に内在し、実定法を動かし、実定法を通じてそれらを実現して行くものである点で、ヘーゲルの説いたようなイデエに近いということができる。ヘーゲルのイデエは、現実を形成する力であり、現実の歴史的発展の原動者である。ヘーゲルの説いた法の理念は、実定法から隔絶した自然法ではなく、低い実定法の殻を破っては、絶えず高い実定法の段階の中に顕現して行くところの法の理性的な根拠なのである。

02007 けれども、ヘーゲルは、理念と現実との結びつきを強調するの余り、両者の完全な一致を認めることとなった。理性的なものは現実的であり、現実的なものはそのままに理性的であると見るにいたった。かような考え方は、現実を無差別に理念と同一視することによって、現実に対する批判の精神を消耗せしめる。現実の制度をあるがままに理性の要求に合致すると見做すことによって、人間の努力の効率を冷笑する保守主義に堕する。あるいは、逆に、実定法を破る力の暴逆をも、自由の理念の自己実現の一過程として是認するという結果に陥る。ヘーゲルの法哲学が国家絶対主義となり、国際法を否定する覇道実力国家思想となったのも、理念と現実の懸隔を認めぬ一元論の方向に走りすぎたがために外ならない。理念は現実の中に宿るというのは真理であるが、さればといって、現実そのものが理念であると考えるのは誤謬である。理念が現実の中に宿るというのは、理念が、現実を動かそうとする人間の努力の中にその姿を現すということである。現実は、かような努力によって、絶えず理念に接近しては行くが、人間の努力によって動かされて行く現実が、そのあるがままの状態において飽和した理念であるということはあり得ない。現実が飽和した理念であるならば、現実に対する人間の努力とか、改善・向上の意欲とかいうようなものは、およそ無用の贅物となってしまう外はない。歩々に理念を実現しつつある現実は、理念からの距離によって評価せらるべき対象であり、その意味で理念そのものではない。現実に内在して現実を動かす理念は、かくして同時に、現実に対する価値尺度としての役割をも演ずるのである。

02008 法の究極に在るものは、かように現実との不即不離の関係に立つところの法の理念なのである。これを不即の関係から見るならば、法の理念は現実そのものではない。法の理念が現実に対する評価の規準となるのは、そのためである。しかし、これを不離の関係から眺めるならば、法の理念は現実の彼岸に在るものではない。法の理念は現実に内在し、現実の法を作り、現実の法を動かす「力」として働いているのである。かように、現実そのものとは一定のへだたりを保って現実の彼方にあるところの理念が、しかも、なおかつ、現実に内在して現実を動かす力となるためには、法の理念と現実との間に立って、両者を媒介する何者かがなければならない。両者の間のこの媒介者をとらえないかぎり、理念と現実とを隔絶せしめるプラトン的の二元論に帰著するか、現実をそのままに理念と見るヘーゲル的の一元論に帰依するか、そのいずれかの外に道はないのである。そこで、法の究極に在るものを探ねることは、転じて「法の理念と現実とを媒介するもの」は何であるかを求めることとなって来る。

 

3 法の理念と現実とを媒介するもの

03001 法の究極に在るものは、法の理念である。けれども、法の理念といっても、それは現実に対して無力な、単に崇高な、しかし実は蒼白な法の理想ではない。法のユートピア的理想は、複雑・深刻をきわめる人間共同生活関係の実際問題を解決する上からいっては、何の役にも立たないのである。現実の問題を処理する指標となるべき法の理念は、よしんば理想としての純度は低くなっても、それだけ現実に接近して現実を動かす逞しさを発揮せねばならぬ。いいかえると、それは、現実の法の上に働きかけ、多くの矛盾や不合理を含むところの実定法制度を改善して、不断に新たな法を作る「力」とならなければならぬ。現実の法制度の中に内在して、法を作り、法を支え、場合によっては法を破り、破られた法の廃墟の上に改めて新たな法を作る力をさえもつところの法の理念が、ここに探究さるべき法の究極に在るものなのである。

03002 それでは、理念はいかにして現実に内在し、現実の法を作り、法を動かす力となるのであろうか。理念が現実に内在して、現実を動かす力を発揮するというのは、一体いかなることを意味するのであろうか。

03003 一切の哲学的思弁を排除して、きわめて現実的にこの問題を考察するならば、理念が現実に内在して現実を動かすというのは、理念が達成せらるるべき目標として現実の人々の現実意識の中に宿り、現実人の意欲を方向づけることなのである。それも、一人または少数の人々の理想として描き出されているだけでなく、社会に生活する大多数の人々が、同一の理念を達成すべき目標として渇望し、これを共同の意欲の対象とし、共同の行動によってその理念を実現して行くことなのである。多数の人々が同一の理念を意欲の対象とし、それにむかって主体的に働きかけるとき、そこに、統一のある行動が現れて来る。それが、法を作り、法を動かす「力」となるのである。この力は、対抗する力があれば、これと抗争してこれを制圧し、場合によっては現存の法制度を破砕する革命力ともなって爆発する。それは、実に「政治」と名づけられるべき力である。理念は、かような政治に媒介されることによって、現実に内在し、現実を動かす力となる。法の理念と現実とを媒介するものは、まさに政治なのである。故に、法の究極に在るものを現実に内在する理念と見ることは、これをば法を動かす「政治の力」としてとらえることに外ならない。

03004 政治は法を作り、法を動かす力である。なぜならば、すべての法は政治から生まれる。したがって、政治的に無色な法、政治の上に超然たる法はあり得ない。それは、過去の永い歴史の物語るところであり、現在の激動する時代の実証するところである。例えば、国家の法制度は、そのいづれの部分を取って見ても、政治の所産でないものはない。国家は、政治の行われる最も主要な場所であり、それ自体すでに政治によって作られた法制度である。しかも、いわゆる公法の制度が最も明瞭に政治の所産であるばかりではなく、私法の領域、特に、政治上の権力からの自由ということを標榜する私法自治の原則も、政治上の自由主義を根本の推進力として発展して来たのである。そののち、私法自治の原則には色々の制限が加えられ、私法の公法化と称せられる現象が起こって来たが、この法の変化もまた、自由主義の行き過ぎを是正しようとする新しい政治動向のしからしめた結果に外ならない。更に、国際法は、国家間の政治関係を基礎として発達し、変化する。国際政治は、ときには法を作って安定し、ときにはまた法を破って荒れ狂う。しかし、法を破って荒れ狂ったいわゆる枢軸側の政治力が、既成の国際法秩序を守ろうとする民主主義諸国家の団結した政治力によって完全に屈服せしめられた今後の世界構造は、いままでの国際法発達の線に沿いつつ、更に飛躍した段階において法的に整備されて行くであろう。およそ、法にして政治の力を背景としないものはない。その意味で、法を作る力も、法を破る力も、結局は政治であるといってさしつかえない。

03005 政治には理念が内在している。民主主義は「自由」と「平等」とを理念として発達した。独裁主義の政治は、国家または民族の絶対価値をかかげてこれと対抗し、「全体への奉仕」とか「公益優先」とかいうような理念をその行動の規準とした。しかし、政治の実体は力である。政治は、理念によって動く力である。場合によっては、それは理念によって粉飾された力である。理念を単なる宣伝の道具に用いる政治は、なおかつ政治であり得るが、徒らに崇高な理念をかかげているだけであって、現実の行動力を伴わない政治は、政治としては取るに足らぬ存在であるに過ぎない。故に、哲学的な政治学は理念を重んずるが、科学的な政治学は現実政治の現実力の分析に主力をそそぐのである。こういう立場から見るならば、法の究極に在るものを政治に求めることは、すなわちこれを「実力」と解することに外ならないであろう。

03006 ところで、法の究極に在るものを蔽う理念のヴェエルを除り去り、これを現実の力と見る見方を更に押しすすめて行くと、政治に代わって「経済」が考察の前景に現れて来る。

03007 なるほど、人は理念を意識し理想を追求して行動する。それが統一的な大衆行動としての実践力を発揮したものが政治である。しかし、人はいかなる理念を意識し、いかなる理想を求めて行動するのか。人間のいだく理念である以上、それは何らかの意味で人間の生活に関係ないものではあり得ない。自由といい平等という。いづれも人間の生活のあり方である。しかも、人間の生活は根本において経済生活である。精神生活も、文化生活も、道徳に精進する生活も、その基礎を成す経済生活を離れては成立しない。したがって、経済生活の変化は、一切の社会理念を動かす。特に、財貨の生産力および生産関係の変化は、すべての人間の社会生活を変化せしめ、したがって、人間の社会生活についての理念に変動を生ぜしめる。或る生産関係の下で人間の生活に自由と平等とを与えると考えられていた条件も、生産力が変化し、経済関係のあり方が変動すれば、もはや自由と平等との保障ではあり得なくなる。むしろ、逆に、自由と平等を保護する制度と称せられたものが、一部の経済上の特権階級にのみ利益を吸収せしめる結果をもたらす。そこで、利潤から遮断された無産大衆と経済上の特権階級との間に劃然たるへだたりが生じ、両者の間の階級闘争が激化する。無産大衆は経済上無力であるが、その数はますます増加する。しかも、かれらは自ら生産する手をもっているから、それが団結すれば強大な政治力を発揮する。そうして、最後には革命によって一切の法および政治の組織を転覆せしめる。その力には、色々な社会主義的な「理念」がつけ加わって来るであろう。しかし、かれらのもつ力の根本は、経済上の生産力である。生産力が、資本家から労働者の手に移ったのである。かような財貨生産の基盤関係からはなれて見るならば、すべての理念は実体のない「イデオロギー」にすぎない。ヘーゲルは理念が歴史を動かすと考えたが、歴史を動かすものは、実はかくのごとき唯物的な生産力である。かくて、理念の頭を下にして逆立ちしていたヘーゲルの観念弁証法は、物の生産力を基礎として、その上に観念を載せた関係に逆転せしめられる。この関係から見れば、道徳も法も政治も、経済の土台の変化とともに動く人間共同生活の「上部構造」にすぎない。これが、法の根底を経済的生産力に求める唯物史観の論旨である。

03008 唯物史観は、法の究極に在るものに対するきわめて突っこんだ見方である。法はたしかに経済によって動く。例えば、自由交換経済、ならびに、その地盤の上に存立する資本主義経済との聯関をはなれては、近代的所有権の形態や複雑な契約法の組織を説明することはできない。しかるに、資本主義経済の高度化にともなう多くの不合理は、更に法の形態の変化をうながした。この変化を自然のいきおいのみにまかせて置かないで、非合法の実力手段に訴えて実現しようとすれば、革命になる。革命は最も急激な法の変革である。いづれにせよ、法の合法・非合法の変革の根底には、経済上の生産関係の変化が動因としてよこたわっている。国家制度の成立や変化も、経済によって制約されているところが大きい。国際法の変動も、社会経済の動きを度外視しては説明できない。第一次および第二次の世界大戦は、後進資本主義国家が先進資本主義国家に対抗して、世界の資源の配分および市場の縄張りを変革しようとする企てから起こった。今後の国際社会ならびに国際法の構造にしても、国民経済から世界経済への大きな発展を考慮せずにこれらをとらえようとする試みは、徒労に帰するか、空論に終わるかの外はないであろう。法を動かすものは経済である。法の究極に在るものを探ろうとする測鉛は、その意味は経済の深底にまで到達しなければならないのである。

03009 しかしながら、唯物史観は経済上の生産方式が法や政治の上部構造を動かすというけれども、生産とは物から物ができることではなくて、人が物を作ることである。物を作る場合、作られる物の原料も物であり、作る工程に用いられる手段も、簡単な道具から近代的な大工場にいたるまで、すべて物である。土地も物であり、種子も物であり、農具も物である。しかし、物を用い、物を加工し、土地を開発し、工場を建築し、あらゆる生活物資を生産するのは、人である。生産された物資を需要し、これを価値づけ、これを交換し、これを消費して行くのは、人間の社会関係であり、人間の社会組織である。したがって、生産力というのも、根本は物の力ではなくて、組織化された人間の社会的目的活動であるといわなければならない。このように、統一的な組織の下に営まれる社会的目的活動は、経済活動であると同時に一つの政治活動である。新たな生産様式が発明され、経済活動の方法が変化する場合、これをいかに組織化し、いかにして生産の実を挙げ、生産された物資をいかに配分して行くかは、政治によって決定される。生産の能率を高めるためには、企業家の利益を重んじた方が効果があるというのも、政治の一つの態度である。その方が、大量生産により廉価な品物を広く民衆生活に行き渡らしめる所以であるというのは、政治の一つの理念である。逆に、労働者こそ実際に勤労によって物を生産する主体であるから、その利益を先に考えなければならないというのも、政治の一つの方針である。この方針の方が、貴い勤労に対して正当な報酬を与える意味で、社会正義の要求にかなっているというのは、これまた政治の一つの理念である。故に、経済活動は政治の内容である。経済上の生産力は、それだけ独立して社会組織を動かす力となるのではなく、政治の素材として政治活動の内容に取り入れられることによって、はじめて法を作り、あるいは法を破る力となるのである。しかるに、政治には必ず理念がある。理念によって政治が動き、政治によって経済が調整される。これを一方からのみ見て、理念もなく、政治もない、単なる物質の生産力なるものが存在し、それが働いて政治が生れ、理念が構成されるという風に考えるとするならば、さような意味での唯物史観は偏狭な一面観として排斥されなければならない。

03010 故に、法の究極に在るものを現実の方向にむかって追求して行くと、人は必ず経済の地盤に突きあたるのであるが、問題を解決する根本の力は、この地盤それ自体に存するのではなく、そこからもう一度跳ねかえって政治の中に求められなければならないのである。ところが政治には理念がある。政治は理念と現実とを媒介するものである。そこで、ふたたびひるがえって理念の方向にむかって法の究極に在るものを探究して行くと、今度はまた政治の世界を突きぬけて、別個の文化的な領域に突きあたることになる。その別個の文化領域というのは、あるいは「道徳」であり、あるいは「宗教」である。なぜならば、政治が理念としてかかげるものの内容は、あるいは、道徳であり、もしくは宗教である。例えば、人間はすべて自由な人格者として平等に取りあつかわれなければならないというのは、道徳の理念である。国家の道義目的達成のために、私益をすてて公益に奉仕すべしというのも、別の意味での道徳の理念である。これに対して、神の愛に則つて人類を救済すべしというのは、宗教の理念である。神国の思想を鼓吹して、国民の威力を発揮すべしというのも、別個の宗教の理念である。かような観点を特に取り出して考えると、法の究極に在るものは、むしろ道徳であり、宗教である、という結論が生まれ出て来るであろう。

03011 けれども、道徳や宗教は、単なる理念として法を作り、法を動かす力となるものではない。道徳や宗教がそういう力を発揮するには、それらの理念が現実人の現実意識によって消化され、社会大衆の現実意欲を方向づけて、その現実行動の中に自己自身を顕現することが必要である。しかるに、さような理念によって方向づけられた現実人の社会的な現実行動は、結局やはり政治である。道徳や宗教の理念は、政治の内容に取り入れられ、政治の力と化したときにはじめて、法を動かすという作用を営むことになるのである。だから、法の究極に在るものを理念の方向にむかって探究して行った場合にも、その探究の線は、一たびは道徳や宗教の理念に突きあたるけれども、そこでそのまま理念に吸収されてしまうのではなく、そこから跳ねかえってふたたび政治の領域に戻って来るのである。それは、法の究極に在るものを経済に求めようとした場合と全く同様である。政治は、かくのごとくに現実を素材としてこれを理念と結びつけ、理念を引き下ろしてこれを現実化する。政治は、この点から見ても法における理念と現実の媒介者である。理念の面から道徳や宗教の要素を取り上げて、これを法の内容に流し込んでいくものも、政治である。現実の面に根ざしている経済を素材として、これに適応するような実定法を作り上げて行くものも、また政治である。法にしても道徳にもとづかぬものはなく、何らかの意味で宗教と関聯をもたぬものはなく、ましていわんや経済の地盤に立脚しないものはないが、法を取りまくそれらの契機は、すべて政治を媒介としないでは法を形成する力とはなり得ないのである。

03012 それでは、法の究極に在るものは、結局のところ政治であろうか。法は政治の理念によって規定され、政治の力によって動かされるのであって、法それ自身としての究極の根拠をもたないのであろうか。法は、政治の動くがままに動かされる他律的な傀儡であり、法を作る力も、法を破る力も、すべて政治の中に、あるいは、政治を媒介とする道徳や宗教や経済の中に求められなければならないのであろうか。あるいは、それにもかかわらず、法には法独自の原理があって、逆に政治を規律する力を持つものと考える余地があるであろうか。ーーそのいづれの結論が導き出されるかは、法に対する世界観的態度を左右する。単に法に対する抽象的な世界観を左右するばかりではなく、立法の方針を左右し、法の解釈の動向を決定する。最も突きつめた場合についていえば、政治の要求次第によって法を破ってもよいのか、あるいは法の保全も法の変革も最後には法そのものの規準によって決せられるべきであるかについての、法学の心構えを定める。一方の立場をとれば、法および法学は政治に阿附・追随すればよいということになり、他方の態度を確立すれば、法を動かす政治の力はいかに強大であっても、少なくとも最後の一点で、法および法学は政治に対する自主性を堅持し得るということになる。独裁政治の横行や戦争熱の瀰漫によって将に崩壊の危機に瀕した法治の精神が、世界を通じてふたたび力強く復興しつつある今日において、こうした問題についての徹底した検討を試みることは、真理の究明につかえると同時に実戦の要求に応えることを任務とする法哲学の、まづ着手しなければならない当面の重大な課題であるというべきであろう。

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第一章 自然法の性格

 

1 法を超越する法

11001 法には理念がある。正義・公平・秩序・報償・奉公、等の理念は、法に法たるの意義を与え、法の発達を指導している。故に、法の究極に在るものとしてこれらの理念をかかげることは、もとより問題解決の第一の著手であるといって差しつかえない。

11002 しかしながら、理念という言葉はやや崇高に過ぎて、法の存立のすべての根拠を示すためには、いささか狭きに失する嫌いがある。法は、元より崇高な理念につかえるもの、もしくは、崇高な理念をかかげるものであるが、必ずしも崇高でない動機も、現実の法を基礎づける力として、崇高な理念に劣らぬ大きな作用をいとなむ。権力者の権勢欲によって法が利用せられ、一般民衆の生活を圧迫するために法が鉄鎖の役割を演ずるような場合は別として、きわめて卑近な便宜上の理由や、切実な事態に対処する必要というがごときものが、法の創造の直接の根拠となることも、決して少なくない。交通機関の発達にともない、その利用および取締りの便宜のために各種の規則が制定されたり、戦時の防空という必要に迫られて防空法という法律が議会を通過したりするのは、その一例である。かような複雑・多元な実定法の機能を考えるならば、法の根底に在るものを単に理念と呼ぶことは、必ずしも適当でない。故に、理念といわずに、あるいは理念という言葉と並んで、これを「目的」と名づけることもできるであろう。目的という言葉ならば、正義のごとき崇高な理念も含み得るし、民生・福祉・交通・衛生・技術、等に関する目的、国防・警備・治安、等の必要も、その中に包含せしめることができる。法は、かように多様な目的にもとづいて作られ、それらの目的に指示されて效力を発揮する。その意味では、目的はすべての法の創造者であるといったイェリングの言葉は、よく全般にわたって法の究極に在るものを指し示しているといってよいであろう。

11003 そこで、改めていい直すならば、およそ法には目的がある。いかなる法も目的なしには存在し得ない。法を作るものも目的であり、法を効力あらしめるものも目的であり、法を動かし、法を改廃して行くものも目的である。一つの目的から見てはなはだ不合理・不都合と思われる法も、他の目的が作用してその改廃を阻んでいるような場合には、依然として有効な法として行われる。逆に、甲の目的のためには何とか存置せしめたい法も、一番切実な乙の目的によって廃止され、新たに乙の目的にかなった法が制定されることもある。人間共同生活の目的は多種・多様であり、かつ、それらが互に牽聯・交錯しつつ、あるいは徐々に、あるいは急激に動いて行くから、法の創設・存立・改廃の過程もきわめて複雑である。しかし、総じていえば、目的の聯関から全く切り離された法は、もはや法としては存続し得ない。実定法の根底に在って、法の效力を根拠づけると同時に、実定法の歴史的変遷をうながして行くものは、結局、人間共同生活の目的の体系なのである。

11004 ところで、法の生成・変化の原動力を法の「目的」と見るならば、その当然の帰結として、法の究極に在るものの所在は、法を超越する領域に求められなければならないこととなるであろう。

11005 例えば、夫婦互に扶養し合うという義務、親権を行う親がその家に在る未成年の子の監護・教育に任ずるという権利または義務は、法によって規定されている。かような規定が法として成立し、法として有效(有効)に行われているのは、それらの制度が、家族の人倫関係を確保する目的から見て必要であるからに外ならない。しかるに、夫婦・親子の人倫関係は、人間道徳の最も基本的な形態の一つである。故に、これらの法規定は、道徳のために設けられ、道徳の目的によって行われているのである。また、例えば、或る時代の或る国家の法が、一定の宗教を国教と定め、他の信仰に帰依することを異端として禁遏していたとする。その場合の法は、疑いもなく宗教の目的によって制定され、その存立の基礎をば宗教上の特定の信仰に負うているのである。神の名において行われる国王の権力も、信仰に立脚する法廷の宣誓も、宗教に対する峻厳な刑罰も、いわば宗教的地盤の「上層建築」としてその権威を維持しているのである。すなわち、ここでは、法は、法の外なる宗教の力によって法たる生命を保っているのである。更にまた、戦時の厖大な統制経済法の体系は、一面では戦争の目的によって基礎づけられていたと同時に、他面では特殊の経済上の目的に立脚して行われた。大規模な戦時経済を賄い、軍需資源を開発し、戦争のための生産を増強しつつ、しかも財政・金融上、国民生活上の破綻を生ぜしめまいとする痛切なる必要が、自由経済の時代には想像もされなかったような国法形態の存立の基礎を成していたのである。その法が、はたして戦時経済の目的を達成するに役立ち得たか、あるいは、軍需生産の企業家に不当の利潤を蓄積せしめる結果をもたらしたかは、いま問題とするところではない。とも角も、戦争という異常事態における異常の経済目的が、法の変貌の根本原因であったことは、疑いを容れない。しかるに、戦争は戦争、経済は経済であって、ともに法ではない。とすれば、ここでまた、法を動かし、法を生み、生れ出でた統制経済法をますます強化して行ったものは、法そのものにあらざる戦争経済の目的であったことが知られる。

11006 法が道徳や宗教や経済の目的によって成立し、それらの目的を基礎として效力を発揮しているという事実は、法の根底に在るものは、実は法ではないということを物語っている。法の「目的」が道徳・宗教・経済、等であるということは、いいかえれば、法は道徳・宗教・経済、等の「手段」であるというにひとしい。すべて、手段は目的によって規定せられる。そうであるとすると、法を規定するものは、法自身ではなく、道徳・宗教・経済、等、法の外に在る契機であるといはなければならなくなるであろう。

11007 もっとも、そうであるからといって、法は法以外の目的に対して、単に受け身の立場のみに立っているという訳ではない。道徳・宗教・経済、等の目的は、それ自体としては法の領域の外に在るが、法はこれらの目的のすべてに追随し、その手段として奉仕している訳ではない。むしろ、逆に、法はこれらの目的の上に取捨・選択を加え、その中の適当なものに対してのみ保護・促進の作用を営んでいるのである。その反面、よしんば道徳であれ、宗教であれ、経済であれ、法の立場から見て排除せられるべきところの目的動向に対しては、これを強権を以て抑制・弾圧してはばからないのが、法の態度なのである。犯罪者がその仲間を裏切らないのは、犯罪者の道徳であっても、法はもとよりこれを許さない。異端者の敬虔な信仰は、宗教としてはいかに至醇・崇高であろうとも、イントレラントな法の糾断を受ける。売手と買手の合意によって成立する取引きは、自由経済の目的には完全に合致するにもかかわらず、統制経済の下では、法の規定に違反するが故に、闇取引として処罰される。これらの事例は、法が、本来は法以外の領域に属する諸目的に対して、一定の価値的な立場から選択を加え、その選択にかなったもののみを法的保護の対象とすることを明白に物語っている。そこに、法の積極性・能動性が存するのである。そうして、法がかように自ら進んで選択・摂取した目的は、もともとは道徳・宗教・経済、等の意味をもつものではあっても、法の中に摂り入れられることによって、すでに「法の目的」となっているといわなければならない。その意味で、法の血となり肉となるものは、法自らが選択し、法によって法の中に摂取されたところの法の目的なのである。

11008 しかしながら、現実の法ー実定法ーに内在するこれらの目的は、それとは別個の道徳・宗教・経済、等の立場から見れば、必ずしも満足すべきものではなく、また、決して批判の余地のないものでもない。むしろ、至醇な道徳から眺めれば、法の中に含まれた道徳は、現実と妥協した不純な道徳であり、「倫理的の最小限度」であるともいわれる。現に法の弾圧を受けつつある宗教の見地からすれば、これを弾圧する法は、神意にそむく暴虐手段であると見られる。資本主義経済組織を擁護する法は、共産主義の経済理論からは、革命によって転覆せしむべき搾取の機構として呪詛される。実定法がそのまま理想の法として讃美されるような稀な場合はいざ知らず、実定法に対して不満があり、非難があり、したがって、大なり小なり法の改革が必要とせられるのは、法の常態であるといってよい。しからば、実定法に対するかような評価、かような非難の尺度は何に求められるか。実定法を改革すべき目標は、何によって与えられるか。それは、もはや実定法を超越する道徳の理念であり、神の意思であり、経済の目的である。故に、実定法に対して評価を加え、その変革を実現しようとする動向は、法の理念や法の目的をば、法の中にではなく、やはり法の外に求める。かくのごとくに、法に対する価値尺度をば実定法を超越する世界に求めようとする傾向は、むしろ法哲学の永い伝統を通じて強く流れて来た。

11009 ところで、古来の哲学者もしくは法哲学者は、法を超越する世界に求められたところの法の価値原理をば、法でないとする代わりに、これに法の名を冠した。それは法ではあるが、実定法ではなく、実定法より高い法であり、人間自然の本性に即した理想の秩序である。故に、人はこれを「自然法」と呼んだ。すなわち、古来の哲学者もしくは法哲学者が、法の究極に在るものとしてとらえた自然法は、「法を超越する法」に外ならない。しからば、法を超越する法としての自然法は、いかなる内容を有し、いかなる役割を演じたか。それは、そのままで法を作り、法を動かす力たり得たか。それが実定法の上に強く働きかけることができるようになるためには、いかなる過程を経なければならなかったか。そうした自然法の性格分析から、まづ検討をすすめて行くのが順序であろう。

 

2 自然法の内容

12001 古来の自然法思想を見ると、その中にはもとより法と名づけられるべき内容が含まれている。正しい国家の組織はいかにあらねばならぬかということを説いた自然法論もあるし、犯罪と刑罰が正しく釣り合うという報償・応報の原理をもって自然法としているものもある。しかるに、国家の組織は法によって定まっているのであるから、理想国家の組織を説いた自然法説は、疑いもなく法の内容をもっている。また、強制が法の必須の要素をであることを否定する学者はあるが、さればとて、強制や刑罰の規定が法であることを疑う学者もない。したがって、応報の正義を内容とする自然法は、そういうものを自然法として高く価値づけることの当否は別として、概念上法であることに間違いはない。かような意味からいえば、自然法は法であると考えても差しつかえはないのである。

12002 けれども、それにもかかわらず、他面から考えると、自然法は法ではない。なぜならば、自然法論は、多くの場合はっきりとした二元主義の立場に立つ。いいかえると、自然法と実定法を截然と区別する。実定法は現実に社会で行われている法であり、現実の效力を有するところの法である。したがって、実定法から截然と区別された自然法は、現実には社会で行われていない法であり、現実の效力をもたないところの法である。あるいは、実定法が時により処によって変化する相対的な效力をしかもたないのに対して、自然法は時代の相違・民族の差別を越えて、絶対的に妥当するところの法である。故に、もしも法の法たる所以を、人間共同生活に対する現実の效力を有する点にあるとするならば、さような現実の效力をもたない自然法は、厳密には法ではないといわざるを得ないことになる。あるいは、法の現実の效力が時間と空間の制約の下に置かれているのに対して、そうした制約を超越して妥当するといわれるところの自然法は、実定法とは次元を異にする效力を有する異質の法であるといわなければならないことになる。いづれにせよ、実定法と二元的に対立する法、「法を超越する法」としての自然法は、名は法であっても、実は法ではないもの、少なくとも厳密な意味での法とは性質を異にするものであるということにならざるを得ない。

12003 もっとも自然法論の中には、自然法と実定法との二元性をさように厳格に考えず、自然法は実定法と融和し、実定法の中に融け込んでいるという風に見る理論もある。したがって、自然法の大原則は別として、その具体的な適用となると、歴史とともに変化する柔軟性を有すると論ずる立場もある。スコラ学派の歴史的自然法の思想がそれである。しかしながら、かように実定法と融合し、歴史とともに動く自然法は、それ自身もはや実定法なのであって、これをはたして厳密に自然法といい得るかどうかは疑わしい。故に、自然法は実定法と対立しているか、実定法の中に融け込んでいるか、である。自然法が実定法と対立しているならば、それは「法を超越する法」であり、厳密には法ではない。また、自然法が実定法の中に融け込んでいるならば、それは実定法であって、厳密には自然法とはいい難いのである。

12004 自然法は、かように実定的な效力を越えて妥当するという点で、法にして法にあらざるものであるばかりでなく、その内容から見ても多分に法でない性格をもっている。勿論、自然法の中に法的な内容も含まれていることは、前に述べた。しかし、自然法の根本の原理にまでさかのぼると、そこにむしろ法以上の、もしくは法以外の理念がかかげられている場合が多いのである。その理念が法の理念であるか、法以外の理念であるかを明確に見定めるためには、もとより法の概念を精密に決めてかからなければならない。しかし、そういう面倒な概念分析を行うまでもなく、古来の著名な自然法論者で、自然法をば明らかに法以外の名称を以て呼び、意識的にこれを法でないものとして示している者が、決して少なくないのである。故に、自然法は根本において「法超越的」(metajuristisch)な理念である。效力の点において実定法を超越する法であるばかりでなく、根本の内容においても「法を超越する法」なのである。

12005 法を超越する自然法の性格の中で、最も広く見出されるのは、「道徳」の要素である。古代ギリシャの哲学者は、のちにストア学派やローマの法学者によって「自然法則」(lex naturalia)または「自然法」(jus naturale)と名づけられたもの、すなわち現実政治の権力を以て左右すべからざる人間共同生活の根本原則をば、「正義」としてとらえた。そうして、そのいわゆる正義とは、むしろ根本の「徳」であり、最高の道徳法則に外ならなかったのである。例えば、プラトンによれば、正義は三つの徳たる叡智・勇気・節度の調和であり、理想の国家においてのみ実現され得べき至上の道徳であった。また、アリストテレスにしたがえば、正義はすべての「倫理的」な徳の総体であり、最高の徳そのものであり、他人に対する道徳の最も完全な行使を意味した。有名なアリストテレスの「配分的正義」や「平均的正義」は、かような広い意味での正義に対する狭い意味での正義の二種別にあたるのである。こうした考え方を継承するストア学派やローマの自然法が、根本において倫理的な色彩をもつものであったことは、いうまでもない。更に、中世のスコラ学派の自然法も、その主教的な色彩を別として見れば、ほとんど純然たる倫理的自然法である。したがって、スコラ哲学、特にトマス・アクイナスの哲学を現代に祖述する新しい自然法の理論でも、法と道徳の根本の融合が説かれ、道徳はすべての法の基礎に置かれ、法の根底にある自然法は、正に人間の間の普遍道徳として理解されている。ホエルシャー(Emil Erich Hölscher)が、「誠の法は決して倫理上の義務と矛盾することはできない」といい、ルナールが、「自然法は、正義または社会道徳と全く同一である」と説き、田中耕太郎博士が、「素朴的道徳原理にして社会生活の基礎たるものが即ち自然法である」とのべておられるがごとき、自然法を根本の道徳そのものと見る思想の最も明瞭な表現である。

12006 かような倫理的自然法の思想ときわめて密接な関係を有するものは、宗教的自然法の理念である。自然法は実定法の根底にある道徳の原理であるとしても、もしその道徳が人間の意思によって設定されたものであるならば、自然法はもはや絶対の客観性をもち得ない。逆に、もしも自然法が絶対に正しい道徳の原理であるならば、その道徳は超人間的・超現世的な淵源を有するものでなければならない。それは、神の意志であり、神の摂理である。古代ギリシャの自然法思想も、その根本には現象界を超越する神の理念があったといい得る。ヘラクレイトスのロゴス、すなわち自然理法も、プラトンの善のイデアも、ストア学派の自然法則も、経験を越えた絶対性をもつ原理として、神の信仰に通ずる。かような自然法思想の宗教的契機は、それが中世のキリスト教神学と結びつくにいたって、はっきりと前景に浮かび上がって来た。すなわち、中世初期の教父哲学を代表するアウグスティヌスによれば、世界は神によって創造せられ、歴史は永遠の神の計画にもとづいて展開する。全能なる創造者の法則は、世界の隅々までをも規定して、これに調和と秩序を与える。人間の生活も、もとよりこの「調和と秩序」(pax)によって規定されるのであって、人は何人といえどもこれを無視することはできない。人間社会において各人がそれぞれ正しくその処を得るのは、神の世界法則たる秩序の原理の現れに外ならないのである。こうした考え方は、スコラ哲学の最大の組織者たるトマス・アクイナスによって周密に論述された。トマスにしたがえば、神の摂理たる「永久法」(lex aeterna)は、人間の限られた叡智を以てしては、到底その全貌を知り得ない。ただ、人間は自然の理性の光によって、永久法の一部分を認識することができる。かように、人間に啓示せられた永久法の部分内容が「自然法」(lex naturalis)である。この自然法に立脚しつつ、これを転変する現実の人間生活の上に敷衍・適用して行くのが、実定法、すなわち「人定法」(lex humana)の任務に外ならない。かくて、トマスの自然法は実定法とよく密着する。かかる弾力性のある自然法の思想が、今日の新トマス主義の新自然法論の典拠となっていることは、いうを俟たない。

12007 かように、昔から説かれて来た自然法の内容は、あるいは道徳の原理であり、あるいは宗教の理法である。故に、自然法論は、法の究極に在るものを求めて、法を超越する倫理や宗教の世界にこれを見いだしたのである。しかし、自然法の概念を広く解すると、およそ自然法論とは対蹠の地位にあると考えられるような思想の中にも、法の究極に在るものを法を超越する領域に求めている点で、自然法論と共通した性質を有する考え方があることに気がつくであろう。一般には、自然法は法の理念と見られ、実定法の理想として描き出される。故に、自然法論の立場は、その本質からして理念論であり、理想主義である。しかし、いままでに見て来たところによれば、自然法は「法を超越する法」であり、むしろ法以外の領域に属するところの原理が、法の名の下に法の究極に在るものとして示されているのである。しかも、その法超越的な原理に形而上的な絶対性を賦与し、これを以て転変する実定法を律しようとするのが、自然法思想の特質なのである。したがって、これを逆に推論するならば、法を超越する何らかの契機をとらえて、これを形而上学的な絶対の原理もしくは法則としてかかげ、実定法をばその法則の支配下に置こうとする見解は、よしんばそれが理想主義とは正反対の必然観に拠って立つものであろうとも、また、よしんばそれがいまだかつて自然法の名を以て呼ばれたことがないにしても、やはり一種の自然法思想といえないことはないであろう。その意味で、ここに併せ考察せらるべきものは、マルクスおよびエンゲルスの唯物史観による法の動態観である。

12008 唯物史観は、法をば階級闘争の産物と見る。階級闘争の結果として一つの経済階級が勝利を占め、その階級による支配の機構が確立されると、それがその時代の法になるというのである。しかし、歴史は弁証法的に動く。弁証法的に動く歴史の動きを決定するものは、経済上の生産力であり、生産過程である。生産力の所在が変わり、生産過程が転換すると、それによって新たな階級闘争が激化し、いままでの支配関係がくつがえされる。それとともに、前時代の法も崩壊する。そうして、新たな支配の関係を支持するための法が経済の上層建築として構築される。かくて、最後には資本家階級の経済支配に対する無産階級の世界革命が行われ、階級の対立のない世界が現出するにおよんで、支配の機構たる法も無用に帰し、階級的な意味での法の強制を必要としないプロレタリアートの大同団結が出来上る、と説くのである。唯物史観が経済的な生産過程の上層建築と見ているところの法は、もとより実定法である。その説くところによれば、実定法を作り、実定法を動かし、実定法を崩壊せしめるものは、法の根底をなす経済上の生産力である。故に、唯物史観にしたがえば、法は法を超越する経済の力によって動かされる。しかも、その経済の力は、形而上学的な絶対性・必然性をもって法の変革を成しとげて行くのである。いいかえれば、ここでは、法を超越する経済の絶対法則が、法の究極に在るものとして示されているのである。

12009 勿論、唯物史観はこの法則を自然法とは呼ばない。ただに唯物史観がこれを自然法と呼ばないだけではない。唯物史観が根本前提とする経済法則を指して自然法と呼ぶことに対しては、理念論の立場に立つ本来の自然法の見地からも厳重な抗議が出るであろう。しかし、前に述べたように、法の外なる領域に法の究極者を求め、さような法の究極者の絶対性を形而上学的に論断している点では、唯物史観も古来の自然法論と趣を一にしているのである。もっとも、これに対して、史的唯物論者は更に、経済上の生産力が法や政治の上部構造を制約しているのは、形而上学的な論断ではなくて、経験の示す事実であるというであろう。たしかに、法や政治が経済の変化によって大きな影響を受けることは、歴史の経験が示している。けれども、法や政治に対する経済の制約を最後のところで一方的・絶対的なものと見ている点で、唯物史観の議論の仕方は疑いもなく形而上学的であり、自然法論の立場と共通するものをもっている。ただ、歴史を動かす経済法則の理念性をあくまでも否定し、すべての理念をば「唯物的」な経済法則の表面に浮動する「イデオロギー」にすぎぬものと見ているところに、唯物史観の自然法論に対する尖鋭化された対蹠性がみとめられる。それにもかかわらず、法を動かす経済の力を絶対化し、現行の支配機構が革命によって崩壊したのちに、やがては階級もなく支配もない一種のユートピア的社会状態の出現することを豫断している点では、唯物史観はーーその表面に標榜している「唯物論」の性格を裏切ってーー多分に理念論の性格をさえ示しているのである。それであるから、唯物論が自然法論と根本において異なる点は、後者が道徳の原理や神の意志を法の究極者と見ているのに対して、前者はこれを冷やかな経済法則に帰著せしめているところに存する。その意味で、唯物史観は一つの経済的自然法論であるといって差しつかえないであろう。

12010 要するに、唯物史観を含む広い意味での自然法思想は、いづれも「法の究極に在るもの」を突きとめようとする試みである。しかも、それは、法の究極に在るものを二つの意味において法を超越する領域に求めている。第一に、自然法は、実定法の效力の外に立ち、実定法の效力に拘束されることがないという意味で、法を超越する法である。そればかりでなく、第二に、自然法はその実体から見ても、法を超越する契機を根本の内容としている。自然法の中に、厳密な意味での法の内容が含まれていない訳ではないが、それは、むしろ自然法の派生的な内容である。自然法の最後の内容は、道徳の根本原理であり、神の意志・神の摂理であり、経済の必然法則である。自然法論は、法を取りまく道徳・宗教・経済の領域のどれか一つに最後の拠点を置いて、そこから実定法を批判し、そこに実定法を動かす力の淵源を見いだそうとしているのである。

12011 (参考1) 唯物史観による法の動態の説明ならびにそのプロレタリアート革命論の大要は、のちに(第五章)やや詳しく概観する。唯物史観が、新たな配分の公正を求めて社会改革を断行しようとする政治運動の理念論的な基礎理論たることも、そこで明らかにされるであろう。
12012 (参考2) マルクス主義は、ヘーゲルの観念弁証法から「精神」を奪い、これを「自然化」し、これを「経済化」すると同時に、これに革命的自然法の思想を結びつけた。その意味で、唯物史観が弁証法の論理と自然法の思想との結合形態であることは、トレルチの鋭く指摘するところである。
Ernst Troeltsch: Der Historisuaus und seine Probleme

 

3 自然法の機能

13001 自然法は、第一にその效力において実定法からかけ離れた法であり、第二にはその内容から見て法とは異質の性格を有するところのーーしたがって、名は法であるが、実はもはや厳密には法と名づけ難いところのーー法である。しかし、自然法が「法を超越する法」であるのは、単にこれらの二点においてだけではない。自然法は、更に第三に、その価値においても実定法を超越するものとして説かれる。特に、理念論たる本来の面目に立脚する自然法論は、自然法の価値の絶対性を強調する。実定法は時と処とによって制約された相対的な価値を有するに過ぎず、場合によっては、相対的な価値をすらもたぬ邪悪の法でさえあるが、自然法は、時代の変遷や民族の相違によって左右されることのない絶対に正しい法、絶対によい法、絶対に聖なる法として、実定法の上に高くかかげられるのである。そこで、自然法は、実定法に対する価値の尺度としての機能を営むことになる。実定法は、それ自身としては正しさの根拠をもたない。実定法は、自然法の原則と合致している場合にのみ、正しい法であり、よい法であり得る。これに反して、自然法の原則と矛盾する実定法は、いかに権力によって強行され、現実の效力を発揮していても、正しくない法である。したがって、実定法は自然法の原則にかなうように是正されて行かねばならないというのが、自然法論を一貫する態度であるということができる。

13002 しかしながら、この態度の鮮明さには、自然法と実定法との二元性の強度によって、自らにして相違がある。最も徹底した二元論の立場からいえば、理念と現実とは永遠に対立する。だから、法の理念の結晶たる自然法は、邪悪にみちた実定法制度に対して、永遠の指標とはなるが、実定法が改革されて自然法に合致するようになることは、到底望まれない。これは、ある意味でプラトン的な態度であるといい得よう。これに対して、理念と現実とをさほどにまで先鋭化して対立せしめず、理念が現実の中に強く滲透する可能性をみとめる立場ならば、見方が大分変ってくる。そういう見地からいうと、自然法と実定法とは同一ではないが、自然法は実定法の根底によこたわっている。自然法は原理であり、実定法はその敷衍・適用である。それ故、すべての実定法が正しい訳ではなく、実定法は自然法にかなうものではなければならないが、他面また、自然法も実定法上の具体規定の補足を受けて、はじめて現実の上にその力をおよぼすことができる。こういう風に自然法と実定法とを密着させて考えるのは、スコラ的自然法の態度である。更にすすんで、理念と現実とを完全に一致したものと見る一元論の立場まで徹底すれば、自然法を実定法の価値尺度とすることも、実定法は自然法に合致するように改善されなければならないと考えることも、ともにその意味を失ってしまう。なぜならば、自然法はすなわち実定法であり、実定法はそのまま自然法のなっているからである。理念と現実との合致を説いたヘーゲルの立場がそれであることは、改めていうまでもない。

13003 もっとも、ヘーゲルの場合にも、自然法が実定法の価値尺度としての意味を全くもたない訳ではない。なぜならば、ヘーゲルは、現実を理念の歴史的な発展と見た。だから、理念の現実化の度合は、歴史の段階によって相違する。したがって、高い段階に達した法制度の現実の中に、いまだに低い段階の法の形態が残存している場合には、それは理念にかなわぬ現実として排斥されることになるからである。例えば、ヘーゲルはサヴィニィの慣習法主義に反対し、成文法の法が高い形態であると考えた。理念は歴史とともに次第に高い自覚の段階に達する。倫理的な自由の理念は、国家において明哲な自覚に到達し、したがって、それにふさわしい普遍的な成文法の形をとるようになる。しかるに、自覚の段階の低い慣習法の形態に執着し、法典編纂の企てを排斥しようとする歴史法学派の主張は、一国民、特にその法学者階級に対して加えられた最大の侮辱であるといって、痛烈にこれを攻撃したのである。これはヘーゲルの立場においても、法の理念による実定法の価値批判が可能であり、必要であることを(ヘーゲル自身の一元論を裏切って)明らかに物語っているものといわねばならない。

13004 同様のことは、自然法理論の生んだ鬼子ともいうべき唯物史観にもあてはまるであろう。唯物史観は、法が理念によって動くことを否定する。法を動かすものは、経済上の生産過程の変化である。経済によって法が動かされるのは、自然・必然の法則によるのであって、これを価値づけたり、これに価値批判を加えたりすることは、一切無駄なのである。そう考える点で、唯物史観は、ヘーゲルとは逆の意味での一元論である。ヘーゲルのは観念的一元論であるが、唯物史観は唯物的一元主義に徹している。したがって、そのいわゆる経済法則が一種の自然法であるといっても、唯物史観そのものの立場には、それが理念であるとか、価値尺度であるとかいう意味は毛頭付着しておらない。けれども、人間の共同生活関係が経済法則の必然的な発展によって階級闘争をくりかえした挙句、最後には階級の対立のない和合・諧調の状態に到達するという構想は、あらゆる理念をふり棄てようとする唯物史観の中に、それにもかかわらず内在する牢固たる「理念」である。そうして、唯物弁証法の「同志」は、現実がこの理念に接近することを、単に望ましいと考えているばかりでなく、必然的な階級闘争の中に主体的に参加することによって、時代の生みの悩みを促進しようとしているのである。それは、実定法を「改善」するというような生ぬるい立場ではなく、実定法を「破壊」しようとする矯激な態度ではあるが、それだけに、そこに現在の実定法を一刻も早く否定し去ろうとする強い価値判断が内在していることは、きわめて明らかであるといわなければならない。

13005 故に、自然法のいとなむ機能は、単に実定法に対する価値尺度たることだけにとどまるものではない。自然法論は、決してただ自然法を物さしとして実定法に対する評価を下すことのみを以て満足するものではない。それは、更にすすんで、実定法をば自然法にかなうように是正・改善することを求めるのである。もしも、実定法があくまでも自然法に接近することを拒むならば、さような実定法は法たるに値しない法であるとしてこれを破壊しようとさへするのである。こういう立場から見るならば、自然法は実定法に対する正しさの基準を示しているばかりでなく、実定法を動かす力でなければならないことになる。法の究極に在るものとしての自然法の機能の最も重要な点は、正に自然法がかように「法を動かす力」をもつという点にこそ存するのである。

13006 いままで考察して来た通り、古来の学者の説いた自然法は、その根本の内容から見ると、道徳であり、宗教であり、あるいは経済である。ところで、これらのものは、それぞれ法を通じて自己を実現する力をもっている。道徳は、人間共同生活の奥深い基準であり、その理念が良心の琴線にふれるものであればあるだけ、人はこの基準にしたがって行動すべき義務があることを否定できない。したがって、もしも実定法が人間本来の道徳の要求にかなわぬものである場合には、人々は色々な障礙を排してもこれを是正することを求めるであろう。また、宗教は、人智を以て測り知ることのできない全能の理性と、原罪の烙印をになう人類の遂に到達すべからざる無缺の徳性とに対する、人間永遠の憧憬の結晶である。その究極の姿が神として仰がれるのである。かような神への絶対の帰依が人間救済の唯一の途であるならば、人は地上の醜汚と罪悪とを神の恩寵にすがって浄化しようと努めてやまないであろう。その努力が、宗教的自然法の実定法の上におよぼす力となって現れるのである。更に、経済は、人間が人間として生存するための不可缺の地盤である。しかも、経済の出発点をなすものは生産である。故に、生産の様式が変われば、人間生活の関係も変化するし、人間生活関係の規律たる法にも、それに応じた変化を生ずる。しかるに、生産に寄与する最も大きな要素は、何といっても労働である。だから、労せずして他人の労働の果実を搾取するような制度が次第に是正され、勤労する各人が各人の勤労にふさわしいかれのものを与えられるような秩序に近づくことは、実定法の当然の動きであるといわねばならない。法の中には、絶えず道徳や宗教や経済の力が働いて、道徳・宗教・経済の要求にかなうように法を動かして行くのである。いいかえれば、道徳・宗教・経済の中には、実定法を動かす力が内在しているのである。

13007 しかしながら、道徳や宗教や経済は、単なる道徳・宗教・経済として法を動かす力たり得るものではない。道徳は人倫の規範である。けれども、さような主体性のない規範そのものが現実の上に働きかけるのではなく、活きた人間の「良心」に訴え、人間の「義務意識」を呼び起こすことによって、はじめて道徳は実践への力を発揮するのである。宗教もまた、単に聖なる価値そのものとして実生活を導くのではない。現実の人間が神の摂理を「信仰」し、神の意志にかなうように「精進」することによってのみ、宗教による現実の浄化が可能となるのである。更に、経済は生産力の変化によって社会の制度を動かす。しかし、生産力とは、単なる機械力や生産技術ではなくて、機械力や生産技術を利用して行われるところの人間の「生産活動」である。かような人間の「主体性」の媒介なしには、いかなる経済法則も法を動かす力とはならない。しかも、道徳が聖人・仁者の孤高の躬行実践であり、宗教が高僧・智識の世を逃れた隠遁生活であり、経済法則の発見がマルクス、エンゲルスの共同研究の単なる結実たるにとどまっているかぎり、権力を以て擁護せられた実定法制度へおよぼすその影響は、皆無であるか、主動性をもたないか、いづれかである。道徳の確信、宗教の信仰は、それが社会一般の集団活動を方向づけるにいたって、はじめて現状改革の力となる。経済が法の下部構造であるという理論は、その真理性に共鳴し、時代の生みの悩みを促進しようとする勤労大衆の実践行動を通じて、はじめて革命的な爆発力と化する。しかるに、かような理念または理論によって方向づけられた集団行動は、すなわち「政治」の力である。実定法に対する価値尺度としての機能を営む場合の自然法は、単なる理念であり、法則であり得るが、実定法を動かす契機としてのその役割は、政治を媒介することによってのみ力強く演ぜられる。ここにおいて、「自然法理念の政治化」ということが当面の問題となって来なければならない。

13008 (参考)
・Hegel: Grundlinien der Philosophie des Rechts, 1821
・法の理念と現実の対立を認めない一元論の立場といえども、法に対する価値判断を必然的にその中に含まざるを得ないということは、サヴィニイの歴史法学についても指摘することができる。サヴィニイは、法をば民族精神の所産と解し、したがって、法は成るものであって作られ得るものではないと説いた。だから、法の是非善悪を論じて見たところで、悪いと考える法を人為的に廃止することもできないし、良いと思われる法を技術的に作ることもできない。否、むしろ、民族精神とともに成立した法は、そのあるがままの姿において肯定されなければならないというのが、サヴィニイの考え方である。そういう見地から、法の本然の形態は慣習法であるとなし、法の成文化に反対したとき、かれの立場がすでに二元的な評価の態度を含んでいることは、ラアドブルッフのいうがごとくである。
(Radbruch: Gründzüge der Rechtsphilosophie, 1914)

 

4 自然法理念の政治化

14001 道徳や政治には高い理念がある。唯物史観が唯物的にとらえた経済法則や財貨の生産関係にも、実は理念が内在している。しかし、これらの理念は、それが現実人の現実意識に宿り、人間の現実行動を集団的に方向づけることによって、現実の社会生活を動かす力となるのである。これを「政治」と名づけるならば、およそ自然法にして政治性をもたぬものはない。自然法が現実の上に働きかけるためには、まづその理念の政治化が行われなければならない。現実政治の刷新に見かぎりをつけ、アテナイの郊外にアカデメイアを開いて哲学の述作と教授に没頭したプラトンのイデアは、その説かれたままの形では現実を超絶する不変・恆常の実体を意味した。しかも、プラトンの理念論が一般哲学のみならず政治哲学の発達に大きな礎石となったのは、それがのちの世までも人間の理性と意欲とに強く訴えるものをもっていたからであり、そのかぎりにおいてやはり、一つの政治性を有していたためである。また、アリストテレスの哲学を神学的に発展せしめたトマス・アクイナスの自然法は、その根底において神の摂理たる永遠・絶対の永久法に立脚するものであった。しかし、トマスの自然法論が単なる教会の哲理たるにとどまらず、現実の国家秩序の発達に対する指導力を発揮し、その現実的な影響がむしろ第二十世紀にいたって強い復興のいきおいを示しているのは、それが政治と結びつく可能性、否、必然性をもっていたからである。更に、マルクス、エンゲルスの唯物史観にいたっては、単に法ばかりでなく、政治もまた一方的に経済によって動かされると説くのであるが、その実それが、最も強烈・過激な政治の指導理論であることは、のちに詳しく論ずるがごとくである。かように、本来は道徳的または宗教的な意味を有する自然法、もしくは経済の社会変革力を強調する唯物史観の経済的自然法も、それぞれの立場立場において政治との聯関をもっていないものはない。しかし、これら古来の自然法の中でも、その政治性が最初から最も濃厚に現れ、倫理的自然法や宗教的自然法あるいは経済的自然法に対して、正に政治的自然法として正面から登場して来たものは、近世啓蒙時代のそれであった。

14002 勿論、かようにいうからといって、近世の啓蒙的自然法に倫理や宗教や経済の契機が含まれていない訳ではない。近世自然法論の特にかかげる理念は、「自由」と「平等」とである。しかるに、人間は本来自由であるという思想は、神は人間をのみ自由意志の主体として創造したというキリスト教の根本観念に由来する。また、本来自由なる人間は、その意味で互に平等であらねばならぬという考えは、アリストテレス以来西洋の社会倫理思想の伝統となったところの「各人にかれのものを」の要請を継承している。そうして、各人にかれのものを分かつということは、その内容から見るならば、主として経済上の配分に関係するのである。しかし、これらの宗教的道徳的理念を改めてかかげて立った近世自然法思想の直接の目標は、現実の人間開放であり、現実の国家制度の下での人間自由の確立である。この目標を実現するためには、人間を束縛し、自由を圧迫する封建政治を打破しなければならぬ。政治を打破せんがためには、これを打破しようとする立場それ自身が強大な政治力とならなければならぬ。既存の政治機構を打破しようとする行動は「革命」であり、革命は最も尖鋭化した政治力の爆発である。近世啓蒙時代の自由思想・平等思想は、滂湃たる(ほうはいたる;水がみなぎり逆巻くような)革命への情熱となって凝結した。そうして、現実のフランス革命を中心として、封建的社会組織を打破するという目的を達成した。その指導理念となったものが、ルソーやシェイエスによって代表される自然法理論である。そういう意味で、近世啓蒙期の自然法をば特に政治的自然法と呼び、これを古代の倫理的自然法や中世の宗教的自然法、更に第十九世紀の中葉以降にいたって新しい社会問題の焦点となったマルクス主義の経済的自然法と区別して論述するのは、充分に理由のあることといってさしつかえないであろう。

14003 近世の政治的自然法思想がその出発点において解決する必要に迫られたのは、本来自由であるはずの人間が、何故に現実には国家制度の下に生活し、国家の法に拘束されているか、という問題である。この問題は、二様の意味で提出され得る。すなわち、この問題が意味するところは、第一には、原始時代には実際に拘束を知らない自由生活を営んでいた人類が、いかにして国家生活に入るようになったか、ということである。第二には、本来自由であるべき筈の人類が、現在では国家生活を営んでいるのは、いかなる理由によって是認され得るか、ということである。カントの用語を以ていへば、第一は「事実の問題」(quawstio facti)であり、第二は「権利の問題」(quaestio juris)である。啓蒙時代の自然法論は、これらの二様の問題をば、同じ一つの仮説を以て解決しようと試みた。それが「国家契約」の仮説であることは、いうまでもない。

14004 国家契約ということは、歴史上の事実ではなくて、学者の考え出した仮説である。しかし、事実の問題に対する答えとして案出された場合には、案出者それ自身、あたかもこの仮説が歴史上の事実を物語っているかのような錯覚を起すのである。もともと不羈独立の自由生活を送っていた人類が、その生活の不利を悟り、歴史上のある時期において実際に国家契約を結んだかのごとくに考えるのである。しかし、それはそれ自身として事実に反するばかりでなく、明らかに謬った前提の下に立っている。なぜならば国家契約ということが一つの作り話であるばかりでなく、人間の原始生活が社会規範の拘束を知らない自由状態であったという前提も、全くの作り話だからである。アリストテレスにしたがって、人間本来の社会性を主張するスコラ的自然法論者が、この点で啓蒙的自然法を非難しているのは当然といわなければならない。これに反して、同じ国家契約の仮説も、権利の問題に対する答えとしては深い法哲学的な意味をもって来る。権利の問題に関する答えとしての国家契約説は、次のように説く。すなわち、人間は本来自由であるべきである。しかるに、人間はすべて国家の中で法に拘束された生活を営んでいる。この矛盾した関係は、国家の存立が国民すべての自由な合意を論理的な基礎とすることによって、はじめて矛盾でなくなる。それが国家契約の論理的な意味である。ルソーがその『社会契約論』のはじまりにあたって、「人間は自由に生れた。しかも、人間はいたるところで鉄鎖につながれている。L'homme est né libre, et pour-tout il est dans les fers.」といい、「どうしてそうなったのか、私はそれを知らない。どうすればそれを是認できるか。私はそれには答えることができると思う。Comment ce changement s'est-il fait? Je l'ignore. Qu'est-ce qui peut le rendre légitime? Je crois pouvoir réfoundre cette question.」と述べているのは、ルソーが国家契約を事実の問題としてではなく、権利の問題としてとらえていたことを明らかに示している。そうして、この着想は更にカントによって受け継がれた。近世の自然法論は、ルソーおよびカントによって深い内面化の転換を遂げたのである。

14005 人間は自由に生まれた。しかも、人間はいたるところで鉄鎖につながれている。ーーこのルソーの言葉は、およそ人間の自由を拘束する鉄鎖に対するかぎりない呪詛を表現しているように見える。国家および国家の法が人間の自由を拘束する鉄鎖であるとするならば、この言葉には国家と法に対する無限の抗議がこもっているように見える。しかし、もしも『社会契約論』の読者がそういう印象を抱いたとするならば、それはこの書を皮相的に読んだために生じた誤解である。ルソーは、決して法と国家を否定しようとしたのではない。むしろ、これをあくまでも肯定しようとしたのである。ただ、いかにすればこれをすすんで肯定し得るか、という条件を明らかにしようとしたのである。ルソーは、どうして自由なるべき人間が法の鉄鎖の拘束を受けるようになったかの由来は、これを知らないといった。しかしながら、どうすればこの状態を是認し得るかという問いには、確信を以て答えることができるという態度を示した。その答えが、社会契約または国家契約の理論である。かれは、この理論によって、法の鉄鎖による拘束を積極的に肯定しようと試みたのである。

14006 すなわち、もしも法による拘束が根本から人間の自由と相容れ得ぬものであるならば、いかなる理論を以てしてもこれを是認することはできない。もとより、法による拘束は自由の拘束である。拘束された自由は自由ではない、という意味では、自由と法の拘束とは矛盾した概念である。しかしながら、もしも人間の自由を拘束するところの法そのものが、法の下に生活する人々の自由な意思によって制定されたものであるならば、法による拘束は他律の拘束ではなく、自律の拘束となる。自律の拘束は、拘束ではあるが、自由の理念と矛盾しない。しかも、法を創造する意志は、単なる個人の気随な意志や多数個人の偶然に一致した意志ではなく、常に「公共の福祉」(bien commun)を実現しようとするところの国民の「総意」(volonté générale)である。国民の総意は、公共の福祉と合致するが故に常に正しい。かように、常に正しく公共の福祉を実現しようとする国民の総意によって法を作り、その法によって自己一身の利益に汲々としている個別意志を規律するのは、決して自由の否定ではなくて、むしろ大いなる自由の実現である。国家はさような自由実現のための制度として、正に国民全員の合意により支持されるに値する。それが、国家存立の根拠としての原始契約の論理的な意味である。故に。国民は自由を求めて、これを国家の中に見出すのである。故に、国家制度および国家における法の規律は、人間自由の理念と少しも矛盾しない。

14007 しかしながら、自由の理念と矛盾しないのは、国民の総意によって法を作るところの国家制度である。したがって、法の上に国民の総意を反映せしめないような国家制度は、自由の理念と矛盾する実定法の組織として、是正されるか、排斥されるかしなければならない。そこで、ルソーの理論は、国家制度の具体的な検討に立ち入る。その場合に、かれが理想として描き出しているのは、直接民主制による小規模な国家形態である。周知の通り、ルソーは国民代表制度に反対した。なぜならば、ルソーによれば、主権は代表され得るものではないからである。また、国民を代表すると称する議会は、総選挙が済んでしまえば、逆に国民の自由を蹂躙し、これを奴隷と化することができるからである。そういう理由から、ルソーは国民の総意は直接の投票によってのみ表現されると考えた。その点さえ確立されているならば、国家によって君主があってもいいし、君主のいない共和国でもよいというのがルソーの見解である。ただ、国民の総意を以て立法の基礎とするという点だけは、いかなる国家のためにも必要な条件である。国民の総意によって立法を行うというのは、「国民主権主義」である。この条件の下に君主制が行われている場合には、その君主は政府の首長であり、国民の総意を以て決定された法の執行者たるべきである。いいかえると、君主国の君主は、恣意によって法を作り、国民に他律の拘束を加える専制君主であってはならない。故に、ルソーの自然法理論は、専制主義の実定法制度を否定して、自由の王国を讃美する。かれの『社会契約論』がフランス革命の原動力の一つとなり、一七八九年の人権宣言に大きな影響を与えたと称されるのは、その意味で充分に理由のあることといはなければならない。

14008 けれども、一方で国民主権主義を基礎づけたところのルソーの自然法理論、特にその国家契約説は、他面では「国権絶対主義」の有力な典拠となった。この、一見矛盾しているように思われるルソーの学説の両面性は、その国民の「総意」の概念に胚胎する。前に述べたように、国民の総意は常に「公共の福祉」を目ざす意志であり、それ故に「常に正しい」(toujours droite)。これに反して、国民各個の「特殊意志」(volonté particulière)は、特殊の利害に執着している。だから、特殊意志が偶然に一致してできる国民の「すべての意志」(volonté de tois)と国民の真の「総意」(volonté générale)とは、明確に区別されねばならぬ。そこで、特殊意志の主体たる個人は、自己自身としてはそれに反対であっても、あくまでも「総意」にしたがわなければならぬ。はなはだ、逆説的に聞える理論ではあるが、個人が「総意」によって作られた法に絶対に服従すればするほど、国民はそれだけ自由になるのである。ルソーはかように説く。かように説くルソーの理論は、ヘーゲルの「普遍意志」(allgemeiner Wille)の思想とその軌を一にしている。なぜならば、ヘーゲルにとっても、個人の「特殊意志」(besonderer Wille)は自由でない。自由の理念の実現は、普遍意志にのみ求められる。故に、個人は、その特殊の利害を顧みず、国家の普遍意志に合致することによってのみ、自由であり得る。ヘーゲルは、そこから国権絶対主義を導き出した。同じ意味で、ルソーのヴォロンテ・ジェネラル(volonté générale)の理論にも国権絶対主義の契機が含まれている。だから、デュギイ(Léon Duguit)などは、ルソーの思想はフランス革命の人権宣言によってでなく、ヘーゲルの絶対主義の国家哲学によって継承された、と主張するのである。ルソーの『社会契約論』は、万能の国家権力から人間を解放する福音ではなく、人間をば国家の絶対命令の下にあますところなく隷属せしめる教説であった、と論ずるのである。ルソーの説くところを仔細に吟味して見ると、デュギイのような解釈もまたきわめて鋭い洞察に立脚するものであることが知られる。

14009 国民のヴォロンテ・ジェネラル(volonté générale;総意)を以て法であるとし、法による拘束をば自由の実現であると説くルソーの理論が、一方では自由開放の時代思潮の尖端を行くものであったといわれ、他方では国家の権力を絶対化する思想の根源を成したと解せられるのは、共に理由のあることである。これら二つの対蹠的な解釈が共に理由があるということは、ルソーの理論に内在する大きな矛盾を物語っている。しかし、この矛盾は、決して単にルソーだけの問題ではない。「国民主権主義」と「国家絶対主義」との対立・矛盾・交錯は、西洋近世の政治思想の共通の問題であり、したがって、西洋近世の政治思想の発達を指導した政治的自然法理論に共通の問題であった。故に、この点を更に立ち入って考察することは、法と政治の関係を論究するための最も重要な手がかりとなるであろう。

14010 参考1:トマス・アクイナスの自然法理論の精神を継承する新スコラ学派の法哲学は、今日の学会に多くの優れた学者を輩出せしめている。ドイツのカートライン、シリング、ホェルシャア、ベトラシェック、フランスのル・フェウル、ルナール、日本の田中耕太郎博士などがそれである。そればかりでなく、ドイツでは一八七〇年以来、カトリックの信仰を基礎とする「中央党」(Zentrum) という政党が組織され、ワイマール憲法時代には左右両翼の中道を往く議会の安定勢力として、きわめて重要な役割を演じた。

14011 参考2:デュギイは次のようにいっている。=「所謂『民約論』は、自由主義的個人主義に充たされ、而も国家権力を制限すべき基本的義務を世界に宣言しているところの、人権宣言の対蹠に立つものである。ジャン・ジャック・ルソーはジャコバン的専制主義とケーザル的独裁主義との父である。而も一層精密の観察するなら、カントやヘーゲルの絶対主義理論の鼓吹者でもある。これを証明するためには、『民約論』を読むのみで充分である。だが、結局はその全部を読まねばならぬのである。

 

5 国民主権主義と国権絶対主義

15001 元来、ルネッサンスや宗教改革とともに開幕を見た近世初期の人間解放の運動は、一面では、個人としての人間の解放を目ざす力強い政治動向となったと同時に、他面ではまた、近代ヨーロッパの政治社会をば中世以来の教権の支配から解放しようとする大きな動きでもあった。それは、一方では個的人間の自覚史であり、他方ではヨーロッパの国民国家の主権国家としての発達史でもあった。そうして、近代の政治社会が、轡を並べて、擡頭してきた他の国民国家との激しい競争場裡にあって、カトリック教会の権威を凌駕すると同時に、中世以来の封建諸侯の勢力を抑圧することにより、主権国家としての地歩を確立していくためには、まづ、国内の中央集権的統一を強化する必要があったのである。このことは、国民生活の内部に二つの矛盾した潮流を発生せしめる。一つは、国民の人間個人としての自由を保障するために、国家の権力を法によって制限しようとする動向である。他の一つは、国家の中枢権力をあくまでも強化し、国民の統一を確保して国運の興隆を図ろうとする潮流である。前者は個人主義・自由主義・民主主義・国民主権主義として結実し、後者は国家主義、権威主義・君主主義・国権絶対主義となって結晶した。しかも、両者はともに自然法理論、殊に国家契約説をその政治上の旗じるしとしてかかげたのである。

15002 それでは、同じ国家契約説が、いかにして個人の自由を擁護すべき国民主権主義と、君主を中心とする国権絶対主義の二君につかえることができたか。その理由を明らかにするためには、国家契約説を構成する二つの要素を分析して見る必要がある。

15003 国家契約説は、ルソーとカントによって「権利の問題」にまで深められたが、それ以前の比較的素朴なこの理論は、「社会」の成立と「国家」の成立を併せて説明するという任務をもっていた。そこから、国家契約の中に含まれている二つの契機を理解することができる。すなわち、その第一の要素は「社会契約」(Gesellschaftsvertrag)である。人間が孤立した自由の原始状態から国家契約によって社会的共同生活に入ったというとき、その国家契約は正に社会契約を意味した。しかし、かくして成立した人間の社会的共同生活には、何よりもまづ秩序がなければならない。なぜならば、秩序と安寧の保障とを求めることこそ、国家契約の根本目的に外ならないからである。しかるに、人間共同生活の秩序が維持されるためには、特定の人が権力を掌握し、他の人々はその権力に服従するという関係が確立される必要がある。権力による統制がなければ、秩序の確保は不可能である。かような権力による支配・服従の関係を作り出すものは、国家契約の中に含まれた第二の要素としての「支配契約」(Herrschaftsvertrag)である。すなわち、国家契約を結んだ人々は、社会契約によって共同生活関係を創設すると同時に、支配契約によって特定の人に権力を賦与し、他の人々はこれに服従することになる。国家生活を営む一般国民が政治上の権力に服従する義務を負うのは、かような支配契約としての国家契約の效果に外ならない。

15004 けれども、この支配契約の意味を立ち入って考察して見ると、更に、二つの解釈の可能性が成り立つ。第一の解釈によれば、国家の中枢権力は支配契約によってはじめて権力者に委任されたものであるから、決して始原的な意味での絶対権ではない。始原的な絶対権は、国家成立の以前から自然法によって基礎づけられていたところの人間天賦の権利あるのみである。国家は権力団体であり、国民は権力に服従するけれども、国家生活が成立したのちといえども、始原的な主権を有するものは、権力者、例えば君主ではなくて、権力者に権力を委託した国民でなければならない。国民は支配契約による権力の授託者であり、権力者はその受託者にすぎぬ。故に、権力者が国民の信託にそむいて、その権力を濫用し、国権によって擁護せらるべき国民の権利を逆に圧迫したり、あるいは、その自由を剥奪するようなことがあれば、さような権力者は始原契約の違反者であるから、国民はもはやその権力に服従する義務を負わない。そこで、濫用された権力に対する国民の反抗権が生ずる。更にすすめば、苛政・虐政を行って、民権を蹂躙するような君主は、すべからくこれを放伐すべしという暴君放伐権が唱えられる。もっと徹底すれば、国家契約の本義を無視するような実定法制度は、革命によってくつがえさなければならないという主張になる。これが、国家契約の仮説からひき出される国民主権主義の結論である。

15005 これに対して、国家契約の内容を成す支配契約についての第二の解釈によれば、国民はこれによって権力者に権力を単に委託したにすぎないのではなく、これを完全に譲渡したのである。単なる委託ならば、国民は必要に応じていつでも権力を権力者から自己の手に取り戻すことができる、しかし、実はそうではなくて、国民は国家契約によってその本来の権利を挙げて権力者に譲渡したのである。それは完全な譲渡であるから、国家契約の前には完全な自由と権利とを有していた人々も、国家の成立とともに、その本来の権利を喪失し、権力者、特に君主が絶対権を獲得したことになる。それでは、人々は何故にその本来の自由と権利とを放棄して、君主の絶対権に拘束された国家生活への道を選んだのであろうか。国権擁護論者は、この問いに答えるのに、人間性に対する根本からの悲観論を以てする。すなわち、人間は、自由であるかぎりただ己の利益のみを追求して互に相争うところの動物である。故に、絶対の権力を以て統制しないかぎり、人間共同生活に秩序は到底保たれ難い。よしんば国家を作っても、その中で国民に自由を許すならば、秩序はたちまち混乱して収拾できなくなるであろう。だから、国家の成立と同時に、各人のもつ自由と権利とを単一の支配者の手に完全に移し、国民をその命令に絶対に服従せしめることによってのみ、国民生活の秩序が保たれ、国家契約の目的が達成され得る。ホッブス(Thomas Hobbes)が、「人は人にとって狼である」(homo homini lupus)という独特の極端な人性観と国家契約の仮説とを結びつけて、国家の絶対権を演繹したのは、正しくかような考え方を代表する。近世の国家絶対主義は、あるいはホッブスのような演繹を用い、あるいはマキャヴェリ流の「国家理由」(Staatsraison)の思想を楯に取り、あるいはボダン(Jean Bodin)の主権理論を援用して国民主権の理念と対抗し、自由の過剰を抑えて、近代主権国家建設への途を拓いて行ったのである。

15006 近世の自然法論から岐れた国民主権主義と国権絶対主義とのこの対立は、その後も色々な形でくりかえされつつ今日に及んでいる。その中で、近世政治思潮の主流は、大体として前者にあるということができるが、そのいわば敵役のような形で演ぜられてきた後者の役割も、決して小さいものではない。しかも、両者は、そのいずれもが、結局「法の究極に在るもの」を政治に求めているのである。法の究極に在るものが政治であるならば、政治は、一方では「法を作る力」となって働き、他方では「法を破る力」として作用する筈である。ここに、法と政治の関係をめぐる二つの主要なテーマがある。この二つのテーマに、いままで述べて来た国民主権主義と国権絶対主義の対立を織りなしつつ、これをその顕著な現れであるところの「憲法制定権力」や「革命権」や「国家緊急権」の思想について叙述して行くことが、次の二つの章の任務に外ならない。

15007 参考;国家契約の概念の中に社会契約および支配契約の二つの意味が含まれていることは、特にギェルケ (Otto Gierke) の指摘するところである。

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第二章 憲法制定権力

 

1 法を作る力

21001 法の究極に在るものを、実定法の上に働きかけるその作用の面から求めて行くと、これをとらえる二つの筋道が発見され得るであろう。その一つは、法の究極に在るものを「法を作る力」としてとらえる捉え方である。他の一つは、これを「法を破る力」として突きとめて行く筋道である。こうした筋道から問題を検討して行くと、法の究極に在るものは、それが実定法を作る根源となる場合にも、それが実定法を破る作用をいとなむ場合にも、ともに一つの「力」として把握されることになる。

21002 元来、法の根底には何らかの力がある。法が法として行われるのも法のもつ力によるし、法が法として新たに成立して来るのも、やはり法の根底にある力の作用である。法か力かということは、法哲学の永い歴史を通じて絶えず争われてきた問題である。しかし、問題のこの提出の仕方は、厳密に考えれば、必ずしも正確であるとは言い難い。なぜならば、法か力かという風に問うのは、力から切り離された単なる規範としての法があり得ることを予想して、これと力との対立を取り上げようとしているからである。けれども、力によって裏づけられていない規範、力の基礎をもたない法は、現実には行われ得ぬ法であり、したがって実はもはや法ではない。法には力がなければならぬ。その規律するところをば力を以て貫徹し得る法のみが、誠の意味での法である。いいかえると、法は力によって行われる規範であり、規範を実現するところの力である。故に、厳密な意味で問題となるのは、「法はいかなる種類の力であるか」ということであって、「法か力か」ということではないといわなければならない。

21003 しかしながら、それにもかかわらず、この根本問題が「法か力か」という形で論ぜられる場合が多いのは、決して理由のないことではない。法と力との関係が特に問題となるのは、法が安定しているときではなく、法が新たに作られ、あるいは法が急激に変革される場合である。法が安定しているときには、法を支えている力は規範体系としての法の外形の蔭に隠れているために、あたかも規範が規範として行われているように見える。これに反して、法の創造の場合あるいは法の変革の場合には、法以外の力、もしくは法以上の力が働いて、旧い法を動かし、新しい法を作って行くという関係が、はっきりと前面に現れて来るように見える。この関係を肯定するならば、法を作り、法を動かすものは、非法の力であるということになるであろう。もしまた、それにもかかわらずこの関係を否定するならば、法は非法の力に屈するものではなく、あくまでも法自身の根拠によって変化・発展して行くという結論に到達することになるであろう。そこで、問題はやはり、法を生み、法を動かすものは、法か力かという形で提出されることになって来るのである。

21004 法は、いかに安定した状態においても、決して固定したままで動かないでいる訳ではない。安定した秩序の中でも、法は絶えず新たに作られ、既存の規範の改廃が行われている。しかし、そういう場合には、法は原則として法によって作られ、法にしたがって改廃されるのである。憲法にもとづいて法律が制定され、憲法改正の条規によって憲法の規定に変更が加えられ、法律が認めることによって慣習が法となるがごとき、それである。しかし、法の制定や改正の方式を定めている法が、更に何から生まれ出て来るかを探ねて行くと、最後には、すべての法を生む法のそのまた淵源に在る力、特に憲法の淵源に在る力が問題とされなければならなくなって来る。かような力もやはり一つの法的な力であると見るならば、法は法から生まれるという原則はゆらがない。これに反して、その力はもはや法的な力ではないと考えるならば、法は最後は非法の力から生み出されるということになる。その結果として、法を作るものは、法でなくて力であると考えざるを得なくなって来るのである。

21005 同様に、法は時として法の規定する手つづきによらないで変革されることがある。安定した秩序について見ても、微細な点では法の違法の変化と認められるような現象が生ずることがある。殊に、歴史の変動期には、あからさまな法の破砕が行われる。革命によって憲法が破られ、権力によって法律が無視されるような場合が、それである。かように法を破る力も、結局は一つの法的な力であり、しかも、破られた法よりも上級次元の法の力であると考えるならば、それは法が能動的に法自らを変革したのであって、受動的に力に屈服したのではないということができる。これに対して、法を破る力はもはや法の力ではなく、非法もしくは不法の力であるとするならば、法に対する力の優越ということが肯定せられざるを得ない。ここでもまた、法か力かということが、深刻な問題となって来るのである。法はすべて力をもつ。けれども、法たる力が法たらざる力から生れ、あるいは、法たる力が法の外なる別個の力によって破られるということになると、人は、法たる力の究極に法たらざる何らかの力が働いていることを認めざるを得なくなって来るであろう。

21006 それであるから、法の究極に在るものは法か力かという問いは、法に対する二つの対蹠的な根本観念の分岐点となるのである。第一の立場は、法の究極に在るものは、あくまでも法であると見ようとする。法を作るものは法であり、法を作る法の根源にも、また、法が横たわっていると考えようとする。よしんば、法が破られるように見える場合にも、或る程度まで法が破られることを認める原理ーー例えば、メルクル(Adolf J. Merkl)のいう「瑕疵予測」の原理ーーが法の中に内在していて、法が破られることを法的に認証するのであると論ずる。かような立場は「規範主義」である。なぜならば、この立場においては、法の根源に在る法的なるものは、結局一つの規範の通用力と見なされるからである。これに対して、第二の立場は、法の究極に在るものを法を超越する領域に求めようとする。特に、これを法的にはもはや説明できない力であると見ようとする。法を作るものは、非法の実力であると考えようとする。法とは、現実に法を作る力を有する者が、これが法であるとして決定したものであると論ずる。したがって、もしも、この力が既存の法を法として認めないことになれば、その法は、この力によって破られることになるというのである。この立場は「決定主義」である。なぜならば、この力から見れば、法は最後には実力を以てする決定によって左右されることになるからである。かようにして、規範主義と決定主義の著しい対立が生ずる。ここでは、まず、この対立をば、法を作る力の問題をめぐって展開せしめ、次の章において、同じ問題をば法を破る力という角度から考察することとしよう。

21007 参考:メルクル (Adolf J. Merkl) は、ケルゼンとともに本文にいわゆる規範主義の立場を代表する。しかし、ケルゼン(Hans Kelsen)が違法の法というものを原理的に認めない建前を採ったのに対して、メルクルは、実定法秩序の中には往々にして違法の行為によって法が破られるという現象が起こることを認める。行政行為の瑕疵によって違法の決定が与えられるような場合が、それである。しかし、メルクルによると、そのような瑕疵は実際に或る程度までは免れ得ないのであって、実定法はかかる瑕疵の生ずることを予測し、これをその違法性にもかかわらず法として取り扱うという態度を採っているのである。それが、メルクルの「瑕疵予測 (Fehlerkalkül)」の原理である。

 

2 規範主義と決定主義

22001 法を作る最後の淵源は法でなければならないと見るのは、法治主義の世界観である。徹底した法治主義は、人が人を支配するということを否定する。人の生活を律するものは、人の意志ではなくて、客観的な法でなければならないと主張する。勿論、人間はいたるところで法の下に生活している。社会あるところ法ありで、社会の関係はすべて法によって規律されている。しかし、もしもその法が権力者の意志によって任意に作られたものであるならば、法は権力者による支配の道具にすぎないということになる。法の規律といえども、実は、法を手段として行われるところの人による支配であるということになる。これに対して、ラバンド(Paul Laband)やイェリネック(Georg Jellinek)は、権力者が主権をふるって人民を支配するという専制制度を排除するために、国家を擬人化してこれを権利主体と考え、統治権は法人たる国家に帰属し、法は国家の意志によって作られるという風に説明した。けれども、国家という権力団体がその意志によって法を作り、法を通じて国民を統治するというのも、人による人の支配の新たな形態に外ならない。この形態の下においても、国家は万能の権力をふるって、国家権力を掌握する人々の思うがままの統治を行い得るのである。これに対して、現代法治主義の発達は、いかなる権力を以ても侵すことを許さない法の権威を確立しようと力めた。個人たる権力者であろうと、法人たる国家であろうと、およそ人が人を支配するという関係を抹殺して、いかなる支配者もその下に規律さるべき法の支配を基礎づけようと試みた。クラッべ(H. Krabbe)は、そこに現代国家の理念があると主張したのである。クラッべによれば、近代国家においては、個人であれ、法人であれ、人が人の上に立って人を支配するということは、すべて背理である。人の上に立って人の行為を規律し得るものは、ひとりただ、法のみである。かような思想は、地上の王を排斥して、法を王たらしめようとするものであるといい得るであろう。なぜならば、もしもすべての人の上に立つものを王と呼ぶならば、法こそ、ノモスこそ、まさにすべての人の行為を規律する王でなければならないからである。法は、現実の王の上に立つ王でなければならぬ。むかし、ギリシャの詩人ピンダロスは、「法はすべての人間と神々との王なり」といった。法を作り、法を行う一切の権力も、最高の法には臣事すべきものであるという法治主義の思想は、この言葉によって表現されて余蘊がない。

22002 こうした思想を更に徹底させて行くと、人が法を作るとか、権力によって法を行うとかいうような考え方は、ことごとく法学の考察から排除されることになるであろう。法は規範であり、規範は規範として行われる。人が法を行うのではなく、規範は規範たるの妥当性において通用するのである。かくのごとくにそれ自身として通用力をもつところの法規範は、人によってつくられるものではなく、権力によって創造されるものでもない。法は法から生まれる。規範は規範から生ずる。法を作り出す力をもつものは、ひとりただ法規範でのみある。ただし、法を作る法は、そこに作り出される法と同じ段階に在る法ではなくて、それよりも上級・高次の法である。判決を作り出す根拠となる法律は、判決よりも上級の法であり、法律を生み出すところの憲法は、法律よりも高次の段階に在る法である。法を作り出すものは、規範と規範との間にあるかような段階的の「規範論理」の関係である。法創造の過程からかくのごとくに一切の権力的な要素を、したがって一切の人間的な要素を排除しようと試みたのはケルゼンを代表者とする純粋法学の法段階説である。法段階説によって説かれた法のこの階梯を昇りつめて行くと、最後には、すべての法律を生み出す根拠となると同時に、それよりも上位にはもはや法のない究極点に到達するであろう。そうして、もしこの究極点に在るものもやはり法であるということができるならば、法は最初から最後まで法から生れるのであって、人の意志や人の権力が法を作るのではないという断定が下されたことになるであろう。純粋法学は、法の作用をあくまでも純粋に法学的に説明するために、そういう断定を下そうと力めた。そこで、法の生成の究極点に在るものを憲法以上の憲法となし、これを「根本規範」(Grundnorm)と名づけた。これは法の究極に在るものをあくまでも法と見、規範と解そうとする規範主義の立場の、最も突きつめた形態である。ノモスを以て王であるとする思想は、ここにおいて最も徹底した表現を与えられたことになる。

22003 しかしながら、純粋法学は規範から規範が生まれるというけれども、主体性のない規範が規範を生む力をもつということは、考えられ得ない。規範から規範が生まれるためには、上級の法規を解釈・適用し、それによって下級の法規を定立する人間の意志行動がその間に介入しなければならぬ。議会が憲法にしたがって法律を作り、裁判官が法律を按じて判決を下すがごとき、それである。そうであるとすれば、法秩序の最高段階に在る根本規範といえども、やはり何らかの人の意志行動によって定立されたものであると考えざるを得なくなる。しかるに、根本規範の上位にはもはや何らの規範もないのであるから、根本規範を作り出す人の意志行動は、何らの規範にも準拠することのない単なる力の作用であり、何らの法によっても拘束されることのない純粋の事実上の決定であるということにならざるを得ない。例えば、革命によって君主制を倒壊せしめ、新たに共和制の憲法を作った場合の国民の行動は、もとより、君主制の憲法に準拠するものではない。それどころか、君主制の旧憲法から見れば、それは正面から法を破る事実であり、最大の不法行為である。それにもかかわらず、革命が成功すれば、法に準拠しないかような事実行動によって共和制の新憲法が作り出されるのである。純粋法学の組織者たるケルゼンも、そういう場合があることを看過する訳には行かなかった。ただ、さような事柄は、全く法の世界の外で行われる現象であるとして、これを法学の問題とすることを避けようとした。そうして、革命によって力の所在が転換すれば、新たな力の関係を法とするところの新たな根本規範ができ上がり、その根本規範の下にもろもろの法が規範論理的に創造されるのであると考えようとした。ケルゼンが、根本規範は「力の法への転化」(Transformation der Macht zu Recht)であるといっているのは、そういう意味と解せられる。しかし、根本規範を「力の法への転化」であるというのは、根本規範が法創造の最後の淵源ではなく、その奥に、法ならざる力が潜んでいることを認めているものといはなければならない。それは、非法の世界での意志決定が、法を作る究極の力であることを承認している態度といわざるを得ない。「規範主義」は、この極限の問題において遂に破綻を示し、これに代わって、これとは正反対の「決定主義」が登場して来ることとならざるを得ない。

22004 カール・シュミット(Carl Schmitt)は、『法学上の思考の三形態』という論文の中で、力の決定によって法が作られると見る立場を「決定主義」(Dezisionismus)と名づけ、これと「規範主義」(Normativismus)との対立をきわめて鮮やかに描き出している。規範主義は、法を最後まで規則または法律と見ようとする態度である。それは、「規則または法律の思考」(Regeln-oder Gesetzesdenken)である。これに対して、決定主義は、事実上の決定力をもつ者の下した、決定が法の最後の根拠をなすとする見解である。それは「決定の思考」(Entscheidungsdenken)である。規範主義の典型的な表現は、ケルゼンの純粋法学であるが、シュミットは、正反対の決定主義を代表する古典学説としてホッブスの思想を挙げている。なぜならば、ホッブスにとっては、「すべての法、すべての規範および法律、法律のすべての解釈、すべての秩序は、根本において主権者の決定である。そうして、主権者とは正統の君主もしくは権限ある地位ではなく、正に主権的に決定を与える者に外ならない」からである。故に、決定主義の立場から見れば、あらゆる法の上には何らの法の認証をも必要としない力があり、実力の決定がある。規範主義によれば、ノモスが最上の権威であり、最高の王であった。あらゆる力の上に法があった。したがって、いかなる地上の王も「ノモス王」には服従しなければならなかった。これに反して、決定主義によれば、一切の法は力によって作られる。すべてのノモスの上には王がある。ノモスが王なのではなくて、王がノモスを作るのである。規範主義は、REXもLEXにはしたがわなければならないという。決定主義は、LEXは結局REXの決定によって作られるという。最高の権威はLEXなのか、REXなのか。王を拘束するノモスか、ノモスを作る王か。「法か力か」の問題は、ここにその最も尖鋭化した対立を示しているということができよう。

22005 この対立に対して、シュミットは更に第三の立場を問題の解決として用意しているのであるが、それについてはのちに述べる機会がある。故に、ここではその点に触れることを避けて、規範主義と決定主義の対立だけを考察することとしよう。そのかぎりにおいては、規範主義よりも決定主義の方に分があることを認めない訳には行かない。事実、ケルゼンも、法の段階の最高位にある根本規範を「力の法への転化」と認めることによって、実力決定主義の前に膝を屈しているのである。

22006 それでは、規範主義が決定主義の前に膝を屈せざるを得ないのは、何故であろうか。それは、規範主義が同時に「実証主義」であるからである。いいかえると、規範主義が、法の究極に在る法をあくまでも「実定法」と見ようとしているからである。ケルゼンの純粋法学は、法実証主義の立場を固執したが故に、「自然法」の概念を徹頭徹尾排斥した。だから、法創造の究極点として根本規範の概念をかかげた場合にも、その理論の本来の建前としては、これを実定法に内在する原理と見ざるを得なかった。(参考;例えば、ケルゼン Kelsen が根本規範として「君主、国民総会、議会、等の法的権威の命ずるように行動しなければならない」という命題を挙げているような場合に、この命題が実定法の原則であることは明らかであるといわなければならない。)しかし、実定法はすべて歴史とともに変化する。実定法に内在する原理は、それが憲法であろうと、よしんばそれが憲法以上の憲法であろうと、実力によって作られることがあるし、実力によって破られることもある。根本規範もまたその例外ではあり得ない。そこで、ケルゼンは、その理論の発展の或る時期においては、根本規範をば実定法的な具体内容をもつ規範と見ることを避けて、これを実定法をば統一的な秩序として把握するための認識論上の「仮説」(Hypotheses)として説明しようと試みた。けれども、単なる認識上の仮説が実定法規範創造の淵源となるということは、全く理解すべからざる理論であるといはなければならない。したがって、ケルゼンは、更に再転して、根本規範をば「力の法への転化」であると見るにいたったのである。これは、前にもいう通り、規範主義が事実上決定主義の前に兜をぬいだことを意味する。ただ、力が法となるということを単純に認める代わりに、力を法とするのが根本規範の機能であると見ることによって、この現象をなおかつ規範論理的に粉飾しているにすぎないのである。規範主義が実定法主義の立場からあくまでも離れようとしないかぎり、かような結果は遂に不可避であるといわなければならない。

22007 しかしながら、ここで法実証主義の立場を棄てて、自然法の概念を導きいれるならば、事情は自らにして異なって来る。なぜならば、実定法は力によって動かされるが、自然法は力によっては左右され得ないからである。なるほど、歴史の現象を観察すると、実定法は力によって作られる。しかし、いかなる力も、決して勝手気儘に法を作ることはできない。力が法を作るのは、その力が自然法にかなっている場合にかぎられる。もしも、自然法に反する力が働いて、それが法を作ったとするならば、さような法は法たるに値しない法である。したがって、自然法にかなった力によってこれを破砕することができる、故に法=実定法=の上には力がある。力の決定がある。それは、決定主義の認めるがごとくである。けれども、法の上にある力は、決して単なる力ではなく、自然法にかなった力でなければならぬ。だから、力の上には更に法=自然法=がある。その点で、規範主義がふたたび決定主義の優位に立つ。ただし、それは、実証主義と結びついた規範主義ではなく、自然法の理念を冠として戴くところの規範主義である。ノモスは遂に王である。けれども、王たるノモスは実定法の原則ではなく自然法の理念である。自然法によって認証された力が、すべての実定法の源となるのである。しかるに実定法の最高の原則は憲法である。故に、この力は、「憲法制定権力」である。かように、法の究極に在る力を憲法制定権力と名づけ、更に、憲法制定権力の根拠を自然法に求めるという思想は、フランス革命の指導的理論家たるシェイエスによって展開された。そこで、節を改めて、シェイエスの憲法制定権力説の概観を試みることとしよう。

22008(参考)
・「われわれは今日もはや、自然の人にせよ、構成された(法的の)人にせよ、人の支配の下に生活するのではなく、規範の支配、精神力の支配の下に生活している。ここに現代の國家理念が示されている。H. Krabbe: Die moderne Staatsidee, deutsche zweite Ausgabe, 1919

 

3 POUVOIR CONSTITUANT

(憲法制定権力)

23001 法と力の関係については二つの考え方がある。一つは、力は法によって規律せられるという思想であり、他の一つは、法は力によって作られるという見解である。このことは、すでにいままでの述べて来た通りである。これらの二つの考え方は、法の究極に在るものの問題としては互に対立し、互に相容れない。しかし、法と力との関係を段階的に分けて見るならば、二つを併せて一つの理論にまとめることが可能になる。すなわち、国家秩序の一般の段階では、力は法、特に憲法によって規律せられる。権力が権力として発動するためには、まづ憲法によって組織され、憲法の認証を受けなければならない。それは、「憲法によって組織された権力」(pouvoir constitué)である。憲法によって組織された権力は、法の下にある。この種の権力は、憲法にそむいて行使されることはできない。これに対して、国家秩序の最高の段階においては、法の上に力がある。その最高の力は、もはやいかなる法によっても拘束されない。したがって、憲法によっても拘束され得ない。それは、万能の力である。憲法もまた、この万能の力によって作り出されたのである。故に、この権力は「憲法制定権力」である。そこで、憲法制定権力から憲法へ、憲法から憲法によって組織された権力へ、という位階秩序が確立され得たことになる。かように、権力を「憲法制定権力」と「憲法によって組織された権力」とに分けて、法と力の関係をひとまとめに理論づけるという思想は、合衆国独立当時のアメリカにも存在していたといわれる。しかし、これを pouvoir constituant, pouvoir constitué という二つの言葉で表現し、憲法制定権力の概念と国民主権主義とを結びつけて、フランス国民の革命への情熱に理論的裏づけを与えた思想家はシェイエス(Emmanuel Sieyès)であった。

23002 シェイエスの理論構成の根本は、国家契約説であり、国民主権主義である。国家の存立の基礎は国民の合意に在るのであるから、一切の権力は国民に淵源しなければならないという考え方である。その点で、彼の理論はルソーの学説を継承する。しかし、シェイエスは、国家発達の一定の段階に達すると、権力はもはや国民にとって直接には行使され得なくなり、これに代って国民代表制度が必要となって来ると説く。その点では、シェイエスは、国民代表制度を否定したところのルソーから離れる。故に、シェイエスの国家理論は、ルソーの『社会契約論』に国民代表主義を加えたものとして特質づけられるであろう。

23003 シェイエスによると、人間の生活形態は三つの段階を経て発達する。第一の段階では、人間はそれぞれ孤立した個人として、各自その「個人意志」(volontés individuelles)によって行動する。それが国家成立以前の人間の原始状態である。この状態から国家を成立せしめたものは、すべての個人意志の合致である。(注:国家契約の理論には事実の問題権利の問題とが混在していること、ルソーの契約説は国家契約を論理的な意味に解し、これを権利の問題として取りあつかったものであることは、前に述べた。これに対してシェイエスは、むしろ素朴に事実の問題として国家契約を説いているということができよう。その点では、シェイエスはルソーを継承しつつも、かえってルソーより以前の契約論への逆行を示しているのである) したがって、国家が構成されても、すべての力は個人意志に淵源するのである。しかるに、政治社会の第二の段階に移ると、個人意志に代わって統一的な「共同意志」(volontés commune)が現れる。共同意志が人間の社会生活の規準となるのである。ただし、この場合にも、個人意志が力の淵源であり、力の本質的な要素であることは、第一の段階と異らない。ただ、一たび共同意志が構成された以上、一つ一つ切り離された個人意志はもはや、何らの力ももたない。力は、ここでは国民全体の意志に帰属する。すなわち、政治社会の第二の段階で活動するものは、「現実の共同意志」(volontés commune réelle)である。ところが、更に第三の段階に達すると、国民全体の共同意志もまた現実の活動を営まないようになる。なぜならば、この段階では国民の数が非常に多くなって来るために、一々の問題について現実に国民の共同意志による決定を下すことは不可能となるからである。そこで、現実の共同意志が作用する代りに、「国民を代表する共同意志」(volontés commune représentative)が形作られる。国民の共同意志を代表する機関が設けられて、それが権力の行使に当たるのである。しかしながら、この第三の段階においても、国民の意志は決して無制限に代表機関に移される訳ではない。いいかえると、それは決して国民の力の完全な譲渡ではない。むしろ、国民の代表者を設けることは、国民の力をそれに委任することなのである。したがって、代表機関は、国民の意志をば単なる受託者として行使するに過ぎない。

23004 ここにシェイエスのいう国民の代表機関は、広い意味でのそれである。だから、その中には議会も政府も含まれる。むしろ、シェイエスがこの場合に主として考えているのは、いわゆる政府の地位である。発達した政治社会では、政府が国民を代表して権力を行使する。しかし、政府の権力は決して絶対のものではない。およそ委任された権力は、いかなる場合にも絶対のものではあり得ない。国民の手から政府への権力の委任は、憲法にもとづいてなされる。だから、政府の有する権力は「憲法によって組織された権力」である。したがって、それは、あくまでも憲法にしたがって行使されなければならない。政府の上には法がある。政府は憲法の拘束を受ける。政府の行動は、これを拘束する法に忠実である場合にのみ、合法的であり得る。これに対して、政府が権力を行うようになっても、権力の最後の根拠は国民にある。国民はすべてに先立って存し、かつ、すべての淵源である。故に国民の意志は憲法に先立って存し、かつ憲法の淵源である。「憲法制定権力」は国民の手にある。故に、国民の意志は憲法の上に在る。いいかえると、国民の上にあって国民の意志を拘束する法はない。国民の意志は、それが存在するということによって、すでに合法的なのである。

23006 こうした理論が革命の大きな力となることは、いうまでもない。政府の権力は「憲法によって組織された権力」なのであるから、憲法にそむくことは許されない。しかるに、その政府が法を無視して、権力を濫用する場合には、国民はこれに服従する義務がないばかりでなく、革命によってこれを打倒することができる。かような国民の行動を咎める権利は、政府にはない。なぜならば、「憲法制定権力」を有するところの国民は、何をなすことも自由であり、国民は何をなしても、それは合法的だからである。ただし、国民が革命を断行し、新憲法を創造するのは、国民の共同意志による行動でなければならぬ。したがって、国民のすべての参加によって事が運ばれねばならぬ。特に新たな国家組織を作り出すという仕事を行うに当っては、まづ、従来無視されてきた国民大衆を解放し、その意志によって政治を行う必要がある。それが「第三階級」(le tiers état)の解放である。そこで、シェイエスは『第三階級とは何か』という著書の冒頭に書いた、=「第三階級とは何であるか。すべてである。これまでの第三階級は何であったか。何ものでもなかった。第三階級は何を求めるか。何ものかたらんことを求める」と。

23007 シェイエスの憲法制定権力説は、国家秩序の最高の段階において法を力の下に置こうとする試みである。憲法制定権力を有する国民は、何をなすことも自由なのである。いかなる法も、国民の共同意志を拘束することはできないのである。逆に、国民の共同意志は、いかなる法も意のままに作り得るのである。それは、国民主権主義の側からのきわめて思い切った実力決定論の提唱とも見る事ができる。しかしながら、それと同時にシェイエスは、国民が何をしても、いかなる法をつくっても、それはそれ自身「合法的」であるといっている。この「合法的」というのは、もとより「実定法」にかなうという意味での合法性ではない。実定法を破ることが実定法から見て合法的であるというのは、意味をなさぬ矛盾である。そうでなくて、シェイエスがここで合法的といっているのは、「自然法」にかなうという意味である。人間が国家契約によって国家生活を営んでいるということ、国家が存在し、権力行使の組織ができ上がっても、権力の究極の淵源は国民に在るということは、自然法なのである。シェイエスの説く憲法制定権力は、すべての法ーー実定法ーーの淵源である。それは、正に「法を作る力」であり、「法の究極に在るもの」である。しかし、シェイエスの場合には、憲法制定権力をもつところの国民の意志は、法の性格を洗い去った赤裸々な力ではなく、それ自身がすでに法なのである。国民が憲法制定権力によっていかなる法をも作り得るということは、実定法にはもとづかないけれども、実定法の上に在る法ーー自然法ーーによって認められている。故に、国民の意志は、それが現実に存在するということにおいて、すでに法たり得るのである。すなわち、シェイエスの描いた図式によれば、法の上には力があるが、力の上には更に高次の法がある。その意味では、彼の学説は、結局やはり、法の究極には法ありという思想に属するものといはなければならない。

23008 これに対して、もしこの理論から自然法という粉飾を除き去り、実定法のみが法であると見るならば、法の究極に在る憲法制定権力は、すべての法を作る力ではあるが、それ自体はもはやいかなる法をも根拠とするものではないということになるであろう。それは、いかなる法によっても正当化されることのない、また、そもそも法によって正当化される必要のない、赤裸々な「実力の決定」であるということになるであろう。そうなれば、憲法制定権力説は再転して徹底した決定主義となる。そうして、のちには「規範主義」と「決定主義の」対立を描いた上で、そのいずれとも異なる第三の法学上の思考形態を採用しようとしたカール・シュミット(Carl Schmitt)も、或る時期にはシェイエスの憲法制定権力説を継承しつつ、これを正に赤裸々な実力決定主義にまで徹底せしめて行ったのである。シュミットの『憲法論』における verfassunggebende Gewalt (制憲権;仏語の pouvoir constituant の独語訳に相当)の思想が、すなわちそれである。

 

4 VERFASSUNGGEBENDE GEWALT

(制憲権もしくは憲法制定権力)

24001 カール・シュミットは、その憲法論を展開するにあたって、まづ、「憲法」(Verfassung)と「憲法律」(Verfassungsgesetz)との区別から出発した。憲法律というのは、憲法上の個々の条規であって、条定された規範である点で一般の法律と実質上異なるところはない。成文憲法が特別の規定を設け、憲法律の改正につき法律の改正よりも厳重な条件ーー例えば、議会における三分の二以上の多数の同意ーーを必要とするものと定めている場合には、その点で憲法律と一般の法律との間に形式上の限界が設けられ、前者の恆常性が保障されているように見える。しかし、その区別や恆常性といえども実は相対的なものであるにすぎない。なぜならば、議会の圧倒的多数をしめる政党や政党の連合にとっては、困難な筈の憲法律の改廃も、一般の法律の改廃と同じく困難なく行い得るからである。故に、憲法律は法律と同様に、また条定された他のすべての法規範と同様に、相対的な效力しかもたない。規範として定立された法の效力は、したがって、規範として定立された憲法律の效力は、定立されたものであるかぎり、その定立の根拠となっている事態の如何によって動かされる。かように、憲法律の定立の根拠となり、憲法律の效力の前提をなしているものが、シュミットのいわゆる「憲法」である。それは、国家の全体としての組織について下された決定である。シュミットによれば、民族の政治的統一態が国家であり、国家の形態についての全体としての決定が、すなわち憲法に外ならない。

24002 ところで、この意味での憲法も決して絶体不変ではない。憲法といえども、与えられた決定であるかぎり、相対的な意味しかもたない。憲法、すなわち国家の基本形態は、それについて別の決定が与えられた場合には、国家の同一性の影響をおよぼすことなく変化することがあり得るのである。かように、国家の基本形態を決定し、あるいはこれを変更するもの、すなわち、一国の憲法を定め、もしくはこれを改廃するものは、その国家における究極の政治的意志である。故に、憲法律の基礎には憲法があり、憲法の更に基礎には、憲法を与えた者の政治的意志がある。それが「憲法制定権力」(verfassunggebende Gewalt)なのである。憲法制定権力は、国家の政治的統一の全体としてのあり方ーー憲法ーーを決定する。したがって、憲法は相対的であるが、憲法制定権力の作用は絶対である。それが絶対であるというのは、憲法制定権力を拘束する規範や規則はない、ということである。憲法制定権力は何ものによっても制約されない。例えば、国民が憲法制定権力を有する場合には、国民がいかなる方法により、いかなる国家組織を創造しようと、それはそのままに憲法として通用する。そうして、その憲法にもとづいて色々な憲法律が定められて行くのである。したがって、いかなる憲法律も、いかなる憲法も、国民に憲法制定権力を賦与することはできないし、憲法制定権力の作用の様式を規定することもできない。その意味で、シュミットのいわゆる憲法制定権力は、すべての法の上に在る力であるといはなければならぬ。

24003 憲法制定権力は、すべての法の上に在る力である。したがって、それは「正当性」ーーまたは「正統性」ーー(Legitimität)の根拠づけというものを、一切必要としない。憲法制定権力は政治的な存在であり、その作用は政治的な決定である。正当性の問題は、この決定ののちにはじめて起って来るのであって、この決定そのものの正当性を測定する尺度は存しない。だから、憲法や憲法律についてはその正当性を問題とすることができる。憲法が正当な憲法であり得るのは、それが憲法制定権力の決定によって成立したということによるのである。すなわち、憲法の正当性は、その憲法を採択した政治的意志が実存するということ、そのことによって根拠づけられる。それは一つの究極の「実存」によって正当化せられるのであって、憲法に先立って通用している何らかの「規範」に合致しているために正当と認められるのではない。国家の新たな基本形態が決定される場合、そこに成立した新憲法は、憲法制定権力の現実の作用によって作り出されたということによって、すでに正当なのである。したがって、その場合、もはや効力の根拠を失ってしまった旧憲法を楯に取って、新憲法は正当または正統でないといって見たところで、それは全く無意味な空論にすぎないのである。

24004 それであるから、シュミットの説く憲法制定権力は、一切の法を作る力であり、すべての法に正当性の根拠を与える源泉である。しかも、それ自身は何らの法にも準拠せず、何らの正当性の根拠をも必要とせぬところの、純然たる「事実力」に外ならない。

24005 もっとも、シュミットは、憲法制定権力は国家の基本形態を決定し得る「力」(Macht)または「権威」(Autorität)をもつところの政治的意志である、といっている。この定義は、一見すると、憲法制定権力の中に単なる事実力たるより以上の理念的なものを含ましめているもののごとくに思はれぬでもない。しかし、シュミットによれば、権威とは「継続性」(Kontinuität)の契機に基礎を置くところの「威望」(Aussehen)を意味する。いいかえると、力が単なる一時的な力であるにとどまらず、継続的な力として作用している場合、その力の継続性は自らに人々の畏敬の的となる。それが、シュミットのいう「権威」なのである。故に、ここに権威として説かれているものは、継続的な力に自らにして附着する社会心理的な事実上の属性なのであって、その中に理念があろうとなかろうと問題ではないのである。憲法制定権力は純然たる事実力であり、事実力以外の何ものでもない。その点で、シュミットの憲法制定権力説は、自然法という観念の冠を戴くシェイエスのそれとは異なり、赤裸々な実力決定説の範疇に属するといって差しつかえあるまい。(注:前に触れたように、シュミットは、のちにいたって、法学上の思考の三形態を区分し、これをそれぞれ、『規則または法律の思考』 Regeln- oder Gesetzesdenken、『決定の思考』 Entscheidungsdenken、『具体的秩序および形成の思考』konkretes Ordnungs- und Gestaltungsdenken と名づけた。この三区分の図式にあてはめていえば、シュミット自身の『憲法論』における思想は第二の『決定の思考』の範疇に属する。しかし、のちにはこの立場を乗り越えて、ナチス・ドイツの世界観と密接に結びついた『具体的秩序および形成の思考』に転換して行ったのである。この第三の考え方については、のちに述べる。)

24006 シェイエスの pouvoir constituant は、自然法の理念を頭に戴いている。その自然法は、国家をば国民の合意の上に基礎づけ、政府の権力をば国民から委任された力であると做し、したがって、究極の力は国民の意志に在ると断定する。故に、シェイエスの pouvoir constituant の主体は国民であり国民でしかあり得ないのである。それは、国民主権主義の直截・明瞭な表明である。しかるに、この pouvoir constituant から自然法の冠をぬがせれば、憲法制定権力の主体は国民でなければならないという理由は、消え去ってしまう。それは、国民であることもあるし、国民でないこともあり得る。何者であろうとも、実際に憲法を決定し得る実力を有するものが、憲法制定権力者であるということになる。だから、シュミットは、 verfassunggebende Gewalt の主体には三つの形態があることを認めている。その一つは、国民である。その第二は、君主である。その第三は、少数者の組織体である。この区別を認めることによって、シュミットは、アリストテレス以来の国家形態の三分説を踏襲しているものと見てよい。ただ、アリストテレスの場合には、国家の事情に応じて君主制であっても、貴族制であっても、共和制であってもよいが、そのいづれにも、公共の福祉を図るという目的が内在していなければならなかった。だから、この目的から逸脱すれば、君主制は暴君制となり、貴族制は寡頭制となり、共和制は衆愚制に堕落するのである。これに反して、シュミットの国家形態論には、そういう理念の尺度はない。憲法を決定するのは一人の力か、少数者の実力か、国民の意志か、ただそれだけである。ただそれだけの事実問題なのである。

24007 シュミットの説く憲法制定権力が純然たる事実力を意味することは、憲法制定権力の所在が転換する場合を考えれば、更に一層明瞭となるであろう。もしも、憲法制定権力の所在にこうした三つの形態があるとすれば、その一つの形態から他の形態への変化が行われ得ることは、当然に認められなければならない。例えば、君主が憲法制定権力を有する国家において、国民が蜂起して君主制を崩壊せしめ、国民自らの意志によって新たな国家の根本組織を決定する、というような場合がそれである。それは、国民自らの意志によって新たな国家の根本組織を決定する、というような場合がそれである。それは最も根本的な革命であるが、かような革命は、もはや憲法制定権力の作用としては説明され得ない。革命の行われる前までは、君主のもつ力が憲法制定権力であった。だから、国民が何らかの力をもっていたとしても、その力はもとより憲法制定権力ではなかった。しかるに、国民の力が増大し、鬱積し、爆発して、憲法制定権力を君主の手から奪取したのが、ここに行われた革命なのである。それは、憲法制定権力の作用ではなくて、既存の憲法制定権力の否定であり、新たな憲法制定権力の創造である。憲法制定権力ではなかった力が憲法制定権力とたたかってこれに勝ち、勝つとともに自ら憲法制定権力となり、そうして憲法を作ったのである。故に、憲法制定権力は、その上に何らの法も戴かず、その上に立つ何らの規範によっても拘束されることがないというが、それよりも強い力には圧倒されることがあり得る訳である。そうして、その強い力が憲法を作ることによって、自ら憲法制定権力となるのである。つまり、正確にいうと、憲法制定権力が憲法を作るのではなく、無冠・無名の力といえども、その実力によって憲法を作れば、それが憲法制定権力となるのである。かように考えることは、露骨な力と力の抗争の許容であり、「強者の権利」(Rechte des Stärkeren)の無条件の承認に外ならない。それがまた、一切のイデオロギーを排除して考えた場合の、憲法制定権力説の帰結であるといはなければならない。

 

5 憲法制定権力の政治性

25001 シェイエスとカール・シュミットとは、「法を作る力」の根源を求めて、これを憲法制定権力と名づけた。しかし、その力は、シェイエスによっては自然法にもとづく権力として説かれ、シュミットによっては結局のところ赤裸々な実力としてとらえられている。だから、シェイエスの場合には、憲法制定権力は法的な力であるといえばいえぬことはない。けれども、その場合にも、憲法制定権力を法的な力たらしめている法は自然法であって、実定法ではない。故に、実定法のみが法であり、自然法は法ではないとするならば、シェイエスの pouvoir constituant は法を超越する力である。これに対して、シュミットの verfassunggebende Gewalt は、いかなる意味の法によっても認証されぬ権力であり、およそ法による認証というがごときものを必要とせぬ力であり、最初から「法を超越する力」である。ただ、前者は理念の冠を戴く力であるのに対して、後者は理念とは没交渉にとらえらえられた力である点に、両者の相違があるということができよう。

25002 しかしながら、シェイエスの pouvoir constituant といえども、決して単なる理念ではない。シェイエスの思想、特にその中核をなす国民主権の思想は、それ自体としては理念であろう。けれども、この思想に共鳴し、この理念を目標として専制主義の国家組織を変革し、1789年の人権宣言や1791年の新憲法を創造したものは、単なる理念でなくて、現実のフランス国民の「力」であった。その意味では、シェイエスの pouvoir constituant は、文字通り pouvoir であり、力である。それとは逆に、シュミットの verfassunggebende Gewalt といえども、その実態を分析してみれば、決して単なる力ではない。君主制の憲法を創造する力には、君主の神格性・絶対性・尊厳性というような「理念」が内在している。共和制の憲法を制定する力には、国民の自由・平等というがごとき「理念」が含まれている。ただ、シュミットは、かような理念の要素を科学的に捨象して、これを現実的な力としてとらえたにすぎない。だから、pouvoir constituant も verfassunggebende Gewalt も、これを説いた学者がどこに重点を置いていたかにかかわることなく、対象そのものの実態をそのままに取り出していうならば、ともに理念であると同時に力であり、理念と力の両面を備えた社会作用の原動者であるといわなければならない。

25003 かように理念と力の両面を備えた社会作用の原動者は、すなわち「政治」である。「原動者」というような擬人化した表現を用いないで、これを客観的な現象過程として見るならば、かように理念と力の両面を備えた社会活動そのものが「政治」であるといった方が、一層正確であろう。政治は、理念によって働く力であり、力となって動く理念である。かくのごとき政治が法の根底に在って、法を作るのである。シェイエスやシュミットは、かくのごとくに法の根底に在って法を作る政治の力をとらえて、これを憲法制定権力と名づけたのである。それが、「法の究極に在るもの」をば法を作る力として突きつめて行った結果として与えられた、一応の結論である。法の究極に在るものを政治の力と見ることが最後まで正しいかどうかは、いまは問わない。それは、のちになって検討せらるべき根本の問題である。ただ、シェイエスの pouvoir constituant やシュミットの verfassunggebende Gewalt が、「法を超越する政治の力」であるということだけは、ここに確言して差しつかえないであろう。

25004 憲法制定権力は政治の力である。それは、憲法制定権力の理論を分析することによって下され得る断定であるばかりではない。憲法制定権力は、客観的な現象形態としてもまた、政治の力として作用し、政治力として法創造の機能をいとなんで来たのである。シェイエスの pouvoir constituant の思想は、フランス革命の有力な指導理論の一つであった。しかも、フランス革命の進行を指導したところのこの思想は、もはや単なる思想や理論ではなくて、現実を動かす強大な力となっていたのである。国家の主権は国民の手にあることを自覚したフランス国民の現実行動が、正にシェイエスのいわゆる pouvoir constituant として作用して、一七八九年の革命をなしとげ、なしとげられた革命ののちに、新たなフランス憲法を作り上げたのである。そうして、フランス国民の現実の革命行動によって封建制度が打倒され、自由・解放の新憲法が作りあげられるにいたった一聯の現象が、第十八世紀末の最も大きな政治の動きであることは、改めていうまでもない客観的な事実である。更に、カール・シュミットの verfassunggebende Gewalt にいたっては、それが政治の力であることは、シュミット自からによって明らかに指摘されている。シュミットのいう通り、憲法制定権力の作用は政治的な決定である。シュミットがかような力を法の源泉であるとして説いたとき、第20世紀初頭における法治主義の金字塔ともいうべきワイマール憲法の光輝は、すでに擡頭する独裁政治の黒雲によって蔽われはじめていた。憲法制定権力の動くところ、いかなる法の堤防を以てしてもこれをさえぎりとどめ得ないという彼の「理論」は、社会民主主義ドイツの法治国家体制を崩壊せしめ、非法の世界にはばたこうとするナチスの運動に、万能の翼を与えんがための「政治」の手段の外ならなかった。それは、法をば規範からのみ生み出されると見るケルゼンの純粋法学の理論をかさにかかって圧殺し、力のあるところ、力の赴くところ、いかなる規範をも無視し、いかなる法をも作ることができるという独裁政治の登場を迎えんがための、学説上の露払いであった。そうして、理論としての憲法制定権力説が露払いの役割を演じたあとには、現実政治として憲法制定権力が発動して、ナチス指導者国家の組織を強引に作り上げてしまったのである。

25005 かように、学説の上で憲法制定権力の理論が説かれたときに、必ずそれに踵を接して現実政治による大きな法の変革が成しとげられたことは、決して偶然ではない。なぜならば、この種の学説は既存の法制度の権威を低める有力な思想工作であり、低められた法制度の垣を力によって踏み越えるための絶好の準備作業に外ならないからである。ただ、第十八世紀末のフランスでは pouvoir constituant が国民主権主義の政治力として作用したのに対して、第二十世紀三十年代のドイツでは、verfassunggebende Gewalt が独裁主義の、したがって国権絶対主義の政治力となって爆発したところに、その政治の動きの方向に重要な相違があることを、併せて注意して置かなければならない。

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第三章 革命権と国家緊急権


 

1 法を破る力

31001 憲法制定権力説によれば、法の究極に在る力は法によっては拘束されない。法は力によってはじめて作られるのであるから、その力は法に対して融通無碍でなければならない。そうであるとすると、法の究極に在る力が働いていままでの法を破ったとしても、それは違法でもなく、不法でもないことになるであろう。なぜならば、法を作る力によって見はなされた法は、もはや法ではない。法を作る力は、まづ法たるに値せぬ法を破って、しかるのちに新たな法を作るのである。そこで、法を作る力が法を破っても、違法や不法の問題は起らないということになる。故に、法の究極に在る力は、「法を作る力」であると同時に「法を破る力」である。前の章では、法を作る力の正体を探ねて、それが政治の力であることを明らかにした。それならば、法を破る力の本質を見きわめて行った場合にも、やはり同じ結論が得られる筈でなければならない。
31002 法を破るということは、法の立場から見れば、もとより不法であり、排斥せらるべき邪悪である。その最も著しい場合は、犯罪である。法は不法とたたかわねばならぬ。犯罪を制圧せねばならぬ。法が秩序を維持するための不可欠の手段として強制に訴えるのは、不法との闘争に勝利を占めんがためである。裁判の制度が発達し、強制の機構が組織化され、財産の没収、自由の剥奪、更には生命の絶滅すらもが刑罰の内容として肯定せられるのは、法をして不法との抗争をできるだけ有利に遂行せしめんがためである。法は、一方ではかような強制手段を用い、他方では道徳的な遵法精神をたかめることによって、人間共同生活の事実を法の規定と合致せしめようとしてやまない。法の生命は、事実が法と合致することによって確保される。事実を規範に合致せしめる力を持つ法が、效力のある法であり、実定法である。事実が規範と合致しなくなれば、特に、事実が法たる規範を破って恬然としているようでは、法の生命は失われる。故に、法自らが「法を破る力」を認めるということになれば、それは法の自殺にひとしい。法の劃する合法性の枠を、あくまでも破られ得ぬものとして守り通そうとするのが、法の建前なのである。

31003 しかし、それにもかかわらず、実際には法は往々にして破られる。法の認めぬ事実や力が現れて、法の規定が無視・蹂躙されることがある。勿論、法が最初から不法の克服を目的とし、強制の甲冑を着て邪悪に対するたたかいを遂行しようとしている以上、法の行く手に不法の事実が現れ、そのために法が破られる場合もあるということは、覚悟の前でなければならない。その意味では、法はすべて法を破る力を認めている。法を破る力の公算を認めつつ。ますます勇気をふるってこれを制圧しようとしているのが、法の態度なのである。けれども、法を破る不法は、必ずしも常に実質上の邪悪であるとはかぎらない。場合によっては、法が不当・不正であって、法を破る不法の方が正当であると考えなければならぬことがある。合法ということは、原則として正しいことでなければならぬ筈であるが、それがむしろ不当な法の杓子定規の適用にすぎぬことがある。そうなると、法を破っても物事の正しい筋道を通すべきであるということが主張される。ここに、いわゆる「合法性」(Legalität)と「正当性」(Legitimität)との相剋が生じる。「法を破る力」とたたかおうとする法の勇気もくじけ、「法を破る力」を認めようとする動向が、法の内部に起って来る。それは、もはや法を破る力の「公算」を認めることでなく、これを「正しい」と認めることなのである。人あ、あくまでも形式上の合法性を恪守すべきでろうか。あるいは、合法性を犠牲に供しても、実質上の正当性を選ぶべきであろうか。「法を破る力」が深刻な問題となるのは、正にそういう場合である。

31004 合法性と正当性の対立は、法内在的正義と法超越的正義との対立である。法内在的正義は法の安定性を重んずる。すでに確定された法について徒らに是非善悪を論ずるがことは、社会秩序の混乱を招くにすぎない。殊に、法の非違を鳴らして恣意を遂げようとする者に、屈強の隙と口実を与える。だから、一たび定立された法をあくまでも確乎不動の準則とし、その運用も正確な論理にしたがってこれを行うべしとするのである。この要求の線に沿うて発達したものが、成文法の体系であり、概念法学的な法解釈の態度である。しかし、成文法は、法の一般化・確実化・明確化を図るには適しているが、社会関係の個性を没却し、社会生活の流動・進展に対する順応性を欠く、という重大な欠陥をともなう。そこで、成文法規の厳格な適用を期する合法性の原理に対して、成文法規の文字通りの意味にかかわらず、法を目的論的に活用しようとする正当性の原理がかかげられる。それは、法超越的正義の立場から、硬化・固定しようとし勝ちな法、特に成文法に、臨機応変の弾力性を与えようとする試みである。この二つの要求の間には、もとより矛盾がある。しかし、この矛盾を解決するという必要に応じて、法解釈学が長足な進歩を遂げ、形式上の合法性と実質上の正当性とを実定法の上に調和せしめようとして、不断の努力を重ねて来た。成文法規の外に慣習や条理の法源性を認める学説、慣習法による成文法の改廃を肯定する理論、判例の法創造作用を重視し、裁判上の判決に単なる法の運用たるより以上の意義を賦与しようとする見解、等、およそ多少とも自由法論の傾向に属する法解釈学説は、いづれもかかる努力の結実ならぬはない。かような解釈によって、必要以上に硬化し勝ちな成文法に柔軟性を与え、これを社会生活の実情に適応せしめて行くのは、法を破るというよりは、むしろ法を活かす所以と考えられてしかるべきであろう。

31005 もっとも、自由法的な解釈も、度をすごせば法を破ることになる。成文法の中に「悪法」があることを認め、悪法は法にあらずとして、自由自在に法を発見するということになると、法の安定性は著しく脅かされる。また、度をすごさぬ自由法論の立場といえども、合法性の原理にのみ執着する極端な概念法学の見地からは、解釈に名をかりて法を曲げるものとして非難される、けれども、よしんば、それが厳密には、法を破る解釈といわれ得るにしても、そういう現象は、多くの場合、法秩序の一局部で行われているにすぎない。また、その多くは、いわば末梢において法を破っているにすぎない。もとより、局部・末梢における法の変革も、つもりつもれば法の全体の内容を大きく変貌させる。デュギイの概観したような、第十九世紀におけるフランス民法の変遷のごときがそれである。しかし、この種の法の変遷は、永い期間を通じて徐々に行われるために、法の破砕といったような感じを人には与えない。むしろ、法超越的正義が次第に実定法の中に浸潤して、法内在的正義と正面から衝突することなしに、法規範の意味内容を時代の流れに沿うように新陳代謝せしめるために、法の健全な「進化」として正当視されるのである。

31006 ところが、法超越的正義による法の変革は、時にはまた実定法の中枢部で行われることがある。しかも、法の安定性の要求と正面から激突して急激に行われることがある。場合によっては、法超越的正義に則るか否かすこぶる疑わしい力が作用して、あるいは、表面には正当性の理念をかかげていても、一見してそれが擬装にすぎぬことが明瞭であるような実力が働いて、国法体型の根幹を変革することがある。そういう場合には、これを法の飛躍的革新として讃美するにせよ、または、これを法の破滅、暴力の跳梁として慨嘆するにせよ、法の由々しい破砕が行われたことは、何人の目にも疑いの余地を残さない。最もその著しいものは「革命」である。これと相似て、しかもその働く力の方向を異にするものは、「クーデター」であり、「国家緊急権」の発動である。中でも、革命と国家緊急権の発動とは、明白に法を破る力でありながら、しかも自ら「法」であり、「権」であると称するところに、共通の重要な特色がある。したがって、法を破る力の検討は、いきおい、これら両者の考察に重点を置くこととなろう。時に、これら二つのものの区別は、大体として国民主権主義と国権絶対主義の対立と並行するものであるが故に、一層興味深い対蹠性を示しているのである。

 

2 革命権

32001 革命および国家緊急権の発動は、ともに法を破る力の作用する最も明白な場合である。しかも両者は、それにもかかわらず、法を破ることを以て「法」であり、「権」であるとする主張を含んでいる。ともに、明らかに法を破る行為でありながら、合法的に既存の秩序を改革する道がない場合、もしくは、国家を救うという緊急な必要に迫られた場合、やむを得ず法を破ることをば正当な法行為であるとする観念に立脚している。故に、それらは、「法を破る力」であると同時に「法を破る法」であり、「法を破る権」である。その中でも、「国家緊急権」(Staatsnotrecht)という言葉は、これを「権」(Recht)と認める思想をそのまま文字の上に示している。故に、これと歩調を合わせた言葉を用いるならば、革命の方も、単に革命といわずに「革命権」(Revolutionsrecht)と呼ぶ方が一層適当であろう。

32002 前に述べたように、法は破られ得ぬものではなく、破られることがあり得るものである。しかしながら、原則からいえば、法を破る行為は「違法」であり、「不法」であり、「犯罪」であって、もとより「法」ではない。ところが、時と場合によっては、さような法を破る行為が法であるとされ、あるいは、さように法を破る行為によって新たな法が作り出されることがある。ラッソンは、「法は適法な仕方によってのみ作り出される。いいかえると、法はすでに存在する法の規定する仕方によってのみ作り出され得る」といった。しかし、実際には、法は適法の仕方によって作り出されるのを原則とはするが、適法ならざる仕方によって法が作られる場合も必ずしも稀ではない。適法でない仕方で作り出された法も、それが法として效力を発揮するにいたれば、やはり法たることに変わりはないのである。シェムロー(Somló Felix Bódog; 『法律学的基礎原理』 Juristische Grundlehre, 1917)のいう通り、「法はその成立の適法性ということには拘束されない」。これは、見方によっては、むしろ法を作る力の問題であろう。けれども、それは法を破ることによって法を作る作用であるが故に、やはり法を破る力の問題である。否、法を破ることそれ自体が法を作り、法となるという意味で、まさに「法を破る法」の問題である。その中でも、最も過激・大規模な法の破砕を行いながら、なおかつ自ら認めて法と称するのが、革命権である。また、その規模においては革命に及ばないが、国権絶対主義の立場から法を破る権を主張する点で、主として国民主権主義の立場に立つ革命権と対立するものは、国家緊急権である。順序として、まづ革命権から考察し、つづいて国家緊急権に移ることにしよう。

32003 革命は法の根本を破壊する。法秩序をその根底から転覆せしめる。しかし、法の根本といっても、厳密に分析すると、根本の中でも最も根本の部分と、そうでない部分とを、分けて考えることができる。それによって、革命の程度にもー少なくとも理論上ー根本的な中でも根本的な革命と、しからざるものとの区別を立てることが可能になって来る。

32004 第一の種類の、最も根本的な革命は、法を生み出す最高の淵源を変革する。シェイエスやカール・シュミットにならって法を生み出す最高の淵源を「憲法制定権力」と名づけるならば、この種の革命は憲法制定権力の所在を変革する行動である。かりに、シュミットの説くように、憲法制定権力が一人の手に在る場合、少数者の組織体に属する場合、国民の全部に属する場合、という風に分けることができるとすると、憲法制定権力をもたぬものが憲法制定権力者からその最高の法定立権力を奪い取るという形で、最も根本的な革命の行われる可能性が認められることになるであろう。しかるに、シュミットのいう憲法制定権力は、すべての法の外に在る純粋の力である。そうであるとすれば、この種の革命は法の規律の届かぬ世界で行われる力と力の衝突であり、これを「法を破る力」の作用と見る理由すら失われるであろう。それは、「力を破る力」の現象であって、名実ともに法の問題とはならない筈である。これに反して、シェイエスのように、国民主権主義の立場から憲法制定権力は国民にのみ属するとし、かつ、国民が憲法制定権力を有するのは自然法にもとづくと考えるならば、例えば一人の独裁王が現れてこの権力を国民の手から簒奪するというような場合は、「自然法」を破るところの天人ともに許さざる行為であるということになろ。しかし、自然法を法と認めぬ見解を採れば、これもまた、法の手のとどかぬ世界で行われる実力の争奪戦であると考えなければならない。いづれにせよ、この種の革命は、理論によて想定された極限の場合である。したがって、普通の革命は、実定法上の基礎法たる憲法を破るところの第二の種類のそれとして行われる。そうして、厳密な意味で「法を破る法」として問題となるのも、この第二の種類の革命なのである。

32005 すなわち、第二の種類の革命は、憲法制定権力の所在には変化がなく、ただ、憲法制定権力によって定立された法、特に憲法を実力によって変革する過程として行われる。例えば、国民が憲法制定権力を有すると考えられている国家において、国民の意志を政治の上に現す機構がなく、そのために、国民が蜂起して立憲制度を作り出すとか、逆に、議会政治の腐敗を憤った国民が、非合法の手段に訴えて立憲制度を廃止し、独裁制を設けるにいたるとかいうような場合が、それである。よしんば君主制の行われている国家であっても、主権の根本は君主にはなくて国民にあると考えられているとき、いいかえると、君主といえども国民の委託を受けて君権を行使するにすぎぬと見られているとき、その君主が君権を濫用したという理由により君主制の倒壊を図るというような場合も、第一の種類の革命ではなく、同一の憲法制定権力の下で行われる第二の種類の革命に数えられるべきであろう。むしろ、これが一番普通の革命の形態であるといってよい。この種の革命では、力によって破られた法は、少なくとも観念上は、もともと法を破ったその同じ力によって作られたものである筈なのである。法を作った力が再び爆発して、法本来の目的にかなわぬ制度と化した秩序をくつがえし、改めて法秩序の再建を行うという風に考えられるところに、第二の種類の革命の特色がある。

32006 それであるから、第二の類型に属する革命は、法を破る力の発動には相違ないけれども、理論上は第一の種類の革命のように憲法制定権力に対する反逆ではなく、憲法制定権力者自らの行う主権行動と考えられ得るのである。いいかえると、それは、観念的には、上から下への力の移動であって、下から上への力の反撥ではないといわなければならない。この種の革命が、根本から見れば決して不法ではなく、国民の「革命権」の正当な行使であると、主張される所以も、正にここに存するのである。

32007 しかしながら、こうした革命が上から下への力の作用であると見られるのは、単なる「観念」の上でのことにすぎない。これを国家の現実の支配関係から見るならば、革命を遂行する力は、支配する者の力ではなく、被支配者の結束によって生じた力であることを常とする。例えば、国民主権の理念によれば、観念上は国民が憲法制定権力の主体なのであるが、現実には国民は支配者の地位に立っている訳ではない。支配する者は、国民を代表していると称せられるところの政府である。あるいは、政府の首長としての君主である。国民は権力の委託者であり、君主または政府は権利の受託者であるといわれるが、実際には支配する者は君主または政府であり、国民はこれに対して盲従することを強いられている被支配者にすぎない。政治力の根源は自己自身の手に在るべきことを自覚した国民にとっては、かような現実の支配関係ほど不合理なものはないと感ぜられる。そこで、国民主権の理念と政治の現実との合致を要求する。現実の支配関係があくまでこれを阻止しようとすれば、実力によって政治形態の変革を成就しようとする。それが革命である。故に、第二の種類の革命では、革命行動を起す者は、観念上は憲法制定権力の主体たることを自認しているにもかかわらず、現実政治の上では「被支配者」の地位に立っているのである。まして、第一の種類の革命では、実力行動に訴える者は、憲法制定権力者ではなく、したがって名実ともに「被支配者」である。すなわち、二つの場合を通じて、革命の本質は、「被支配者」の実力行動による支配機構の急激な変革たる点にあるということができよう。

32008 これに反して、革命と並び称せられるクーデターは、実力を以てする憲法の破砕である点では第二の種類の革命と異ならないが、その実力の主体が現実の「支配者」である点で、「被支配者」の実力行動たる革命とは趣を異にする。例えば、政府の首位にある者が、法によって与えられた権限以上の絶対権を掌握するために、実力を行使して反対派の要人たちを逮捕・監禁し、もしくは議会を威嚇してその目的を達するがごとき行動が、クーデターである。故に、クーデターは「法を破る力」の作用である点で革命と性質を同じくするけれども、その力の働きが上から下へ向かっている点で、現実の支配関係における下から上への力の爆発たる革命とは、方向が逆になっていると見てよい。

32009 いづれにせよ、革命は、実力によって現実の支配機構を破砕し、実定法秩序の法定立の組織をばその根底から転覆させる。だからして、実定法の立場から見れば、革命は最大の不法である。内乱や大逆は、およそ犯罪の最も重いものとして処罰される。単に法を牙城とたのむ既成勢力が、革命の企画に対して極力弾圧の方針を以てのぞむばかりではない。秩序の安定を図り、理性と規律とを尊ぶという、それ自体としては至極尤もな理由からしても、革命を避けて漸進的な進歩の道を進むべしということが主張される。中でも、そういう見地からの革命反対の主張を代表する者は、保守主義の法哲学者トレンデレンブルグ(Adolf Trendelenburg)であろう。トレンデレンブルグによれば、革命が横行濶歩することになると、人間の動物的な本能が鎖を切って白日の下に登場する。激情によって興奮した力が、理性を圧倒する。かような激情は、自己以外の声には決して耳を藉そうとしない。そうして、自己の行動をば理性的であると盲信し、道徳上の節度とか、伝統に対する道義観とか、紀律・服従の美徳とかいうようなものを蔑視し、人間および神の秩序に歯むかう暴逆をば、英雄的な行為と考える。故に、すべての恐るべき事柄の中でも最も恐るべきものは、かくのごとき内乱である、と。

32010 しかしながら、それにもかかわらず、歴史の転換期には、しばしば革命が行われる。そうして、歴史は革命によって新しい時代に飛躍する。革命の最中や直後にはトレンデレンブルグの指摘するような暴虐や混乱が発生するにしても、その混乱の中から新たな人間生活の視野が開け、価値観が転換し、新しい秩序が建設される。だから、その積極面からこれを見る者にとっては、革命は偉大な精神の覚醒であり、価値の創造であり、時代の建設を意味するのである。そこで、「法を破る力」たる革命に対して、法以上の価値理念をかかげてこれを是認・肯定し、これに合理的な根拠を与えようとする。その一つは、法を破る革命をば「道徳」によって意義づけようとする試みである。すなわち、ヘルファアルト(Heinrich Herrfahrdt)によれば、「国民が革命に訴える権利を有するかどうかという問題に対しては、今日では普通次のような答えが与えられる。革命は法の破砕なのであるから、その本質から見て法的には常に許されない。しかし、特別の事情の下においては、革命に訴える道徳的権利があり得る、と」。これに対して、他の一つの理論構成は、革命が法を破る行動であるということをさえ否定しようとする。例えば、ザウアー(Wilhelm Sauer)によれば、革命によって破砕される法は、頽廃・腐朽してもはやその生命を失ってしまっている法であり、真正の意味の法ではないのである。だから、革命は実は法の破砕ではなく、単なる法の創造として意義づけられるべきである、と。しかし、何といっても、革命肯定論として最も迫力のあるのは、「自然法」の理論であろう。殊に、国民主権主義と結びついた第18世紀の自然法の理念は、第三階級の解放を目ざすフランス革命の革命精神の兵器廠であった。第四階級の解放を目標とする現代のプロレタリアート革命は、これとはいろいろな点で相貌を異にしてはあるけれども、破られるべき法から価値を剥奪し、法を破ろうとする力に必然の意義を賦与しようとする点で、やはり一種の自然法の理論を背景としているといい得る。中国では、古来「易姓革命」と称して「天命」という超人間的な理法が革命を認証する原理としてかかげられた。かような「法を超越する法」をかかげることによって、革命は「法を破る力」から「法を破る法」に昇格する。理念の面から見た革命は、かくて「革命権」となり、一種の法行為として意義づけられるのである。

32011 けれども、現実政治の舞台を一転せしめるところの革命は、決して単なる理念ではない。いかに天命を論じ、自然法を力説し、道徳の理想、正当性の理念をかかげても、それだけでは法の破砕がなしとげられる訳には行かない。堅固な法の防壁を打ち破って国家組織の根本を変革する革命は、端的な実力行動である。この実力行動は、高尚な理念によって指導されることもあるであろう。あるいは、その理念が革命の武器として手段化され、実体のない粉飾として利用されることもあるであろう。しかし、いづれにせよ、理念が現実人の現実意欲に方向を与え、その行動を大衆的に結束せしめることによって、はじめて既成秩序の牙城を崩壊せしめるところの鬱然たる力となる。その意味では、革命はあくまでも「力」である。革命を「法を破る法」として意義づけ、これを「革命権」として大義名分化することも、現実的に見れば、「法を破る力」を増強するための一つの手段に外ならない。理念によって動く実力が、下から上へ向かって実定法の中核を破砕すること、それが公平に見て革命の科学的本質なのである。

32012 参考1:河村又介教授は、クーデターを、「広義の革命」の中に数えられる。しかし、「狭義の革命」とクーデターとを区別するにあたっては、実力行動の方向の相違を以てその区別の標準としておられる。すなわち、「狭義の革命が、民衆の下から上に向ってする運動であるのに対して、クーデターは、権力者が上から下に対してする行動」なのである。昭和9年1934年 法律学辞典参照。これに対して、革命の概念を「広義」にのみ解し、したがって、革命とクーデターとを区別しない学者もある。例えば、ベェリングによれば、既存の支配権力の全部または一部が剥奪されたか、あるいは逆に、既存の支配権力が一層強い力を以て発動したかということは、革命の概念にとって無関係である。『上からの革命』、すなわち、銃剣の強制力によて支持されたクーデターも、革命である。

32013 参考2:革命は、実力によって実定法の根本を破る行為である。したがって、法を破るという意味がともなわないかぎり、いかに世界観の立場が転換しても、それはここにいう革命ではない。いいかえれば、いわゆる合法的革命は法学上の概念としての革命ではない。ただし、実力による法の変革は、必ずしも暴力によって行われるとか、流血をともなうとかいうことを要件とするものではない。国民の政治力によって法の根本が破られたものと認められ得る以上、無血革命もまた革命である。

 

3 DOMINIUM EMINENS

33001 国民の側からの革命権の主張は、民権拡張の動向の尖端に位する。したがって、現実に成しとげられた革命は、国家の支配機構をゆり動かし、それまでは単なる被治者・被支配者にすぎなかったところの国民の地位を、逆に権力の淵源たる立場まで高める。しかし、いかに革命によって国民が権力の淵源であることが確認されても、国民のすべてが政治の実際にたづさわるということは、事実上不可能である。したがって国民主権の建前が確立されても、実際の政治はやはり国家権力の中枢たる政府によって行われる。ただ、もしも政府がふたたびその権力を濫用して民意に反する政治を行うようなことがあれば、国民はいつでもその主権を行使して、政治形態の変革を断行する用意があるということは、現実の国家権力に対する大きな掣肘である。それは、国民の側に、明示的もしくは潜在的に革命権が留保されていることを意味する。かような政治態勢の下に発達した西洋近世の国法秩序の中には、権力の過剰を戒め、国民の権利を過当な権力の行使から保護するために、幾多の障壁がはりめぐらされた。成文憲法による国民の基本権の保障は、その中でも最も重要なものである。

33002 しかしながら、かような法治主義の制度も、度をすごせば政治上の権力を必要以上に弱め、政府の行動範囲をあまりにせばめ、国家緊急の際に断乎たる措置を採ることを不可能ならしめる虞れがある。そこで、国家全体の安寧・福祉を護るために緊急の必要がある場合には、平時の憲法上の障壁を踰えて権力を行使することを認むべしという議論が起って来る。勿論、権力の行使はいかなる場合にも法の限界内にとどまらなければならない、という法治国家の原理からは、政府が国家の危機を名として法を破ることは、最後まで不法として否定されなければならない。これに反して、法をば国家の存立と国民の利益とを擁護するための手段と考えるならば、切迫する危機に対して、法を破ることを躊躇するがごときは、手段のために目的を棄てるものとして非難されなければならないであろう。法も、法によって保障される国民の権利も、国家あってはじめて維持され得る。したがって、法のために国家の安全を顧みないというのは、最もはなはだしい本末転倒である。そういう立場から論ずるならば、法を破る権力の行使も、国家の存立を擁護するという最高目的の下に、なおかつ法であり権であるとして肯定され得ることになるであろう。かように、国家の存立を擁護するために、緊急事態に際して法を破る権力がなおかつ法として発動し得るというのが、「国家緊急権」の理論である。

33003 国家緊急権が発動すれば、少なくとも部分的には憲法を破ることになる。故に、国家緊急権も法を破る力である。しかも、それは、現実の権力を掌握する者ーー例えば、君主、政府または大統領ーーが、特別の場合に行う憲法の破砕である。その点で、国家緊急権の行使はクーデターに極めて似ている。ただ、国家緊急権は、その名のごとくに、自ら「法」であり「権」であるということを標榜する。国家緊急の場合にあたり、国家を救うために法を破る当然の権利が発生するというのが、国家緊急権の理論である。これに対して、クーデターは、実際には何らかの名分や理由をかかげて行われるには相違ないが、国家緊急権のような大上段の「理論」の粉飾をともなわない。クーデターは露骨な法の破砕である。国家緊急権は法を破ることをなおかつ法であるとして、自ら粉飾する法の破砕である。その点では国家緊急権は、革命が国民主権や自然法の理論を冠として戴くのと、むしろ趣を同じうしている。ただ革命が下から上へむかって法を破る「権」を主張するのに対して、上から下へむかって法を破る「権」を主張するのが国家緊急権なのである。その意味で、国家緊急権は、国民主権主義の側からの「法を破る法」たる革命権に対抗するところの、国家全体主義の側からの「法を破る法」であるということができよう。

33004 それであるから、国家緊急権の理論と革命権の主張とは、その沿革の上から見ても、正に、政治上の対蹠概念として発達した。すなわち、革命権が民主主義の切り札となったと同様に、国家緊急権は、君権至上主義もしくは国権絶対主義の陣営が、一面では民主主義の原理と妥協しつつ、しかも最後の場面において民主主義的法治主義の城塞を切り崩すために用意した切り札に外ならない。

33005 西洋、特にドイツ国法学にいう国家緊急権の思想は、近世のはじめに唱えられた dominium eminens 概念から出発するといわれる。この熟語を形づくっている二つの言葉のうち dominium は「支配」または「所有権」を意味するが、ここではこれら二つの意味を併せ含むと見てよい。もう一つの eminens は「上級」または「優越」という意味の形容詞であるから dominium eminens は文字通りには「上級権」もしくは「優越支配権」とでも訳せられるべき概念である。この場合、 dominium eminens が上級であり優越しているというのは dominium vulgare に対してである。すなわち、個人が一般に物に対してもつ「普遍支配権」と対比した意味で、 dominium eminens は「優越支配権」なのである。故に、この理論からいうと、国法は、一般には個人の普遍支配権を尊重すべきであり、国家は原則としてその保護に任ぜなければならぬ。しかし、国家そのものの福祉に関する場合には、国家に内在する優越支配権が発動して、個人の権利について守られるべき普通の制限を排除し、個人所有権をも全体の利益のために侵害することができる。そこで、 dominium eminens は、公益のためにする公用徴収権の概念の濫觴(起源)となった。それと同時に、この概念が一般化されて、個人の権利に対する保護ーー逆にいえば、権力の行使に対する国法上の制限ーーも、国家全体の存立のためには必要に応じて排除され得るという思想、すなわち「国家緊急権」(jus eminens, Staatsnotrecht)の思想を生むこととなったのである。

33006 この dominium eminens の概念は、まづグロチウス(Grotius)によって説かれた。グロチウスによれば、人が人または物を法的に支配する「能力」(facultas)すなわち「支配権」(dominium)には、二つの種類がある。その一つは facultas vulgaris であり、他の一つは facultas eminens である。前者は、個人の利益のために個人に与えられた能力または権利である。これに対して、後者は、公共の福祉のために、部分たる個人およびその財産の上におよぼされる能力または権利であって、全体たる共同体に帰属し、かつ facultas vulgaris の上に優越する。故に、個人が法的に取得した権利は、原則として権力によって保護され、恣意によってみだりに侵害されないという保障を与えられるが、その上に立つ、facultas eminens または dominium eminens の前には絶対に不可侵ではあり得ない。一般にいって、個人の権利が侵害されるのは二つの根拠にもとづく。その一つは、刑罰であり、他の一つは dominium eminens である。ただし、個人の権利が dominium eminens によって侵害される場合には、二つの条件が備わらなければならない。第一は、それが公共の利益のために必要であるということ、第二は、国家の側から損害に対する補償が与えられるということである。かくて、グロチウスは、自然法の理論に立脚する「既得権」(wohlerworbene Rechte)の不可侵性を相対化し、既得権に対する法的保障といえども、権力に対して踰(越)えることを許さぬ制限を意味する訳ではなく、公益のためにはーー適当な補償を与えることを条件としてーーこれを公権力を以て侵害することができる、という法理を基礎づけた。

33007 前に述べた通りこの、グロチウスによる facultas eminens または dominium eminens の概念は、私権に対する国家の公用徴収権の理論の淵源となったのであるが、それと同時に、公共の利益を保全するためには、権力者は国民の権利保護に関する法の規定にかかわらず、すなわち、平穏無事の場合の権力行使の筋道から逸脱しても、その権力を以て適宜の措置をとり得る、という国家緊急権の思想によって利用された。その場合に dominium eminens という言葉は、拡大された第二の意味をももち得るが、その本来の物権的語義内容の限定を越えて、特に一般に国家緊急権を指し示すときには、別に jus eminens という言葉が用いられることが多い。

33008 Dominium eminensの語義のかような拡大は、一面では、国家全体の利益と国民各個の利益の調和を求めようとする動きを示すと同時に、他面では、民権擁護のための法治主義の発達と妥協しつつ、最後のところで法治主義の限界を乗り越える余地を残そうとする、国権絶対主義の要求の現れと見ることができよう。

33009 前に述べたように、ヨーロッパ近代国家の発達史の上から見ると、国民主権の理論、民権尊重の思想は、最も重要な指導概念ではあったけれども、決して唯一の国家形成原理ではなかった。むしろ、その反面では、近代国民国家が主権国家として発達して行くために、中央集権的な君権至上主義や国権絶対主義が唱えられる必要があったのである。もっとも、この第二の動向は、国民の側からの反抗権や革命権の主張と実行とによって次第に退却を余儀なからしめられたけれども、国民各個の利益に優先して守られるべき国家全体の利益があるという観念は、それにもかかわらず牢固たる勢力を維持して来た。他方また、民主主義の理論からいっても、或る場合には、権力を以て個人の権利を侵害する必要が生じるということは、承認されなければならなかった。そこで、両方の歩みよりによって、法治主義の一般原則を確立しつつ、これには例外の場合があり得ることを認めるというところに落着いて行ったのである。すなわち、権力は一般的には個人の権利を法によって保護しなければならない。もっとも、国家全体の利益のための特別の必要がある場合には、権力を以て個人の権利を侵害することができる。ただし、この場合にも、国民の意志にもとづいて定立された法律の規定にしたがい、相当の補償を与える必要がある。それが、公用徴収権の意味における dominium eminens である。しかしながら、法律によってあらかじめ定めてある手つづきと範囲とに制限されていては、国家の存立を保持することができないような緊急の必要が生じたときには、どうするか。ーーその際にも、法律の認める限界内での措置にとどめて置かなければならないというのは、法治主義の公式論である。これに対して、そういう際には、法律の認める限度を越えた非常措置に出ることができるというのが、国家緊急権の意味での jus eminens の主張に外ならない。

33010 しかるに、法治主義のその後の発達は、法の認める権力行使の範囲を更に拡大して、かような非常措置も合法性の枠の中に取り込んで置く、という方向にすすんだ。国民の自由権や基本権を憲法によって保障し、法律によらずしてこれを侵害することを許さぬというのは、法治主義の原則ではあるが、一応の原則である。一応の原則というのは、場合によっては、それにも更に例外があり得ることを認める意味である。というのは、もしこの原則を硬直・不動のものにしてしまうと、実際にその範囲では片づかない緊急の必要が生じた場合、この原則が権力によって破られる虞れがある。それは法治主義が公式論に拘泥して、自ら破綻をまねく所以である。したがって、進歩した法治主義は、この原則とともに、憲法の中に非常事態に際しての例外措置規定を併せ設ける。そうすれば、緊急の場合に平時の法治主義の原則が停止されても、それはそれ自身憲法に則って行われるのであるから、法が破られたことにはならない。かように弾力性のある法治主義を採用した憲法として、多くの学者が例に挙げるのは、ドイツのワイマール憲法である。

33011 すなわち、ワイマール憲法は、その第四十八条第二項に、「ドイツ国の内部で公共の安寧秩序が著しく撹乱され、もしくは撹乱の危険に瀕した場合には、国の大統領は公共の安寧秩序の恢復に必要な措置を行い、要すれば武力を行使することができる。この目的のために大統領は、第百十四条・百十五条・百十七条・百十八条・百二十三条・百二十四条および百五十三条に規定する基本権の全部もしくは一部を暫定的に停止することができる」と規定している。これがドイツ国大統領の「独裁権」についての規定である。ドイツ国民が身体の自由、住居の自由、信書の自由、言論・著作の自由、集会・結社の自由、所有権の自由、を享有することは、ここに列挙された憲法第百十四条以下の条項の規定するところであり、これらの基本権は「法律」によるあらずしては制限もしくは侵害せられることがない。それは、国民の基本権に対する常時体制上の憲法の保障である。しかるに、公共の安寧秩序がはなはだしく撹乱される虞れのあるような場合には、大統領は、常時体制上の基本権の保障を一時停止し、法律によらずしてこれらの上に必要な措置を加えることができる。それがこの独裁権の規定の要旨である。この規定の解釈については色々と意見が岐れているけれども、いずれの解釈を採るにせよ、もしもかような規定がないのに、大統領が法律によらないで基本権に関する非常措置を行ったとしたならば、それは憲法違反であり、正に国家緊急権の発動である。しかし、すでにこの規定がある以上、その範囲内で大統領が独裁権を行うことは、憲法上認められた非常措置権の行使であって、国家緊急権ではない。これを Staatsnotrecht と呼ぶ学者もあるが、それは、緊急事態に対処するための憲法上の非常措置権を立憲制度上の Staatsnotrecht と名づけたまでのことであって、非常措置権の範囲をふみ越えるような「法を破る法」の意味で、これを国家緊急権といおうとしているのではない。それだけ法治主義の弾力がましたのであり、それだけ合法性の枠がひろめられたのである。かかる制度がなければ国家緊急権となるべき事柄が、この制度によって国家緊急権ではなくなったのである。人はこれによって、法治主義の原則と非常事態に際する執行権拡大の必要とを、一度は充分に調和せしめたと信じたに相違ない。

33012 ところが、実はそうでなかった。「法を破る法」としての国家緊急権の問題は、これによっても絶滅せしめ得たことにはならなかった、なぜならば、ワイマール憲法第四十八条第二項の大統領の独裁権にも限界がある。すなわち、その発動によって停止され得る基本権の規定は、第百十四条以下の七箇条にかぎられている。故に、ワイマール憲法の予想したより以上の非常事態が発生した場合に、大統領は第四十八条第二項の限界を突破して、憲法の認めぬ超非常措置を執り得るか否かが、改めて問題となって来るからである。そうして、これを否定しようとする法治主義の当然の理論に対して、これを肯定しようとする Staatsnotrecht の主張が、新たな「法を破る法」の理論として現れるにいたったのである。

33013 参考1:近世のはじめ。グロチウスが dominium eminens という概念を用いた場合、その本来の意味が私所有権を侵害する国家の権、すなわち今日いわゆる徴収権または収用権であったことは、ゲオルク・マイヤーによって明確に説かれている。

33014 参考2:「公益のためにはーー適当な補償を与えることを条件としてーーこれを公権力を以て侵害することができる、という法理を基礎づけた」について、柳瀬良幹教授は、この点を既得権理論の史的発展の一節として叙述しておられる。

33015 参考3:ロレンツ・フォン・シュタインによれば、 jus eminens の概念は本来 dominium eminens の概念とは何ら関係がなかったという。すなわち、後者は「上級所有権」(Obereigentum)を 意味したのに対して、前者はかって上級所有権の意味に用いられたことはなく、「例外の場合の国家理由」(ratio status extraordinarii)であり、正に「国家の緊急権」(Notrecht des Staates)を意味したのである、と。

33016 しかし、国家全体の利益のために個人所有権に対する普通の場合の法的保障を排除して、これを侵害することを認めるというのが、グロチウスのいう dominium eminens である。この法理を押しひろめて行くならば、結局 jus eminens すなわち、個人の権利を保障するための法律も、国家非常の際には権力を以てこれを破り得るという国家緊急権の概念に到達する、故に dominium eminens の本来の語義が今日いうところの収用権に近いものであったことは事実であるとしても、国家緊急権の概念もこれと全く別個の淵源から出たものではなく、むしろこれから分岐した強度の dominium eminens に外ならないと見るのが至当であろう。

33017 参考4:ワイマール憲法第四十八条第二項については、これを法文の意味に忠実に解釈しようとする通説と、これに対して大膽な意味拡充的解釈を加えようとする説との対立があった。前者によれば、大統領がその独裁権の発動によって停止し得る憲法の条規は、第百十四条以下、この条文に明記してある七箇条にかぎられなければならない。これに反して、後者によれば、大統領の独裁権の発動は、必然的にこれらの七箇条の範囲を越えて、憲法の他の条項にもその效力をおよぼすこととなる。そうでないかいかぎり、この例外状態の規定は到底その目的を達し得ないというのである。この第二説を代表する学者はカール・シュミットである。しかし、シュミットも、第四十八条第二項の大統領の独裁権は、それにもかかわらず一つの「適憲の法制度」(verfassungsmässiges Rechtinstitut)であって、国家緊急権ではないとなしている。すなわち、シュミットにしたがえば、もしも大統領ではなく、他の国家機関が憲法の限界を破って緊急対策を行うような場合があれば、そこにはじめて国家緊急権の発動が認められるのである。

33018 参考5:トオマ Richard Thoma はここで、国家緊急権という言葉を二通りに使い分けている。その一つは「憲法をふみ越える国家緊急権」であり、他の一つは、「現行憲法制度上の国家緊急権」である。第二の意味の国家緊急権には、大統領の独裁権や緊急命令権などが属する。それが憲法によって認められているかぎり、その行使はもとより法治国家における合法性の原理と矛盾しない。これに対して、トオマは、第一の意味での国家緊急権は憲法の蹂躙であるとしてこれを排斥するのである。

 

4 STAATSNOTRECHT

34001 Staatsnotrecht は、読んで字のごとくに一つの Recht である。いな、 Recht であるといわんとするよりは、自らRecht たることを主張するものである。しかも、それは普通の場合の Recht ではなく、平時法の枠の外にある Recht であり、これまた文字通りの Notrecht である。故に、Staatsnotrecht が発動すれば、平時における法の枠は破られる。格別の理由もないのに法の枠を破ることは、違法であり、不法である。けれども、国家を救うという絶対の必要の前には、違法も不法もなくなる。そうして、法を破って国家を救うことが当然の権利となり、法となる。それが Staatsnotrecht である。こういう考え方は、これを排斥する法治主義の常道論とせり合いながらドイツの国法学会を賑わし、遂にナチスの時代の国権絶対主義の再現を迎えるにいたった。

34002 かような思想をきわめてはっきりした太い線で描き出した学者として挙ぐべきは、イェリングであろう。イェリングの時代には、もとよりワイマール憲法第四十八条第二項のような非常措置法はなかった。しかし、1850年のプロイセン憲法は、すでにその第六十三条に緊急命令の規定を設け、その第百十一条に戒厳に関する条項を置き、非常の場合の例外措置をあらかじめ法を以て定めて置くという態度をとっていたのである。けれども、イェリングにいはせれば、これらの非常措置を法で決めて置いても、もっと差しせまった緊急状態となれば、法の規定にかかわらず臨機の権力行使を断行する必要が生じる。それは、もはや法の問題ではないのである。元来、法は目的によって作られる。法は目的でなくて、目的のための手段である。そうして、法の目的は、社会生活の存立を維持するということに存するのである。勿論、権力が社会生活の維持発展のために法を作った以上、権力自らが法を尊重するという態度を堅持する必要があることはいうまでもない。なぜならば、法は権力の賢明な政策であって、この政策を遂行するためには、権力は謙抑の態度を以て法の規準に服さなければならない。上に立つ権力者が法に従わずしては、一般国民に遵法の精神が育つ筈はなく、法の確実性や秩序の安定性がなくしては、社会生活の繁栄はもとより期待できぬからである。しかし、法による権力の拘束にも、自らにして限度がある。法を守るか生命を救うかという切端つまった事態に立ちいたれば、権力は手段を棄てて、目的を取らざるを得ない。法を破っても生命を救わなければならない。それは、非常の場合における国家権力の救済行為である。あたかも、難船の危険に瀕した船長が、船と乗組員の生命とを救うために、積荷を海中に投ずるように、国家権力もまた、それが差しせまった危機を乗り越える唯一の方法である場合には、法を思い切って棄てなければならない。それは、非常状態にあたって発生する国家権力の非常権なのである。

34003 同様の見解を憲法学の立場から展開した学者として、カルテンボルンの説くところを聞こう。カルテンボルンによれば、憲法の変更またはその廃止は、原則として憲法に定められている法形式をふむことによってのみ行われ得る。この原則に対して例外を認めることは、形式的な法の見地からは許されない。ましていわんや、単なる便宜上の理由や、いわゆる公共の福祉というがごとき不明確な論拠をかかげて法の形式を無視することは、堅く戒められなければならぬ。法の形式をふまずに行われた憲法の変更や廃止は、常に形式上の法の破砕を意味する。しかし、さればといって、形式上の法の破砕は絶対に許され得ぬという訳ではない。形式的な法よりも高い実質的な法を根拠とするならば、法の破砕もまた是認されることがある。すなわち、形式的な憲法はあっても、その内容が国民生活および国民精神の自然的、社会的、倫理的な基礎から遊離してしまっているような場合には、実質上の国家秩序そのものを維持する必要上、法の手つづきによらないで形式上の憲法を改廃するという理由が成り立つのである。なぜならば、形式上の法は、国民精神の確乎たる基礎に立脚するときにのみ、真の生活規範としての效力を有するからである。殊に、国民精神の基礎から遊離してしまった法を、なおかつ形式的に存続させることが、国家の存立を危かしめるような場合、そうして、憲法上の手つづきによってこれを適当に改正することを不可能にならしめるような事情がある場合には、国の政府は、形骸と化した法を尊重することによって国家の没落を招くよりも、むしろ形式的な法の破砕の責任を負うても、国家を救うために必要な処置を執らなければならない。それは、国家のための正当防衛であり、正に Staatsnotrecht なのである、と。

34004 これらは、ともに第19世紀の後半に属するかなり古い学説であるが、これに対して、『ドイツ国家大観』の中でトオマの引用しているショイル(Scheurl von Defersdorf)の見解は、ナチス擡頭前の比較的新しい Staatsnotrecht の理論として、注目に値する。ショイルによると、国家の平常時法秩序の描く円の周囲には、更に広い非常時法秩序の円がある。そうして、緊急の場合には、前者の範疇を乗り越えて後者が実現されるのであって、その意味で「法治国家」は既存の法秩序を破ることができる、と。この説は常時法秩序と非常時法秩序とを互に重なり合う二つの円として説明し、非常時にあたっては後者の実定法化を見、したがって前者の枠が破られるにいたるのを、「法治国家」の法現象と解しているところに、特色がある。これは、法規範の形式的な意味に拘泥する杓子定規の法治主義をば「法律国家」(Gesetzesstaaat)の思想として斥け、変通自在の政治をすべて法の作用と見做そうとする、ナチス流の「法治国家」(Rechtsstaat)の概念の先駆として注目すべきであろう。

34005 しかしながら、 Staatsnotrecht を肯定するこれらの理論は、民主主義法治国家の時代には、もとより少数派であった。立憲主義の国家体制を整備して行く上からいえば、法を破る法を認めるような学説は、あくまでも排斥されねばならなかったのである。したがって、ナチス独裁主義の確立されるまでのドイツの有力な国法学者の見解は、ほぼ一致して Staatsnotrecht を否定して来た。これらの学者によれば、立憲的法治国家の作用は、すべて法によって行わなければならない。司法はもとより、行政の作用も、適法であることを根本の建前とする。「非常状態」といえども、この建前を無視する口実を与えるものではない。行政は、法を破る権をもつものではないのである。行政が法を破る権をもたないのと同様に、立法の作用も憲法に違反することは許されない。もしも議会が憲法の手つづきを無視して違憲の法律を制定したとするならば、さような立法作用は、いかなる「非常状態」を理由とするものであっても、「不法」として排斥されねばならぬ。法の破砕はいかなる法学上の理論によっても是認され得ないのである。殊に、憲法が常時法の制限を超えて発動し得べき非常措置権を認め、かつ、さような非常措置権の及ぶ範囲を、明文を以てかぎっている以上、その範囲を越えて権力の行使に訴えることは、もはや法でもなく。権でもない。故に、立憲国家の法制度として Staatsnotrecht なるものを認めるとすれば、例えばワイマール憲法第四十八条第二項の規定するがごとき統治中枢の非常措置権こそ、それであるといはねばならぬ。その外に、またそれ以上に、憲法上の授権の根拠を無視する Staatsnotrecht を認める余地は、法学上全く存在しない。もしも事実そういう権力行動が行われたとしても、それはあくまでも違憲の行為であって、国家の「非常状態」もこれを法とし、権とする理由とはならない。ーーこれが、ゲオルグ・マイヤー、アンシュッツ、メルクル、トオマ等によって説かれている見解の要点であって、厳正な憲法解釈論としては正に当然しかるべき理論であるといはなければならない。

34006 ところが、ナチス独裁主義への転換は、この問題についてもドイツ国法学の伝統をくつがえした。民族社会主義の世界観は Staatsnotrecht の概念を公然と復活せしめたのである。民族社会主義の立場からいえば、法は民族共同体の生活形式であり、法の最高目的は民族の存続・発展である。この目的にかなうものが法であり、この目的を阻害するものは法ではない。そうであるとすれば、いかに外観広壮な成文法規の体系が存在していても、その内容が民族主義的な意味で法たるに適せぬものであるならば、これを破っても法を破ったことにならぬ筈である。かくて、定型化された法規範を金科玉条とする規範主義は排斥されて、民族生活の具体秩序が重んぜられる。法規の形式から外れぬことを正しいとする「合法性」の理念は疎んぜられて、実質上法の目的にかなうことを尊ぶ「正当性」の原理が主張される。かような法観念の転換は、すべて、立憲主義的な法治国家の体制を崩壊せしめ、民族社会主義の政治理念を法生活の隅々にまで浸潤させるための戦術となった。かくのごとくに、法規範ーー成文法規ーーのもつ価値を転落せしめ、反対に、民族の発展ということを絶対の法価値にまで高めるならば、民族の存続のために成文憲法を無視することは、茶飯事のごとくに容易に行われ得ることになる。ここに「法を破る法」としての Staatsnotrecht の概念の復興を見るに至ったことは、もとより怪しむに足りない。

34007 かくのごとき Staatsnotrecht の概念の再建は、ナチス・ドイツの代表的な憲法学者たるケルロイターによってきわめて大膽に説かれた。ケルロイターによれば、民族社会主義のドイツ指導者国家は、真の意味で法治国家である。国家は、一つの民族が政治的な生活様式をもち、その政治的生活様式が法によって形態化されたものに外ならない。だから、法と国家は必然的に結びついている。民族国家は、その生活動の方向から見れば政治共同体であり、その存在形態の側から眺めれば法共同体である。故に、民族社会主義ドイツ指導者国家は、急進自由主義の「法律国家」とは全く違った意味での「法治国家」である。したがって、その政治指導および国家行政は法によって規律せられる。けれども、法による政治指導の規律には、限界があることを忘れてはならない。その限界を劃するものは、民族の生活秩序を保全するという必要である。この必要のためにする政治指導は、法の限界の外に出で得る。民族主義の法治国家にとっては、民族の生命の維持こそ最高の政治価値であり、最大の法価値である。この最高・至上の価値を擁護するためには、必要な一切の手段が講ぜられなければならない。故に、民族の存立が問題となる場合には、いつでもStaatsnotrecht が実定化される。これに反して、個人主義の法観念は、民族の生命を維持することを最高の価値として認めようとはしないから、いきおい、法による個人の権益の保護ということに重点を置き、適法の政治という観点に拘泥してStaatsnotrecht を否定せざるを得ないのである、と。

34008 以上の概観によって明らかにされたように、ドイツ国法学上の Staatsnotrecht の概念は、肯定・否定・再肯定の三段階を経て変化した。それが最初に提唱されたのは、近世主権国家建設の途上において、澎湃として興り来る国民主権主義の勢力と対抗しつつ、国家の中央集権を強化・確保することが特に必要とされた時代であった。また、それが否定されたのは、成文憲法が権力行使の筋道として整備され、整備された法に対する信頼が、したがって法を破る勢力に対する不信頼が、強く国民の法意識を支配した時代であった。殊に、成文憲法に緊急・非常の場合にのぞんでの国家作用の特別規定が設けられている以上、この非常措置の範囲を逸脱する権力の行使を認める余地は、全くないと考えられたのである。しかるに、その Staatsnotrecht を再転して肯定せしめるにいたったものは、民主主義の時代に発達した成文法の体系をば暢達自在な政治活動の障礙であるとなし、したがって、非常の場合に法を破ることを、むしろ誠の法を実現する所以であると見る、民族社会主義の世界観であった。そのナチスの独裁主義が敗戦によって掃蕩された今後は、おそらくふたたび Staatsnotrecht を呪詛する時代を迎えることであろう。いずれにせよ、権力の掌握者が法治主義の限界を越えてその権力を行使することを認めるか認めないかが、問題の焦点であり、この問題をめぐる肯定・否定の理論は、政治的世界観が国権絶対主義と自由民権主義とのいづれに傾くかによって、起伏・交代をつづけて来たのである。

 

5 革命権および国家緊急権の政治性

35001 革命権および国家緊急権は、ともに自ら認めて「法を破る法」であるとする。しかし、その実体をとらえて見るならば、両者はともに「法を破る力」である。法を破りながら、しかも法を破ることを高次の法であり権であるとするために、両者はいづれも理念をかかげる。革命権が自然法の理論や国民主権の理念をかかげるのは、それである。国家緊急権が、生命の維持、国家の存立、民族の擁護といったような目的をふりかざすのも、それである。しかも、革命権および国家緊急権が現実に法会を破るという作用を遂行し得るためには、それらの理念や目的が現実に内在し、現実人の現実行動に方向を与える力とならなければならない。それはすなわち政治の力である。革命権および国家緊急権は、名は「権」であり、「法」であるが、実は「政治」である。このことは、革命権については改めて説くまでもないほどに明瞭であろう。革命権は、憲法制定権力と楯の両面ともいうべき一体不二の関係にある、そうして、憲法制定権力の本体が政治の力であるということに関しては、すでに前の章で詳しく考察を加えて置いたのである。故に、ここでは、国家緊急権の政治性について簡単な論述をつけ加えればよいであろう。

35002 国家緊急権は、実定法を破る力である。実定法を破る力であるから、これを実定法によって理由づけることはもとより不可能である。それにもかかわらず、国家緊急権は法を破る法であると自称する。国家緊急権を肯定する学者は、権力によって憲法を破ることをば、なおかつ権であると主張しようする。しかしながら、実定法を破る国家緊急権をば、実定法の尺度を以て法であり、権であると見做すことは、全く筋道の立たぬ不可能事である。故に、国家緊急権は、いづれにせよ実定法を超越する問題である。実定法の外に厳密な意味での法はないとすれば、それは一般に法を超越する問題である。故に、国家緊急権の本体を見きわめるためには、まづこの問題の法超越性の認識から出発しなければならぬ。

35003 国家緊急権の問題の法超越性をきわめて明確に指摘した学者はイェリネックである。イェリネックによれば、法は国家によって作られるが、国家によって作られた法は、逆に、法を作った国家を拘束する。それが「国家の自己義務づけ」(Selbstverpfliohtung des Staates)である。しかし、法による国家作用の義務づけにも自らなる限界がある。すなわち。危機に臨んで国家生活の基礎が変化すれば、法はもはやその変化を阻止する力はない。法の力のおよび得ぬ彼岸で行われた国家生活の変動は、法を破る。しかるに、国家生活の変動によって国法秩序の上に加えられるかような侵害を隠蔽し、これを法的に粉飾するために、人々はこれまで Staatsnotrecht という範疇を用いて来た。けれども、それは、力が法に優越するという命題を、単に別の表現を以ていい直したものであるにすぎない。支配者もしくは被支配者が実力を以て国家生活の変革を強行するという事実は、法秩序の物さしでは測り得ないのである。それにもかかわらず、人がこれを法によって糾弾し、一々にこれを不法とし、犯罪の烙印をその上に押して行こうとするならば、歴史は常に刑法の条項によって裁かれなくればならないことになるであろう。法の領域から全く外れたところで行われるかような過程は、いかに法規を整備しても阻止できるものではない。それは、法でもないが、さりとてまた不法でもないところの単なる事実である。しかも、この事実からやがて新たな規範が創造される。革命や憲法の破砕は、必ず新しい法形成の出発点となる。ーーかくのごとくに、イェリネックは、人が Staatsnotrecht の概念を以て説明しようとする現象をば、法でも不法でもない法的に中性の事実と見、かかる事実から法が生まれて来る過程をば、そのいわゆる「事実の規範力」(normative Kraft des Faktischen)の作用する一つの重要な場合として取り上げようと試みたのである。

35004 人々が国家緊急権の名の下に一つの法過程として理解しようとする法の破砕が、実は法の領域の外に起こる現象であって、法の力を以てしてはこれを阻止することも認証するすることもできないというイェリネックの考え方は、歴史の現実に対する深い洞察に立脚している。国家の危機に臨み、もしくは国家の危機を名として、憲法の予想しているより以上の非常手段に訴えることは、もはや実定法の規律し得る範囲外に属する。かかる措置をまで実定法の立場から是認し得るためには、憲法の最高原則として、国家の危機にあたっては権力の掌握者はいかなることもなし得る、ということを定めて置かなければなるまい。しかし、そうなれば、法治主義は事実上その守るべき最後の一線をも抛棄したことになるのであり、絶対無制限の独裁主義に国家の全権をゆだねたことになるのである。さもないかぎり、すなわち、憲法上の非常措置に或る一定の制限を附しているかぎり、その制限を踰える権力行使を実定法の立場から法と認める余地は全くないのである。それは、法の立場からすれば、あくまでも不法であり、憲法違反である。といって、さような不法が国家を救うために是非とも必要であると主張され、そういう不法な措置が事実上実行され、そのために法が破られるにいたるという現象を、法は如何ともすることはできないのである。その意味で、国家緊急権の問題は、実定法解釈学の処理し得る範囲の外にあるといわなければならない。

35005 しかしながら、国家緊急権の問題が実定法学の縄張りの外にあるからといって、これをイェリネックのように単なる「事実」と見做すことは、正当ではあるまい。国家緊急権が発動する場合には、まづ以て国家の危機を克服し、民族の生存を保全するという退っぴきならぬ「目的」が前提とされる。あるいは、少なくともそういう「目的」をかかげ、そういう「名分」の下に、余儀なく法を破るのであるという体裁が採られる。国家のためにさような「目的」や「名分」をかかげ、そのために必要とせられる手段をば権力を以て強行するのは、疑いもなく一つの端的な政治活動である。国家緊急権は、決して無理念・無目的の事実でなく、法の予想した範囲を逸脱して活動する政治であり、政治が法を破りつつ、国家を救済するという名分の下に、法を破りながらも自らを法として認証しようとする試みに外ならない。国家緊急権によって法が破られるのは、法によって法が破られるのでもなく、さりとて、事実が法を破るのでもなく、実は、政治によって法が破られるのである。国家緊急権の発動を転機としてそこから新たな法が生み出されることがあるとすれば、それは、政治が法を破ったのちに、自ら新たな法創造の原動力になるという、法と政治の間にしばしば見出される現象の一つの場合にすぎない。国家緊急権の問題は、イェリネックの考えたように法を超越する問題ではあるが、この問題は単なる「事実」の世界にあるのではなく、法の外なる「政治」の領域に発生する。「法を破る法」ではなく、「法を破る政治」たることが、国家緊急権の正体に外ならないのである。

35006 かくて、法の究極に在るものを、まづ「法を作る力」としてとらへ、次に「法を破る力」として吟味した結果は、いづれも、それが政治の作用であることを示すこととなった。法は政治によって作られ、政治によって破られる。その意味では、政治は法の原動者であり、政治こそ「法の究極に在るもの」であるように見える。しかし、そうであるとすると、法は政治の意のままに、いかようにも作られ、いかようにも破られる、単なる傀儡にすぎないのか。法は万能の政治に対しては何らの自主性も自律性ももたないのか。それとも、万能と見える政治にも遂に逸脱することを許さない究極の矩があって、その政治の矩が、更に法と結びついているのであろうか。そもそも政治とはいかなるものであり、法と政治はいかに結合し、いかに反発するものなのであろうか。ーーここで章を改めて、そういう原理論の考察に移っていくこととしよう。

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第四章 法の原動者としての政治

 

1 法の究極に在る政治

41001 法の究極には理念がある。しかし法を作り、法を破る力は、決して単なる理念の力ではない。むしろ、現実の人間の行動が、法を作り、法を破る直接の原動力なのである。「自由」の理念がアンシャンレジームの法体制を完全に破り去るためには、バスティーユの事件を発端とする迂餘曲折の事実行動となって現れる必要があった。「民族」の理念がナチス指導者国家の法を作るにあたっては、指導者の言葉に随喜または阿附するドイツ国民の生活事実がこれを基礎づけなければならなかった。法は人間の行動によって作られ、人間の行動によって破られる。その意味で、「法を作る力」も「法を破る力」も、ともに人間の事実行動の力なのである。

41002 故に、法は人間生活の実践を離れてあるものではない。法が創造される源泉も、法が行われる場所も、法が改廃される機縁も、すべて人間の実践生活の中に見出される。しかしながら、人間の生活、人間の実践行動は、決して単なる自然現象ではない。人間の生活には「目的」があり、人間の行動には「意味」がある。かような人間生活の目的や人間行動の意味を、そのきわめて高度に客観化された形態においてとらえたとき、これを「理念」と呼ぶのである。唯物史観が社会変遍論の中心に据えた経済現象は、人間生活の最も広い最も根本の部分を形づくっているが、それとて決して没価値・無目的の自然現象ではない。人間の経済生活にはきわめて複雑な「意味」があり、切実な「目的」がある。まして、これを国民の福祉とか、国家の繁栄、とか、公益優先とか、「各人にかれのものを与えよ」とかいうような原理と結びつけて見るならば、卑近な経済の中にも高度に客観化された「理念」が内在していることが知られる。故に、すべての人間の行動は、理念により、目的により、意味によって方向づけられている。人間の行動から理念を去り、目的を切り離し、意味を捨象してしまうならば、それはもはや人間の行動としては理解され得ない。それであるから、人間の行動が「力」を発揮するのは、その行動を強く一定の方向にむかわしめるところの理念・目的・意味によるのである。そうなると、人間の行動の本体は、やはり理念の力、目的の力であるということになる。かくて、法を作り、法を破る力は、ひるがえってまた理念の力に還元されて来るのである。

41003 かように、理念が行動をうながし、行動が理念を実現して、法を動かす力となるためには、理念と事実とを媒介するものがなければならぬ。それは、人間の現実意識であり、現実意欲である。理念は「意味」の世界において「妥当」する。しかも、客観的な意味の世界において妥当する理念は、マックス・ウェーバー(Max Weber)のいわゆる「主観的に思念された意味」(subjektiv gemeinter Sinn)となって人間の現実意欲の面に現れ、更にすすんで、人間共同生活に方向を与えるのである。道徳や宗教の理念は、万人が熟睡している間も妥当する意味として存在するといわれる。道徳や宗教の理念が、論理の命題や数学の法則と同じように、昨日と今日とによって内容を異にすることがなく、語る人にも聞く人にも共通に理解せられ得るのは、それがさような恆常・客観の意味的存在であるがためでなければならない。しかし、かくの如き意味的存在としての理念が、社会を動かし、歴史を推進する「力」となるためには、それが現実人の現実感覚の中に燃える信念または信仰となり、人間の現実行動の志向目標となることが必要である。それも、少数の先覚者が警世の信念を吐露しているにもかかわらず、その言葉が俗耳には奇矯狂信の言としか響かぬ間は、理念も微弱な力であるにすぎないけれども、或る理念が広く一般大衆の目的意識となって普及し、国民の大多数が一致して共同の目的の達成に邁進するようになって来ると、そこに、理念と事実とを結ぶ鬱然たる行動力が生まれる。この力が、その目的にかなう法のないところには、新たな法を作るのである。また、この力が、その目的にかなうように作られた法に対しては、その效力を支持するという作用をいとなむのである。あるいは、この力が、その目的をあくまでも阻止しようとする法に対しては、遂にこれを破る力となって爆発するのである。かように、理念が社会大衆の現実意識を支配している面をとらえて、これを「社会意識」と呼ぶならば、法を作り、法を支え、もしくは法を破るものは、社会意識の力であるということができる。あるいは、これを単に「社会力」と名づける学者もある。社会意識とは、社会的に大衆化した目的意識であり、社会力とは、社会生活の中に現実化したところの理念または目的の力である。法が效力を有するのも、法が進歩・変遍するのも、かような意味での社会意識または社会力の作用によるのである。

41004 ところで、社会意識として現実化され、一般化された理念が、統一ある社会力として作用し、特に国家の場合、一貫した国民運動となって実現して行くためには、理念をかかげて民衆を指導する人々と、理念によって指導される民衆との間の関係が確立されなければならない。いいかえると、社会力には「指導」の組織がなければならないのである。そうでないと、同一の目的によって行動しようとする社会大衆の結合も、適当な指導者を缺くために、いわゆる烏合の衆となり、一貫した行動力を発揮することができない。社会指導の理想は、指導理念が明確・適切であり、指導者が翕然たる信望の中心となって民衆を統率し、被指導者が自ら進んで指導理念と一致した生活を躬行実践して行くにある。しかし、いかに理想的な社会指導といえども、指導目標にむかって大衆の足並みをそろえさせるためには、権力を以てする指揮・命令を缺くことはできない。これを「統制」と名づけるならば、社会指導は、必ず同時に社会統制の性格を備えることとなるのである。更にまた、民衆の間に蟠居する反対動向を制圧し、指導者の意志をば有無をいわさずに強行するということになると、指導は転じて「支配」となる。あるいはまた、指導の方針をば空虚な美名を以て飾り、民衆を欺いて指導者のひそかに抱く目的を達成しようというのは、指導の仮象形態たる「操縦」である。かように、一定の指導者が一定の理念もしくは目的によって社会意識を統合し、社会大衆を組織的に指導・統制・支配もしくは操縦しつつ、その統合された社会力によって、一貫した目的行動を実践して行くのは、すなわち「政治」である。故に社会意識の力または社会力を別の言葉で表現するならば、それは「政治の力」に外ならない。

41005 法の統一的な形態は、実にその大部分が、かような意味での政治の力によって形作られて行くのである。なぜ政治は法を作るか。なぜならば、イェリングのいう通り、法は力の賢明な政策だからである。無軌道の政治、法を無視する政治は、安定性・恆常性を缺き、到底永く人心を保つことができないからである。それでは、なぜ法は政治によって作られるか。なぜならば、第一に、政治には理念がある。政治は、理念を現実化し、目的を実現せんがための社会的な実践活動である。したがって、政治は、その理念にかなう生活を要求し、その目的を阻害する行為を禁止する。かくて、政治の中から幾多の積極的・消極的な「行為規範」が生まれて来るのである。しかも第二に、政治は指導であり、統制であり、支配である。故に、政治は単にその理念にかなう生活を要求し、その目的を阻害する行為を禁止するにとどまらず、これらの行為規範の效力をばその統制力・支配力によって強制的に保障しようとする。その結果として、行為規範と表裏相聯関するさまざまな「強制規範」が生み出されるのである。更に、第三に、政治はその行われる政治社会の中に指導・統制・支配の組織を作り出す。かような政治の組織は、それぞれ一定の「組織規範」となって確立されて行くのである。かくのごとき行為規範・強制規範・組織規範の複合態が、すなわち法であり、法の体系である。特に、一つの独立した政治社会の中に政治統制の最高のーー主権的なーー淵源が存在し、政治中枢を頂点とする政治社会の組織と活動とが法によって統一的に秩序づけられているとき、その政治社会は「国家」と名づけられる。故に、国家の法は、そのほとんどすべてが直接・間接に政治によって作られる。国家の政治こそ、最も大規模な範囲にわたって作用するところの「法を作る力」なのである。

41006 法は政治にょって作られる。しかも、政治によって作られた法は、ひるがえって、国家の組織を定め、政治の筋道を立てる。したがって、法と政治とは、本来同じ理念に立脚し、同じ目的を追求し、同じ方向にむかって作用している筈なのである。けれども、政治の理念は一定不動ではない。政治理念の根本は動かないでも、その具体的な適用は時と場合によって変化する。特に、国家相互、民族相互の思想・文化・技術・経済、等の交流は、一国の政治目的の内容に絶えざる影響をおよぼし、その政治活動にさまざまな変貌を生ぜしめる。かように、政治理念・政治目的の上に変化が生ずれば、政治の行われる筋道も更新されなければならないし、政治社会そのものの組織も徒らに舊套を墨守している訳には行かなくなる。そこで、変動する政治は、すすんで法の変遷をうながす。政治は動き、法は動く政治によって動かされるのである。

41007 ところが、法は、必ずしも常に政治の動くがままに、それと同じ速度を以て変化する訳ではない。法はもともと政治の所産であるから、法には必ず法を生んだ政治の理念が内在している。その政治が依然として法を支えているときに、他方に、これと異なる政治動向が擡頭して来れば、法を支えている政治と、法を動かそうとする政治との対立が起こり、それがそのまま法と政治の対立と化す。殊に、国家の法の大部分が成文の形式を備えるようになって来ている今日では、いかに政治の必要が大きく動いても、法をその意のままに動かすということは決して容易でない。法解釈の理論や法運用の実際は、硬化し易い成文法規の意味と変動する政治の要求との間の摩擦を調整するために、常に大きな役割を演じてはいるが、その調節機能にも自らなる限度がある。したがって、国際関係や国内情勢が急変し、政治が国家組織および国民生活の急角度の転換を要求しているのに対して、法がそのような急激な変革をあくまでも阻止しようとすれば、その結果は、法と政治の尖鋭化した衝突となって現れざるを得ない。ここにおいて、政治から生まれた法は、遂に政治の動向を抑制する力となって、政治の前進路に立ちふさがることとなる。その場合、政治の力がそれを凌駕し、法の認めぬ経路を選んで、初期の目的を達成しようとすれば、遂には法の破砕が行われる。故に、政治は、「法を作る力」であり、「法を動かす力」であるばかりでなく、さしせまった場合には、更に「法を破る力」となって爆発するのである。

41008 それであるから、これを逆にいうと、いままで法の究極に在るものとして考察して来た力は、「法を作る力」にせよ、「法を破る力」にせよ、結局は政治の力に外ならぬのである。更に具体的にいうならば、憲法制定権力も、革命権も、国家緊急権も、政治の力をその色々な面においてとらえて名づけたものに外ならない。これは、すでに前章までに論じて来たところであるが、その結果を重ねて要約するならば、次のようにいうことができるであろう。

41009 すなわち、「憲法制定権力」は国家における政治力の最高の淵源である。この力は、憲法を組織する力であると同時に、憲法を通じて直接・間接に一切の国法規範を創造する源泉となる。しかし、憲法制定権力によって法が作られるべきであるという建前と、実際の支配組織を通じて法が作られ、政治が行われるという現実とは、必ずしも一致しない。特に、国民が自ら憲法制定権力者を以て任じているのに、現実の支配関係において国民の意志が全く蹂躙されているというような場合には、法の変革を要望する力が、現実の支配関係上の被支配者たる国民大衆の間に鬱積して来る。あるいはまた、現実の支配関係によって圧迫されているばかりでなく、観念上も単なる被統治者としての地位に甘んじていた一般国民が、国内あるいは国外の政治情勢の変化によって、一挙に憲法制定権力者の立場に立つにいたることもあり得る。かような力が下から上へ働いて法の変革をなし遂げるにいたるのが、「革命」と名づけられる現象である。反対に、現実の支配関係においてすでに支配権力を掌握している者が、法によって認められた権力の限度に満足せず、憲法を破って絶対権を獲得しようとすることもある。この種の上から下へむかって行われる法の破砕の露骨なものが、クーデターである。これと同じく、現実の政治上の権力を有する者が、国家の危機を救うという理由の下に、その行う法の破砕を法であり権であるとして意義づけようとする場合には、その法破砕行為の上に「国家緊急権」という名が冠せられる。かように、憲法制定権力や、革命権や、クーデターや、国家緊急権は、それぞれ別々の名称を以て呼ばれ、その発動する仕方もさまざまではあるが、その本体が、いづれも法の上に在って、法を作り、法を破ろうとする政治の力である点では、全く軌を一にしているということができる。

41010 政治という概念は、憲法制定権力や、革命権や、国家緊急権など、法を作り、法を破る力の性格を一言にしていい現し得るばかりでなく、法の究極に在るものを包括的に表示する名称としてすこぶる便宜である。

41011 法の究極に在るものは、一面から見れば理念である。しかし、その理念には、道徳の理念もあり、宗教の教理もあり、経済の目的もあり、文化の意義もあるのであって、その中の一つをとらえてこれと法の関係を論じただけでは、法の究極に在るものの全貌を明らかにすることはできない。しかるに、政治は、道徳をも、宗教をも、経済をも、文化をも、いづれをも攝って以てその理念とし、その目的とし得るものである。したがって、法の究極に在るものは政治であるといえば、それによって法を動かす理念の多角性を一括して表現し得たことになるであろう。しかも、理念は単なる理念としてすでに法を動かす力となるものではない。理念は、その理念を以て生活の指針とする社会大衆の現実意欲・現実行動となって現れた場合に、はじめて、法の創造力たり、法の原動力たるの実を発揮する。故に、例えばこれを自然法というような言葉で表示するのは、自然法という概念の多義性は別としても、現実面から遊離した単なる抽象理念を意味するかのごとき観を与える。これに反して、政治は、理念であると同時に、行為であり、実践であり、目的活動である。それは、理念を現実化し、目的を追求し、障礙を破摧する事実力である。したがって、法の究極に在る力の理念の面と事実の面とを併せて指称するには、政治という概念を用いるに如くはない。政治は、道徳・宗教・経済・文化、等の多面多角の理念を包容し、しかも、これを事実上の力と結びつける。そうして、理念と事実とを綜合するする力によって、法を作り、法を動かし、動かぬ法はこれを破って、更に新たな法を作り出す。ふたたび擬人化した表現を用いることが許されるならば、政治は「法の原動者」である。法の原動者たる政治は、法に対して優位に立つ。少なくともこれまで考察して来たところからは、そういう結論が導き出されるのは当然であるといわなければなるまい。

41012 参考1:法の基礎を社会意識に求め、法の效力の根拠を社会意識によって説明しようとする学説は、ここに述べたような意味において正しい。例えば和田小次郎教授が、法その他の社会規範は社会意識にもとづいた成立する、と説かれ、木村龜二教授が、法が效力を有する理由は社会意識説によってのみ矛盾なく説明され得る、といっておられるがごとき、それである。

41013 参考2:穂積陳重博士は法を定義して、「法はである。法は社会力である。法は社会力が公権力状態に於いて行為の規範と為るものである」とされた。

 

2 法および法学に対する政治の優位

42001 法に対する政治の優位を認めるのは、転換期の学問の特色である。転換期には法が著しく動く。その法の動きは、いかに転換期であっても、原則としては法の定める手つづきによって行われる。しかし、法の定める手つづきによって法が動く場合にも、新しい政治の動向がその背後にあって法を動かしていることは、転換期には何人の眼にも明瞭に映ずる。いままで法があったにもかかわらず、今日ではもはや過去の法となってしまったものは、結局、政治から見離された法なのである。人々が新たな法の簇出に目をみはるとき、その法のほとんどすべては政治の所産に外ならぬことを知るのである。国民を戦争に駆り立てた強引の国防政治によって、いかに多くの戦時立法が行われたことか。敗戦と事が決まり、世を挙げて民主政治への大転換が行われつつある今日、いかに厖大な戦時法規が屑籠に投げ棄てられつつあるか。法は権威をもつべきものである。しかし、法の権威といっても、よく見れば、それは政治からの借りものであり、政治の権威の法の面への反映にすぎない。ましていわんや、政治が急激に変化し、新興の政治が法の定める改廃の手つづきを無視して法を弊履のごとくに歴史の過去に葬り去るとき、誰かなお法の権威を信奉することができようか。ナチスの独裁政治は、近代憲法の範型ともいうべきワイマール憲法をば、一朝にして空文と化した。激動する政治にとっては、安定を欲する法は、常に排除せらるべき邪魔物である。故に、転換期の政治がまづ法に対する優位を占めようとすることは、当然の傾向といわなければならない。

42002 これに対して、安定期の法は、逆に政治に対して優位に立つように見える。なぜならば、社会情勢が安定を保っているのは、その支柱たる法の力によるものと考えられるからである。もとより、いかなる安定期にも、法の急激の変革を求める政治の動向が絶無であるということは、あり得ないであろう。けれども、かような政治の動向は、法によって有效に阻止される。一切の政治の権力は法を尊重し、法の示す軌道にしたがってのみ発動する。法に違背する政治はあるべからざるものであるし、また、現実にもあり得ない。そこでは、正にノモスがすべての政治と権力との王であるように思われるのである。

42003 しかしながら、更に立ち入って考察して見ると、かような安定期の法も、やはり政治によって存立し、政治に奉仕していることが発見されるのである。特に、法によって政治を覊束することを目標として発達して来た近代法治国家の法秩序も、洗って見れば、決して政治から独立した法、政治の上に位する法ではなくて、やはり政治によって制約された法に外ならぬことが知られるのである。すなわち、法治主義の理想は、すべての政治上の権力をば法の枠の中にはめ込み、法規範から外れた権力の濫用を不可能ならしめることによって、個人の自由の範囲を擁護し、個人の権利の基礎を確立するにある。その意味で、在来の法治国家の法は、自由主義・個人主義の政治理念に奉仕したのである。勿論、かような国家秩序が完備されると、法は確かに一応は政治の上に立つことになる。そうして、いかなる政治上の権力者といえども法規範に服従すべきこと、一般の国民と異ならない立場に置かれることとなる。クラッベのいう通り、「人の支配」に代うるに「規範の支配」を以てするという近代国家の理念が、その実現を見るのである。しかし、その法、その規範は、人の意志を離れてあるものではない。この場合にも、法を作るのは、人であり、人の意志である。すなわち、法治国家の法は、国民の意志にもとづき、国民を代表する議会の決定を経て、定立される。したがって、クラッベのいわゆる「規範の支配」も、国民による国民の自己支配であり、議会の多数による国民の統治であり、やはり「人の支配」の一つの形態に外ならない。そうして、さような支配機構は、国民主権の政治理念に立脚し、議会中心的民主主義の政治目的を前提としているのである。それであるから、政治によって制約されているのは、転換期の法だけではない。独裁主義擡頭前のしばらく安定を保っていた近代法治国家の法も、政治を離れてはあり得なかった。今後ふたたび安定の時代が訪れるとすれば、それはやはり一応は法の権威の確立という形をとるであろう。しかし、その法といえども、独裁主義との凄惨なたたかいに勝って、ますます自己を盤石の基礎の上に置こうとする、民主主義の政治理念に立脚するのである。故に、「法に対する政治の優位」は、転換期たると安定期たるとを問わず、法と政治との間の恆常不変の比重関係を示すものといわなければならない。

42004 ところで、法に対して優位を占めるところの政治は、単に法そのものを政治の目的にかなうように動かすばかりでなく、法を研究する法学をも政治化しようとする。ただに法を政治目的の手段とするばかりでなく、法を対象とする学問をも単なる認識の領域にとどまることを許さず、政治の実践に奉仕する侍女たらしめようとする。そこで。「法に対する政治の優位」ということからすすんで、「法学に対する政治の優位」ということが問題となってくる。これもまた、特に転換期において著しく目立つ現象であるといってよい。

42005 もっとも、学問が政治に奉仕するということは、他の学問と違って、法学の場合にはむしろ最初から当然のことであるともいえる。元来、一般的にいうならば、学問は客観・中正の立場に立って対象を認識し、対象を支配する法則を究明することを任務とするものである。いいかえると、学問の守るべき態度は「理論」たることであって、「実践」たることではないのである。だから、特に社会科学の場合にも、学問の対象たる社会生活は、まぎれもない実践生活であるが、学問そのものとしては、実践生活の要求によって左右されることのない客観性を以て、社会生活の理論を確立して行くべき筈なのである。ところが、法学は、その永い歴史を通じて、はじめから実践と不即不離の関係にある特殊の学問として発達して来た。その伝統的な形態は、法をば価値づけつつ理論化し、認識しつつ評価するところの「法解釈学」であった。法解釈学は、概念法学の立場に立つにせよ、自由法論の態度を採るにせよ、その中に法にむかって働きかける強い実践の動向を含んでいる。概念法学は成文法を動かすまいとする志向を含んでいるし、自由法論は成文法を動かそうとする意図に立脚している。それらは、ともに一種の政治的な態度である。憲法制定権力の「理論」や国家緊急権をあるいは肯定し、あるいは否定する「学説」は、いづれも濃厚な政治の色彩を帯びている。その意味で、「政治的法学」たることは法解釈学の本質であるとさえいうことができよう。

42006 かような法解釈学の政治性に対して、他方にはまた、法学を一つの理論科学として建設しようとする試みもある。その尖端に位するものがケルゼンの純粋法学であることは、いうまでもない。純粋法学は、学問それ自体としての純粋理論性を主張したばかりではない。法の認識からあまりにも潔癖に一切の政治性を排除しようとした結果、更に法学の非政治性を力説するにとどまらず、法学の対象たる法そのものからもすべての政治の要素を除き去り、これを純粋に法として考察するという方法に徹しようとしたのである。

42007 しかし、これは確かに純粋法学の行きすぎであった。行きすぎであったがために、かえってその虚を衝かれて、法を政治的に無色な規範の体系と見ようとする純粋法学の意図は、それ自身明らかに政治によって制約されている、という非難を受けることとなった。法の中には政治がある。法は政治によって作られ、政治によって動かされる。それは疑う余地のない事柄である。それにもかかわらず、法を政治的に中性な規範の体系と見ようとする立場は、恣意によって法を動かすことを禁じようとする政治の目的に奉仕する。特に、純粋法学が主として分析した法秩序の体系ーー憲法から法律、法律から命令・判決・処分という風に、厳格な段階を成して構築されている法秩序の体系ーーは、法規に準拠しない権力の行使を封殺し、それによって個人の自由の領域を確保しようとする急進自由主義の政治によって生み出されたものである。だから、そういう法の組織を政治によって動かされることのない純粋の規範の体系と見る「理論」は、理論の名を借りて急進自由主義の政治を擁護しようとする政治意識に立脚している。それは、理論の純粋理論性を隠れ蓑として利用しつつ、実は一つの政治動向に奉仕しようとするところの「隠政学」(Kryptopolitik)である。ーー法学の純粋理論性に徹しようとして、法学からばかりでなく、法そのものからも一切の政治の色彩を排除するというところまで行きすぎた純粋法学の立場は、体の伸びすぎた足元をさらわれて、かような痛烈な批判を蒙ることを免れ得なかったのである。

42008 これに対して、純粋法学の隠政学としての性格を暴露することに力めた批判者たちは、もとより法が政治によって制約されていることを主張する。法を制約するところの政治が、法に対して明らかに「優位」に立つものであることを主張する。単に、法が政治によって制約され、政治が法に対して優位を占めることを主張するばかりではない。法を対象として研究する法学もまた、対象たる法の制約を受けるものであること、したがって、法を制約する政治によって制約されるものであることを力説する。しかも、純粋法学を排撃する陣営の代表者たちの多くは、単に法学が政治によって制約されるものであるという「事実」を承認するだけでは満足しない。法学は政治によって、制約せらるべきものであるという「要請」をかかげる。それも、法学は何らかの政治によって制約さるべきものであるというのではない。その中の特定の一つの政治によって制約され、したがって、その政治動向に奉仕すべきものであるということを要請する。その政治動向とは、いうまでもなく反自由主義の、反民主主義の、民族全体の価値を絶対化しようとするナチス独裁主義の政治動向である。ここにいたって、純粋法学をめぐる激しい論争は、理論闘争の範囲を越えて、純然たる政治闘争と化する。純粋法学の批判者たちは、ケルゼン(Kelsen)が法学の理論性を力説しながら、実は、それ自身政治によって制約された立場を守るという結果に陥っていることを、論理的に矛盾として非難しただけではない。むしろ、その立場が急進自由主義の法治思想の堅塁となっているが故に、極力これを撲滅しようと力めたのである。彼らにとっては、ケルゼンは論敵ではなくして、政敵なのである。そうして、純粋法学を政敵として葬り去った上で、ナチスの政治を礼讃し、これに全面的に協力し、これに侍女のごとくに奉仕することを以て、法学の使命となしたのである。それが、ケルロイターをはじめとして、ヒューヴァー(Friedrich Hueber)、シャフシュタイン(Friedrich Schaffstein)など、「政治的法学」(politische Rechtslehre / politische Rechtswissenschaft)ということを強調するナチスの法学者たちの態度であった。それがまた、単に法に対する政治の優位を説くにとどまらず、法学に対する「政治の優位」(Primat des Politischen)という旗じるしをかかげる、彼らの根本の意図であった。ケルゼンの純粋法学が「隠政学」であるというならば、これらのナチス的民族主義の法学は、正に最も露骨な「顕政学」であったといわなければならない。

42009 法学に対するこういう態度は、何もナチスの法学者だけにかぎられたことではない。すでに、法解釈学が全体として政治的な色調を帯び易い性格をもっている以上、色々な政治動向が法解釈学と結託し、法学を政治の傀儡たらしめる可能性が多いのは、むしろきわめて当然のことなのである。勿論、これに対して、何らの政治性をも帯びないところの法の純粋の理論科学を建設することは、可能でもあるし、必要でもあろう。例えば、法史学が「過去の法」をありのままに記述することができるように、「現代の法」もまた純粋に理論的な態度を以て研究することができる筈でなければならないのである。その中に価値をも反価値をも含んでいる社会現象をば、「価値から解放された」(wertfrei)態度を以て客観的に考察するという方法は、新カント哲学の西南ドイツ学派によって精密に基礎づけられているのである。しかしながら、政治が險しく動く時代には、社会科学、特に法学にとって、かような客観理論の立場を堅持することは、非常にむずかしくなって来る。のみならず、理論の立場を堅持しようとすることそのことが、対象から遊離した非科学的の態度であるとさえ非難される。新カント哲学の方法論は、方法が対象を制約するというが、社会科学の場合には、逆に対象が方法を制約するのであると論ぜられる。だから、学問は対象を静観することによって認識の目的を達し得るものではなく、対象の中に飛び込んで「主体的」にこれを把握しなければならないと説かれる。マンハイム(Karl Mannheim)が知識の「存在依存性」(Seinsverbundenheit)ということを説いたのも、そういう傾向の現れである。フライヤー(Hans Freyer)が、社会学は現代の社会生活にむかって運命的に意志的に実践的に関与して行かなければならない論じたのは、その更に一歩をすすめた主張である。マルクス主義者が、すべての学問に対して実践に合流することを要求し、実践的でない学問をブルジョア科学として排斥しようとするのは、その最も露骨な主張である。そうなると、知識の政治性を認めるのが現代科学の大勢であるということになる。まして、本来政治的に彩られ易い法学に対して「政治の優位」が認められることは、現代法学の甘受すべき必然の運命であったとも思われよう。

42010 しかしながら、この運命を甘受することは、法学にとっての自殺を意味することにならざるを得ない。すでに、法に対する政治の優位を認めることすらが、つきつめれば法学の自立性を失わせしめる結果になる。なぜならば、もしも法学が法としてとらえたものも、その実体は政治であって、法と見えるものは実体たる政治の影にすぎないとするならば、法学は影の学としての虚名に甘んずるか、しからずんば、実体の学たる政治学の一分枝に還元されてしまう外ないからである。かつて、カント風の個人主義的自然法を説いたレオナルド・ネルソン(Leonard Nelson)は実力主義や相対主義の法理論を一括して非難するために、これに「法なき法学」(Rechtswissenschaft ohne Recht)という名を冠した。法に対する政治の優位を説く政治的法学も、結局は法なき法学に帰著するであろう。のみならず、政治的法学は更にすすんで法学に対する政治の優位を説くのである。法が政治によって動かされることを認めると同時に、法学自ら甘んじて政治の忠僕となり、政治に追随して法を動かす役割を演じようとするのである。そうなれば、法学は単に政治学に還元されてしまうばかりでなく、政治そのものに帰化することになる。それは、法学の自殺以外の何ものでもあり得ない。かような結果は、いかにしても免れることのできない法学の運命なのであろうか。それとも、その間にあってなおかつ法及び法学の自主性を保つ道があり得るであろうか。ーーこの疑問を解決すべき線に沿うて、さらに法の究極に在るものを探ねて行くのが、これからの論述の任務でなければならない。

42011 参考1:ケルゼンによれば、純粋法学は「実定法の理論」 Theorie des positiven Rechts である。すなわち、それは、「実定法」の理論であるという立場において、その対象たる法の中に自然法の要素、いいかえれば、道徳や政治の要素が介在することを排除しようとする。また、実定法の「理論」であるという点において、法を研究する法学の方法の中に一切の実践的な態度、道徳上の評価や政治上の意図が介入して来ることを阻止しようとするのである。

42012 参考2:法学の理論科学性を確立しようとする立場に対して、法および法学が政治によって制約されていることを主張する動向は、近時、1928年頃のドイツ国法学会においてはトリイぺル Heinrich Triepel にはじまり、スメント Rudolf Smend によってケルゼンとの論争という形を採り、さらにナチスの諸学者による純粋法学撲滅戦となって展開するにいたった。

42013 参考3:西南ドイツ学派の文化科学方法論は、「価値づける」 wertend 態度と「価値に関係づける」wertbeziehend 態度とを明確に区別する。文化科学の対象たる文化現象が、その中に実践的な価値づける態度、評価の態度を含んでいることはいうまでもない。しかし、科学としての文化科学または社会科学は、価値を内在せしめている文化現象・社会現象を更に価値づけるとを任務とするのではなく、これを価値に関係づけつつ理論的に考察することによって成立するというのが、この学派の根本の立場である。 Wilhelm Windelband による。

 

3 理念としての政治

43001 転換期に際して、法学の中に、法及び法学に対する政治の優位を認める傾向が強く現れて来るのは、決して理由のないことではない。その理由は、政治に対する信頼である。政治に対して捧げられる讃美である。もっと正確にいうならば、去り行く政治に対する貶下であり、興り来る政治に対する礼讃である。政治の優位を論ずる論者自らが、法を動かしつつある政治の動向に全幅の共鳴を捧げ、その政治目的が法の隅々にまで浸徹することを切に待望すればこそ、彼らは法および法学の政治性を誰はばかることなく、否、むしろ、喜び勇んで強調しようとするのである。すなわち、政治の中に理念を認め、理想を見出したればこそ、法学はその自主性を犠牲にしても、政治の世界に羽化登仙しようとするのである。政治的法学の立場を強調したナチスの法学者たちが、ドイツ民族社会主義の政治理念に陶酔していたのは、その最も著しい場合である。これに対して、理念の実体性を否定しつつ、なおかつ法学を共産主義政治運動の一翼に引き入れようとする唯物史観の態度は、やや趣を異にしているように見えるが、この立場も、プロレタリアート革命の必然性を信じ、その時代の生みの悩みを促進することを思想の使命と考える点で、階級闘争の必然性の中に実は暗黙に一つの理念を見出しているものといってよいであろう。

43002 かように、政治の中に理念を見るという態度は、それ自身としては誠に正しい。政治には理念がある。理念を失っては、政治はその力を発揮することはできない。だから、いかなる政治をとって見ても、必ずその根底には、明確に意識された、もしくは暗黙に認められた、何らかの理念が横たわっているのである。

43003 しかしながら、いかなる政治の根底にも理念があるということを認めただけでは、例えばナチスの全体主義法理論に見られたような、法に対する政治の絶対優位を肯定する態度は出て来ない。いかなる政治動向もそれ相応の理念もしくは世界観によって基礎づけられており、したがって相対的に尊重されるべきであるというのは、むしろ、民主主義的自由主義の本来の態度である。民主主義によって立つ法治国家では、さまざまな政治の理念にそれぞれ一応の存在理由が認められる。そうして、それらの政治動向にそれぞれの勢力に応じて立法に対する発言権が与えられると同時に、いづれの政治動向が議会の多数を占めても、議会を通じて立法を行うという根本の法制度に変化をきたさしめてはならない、という建前が堅持される。それは、法に対する政治の優位ではなくて、むしろ逆に政治に対する法の優越であるともいえる。ラードブルッフが相対主義の法哲学によって民主主義的議会制度の意義づけを試み、それによって法の安定性という理念を確保しようとしたのは、正にそれである。これに反して、政治的法学が法を政治に従属せしめ、政治上の目的観によって法の解釈を一貫しようとするのは、いかなる政治、いかなる理念をも相対的に尊重するのではなく、特定の政治、特定の理念に絶対的に帰依しているがためである。自由主義の政治には自由主義の理念があり、個人主義の政治には個人主義の理念があるのであるから、法および法学は、おのおのその好むところにしたがってこれに追随せよ、というのではない。それらの有象無象の政治理念はあくまでも排撃して、ただ一つの理念ーーナチス・ドイツの場合は民族社会主義の政治理念ーーのみを立法および解釈の絶対尺度たらしめようとするのが、政治的法学の特色なのである。かような不寛容の絶対主義をとる点では、唯物史観の態度もこれと相似たところがあるといい得るであろう。

43004 それでは、林立する多くの政治理念の中から特に一つの政治理念だけを選び出して、それをのみ絶対に権威のあるものとなし得る根拠は、そもそもどこに存するであろうか。さような根拠は、はたして政治そのものの中に見出され得るであろうか。

43005 問題は正にここに在る。政治を最後的な意味で法の究極者と考えるべきか否かは、この問題の解決如何によって左右されるのである。ただし、唯物史観は、さような絶対性の拠りどころを政治の中に求める代わりに、法および政治の共通の根底たる経済法則の中に見出そうとするのであるから、これはしばらく考慮の外に置くことを適当とする。したがって、ここでは「理念としての政治」そのものの中に、そうした絶対の尺度が存在するか否かを吟味することとしよう。

43006 元来、政治には、必ず統一の契機と対立の契機とがある。政治は、団結の力によって行われる社会的な目的活動である。しかるに、団結は社会生活の統一である。故に、政治は、まづ社会生活の統一を求める。国家の統一、国際社会の統一は、政治目的達成の基礎であり、その前提である。しかし、人間の社会には、他面また必ず複雑な対立の関係がある。したがって、政治が社会生活の統一を保つためには、対立する勢力とたたかってこれを克服しなければならない。しかも、これと対抗する勢力も、それが一つの政治勢力であるかぎり、その立場からの統一を求めてやまない。故に、政治は、対立を克服しようとする統一への努力であり、統一を目指して火花を散らす不断の対立である。国家の政治は国民相互の間の対立を、特に国際政治は国家相互の間の深刻な対立を予想する。カール・シュミットは、政治の関係は「友と敵の関係」であるといった。これは、政治に含まれている対立の契機を強調した言葉としては正しい。しかし、政治は、対立から出発した場合にも、必ず対立を克服する努力となって現れる。対立と並んで、対立を克服しようとする力が働くのは、政治が共同体の統一を予想し、それを目標としているからである。国際政治といえども、世界人類の大同団結を永遠の目標として行われる。その意味で、ケルロイターのいう通り、共同体の統一を離れて政治の本質を理解することはできない。政治とは、統一を目ざして対立し、対立を克服して統一を図ろうとする不断の弁証法的な過程に外ならない。

43007 それでは、政治には何故に対立があり、統一があるか。政治においては何が対立し、何が統一されるのであるか。それには、経済上の利害の対立・統一もあろう。宗教上の信仰の対立・統一もきわめて深刻であろう。言論・風習・伝統の共同から来る対立・統一も、重要な意味をもつであろう。しかし、人間が精神を有し、信念によって行動し、思想を以て生活する者である以上、政治上の対立・統一は、いずれにせよ何らかの理念の対立・統一となって現れる。人間は、決して単なる利害の打算のみによって動くものではない。理念に殉じようとする者は、利害の打算はおろか、その生命をも犠牲に供して厭わない。人は理念を異にすることによって対立し、同じ世界観に立脚することによって一体となるのである。故に、対立の面において眺められた政治は、必ず理念と理念との角逐・抗争ををともなう。否、理念相互の角逐・抗争は、政治的対立の最も深刻な姿である。政治は、異なる理念相互の対立として激化し、単一の理念により対立が克服せられることによって統一に復する。明治維新前後の日本は、尊皇・佐幕の両理念によって險しく対立し、尊皇の理念に帰一することによって、統一に復した。第二次世界大戦前の国際社会は、民主主義理念と独裁主義理念とに分裂することによって、遂に未曾有の戦乱の巷と化し、民主主義理念の勝利によって次第に統一を取り戻しつつある。かように、政治の対立・統一は、必ず理念相互の対立・統一となって現れれ来るのである。

43008 政治はすべて理念に拠って立つ。政治の動向は理念によって是認・肯定せられる。しかしながら、すでに政治の理念がかくのごとくに多元的であり、その間に激しい対立・抗争が行われる以上、一つの理念によって認証された政治は、必ず、これと対立する他の政治理念を排撃せざるを得ない。抗争・角逐する政治理念は、互に寛容ではあり得ない。対立する各種の政治理念に対して最も寛容であって、その一つ一つにその勢力に応じての発言権を許そうとするのは、民主主義の立場であるが、それすら、民主主義の立場そのものを否定しようとする主義・主張や世界観に対してまで寛容であることはできない。前に述べた通り、ラードブルッフは、相対主義の法哲学によって民主主義の寛容性に深い意味づけを与えようと試みた。しかし、独裁主義の政治理念が現れて、自己のみが絶対に正しい世界観であると誇號し、寛容性の原理に拠って立つ民主主義の議会制度を無惨にも蹂躙し去ったのを見たとき、相対主義の使徒たるラードブルッフ(Radbruch)は、相対主義の寛容性にも絶対に譲るべからざる限界があることをはっきりと自覚した。すなはち、相対主義が寛容であり得るのは、それ自身もまた相対主義に謙虚な政治理念に対してであって、他の立場を絶対的に排斥する傲慢な政治の立場に対しては、相対主義もしくは民主主義は、あらゆる手段をつくしてたたかわなければならない、と宣言するにいたったのである。まして、一つの絶対主義の理念と他の絶対主義の理念とは、互に死を賭して戦うところの不倶戴天の仇敵とならざるを得ない。ドイツの民族至上主義とソ連の赤色絶対主義との間の凄惨きわまりない闘争こそ、正に政治理念相互の対立の極点を示したものということができよう。

43009 故に、理念は理念を排撃する。互に他の理念を理念と認めて、その正しさを争おうとするばかりではない。すすんで、敵対する理念の理念性をも否定しようとする。一方では、自己の拠って立つ理念の理念性を強調し、その「大義名分」を高くかかげると同時に、他方では、反対の政治動向が標榜する理念の「仮面」を剥ぎ、その「謀略」を指摘し、その赤裸々な「実体」を暴露することに力める。そこで、政治の対立は、宣伝戦となり、思想戦となり、文化戦となって、華々しく、かつ深刻に展開されるのである。

43010 けれども、政治がすべてかように理念によって自己の立場を認証しつつ、理念の力を以て対手方の理念を圧倒しようとするものである以上、いくつかの政治動向のうちの一つのみが絶対・必然の理念に拠って立つものであるということは、政治自身の言い分に委ねられるべき問題ではなくなって来る。さまざまな政治動向がそれぞれに理念をかかげて行う自己認証は、「鳥(からす)の雌雄」を客観的に判定する標準とはなり得ない。単に一つの政治理念が、対立する他の政治の立場から理念性の否認を受けるばかりではない。一定の理念に絶対に帰依していた人々といえども、時の経過とともにその理念の理念性を疑いはじめ、遂には、かって自ら絶対に信奉していた理念をば、むしろ絶対に唾棄すべき虚妄として斥けるようになることすら、決して稀ではない。最近までいわゆる枢軸陣営に在って、その政治理念に陶酔していたいかに多くの人々が、その理念をば虚構・焦燥・独断・威圧・権勢欲の所産であったことを発見し、取り返しのつかぬ幻滅の悲哀にひたっていることであろうか。理念はひとしく崇高な外観をよそおうが、崇高に見える理念も、裏から見れば罪悪の権化でさえあり得る。それが歴史に残る崇高な理念であるか、一時を糊塗する虚妄の粉飾であるかは、政治自らの自己判定・自己宣伝によっては決定し得ない。故に、林立する「理念としての政治」の中の一つが選ばれて勝者となり、それが国家の統一もしくは国際社会の統一を確保し、歴史の動きを決定するにいたる根拠というものは、政治が理念であり、理念が理念であるということの中には求められ得ないといわなければならない。

43011 そこで、これに代わるべき答えとして、対立する理念のうちの一つが勝利を占め、政治の目ざす国家もしくは国際社会の統一に成功するのは、結局その政治の備えているところの実力によるという見解が成り立つ。政治は理念であるが、また実力である。政治の対立は、理念の対立であると同時に、実力の対立である。しかも、対立する理念のいずれが統一に成功し、歴史の決定権を掌握し、法の革新・創造を成し遂げるかの問題は、単に政治の理念性を強調することによっては解決され得ぬとすれば、残る一つの解決の道として、政治における実力の要素についての考察が試みられなければならない。ここにおいて、考察の主題は、「理念としての政治」を離れて「実力の政治」に移るのである。

43012 参考:ラードブルッフは法哲学上の相対主義が民主主義に帰著することを説いた上で、次のようにいっている。==「民主主義は何ごとをもなし得る。ーーしかし、自己自身を決定的に放棄することはできぬ。相対主義はいかなる見解にも寛容である。ーーしかし、自ら絶対なりと僭称する見解に対してまで寛容であることはできない。ここから反民主主義の党派に対する民主主義国家の態度が導き出される。民主主義の国家は、他の見解との世界観闘争を試みようとするあらゆる見解を許容するであろう。そうして、それによってその見解の自己自身との等価を承認するのである。しかし、もしも一つの見解が思いあがって自らを絶対に妥当であるとなし、その立場から、多数を無視して権力を獲得または把持しようとするならば、民主主義の国家はその固有の手段によって、すなわち、ただに理念と論争によってばかりでなく、国家の実力に訴えてもこれとたたかわなければならない。相対主義ーーそれは普遍的な寛容である。ーーしかし不寛容に対してまで寛容ではない。」 1934年

 

4 実力としての政治

44001 政治は一面から見れば理念であるが、他面からとらえれば実力である。単に理念がかかげられているだけであって、実力がこれにともなわなければ、それは実現され得ぬ理念であり、失敗の政治である。政治のもつ実力は、同一の理念を信奉し、共同の目的を追求して、これを現実生活の中に実現して行くところの、社会大衆の団結力である。故に、この団結力が、統一の方向にむかって作用すれば、例えば国民共同体の活発な目的活動が展開される。逆に、これが対立の方向にむかって働けば、例えば国際社会が友と敵の二つの陣営に分裂して、その間に乾坤一擲の大規模な戦争が勃発する。そのいずれの場合も、現実の政治を遂行するものは実力である。故に、すべての「現実政治」(Realpolitik)は実力の政治である。

44002 勿論、いかなる現実的な政治といえども、理念と没交渉ではあり得ない。しかし、政治にとって必要なのは、現実の力と化し得る理念であって、現実から遊離したイデオロギーではない。歴史に活躍した多くの現実政治家は、しばしばその時代の理念を軽視し、もしくはこれを排斥した。フランス革命の「理念」が、最初の破壊作業に成功したのち、しばらくの間はかえってフランスの社会を混乱と闘争に陥れたとき、これを排して武断独裁政治により国家の強大な統一を確立したのは、ナポレオンであった。ビスマルクは、一八四八年の自由主義・民主主義の「理念」を斥けて、「血と鉄」を以てドイツの統一国民国家の建設を成就したのである。けれども、これらの現実政治家が駆使した実力といえども、決して理念の根をもたぬ訳ではない。彼らは、むしろ時代の理念の中から、現実の建設に役立たぬイデオロギー的な部分を切り取って、歴史と国民性に深く根ざしている部分に明確な方向を与え、これをその政治目的の達成のために利用したのである。その意味では、現実政治家も大いに理念を尊重し、理念を活用する。すなわち、近世自然法理念の法制化を企て、第十九世紀最初の宏壮な成文民法典を編纂した者は、ナポレオンであった。また。血と鉄とを以て民主主義の擡頭を抑え、軍備を充実して宿敵フランスを破ったビスマルクの政治の中には、ナポレオン戦争の焦土の中でドイツ国民の奮起をうながした、フィヒテ以来の国民国家再建の理念が躍動していた。かくのごとくに、政治の発揮する現実の力の中には、理念の血が通っている。その意味では、偉大な現実政治は必ず同時に偉大な「理念政治」(Ideenpolitik)であるといわなければならない。

44003 しかしながら、もしも社会に働くすべての力が理念の力であるならば、これを理念の力であるということは、何ら政治を美化する所以とはならないであろう。政治が理念であるというのは、政治に与えられる美しい名である。けれども、その美しい名がいかなる政治にも総花式に与えられるということになれば、美しい花はその美しさを喪失する。ヘーゲル(Hegel)のようにすべての現実を理念の現れと見るならば、いかなる暴虐な政治も、いかなる権力の濫用も、大局から見れば大きな理性の計画の一齣として是認、否、讃美されなければならなくなる。そうして、人々が強権に虐げられ、無辜の弱者が圧政に泣いても、それは暴君や圧政家の手を通じて理念の自己実現を行うところの「理性の奸計」(List der Vernunft)に外ならぬ、ということになるであろう。汎神論的な決定観に悟入したスピノザ(Spinoza)とともに、人間の歴史をば「永遠の相の下に」(sub specie aeternitatis)見るならば、ネロの罪悪にも神の息吹を感じ得ることになるであろう。かかる態度は、一切の現実を理性や神の計畫によるものとして美化することによって、現実を美化することそのことの意義を失わしめる。なぜならば、そうなると、現実に対して美醜・善悪・正不正の評価を下すことはすべて無意味となり、現実のたたかいに勝利を占めた実力は、その何者たるを問わず正当視されることになるからである。それは、「勝てば官軍」の思想であり、「実力即正義」の観念の外ならない。正義とか理念とかいうがごとき粉飾を洗い落として見れば、政治は赤裸々な実力の跳梁であり、法は「強者の権利」以外の何ものでもない。汎理念主義の決定論は、裏がえせば自然主義の実力説となる。かくて、結局「理念としての政治」は消えて、露骨な「実力としての政治」が残ることとならざるを得ない。

44004 実力としての政治を認めた上で、改めて法と政治の関係を考察すれば、それはいうまでもなく法と実力の関係に帰著する。法と政治とを比較して、政治上の決定を法の根柢に置く学説は、できるだけ高い理念をかかげて法を政治に随順せしめようとする。けれども、政治が理念をかかげて自己自身を装飾するのは、いかなる政治も見られる現象である。したがって、さような理念としての政治の言い分をすべて相互に相殺してしまうならば、あとに残るものはただ実力の強弱だけである。かくしてなお法に対する政治の優位を説こうとすれば、それは法に対する実力の優越を認めることに帰著するであろう。法は実力によって作られる。実力を掌握した者は、自ら法定立の権威となる。一たび実力によって作られた法も、実力の中心が変化すれば、新たな実力によって変革される。国内法もそうである。国際法もそうである。法の最後の鍵を握るものは、実力による政治的な決定である。かくて、法哲学の歴史を通じて色々な形で現れて来た実力説の立場を、重ねて問題とする必要が生ずる。

44005 いま、かりに、理念による政治の意義づけとか、政治のかかげる大義名分とかいうようなものを、ことごとく考慮の外に置いて、政治の作用をば単なる実力行動であるとして見よう。その場合、さような実力としての政治と法との関係は、一般に政治と法との関係がそうであるように、さしあたり二通りに区別され得る。その一つは、実力によって法が破られるという関係であり、他の一つは、法が実力を抑圧するという関係である。暴力革命が起って法秩序がくつがえされるのは、第一の場合である。内乱が鎭定され、その首謀者が処罰されてけりがつくのは、第二の場合である。しかしながら、実力によって破られた法も、もともとはやはり実力によって作られた法であり、実力を支柱とし保たれていた秩序であるとするならば、第一の場合は、実力が法を破ったといわんよりは、法をもたぬ実力が法をもつ実力に打ち勝ったのであるということになろう。同様に、第二の場合もまた、法そのものが実力を抑えたのではなくて、法を支える実力がなお強大であったために、その実力が法を破ろうとする実力を克服したのであると見られるであろう。かくて、政治と政治の対立はもとより、法と政治の衝突も、ことごとく実力と実力の対立・抗争に外ならないという結論が導き出されたことになるであろう。

44006 それでは、実力が実力と抗争して、その一つが勝つというのは、一体何によるのであろうか。すべての闘争は力の闘争である。そうして、力の闘争においては強い力が勝つのである。しからば、互にたたかう二つの力の中で、その一方が他方より強い力であり得るのは、いかなる理由によるのであろうか。実力説は、強いものが勝つという。勝った者が法を作るという。しかし、真の問題は、強い者が勝ち、勝った者が法を作るということにあるのではなく、どうして強い者が強いかということに存するのである。一方の力が他方よりも強く、したがって、他方を克服し、法を作る立場に立つことができるのは何故か、ということなのである。ところが、単なる実力説を以てしては、この問題に答えることはできない。しかし、この問答に答えないでは、法と実力との最後の関係は、明らかにされ得ない。理念という美しい薄紗をぬぎ棄てたあとの政治は、殺伐きわまる実力抗争の世界であるが、この荒野を横切ってその彼岸に達する道は、正にこの問題を手がかりとして求められなければならないのである。

44007 社会に働く力の強弱は、もとよりさまざまな要素の複雑な結合によって決定される。物理的な力、経済上の資本や資源の力、大衆のもつ数の力、国民を結束せしめる組織の力、謀略・宣伝の力、等がそれである。しかし、武力と財力を以て擁護せられた専制王の地位も、自由・解放の民衆運動によって打倒されることがある以上、物理力や経済力を以て、力の強弱の最後の標準とすることはできない。また、僅か七名の同志を以て発足したといわれるナチスの運動が、やがて民主主義の国内体制を強引に変革することに成功したところを見れば、数の力といえども勝敗の決を定める根本の要素とはならない。そうして、それは、法によって整然と秩序づけられた民主主義国家の組織の力が、独裁主義の政治力の前に一たびは屈せざるを得なかった証拠にもなる。ましていわんや、謀略・宣伝のごときは、自己の力を有效に駆使し、対手の力を巧みに減殺するための闘争の技術であって、社会に働く力そのものの本体ではない。

44008 これに反して、一つの政治力が対立する他の力を抑えて共同体の統一を確保し、または既存の組織を動かして新たな統一形態を築き上げることができるのは、その政治力がその国・その時代の具体情勢の下にあって、国民の求める諸目的に均衡を与え、社会の諸勢力の間の調和と秩序とを保つに適したものであるからである。政治の力は団結の力である。人々が目的を共同にし、共同の諸目的が、いままでの組織の下で互に調和して実現せしめられている間は、共同体の団結は強固であり、その政治組織は容易に動揺をきたさない。ところが、従来の組織の下に宿弊が山積し、目的の対立、階層の分裂、党派の軋轢がはなはだしくなって来ると、その政治は必ず弱体化する。したがって、その組織の内容をば根本から刷新しないかぎり、新たな政治力の擡頭によって崩壊することを免れない。そうして、ここに攻撃の鉾先をむけつつ蹶起した新興政治勢力が、日ましに強大な勢力になって制度の変革に成功するのは、その政治の方針を以てすれば、失われた統一を恢復し、共同体の諸目的の暢達な実現を図り得るという強い希望があるからである。勿論、社会の心理はきわめて複雑であり、歴史の現実は驚くべきほどに微妙である。したがって、かような定石も、さまざまな現実の事情の介入によって定石通りに運ばないことが少くない。あるいは、人間の心理の飽きやすさから、不必要の変革を待望することもあるであろう。あるいは、伝統の惰性が人心を支配して、合理的な刷新を阻む場合もあるであろう。更に、国内関係だけからいえば新たな時代の要求にかなっている筈の政治が、国際政治の力によって出現を阻止されることもあろう。逆に、人間の浅見・短慮に乗じて一時王座を占めた矯激な政治力が、他国からの反対勢力の救援によって挫折し、国民が恐嚇政治の呪縛から解放されることもあろう。しかし、これらの複雑な事情を勘定に入れるにしても、人間の求める多岐・多端な目的を調和せしめ、よく公共の福祉を増進せしめ得る政治であることが、政治の力の強さを決定する根本の因素なのである。これに経済の力、多数の力、思想の力、文化の力が加わり、歴史の伝統、地理上の位置、人間の自覚、国際関係の緩急、等の要素が競合することによって、現実の政治の作用すべき方向が定まる。天の時・地の利・人の和という言葉があるが、天の時・地の利とは、政治が行われる場所の歴史上・地理上の具体条件である。その条件の下で人の和を維持し、政治の力を強く発揮せしめるものは、実に社会の諸目的の調和と、それによる公共の福祉の増進とでなければならない。

44009 人間の共同生活には色々な目的がある。道徳の目的、宗教の目的、経済の目的、技術の目的、学問の目的、芸術の目的など、数え上げれば誠に多様な目的をめぐって、人間の社会生活が営まれているのである。これらの目的は、時代によって変化もするし、処によって相違もある。そうして、多様・複雑な目的の間に、さまざまな角度、さまざまな程度において入りみだれた対立が起こり、衝突が生ずる。しかしながら、一定の歴史の事情、地理の条件、国民精神の特性などから見て、これらの諸目的の間の調和がいかにして保たれ、公共の福祉がいかにして増進されるかということは、自らにして一つの筋道として決まって来る筈でなければならぬ。政治がこの筋道にかなうことによって、生活の秩序は保たれ、人の和による団結力が発揮される。それが強い政治なのである。したがって、政治の力は、強いが故に秩序を作り、秩序を保ち得るのではなく、秩序を作り、秩序を保つに適した力なるが故に強いのである。このことは、国内政治についてばかりではなく、国際政治にもまたあてはまるであろう。国際的な統一も目的の共同性によって保たれ、国家間の秩序も目的の調和によって維持される。深く対立する諸国家の要求を、与えられた具体条件の下でいかに調和せしめえるかは、単なる実力によって決定され得る問題ではなく、国際政治の行わるべき筋道の問題である。それによって世界平和の維持と人類全体の福祉の増進とを併せ行い得るものが、正しい国際政治であり、強い世界経綸である。故に、政治が強くあり得るためには、その力はまづ正しい政治の筋道に沿うて発揮されなければならぬ。そこに「政治の矩」がある。法の究極に在るものが政治であるにしても、その政治の更に究極には政治の矩がなければならぬ。ここにおいて、「実力としての政治」の考察は、単なる実力の範疇を越えて、実力以上の正しい政治の規準を求めることになって来るのである。

 

5 政治の矩としての法

45001 政治、特に国家の政治が理念によって国民の精神を統合し、国民の団結によって共同体の統一を確保するのは、その政治がその国・その時代の具体事情に応じて社会生活の諸目的を調和せしめ、国民公共の福祉を増進する適格性を有するからである。さような政治は正しい政治である。これに反して、国民共同体に内在する諸目的の相互の調和が破れ、利害が対立し、階級が分裂・抗争し、国民生活の脅威が増大するのは、矩を守らぬ無為・無能の政治もしくは無理・横暴の政治が行われた結果である。それは、正しさを失った政治のもたらした帰結である。政治が正しさを失えば、これに代わって国民生活を統合するための中心が求められ、新たな政治理念が新たな政治力となって擡頭する。そうして、政治の一つの契機たる対立・抗争の過程を経て、政治の他の一つの契機たる新しい統一に到達する。その国家自身の力によってそうした転換がなされ得ない場合には、他の国家の力によってさような変革がなし遂げられることもある。かくして、ふたたび政治はその正しい軌道に復帰する。そこに政治の筋道があり、政治の矩がある。政治の矩は目的の調和であり、公共の福祉であり、正しい秩序である。それは、外ならぬ法の理念である。政治に正しい方向を与えるものは、かような法の理念である。法の究極に在るものを求めて政治に到達したこれまでの考察は、ここに更に法の究極に在るものを求めて、ふたたび法の理念に立ち戻って来たのである。

45002 かように法を政治の矩と認めるのは、政治の作用を一々固定した成文法規によって拘束しようとした自由主義的法治国家の思想への単なる復帰を意味するものではない。勿論、成文の法規によってすべての権力の行使を規律するのも、法を政治の規矩準縄たらしめようとする試みの一つであるには相違ない。けれども、その場合に成文法を以て政治の作用を拘束する趣旨は、政治上の権力がみだりに個人の自由の縄張りを侵すことを許すまいとする、個人主義・自由主義の世界観に立脚する。すなわち、さような制度は、政治によって制約された法の一つの形態であるにすぎない。かっては、この法制度も活溌・自由な個人の企業心を刺激し、国民生活の隆昌を約束し、したがって公共の福祉を増進するのに役立つたこともあった。しかし、時代が変われば事情も変わる。国民の経済活動に広汎な自由を与えた結果は、やがて少数の恵まれた階層のみ福利を集中させ、多数の勤労階級からはその当然享有すべき利益を奪うこととなった。そうして、国民全体の自由を保護するための法は、経済上の支配者によってのみ一方的に利用されるという偏った現象を呈するにいたった。固定した法規によって権力を拘束し、すべての個人に対してできるだけ多くの自由を与えるという政治の方針は、公平・平等に国民の福祉を増進するという目的にかなわなくなったのである。いいかえると、急進自由主義の政治は、そのままでは、政治の矩に合致し得なくなったのである。そこで、行きすぎた自由経済を統制し、資本の圧力の下に呻吟する多数の勤労階級を保護するために、執行権の強化を図る必要が生じた。新しい政治の方針がとられ、新しい政治の下に新しい法が生れ、固定した法規には目的論的な解釈によって新たな意味が賦与されるようになった。政治の変化によって法が動いたのである。しかも、政治が勝手に法を動かしたのではなく、変化した事情に応じて社会目的の調和と公共の福祉の増進とを図らしめようとする政治の矩が、政治を変化させ、変化した政治が、政治の矩にかなうように法を変化せしめたのである。故に、法は政治によって動かされるのではあるが、法を動かす政治は、更に根本において政治の矩たる法によって制約せされていることを見逃してはならない。

45003 かように、自由主義の政治とその法とによって醸し出された色々な社会生活の病弊を是正するために、自由経済の法に公法上の規制を加え、経済上の弱者の立場を擁護しようとする動向は、程度の差こそあれ、今日の世界各国に共通に見出される政治の変化である。それは、自由主義から統制主義への変化であり、個人主義から団体主義または社会主義への動きである。例えば、先進資本主義国家の筆頭に数えられるイギリスでは、すでに第19世紀の末葉以来、次第にこうした変化が現れ、社会法・労働法などの分野における統制立法の発達をうながした。イギリス国民の輿論によって、いいかえるならば、イギリス国民の政治意識の変化によって、いかにこうした法の転換が成し遂げられて行ったかは、ダイシイ(Albert Venn Dicey)の名著『第十九世紀のイギリスにおける法と輿論の関係についての講義』の中に詳しく叙述されている通りである。

45004 しかしながら、この傾向は第二十世紀になってますます顕著になって来ると同時に、第一次世界大戦後の急迫した情勢に刺激されて、過激な独裁政治形態を生むにいたった。すなわち、奔放な自由経済の動きを制御するために大なり小なり執行権の強化を図るという必要は、世界各国に共通して認められる事情であったが、かくして強化された執行権は、ヨーロッパの二三の国々では止め度もない自己強化の自転作用を起し、国家の執行部に必要以上の力を集中させる独裁主義に転換して行ったのである。イタリアのファシズムおよびドイツのナチズムがそれであることは、いうまでもない。かような独裁主義の政治も、その根本においては国民公共の福祉を目ざしていたということができる。国民公共の福祉を目ざさずしては、少くとも国民公共の福祉を目ざすことを標榜せずしては、現代の政治はあり得ないのである。けれども、独裁政治は、その目的を強引に達成するために、法の権威を無視し、法を破ることを意に介しないという態度に出でた。すなわち、個人の自由を過度に保護する従来の法を破ることによって、逆に、絶対の権力を以て人間の自由を過当に圧迫した。しかし、人間の自律、人格の自由を奪うことによって公共の福祉の増進を図るというのは、樹によって魚を求めるにひとしい。国民の批判を封殺し、少数の独断によって行う絶対主義の政治は、その表面の自己陶酔の自画自讃を以て粉飾すればするほど、その裏面には専横と脅嚇の罪悪を積み重ねることとならざるを得ない。

45005 殊に、独裁政治があくまでも個人主義・自由主義を排撃しようとした真の目的は、それによって国家の戦争能力を急速に増強することにあった。そうして、急速に増強された武力を背景とすることによって、他国の犠牲において自国の利益を一挙にして拡大しようとするに存した。こうした態度は、その目的を遂げるために、単に法治主義の線に沿って発達した国内法を破るばかりでなく、国際法を破ることを意としない。既存の国際法秩序をば先進資本主義国家の利益のみを一方的に保護する防塞であるとして非難し、正義はこれを守ることによってではなく、逆にこれを破ることによって実現されるということを主張してはばからない。その必然の帰結は、全人類の福祉を破壊する戦争となって現れる。独裁主義は、危機を名として軍備を拡張し、軍備を拡張することによって、危機を増大せしめる。そうして、奔馬のように最も恐るべき戦争へと突入していったのである。立憲主義の軌道から逸脱した日本の政治も、国内法を破るという点では、ヨーロッパの独裁政治のごとくに矯激ではなく、むしろ相当に慎重な態度を持していたけれども、国際法を破る行動に出るという点においては、ファシズムやナチズム以上の無分別さを示した。そうして、結局ドイツおよびイタリアと結んで民主主義諸国家に挑戦し、相共に惨憺たる敗北を喫した。かくて、法を破る政治がことごとく失敗に帰した今後の世界は、ふたたび法を尊重する精神に戻るであろう。国内政治も国際政治も、法の枠の中で公共の福祉の実現に努力するという政治の常道に立ち帰るであろう。それが正しい政治のあり方なのである。それが正しい政治であるというのは、それが政治の矩にかなうが故である。いかに強大な政治力も、政治の矩を無視するならば、到底永くその強大さを誇ることはできないという教訓を、最近の世界史は、最も大きな犠牲を払って、最も切実に人類に示したのである。

45006 故に、法の究極には政治があるが、政治の更に究極には「政治の矩としての法」の存することが認められねばならぬ。政治は法に対して優位にはあるが、しかし、法に対する万能の優者ではない。法を作り、法を動かす政治は、法の矩にしたがって法を作り、法を動かさなければならないという意味で、政治の矩たる根本の法に制約されるのである。逆に、法は政治によって作られ、政治によって動かされ、ときには政治によって破られる。けれども、法は決して単なる政治の傀儡ではない。法は、更に一層高い立場から、政治が政治の矩にかなうよう法を作り、法を動かすことを監視している。特に政治が法を破ろうとする場合には、それが社会の諸目的の調和と公共の福祉の増進とのために真にやむを得ない措置であるか否かを、最も厳重に監視する。そこに政治の恣意によって左右することを許さない法の自主性がある。そうして、法の自主性の存するところには、法学の自主性もまた厳として存する筈でなければならない。

45007 これらの点は、更に詳しく論究されねばならないところの、問題の核心である。しかし、問題のこの核心をば正面から取り上げる前に、もう一つ通過しなければならない関門は、法の究極に在るものを経済の必然法則に求める唯物史観の検討である。唯物史観は、最も特色のある政治観である。唯物史観を中心とするマルクス主義は、最も尖端的な政治思想であり、法を破る必然性を最も大膽に主張する政治動向である。しかし、それにもかかわらず、唯物史観は、法を動かす最後のものを政治とは見ない。むしろ、法も政治も含めた社会の「上部構造」の真の原動者をば、経済上の生産力であると考える。故に、もしも唯物史観の主張が正しいならば、法は政治とともにその「下部構造」たる経済によって制約されることになり、単なる政治優位論とは別の角度から法の自主性が否定されるにいたることを免れない。したがって、法の究極に在るものの探究は、法と政治の関係の概観を終つたこの機会において、更にすすんで、社会動学の中でも最も迫力のある唯物史観との対決を試みなければならないのである。

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第五章 法の下部構造としての経済

 

1 経済の上部構造としての法

51001 法の究極に在るものを政治と見る見方には、大なり小なりの理念論の性格がつきまとっている。政治の実体を理念の力と考える場合は、いうまでもないが、政治のかかげる理念が単なる名分の問題であり、もしくは単なる力の擬態にすぎないと見る場合にも、名分もしくは擬態としての理念が政治の一つの有力なファクターとして働いていることは、否定できない。これを否定しようとする者は、しからば、理念のない政治とは一体いかなるものであるかを明らかにする必要がある。政治の中からすべての理念的なものを捨象するならば、あとには赤裸々な実力が残るであろう。しかし、圧政を行う専制君主の王座の背後にも、神の権威とか身分の尊厳とかいうような理念の後光がさしていたのである。蓆旗を立てて一揆を起こした農民の先頭には、悪代官に天誅を加えようとする義人が立って、一揆の理念を体現していたのである。故に、政治の理念性は、いかにこれを否定しようとしても、決して否定し切れるものではない。

51002 これに対して、法を動かす力の根源をば政治よりもっと深くまで掘り下げ、もはや理念というような地下水の湧いて来ない社会関係の底層の中に法の究極に在るものを求めようとするのは、唯物史観である。唯物史観は、政治の中に理念があることを認める。そうして、その理念が、政治とともに動くところの法の中にも貫流していることを認める。しかし、それらすべての理念的なものは、歴史において真に動くものではなく、歴史とともに動かされるものであると、見ようとする。それでは、歴史を動かす最後のものは何であるか。いうまでもなく、唯物史観によればそれは「経済」である。経済の中でも、とりわけその根柢をなす「生産力」である。生産力が社会の生産関係を規定し、社会の生産関係がその他の一切の社会の構造を規定する。法も政治も道徳も、さような社会経済の「上部構造」(Überbau)である。法や政治や道徳の中に含まれているあらゆる精神的な要素は、それ自身の力によって動く実体的な理念ではなく、その「下部構造」(Unterbau)たる社会経済の動きによって規定せられるイデオロギーにすぎない。ここにつきとめられた歴史の究極者たる社会経済そのものは、イデオロギーによって美化されることも粉飾されることもできない冷厳な法則によって動く。この歴史の冷厳な動態観は、イデオロギーの介入を許さぬ必然の経済法則を基礎として、すべてのイデオロギー的な上部構造の動きを説明するという意味で、自らなづけて「唯物史観」(materialistische Geschichtsauffassung)もしくは「史的唯物論」(historischer Materialismus)と称するのである。

51003 唯物史観の理論を考察するには、誰しもがするように、マルクスが『経済学批判』の序言の中で要約しているところを再現するに如くはない。

51004 マルクス(Karl Marx)によれば、人間は、その生活を維持するための社会的な生産を行うにあたって、必ず一定の生産関係の枠の中に入る。この生産関係は、物質的な生産力の或るきまった発達段階に相応ずるものであって、人間の意志によって左右されることのない必然性をもっている。かような生産関係の総体が社会の経済組織を形づくるのである。そうして、この社会経済の組織が現実の土台となって、それの上に法および政治の上部構造が築き上げられ、かつ、それにふさわしいような社会意識の一定の形式が形づくられるのである。すなわち、物質生活の生産様式が社会的、政治的、および精神的の生活過程のすべてを規定するのである。人間の意識が人間の存在の仕方を定めるのではなく、逆に、人間の社会的な存在が人間の意識を規定するのである。ところで、社会の物質的生産力が一定の段階まで発達を遂げると、その生産力は、それまで存在していた生産関係と矛盾するようになってくる。これを法的にいいなおすならば、それまでその中で生産力の作用していた所有権の関係が、もはや新しい生産力の段階に適合しなくなって来る。発達した生産力の形態にとっては、在来の生産関係または所有権の関係が障碍に変化するのである。そうなると、社会革命の時代が現れる。そうして、経済上の基礎の変化とともに、巨大な上層建築の全体が徐々にまたは急激に転覆する。かような変革過程を考察するにあたって、人は二つのことを常に区別しなければならない。その一つは、自然科学的に正確にたしかめられ得るところの、経済上の生産条件の実質的な変革である。他の一つは、人間がこの闘争をそれにおいて意識し、かつ、それを用いてこの闘争をたたかいぬくところの、法・政治・宗教・芸術または哲学の諸形式、約言すれば、それらもろもろのイデオロギー的の形式である。或る個人が自分自身をどう思うかということによって、その人間を評価し得ないのと同様に、かような変革の時代をばその時代の意識によって評価することはできない。この意識は、むしろ物質生活に内在する矛盾によって、社会の生産力と生産関係との現実の闘争によって、説明されなければならないのである。

51005 ここに要約されている唯物史観の精髄を、特に法と経済との関係について敷衍するならば、およそ次のようにいうことができるであろう。

51006 人間の社会生活を動かす最も根本のファクターは、物質上の慾望である。人間の慾望は絶えず分化し、増加する。単に人口の増加ということを考えただけでも、慾望充足のための生産ということが、いかに社会生活の存立のための基本的な条件であるかは、いわずして明らかである。そこで、生産の様式が社会関係の形態を決定する基礎となる。すなわち、或る一定の生産力の段階においては、それに適合するような生産関係が組織され、その関係が法によって固定される。例えば、奴隷を用いて生産が行われた時代には、奴隷は法的に「物」として取り扱われ、奴隷使用者は奴隷を自由に売買することができた。農業生産が生産の主要部分をなしていた時代には、封建諸侯や大地主が荘園を釆領し、農民は終生これに隷属して年貢を納めるという境涯に甘んじた。しかし、生産力は時とともに発達し、生産の手段も次第に進歩する。そうして、前の時代の生産力の段階に適合していた生産の関係や所有の関係が、今度は逆に生産を阻害するようになる。そうなると、生産力の変化が、社会の組織を革命的に変革する。社会組織を固定せしめていた法が、新たな生産の力によって崩壊するのである。例えば、封建時代にすでに次第に発達して来た社会的分業による商品生産と、その等価交換の形式とは、封建制度の身分的な法関係と矛盾する性格をもつ。特に、機械工業の導入によって生産力が飛躍的に増大し、商品経済の法則が工業製品ばかりでなく農産物をもその枠の中に取り入れるにおよんで、封建制度の打破が社会全体として必要となり、歴史を転換させる革命が起こって、封建社会に代る市民社会の組織を創造するにいたった。そうして、人は身分にかかわらず法の前には平等であるとされ、人の物に対する所有の関係は一般的・非身分的な私所有権として保護され、人と人との間の契約は自由たるべしという原則の確立を見た。かように、社会経済上の生産力は社会の生産関係を規定し、したがって、生産関係の組織化たる法を規定する。それ故にまた、生産力が変化すれば、前段階の法は新たな生産力にとっての障碍となり、したがって、革命によって変革される。すなわち、社会経済上の生産力は法の下部構造であり、法は社会経済の上部構造である。法に内在する「理念」例えば、人間の平等とか意志の自由とかいうような「理念」は、等価交換の原則によって行われる商品流通経済にともなう「イデオロギー」にすぎない。下部構造たる社会経済が変化すれば、上部構造たる法も変化し、法に内在する「理念」のイデオロギー的性格が暴露される。それは、人間の意志によって如何ともすることのできない歴史の自然科学的な必然法則なのである。

51007 社会経済上の生産力の変化によって、法その他のイデオロギー的性格をもつ社会組織の上部構造もまた、必然的に変化するというこの理論は、観念論の立場からしばしば非難されるように、上部構造から下部構造への影響というものを全く否定する訳では、決してない。唯物史観は、法の形態や政治の力が逆に社会経済の上におよぼす影響をば、充分に勘定に入れているのである。例えば、商品生産経済や商品の自由交換経済は自由主義の政治理念によって逆に影響を受けている。また、それらの社会経済の形態が、私所有権の保護とか契約自由の原則とかいうような法の組織の下に、はじめて円滑自在の発達を遂げ得たことも、明らかである。その意味では、社会経済と法や政治との間には、密接な相互依存の聯関がある。唯物史観は、この明らかな事実を無視して、社会経済が一方的に法や政治を規定するといおうとしているのではない。

51008 これに対して、唯物史観の本旨は、法や政治のような上部構造と社会経済上の生産力という下部構造との間にいかなる相互作用があるにしても、最後の点でその関係を規定するものが経済上の生産力であることを主張するに在る。このことは、エンゲルス(Friedrich Engels)の次の言葉が最も明瞭に物語っている。いはく、「唯物史観によれば、最後のところで歴史を規定する契機は、現実生活の生産および再生産である。それ以上のことをマルクスもわたしもいまだかって主張したことはない。もしも誰かがこれを歪曲して、経済の契機は唯一の規定する契機だといおうとするならば、その人は、唯物史観の命題をば、無意味な、抽象的な、ばかばかしい言葉に転化せしめているのである」と。更に、エンゲルスの別の言葉を以てするならば、「政治・法・哲学・宗教・文学・芸術、等の発達は、経済の発達にその基礎を置いている。しかし、それらの色々な発達は、互に他の上に作用し合うし、また経済の基礎の上にも作用するのである。だから、経済の状態がただ一つの能動的な原因であって、他のすべては単に受動的な結果だというのではない。その間には相互作用の関係が存するが、ただ、その根柢をなしているものは、最後の点で常に自らを貫いて行く経済の必然性なのである」。

51009 すなわち、唯物史観によれば、法や政治は経済の動きに単に追随している訳ではなく、経済の上に絶えず影響を与えているのである。いいかえれば、唯物史観も、イデオロギーからマテリエルな社会生活条件への反作用というものを、充分にみとめるのである。しかし、法や政治は、究極のところでは歴史を動かす力ではない。これを当面の問題に引きもどしていうならば、「法の究極に在るもの」は法でもないし、政治でもない。それは、経済であり、社会経済上の生産力である。最後のところでは人間の意志によって左右され得ないところの、したがって、イデオロギーによって影響を受けることがないところの、マテリエルな生産力が働いて、一切のイデエルな上部構造を規定して行く。そういう意味で、唯物史観は、法や政治の「究極に在るもの」をマテリエルな社会経済上の生産条件に求めた。ーーかように解してまづ間違いはないということができるであろう。

 

2 法を破る階級闘争

52001 唯物史観は、それが法や政治のようなイデオロギー的な性格をもつ社会組織の「上部構造」と、財貨の生産力を主体とするその「下部構造」との緊密な「相互作用」を認めている点では、おそらく何人も異存のない真理をとらえたものといってよい。そればかりでなく、観念論的な歴史観がとかくに閑却しがちであった社会経済の法や政治の上におよぼす大きな影響力をはじめて主題に取り上げた点で、社会の動態観の上に革新的な転換をもたらしたものといわなければならない。事実、社会経済の動きを度外視して法や政治の変化を説明しようとするすべての試みは、迫力のない観念の遊戯にもひとしいのである。

52002 しかしながら、いうまでもなく、問題はその最後のところにある。最後のところで法を動かし、政治を規定するものが、社会経済であるかどうかである。それも、理念とか精神とかいう要素を全く含まない、したがって人間の意志や意識によってどうすることもできない、純粋にマテリエルな「生産力」の変化が、法や政治の一方的な原動者であるかどうかである。これを肯定し、これを主張するのが唯物史観である。人間の社会生活は生産によって維持される。その意味では、生産力は確かに人間の社会生活を、したがって一切の法や政治を「規定」している。それは、古代ギリシャのアテナイ附近での食糧生産がプラトンの哲学を維持し、油絵具やキャンバスの生産がレンブラントの名画を規定していたといい得るのと同じ意味で、真実である。けれども、唯物史観はさような愚にもつかない自明の真実を特に主張した訳でもなく、また、さような真実を主張したが故に偉大である訳でもない。唯物史観の重点は、歴史の「動態観」たるところにある。その根本の問題としているのは、法や政治のような社会生活の上部構造が何故に徐々にまたは急激に動くかということである。そうして、その根本原因を社会経済上の生産力の「変化」にあるとしているところに、唯物史観の主張の骨子が存する。マルクスによれば、社会の物質的生産力が一定の段階まで発達を遂げると、その新たな生産力は、前の段階の生産力に適合するように組みたてられている既存の生産関係と矛盾するようになる。いいかえると、既存の生産関係を組織化しているところの法および政治の機構と矛盾するようになる。そうして、在来の生産関係または所有権の関係が、新たな生産力にとっては障碍となって来る。そこで、社会革命が行われて、巨大な社会の上層建築の全体が徐々にまたは急激に転覆するというのである。だから、唯物史観は単に生産力によって法や政治の上部構造が規定されていると説くだけでなく、生産力の変化によって法や政治の組織が転覆するという必然の過程を明らかにしたのである。その必然の過程が、いかなるイデオロギーを以てしても阻止できないマテリエルな法則性によるものであることを、きわめて冷厳に論証しようとしたのである。そういう意味で、唯物史観の最大の狙いどころが唯物的な社会革命必然論であること、したがって、唯物史観に対する批判的考察の焦点もまた、まさにここにむけられなければならないことは、改めていうをまたないところであろう。

52003 マルクスの与えている説明にしたがえば、かように必然・不可避な過程を辿って行われるところの社会革命は、「物質生活に内在する矛盾」によって勃発するのである。「社会の生産力と生産関係との現実の闘争」として行われるのである。したがって、これをイデオロギーの闘争と考えるのは、断じて社会革命の冷厳なる実体を理解する所以ではないのである。しかし、物質生活に内在する矛盾といっても、「物質」によって生活するものは「人間」であり、その矛盾は人間の間の矛盾でなければならぬ。それは、一定の仕方で物質を生産・配給・消費することを利益とする人間と、これと異なる生産・配給・消費の様式を以て利益とする人間の間の矛盾に外ならぬ。同様に、社会の生産力と生産関係の間の現実の闘争というけれども、主体性のない単なる生産力と生産関係とが互に「闘争」するというのはもとよりあり得ない。すなわち、マルクスが指摘している闘争とは、在来の生産関係を維持して行こうとする人々と、新たな生産力に適合するような生産関係を確立しようとする人々との間の闘争なのである。それは、経済的生産条件の変化とともに生ずる異なる「階級」の間の利害の矛盾であり、新舊二つの生産手段をめぐって行われる「階級闘争」なのである。古い生産関係を固執しようとするのは「圧迫者」の階級であり、古い生産関係を打破して、新しい生産力に適合する新しい社会組織を作り出そうとするのは、「被圧迫者」の階級である。この階級闘争は、ーーそれが後者の勝利に帰した場合には、ーー革命となって歴史を転換せしめる。そうして、既存の法や政治や、それにともなうすべてのイデオロギーの形態を転覆せしめる。人類の歴史の要所・要所では、必ずかような階級闘争が行われた。だから、マルクスとエンゲルスとは、その『共産党宣言』(Manifesto of the Communist Party, 1849)の中でいう、==これまでのすべての歴史は階級闘争の歴史である。自由人と奴隷、貴族と平民、領主と農奴、ギルドの親方と旅職人、約言すれば、圧迫者と被圧迫者とが、互に絶えず両立して、あるいは隠然と、あるいは公然と、不断の闘争をつづけて来た。その闘争は、いつでも、あるいは社会全体の革命的再組織に移り、あるいは相争う二つの階級の共倒れに移ったのである。』唯物史観が歴史の原動者と見たのは、正確にはかような階級闘争である。そうして、法や政治の変革をもたらすものは、単なる「生産力」の変化ではなく、生産力の変化にともなうかような「階級闘争」であると見ることによって、はじめて、唯物史観のもつ歴史批判としての意味がはっきりとして来るのである。

52004 しかも、唯物史観は、決して単なる「歴史」の批判ではない。それは、同時に「現代」の批判であり、「将来」への呼びかけである。歴史の批判がなされているかぎり、唯物史観は一つの優れた「科学」であり、「理論」である。しかし、現代を批判し、将来へ呼びかけるとき、それはもはや科学や理論ではなくなる。そうして「実践」となり、「運動」となる。

52005 勿論、唯物史観によれば、過去・現在・未来を通じて社会の革命的変革をなしとげる力は、終始変わらない社会経済の弁証法的な必然法則である。けれども、これまでの歴史が常に革命によって転換期を劃しつつ進んで来たという事実を「認識」することは、はなはだしい階級的対立を孕んでいる現在の社会もまた、同じく必ず階級闘争から革命へと発展して、同じように根本から変革されるに相違ないという「確信」を生む。これまで普遍妥当的な道徳とか絶対不易の自然法とかいって尊ばれていたものも、洗ってみれば、支配階級の階級意識から産み出されたイデオロギーの結晶にすぎないことがわかれば、これを打破し、これを転覆せしめるのに、何の遠慮も未練もないということになる。かくて、唯物史観の理論は「実践」に融け込み、「運動」を力づける。そうなって来ると、唯物史観は、もはや階級闘争の「理論」ではなくなって、最も有力な階級闘争のーー経済的被支配者階級の解放のためのーー「武器」となる。マルクス主義者にいわせるならば、そもそも理論と実践を分離させ、実践によって左右されない理論があり得るなどと考えるのが、階級的支配関係を固定させるための偏ったイデオロギーにすぎないのである。かように論ずる唯物史観は、歴史の変動の最後のところでの理念や理論の無力さを立証することによって、現段階での歴史の変革運動を最も大規模に、最も無遠慮に展開せしめようとする理論もしくは理念に外ならない。

52006 したがって、唯物史観が最も力をこめて分析するのは、歴史の現段階における階級的対立の実体であり、現在の法意識や政治理念の階級的規定性である。また、その最も力強く主張するのは、現在の支配階級たるブルジョアジー没落の運命であり、これに対するプロレタリアート革命の必然性である。

52007 何故に、現在のブルジョア階級は没落の運命になるのか。ブルジョアジーは、最初はまづ、それより前の段階の生産関係の上に築造されていた封建社会の胎内に生長した。彼らは、はじめには手工業によって、次には機械工業によって、次第に大きな生産力を獲得し、かくして生産された財貨を「商品」として広い市場に供給しつつ、次第に大きな富を蓄積した。かような生産の新様式は、身分の関係で固められている封建社会の組織とは、もはや、根本から相容れ得ないものとなった。そこで、ブルジョア階級は革命によって封建社会の組織を爆砕し、一切の身分のへだたりを除去し、国境を越えて拡大されて行く商品交換経済の基礎を確立したのである。その根本をなすものは、「自由」である。人間の物に対する支配の自由であり、人と人との間の契約の自由である。かような自由交換経済は、ブルジョアジーの手中に際限のない資本を集中せしめ、厖大な生産力を思うがままに駆使せしめることとなった。しかし、その同じ自由は、資本主義経済の激甚な自由競争をひき起こした。その結果として、中小の資本家は大資本との競争に敗れて、無産階級へと転落して行った。殊に、大資本相互の無統制の競争は、しばしば生産過剰を招き、資本主義経済の根柢を脅かした、そうして、度重なる恐慌を切り抜けようとする資本主義の死に物ぐるいの努力は、ひたすら新市場の獲得へとむけられ、資本主義国家相互の植民地争奪のための帝国主義戦争を勃発せしめるにいたった。かようにしてブルジョアジーは、自らの駆使する「自由」によって自らの墓穴を掘りつつある。『共産党宣言』の言葉を用いれば、「ブルジョアジーが封建制度を転覆せしめたその武器は、いまやブルジョアジーそのものにむけられているかくて、ーー唯物史観によれば、ーーブルジョアジーの没落は避けることができない」

52008 しかも、ブルジョアジーの没落は、資本主義経済そのものの超高度化によって招来されるばかりではない。これに拍車をかけるものは、いうまでもなく、プロレタリアートとの間の階級闘争である。資本主義の発達は、無産労働者階級の発達と並行する。資本主義経済は、すべての物を商品化する。単に「物」を商品化するばかりでなく、「人」をも商品化する。プロレタリアートは、巨大な資本主義経済機構の中において、その労働力を切り売りすることを餘儀なからしめられているところの人間商品である。ブルジョアジーは、商品化されたプロレタリアートの労働力をできるだけ廉価に購い、これを利用して得た餘剰価値をできるだけ多く搾取する。労働者が工業資本家にその労働力を切り売りして少額の労働賃金を得ると、更に家主とか小売商人とか質屋とかいうような他の種類のブルジョアジーが襲いかかって、これを搾取する。したがって、労働者は、彼らをがんじがらみに縛り上げている資本主義の鉄鎖以外には何ものも所有しない無産状態に沈淪する。だから、所有権の尊重とか契約自由の保護とかいうような法制度は、資本家にとってのみ意味をもつところの搾取の道具と化するのである。そうして、資本は、それが大きければ大きいほど幾何級数的な威力を発揮するから、自由競争の敗北者はますますその数を増大し、プロレタリアは国民のあらゆる方面から徴募されるようになる。しかし、そうなって来ると、プロレタリアートの中に自らに広い横の結合が生ずる。労働者の間にある生活条件の差別がなくなり、その立場が均しく最低の賃金の稼ぎ手に帰著する結果として、プロレタリアートの団結が可能となり、必然となる。このプロレタリアートの団結は一つの大きな「力」となる。そうして、彼らは彼らのもつ力をますます強く「自覚」する。そうして、すでに一つの大きな力となったプロレタリアートは、まづその生活条件の改善のために、やがては、ブルジョアジーの手中に独占されている生産手段を奪取するために、強力な階級闘争を展開する。その闘争も、次第に規模を拡大して、国内の階級闘争から国際的なそれにまで発展する。そうして、闘争の激しさもますますその度を加え、大なり小なり覆いかくされた状態での内乱から、公然の革命となって爆発し、ブルジョアジーを実力によって転覆せしめ、プロレタリアートの支配を確立するまでは、決して矛を収めない。だから、ーーと唯物史観は論ずる、ーープロレタリアートの革命によるブルジョアジーの没落は必然的である。「ブルジョアの没落とプロレタリアの勝利とは、ともに不可避である」

52009 唯物史観はかように説く。かように説く唯物史観は、もはや単なる理論ではない。一層正確にいうならば、それは理論としての唯物史観ではなくて、闘争のためのマルクス主義であり、共産主義である。前にもいう通り、それは実践の叫びであり、実践への呼びかけである。いかなる実践であるか。いうまでもなく「政治」の実践である。政治の宣言であり、政治の運動である。そこには、資本主義経済組織、その法および政治の牙城を破砕しようとする「目的」がある。プロレタリアートの手中に一切の生産手段を掌握し、今までの支配階級をその下に隷属せしめようとする「目標」がある。そうして、そのための手段は無産勤労階級の鉄のような団結である。この団結を確保するためには、ブルジョア支配の一切のイデオロギー的魔法の種明かしをしなければならない。従来の道徳や法や政治の価値体系が、ブルジョア階級の没落とともに没落する。半ば棺桶に足をふみ入れた人為・仮構の舞台装置であることを明らかにしなければならない。それが没落する必然性にあるならば、これを打倒することには、何らの不法性も後ろめたさもともなわない。階級闘争の必然性によってプロレタリアートの支配する時期が迫っているというのは、革命運動における「必勝の信念」である。故に、『共産党宣言』は叫ぶ、ーー「支配階級をして共産主義革命の前に戦慄せしめよ」と。「プロレタリアは、彼らをつないでいる鎖以外に失うべき何ものももたない。しかも、彼らはかち得べき全世界をもっている」と。そうして、最後に絶叫する、ーー「万国の労働者よ、団結せよ」と。これは、マルクス主義のかかげる定言命令である。この定言命令を裏づけているものは、革命の必然性と勝利の確実性とを予言する「経済的自然法」である。そこに燃えさかる革命の火の手は、「経済」の力でなくて、「政治」の力である。唯物史観は、経済を法や政治の下部構造と見る「理論」をかかげたのちに、やがて、自ら行動するところの「政治」の理念に転化したのである。いいかえるならば、法を破る階級闘争は、法を破る経済ではなくて、法を破る政治であり、経済的自然法を背景とする一つの新しい「革命権」の行使に外ならない。

 

3 法を作る階級支配

53001 マルクス主義は革命の理論である。だから、それは「法を破る力」の理論である。しかし、法を破る力は、その反面から見ればまた「法を作る力」でなければならない。マルクス主義によれば、法を破る力は階級闘争であった。同様に、その理論にしたがえば、法を作る力もまた階級闘争である。ただ、法を破る力と法を作る力とでは、同じ階級闘争であっても、その作用する方向が違う。階級闘争が法を破る力となって現れるのは、それが「被支配階級」の支配階級に対する蹶起となって働く場合である。これに対して階級闘争が法を作る力となって作用するのは、それが「支配階級」の被支配階級に対する圧迫となって現れる場合である。故に唯物史観の見るところを以てすれば、法は「階級支配」の産物であり、特にブルジョアジーのプロレタリアートに対する圧迫の手段である。だからこそ、この圧迫を排除しようとするプロレタリアート側からの階級闘争が、法を破る革命力となって作用することは当然といわなければならない。

53002 もっとも、ブルジョアジーがプロレタリアートを圧迫するために用いる法は、最初からその目的のために作られた訳ではない。なぜならば、ブルジョアジーが擡頭した頃には、彼らはなお封建制度の下での被圧迫階級であって、その下層に更に圧迫すべきプロレタリアートをもってはいなかったからである。彼らは、貴族や僧侶に対する「第三階級」として封建社会の下積みとなりながら、次第にその経済力を蓄積した。そうして、機熟するや、第三階級解放のための革命を断行し、経済上の支配権を法および政治の上に確立した。その法理念は「自由」であり、「平等」である。そうして、自由・平等の法理念に権威を与えたものは、「自然法」の思想である。人間が自然法にもとづいて自由でなければならないというのは、身分による圧迫は排除されるべきであるということである。自由なる人間は同じ自由人として法の前に平等でなければならないというのは、身分上の差別は法によって撤廃されるべきであるという主張を意味する。ブルジョアジーは、これらの法理念をかかげて封建的支配階級への闘争を遂行した。故に、その当時として見れば、法はむしろ被圧迫階級の圧迫階級に対する闘争の手段として役立ったともいえないことはない。しかし、被圧迫階級としてのブルジョアジーが彼らの階級闘争の手段として用いた法は、「自然法」であって、「実定法」ではなかった。彼らはこの「自然法」を楯に取って、封建社会の「実定法」を破ったのである。故に、実定法だけを法であると見るならば、第三階級解放のための闘争は、被圧迫階級から見れば、やはり純粋に「法を破る力」として働いたといわなければならない。

53003 ところで、ブルジョアジーは、この革命によって封建社会の法を破ることに成功した上で、すすんで彼らのいわゆる自然法をば大規模に実定法化しようと試みた。いまいう通り、ブルジョアジーのかかげた自然法の原則は、平等と自由とである。この中で、法の前での人間の平等ということは、私法上の個人の人格の平等、憲法上の基本権の保障、参政権の賦与というような形で、実定法上の制度となった。また、法によって保護せらるべき自由の理念は、私所有権の尊重や契約自由の原則として具体化された。ブルジョアジーのかかげた政治の理念は、正にかような形で「法を作る力」として作用したのである。かような法は、もとより、最初から国民の中の一部の階層だけの利益のために作られたものではない。シェイエスのいう通り、第三階級はその当時としては、国民の「すべて」であった。文字通り国民のすべてではなかったにしても、貴族や僧侶のごとき特権階級を除く国民のすべてであった。自己自身を開放したブルジョアジーは、自ら国民のすべてであることを意識し、国民すべてのために自由と平等の法秩序を作り上げたのである。しかし、その結果は、やがて経済上の自由競争を激化せしめ、優勝劣敗による新たな階級的対立を発生せしめ、国民すべてのために保証された筈の自由と平等とは、経済上の特権階級の利益のみを保護し、勤労無産大衆の利益を圧迫する武器となるにいたった。すなわち、ブルジョアジーが経済上の支配力を掌握したとき、これらの法制度は彼らの支配位置を不動のものとするに役立ったのである。そうして、ブルジョアジーの経済支配の下に「第四階級」としてのプロレタリアートが発生したとき、これらの法制度は、第四階級の立場を合法的に抑圧・拘束するという役割を演じたのである。かような変化は、こうした法制度が作られた最初からの計畫によるものでなかったことは明らかである。それは、公平に見て、これらの法制度が作られた「目的」ではなく、その「結果」に外ならなかったといわなければならない。

53004 しかるに、マルクス主義は、この現象をとらえて、ブルジョアジーがあたかも最初からプロレタリアートを圧迫するために、これらの法を作ったのであるかのように論ずる。しかも、「平等」とか「自由」とかいう美しい看板をかかげて、その実、人間を全く不平等にとりあつかい、無産勤労大衆を経済上の奴隷と化そうとする、最も憎むべき謀略によるものと解釈する。ここにおいて、マルクス主義のブルジョア的法秩序に対する批判は、最も深刻な階級的憎悪を表現する。ここでも、その理論は、きわめて露骨な政治闘争の手段と化しているのである。

53005 ブルジョア法秩序に対して加えられるところの唯物史観の批判の鉾先は、まづ私所有権にむけられる。なぜならば、私所有権は、ブルジョアジーによる階級支配が行われるための最も強力な法的城塞だからである。なるほど、第三階級解放の革命はすべての人間を平等の「権利主体」として取り扱うという原則を確立した。したがって、単なる権利の客体たるにとどまって、自ら権利をもつことを許されぬ奴隷というものは、法制上はあり得ないということになった。人はおしなべて権利の主体たる人格者であり、生まれるとともに均しく「権利能力」を賦与されるというのである。しかし、人は権利の「能力」を食って生きている訳ではない。権利の能力という容器の中に入れる「物」がないでは、生活の保障は与えられない。しかるに、ブルジョアジーは、この現実の「物」をばその手中に独占する。そうして、独占された権利は「財産」として彼らの華美・富裕な生活を保障するばかりでなく、更に「資本」となって強大な生産力を発揮する。そうして、あらゆる物的な生産条件がその下に吸収されて、資本の生産力を高めるばかりでなく、無産大衆の労働力もまた最低の廉価を以てその手に購買され、飽くことのない搾取の対象となる。かくて、資本はその凄まじい自転作用を開始し、資本家は何ら労することなくしてますます多くの富を蓄積する。しかも、労働力の外に売るべき何ものももたない無産大衆の莫大な犠牲において。それがブルジョアジーの発明した私所有権の制度であり、国家による私有財産の「保護」の効果に外ならない。そこで、マルクス主義は主張する、ーー「近世ブルジョアの私有財産は、階級の対立に立脚し、少数による多数の搾取を根拠とするところの生産および所有の組織の中でも、最後の、そうして最も完全な表現である」と。

53006 マルクス主義はかように主張する。単にかように主張するだけではない。マルクス主義は、この「認識」の上にただちに「実践」の言葉をつけ加える。すなわち、故に私有財産制度は廃止されなければならない、と。ここにおいてマルクス主義は「共産主義」になるのである。

53007 ただし、マルクス主義がその廃止を提唱するのは、ブルジョア社会における私有財産制度である。いいかえれば、資本主義的な搾取を可能ならしめるところの生産財貨の私有である。共産主義に反対する者は、共産主義者は人間が自己の労働によって得た財産を廃止し、それによって人間の自由と活動と独立との根拠を奪おうとしているといって、これを非難する。しかし、マルクス主義の立場からいえば、資本主義社会では、労働は決して財産を生まない。反対に、労働せざる者は、資本の力によっていくらでもその財産を増加させることができる。共産主義は、かように資本としての力を発揮するところの財産を廃止しようとするのである。共産主義は社会において生産された物を、各人が生活のために享有するという関係を廃止しようとしているのではない。これに反して、それは、社会において生産された物が、資本に転化することを、いいかえるならば、他人の労働の果実を奪取する力を発揮するようになることを禁止しようとするのである。故に、共産主義の否定しようとするものは、あくまでもブルジョア的な私有財産制度でなければならない。

53008 資本主義経済は商品交換経済であり、したがって、契約による商品の自由交換を通じて無限の流動性を発揮する。そこで、契約自由の原則が私所有権の制度と並んで資本主義経済の不可缺の支柱となる。資本主義社会の富が巨大な商品の集積となって現れるのも、ブルジョアジーが全世界に市場を開拓し、「その商品の廉価を重砲としてすべての支那の城壁を撃破した」のも、そうして、いながらにして全世界の隅々から労働力の成果を搾取することができるのも、契約の自由という法原則を楯にとる自由交換経済の力に外ならない。そこで、マルクス主義は、私所有権制度とともに、現代私法の基調をなす「自由」の概念に痛烈な批判のメスを加える。そうして、それは、万人に均しい自由を与え、すべての人間を自由なる人格者として取りあつかうということを標榜しつつ、実はプロレタリアートから生きる自由をも奪うところの階級支配のからくりであるとして、これを非難する。

53009 契約自由の原則を基礎づけているものは、法概念としての自由である。ところで、法概念としての自由は、人間がすべて自由意志の主体であるということ、および、人間の意志の自由は尊重されなければならないということを前提としている。人間の意志は自由であり、その自由は尊重されなければならないということから、人間と人間とが自由な意志の合致によって結んだ契約の効果は、国家権力によって保護されなければならないということ、すなわち、法概念としての契約の自由の原則が導き出されるのである。しかるに、ここに前提とされているところの人間の自由は、道徳の理念である。故に、法概念としての自由は、倫理的な理念としての自由を前提とするのである。中でも、カントは、道徳的な人格の自由ということを最も力強く説いた。それは、それ自身としては誠に客観的な、普遍妥当的な教説であるように見える。しかし、かような道徳哲学上の教説は、やがて法の世界に移されて、権利主体の意志の自由というドグマとなり、したがって、ブルジョアジーの階級支配の利器たる契約自由の原則を基礎づけることになる。マルクス主義は、そうした著眼の下に法と道徳とを引っくるめて、近世ブルジョア社会の自由思想の階級的欺瞞性を暴露しようと力めるのである。

53010 そうした態度を最も露骨に表明しているのは。パシュカニース(Пашуканис)であろう。パシュカニースは、カントの倫理学のブルジョア的階級制を色々な方面から論証した上で、「汝の意志の格律が常に同時に普遍的立法の原理として妥当するがごとくに行動せよ」というカントの定言命令は、「汝は汝の階級のために可能な最大の利益をもたらし得るがごとくに行動せよ」という規範と、全く同じ響きをもつというのである。マルクス主義は、かくのごとくにして、道徳や法における自由の理念がブルジョアジーによる階級支配の手段に過ぎないことを立証しようとする。そうして、プロレタリアート革命の第一の目標をば、かようなブルジョア的自由の否定、いいかえれば、「プロレタリアートの独裁」によるブルジョア階級の完全なる圧伏に置こうとする。ここでも、唯物史観のイデオロギー論が理論の範囲を遠く踏み越えて、敵意と憎悪とに満ちた政治的実践行動と化していることを、最も明白に見ることができるであろう。

53011 私有財産制度と契約自由の原則とは、近代私法制度の根幹をなす二つの最も重要な原理である。したがって、これを否定するということは、近代私法制度のほとんど全生命を否定し去ろうとするものであるといって差しつかえない。しかし、近代法の分野は、もとより私法だけにかぎられている訳ではない。私法の分野と並んで公法の組織があって、それが現代社会の組織をきわめて堅固に維持していることは、いうまでもない。故に、マルクス主義は、階級支配のためにする私法制度に対して痛烈な批判を加えると同時に、現代の公法組織にむかってもその鋭い鉾先を集中する。しかるに、現代の公法組織は、これを一言にしていい現わすならば、「国家制度」に外ならない。そこで、マルクス主義は現代の国家制度もまた、ブルジョアジーの地位を確保するために作り出された階級支配の道具であると見る。そうして、プロレタリアートの革命によってブルジョア支配の道具としての国家を根本から変革しようとする。次に、節を改めてその理論の要旨を概観することとしよう。

53012 参考:ここで問題とするのは、マルクス、エンゲルス、レーニン、等によって説かれた共産主義である。したがって、今日、各国に存在する「合法的」な政党としての共産党のかかげる共産主義は、ここでの直接の問題とはならない。ただ、もしも今日の共産党が、その政治上の主張の実現を「合法的革命」と名づけようとするならば、さような「合法的」な革命は、本書に論じているような「法を破る」政治活動としての革命ではないことを註記するにとどめる。

 

4 プロレタリアート革命と国家の変貌

54001 唯物史観は、国家が階級的対立の産物であり、階級支配の機関であることを、次のように説く。

54002 人間の社会が発達すると、その中に必ず階級の対立が生ずる。そうして、圧迫階級と被圧迫階級との間に和解すべからざる抗争が行われる。それは、人間の社会生活が陥るところの必然的な矛盾である。ところで、社会がこの矛盾した状態に到達した場合、これをそのままに放任して置けば、社会は無意味な争いのために滅亡してしまうであろう。そこで、社会の中から特殊の権力の組織が分化して来て。社会から分離した発達を遂げ、階級闘争を緩和してこれを「秩序」の枠の中にはめ込むという仕事をする。さような権力の組織が「国家」である。だから、国家は一面からいえば、階級闘争の産物である。しかし、他面から見れば、また階級闘争の抑制者でもある。そうして、階級闘争の抑制者としての国家の機能は、階級闘争を抑制することによって利益を得るもの、すなわち経済上の支配階級によって利用される。経済上の支配階級は、国家の権力を利用することによって、同時に政治上の支配階級となる。そうして、その支配地位を安固ならしめ、一層強力にその搾取を続けることができる。この一般的な「理論」を現代国家にあてはめて見るならば、現代国家はブルジョアジーとプロレタリアートの階級闘争の産物である。しかも、それは、両者の間の闘争を抑制して、「秩序」を保つという機能を営む。もとより、ブルジョア階級によって利用されつつ、ブルジョア階級の利益のために。ブルジョアジーは、国家の権力を利用することによって、経済上の支配階級たると同時に政治上の支配階級となった。そうして、ますますその地位を安固ならしめ、ますます有效にその搾取を行いつつある。故に、国家は、階級の対立を離れては存在し得ない。特に、現代の国家はブルジョアジーのプロレタリアートに対する階級支配の機関であり、それ以外の何ものでもない。

54003 唯物史観は国家をばさようなものとして認識する。しかし、ここでもまた、マルクス主義は国家のさような認識のみを以て満足するものではない。マルクス主義者は、ここから更にすすんで国家に対する実践的な態度を決定する。それは、いうまでもなく、さようなブルジョア的階級支配の道具としての国家制度を打破しようとする態度である。国家は、少数の者のためにする多数の者の支配の組織である。したがって、ヘーゲルのように国家をば「道義的理念の現実態」と見るのは、全くの虚妄であり、欺瞞である。だから、かような国家制度を打破することは、道徳に反することでも何でもなく、むしろ階級闘争の必然的な過程である。プロレタリアートの解放は、国家制度の根本からの変革なしには成就され得ない。それは、プロレタリアートの革命である。この革命の目標は、国家権力をブルジョアジーの手から奪取することにむけられなければならない。かくて、ここでも、唯物史観の「理論」は変じてマルクス主義の政治闘争の「叫び」となる。

54004 ブルジョアジーの手中にある国家権力をば、プロレタリアートの手に奪取せよ。マルクス主義のこの政治闘争の叫びは、決して国家の「否定」を意味するものではない。むしろ、それは国家の「肯定」である。マルクス主義者が否定しようとするのは、国家の権力がブルジョアジーの階級支配のために利用されているという状態であるにすぎない。ブルジョアジーの階級支配に利用されているとき、国家の権力は恐るべく強力な作用を営む。警察と監獄と常備軍と思想犯取締法とを以てプロレタリアートの反抗をきわめて有效に抑圧する。したがって、マルクス主義は、国家権力が階級支配のために驚くべき大きな利用価値をもっていることを認める。すなわち、その点で国家価値を肯定する。しかも、これをプロレタリアートの手に奪取し、いままでブルジョアジーが駆使して階級闘争を彼らの絶対有利に導いていたこの武器を以て、逆にブルジョア階級を完全に圧伏しようとするのである。それが、マルクス主義のいう「プロレタリアートの独裁」である。そうして、ここにマルクス主義が無政府主義と根本的に相違する点がある。

54005 勿論、マルクス主義も究極においては国家の消滅を予言する。しかし、無政府主義が一足飛びにこの状態に飛躍しようとするのに対して、マルクス主義は、ブルジョアの支配する国家から、国家のない完全な共産主義社会へ移る過渡の段階として、むしろ、きわめて強大な権力組織をもつプロレタリアート独裁の国家形態が介在しなければならないと説く。現在、敵の手に握られている残忍・過酷な武器を、一刻も早く人間の視野の外に棄て去ろうとする代わりに、これを己の手に奪って、いままでそれを得々とふりまわしていた敵をば、同じ武器を以て完膚なきまでに叩きのめそうとするのが、マルクス主義の態度である。それは、「生産力」などどいう主体性のない力ではなくて、考えられ得る最も強靭・執拗な現実政治の「政治意欲」であるといはなければならない。

54006 マルクス主義が、この現実政治の「目的」を達成するために選ぶ手段は、いうまでもなく「革命」である。しかも、単なる革命ではなくて、激しい「暴力革命」(revolution by force)である。

54007 もっとも、この点に関しては、マルクス主義の陣営の中にも異説がない訳ではない。マルクスやエンゲルスによれば、将来、階級の対立を孕むことのない完全な共産主義社会が実現すれば、階級支配の機関たる国家もその必要がなくなり、自然に消滅する。エンゲルスの言葉を用いれば、国家は「廃止」(abgeschafft worden)されるまでもなく「枯死」(abstorben)する。そうなるのが歴史の「必然」なのである。とすれば、特に暴力革命によって国家を破壊しないでも、気永く待てば、やがて国家制度が自ら枯死し去る時がくるであろう。そういう解釈から、暴力革命に「水をさす」マルキストがない訳ではない。

54008 しかし、マルクスの正統を継ぐ理論家たちは、こうした考え方に真っ向から反対する。革命によらないで「合法的」に国家衰滅の日を待とうとする穏健な態度を、機会主義・日和見主義として痛烈に攻撃する。なかでもレーニンがその代表者である。レーニンによれば、国家の「枯死」についてエンゲルスがいっているところは、現段階のブルジョア国家にはあてはまらない。マルクスやエンゲルスは、プロレタリアートの手に帰した国家機構が、次第にその存在理由を失って自然消滅を遂げるということを説いているのである。故に、国家の必要性がなくなるような時代を迎え得るためには、まづ、国家をブルジョア国家からプロレタリア国家に根本から編成替えすることが先決条件である。この編成替えは、「自然」に行われ得るものではなくて、「革命」によってのみ成しとげられ得る。資本主義国家はプロレタリアートの革命によって破壊されなければならない。ブルジョア国家は決して自然には枯死しない。これに反して、革命によってブルジョア国家が破壊され、プロレタリアート国家が建設されたのちには、国家機構は次第にその階級支配の任務を完成して、自然に消滅して行くときが来る。エンゲルスが国家の「枯死」を説いたのは、そういう意味である。それを、現在のブルジョア国家が革命を待たずに滅亡するかのごとくに説くのは、最もはなはだしいマルクス主義の歪曲である。プロレタリアートは、革命によってブルジョア国家を破壊したのちにも、国家を必要とする。なぜならば、革命ののちにもブルジョアジーはただちに消滅し去る訳ではなく、依然として社会の中に残存し、再起を図ろうとするに相違ないからである。エンゲルスのいう通り、プロレタリアートが国家を必要とするのは、自由のためではなく、その敵を粉砕する目的のためである。それは、ブルジョア国家におけるように、少数者が多数者を圧迫するためではなく、搾取していた少数者を圧迫するためである。いいかえれば、「プロレタリアートの独裁」を行うための国家である。この中間段階を経たのちに、真の共産主義が行われるようになれば、もはや圧迫すべき何者もなくなるから、国家は不必要になる。国家が自然に枯死するという現象は、この最終段階にいたってはじめて行われるのである。

54009 だから、マルクス主義によれば、もっと正確にいってマルクス・レーニン主義によれば、歴史の現段階から先の国家の変遍は、次のようにして行われる。すなわち、ブルジョア支配の時代には、国家の権力は少数の富裕階級の手に握られている。過去のブルジョア革命は、自由の理念にしたがって民主主義を実現したと称するが、それははなはだしい欺瞞である。ブルジョア国家には自由はない。自由どころか、多数のプロレタリアートを圧迫するための「血の海」が必要とされる。そこでの民主主義は虚構の民主主義である。このブルジョア国家が革命によって破壊されると、共産主義社会の第一段階としてプロレタリアートの独裁による国家が出現する。これは、多数者のための民主国家であり、真実のデモクラシーである。しかし、ここでもまだ人は真の自由については語り得ない。なぜならば、ここでも少数のブルジョアジーを圧迫するための鉄の鞭が必要だからである。ただ、この鉄の鞭は、ブルジョア国家が勤労大衆の蜂起を抑えるために用いたような大規模なものであることを必要としない。この中間段階を経て高度化した共産主義社会に到達すれば、階級の対立は解消し、圧迫の必要もなくなる。そこでも、個人の放逸はこれを圧迫しなければならないであろう。しかし、それはもはや階級的な圧迫ではない。だから、階級支配の道具としての国家は要らなくなる。だから、国家は自然に枯死する。そうして真の自由が実現する。そうして、マルクスのいう通り、「各人がその能力に応じて寄与し、各人にその必要に応じて与えられる」(Jeder nach seinen Fähigkeiten, jedem nach seinen Bedürfnissen!)時が来る。

54010 これが、国家の変貌と消滅とに関するマルクス主義の予言である。この予言が正しいか否かは、いまここで問題にする必要はない。ここで問題にしなければならないのは、かような予言のもつ学問的な性格である。特に、これと唯物史観の根本命題との関係である。唯物史観によれば、社会生活の上部構造たる法や政治は、したがって国家は、下部構造なる社会経済、特に生産力の変化に規定されて変化するはずである。ところで、ここに概観されたような国家の変貌は、はたして最後のところで生産力の変化によって規定されているといい得るであろうか。中でも、ブルジョア国家がその巨大な法組織とともに崩壊してプロレタリアートの独裁による新たな国家形態に移る過程は、はたして生産力の変化によるものとして説明されているであろうか。

54011 なるほど、ブルジョア国家の中で資本主義経済が高度独占企業の形態にまで発展し、大規模な搾取が行われ、ますます大量の無産者が作り出されて、階級の対立が激しくなって行くということは、資本主義的生産に行きづまりを生ぜせしめる大きな基本的事実であるに相違ない。しかし、その事実そのものによって「自然に」ブルジョア国家が崩壊するにいたるのではなく、プロレタリアートの「団結」による政治革命によってはじめてブルジョア支配の国家組織が破壊され得るということは、レーニン自らくりかえして力説するところである。更に、この革命によって生産財貨の私有が禁ぜられ、すべての企業がプロレタリアート国家の経営と管理とに移されるということは、大きな「生産力の変化」であるに違いない。しかし、その変化も社会経済上の生産力それ自体が動くことによって生ずるのではなく、プロレタリアートの独裁による政治的な「計畫」と「統制」とがこれを動かすことを必要とするのである。故に、この場合の国家の変貌をもたらすものは、社会経済ではなくて、社会経済を直接の「内容」とし「素材」とするところの政治である。革命によって国家の法を破り、新たな生産機構の法を作り出すものは、生産力の変化ではなくて、主体的、能動的な政治の力に外ならないのである。

 

5 法を変革する階級闘争の理念

55001 法を変革する階級闘争は、政治闘争である。国家を変貌せしめるプロレタリアート革命は、政治革命である。かような闘争、かような革命の必然性を説く唯物史観は、政治闘争の理論である。唯物史観に共鳴し、革命の必然性を信仰し、しかも、必然の革命を拱手して待つのではなく、自らこれに参加して時代の陣痛を促進しようとする無産大衆の行動は、経済上の生産力ではなくて、政治上の激越な運動である。唯物史観によって説かれているような法や国家の変革をもたらす力は、「経済の力」ではなくて、「政治の力」である。社会経済上の諸条件は、かような政治の力が作用する場合の「機縁」であり、「素材」であるにすぎない。唯物史観は、法の究極に在るものを捉えて、これを経済上の生産力であるとなした。しかし、実は、唯物史観もまた、法の究極に在るものは、結局のところ経済でなくて政治であることを自ら立証しているのである。

55002 政治は力である。法を破り、法を作る力である。しかし、政治は単なる力ではない。政治の力には理念が宿っている。政治は理念を目ざして働き、理念の実現を目的として行われるところの、社会大衆の団結力であり、行動力である。第18世紀末のブルジョア革命に場合には、その政治力の指導理念は「自由」であり、「平等」であった。しかしながら、マルクス主義によれば、それは新たな階級対立に利用されたイデオロギーであり、ブルジョアジーの階級支配の道具にすぎないという。だから、プロレタリアート革命によってブルジョアジーの階級支配を打倒すれば、ブルジョアの得手勝手な自由は霧散し、ブルジョア的の平等はその欺瞞の仮面を剥ぎ取られるという。そうして、さような階級的イデオロギーを消滅せしめるところの社会革命は、イデエルな要素を含まないマテリエルな社会経済の、鉄のごとき冷厳な法則によって実現されるという。けれども、プロレタリアートの革命も、その実体が政治革命である以上、やはり理念によって指導されている。その指導理念は、これまで自由の美名に隠れて行われて来たところの奴隷的搾取の除去である。平等と称して、実は、極端な経済上の不平等をもたらしている法制度の打破である。しかるに、奴隷制度の撤廃は、自由の実現である。不平等な法制度の打破は、平等への努力である。マルクスは『ゴオタ綱領批判』の中で共産主義社会の最高段階について述べ、階級的対立のないこの状態にいたってはじめて、人間の社会はその旗の上に、「各人がその能力に応じて寄与し、各人にその必要に応じて与えられる」と書くことができるといった。各人がその能力に応じて働き得るのは、自由である。各人が均しくその生活の必要を満たし得るのは、平等である。プロレタリアートの革命は、ブルジョアジーのかかげる擬制の自由、虚偽の平等を打ち破り、真正の自由真実の平等を実現しようとする政治運動である。その意味で、それは第18世紀のブルジョア革命の修正しようとしている。しかし、その意味で、それは正に第18世紀のブルジョア革命の継承であり、中途半端に終わったその目的を完成しようとする努力であるといわなければならない。

55003 プロレタリアートの革命は、ブルジョア国家の法制度を破砕しようとする政治力である。しかし、それは単なる「法を破る力」ではない。マルクス主義にしたがえば、ブルジョア国家制度が革命によって破砕されても、国家は消滅しない。むしろ、プロレタリアートは、なお当分の間、国家を必要とする。それはプロレタリアートの独裁によるブルジョア圧迫のための国家制度である。国家制度である以上、それは当然に法の組織をもたねばならぬ。その法は、プロレタリアートの階級支配を確立するための新たな法である。プロレタリアートの革命は、そういう新たな「法を作る力」である。しかし、この段階を経過して、やがて階級の対立のない完全な共産主義社会が実現することになれば、国家は自らにして枯死するという。国家が枯死すれば、法もまた枯死するであろう。そのあとには、もはや、法は残らないのであろうか。完全な共産主義の社会は、あらゆる意味で法のない社会であろうか。この問いは、肯定・否定の両様に答えられ得る。なぜならば、完全な共産主義社会には階級の対立はない筈であるから、階級支配のための法はなくなる。けれども、階級支配のための法はなくなっても、その社会といえども個人の放埒を許すことはできない。だから、個人の自由が放埒と化することを防ぐための法は、依然として必要である。その意味では、法はどこまでいっても無用とはならない。ただ、法の目的が変り、新しい法が作られて行くだけである。故に、プロレタリアート革命は、「法を破る力」であると同時に、「法を作る力」である。自由・平等の理念を実現するために、これを妨げる法を破り、これにかなった法を作ろうとする「政治の力」たることが、唯物史観の説く歴史の原動力の本体なのである。

55004 そうなると、唯物史観も、前章までに考察して来たのと同様な「法に対する政治の優位」を説く学説に還元されたことになる。ただ、その場合に、特に「経済」の契機に圧倒的な重点を置いているところだけが、唯物史観の特色であるにすぎないのである。そうであるとすれば、唯物史観の力説する法変革の必然性も、是非善悪の批判を許さぬ絶対の必然性ではなく、「政治の矩」にかなう法変革の力であるか否かの評価の下に立たなければならない。いいかえると、それが果たして真に公共の福祉と調和ある秩序とを実現する正しい政治力であるかどうか、という客観的な資格審査を受けなければならない。これまで、世界の多くの国々でマルクス主義の旗の下に大規模な階級闘争が展開されて来たという事実は、確かに、これまでの法秩序や国家組織に重大な欠陥があることを物語っている。これを改善して公正と調和とを実現することは、今日の人類全体が当面する急務である。しかし、問題はその方法にある。資本主義に対する呪詛と憎悪とを以て暴力革命を行うことが、はたして「政治の矩」にかなった正しい政治力の発揮であろうか。政治の矩は、必ずしもあらゆる場合に法の破砕を否定するものではない。しかし、政治の矩は、法の根本の理念である。そうして、法の根本の精神は秩序と調和とである。したがって、露骨な闘争以外の一切の方法を排撃するマルクス主義の憎悪の哲学は、法の根本精神と遂に相容れ難いものをもっていると言わざるを得ない。だからこそ、マルクス主義は、法を根底から爆砕しようとするのである。けれども、だからこそ、法の究極に在るものを探究しようとする法の哲学は、到底マルクス主義の主張に屈する訳にはいかないのである。

55005 のみならず、マルクス主義は、結局において国家を否定する理論である。勿論、プロレタリアートの革命が国家をただちに絶滅せしめる訳ではなく、新たな階級支配に適した新たな国家形態ーープロレタリアートの独裁ーーを確立することを目的とするということは、レーニンのくりかえして力説するところである。けれども、プロレタリアートの独裁組織が確立され、その下においてブルジョアジーが消滅し、階級の対立が無くなってしまえば、国家もまた自然に枯死し去るということは、マルクス主義の主要な代表者に一致した見解である。故に、その理論の通りに事が運ぶならば、やがて人間の共同生活から国家の枠がまったく外されていまう筈でなければならない。その意味で、マルクス主義の根本性格が徹底した普遍人類主義であることは、疑いを容れない。さような普遍の面のみを強調する政治運動が、共同生活の特殊性との因縁を断ち切り難い人間の本性に照らして、はたして妥当・中正な法の理念に合致するものであるかどうかは、大きな疑問である。しかも、もしも共産主義化した諸国家がプロレタリアートの社会となることに成功した場合、他の諸国家はこれと同化し得ない方向にすすんで行くとするならば、階級の対立はもはや、一つの国家の内部の現象ではなく、大きな国際的対立となるであろう。そうして、マルクス主義があくまでも実力によって法を破ることを目的達成の必然の手段と見るならば、それが普遍人類的な性格をもつものであればあるだけに、国際社会の法秩序に対して新たに深刻な脅威を加えることとなるであろう。法哲学は、そこにマルクス主義をめぐる最大の難点があることを看過し得ない。

55006 こうした問題を更に一般的に解決するためには、法哲学は、「政治の矩」たる法の理念を、人間存在の「特殊性」と「普遍性」との両側面から、充分に検討してかからなければならない。いいかえると、政治の矩をば「国内法の究極に在るもの」および「国際法の究極に在るもの」として順次に論究して見なければならない。唯物史観が経済法則の必然性をふりかざして一挙に圧倒し去ろうとする法および法学の自主性を擁護するためにも、ここで国内法および国際法の両面に亘る「政治の矩」を正面から論究することが、是非とも必要となって来るのである。

55007 参考:ここでレーニンは次のようにいっている。==「共産主義の下においてのみ、国家は全く不必要になる。なぜならば、そこには、圧迫すべき何者もなくなるであろうからである。ーーここの『何者も』というのは、階級の意味においてである。人民の中の特定の部分との組織的な闘争という意味においてである。われわれは、空想論者ではない。だから、その状態においても、個々人に放埒は起こり得るし、むしろ避け得られないということを、決して否定しない。同様に、さような放埒を圧迫する必要があるということを、決して否定するものではないのである」

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第六章 国内法の究極に在るもの

 

1 法に於ける普遍と特殊

61001 政治は法の究極に在る力である。人間の共同生活の歴史的発展を通じて、現実に法を作り、法を動かして行くものは、結局において政治の力である。しかしながら、政治は、それが単に政治であるというだけで、法を作り、法を動かす力を発揮することができる訳ではない。政治は力であるが、同じ政治にも比較的にいって、無力な政治もあり、有力な政治もある。無力な政治は法を作り、法を動かす力とはならない。法の究極に在る力としての適格性を有する政治は、有力な政治でなければならぬ。政治が有力な政治となるためには、色々な条件が要る。政治の指導理念が明確・適切であることは、その第一の条件である。政治の組織が暢達・自在であることは、その第二の条件である。政治指導者に明敏・果断・大度の人物を得ることは、その第三の条件である。しかし、それらにもまして政治の力の直接の要素となるものは、社会大衆の間から盛り上がる精神力であり、目的意識であり、その逞しい実戦行動力である。いかなる理念も、いかなる組織も、いかなる指導者も、国民の実践生活から遊離してしまえば、もはやかけ聲だけの政治となって、現実の力を発揮することはできない。打つ撞木なくしては鐘は鳴らないが、鳴るのは鐘であって、撞木ではない。しかるに、鳴る鐘には音色がある。政治力の根源たる国民精神には、特殊の歴史があり、伝統があり、性格があり、風土や環境の影響がある。したがって、政治には特殊性がある。特殊の政治社会の発揮する政治力は、特殊の力である。この特殊の力を発揮せしめるためには、政治の理念も、政治の組織も、政治指導者も、国民大衆の隠れた心の叫びと同じ特殊性を以て呼応しなければならないのである。

61002 しかしながら、特殊性ということは政治のもつ一面であって、決してその全面ではない。他の一面から見るならば、政治には普遍の理念があり、普遍の組織がある。偉大な政治指導者には、古今東西を通じての普遍の型がある。更に、政治力の母胎たる国民精神というものも、人間が人間であるかぎり、時と処との制約を越えた普遍人類性の動きを示すのである。人間の自由・平等を実現し、公共の福祉を増進し、すべての人間に人間らしい生活を保障することは、政治のもつ普遍理念である。広く国民の声を政治の上に反映せしめ、国民の意志を以て政治の規準とするという民主主義の原理は、国民生活のあらゆる特殊性の殻を破って普及して行く政治の普遍組織である。そればかりではなく、政治の内容を成すところの道徳の信念、宗教の信仰、経済の機構、生産の様式、等には特に普遍化の力をもつものが多い。異民族の道徳思想の受容、キリスト教のごとき世界宗教の伝播、資本主義経済機構の普及、生産技術の模倣、労働階級の自覚と団結などは、いづれも政治の形態の等質化をうながさずには置かない。故に、歴史の伝統や民族性の殻の中にいつまでも閉じこもっている政治は、やがて萎縮して行くことを免れない。今日の政治史は、文字通り世界史となりつつある。世界史の舞台に躍動する政治は、強い普遍性の契機をもたなければならぬ。故に、個人主義・自由主義・コスモポリタニズム・インターナショナリズムのように、それ自体が国境を超越して普遍的に拡まることを建前とする政治原理はもとより、全体主義や国粋主義のごとくに民族または国家の特殊性を強調する政治思想すらもが、国際的に横に連携・団結することなしには、強い政治力となることはできない。イタリアのファッショ、ドイツのナチス、日本の国粋主義が、互に影響し、理解し、協力して、民主主義国家群に対する共同戦線を張ったという事実は、政治に内在する特殊性の契機すらもが、その特殊性と矛盾する普遍性を以て力としたということを物語っているということができよう。

61003 それであるから、政治における特殊性の契機と普遍性の契機との間には、非常に微妙な相関関係がある。

61004 すなわち、一面からいうと、政治の行われる場所は特殊な政治社会の内部生活である。政治社会もしくは政治的な人間共同体は、それぞれ一つの生命をもつ。しかるに、およそ生命は甲の生命乙の生命であって、甲でもなく、乙でもないところの抽象・普遍の生命というものはあり得ない。特殊の生命体としての政治社会は、他の特殊なるもの、もしくは他の特殊政治社会によって生み出された普遍なるものに触れて、それ自身普遍化して行くと同時に、普遍的なるものに自己固有の特殊性の息吹を加え、これを特殊・独自の政治的生内容の中に包容・摂取する。したがって、いかに普遍の意味をもつ政治思想や政治組織といえども、それが或る特殊国家の政治原理として採用された場合には、自らにして特殊の性格によって彩られ、その国家ならでは見ることのできないような色合いを帯びて来る。例えば、同じ民主政治であっても、フランスやスイスやアメリカ合衆国やオーストラリアによって、それぞれの様式やニュアンスを異にしていることは、ブライスの現代民主主義の精密な実証研究の示すところである。して見れば、それが伝統や民族性を著しく異にする日本や中華民国において採用された場合、それ以上の特殊化が行われることは、きわめて自然であるといわなければならない。かように普遍なるものを特殊化する能力のない政治社会は、もはや溌剌たる創造的生命をもたないのである。生々発展する政治社会の政治原理は、いかに外来の思想の影響を受け、いかに普遍の雰囲気に同化されても、本来の特殊性の根本を喪失し去ることはないのである。

61005 けれども、他面から見るならば、政治社会の特殊性は、普遍なる世界の影響を受けて、その固有の純度を失い、次第に普遍化して行くべき必然性をもつ。固有の特殊性にのみ執着し、異質の文化を蔑視・排斥する政治社会は、「閉ざされた社会」である。無限の包容力を以て不断に普遍人類的の空気を呼吸する政治社会は、「開かれた社会」である。進歩・発展は、ひとりただ後者についてのみ語られ得る。なぜならば、すべての有機的な生命体は、外部からの栄養を摂取することによって生長する。イェリングが痛烈な皮肉を以ていったように、有機体が単にその内部から発達ーー腐敗ーーするのは、それが屍体となった場合にかぎられる。偉大なる発展を遂げたローマに夷狄思想がなかったというのは、決して偶然ではない。ユス・ゲンチウム(万民法;jus gentium)を作って異民族と対等の法的取引を行っている間に、ローマの精神は次第にこれらの異民族の上を蔽い、すべての道がローマに通ずるようになって行ったのである。故に、政治社会、特に国家の政治活動は、普遍の世界にむかって眼を見開き、絶えず自己の特殊性の殻を打ち破りながらも、しかも歴史と伝統によって培われた特殊の生命の源泉を枯渇せしめないことを以て、その本義とすべきである。国民精神の特殊性の自覚といえども、決して単なる特殊性のみに跼蹐することによって得られるものではない。普遍の尺度なしに特殊の価値を語ることは、最初から無意味である。特殊の精神は、普遍の世界に衝きあたって、そこからふたたび自己自身の本質に立ち戻るときに、はじめて、特殊性の自覚を確立できるのである。その意味で、特殊の自覚は、世界における特殊の自覚であり、特殊を通じての世界の自覚でなければならない。かように、普遍と特殊との綜合・調和を図って進むということは、政治社会の活動の準拠すべき第一の「政治の矩」でなければならない。

61006 政治は、それが「政治の矩」にかなうとかなはないとにかかわらず、常に特殊と普遍との相関・交替の関係を辿って進展する。したがって、政治によって生み出される政治社会の法もまた、国民生活の特殊性を反映する具体秩序としての面と、道徳・経済・技術、等の一般化の傾向を表現する普遍秩序としての面とを併せ備えているのである。

61007 法のもつこれらの二つの面は、一方からいえば、互に別々の領域を劃して国法秩序の中に織り込まれている。例えば、身分法の中には特殊性の契機が濃厚に含まれ、商法のような経済法・技術法の中には普遍性の要素が卓越して現れることは、夙に学者の指摘するところである。けれども、国内法に内在する特殊性の契機と普遍性の契機とは、単に異なる領域を劃して併存しているばかりではない。また、両者が異なる領域を劃して並び存している間は、大した問題は生じない。ところが、他方からいうと、これら二つの契機は互に他を排斥して国法秩序の全面を蔽おうとする傾向がある。特殊性の契機を以て法の全体を支配しようとするのは、法における民族主義である。法における民族主義を法思想として代辯したものは、サヴィニー(Friedrich Carl von Savigny)の歴史法学である。これに対して、普遍性の契機によって民族的特殊性を圧倒し去ろうとするのは、法における世界主義である。イェリングによれば、ローマの法精神のもつ世界史的意義は、「普遍性の思想」(der Gedanke der Universalität)による「民族性の原理」(das Prinzip der Nationalität)の克服にあった。かような対立は、決して過去の問題ではなく、現代の問題であり、将来の問題である。ナチス・ドイツの民族主義は、法の世界から彼らのいわゆる西ヨーロッパ的な、しかし実は世界普遍的な要素を駆逐しようとして狂奔した。日本の神がかり的国粋主義も、法に対してこれと同工異曲の態度を示した。反対に、敗戦によってこうした傾向が一掃された今日では、他力本願の普遍主義が澎湃として日本の法思想に瀰漫する可能性がある。しかも、かような激しい転換・交替の背後には、まぎれもない政治の力が働いている。その政治の力が特殊の方向か、普遍の方向かに行きすぎるのは、政治の現実である。行きすぎてはかえって社稷(編集者注:しゃしょく、スメラオオモトオ、社は土地の神であり稷は五穀の神、転じて「国家」)を危からしめる政治の現実に対して、中正・調和の道を示すものは「政治の矩」である。法における普遍と特殊との調和を求めるという「政治の矩」は、法を作り法を動かす政治の力の上に立って、現実政治の動向を規正する「国内法の究極に在るもの」でなければならない。

61008 参考:イェリングは、こういう比喩(有機体が単にその内部から発達ーー腐敗ーーするのは、それが屍体となった場合にかぎられる)を、サヴィニーの歴史法学に対する批判として用いたのである。サヴィニーは、法は民族の固有精神の所産であると説いたのであるが、閉ざされた民族精神を固有性のみを固執して、開かれた世界からの影響を阻止するところには、何らの進歩も発展もなく、ただ衰亡のみがあり得るというのが、イェリングの批判の趣旨である。この皮肉な批判は、太平洋戦争前および戦争中の日本に横行した固陋な国粋主義にも、そのままあてはめられ得るであろう。

 

2 特殊共同体秩序としての国内法

62001 国家は特殊の政治社会である。もう少し精密な言葉を用いていうならば、国家は特殊の政治的共同体である。ここに「共同体」というのは、その社会を構成する多数の個人が生滅変化して行くにもかかわらず、同じ一つのものとして存続するところの人間共同生活の「単一体」のことである。国家がさような共同体であり、単一体であるかぎり、それは、国家を構成する個々の国民に対しては、普遍的な存在としての意味をもっている。しかし、国家のもつ普遍性は、あくまでも多数の個人の特殊性または個別性に対する意味での普遍性であって、更に広い世界の場所の中にこれを置いてみれば、国家もまたそれぞれ一つの特殊的な存在たることを失わない。アメリカ合衆国という国、日本という国には、それぞれのその特殊性がある。故に、国家は一つ一つの特殊性をもつ政治共同体である。ヘーゲル流にいうならば、国家は特殊の限定をうけたところの普遍者である。特殊性の契機を全く喪失した国家は、もはや国家として存在するという意味をも喪失するであろう。いわゆる国家主義が世界主義と反発する傾向があるのも、国家を中心とする考え方が、どうしてもその国家の特質に特殊の価値を認めることとなり易いがために外ならない。

62002 国家はさような特殊の共同体であるから、国家の政治には大なり小なり必ず特殊の動きがある。したがって、特殊の動向をもつ政治によって作られる国家の法は、大なり小なり必ず特殊の法秩序としての性格をもつ。国内法がいかに外国法の影響を受け、世界共通の法の普遍性に近づいて行っても、国内法のもつ特殊の性格は決して完全には払拭され得ない。まして、国家が「閉ざされた」政治社会としての排外性を強く発揮する場合に、国内法の特殊な性格が際立って強調されることになるのは、きわめて当然である。しかるに、法における特殊の契機は、主として人間の理知では割り切れない歴史の伝統や国民感情の所産である。その特色は、合理的には存せずして、政治社会のもつ非合理性に根ざしている。故に、国内法における特殊性の強調は、必ず国内法に含まれた非合理性の要素に特別な重要さを認めることとなるのである。

62003 そういう考え方を代表する学説がサヴィニーの歴史法学であることは、前にも一言した。歴史法学は、法が民族によってそれぞれ異なる特色を有することを力説した点で、もとより法における特殊主義である。それと同時に、法が合理的に考案されたり、制作されたりし得るものではなく、民族精神を通じてーー主として慣習法の形態でーー自らに生成するものであることを主張した点で、明らかに非合理主義である。サヴィニーの活躍した第十九世紀初頭のドイツは、啓蒙的合理主義からロマンティックの非合理主義に移りつつある時代であった。啓蒙時代の合理主義が人間をいわば平均人として取りあつかい、個性とか民族性とかいうものに重きを置かなかったのに対して、ロマンティックの時代精神は個人や民族の強烈な個性意識に飛躍の翼を与えた。この著しい対立が法の根本観念の上に現れて、一方はティポーの自然法理論・成文法主義・法典編纂論となり、他方はサヴィニーの歴史法学・慣習法主義・法典編纂反対論となったのである。この思想上の闘争地位は、不幸にして歴史法学の主張を一面的に偏らしめ、法が普遍性の契機を有すること、したがって異民族の法を継受したり、合理的な考慮によって法を作ったりすることが可能であるということを無視する、極端論に陥らしめた。ドイツ民族にとっては縁もゆかりもないローマ民族の法が、中世以来ドイツ人の社会によって継受せられ、ドイツ民族の共同生活の中に融け込み、ゲルマン社会の現行法として行われるようになったことは、当時の最も卓越したローマ法学者の一人たるサヴィニーの知らぬ筈のない大きな事実である。それにもかかわらず、サヴィニーが法の民族的固有性を絶対に固執するところの論陣を張ったという矛盾はイェリングの手厳しく論難する点であって、サヴィニーとしても恐らく弁明の余地を見出すことはできないであろう。しかし、各民族の法が非合理的な歴史と伝統の産物であって、人為的は抹殺し得ない牢固たる特殊性を有するということもまた、まぎれもない事実である。自然法の普遍主義によって風靡されていた当時の法学界に、法の民族性原理に対する強い反省を与えた歴史法学の功績は、法の普遍性と合理性を一方的に無視したその誤謬とともに、正しく評価せられなければならない。

62004 法における民族主義の立場は、法の根底を民族共同体の特殊なる内部秩序に求めようとする。民族が法および政治の組織を備えて国家となった場合にも、国家の法の基礎をなすものは、民族独自の伝統的な法感情や法意識によって自ら醸成される、共同体の内部秩序であると見るのである。ところが、国家の法が客観的な法規として整備され、外観すこぶる宏壮な成文法の体型が築き上げられて来ると、人は、この成文法組織の絢爛たる外形に眩惑されて、法の奥底を流れる共同体の生活秩序を忘れ、成文法の論理解釈によって法のすべての機能を発揮させることができると思い込むようになる。むしろ、成文法規を固定させて、その規範意味から一歩も外れることがないようにこれを論理的に運用して行くのが、法学の唯一の任務であると考えるようになる。しかも、成文法は永遠に正しい自然法の理念を具現するものであるという、第十九世紀初頭の誇らしやかな観念は消えうせて、成文法に規定してあることは、その内容の是非善悪にかかわらずこれを正確に運用して行くのが法治国家の任務であるという思想が拡まって来る。それが実証主義であり、概念法学であり、規範論理万能論である。しかし、これに対して、第十九世紀の末葉から第二十世紀の初頭にかけて、次第に強い反動が起ってきた。成文法万能主義を斥けて、法の自由発見の必要を力説する自由法論がそれである。法を社会生活に直結せしめ、社会の中に生きて働いている法を探究しようとする社会法学がそれである。こうした動向の中には、普遍主義の契機もないではない。しかし、それよりも強く復活して来たのは、法における特殊主義である。法の究極に在るものをば、特殊の共同体の特殊の内部秩序に求めようとする傾向である。エーアリッヒが、法の根底をなすものをば、「社会団体の内部秩序」(die innere Ordnung der gesellschaftlichen Verbände)であると論じたのは、その顕著な一例である。が、かような傾向は、ナチスの民族至上主義と結びついて、俄然、爆発的な活況を呈した。そうして、カール・シュミットの「具体秩序論」にいたって、一つの有力な学問的表現を見出したのである。

62005 カール・シュミットがその『法学上の思考の三形態』の中で規範主義と決定主義の対立を非常に鮮やかに対照・論評していることは、前にやや詳しく述べた。そうして、シュミット自身、かれの『憲法論』の中では決定主義を採用していることも、それに引きつづいて論述した。しかるに、かれはのちになって、ーーナチスの独裁政治が確立された直後になって、ーー決定主義の立場を棄て、かれのいわゆる法学上の思考の第三の形態、すなわち「具体的秩序および形成の思考」(konkretes Ordnungs- und Gestaltungsdenken)の立場に転向した。この転向(節末参考参照)は、明らかに政治的な転向である。ナチスの民族至上主義に調子を合せた態度の転換である。けれども、それにもかかわらず、シュミットの説く第三の立場には、否定できぬ学問上の意味がある。それは、法の究極に在るものをば、規範とも見ず、実力とも見ず、共同体の生活に内在する具体的な「秩序」と見ている点である。したがって、それは法における特殊主義の典型として、ここに考察する価値があるといはなければならない。

62006 ただし、シュミットが法の究極に在るものとして示そうとする「具体秩序」がいかなるものであるかは、かれの論述からは必ずしも明瞭には理解され得ない。規範主義すなわち「規則または法律の思考」に対する批判や、決定主義すなわち「決定の思考」についての論述は、きわめて生彩に富んでいるが、「具体的秩序および形成の思考」の内容に関しては、シュミットは単に学説史に現れたその種の理論を簡単に跡づけているだけであって、自説の積極的な展開は与えておらない。ただ、大よそそれと推測されるところをまとめていうならば、具体秩序とは共同体の生活に内在する自然の秩序であり、その名の通り、具体的な生活秩序である。具体的な秩序とは、抽象的な規則や規範によっては実現され得ず、また、それから汲み取ることもできない、生きた共同体の秩序という意味であろう。シュミットは、指導とか忠誠とか信従とか紀律とか名誉とかいうような概念は、共同体の具体秩序からのみ理解することができると説いている。だから、家の名誉という観念によって結ばれた家族の内部秩序、親と子の指導と信従の関係、夫と妻の忠誠と協力の関係というようなものが、その実例となるのであろう。あるいは、プロイセン軍隊の名誉と紀律というがごときのものも、シュミットの考えている共同体の具体秩序の発露なのである。フランスでは、オオリウがその国特有の行政制度をば固有の法則と内部規律とにしたがう渾然たる統一体として考察した。このオオリウの「制度」(institution)の理論も、シュミットが具体秩序思想の典型として高く評価するところである。しかし、もとより、シュミットは、具体秩序の思想をば主としてドイツ的な法思想として叙述している。そうして、その意図が、指導と信従、忠誠と紀律によって結合されていたと誇称するナチス・ドイツの民族共同体の内部秩序に、卓越した意味と価値を賦与しようとするに在ることは、疑いを容れない。こういう考え方を、別に、「形成の思考」(Gestaltungsdenken)という言葉でいい現しているのは、さような具体秩序が一切の法組織を「形成する」(gestalten)力をもつという意味であろう。そうであるとすれば、共同体の内面的な生活秩序は、正にすべての法制度の「究極に在るもの」である。シュミットは、抽象的な規範が法の根本であるとする思想、および、実力による決定が法の淵源を成すという思想をともに排斥して、共同体の具体秩序の内面的な形成力をば、「法の究極に在るもの」として示そうと試みたのである。

62007 シュミットの具体秩序の理論は、法の内容から生活の潤いとか情藻の深さとかいうものをすべて捨象してしまう規範論理主義や、赤裸々な力の抗争と力の勝利とを以て法を動かす最後のものと見る実力決定主義に対して、法のもつ醇風美俗的な要素を力説している点に特色がある。こうした観点から眺めるならば、国家の法も特殊の共同体の特殊の秩序として理解され、特にその伝統的な道徳の面が強調されることになるであろう。論理を以て割り切ることのできない法の特殊性に対する牧歌的な讃美が、この理論の中に深く漂っているのである。国内法の究極にさような民族独自の生活の在り方というようなものが存することは、決して否定できない。また、いかに合理主義・普遍主義の世の中になっても、法にそうした一面のあることは、決して否定されるべきではない。

62008 しかしながら、他面から論ずるならば、民族固有の法の特殊性にのみ執着するかような理論は、徒らに懐古的であって進歩性に乏しい。指導・信従・忠誠といったような法概念は、多分に身分的な概念であり、封建的な思想を含んでいる。それは、「閉ざされた」社会の内部の結束を固めるには適しているが、「開かれた」世界への展望を妨げる大きな障壁となる。そこに民族独善主義の弊害が胚胎し、人間の理性を無視する固陋な精神が蟠居するのである。まして、そういう法思想を高くかかげる真意が、或る特定の民族の選民意識をあおり立て、国家の内部組織を軍隊的に編成し、強力な独裁権力によって民族の利己主義を貫こうとするに在るならば、それは、法の名を借りて政治の恣意を遂げようとする悪質の謀略であるといわなければならない。さような政治は、もとより「政治の矩」にかなうものではない。政治の矩にかなわぬ政治が民族の運命を最も悲惨な破局に導くことは、ナチス・ドイツの没落が最も雄辯に物語っている。日本の運命もまた、不幸にしてこれに近いものであった。法の特殊性は重んぜられるべきであるが、それ以上に法は普遍の理念に立脚せねばならぬ。普遍の理念に立脚しつつ、これに民族生活の特殊性を加味し、普遍と特殊、合理性と非合理性の調和を図って行くのが、国内法の正しい在り方である。それが、国内政治の矩であり、国内法の究極に在るものである。それでは、国内法を貫く普遍の理念とはいかなるものであるか、それは、いかなる点で民族生活の特殊性と調和することができるか。それを次に検討して行く必要がある。

62009 参考:ラレンツ(Karl Larenz)は、シュミットのこの転向をば次のように述べている。「決定論は、かれにとっては決して終局の立場ではなく、『具体的秩序および形成の思考』へ移って行く途上の通過点を意味したにすぎなかった。シュミットは、法学的思考の三形態についてのかれの著書の中で、この具体的秩序および形成の思考をば規範主義とも決定主義とも対立せしめている。この著書では、かれはこれら二つの主義をばともに実証主義の形式と見ているのである。人間の共同体および人間の団體、例えば、民族や軍隊の具体秩序は、規範や決定よりももっと根源的である。これらの秩序は、明示された命令や記述された指示というようなものを用いないで、共同生活ならびに共同生活に内在する具体的な要求の中から発達して来るのである。共同体の現実の精神や共同体の固有の生活法則および形成法則は、かような秩序に中にその姿を現すのである」

 

3 国内法の普遍理念

63001 法は人間共同生活の秩序の原理である。しかるに、人間の共同生活には特殊性の面と普遍性の面とがある。したがって、これを秩序づける法にも特殊の理念と普遍の理念とがなければならぬ。国民生活の特殊性を反映する。だから、国内法にはその特殊性を尊重する面が含まれていなければならない。しかし、甲の国民、乙の国民も、ともに人間である以上、その共同生活は更に根本において人間の普遍性に立脚する秩序の原理をもたなければならない。人間の共同生活の普遍的な秩序の原理は、人間をすべて人間らしく取りあつかうということである。約言すれば、それは、人間の「平等」である。西洋の法哲学は、アリストテレス以来、平等を以て「正義」であると做した。または、これを「各人にかれのものを」(suum cuique; Jedem das Seine; to each his own)という標語によって示した。中でも、ローマの法学者ウルピアヌス(Ulpianus)は正義を定義して、「各人にかれの権利を頒ち与えようとする恆常・不断の意志」(Justitia est constans et perpetua voluntas jus suum cuique tribuendi)であるとなした。すべての人間に人間たるにふさわしいかれのものを配分するのが、正義であり、平等である。それが、法の普遍理念であり、したがってまた国内法の普遍理念である。

63002 しかしながら、現実の人間は決して平等ではない。人間には智能衆に優れた賢人もあり、無智・蒙昧の愚人もある。博愛・有徳の君子もあり、奸佞・邪悪の人物もある。勤勉・精励の人もあり、放埒・怠惰の遊民もある。これらをおしなべてただ平等に取りあつかうのは、悪平等であって、正義とはいい難い。他面しかし、いかなる人も人である以上、ひとしく生存する権利を有するであろう。全国民を脅かす食糧危機に際し、一人あたり一日に主食の消費量を二合一勺と規制するならば、その平等は原則として文字通り守られるべきであろう。十円の買い物には十円の代金を支払い、百円の債務には百円の弁済を行うのは、何人にとってもひとしい義務であろう。故に、アリストテレスは、かれのいう狭義の正義、すなわち、平等という意味における正義を、二つの種類に分けた。その一つは、人間の価値に応じて、精神上および物質上の高下の別をつけることを正しいとする「配分的正義」(justitia distributiva)である。他の一つは、人によって差別を設けず、全く均等に報償を行うことを正しいとする「平均的正義」(justitia commutativa)である。これを別の言葉で説明するならば、正義は平等であるが、平等とは猫も杓子もただ一様に取りあつかうことではなく、等しいものは等しく、等しくないものは等しくないように待遇することである、といい得るであろう。だから、ラアドブルッフ(Radbruch)は、同様のものは同様に、異なるものは別様に取りあつかうのが平等であり、正義であり、法の理念であるとなしたのである。

63003 ところが、問題はそれで解決するのではなく、むしろそこからはじまるのである。特に問題となるのは、アリストテレスのいわゆる配分的正義である。配分的正義とは、各人に対して、かれにふさわしいかれのものを与えることである。しかし、何が各人にふさわしいかれのものであろうか。ラアドブルッフは、等しいものを等しく、異なるものを異なるように取りあつかうのが、真の平等であるというが、何を標準にして人間の価値の差等を定めるべきであろうか。この点を明確に定めないかぎり、正義の内容はいかようにでも解釈できることになる。例えば、国家全体主義の立場からは、国家の元勲が最高の栄典を享け、国家の組織を破壊しようとする革新思想家が最も重く処罰されるのは、正に正義の要求であるということになるであろう。自由競争による優勝劣敗を至当とする見地からは、富豪が豪華な生活を享楽し、失業者が陋屋に飢えているのは、一方はその卓越した経営能力にふさわしく、他方はその怠慢と無能とに応じて、それぞれ彼らしいかれのものが与えられているということになろう。しかし、これらは、その逆の立場から論ずれば、最もはなはだしい不正であるとして非難されなければならない。だから、「各人にかれのものを」といっただけでは、実際には正義の問題は少しも解決されないのである。トウルトウロン(Pierre de Tourtoulon)のいう通り、この言葉は、それだけでは、単に「かれに与えられるべきものはかれに与えられるべきである」という同語反復にすぎないのである。あるいは、ラアドブルッフのいう通り、等しいものを等しく、等しくないものを等しくなく、という原則は、人間存在の価値を個人に置くか、団体に求めるか、文化の建設にありとするかによって、全く異なる結論に導かれるのである。そこで、平等という普遍の理念をかかげても、その内容は世界観・目的観の相違によって全く相対化されてしまうことを免れ難い。

63004 しかしながら、少くとも経済生活上の配分に関するかぎり、平等の理念はむしろ人によって価値の差別をつけない「平均的正義」に接近して行くべきであろう。人の能力・賢愚・勤怠による精神上の待遇や社会組織上の地位は、「配分的正義」によって区別されるのが至当であるが、その区別を財貨の配分に及ぼして、経済生活に過当な貧富の懸隔を生ぜしめることは、理念的な根拠を缺くといわなければならない。故に、社会正義は、「乏しきを憂えず、均しからざるを憂う」ることを以て根本とする。それは、能うべくんば、ベンタム(Jeremy Bentham)のいうがごとくに、「最大多数の最大幸福」を実現するにある。「各人がその能力に応じて寄与し、各人がその必要に応じて享有する」というマルクスの理想も、理想そのものとしては根本の精神をこれと異にするものではない。フィヒテは、その『封鎖商業国家論』の中で「理性国家」(Vernunftstaat)の構想を描き、すべての人々に人間らしい生活を保障することをば国家の任務であるとなした。フィヒテによれば、人間の人間らしい生活は、一方では社会のためにする勤労の義務をともない、他方では社会よりする生活の保障を受ける。故に、国家は、少数の者が豊かな生活をすることよりも、まづ、すべての国民に憂いのない生活を確保せしめることを配慮すべきである。なぜならば、すべての人間は、人間として快適な生活を送ることについて同等の権利を有する。そうして、この権利にもとづき、国民のすべてに「かれのもの」を与えるのが、国家の使命だからである。しかも、人間の人間らしい生活は、単に勤労を以て経済上の生活の保障を購うというだけで足りるものではない。人が終日生活のために働いて、そのまま疲れて眠り、翌日もまた同じ重荷を負うて同じ労働をくりかえすというのは、駄馬の生活と異ならない。人間は、いかなる勤務の生活の中においても、仰いで青空を眺め得る余裕をもたなければならぬ。ここにいう青空とは、精神の蒼空であり、文化の教養である。各人にかれのものを与える正義は、経済上の財貨の公正な配分にかぎられてはならない。人々は、何らの生活の不安もなく、すべて喜びを以て勤労に従事し、しかもその間に文化の蒼空を仰ぐ権利をもたなければならない。フィヒテは、かような人間共同生活の正しいあり方は、国家においてのみ可能であるとなした。誠に、国家の法の目的は、かような正しい共同生活秩序の建設に求められなければならぬ。それが、公共の福祉であり、国内法の普遍理念としての正義に外ならぬ。

63005 各人に対して人間としての人間らしい生活を保障することを法の目的と見るのは、「個人主義」である。しかしながら、各人がその能力に応じた勤労を以て共同体の公共の福祉に貢献する義務を負うと考えるのは、「団体主義」である。更に、すべての人間が仰いで心の糧とすべき高き文化の蒼空を築くというのは、「文化主義」である。ラアドブルッフは、個人主義と団体主義と文化主義とは、互に相反撥する三つの異質の法目的であると説いた。そうして、そのいずれを採るかは、法哲学によって絶対的には決定し得ぬ問題であるとして、相対主義に帰依した。

63006 なるほど、個人を絶対の価値として、団体をその単なる手段と考える個人主義と、団体を絶対の権威として、個人にあくまでも犠牲を要求する団体主義とは、互に相容れ得ないであろう。けれども、個人の生活の保障は、単なる個人主義によっては確立され得ない。ベンタムのいわゆる「最大多数の最大幸福」の理想も、国家の統制をできるだけ排除しようとする方法論上の個人主義、自由主義と不可分に結びついたがために、第十九世紀後半のイギリスにおいて、すでに大きな行きづまりに逢著した。今日の社会経済の段階においては、国家の権力を強化し、全体の計畫と見通しとを以て大規模な企業と公正な配分を行って行くのでなければ、万人に対して幸福の享有を保障することは不可能である。その反面、共同体の発展がすべての個人の暢達なる活動によってのみ基礎づけられ得るものであることは、もとよりいうをまたない。故に、個人主義と団体主義とは反撥するものではなくて、互に調和すべきものである。更に、文化の建設は、主として個人の創意・創造によるものではあるが、さればといって、国民の全体としての文化水準が高まって行かないかぎり、高い文化は決して生れて来ない。自然に飛躍がないのと同じように、文化にも飛躍はあり得ない。しかも、文化は、創造された文化価値としては普遍の意味をもつが、文化を創造する力は深く共同体の特殊性に根ざしている。文学は、イギリス文学であるが故に世界の文学であり、音楽は、ドイツ音楽であるが故に人類の音楽である。共同体の特殊性を忘却した国家は、文化国家にはなり得ない。故に、文化主義もまた個人主義および団体主義と調和するものでなければならぬ。個人か、団体か、文化か、と問うのは相対主義であるが、個人も団体も文化も共に栄えるのは、法の絶対の理念である。

63007 すべての人間に人間らしい生活を保障するのは、法の普遍の理念である。しかし、法の普遍理念の中には。文化の創造とその普及という不可缺の項目が含まれている。しかるに、いま述べたように、文化の創造力は国民精神の特殊性の中に深く根ざしているのである。故に、国民生活の特殊性を無視するような普遍主義は、かえって法の理念の普遍性と相反することになろう。法は、普遍の理念に立脚しつつ、しかも国民共同体の特殊の精神を尊重しなければならない。国内法の普遍理念が国民共同体特殊性の要求と調和することを必要とする所以は、特に法における文化主義の立場から力説されなければならない。

63008 国内法は、かような理念によって作られ、かような理念にかなうように動かされて行かなければならぬ。そうして、かような理念によって法を作り、法を動かして行く原動力となるものは、政治である。法において個人主義と団体主義と文化主義とを綜合し、普遍の理念と特殊の要求とを調和せしめて行くというのは、「政治の矩」である。ところで、政治が現実の力となって法の上に作用して行くとき、過去の政治によって作られた法が新たな政治とともに動くことを肯んじない場合には、法と政治との間の衝突が起る。その衝突が激化すれば、政治の力が法を破ることにもなる。しかし、法には、「正義」の理念と並んで、共同生活の秩序の「安定」を保つという重要な理念がある。学者の中には、正義よりもむしろ安定の理念を以て重しとする者さえ少くない。したがって、政治がその力によって法を破り、秩序の安定を犠牲にして社会の改革を断行するのは、真によくよくの場合でなければならない。少くとも、政治が「政治の矩」にかなった正しい力であること、法が法の理念を裏切る腐敗した秩序と化していること、そうして、法を破るにあらずんば正義・公平の共同生活を実現する道が全くないということは、最後の場合において「法を破る力」を是認し得る絶対の条件でなければならない。まして、「政治の矩」にかなわぬ力が、矯激な理念をかかげ、焦燥の目的にかられ、欺瞞の横車を押して法を破砕するがごときは、断じて許すべからざる無法として排斥されなければならない。政治の妙諦は、法の秩序性を尊重し、破壊の犠牲を避けつつ、個人と国家と文化の調和を実現して行くところにこそある。

63009 かくいうとき、マルクス主義は、さような秩序論こそ、ブルジョアジーの支配機構の卑怯な延命策を講ずる「階級的」イデオロギーであると攻撃するであろう。しかし、平等の世界を実現するためには、法との一切の妥協を排して革命の一路に邁進すべきであるというマルクス主義の政治観は、人間の調和性を無視する、憎悪に満ちた反ブルジョアジーの「階級的」イデオロギーである。あらゆる階級的差別を超越するところの「政治の矩」は、万人の福祉を護るために、あくまでも平等の理念と秩序の要求との調和を求めて行かなければならない。個人主義と団体主義と文化主義の調和、普遍主義と特殊主義の調和、進歩性と安定性の調和、ーーまことに、プラトンの説いたように、「調和」こそ政治の高き矩であり、「法の究極に在るもの」であるといわなければならない。

63010 参考1:「実利」(utility)を以て道徳や立法の最高目的とするベンタム(Jeremy Bentham)の思想に関しては、これまで理想主義哲学の立場から手厳しい非難が加えられて来た。実利とか幸福とかいうようなことを人生の目的とするのは、結局一つの物質的な快楽主義にすぎないというのが、その非難の第一である。また、よしんば幸福が人生の目的であり、したがって道徳や立法の標準であるにしても、幸福は人によってその性質を異にするものである。学問や芸術に悟入する人々の純粋に精神的な幸福と、酒池肉林の歓楽を追う徒輩の純粋に物質的な幸福とは、全然その種類が違うのである。したがって、これを量によって測ったり、比較したりすることはできない。しかるに、ベンタムは幸福をばすべて量の大きさに還元して、最大多数の最大幸福などという標語をかかげるのは、人間の高貴な精神に対する冒涜であるというのが、その非難の第二である。これらの非難にも、もとより理由がある。しかし、ベンタムは単なる「最大幸福」を人生の理想としたのではなく、法も道徳も、人生の幸福が「最大多数」に頒たれることを目標としなければならないと説いたのである。すべての人間ができるだけ幸福になること、それは一見すこぶる卑俗・卑近であるように見えて、実はきわめて高い社会の理想であるといわなければならない。幸福のはなはだしい不均等こそ、否、栄華と貧窮の不合理きわまる対立こそ、社会生活のあらゆる怨恨・闘争の淵源をなしている。まづ、この不均等を是正し、万人ができるだけ平均した福祉を享有し得るように配慮しつつ、その上に道徳や学問や文化の華を咲かせて行くことは、法や政治の永遠の目的であるといっても過言ではない。ただし、ベンタムがこの目的を達成する方法として自由主義を採ったことに対する批判は、これとは全く別個の問題である。

63011 参考2:なお、ラアドブルッフは、文化主義といわずに「超人格主義」という言葉を用い、これを「個人主義」および「超個人主義」と対立させている。超個人主義というのは、個人を超越する団体に価値の中心を置く世界観であり、すなわち団体主義である。超人格主義というのは、個人をも団体をも超越した文化の建設に究極の目的を求める世界観であり、すなわち文化主義である。

63012 参考3:例えば、リウメリンは、「不法によって成立した新たな秩序も、全く秩序のないよりは優っている」といい、ラアドブルッフは、「正義は法の第二の大きな任務である。しかし、その第一の任務は法的安定性であり、平和であり、秩序である」と説いている。

 

4 公共の福祉と国民の総意

64001 国民のすべてが、その国家の置かれた具体的な諸条件の下で、できるだけ人間らしい生活を営み、勤労と平安の毎日を送り、しかも、仰いで文化の蒼空からの心の糧を得るということは、一言にしていうならば「公共の福祉」である。それが国内法の究極にある理念である。ところで、この理念は、まづ第一には政治を媒介として現実と結びつく。国家権力の公正な行使によって、この理念の実現に力めるということは、政治の則るべき普遍の矩である。しかるに、政治を通じてこの理念を現実化して行くためには、第二に経済の組織を整備し、生産力の向上を図らなければならない。生産力の向上に最も適するのは、資本主義の下に発達した大企業の形態である。ところで、大企業の形態から私益性とか搾取性とかいうような弊害を除いて、公共の管理・経営の下に充分な生産の能率を挙げるためには、経営者および労務者の責任・奉仕・誠実・勤勉の精神による協力が何よりも大切である。すなわち、公共の福祉の実現は、第三に健実な道徳の普及を必要とする。故に、公共の福祉という法の理念は、その中に政治・経済・道徳、さらにすすんでは文化・技術・衛生、等の多様な目的を含み、それらの諸目的の不断の調和を求める。ここでも、法は政治・経済・道徳・文化・技術、等の目的体系の調和をば、その根本の任務とし、精神とするのである。

64002 公共の福祉という理念の下にこれらの目的を実現して行くにあたって、主動的な役割を演ずるものは、政治である。政治は、経済の目的、道徳の目的、文化の目的、技術の目的、等を規範化して法となし、法を通じて国民生活を統合・規制するという政治本来の目的活動を営む。故に、政治は法を作る力である。国家の政治力によって作られた法規範の統一態が、国内法である。したがって、法と政治との関係は、二つの段階に分けて考えられなければならない。すなわち、一般の段階についていえば、法は政治によって作られる。また、法は政治によって動かされる。場合によっては、法が政治によって破られることもある。しかしながら、それであるからといって、政治は思うがままに法を左右する専主であり、法は政治によって意のままに動かされると考えてはならない。なぜならば、更に根本の段階に遡って見ると、法を作り、法を動かす政治の力は、公共の福祉の実現という法の究極の理念によって規定されている。この理念は、政治の矩であり、政治に対する制約者である。だから、法は政治によって動かされるが、政治を通じて法を動かす最後のものは、政治ではなくて、やはり法である。法が政治を媒介として法を作り、法を動かし、やむを得ぬ場合には、派生的な法を破っても法の根本の筋道を通そうとするのである。

64003 この関係は、一方からいえば、理念の関係である。現実の政治が法の理念によって制約される関係である。しかるに、理念は必ずしも現実と一致するものではないから、法と政治の現実の関係は、もとより常に理念の関係の通りになるとはかぎらない。すなわち、現実には、政治の矩にかなわぬ力が働いて、法を作り、法を動かすことがあり得る。法の理念にさからう暴逆の政治が行われて、公共の福祉を蹂躙することもあり得る。しかし、さような政治は、決して永つづきしない。したがって、やがて歴史の審判を受けて王座から転落する。そうして、政治がその矩にかなうように法の軌道の上に引き戻される。だから、この関係は、他方から見ればやはり現実の関係である。現実に内在する法の理念が、意馬心猿に狂おうとする政治の手綱を引きしめ、引き戻しつつ、政治の力によって公共の福祉を実現しようとしてやまないのが、法と政治の実相であるということができるであろう。

64004 それであるから、法の理念は、いづれにせよ政治の力を媒介としないでは現実との結びつきをもち得ない。しかるに、政治の力は、理念によって方向づけられた現実人の現実意欲の力であり、現実人の現実行動の力である。それも、一人の意欲や少数者の行動ではなく、国民大衆の意思力であり、国民大衆の行動力である。だから、政治が法を作り、法を動かすということは、具体的にいえば、国民大衆の意志が法を作り、国民大衆の行動が法を動かすということなのである。

64005 勿論、立法の観念は、時代によって色々な変遷を経て来た。或る時代には、「神の意志」が法を作るという風に考えられたこともあった。しかし、神の意志は信仰の世界にのみある。現実には、そういう時代においても、特定の人が神の名の下に法を作っていたのである。その人は、多くの場合、地上の権力者、すなわち君主であったであろう。だから、次の時代には「君主の意志」が法を作るという風に考えられた。けれども、君意によって作られた法といえども、国民がこれを尊び、これに遵う意志をもたなければ、法としての效力を発揮することはできない。そうして、效力のない法は法ではないのである。したがって、神意法・君意法の行われていた時代にも、実際に法を作る力は、国民大衆の意志に存したといわなければならない。その関係を明確に自覚した政治の形態が、民主主義である。民主主義の時代になれば、法は名実ともに「国民の意志」によって作られるということになる。国民の意志といっても、国民の一部の意志、少数の意志であってはならないという意味で、それは「国民の総意」と呼ばれる。故に、政治の力によって法を作り、法を動かすということは、結局、「国民の総意」によって法を作り、法を動かすということに外ならない。

64006 それでは、国民の総意とは一体いかなるものであろうか。文字通りに解すれば、それは「国民すべての意志」ということである。国民の意志は、国民の一部の意志、少数の意志であってはならないという意味から考えても、国民の総意という言葉は、そう解釈されるのが当然なのである。しかしながら、現実をよく分析して見ると、国民すべての意志が合致する場合は、ほとんど皆無といってよい。国民の間に利害関係が複雑に対立・錯綜している現代においては、殊にしかりである、それでは、国民の総意とは、「国民多数の意志」ということであろうか。なるほど、国民の多数ということであれば、その意志が大体として一致するということは、確かにあり得る。けれども、現実の立法の過程を見ると、法を作る場合にいつも国民の多数がこれに同意しているかどうかは、はなはだ疑わしい。なぜならば、今日の大部分の民主国家は、間接民主主義を採用している。すなわち、国民を代表する議会を設けて、議会が立法の作用を掌っている。直接民主主義の制度が用いられることもあるが、それは、例えば、憲法改正のような特に重要な場合にかぎられているのが普通である。したがって、多くの立法は、議会の多数決を以て行われる。しかるに、議会の多数は、国民全体から見ればきわめて少数である。議会が国民の政治動向から遊離しているような場合には、さような少数の決定が、少数の意志であるにもかかわらず「国民の総意」であるとされ、それが立法意志を構成することになるのである。して見れば、国民の総意とは国民多数の意志であるということも、決して一概にはいわれ得ない。

64007 故に、国民の総意とは、国民すべての意志もしくは国民多数の意志であると考えるのは、多くの場合において一つの「擬制」(みなし)なのである。あるいは、法を作るところの国民の総意は、国民すべての意志、少くとも国民多数の意志でなければならないという一つの「理念」なのである。国民は、法というものは正しくなければならないと考えている。正しくない法を作ろうとする者、法は正しくない方がよいと考える者は、少数の例外を除いてはあり得ないであろう。だから、すべての国民は正しい法を作ろうとする意志をもっているといって差しつかえない。正しい法とは、国民公共の福祉を実現するところの法である、国民の総意とは、さような正しい法を作り出そうとする国民すべての立法意志の「理念」である。「正しい立法意志」の理念、それが国民の総意なのである。かようにして、法の理念を現実化する橋渡しの役割を得んずべき筈の国民の総意は、ここでふたたび理念の世界に引き戻されることになる。

64008 国民の総意という概念が「正しい立法意志」の理念を意味することは、ルソーによって極めて明瞭に説かれた。本書の第一章に述べたところとの重複をかえりみずに、ルソーの理論を重ねて要約するならば、法は国民の「総意」(volonté générale)によって作られなければならない。むしろ、国民の総意が法でなければならない。なぜならば、国民の総意のみが、国家制度の目的たる「公共の福祉」(bien commun)にしたがって国家の権力を方向づけ得るからである。故に、国民の総意は常に正しい。国民の総意は、常に公共の利益を目ざしている。だから、国民の総意には過誤というものはあり得ない。これに反して、個々の国民の「特殊意志」(volonté particulière)は、個人の利益を目ざしている。したがって、特殊意志には過誤もあるし、不正もある。よしんば、国民すべての意志が偶然に合致したとしても、それは、単なる特殊意志の総計にすぎない。故に、「国民すべての意志」(volonté de tous)といえども、国民の総意とは非常に違ったものであることがあり得るのである。例えば、国民の精神が堕落して奴隷根性となり、権力者の権勢を怖れ、もしくはこれに阿諛して、権力者の提案に満場一致の喝采を送るような場合には、そこに成立した国民すべての意志は、およそ公共の福祉とは正反対の恥ずべき感情の合致にすぎない。しからば、そのような場合には、国民の総意もまた腐敗し、破壊されているのであろうか。否、国民の総意は、いかなる場合にも恆常・不易であり、純粋である。ただ、国民の総意と相反する意志が勢力を占めて、国民の総意を圧倒しているだけなのである。ーールソーによってかように説かれているところのヴォロンテ・ジュネラアルとは、明らかに現実の意志ではなく、「正しい立法意志」の理念である。そうして、さようなものとしてはじめて、国民の総意は、国法学上その置かるべき正当な位置に置かれたことになり得るのである。

64009 しかしながら、国民の総意が、常に公共の福祉を目ざすところの正しい立法意志の「理念」であるということになると、問題は、ふたたびもとに戻って、いかにすればさような正しい立法意志の「理念」をば「現実」の中に移して行くことができるか、ということが問われなければならなくなって来る。いいかえると、国民の総意を現実に把握して、法の理念を実定法の中に盛り上げて行くには、一体どうしたらよいかが問題となって来る。これは、国内法の究極に在るものを、政治を通じて実定法の中に実現して行く方法如何の問題ーーおよそ民主主義の政治原理の最も重要な、また最も困難な問題ーーとして、次に改めて考察されなければならない。

 

5 国民の総意を把握する方法

65001 国民の総意は、常に公共の福祉を目ざすところの正しい立法意志の理念であるとすれば、これを現実に政治的に把握するには、いかなる方法を用いればよいか。この重大な、そうして困難な問題に対しては、二つの対立する答えが与えられ得る。その第一は、国民の中で最も聡明な人の意志をば国民の総意とすべきである、という答えである。これに対して、その第二は、国民の間の多数意見、特に国民を代表する立法機関の中での多数決を以て国民の総意とすべし、という主張である。しかも、互に矛盾するこれらふたつの解答が導き出される可能性は、すでにルソーの理論の中に含まれているのである。

65002 いま述べた通り、ルソーは、よしんば国民のすべての意志が一致した場合といえども、それが必ずしも公共の福祉にかなうとはいい得ないこと、したがって、国民すべての意志と国民の総意との間には往々にして大きなへだたりがあること、を主張した。ここからまづ出て来るのは、第一の解答である。すなわち、国民全部の一致した意志ですら正しくない場合があるとすれば、国民の多数の意志がそれにもまして過誤に陥り易いことは当然であるといわなければならない。多数の意見が間違っていることもある。衆愚万民の判断に対して、少数の思慮深い人々の考え方が正しいこともある。むしろ、真の洞察力を備えたただ一人の偉人の見通しが、最も正確に当たっているといわなければならないことになる。ルソーの理論からいえば、そのただ一人の意志が最も公共の福祉にかなっているならば、それを以て国民の総意として、これとは反対意見の他のすべての国民をもこれに服従せしめるのが正しいということにならざるを得ない。ルソーによれば、国民の総意は常に正しいのである。したがって、国民の総意を以て法と定めた以上、国民をこれに絶対にしたがわせしめるのが正しいのである。この理論をつきつめて行くと、自由主義的な民主主義とは正反対の一種の国権絶対主義に帰著する。デュギイがこの点を鋭く批判して、ルソーは決して人権宣言の先駆者ではなく、むしろ逆に、人間をば国家の絶対命令の下に隷属せしめるジャコバン的専制主義の鼓吹者であると論じたことは、前にも述べた。しかし、もしも実際に或る一人の意志が常に絶対に正しく、大衆の意志は常に迷妄であるとするならば、専制主義の方が正しい政治の方式であるということになっても、不思議ではないといわなければならない。

65003 多数の意見が多数なるが故に正しいとはいい得ないことは、政治哲学上の真理でもあるし、政治の経験の教える事実でもある。デマゴーグの宣伝に乗せられた国民大衆の雷同、群衆心理に駆られた社会一般の軽はずみな世論は、数を恃んで道理を圧倒する恐るべき力である。これによって国家の大事を謬り、あとになって悪夢に踊らされたわれとわが身を悔いても、もはや及ばないのである。それよりも、一人の叡智、少数の明晰に信頼し、これに随順・協力するのが、最も正しい政治のあり方であるというのは、充分に理由のあることといはなければならない。プラトンの哲人政治の理想は、こうした政治の方式に最も高い理念的表現を与えたのである。

65004 しかしながら、この政治の方式は、理想としては誠に理由のあることではあるけれども、理想は、悲しいかなあくまでも理想であって、現実ではない。かような政治の方法を現実に移せば、「独裁主義」になる。ナチスの独裁主義も、或る意味では、プラトンの理想国家を範とするものであったといえないことはない。しかし、それは所詮、鵜の真似をする鳥、水に溺るるの類たるを免れなかった。なぜならば、独裁主義は単一の指導者に絶対の権威と権力を与え、その独裁者の意志を以て法となし、国民をこれに無批判に追随せしめようとする。けれども、独裁者がいかなる政治上の天才であったとしても、人間である以上はその判断に謬りがあることを免れない。しかるに、独裁者の命令にも謬りがあり得るということになっては、その権威の絶対性は、もはや保たれない。だから、独裁政治は、すべての過失や失敗を無理に蔽い隠そうとする。そうして、国民の眼を他に転じせしめるために、成功の上に更に輝かしい成功を積み重ねて行こうとする。その結果、無理に無理を重ねることとなって、遂に収拾することのできない破局に突入するにいたるのである。故に、多数の意見必ずしも正しからず、一人の明察むしろ金的を貫くということは、確かに道理ではあるけれども、それであるからといって独裁政治を是認することは、絶対に避けなければならない。いいかえるならば、常に正しかるべき立法意志の理念を現実に把握する方法は、決して独裁主義であってはならない。

65005 そうなると、正しい立法意志に理念を現実にキャッチするには、第二の「多数決」の方法により外はないということになる。多数の決するところを以て国民の総意とするというのは、「民主主義」の政治方式である。それは、法および政治の決定を一人の明晰に委ぬべしとする独裁主義の政治原理とは、正に対蹠の位置に立つのである。ところで、一方では、デュギイのいう通り独裁主義・国権絶対主義にきわめて有力な論拠を与えたとも見られるルソーは、他方では、なおかつやはり多数決の原理を支持する民主主義者であった。しかも、国民代表制度を排斥するところの直接民主主義者であった。ルソーによると、国民のもつ主権は譲渡できないし、代表もされ得ない。だから、国民の意志は直接の投票によって表明されなければならない。しかし、その場合には、全員の一致ということは必要でない。全員一致を必要とするのは、国家の存立を基礎づける「原始契約」(contrat primitif)だけである。その他の場合は、多数の意見を以て事を決する。すなわち、そこでは、国民の総意は多数意見の中に示されるということが前提とされているのである。したがって、少数意見の者は。自己の信ずるところが国民の総意であると考えても、それは実はそうではなかったということが投票の結果に現れるのである。故に、人は多数の決定によって拘束されなければならない。ルソーは、かように説いて、国民投票制と多数決原理とを是認した。つまり、かれは、一方では国民すべての意志といえども国民の総意とするに足りない場合があることを認めながら、他方では多数の意見を以て国民の総意と見做そうとしたのである。いいかえると、ルソーは、いかにすれば国民の総意を現実にキャッチし得るかという問題について、矛盾した二つの答えを与え、自らその矛盾の中に佇んでいたということができるであろう。

65006 これは、要するに、理念と現実との間に存する避くべからざる矛盾なのである。常に正しい立法意志の理念たる国民の総意は、多数決によっては現実化され得ない場合があるということは、理念と現実とが合致しないかぎり当然のことなのである。しかし、それにもかかわらず、立法の必要上何らかの方法によって、その都度国民の総意を現実に作り上げていかなければならぬ。そのためには、一人の叡智と明晰とによって国民の総意を把握する方法の方が、理念を如実に現実に移しえる公算が大きいかも知れない。しかし、この方法は、一たび間違えば取り返しのつかない悲運の淵に国民を突き落とすことになる。そこで、次善の方法として、多数の意見をば現実の国民の総意とする外に手はないのである。この方法によると色々な弊害が生ずる虞れがあることは、いかなる民主主義の讃美者といえども認めない訳には行かない。しかし、多数決の結果というものは、絶えず国民の批判の眼の前に置かれているから、弊害が生じてもこれを是正して行くことができる。一つの立法方針を多数決によって採択して見て、それが失敗であることがわかれば、国民は自らにして反対の方針を多数で支持することになるから、失敗の結果が拡大する前にこれを矯正する機会が与えられる。かように、何遍でもやり直しの利く点が民主主義の長所であり、その強みである。独裁主義は、最初から一つの方針のみを正しいと決めてかかる絶対主義であるが、民主主義は、人間の知性を以てしては絶対の正しさを常に間違いなくとらえることはできないという謙譲な態度に立脚する。したがって、その立場は、相対主義的である。相対主義的な弾力のある態度で、理念をおもむろに現実の上に移して行くための不断の努力をつづけるというのが、民主政治の性格に外ならない。

65007 この、民主政治の相対主義的な性格は、議会制度の運用の上に最もよく現れている。前に述べたように、ルソーは議会による国民代表制度を否定し、国民の投票によって立法方針を決定する直接民主主義を提唱した。これは、民主主義としては徹底した行き方であるが、具体的な立法を一々国民投票によって行うことは、厖大な人口を擁する近代国家では技術上不可能である。また、高度に専門化した知識を必要とする今日の立法を、一般大衆の直接の投票で決めるということは、実質上も不適当である。だから、現代の民主国家では、原則として国民代表制度を採用し、これに多数決原理を組み合せて、議会の多数意見の帰著するところを以て法とするという方法を実行している。その場合、人の信念によっていくつかの政策が分岐・対立するのは当然であるから、議会に中にそれに応じたいくつかの政党が生ずる。そうして、政党の勢力は、国民が総選挙の際にどこまでこれを支持するかによって、絶えず消長する。それらの政党が、互に意見をたたかわした上で、多数決で立法の内容を定める。ただに立法の内容を多数決で定めるばかりでなく、法の執行を掌る政府もまた、議会の多数派を基礎として組織される。かような政党政治は、一つの政治方針だけを絶対に正しいとする態度とは全く相容れない。色々と異なる政治の方針にそれぞれ理由を認めつつ、その時々の実際の決定と運用とは「数」の赴くところにしたがうというのが、議会中心的民主政治の根本の精神である。その精神は正に相対主義である。かような議会中心的民主政治のもつ相対主義の性格は、ラアドブルッフの法哲学、特にその法哲学的政党論によって最も優れた解明と、最も深い理由づけとを与えられた。

65008 議会中心の民主政治が、数の赴くところにしたがって弾力性と融通性とに富む立法および行政を行うということは、人間の共同生活に時代の進展に応ずる可変・可動の秩序を与えるに適している。しかしながら、可変・可動の秩序の原理も、行きすぎれば国政を無定見・無方針のままに放任するということになる。かぎられた人間の知性を以てしては、その判断の絶対の正しさを僭称することはできないというのは、相対主義のもつ美しい謙抑性である。けれども、それも度をすごせば信念の一貫性を缺くところの機会主義・日和見主義となる。多数の赴くところとあれば、いかなる政治動向をも選ぶところなく議会の王座に招じ入れるというのは、財寶の持主でありさえすれば、源平藤橘四姓の人と契ることをはばからない娼婦的態度である。なるほど、具体的な場合に何を正しいとするかは、時代とともに変化するであろう。同じ時代、同じ場合に、どうするのが一番正しいかは、人間の知恵では測り得ないことが多いであろう。しかし、その中にも、どれか一つは必ず正しい道がある筈なのである。これをとらえようとする目標と努力を失って、多数の赴くところへの追随をこれこととするというのは、民主政治の陥る最も忌むべき堕落である。人が独裁政治への誘惑に強く心を惹かれるのは、民主政治が健全な相対主義から、腐敗した娼婦主義に堕落した場合なのである。このおそるべき堕落を防ぐには、どうすればよいか。

65009 それには、民主主義の政治決定を左右する「数」の契機をば、内容の如何にかかわらない、単なる「数」のままに放任して置かないで、その「質」を不断に向上させ、多数で決定したことができるだけ正しい立法意志の理念に合致するように仕向けて行くより外に道はない。国民が常に政治道徳と政治上の知性とを磨き、最も優れた代表者を選んで議会に送るように力めること、ならびに、優れた国民代表によって組織された議会において、公明・溌剌・真摯な論議が行われ、同一案件を前後左右から検討して公正・的確な結論を生み出すべき不断の精進が行われること、それを措いて現実の立法意志を理念としての国民の総意に接近せしめて行く方法はない。秩序の現状にあきたらない政治力が爆発して法を破るというような不祥事を防止する道も、ひとりただここのみに存する。

65010 これは、民主政治を通じて法の理念を秩序の現実の上に生かして行くための、普遍の方針である。しかし、この方針を各々の実在国家に適用して行くにあたっては、国家および国民生活の特殊性というものが充分に顧慮せられなければならない。中でも、日本の国の国柄がもつ最も大きな特殊性は、国民が天皇を中心として統合して来たという事実である。この特殊の事実は、よい面をもつとともに悪い作用をもともなった。特に、最近においては、天皇の尊厳性が理非を絶して強調されたために、天皇の名においてなされることは、その内容の正邪にかかわらず絶対の意味をもつということになり、そこを利用して人間の理性を蹂躙するような一種の独裁政治が横行した。しかしながら、日本における天皇の地位はもともと理念的なものである。皇統が「萬世一系」であるというのも、歴代の天皇が「徳を以て民に臨み」給うたというのも、それぞれ一つの理念なのである。それは、きわめて特殊な理念として、今後も日本の国民生活の上に特殊な存在理由をもつであろう。普遍的な正しい政治の矩を天皇の大御心という特殊な形で把握して来たということは、日本民族固有の歴史的伝統として尊重されるべきであろう。ただ、天皇をめぐって現実の政治力が形成されるということは、切角の理念に現実の泥を塗る結果になる。故に、天皇は純粋の理念の具象として、あくまでも現実政治の外に立ち給うべきである。正しい立法意志の理念を現実化して行くという仕事は、どこまでも国民自らの権利と責任とにおいてこれを行うべきである。しかも、力めても力めてもなお十全の現実化を期することのできない正しい政治の理念が、天皇によって象徴せられるということは、民主政治が信念のない数の政治に低落することを防ぐための指標として、深い意味をもつ事柄であるといわなければならぬ。その意味で、普遍なる民主主義の原理と特殊なる天皇制との綜合・調和の中に、日本の「国内法の究極に在るもの」を求めることができるであろう。

65011 参考1:「・・・『独裁主義』になる。ナチスの独裁主義も、或る意味では、プラトンの理想国家を範とするものであったといえないことはない」南原繁教授「国家と宗教」一九四二年 の記述の趣旨

65012 参考2:天皇が究極・絶対の権威として仰がれたために、国民の人間としての価値が天皇からの距離によって測られることになり、天皇の側近に位置する者が、事の理非にかかわらず、絶対の権力をふるい得たということは、天皇制にともなう重大な現実の弊害であったといはなければならない。丸山真男助教授「超国家主義の論理と心理」1946年

65013 参考3:「日本における天皇の地位はもともと理念的なものである」高木八尺教授「憲法改正草案に対する私見」1946年

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第七章 国際法の究極に在るもの

 

1 国際社会の法と政治

71001 これまでの考察において主として問題として来たものは、国家内部の現象としての法と政治の関係であった。その結果として、法は一般には政治によって規定せられるが、法を規定する政治の根本には、更に「政治の矩」としての法の理念が存することを明らかにすることができたのである。それでは、この原理を国際社会の法と政治の関係にあてはめて見た場合には、どうなるであろうか。国際法の場合にも、法を作り、法を動かし、法を破るものは、一般には政治の力であるが、法を作り、法を動かし、法を破る国際政治の力についても、その根本に、力を以て抹殺すべからざる「政治の矩」が認められ得るであろうか。それが認められ得るとするならば、その「国際法の究極に在るもの」はいかなる理念であり、いかなる形で国際政治を制約し、いかに国際政治を通じて現実の国際法の上に働きかけて行くのであろうか。

71002 この問題を解きほぐして行くためには、まづ、国際政治の実体を見きわめる必要がある。国内法の究極に在るものを論ずる場合も、法を作り、法を動かし、法を破る政治の実体を明らかにすることが先決問題となった。それと同様に、国際法の究極に在るものをとらえようとする場合にも、その手がかりは国際政治の実体の分析に求められなければならない。元来、政治が主として行われる場所は、国家である。国家は最も典型的な政治社会である。しかし、国家の外にも政治はある。国際社会も一つの政治社会である。ただ、個人を単位として構成された国家と、国家を単位として形作られている国際社会とでは、その政治のあり方に相違が存する。国内政治も国際政治も政治である点に変わりはないが、国際政治には国内政治に見られない特色がある。したがって、国際社会における法と政治の関係の論究は、まづ国際政治の特異性から出発しなければならぬ。

71003 国内の政治は、国家という単一社会の内部現象である。国家は単一の人間共同体であって、その中心には、国家を構成する一般国民の立場とは次元を異にする権力の中枢がある。これを広い意味でーー立法権を掌る議会も含めてーー「政治」と名付けるならば、国家の政治は、政治の指導・統制もしくは支配の下に、国民の力を統合して行われるところの組織的な目的活動である。したがって、国家の政治活動は統一を保つことが容易である。いいかえると、国内政治では、政治の第一の契機たる統一性が優越する。そうした、統一のある政治であるが故に、国内政治は<法を作る力>として充分の機能を発揮することができるのである。勿論、かくいえばとて、国家の内部に対立がない訳では決してない。国民の間にも対立があるし、政治部内にも対立があり得るし、政府と国民の間に険しい対立の生ずることもある。したがって、国内政治は、統一性の契機とならんで政治の第二の契機たる対立性を含んでいる。この対立が激化すれば、法が力によって破られるという結果をも生ずる。政府が憲法によって認められている以上の絶対権を掌握するために、クーデターや国家緊急権によって法を破ることもあるし、国民が革命を起こして政府を倒し、旧憲法を破砕して新憲法を創造することもある。故に、国内政治も法を破る力となって作用する場合があり得るのである。しかし、中央集権の確立されている国家では、政治が対立を克服する統一の作用を発揮し、法を破るよりも法を作る力となって働くのが原則であることは、疑いを容れない。

71004 これに反して、国際社会には、政府と名づけられ得るような権力の中枢がない。国際社会は、多数の国家から成り立っている。そうして、国家には大小・強弱の色々な差別はあるが、それらが形式上はひとしく「主権」を備えた単一体として併存している。国家が主権的な団体であるというのは、国家を超越する次元に国家以上の権力の審級の存在する可能性を認めない、ということである。いいかえると、国際社会には、諸国家の関係を統制するための「国際政府」は存在しないのである。国家は主権的な中核を有する求心的な組織社会であるが、国際社会はさような中核をもたない遠心的な「無政府社会」である。無政府状態という言葉は、無統制・無秩序の混乱状態と同義語に用いられる。国際社会は、決していつも無統制・無秩序の混乱状態に在る訳ではないが、国家の間の勢力の均衡が破れた場合には、いつ実力抗争の修羅場と化するかも知れないという危険を孕んでいる。少くとも、これまでの国際社会の実情はそうであった。したがって、国際政治では、統一性の契機よりも対立性の契機の方が優越している。法を作るという建設面に作用する政治の力よりも、法を破っても実力に物をいわせるという政治動向の方がとかくに支配的となる傾きがある。国際社会において法を破る政治の力が露骨に現れた場合は、「戦争」である。国際法の粗末な檻の中に入れられた戦争が、血のしたたる口を開き、物凄い牙をむき出して、いつ檻を破って現れるかも知れないという脅威の下にさらされて来たところに、国際政治のもつ特異性が存するといわなければならない。

71005 こうした特異性を有する国際政治では、いきおい理念と現実との懸隔が大きくなり易い。勿論、理念と現実との間にはどんな場合にも大なり小なり懸隔がある。政治が高い理念をかかげているとき、政治の現実はこれをしばしば裏切ってはばからないのは、国内政治にもよく見られる現象である。けれども、国際政治では、その度合いが特にはなはだしい。国際社会は、常に戦争の脅威にさらされている。戦争が現実となって現れないときには、不信不義の謀略戦や手練手管の外交戦が展開される。それだけに、人は国際社会について現実からかけ離れた美しい夢を描き易い。ストア学派以来の「世界国家」がそれであり、カントの名とともに人の想起する「永久平和」がそれである。これを夢というのが不適当であるならば、それは崇高な理想であり、永遠の当為(編集者注:まさにあるべきこと)である。しかし、崇高な理想も現実と結びつくと堕落した天使のように馬脚を露わす。永遠の当為も、現実政治の利用するところとなると、不法な行動の口実となる。自国家中心の世界国家論が世界征服の覇道政治となり、真の平和の確立ということが好戦的な国家に対して何よりもの戦争の口実を提供するがごとき、それである。故に、国際社会は政治の表面を粉飾する美しい理念に事缺かない。しかも、理念によって表面を粉飾する極度に利益社会的な外皮が一たび破れれば、露骨な実力闘争の生地を容赦なくむき出すのが、少くともこれまでの国際政治の実相であった。政治の関係は「友と敵との関係」であるというが、国際社会においては、外面の友もまたひそかに爪を研ぐ潜在態の敵であるといわれる。無政府社会たる国際社会に辛くも保たれる秩序は、すべての国家が他の国家にとって狼である間柄に結ばれた仮の契りにすぎないというのが、少くとも今日までの平和観を支配する通念であった。

71006 しかしながら、理念と現実とは一つの輪のように反対の極で結びついている。理念からへだたることの最も遠い現実は、かえってその中に理念を育成する力を蔵している。もっとも容赦なく理念を破壊する現実は、理念を破壊している間に自ら理念に変質する可能性がある。それは、ヘーゲルのいわゆる「理性の狡智」(編集者注:「理性は、それ自身が歴史に入り込むことはなく、個々の人々の活動を通じて、その意図を実現させようとする」の趣旨)であるともいうことができよう。国際政治の中でも、最も理念を無残に蹂躙するものは戦争である。しかし、極限にまで発達した戦争は、遂には戦争そのものを不可能ならしめるであろう。少くとも今日の戦争の規模は、すべての弱小国家の軍備をほとんど無意味なものたらしめつつある。一つ一つの国家がその領土を守るための武装をもつということは、多くの民族にとって気安めとしての意味をももたないものとなりつつある。それと同時に、国際政治の他の現象面たる国際経済は、ますますその規模を拡大して世界経済の段階に到達しようとしている。先進資本主義国家が世界に植民地と市場を求めて行った執拗・強靭な経済進出は、戦争以上に根強い侵略であるといわれたし、事実またそれがしばしば戦争の誘因となった。しかし、かくして開拓された世界経済は、交通・技術の発達と相俟って、世界の面積を著しくせばめ、主権国家の間の政治上の障壁を時代錯誤と感じせしめるほどにまで、国際的相互依存の関係を緊密にならしめるにいたった。しかも、世界経済の上でヘゲモニーを握る国家は、武力の点でも、断然他の水準を引き離した超強大国となりつつある。そうして、さような国家は、すでに世界経済のヘゲモニーを握った以上は、もはや戦争の必要を感ぜず、むしろ、戦争によって世界経済路線が撹乱せられることを最も不利益とする立場にある。すなわち、戦争遂行の最大の実力を有する国家が戦争を必要とせず、むしろ戦争の不利益を最も大きく蒙ることになるのであるから、論理の必然として戦争回避の公算がそれだけ大きくなる訳である。もとより、この推論によって将来の平和に過大の期待をもつことは危険である。けれども、実力の争覇と経済的利益の追求とを推進力として発展して来た国際政治の現実が、現実そのもののなかに理念を現実化する契機を包蔵するにいたったということは、ほぼ確言して差しつかえないであろう。

71007 かような現実は、今日の国際社会が国際法の飛躍的な発達を遂げさせるために、いままでにない好条件を備えていることを物語っている。殊に、第二次の世界大戦は枢軸側の完敗に終わった。先進資本主義国家の世界経済上のヘゲモニーを破ろうとしたドイツおよび日本の企画は、完全に粉砕された。国際連合を中心とする新たな世界平和機構の建設は、著々としてその緒に就こうとしている。カントのいうように、地球上が人類の墓場となることによってのみ永久平和が到来するのか、あるいは、人間の理性が国家の利己主義や闘争心や復讐心を制御して現実の上に理念の花を咲かせる時機が来るのか、世界史の進路を決すべき重大な分岐路にのぞんでいる。国際社会における法と政治の問題が切実な反省を求めていること、現代のごときはいまだかつてなかったといわなければならない。

71008 参考1:カントは、永久平和のための第二の確定条項として国際連盟の組織を提唱しつつも、なおかつ戦争勃発の危険の絶えることがないことを認めて、「その中では神を恐れぬ激怒が血のしたたる口を開けて物凄く叫ぶであろう」というヴィルギリウスの詩句を引用している。

71009 参考2:カントがその有名な論文の表題に選んだ『永久平和のために』(Zum Ewigen Frieden)という言葉は、オランダの或る旅館にある楯の上に描かれた教会の墓地の絵の銘から取ったものである。故に、その原義は、墓場に眠る人々の霊に対する「永久に安かれ」という祈りの言葉に外ならない。カントは、これを巧みに転用して、人類が戦争によって絶滅し、地球が広大無辺の墓地となる前に、永久平和を建設する道ありや、という問題の検討の標語としたのである。

 

2 国際政治の理念

72001 国際社会は政府のない社会である。政府のない社会であるから、その秩序は破れ易く、保たれ難い。しかも、ひとたび国際秩序が破れた場合には、戦争の惨禍は測り知るべからざるものがある。故に、国際社会にとっては秩序ほど貴重なものはない。勿論、国家内部の生活にとっても秩序の貴重であることには変わりがない。しかし、国内社会の場合には、秩序を保つことは比較的に容易である。だから、国内政治では、単に秩序が保たれ得るかどうかということよりも、その秩序がいかなる内容をもつかということ、中でも、いかなる配分の関係に立つ秩序であるかということが、主として問題になる。これに反して、国際社会では、内容の如何はともかくとして、そもそも秩序を保つということそのことが切実な関心の的となる。したがって、国際社会では特に「現状」(status quo)ということが重んぜられる。現状を重んじつつ、これに若干の配分関係の変更を加味して保たれる国際社会の秩序は、「平和」である。故に、平和は国際政治の理念である。どうすれば平和を、人類の福祉と文化の発展の基礎たる平和をーーでき得べくんば永久にーー維持できるか。国際社会の理念論的な構想は、常にこの問題を中心として提唱され、論議されて来た。

72002 ところで、国際社会の現実が平和の理念と相反する方向に走り易い根本の理由は、国際社会には共通の権力の中枢がないということに存する。いいかえると、国際社会が国際社会であるかぎり、真の平和の確立は望まれ難いということができる。更にいいかえると、国際社会という世界構造をそのままにして置いて、しかも永久平和の理念を追求するのは、木に縁って魚を求めるにひとしいという議論が成り立つ。そこで、無政府社会の状態にある国際社会の構成を根本から改鋳して、世界をば一つの政治中枢の下に統合された単一の政治社会たらしめるという計畫が唱えられる。「最大国家」(civitas maxima )の思想がそれである。ギリシャ哲学末期のストア学派は、国家の枠を越えた人類の大同団結を理想とする立場から、夙(つと)にこの思想を説いた。下って、中世から近世への移り変わりの頃には、詩人ダンテが現れて、世界王国の理念を提唱した、ダンテもまた、永久の平和をば人類の究極の目的となし、アリストテレスのいわゆる「目的因」(causa finalis)の作用によって、この目的が歴史を動かし、単一の「王」の下に人類を統合・包摂する世界王国の実現にむかって進ましめると考えたのである。かような王国的な世界国家思想は、今日ではもとより時代錯誤であるが、国家を超越する世界全体の統制機構を設けないかぎり、平和の真の保障はあり得ないという考え方は、現代の思想家によってもしばしば唱えられている。H・G・ウェルス(H. G. Wells)が、恆久世界平和の唯一の方法は、超国家的な政治中枢を設立して、人類共通の利害関係を配慮し、世界商業・世界生産・原料の世界的な配分を統制するにある、と論じたのはそれである。リーヴス(Emery Reves)が、世界経済の段階に達した今日、主権的な民族国家が依然として垣を高くして対立している矛盾を指摘し、この矛盾こそ人類を更に新たな戦争の脅威にさらす所以であるとして、法による世界連邦の建設を主張しているのもそれである。かくのごとき世界国家の理念は、理念としては今後も色々な角度から真剣に論ぜられるであろうし、遠い将来の問題としては、その方向への現実の前進ということも考え得ない訳ではないであろう。

72003 しかしながら、現実の国際政治の中に働いている遠心的な力は、依然として牢固たるものがある。歴史の伝統や民族の特性と深く結びついた国家の枠は、容易に外れるものではないし、無理にこれを外して見て、はたして混乱と紛争とを避け得るか否かは、大きな疑問であるといわなければならぬ。経済が世界経済の段階に達しているとき、民族国家が依然たる政治単位として対立しているのは、確かに一つの矛盾であるといい得よう。しかし、一口に世界経済といっても、資本主義経済と共産主義経済との大きな対立は、単なる世界人類の大同団結という理念では解決できない。よしんば世界経済が単一の様式を以て行われ得るようになったとしても、その単一世界経済の中でも依然として民族的・地域的な多元構造をもつであろうところの人類全体の生活に対して、公正な配分をいかにして行うかは、技術的に行っても無限に困難な問題である。更に経済は普遍化しても、文化や言語や生活様式の特殊性は、政治上の国家のまとまりと不可分の関係にある。国家の枠を外し、国民精神の特色を失わしめ、すべての人間を合理的なホモ・エコノミクスとして単質化することは、決して人類の福祉の向上とはいい得ない。さような「議論」はいかようにも立てられ得るとしても、今日の人類が国家単位の生活をしているということは、議論を以て左右すべからざる厳然たる「事実」である。この事実を尊重する以上、世界平和の構想は、いかにそれが矛盾であり、時代錯誤と見えるにしても、やはり一つの「国際平和」として考察されなければならない。世界平和が国際平和であるかぎり、この理念の探究は国家間の「連合主義」( Föderalismus)の線に沿うて進められて行く外はない。そうなると、今から百五十年前(一九四七年からみて)にカント(Kant)によって試みられた国際聯盟組織の提案が、今日の時代から見てもなお再検討に値するものとして、取り上げられなければならないことになって来るのである。

72004 カントにとっても、人類全体の究極の政治理念は「永久平和」である。永久平和は、実に「政治上の最高善」(das höchste politische Gut)である。しかし、かような理念をかかげたからといって、カントを目して現実に疎い平和夢想論者と考えるのは当たらない。カントは、この理念の実現を妨げる条件がいかに多く、またいかに大きいかを、充分に承知していたのである。ただ、この理念にむかっての人間の努力は「永久」につづけられなければならない。すなわち、平和は、それが現実に永遠につづき得るというよりも、そのための努力が不変・不易の倫理的「課題」であるという意味で、永久なのである。カントはそういう意味での永久平和を論じた。しかも、永久平和そのものを論じたのではなく、かれの論文の表題が示す通り、『永久平和のために』(Zum Ewigen Frieden)いかなる前提が備わらなければならないかを論究した。その点で、カントのこの提案は、流石にかれの晩年の思索の結晶たるにふさわしく、充分に現実を重んじてなされたものということができる。しからば、確乎たる平和を基礎づけるための倫理的な、しかも有效な条件は何か。

72005 この問題に関して、カントもまた「世界国家」の理念を一応は取り上げている。むしろ、政治上の単一体が成立する根拠についてのカントの一般論からいうならば、世界平和の構想においても、国家を超越する政治的単一体の理念に到達するのが当然の筋道であったといえるのである。なぜならば、カントは国家成立の根拠については、論理的な意味での「契約説」を採った。すなわち、人間が秩序のない原始状態から離れて、法によって秩序づけられた国家生活を営むにいたった論理上の根拠として、国民の間の合意が予想されていなければならないと考えた。自由な人間が野生の自由を放棄して、国家における法の規律にしたがっているという状態は、さような「原始契約」をーー歴史上の事実としてではなく、論理上の前提としてーー予想することによってのみ、理性的な状態として説明され得ると考えたのである。そうであるとすれば、地球上に存在する多くの国家もまた、法によって拘束されない、したがっていつ何時戦争が起こるかも知れない自然状態から離れて、相互の間に理性にかなった平和の関係を確立し得るためには、個人と同じようにその自然・野生の自由を放棄し、世界の諸民族を包摂する「万民国家」(civitas gentium)を形作らなければならない筈なのである。

72006 しかしながら、カントは、ここではかえってカントらしくない態度で、かような理性的な推論にしたがわないで、現実的な問題の処理を試みた。つまり、かれは、多くの国家が主権国家として対等に併存しているという現実を動かさないで、その現実事態から出発して永久平和の諸条件を考察しようとした。のみならず、国家の規模があまりに大きくなりすぎると、法の拘束力が弱まり、中央の威令が隅々まで及び難くなると同時に、中央権力の腐敗が生じて無政府状態に転落する虞れがあるという、もう一つの実際的な考慮も働いて、カントをして世界国家の思想を推しすすめることを躊躇せしめたのである。そこで、かれは、「万民国家」の理念は理論としては(in thesi)正しいが、実際上の仮定としては(in hypothesi)排斥されなければならないと考えた。そうして、これに代わるに、独立の諸国家の間の協定によって成立する「国際聯盟」(Staatenbund)の構想を以てしたのである。

72007 もっとも、国際聯盟機構を設けるというのは、カントの提案した永久平和のための諸条件の一つであって、そのすべてではない。詳しくいえば、それは、永久平和のための確定条項の第二としてかかげられているのである。カントは、この理念を実現して行くための条件として六つの「予備条項」(Präliminarartikel)と三つの「確定条項」(Definitivartikel)とを挙げる。各国が常備軍を次第に廃止すること、一国が他国の憲法や政府に対して力づくの干渉を加えぬこと、戦争に際しても、国家相互の将来の信頼を不可能ならしめるような害敵行為をなしてはならぬこと、等は、予備条項の主なものである。これに対して、確定条項の第一は、すべての国家が立憲的な組織を備えなければならないということである。また、その第三は、「世界市民権」(Weltbürgerrecht)は普遍的な「友交性」(Hospitalität)によって制約されなければならないということである。そうして、これら二つの条項の中央に位する第二の、いわば眼目の確定条項が、国際法は自由な諸国家間の「連合関係」に立脚せねばならぬという、国際聯盟主義の提唱に外ならない。

72008 国際聯盟機構の設置は、永久平和のための数ある条件の中の一つではあるが、その眼目の条件であり、確定条項中の中心条項である。しかし、カントは、決してこの条項の有効性を過信していた訳ではない。ただ、すでに世界国家の建設を実際に適さぬ仮定とする以上、その代わりに考えられ得る唯一の手段は、国家の自由意志による連合主義である。その意味で、国際聯盟は「世界国家」(Weltrepublik)という積極的な理念の単なる「消極的な代用品」(das negative Surrogat)にすぎない。代用品であるだけに、国際聯盟の構想は、できるだけ周到に考えめぐらさなければならぬ。特に、それはまづ、単に一つの戦争を終結せしめようとする「講和条約」(pactum pacis)としてではなく、すべての戦争に終止符を打つための「平和聯盟」(foedus pacifium)として成立すべきである。けれども、それだけではもとより不充分である。この聯盟の約定が效力をもちつづけ得るためには、諸国家の間に戦争を誘発するような事情を除去しなければならぬ。カントのかかげる他の二つの確定条項は、そういう効果を狙っている。すなわち、第一の確定条項において、諸国家が立憲的な組織をもつことを必要としているのは、その一つである。なぜならば、非立憲的なーー立法権と行政権とが分離していないーー国家では、支配者が国民の意志を考慮することなしに戦争に訴える場合が多いからである。また、第三の確定条項として、どの国の国民も地球上のいたるところで好遇を受け得るという世界市民権は、異境を訪れる文明国民が原住民に対して悪意のない友好関係を結ぶことを条件としてのみ認められ得るといっているのは、他の一つである。この条項によって、カントは、先進国家が未開人の郷土を単なる手段的な意味での植民地として搾取・掠奪することを戒めているのである。これを現代的な概念に改めて表現するならば、世界のすべての国家が完全な民主国家となること、一つの国家が他の国家に対して搾取的な経済侵略を行うことは許されないこと、そうして、それらの国々が互に盟約を結んで戦争の回避に力めること、この三つを以てカントは永久平和のための基本条件となしたということができるであろう。

72009 かように解釈するならば、カントは、その当時としては優れた洞察と現実感覚とを以て永久平和の構想を試みたことが知られる。すべての国家が民主主義に徹底すること、そうして、常に国民の総意によって政治を行うこと、それが平和の条件としていかに大切であるかは、今日の世界が改めて身を以て体験したところである。また、強力な国々が他の国家の領土や国民を経済上の利潤追求の単なる手段とすることが、色々な意味で平和の保障の大きな障碍となるということも、現代に通用する真理である。更に、諸国家間の盟約によって平和維持のための協力を行うという方式にいたっては、第一次大戦後のジュネーヴの国際聯盟によって国際政治の現実の上に移されたのである。フォルレンダー(Vorländer)のいうがごとく、一九二〇年に成立した国際聯盟は、一七九五年に発表されたカントの永久平和のための構想を生みの親とするものといってよいであろう。

72010 しかしながら、現実の国際聯盟は、少数民族の保護とか種々の社会問題に関する国際協力の促進とかいう点で見るべき活動を行ったけれども、戦争の防止というその主要目的においては、全く失敗した。それは、平和の維持に対する聯盟国の義務が、現実の法的強制によって裏づけられていなかったためである。なるほど、国際聯盟規約はその第十六条を以て、聯盟の協約を無視して戦争に訴えた国家に対しては、経済封鎖その他の方法によって制裁を加えるべきことを規定している。けれども、強力な聯盟国が侵略戦争を起した場合、これを阻止すべき立場に在る主要な国々が、火中の栗を拾うことを厭って、拱手傍観の態度を執るならば、かような制裁規定も全くの空文と化し去ることを免れない。制裁規定が空文と化してしまえば、平和の維持に対する聯盟国の義務は、事実上単なる道徳上の義務でしかあり得ないことになる。道徳上の義務は高く美しい。しかし、高く美しいだけであって、法の裏づけをもたない道徳は、現実政治によって落花狼藉とふみにじられる。国家の「自由」にゆだねられた国際道徳は、国家の「自由」によっていつ何時でも弊履のごとくに破り棄てられる。カントは、「蛇のように聡明なれ」という政治の言葉に対して、「しかし、鳩のように偽りあることなかれ」という道徳の言葉をつけ加え、そこに道徳と政治との調和点を見出そうと力めた。けれども、現実の政治が、かような哲人の理想を毒にも薬にもならぬ空論として黙殺するのを常とすることは、カント自らも充分に認めていたのである。現実の政治は、道徳が前提とする自由をばややもすれば蛇のように狡猾に利用し、これを恣意を遂げるための手段としてはばからない。故に、国家の自由と国家間の道徳とにゆだねられた平和の理念は、国際政治の現実が平和の利益を認めている間だけ平和を保つ力をもつにすぎないのである。哲学者がいかに孤高・悲壮の態度を以て、「世界が亡びようとも正義を行わしめよ」(Fiat justitia, et pereat mundus)と叫んでも、正義が成就せられる前に、世界は戦争によって滅亡に近づいて行くかも知れない。そうして、「永久平和のために」という言葉は、地球全体を蔽う墓場の上にかかげられた永遠の弔辞となってしまうかも知れないのである。

71011 参考:文字通りに訳すと、「おのおのの国家の国民組織は共和的 republikanisch でなければならない」というのが、永久平和のための第二の確定条項である。しかし、カントがここに republikanisch といっているのは、普通の用語法とは違い、国民が社会の構成員としては自由であり、臣民としては共通の立法に服従し、国家公民としては平等であるという三つの原理によって構成された国家組織を意味する。特に、執行権と立法権との分離ということが republikanisch な国家組織の重点であり、その点でそれは、 despotisch(独裁的)な国家組織と明瞭に区別されている。したがって、カントのいわゆる republikanisch とは、君主国家でないという意味での「共和的」ということではなくて「民主的」または「立憲的」という意味であるといわなければならない。したがってまた、カントにとっては、君主国家も貴族国家も共和国家も、ともに republikanisch であり得るし、また、ともに、 despotisch でもあり得る。それどころか、カントは、国家の組織が despotisch となる危険が最も大きく、かつ、その弊害が最も著しく現れるのは、共和国(カントの用語では Demokratie)であり、 despotisch となった場合にも比較的その弊害が小さいのは、むしろ君主国(一人が統治する国家形態)であるとさえいっている。

 

3 国際政治の現実

73001 政治は、理念を必要とする。いかなる現実政治といえども、理念の旗じるしをかかげることなしには、その現実の目的を達成することはできない。故に、政治の現実の中には必ず理念が内在しているのである。しかしながら、理念を必要とするところの現実政治は、それ故にこそ理念を利用する。理念が目的であり、政治はその手段であるべき筈なのに、実は、政治的な力の獲得が目的であって、理念はその手段に過ぎないということになる。これは、国内政治の場合にもそうであった。ましていわんや、国際政治においてはその傾向が一層著しい。したがって、国際政治では、侵略戦争にも「正しい新秩序の建設」という美名が冠せられる。更に、正義・人道のためと称せられる外交政策も、叩けば現実主義の埃が出る。だから、現存の秩序を破ろうとする者は、これを守ろうとする側の理念を叩いて、さかんに埃を立てようと力める。正義・人道とは「持てる者」のイデオロギーに過ぎないといって攻撃する。かように相争う二つの側の上に立って、客観的に鳥の雌雄を決する審級がなければ、両者の争いは戦争を以て解決するより外に方法はないということになる。そこで、国際政治の現実に立脚する戦争不可避論が、否、正邪曲直を決める唯一の道は国家間の決闘であるという戦争肯定論が、いつの世にも平和への憧憬と交替してむしかえされて来るのである。

73002 近世哲学思潮の最高峰としてそびえるドイツ観念論哲学は、一方では国際政治の理念を表明するカントの永久平和論を生んだと同時に、他方ではかような戦争不可避論もしくは戦争肯定論の典型を提供するにも事缺かなかった。ヘーゲルの実力国家の思想がそれである。

73003 勿論、ヘーゲルの国家哲学は決して理念を否定しない。理念を否定しないどころか、理念を絶対化する。それは、最高の飽和点にまで達した理念論である。しかし、すべてを理念の現れと見る絶対理念論は、あらゆる現実を理念の顕現として肯定する。したがって、戦争をも理念の自己実現の過程として肯定する。戦争が国際政治の現実の極限に位するとすれば、戦争を肯定する理論は、極限にまで達した国際政治の現実主義である。ヘーゲルの最も徹底した理念主義は、実は、裏がえせば、国際政治の動きを解剖する最も徹底した現実主義に外ならない。

73004 理念論としてのヘーゲルの国家哲学は、近世啓蒙主義の自然法論やカントの道徳哲学と同じように、「自由」の理念から出発する。しかし、啓蒙的自然論は、個人の現実の自由をば政治の達成すべき目的としてかかげる。これに対して、カントの道徳哲学は、慾望によって支配された現実の人間の意志は、意志ではなくして恣意であるとして、その自由を否定し、むしろ道徳によって恣意を拘束するところにこそ真の自由があると説く。すなわち、カントは、現実の自由を否定して、道徳上の当為としての自由を主張したのである。ところが、ヘーゲルになると、自由はふたたび当為の世界から現実の世界に引きもどされる。しかも、現実の世界で自由であるのは、個人ではなくて、超個人的な共同体である。なぜならば、意志の自由とは、意志の普遍性である。故に、自由なる意志は普遍意志でなければならぬ。したがって、個別意志の主体たる個人は、いかなる意味でも自由ではあり得ない。それと同時に、意志が現実的な自由意志となるためには、その意志は漠然たる普遍意志ではなくて、限定された主体の意志とならなければならない。さように、限定された普遍意志の主体は、共同体でのみあり得る。故に、ヘーゲルは、個人の自由を否定する点で啓蒙的自然法論に反対し、現実の自由を肯定する点でカントの道徳哲学に反対する。そうして、共同体ーーヘーゲルはこれを「道義態」(Sittlichkeit)と名づけるーーの普遍意志のみが現実的に自由であると主張する。さような自由意志の主体としての道義態の最高段階に位するものは、国家である。したがって、自由なる意志の理念は、国家においてはじめて完全に現実的となる。しかるに、現実的に自由な意志は法である。故に。法は「国家の法」(Staatsrecht)としてはじめて、理性的であると同時に現実的となる。最高の道義態としての国家は、法の理念たる自由の自己実現の極致である。故に、ヘーゲルの哲学は、国家絶対主義の政治哲学であり、国家法至上主義の法哲学に帰著する。

73005 ところで、国家の意志が絶対に自由な普遍意志であり、国家の法が理性的であると同時に現実的な最高の法であるとすると、国家の上にあって国家の意志を拘束する法はないということにならざるを得ない。それは、国際法の否定である。あるいは、国家法と国際法の区別の否定であり、国際法の国家法への還元である。国家が完全に実現せられた自由の主体であるということは、国家のなさんとするところ法ならざるはなしという意味である。国家が最高の道義態であるというのは、国家を超越する道義的な普遍意志はないということである。だから、ヘーゲルは、国家法と次元を異にする法としての国際法というものを認めない。故に、普通に国際法と呼ばれるものは、ヘーゲルによれば、実は、国家法の一種に外ならない。ただ、それは、一つの国家から見ての対外関係の法であり、「外的国法」(das äussere Staatsrecht)である。これに対して、国内組織に関する法は、「内的国法」(das innere Staatsrecht)である。かくて、国際法と国内法との区別は、単一の国家法の二つの部門に帰著する。かくて、ケルゼンのいうがごとく、国際法と国内法との関係についての国内法優位の単元構成の理論は、ヘーゲルにおいて最も徹底した表現を見出した。

73006 こうした考え方に立つヘーゲルが、カントの国際聯盟のような組織の構想に対して否定的な批判を下したことは、もとよりいうまでもない。国際聯盟のような組織が基礎づけられるためには、いづれの国家の特殊意志をも拘束する法の一般原則があって、すべての国家がこれを遵守することが必要である。しかし、国家間の条約は、各国家が「主権」を有することを前提としているから、それが守られるか守られないかは、結局のところ、各国家の特殊意志に依存せざるを得ない。故に、国際関係を規律する法の原則は、行われなければならないという単なる「当為」であるにすぎない。いいかえるならば、それは実定法としての「效力」の保障をもたない。したがって、国家と国家との間には、条約にかなった関係が存することもあり、それが破られてしまうこともある。それが、国際関係の現実である。かような現実の国際関係から生ずる紛争については、どちらが正しいかを裁くところの審判官は存在しない。あるのは、たかだかその仲裁者にすぎない。しかるに、仲裁というものもまた、仲裁者の特殊意志に依存するのであるから、それ自身偶然性をしかもち得ない。だから、国際条約が守られるのも、破られるのも、紛争が調停されるのも、決裂するにいたるのも、すべて各国家の特殊意志によって左右されるのである。したがって、国家間の合意を基礎とする国際聯盟もまた、いつ解消されるかわからないという運命を擔うものであり、到底永久平和の保障とはなり得ない。

73007 そこで、ヘーゲルの場合には、国家間の紛争は関係諸国間の特殊意志の間の合致が成立しないかぎり、「戦争」によって決着される外はないという結論が生ずる。すなはち、それは戦争不可避論である。

73008 しかも、いかに現実が荒涼・殺伐たる有様に見えようとも、なおかつ「ここに薔薇がある、ここで踊れ」(Hier ist die Rose, hier tanze.)といって、現実をば絶対に肯定・讃美しようとしたヘーゲルは、国際政治の最も殺伐・悲惨な面たる戦争についても、単にこれを不可避と見るばかりではなく、その経過を楽観し、その結末を謳歌するのである。なぜならば、ヘーゲルによると、戦争は国家と国家との間の破壊的な衝突ではあるが、それにもかかわらず、国家は戦争を通じて互に他を承認し合い、互に他と結びついて行くのである。国際法学者は、国家に対する国際法上の承認ということを問題にするが、ヘーゲルにしたがえば、国家の「承認」は言葉によって表明せられることを必要としない。ナポレオンは、カンポ・フォルミオの平和にあたって、「フランス共和国は承認を必要としないこと、あたかも太陽が承認される必要がないのと同様である」といった。かように、国家はその「存在の強さ」(Die Stärke der Existenz)によって承認される。強力な国家と国家とは、その強さにおいて互に他を国家として承認する。したがって、国家が互に相争う戦争の間にも、国家相互の「承認」が行われ、それが紐帯となって、相たたかう国と国との間の結合が、いいかえるならば「平和」が成立する。故に、戦争そのものの中に、戦争は「過ぎ去り行くもの」であるという規定が含まれているのである。戦争は不可避であるが、不可避の運命によって勃発した戦争は、やがて、必然の過程を経て平和に立ち戻る。かような戦争と平和の交替・錯綜の間に、強大な国家は隆昌し、繁栄し、世界精神を擔って発展する。しかし、或る期間世界に覇を唱えた強国も、やがてまた他の強大な新興国家によって圧倒せられ、歴史の先頭から落伍して、衰退・没落の運命を辿って行く。東方国家・ギリシャ国家・ローマ国家・ゲルマン国家という風に相次ぐ制覇国家の興亡の跡は、それらの強大国家といえども「有限」の精神でしかあり得ないことを物語っている。しかも、さような有限なる特殊精神の興亡・隆替の過程を通じて、普遍的な世界精神が自己を顕現せしめ、その最高の権利を行使する。それが、「世界審判」(Weltgericht)としての「世界史」(Weltgeschichte)に外ならない。

73009 かように、戦争をも理念化しようとするヘーゲルの現実絶対肯定の歴史哲学は、世界精神を神となし、あるがままの世界史を神の摂理の顕現としてこれに惑溺する態度である。しかしながら、世界精神が特定の国家に宿ってこれを世界最大の強国たらしめ、世界理性が強大国家に勝利を与えてこれを世界史の運載者たらしめるといっても、その筋書が個人精神の窺い知り得ぬ彼岸に秘められている以上、人間の知識がなし得ることは、歴史の歩みを後から跡づけて、その起き伏しを一々理念のなす業として随喜して行く以外にない。だからこそ、ヘーゲルは、哲学をば世界史の黄昏になってはじめて飛び出すところの「ミネルヴァの梟」であるとなしたのである。そうなると、国際政治の現実は、事前における正邪・曲直の批判を全く無意味なこととして、これを無視し、ひたすら実力の蓄積と利劍の研磨とに邁進すればよいということになるであろう。そうして、敵の虚を衝いて戦争を挑み、いかなる謀略、いかなる無道を行っても、結果において勝利を占めさえすれば、そのすべてが理念の自己実現として是認されるということになるであろう。かくては、人類の世界は飽くなき実力抗争の修羅場と化する外はないであろう。だから、ヘーゲルの絶対化された理念主義は、実は絶対化された現実主義と一致するのである。

73010 かかる結論に共鳴し、むしろすすんでこれを主張し、傲然として弱者を睥睨しつつ覇道を闊歩しようとする者は、それでよいかも知れない。しかし、その覇業が中道にして破れ、四面楚歌を聞くときにいたって、なおかつかれは自己の信念を貫き通すことができるであろうか。国家滅亡の悲運に直面するにいたったとき、世界史の擔い手は実は自己でないことが明らかになったとき、なおかつ自己を亡ぼしつつある仇敵が世界理性によって選ばれた国であることを喜びとし、その劔の前に首をさし伸べつつ、その仇敵のために讃歌を唱することを厭わないものがあるであろうか。兵を動かして敵を制圧するのは、勝者にとっても策の下なるものである。まして、敗者の立場は悲惨の極である。殊に、戦争の規模と惨禍とが幾何級数的に拡大しつつある今日に生れしめたならば、ヘーゲルといえどもその戦争観を修正することを余儀なからしめられたに相違ない。ヘーゲルは、戦争のさ中にも国家と国家とをつなぐ紐帯があるといい、したがって、国家の内部組織や国民の家庭生活・私生活は戦闘行為の目標にはならないと説いた。かような言葉は、この実力主義の哲学の中から不用意に洩れこぼれた人間的感傷の点滴であると同時に、当時の戦争がかような感傷を許すほどの規模のものであったことを物語っている。これを更に積極化して、戦争のロマンスを語り、戦争に際して発揮される道義精神を讃美する者は、東西を通じてその例に乏しくない。けれども、それは、箙に梅をさして駒を陣頭にすすめた頃の戦争、フランスの騎士が、「イギリス人諸君よ、まづ射給え」(Messieurs les Anglais, tiroz les premiers)と叫んだ頃の戦争の話である。今日の戦争は、その規模とともにその性格をも全く変えてしまった。ラアドブルッフのいう通り。近代戦はもはや戦争のエトスと名誉を失ってしまったのである。戦争は、それ自身の論理を追いつつ発展することによって、無条件に避けられなければならない害悪と化しつつある。理由の如何を問わず、戦争は何としても防止しなければならないという必要が痛感され、既往や現状に対する批判は別として、まづ平和の維持に全力をあげなければならないということが、国際政治の絶対の要求となって来たのである。この巨大な現実の動向は、ヘーゲル流の現実主義の戦争観を過去に葬り去って、現実の中から新たな理念と秩序とを生み出そうとしている。その理念と現実の結びつきが、正に新たな国際法建設の企画となって現れて来たのである。

 

4 国際法秩序の建設

74001 国際社会がこれまでに経て来た歴史の段階では、平和は維持されなければならないという国際政治の理念と、戦争は避けられ得ないという国際政治の現実との間に、あまりにも大きなへだたりがあった。それが、国際法の発達を妨げる最大の障碍となっていたのである。なぜならば、法は、一面では理念につかえるものであるが、他面では現実を重んずるものである。理念をもたない法は、法たる資格はないが、現実に行われない法も、法としての機能を営むことはできない。したがって、理念と現実との間にあまりに大きなへだたりがあると、法は、もはや両者の間に跨ってその調和を図ることが不可能になる。すなわち、国際法が平和の理念によって国際関係を規律しようとすれば、その規律は単に道徳的な当為と化して、現実に対する抑えが利かなくなる。逆に、国際関係の現実を尊重すれば、結局は戦争を認めざるを得ないこととなり、平和の維持という目的を断念しなければならなくなる。国際聯盟規約も不戦条約も、高い平和の理念につかえようとして、無残にも現実のために裏切られることを免れなかったのである。

74002 ところが、第二次世界大戦の結果は、国際政治の現実を急角度に平和の理念に接近せしめつつあるように見える。その主要な原因は、戦争の惨害が人類に与えた教訓である。こうした教訓は、これまでも戦争の度にくりかえされた。そうして、人間の平和への熱望を高めた。しかし、喉もと過ぎれば熱さを忘れる人間は、やがてその教訓をも亡失して、戦争熱に駆られるようになるのが常であった。第一次世界大戦後の平和思想から戦雲重疉(ちょうじょう)の情勢への転換は、その最も顕著な場合である。今後もそうした轍をふむことがないとは、もとより何人もいうことはできぬ。しかし、前回と今回とでは戦争の惨害の度合いが違う。殊に、戦争末期に現れた画期的な新兵器は、恐らく万人の戦争に対する観念を一変せしめたであろう。その結果として、戦争を「政治の手段」と見ることが、現実の問題として非常に困難となって行くであろう。それだけ、いままでは戦争不可避と考えられていた国際政治の現実が、政治の手段として武力を用いてはならないという国際政治の理念に接近して来たのである。それだけ、国際法上の戦争防止の制度が実效力を発揮すべき地盤ができて来たのである。そればかりでなく、前にも述べたように、今度の戦争は、将来ともに戦争によって利益を得る可能性をもたない民主主義国家群の勝利に帰し、在来の世界秩序を破ることの利益を狙ったいわゆる枢軸側の完全な敗北に終った。そうして、戦後処理の第一の主眼点は、ドイツや日本が武装国家として再起する余地を根絶することに置かれ、その対策はきわめて厳格に実施せられつつある。この方策が著々として成功するならば、これまで世界平和に対して脅威を与えていた最も有力な二つの戦争策源地がなくなる訳である。だからといって、第二のドイツ、第二の日本が出現する虞れがないとは断言できないにしても、国際社会の現状が、永久平和の現実化を図るうえからいって、それだけ格段によい条件を備うるにいたったということは、疑いのないところであろう。

74003 かように著しい変化を示しつつあるところの国際政治の現実に立脚して、いまや新たな国際法秩序建設の努力が真剣にすすめられている。その努力の中心をなすものが、ダンバートン・オオクス会議およびヤルタ会議を経て、サンフランシスコ会議によって最後の決定を見、一九四五年十月二十四日に成立したところの「国際連合」であることはいうまでもない。

74004 国際連合の最も主要な目的は、「国際的平和および安全を維持すること」である。この目的を達成するためには、平和に対する脅威を防止もしくは除去して行かなければならない。また、侵略その他の平和破壊行為を鎮圧するための有效な集団的措置を実施しなければならない。特に、平和を破壊する虞のある国際紛争を平和的手段によって調整・解決して行かなければならない。国際連合憲章はその第一条によって、かくのごとき国際連合の主要目的を宣明し、かつ、国際紛争の平和的調整または解決は「正義および国際法の原則」にしたがってなされるべきことを明記している。これが国際連合のかかげる理念である。この理念が今日の国際政治の動向を指導し、甦る平和を希望をもって迎えつつある国際社会の現実の上に働きかけて、国際連合組織を中心とする新たな国際法秩序を築き上げようとしているのである。それが、国際法を破ることなくして国際法を作ろうとする力であり、国際法を破って国際法を作ろうとしたあらゆる企画を封殺する力であり、世界史の現段階において認められる「国際法の究極に在るもの」なのである。

74005 国際連合は、根本の構想においては、国際聯盟の延長であり、発展である。すなわち、国際連合は、「一切の加盟国の主権平等の原則に基礎を置く」ものである。一九四五年十二月二十七日に憲章の批准を完了した加盟国は五十一か国であるが、連合は、これらの諸国がいづれも平等の主権国家であるという建前の上に立っている。のみならず、第二次世界大戦において連合国の敵国であった国々も、憲章の義務を受諾する平和愛好国であるという実を示し、安全保障理事会の勧告にもとづいて一般総会が加入を許可すれば、国際連合に加入することができる。むしろ、世界のすべての国家が平和愛好国となって連合に加入し、連合が名実ともに世界連合となることが、国際連合機構設置の目的でなければならぬ。そうなった暁には、地球上のあらゆる国家が、領土の大小、人口の多少、実力の強弱にかかわらず、ひとしく平等の主権国家として取りあつかわれ、その合意を基礎として国際連合が存立し、その平和維持のための機能が営まれることになるのである。故に、連合は、文字通りの国際連合である。国際連合に包摂せられるべき世界は、今後といえども国際社会としての構造をもつ。国際連合は、国家の主権を否定もしくは制限する世界聯邦ではない。政治上の単一体はあくまでも国家であることを認め、国家を単位として世界の構造を規定して行こうとする点では、国際連合は国際聯盟と全く同一の線の上に立っているといっても差しつかえない。

74006 しかしながら、国際連合は、もとより決して単なる国際聯盟の復活たることを以て満足するものではない。連合は、既に失敗の生々しい経験を経ている国際聯盟の、単なる旧套を墨守しようとするものでは決してない。横田喜三郎教授のいわれるように、国際「連合は聯盟よりもはるかに進歩した機構である。聯盟の精神を受けつぎ、大体にその線に沿ながらも、はるかにこれを乗りこえ、ほとんど飛躍的な発展をとげている」のである。

74007 国際連合が国際聯盟に比してはるかに進歩している筈でなければならない点は、いうまでもなく、その平和保障機構としての強力さである。国際聯盟も、国際紛争の平和的解決ということに主力を注ぎ、侵略行為に対しては経済上・武力上の制裁を加えるべきことを規定した。しかし、聯盟の場合には、戦争防止の措置についての聯盟理事会の決定は、単に勧告としての效力を有するにとどまり、これを実行するか否かは、各聯盟国の意志に委ねられていた。したがって、侵略行為に対して聯盟が規定する制裁は、法的手段としてはきはめて薄弱であり、平和保障のために協力すべき各国の義務は、事実上道徳的な義務以上には出で得なかった。そこで、戦争を惹起することを回避しようとする国家は、侵略国に対して必要な制裁を加えることを尻込みするし、武力によって国際紛争を解決しようとする国家は、それに乗じて傍若無人の振舞いをする可能性があった。

74008 これに対して、国際連合では、第一に、戦争防止の措置を講ずるために設けられた安全保障理事会があって、安全保障理事会による侵略行為の存否の認定および戦争防止のための措置の決定は、すべての連合国がこれを受理し、実行しなければならないことになっている。しかも、第二に、聯盟理事会の決定は原則として全会一致を要することになっていたために、連盟としては微温的な措置しか採用できなかったのに反して、国際連合の安全保障理事会の決定は、多数決によることになっているから、聯合としては一部の反対を押し切って強力な措置を講ずることができる。そうして、第三に、国際連合は、憲章第三十九条以下に、侵略行為に対して発動すべき相当に詳細な制裁行動の規定を設け、戦争防止のために、すみやかにある程度まで組織化された兵力を行使し得るように定めている。これによって、平和を破壊すべき事態が発生した場合に、早期に鎮圧の效果を挙げることができるとすれば、連合の平和保障機能は、聯盟に比して格段の積極性を備えることになったものといい得るであろう。要するに、安全保障理事会が連合の中核として相当に優越的な地位を占め、或る程度まで国際政府の役割を演じ得るようになっていること、および、安全保障理事会の決定にもとづく制裁規定の発動が迅速・的確に行われ得るように考慮されていること、この二点において、国際連合によって組織化された新たな国際法秩序は、いままでにない法的実效性を具備するにいたったものとして期待されてよいであろう。

74009 前に述べたように、世界平和の確保という大きな目標を目ざして古来の人々が描いて来た世界組織の構図には、大別して二つの種類がある。その一つは、民族国家の枠を外して、世界を一つの国家に括め上げるという「世界国家」の構図である。他の一つは、民族国家という世界構成の単位を動かさないで置いて、多数の国家の連合によって平和維持の組織を作り上げて行こうとする、広い意味での「国際聯盟」の構図である。世界の秩序を維持することが至難である根本の理由が、国際社会には統一的な政府がないという点に存する以上、第一の構図の方が、平和の基礎を確立する思い切った方法であることは、いうまでもない。しかし、国家という政治単位の存在を尊重することが、現実に動かすべからざる必要条件であるかぎり、実際問題としては第二の構図が選ばれることになるのは、当然である。カントの構想もそうであったし、第一次世界大戦後の国際聯盟もそうであったし、今度の国際連合もそうである。ただ、この第二の構図の重大な欠点は、各国家の分立性が強すぎて、政治上の有效な統制中枢を缺くというところにあった。故に、国際連合の今後の活動の成否は、かかってその中核体たる安全保障理事会の決定が、国際政治の上にどれだけ物をいうかによって決まるものといわなければならない。更に、第二の構図を現実化した場合にその弱体化を招く根本の理由は、平和を破壊する行為に対して断乎たる制裁を行い得ない点に存した。平和を破壊する行動に対して断乎として制裁権を発動せしむるならば、それがきっかけとなって全面的な戦争が惹き起こされる危険はある。しかし、それだけの覚悟を以て臨まなければ、国際社会の現実に立脚して平和の基礎を固めることは不可能である。国際社会の秩序は、法秩序でなければならぬ。そうして、法秩序は、秩序の撹乱者に対して有效な強制を行うのでなければ、守られ得るものではない。そのためには、秩序の擁護者の側に、有效な強制を行い得るだけの、強大な武力が備わっていなければならぬ。カントは、永久平和のための予備条項の一つに、常備軍の撤廃を数えた。けれども、それは、問題を解決する道を、法がそれに沿うて発達すべき線とは逆の方向に選ぼうとしたものといわなければならぬ。なぜならば、平和を確保するためには、むしろ少数の国家が一般の国家の水準からはるかに隔絶する軍備を保有することが、絶対に必要だからである。その武力が、国際法秩序を有效にーーしかも正しくーー裏打ちする強制力として意味をもつ場合にのみ、国際社会はその固有の実体的な法を備え得たことになるであろう。そうして、国際社会は何はともあれ平和と秩序とを維持せねばならぬという理念は、国際強制力の擔当者たる少数の国家相互の間に致命的な衝突が起こらないかぎり、それによって一応現実化され得たこととなるであろう。

74010 国際連合によって具体化されつつあるところの国際社会の構成は、国内社会の組織原理たる「民主主義」と同じ精神に立脚している。国内社会の組織原理としての民主主義は、すべての「個人」の法の前の平等という観念から出発する。個人には、年齢の老若、男女の性別、人種の相違、才能の大小などによって実際には色々な差等があるが。それにもかかわらず、すべての人が人間として法の前に平等に取りあつかわれるというのが、民主主義の原理である。しかし、他方からいうと、すべての個人が社会的に全く平等の立場に立って、いわば団栗の背比べのように、互に権利を主張し、利益を争ってだけいたのでは、共同生活の秩序は保たれない。そこで、優れた知能と才腕とをもつ人々が選ばれて国民の代表者となり、法を作り、政治の命令を発し、法によって争いを裁くことが必要となって来る。そういう風に、個人の平等と権力による統制とを矛盾なく組み合わせているのが、民主主義の政治なのである。それと同じように、国際社会もまた、すべての「国家」の国際法の前での平等という原則の上に立っている。国家には人口の多少、領土の広狭、実力の大小などによって、実際にはさまざまな差等があるが、それにもかかわらず、すべての国家が主権国家として平等の権利をもつというのが、国際法の建前である。しかし、それだけでは国際社会の平和と秩序は維持できない。そこで、卓越した実力を有する国家が、いわば国際社会の代表者という形で国際法の執行にあたるということが、是非とも必要である。それは、「国際民主主義」の原理である。この原理が円滑に運用されることになれば、一部の国家だけが強大な経済力と軍備をもって国際法秩序の維持にあたっても、国家平等の原則とは何ら矛盾しないと考えられ得ることとなるであろう。そうして、中小の国家までが、国内治安の維持に必要な程度をはるかに越えた武力を備えなければ、国防上不安であるし、国家としての体面を保てないというような考え方は、その根拠を失ってしまうであろう。それらの国々は、国防のためのきわめて無理な、しかも実際にはほとんど役に立たない負擔から解放され、それぞれその特色を生かして、世界経済の一環を擔当し、世界文化の発達に寄与し得るということになるであろう。そうした国際民主主義の原則を思い切って確立することが、現段階における国際法秩序建設の最も賢明な方針であるといわなければならない。

 

5 国際正義と世界経済

75001 国際政治の理念は国際社会の平和である。いいかえれば、戦争の防止である。秩序の比較的に保たれ易い国内社会にとっても、平和ということ、秩序の安定ということは、もとよりきわめて重要な理念である。しかし、国家の内部では、単に秩序が保たれるということよりも、その秩序がいかなる内容をもつかということの方が、一層重要な問題となる。正義は、単なる秩序の安定でなくて、公正な配分にもとづく秩序でなければならない。したがって、公正な配分関係を確立するためには、場合によって安定している秩序の変革を行うこともやむを得ない、という議論が成り立つのである。これに対して、国際社会では、配分の公正ということをいい出すと、きりがない。領土の広狭、資源の賦存、植民地の多少、等、すべての現状を不公正であるとして、これを変革しようとすれば、それが最も有力な戦争の原因となる。だから、国際法としては、まづ諸国家の関係の現状をそのままとして、その上に何はともあれ秩序を安定せしめ、平和を築き上げるということが、先決問題とならざるを得ない。国際連合がその憲章の中に何ら現状の変更について規定していないことは、学者の不満とするところであるが、現状変更の可能性を正式に認めることによって紛糾をかもすよりも、現状をそのままにして置いて、平和の確立に全力を注ぐ方が急務であるという、きわめて現実的な考慮がそこに働いているとするならば、国際法の過去の受難史に鑑みて、その態度にも充分な理由があるといわなければならない。

75002 しかしながら、国際社会にとっていかに平和と秩序が動かすべからざる理念であるといっても、それなるが故に国際関係の配分が不公正であってよいというのでは決してない。正義は、国内社会の理念であると同時に、国際社会の理念でなければならぬ。平等の原則、各人にかれのものをという要求は、世界にあまねかるべき配分の原理であらねばならぬ。ベンタム(Bentham)は、イギリス国民のためにのみ最大多数の最大幸福を実現すべきことを法や政治に要求したのではないのである。フィヒテはドイツ人だけが人間の人間らしい生活を保障され、仰いで文化の蒼空を眺め見る余裕をもつことを、理性的な共同生活関係となしたのではないのである。ルソーは、公共の福祉を達成することを国家の任務となした。しかし、この法理念もまた、これを地域的に達成するのは国家の任務であっても、理念そのものとしては普遍人類的な意味を持つべきであること、いうを俟たない。国際正義は、世界人類の公共の福祉を内容とする理念である。この理念をば、法を破ることなく、いいかえるならば戦争に訴えることなく、更にいいかえるならば、平和および秩序の理念と調和させつつ実現して行くのが、国際政治の矩である。それこそ、真の意味で「国際法の究極に在るもの」である。今日の国際政治の現実は、平和および秩序の理念には、いままでの歴史にその比を見ない距離にまで接近している。しかし、この真の意味での国際法の究極に在るものとの間には、なお大きなへだたりがあることを認めないわけには行かない。

75003 故に、国際政治の理念を「国際正義」と名づけるならば、国際正義には二つの面があるということができる。第一の面から見た国際正義は、世界普遍の配分の公正であり、人類全体の公共の福祉である。これを狭い意味での国際正義と名づけることができよう。これに対して、広い意味での国際正義は、これと異なる第二の面をも含む。第二の面から見た国際正義は、国際社会の平和であり、国際法秩序の安定である。

75004 ところで、国際正義のこの両面は、ヤヌスの顔のように、互に矛盾する性格をもっている。すなわち、平和を維持するには現状を尊重しなければならない。しかし、現状を尊重すれば、配分の公正は望まれない。故に、配分の公正を図るには現状を打開しなければならない。ところが、現状の配分関係を動かそうとすれば、必ず国際紛争が起こる。国際紛争の微温的な解決ならば、平和の手段によってもなし得ないことはないが、双方の言い分を飽くまでも通すということになれば、戦争はほとんど不可避である。かくて、平和の理念は蹂躙されざるを得ない。公正の配分を断念して現状の秩序を安定せしめるか、現状を打破して新たな配分関係を確立するかは、一般の法の当面するジレンマである。しかし、そのジレンマの深刻なること、国際社会の示すそれのごときはない。諸国家分立の現状をそのままとして、その上に永久平和の構図を描いたのはカントである。実力を以て現状を打破しようとする国家の「自由」を認め、その結果として戦争の不可避を論じたのはヘーゲルである。両者の対立は永遠の矛盾である。そうして、このジレンマに悩みぬいた国際政治が、国際配分関係の是正という問題を一まづ棚の上に片づけて、専ら平和の確保という理念の現実化にーー大体としては、カントの描いた構図の線に沿ってーー徹底しようとしていることは、これまでに概観した通りである。

75005 これに対して、経済上の配分の公正ということを主眼としつつ、これに平和の理念を結びつけて世界と国家との関係を論じた学者も、その例がない訳ではない。カントをして永久平和の理念を代弁せしめ、ヘーゲルをして国際政治の現実を分析せしめた因縁から、更にこの種の学説をドイツ観念論哲学の中に求めるならば、その代表者としてフィヒテを挙げることができる。フィヒテの『封鎖商業国家論』がそれである。フィヒテの封鎖商業国家理論と結びついた永久平和論は、今日の社会経済の発展段階にあてはまらないし、これを形を変えて現実化しようと試みるときは、恆久の平和にいたる道程として戦争の可能性を肯定する結論が導き出される虞れがある。したがって、それは、何はともわれ平和の確保をという現代の国際政治の理念から見れば、排斥さるべき危険思想に属するであろう。しかし、社会正義と経済とを牽聯せしめたその構想は、今後の国際政治の指標を省察する上からいって、なおかつ一応の検討に値するであろう。

75006 フィヒテは、人間は人間らしく生活せねばならぬという理念を実現することをば、国家の第一の任務と考えた。そうして、この観点から文化哲学的な国家社会主義を説いたのである。すなわち、フィヒテによれば、人間はすべて文化の蒼空を仰いで心の教養を高めるべきであるが、そのためには、まづ国民全体の経済生活の安定を図る必要がある。そこで、国民すべてに対して正しい人間生活を保障するところの「理性国家」(Vernunftstaat)は、経済上の生産・加工・配給を全面的に統制して行かなければならない。その仕事の第一は、人口総数に応じていかなる物資をどれだけ生産する必要があるかを正確に計量することである。この計算にもとづいて、国民の中のどれだけが生活資源の生産に従事すべきかが割り出される。次に、生産された原料を加工する技術家の必要数を算出しなければならない。そうして、最後に、物資の円滑な流通を図るために、全人口の或る割合が配給の仕事、すなわち商業にふりあてられる。かくて、国民の中にそれぞれ一定数の生産者・技術家・商人が区分されるのである。これらの職能的に分化した三つの階級が、すべてその任務を忠実に遂行することによって、国民のすべてに行きわたるだけの財貨が生産・配給され、理性国家の経済的基礎が確立される。なお、その他に、行政機能を分掌する官吏、教育の任務にたづさわる教育者、国民の仰ぐべき文化の蒼空を築く学者・芸術家、等の職能がわかれる訳であり、そうした非生産的な仕事にあたる人々の生活保障も計算に入れて、国家の計画経済が運営せられるべきであることは、いうまでもない。

75007 さて、フィヒテの理性国家は、かように、国民経済の各分野を全面的に計画・統制することによって、需給関係の完全な均衡状態に達する。この均衡によってはじめて、国民の福祉が全体として保障されるのであるから、国民が自由経済社会におけるがごとくに、各自の利害の打算によってみだりに職業を変更することは、ここではもはや許されない。しかしながら、需給の関係の均衡を保ち、国民生活を全体的に安定せしめるための根本条件は、かかる安定を可能ならしめるだけの資源を国内に確保するということである。それだけの自然の条件を備えておらない国家は、理性国家として存立する資格を缺くのである。そこで、フィヒテは、理性国家建設のために必要な二つの条件をかかげる。第一に、国家は、国民生活を維持するために必要な物資を生産し得るだけの、広い領土をもたなければならぬ。それが、フィヒテのいわゆる「国家の自然的限界」(die natürlichen Grenzen des Staates)である。次に、第二に、理性国家の内部関係が確実な均衡状態を保ち得るためには、外国との自由貿易を封鎖しなければならぬ。なぜならば、商人各自の採算と利益を以てする自由貿易を許すと、国民生活のために必要な物資が外国に流出し、全体の福祉のために不必要な財貨が国内に過剰に流れ込み、理性国家の根底をなす需給の均衡関係をかきみだしてしまうからである。故に、フィヒテは理性国家の本質をば「封鎖商業国家」(der geschlossene Handelsstaat)として規定する。もっとも、いかに広大な領土をもつ国家でも、気候や地味や地質の制約を受ける関係上、完全な自給自足経済を営むことはできない場合が多い。したがって、国家間の物資の交換は、或る程度まで避け得ない。しかし、フィヒテは、そういう場合にも、かような国際交換経済はあくまでも政府の統制の下に、しかも「金」を媒介としないバーター制によって行われなければならないと論ずる。

75008 フィヒテによれば、国家がかくのごとき封鎖商業国家として成立することは、国内生活において配分の公正を保ち、すべての国民に人間らしい生活を保障する所以であるばかりでなく、更に、国際平和を維持するための不可缺の条件である。なぜならば、外国に対して商業上の利益を拡大して行こうとする経済政策は、その外国に不断の脅威を与えるばかりでなく、同一の市場または同一の資源地帯に対する利権の争奪が、しばしば国家の間の戦争をひき起こすからである。これに反して、封鎖商業国家は、自国の自然的限界を乗り越えて領土を拡大するということについて、何らも利益も関心ももたない。何となれば、封鎖商業国家の根本組織は、与えられた自然的限界を基礎として確立されている。そうして、この限界を変更することは、国家内部の経済的均衡の関係を破るという結果しかもたらさないからである。そこで、フィヒテは、世界の諸国家がすべて封鎖商業国家として再編成されることをば、「永久平和」への道であると見た。いいかえれば、かれは、人類の全体に対する配分の公正を図るという理念と、世界永遠の平和の保障を確立するという理念とを、この方法によって併せて実現し得ると考えたのである。

75009 このフィヒテの構想は、誠に哲学者の構想らしい卓抜さを備えている。しかし、この構想も、フィヒテの時代ならばいざ知らず、今日の国際社会には、もはやこれをあてはめて考慮することを許さない欠点を包蔵している。なぜならば、フィヒテは、国家がその国内経済を封鎖し、国民生活の合理的な均衡を維持し得るためには、一定の自然的限界をもたなければならないと考えた。したがって、すべての国家が封鎖商業国家となることを永久平和の条件とするフィヒテの構想を実現するためには、まづ、自然的限界に達しない小国家を整理・統合してすべての国家の大きさを或る程度まで揃えることが必要になって来る。これは、もとより実行不可能なことであり、これを無理に実行しようとすれば、どうしても戦争にならざるを得ないからである。

75010 しかるに、最近の国際政治の動向の中には、かようなフィヒテの構想をば、そのままの形においてではなく、やや変わった形態と規模とを以て実現しようとする企画が現れた。すなわち、フィヒテは、一国単位の自給自足経済を理想としたのであるが、これは現在の多角化した社会経済にはむかない理論である。いかに広大な領土を有する国家でも、完全な自給自足の状態の下に経済上の需給の均衡を保たしめることは不可能である。そこで、フィヒテのような一国単位の自給自足経済ではなく、数国家を併せ含む地域的な国家連合を作り、一つの指導国家を中心として、その内部でぼアウタルキー(autarky:自給自足経済)を確立し、他の地域からの干渉を排除することによって、世界の「新秩序」を建設しようとする企てが現れて来た。カール・シュミット(Carl Schmitt)の「広域秩序」(Grossraumordnung)の思想がそれであり、ナチス・ドイツのヨーロッパ制覇主義がそれであり、日本の大アジア主義の狙いもまたそこに存した。そうして、正にそれが第二次世界大戦勃発の原因となったのである。その覆轍をくりかえす危険がある以上、ふたたびフィヒテのような考え方に近づくことは、国際政治にとっての犯すべからざるタブーとされなければならぬ。

75011 しかしながら、それにもかかわらず、平和の手段によって世界人類のあまねき配分の公正を図るということは、国際正義の永遠の理念である。今後この理念に接近して行く道は、フィヒテの考えたような一国単位の統制経済にではなく、ドイツや日本が企てたような広域経済圏の建設でもなく、世界全体を統合する最も大規模な包括計画経済に求められるべきであろう。すなわち、世界経済の指導中枢を設け、すべての国家間の生産や配給の計画を鳥瞰的に樹立し、平和を愛好する国際連合の加盟国のいずれもが、この計画の下にそれぞれの分に応じた経済活動を営むという構図が、最も多くの現実化の可能性をもつであろう。もしもそれによって、弱小国家の国民生活もひとしく人間の人間らしい生活の水準に近づいて行くことができるならば、国際関係の現状の変更という問題はいままでのような深刻さをもたなくなって来るであろう。いいかえるならば、一つ一つの国家が広い領土と豊富な資源とをもたないでは、その国民の公共の福祉を図り得ない、という公式を無用のものたらしめないかぎり、現状の変更への要求はそのあとを断たないであろう。

75012 かような構図を描くことは、政治上の単一体としての国家の枠までも外そうとする、いわゆる世界国家論や世界連邦論に帰著することを意味しない。経済は、その本質において普遍化する強い必然性を有する。だから、これを無理に阻止しようとする代わりに、むしろその傾向を促進して、国境を越えた世界経済に進展せしむべきである。しかし、政治は、国民生活の特殊性を重んずる関係上、国家という単位から切り離すことはできない。したがって、国際政治は、各国家を法の前に平等な主権国家として取りあつかうという国際民主主義の建前を堅持するのが、自然なのである。ただ、各国家の政治上の主権制が世界経済の円滑な運行を妨げることがないようにするために、特定の大国家の経済上のヘゲモニーが認められなければならない。しかも、その国家の経済上のヘゲモニーには、与えられた条件の下にできるだけ世界全体の配分の公正を図るという最も大きな責任がともなわなければならない。そうして、規模の大小、実力の強弱を問わず、おのおのの国家がその特殊の伝統と民族性とを生かして、千紫万紅の文化の花を平和の園に咲かせ得るようにして行かなければならない。国際関係のステータス・クオーは、何としても不合理な歴史上の由来をもつ。そのステータス・クオーを、それにもかかわらずそのままに尊重しつつ、しかも国際社会の秩序を正義の線に沿って維持して行くためには、国家を単位とする国際政治と国境を越えた世界経済との調和を図る外に、考え得る適策はないといわなければならないのである。

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1946年(昭和21年)12月25日 著

1947年(昭和22年) 4月10日 発行



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