f 民主主義

終戦のまだ3年後に出された驚くべき文部省制定社会科教科書
民主主義のたいせつさの力説と、反民主主義の脅威への警鐘



民 主 主 義

民主主義

文部省制定 実際の執筆は尾高朝雄

1948年(昭和23年)10月30日発行

電子テキストデータ化 藤田伊織 2021.04.30

original from 国立国会図書館:https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/1710437

English Version is Here. Democray



尾高朝雄先生は執筆当時は東京大学法学部教授(法哲学)でした。戦後すぐに、「法の窮極に在るもの」という法哲学の著書を出し、日本の未来、世界の平和を論じて、評判になりました。この教科書については、尾高先生は、教科書の内容が「(連合軍の占領下にあっても)日本人によって書かれ、日本人がこれが正しい民主主義であるとして理解したものを、日本の青少年に理解してもらうためにできたものであること」を尊重すべきだと語っていました。後年、歯の治療中にペニシリン注射でショック症状を起こし1956年5月15日に57歳で死去されました。1956年5月に亡くなられたため、その著作物の著作権保護期間は2007年1月1日に終了しています。現在の2018年に改正された著作権法は遡及しないので、この著作物については、すでに著作権保護期間の終了が明らかです。私としては、この著作物がもっと広く読まれ、研究され、外国語に翻訳されることを期待して、このたびウェブページを公開する次第です。公開された電子データになっていないと、読むことができる人が限られているだけでなく、研究や、特に翻訳が進みません。私、藤田伊織としては、この日本語文の公開に引き続き、これから英訳をしてそれを公開する所存です。時間がかかるとも思いますが、小説などとは違って論理的な文章なので、テキストが電子化されていれば、AIの翻訳でも、世界の皆さんには判読できるかもしれないので、それも期待しています。なお、電子テキスト化にあたって、基本的に旧字体のままで電子データ化しました。ただ、電子データですので、すぐにネットで調べられます。それを活用してお読みください。

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はしがき

0001 今の世の中には、民主主義という言葉(ことば)が氾濫(はんらん)している。民主主義ということならば、だれもが知っている。しかし、民主主義の本当(ほんとう)の意味を知っている人がどれだけあるだろうか。その点になると、はなはだ心もとないといわなければならない。

0002 では、民主主義とはいったいなんだろう。多くの人々は、民主主義というのは政治のやり方であって、自分たちを代表して政治をする人をみんなで選挙することだと答えるであろう。それも、民主主義の一つの現れであるには相違ない。しかし、民主主義を單なる政治のやり方だと思うのは、まちがいである。民主主義の根本は、もっと深いところにある。それは、みんなの心の中にある。すべての人間を個人として尊厳な價値を持つものとして取り扱おうとする心、それが民主主義の根本精神である。

0003 人間の尊さを知る人は、自分の信念を曲げたり、ボスの口車に乗せられたりしてはならないと思うであろう。同じ社会に住む人々、隣の國に住む人々、遠い海のかなたに住んでいる人々、それらの人々がすべて尊い人生の営みを続けていることを深く感ずる人は、進んでそれらの人々と協力し、世のため人のため働いて、平和な住みよい世界を築き上げて行こうと決意するであろう。そうして、全ての人間が、自分自身の才能や長所や美徳を十分に発揮する平等の機会を持つことによって、みんなの努力でお互の幸福と繁栄とをもたらすようにするのが、政治の最高の目標であることをはっきりと悟るであろう。それが民主主義である。そうして、それ以外に民主主義はない。

0004 したがって、民主主義は、きわめて幅の廣い、奥行きの深いものであり、人生のあらゆる方面で実現されて行かなければならないものである。民主主義は、家庭の中にもあるし、村や町にもある。それは、政治の原理であると同時に、経済の原理であり、教育の精神であり、社会全般に行きわたって行くべき人間の共同生活の根本のあり方である。それを、あらゆる角度からはっきりと見きわめて、その精神をしっかりと身につけることは、決して容易なわざではない。複雑で多方面な民主主義の世界をあまねく見わたすためには、よい地図がいるし、親切な案内書がいる。そこで、だれもが信頼できるような地図となり、案内書となることを目的として、この本は生まれた。

0005 これからの日本にとっては、民主主義になりきる以外に、國として立って行く道はない。これからの日本人としては、民主主義をわがものとする以外に、人間として生きて行く道はない。それは、ポツダム宣言を受諾した時以來の堅い約束である。

0006 しかし、民主主義は、約束だからというのでしかたなしに歩かされる道であってはならない。それは、自分から進んでその道を歩こうとする人々に対してのみ開かれた道であり、その人たちの努力次第で、必ず繁栄と建設とに導く道である。われわれ日本國民は、自ら進んで民主主義の道を歩み、戰爭で一度は見るかげもなくなった祖國を再建して、われわれ自身の生活に希望と繁栄を取りもどさなければならない。ことに、日本を再建するというこの仕事は、今日の少年少女諸君の双肩にかかっている。その意味で、すべての日本國民が、ことに、すべての少年少女諸君が、この本を読んで、民主主義の理解を深められることを切望する。そうして、納得の行ったところ、自分で実行できるところを、直ちに生活の中に取り入れて行っていただきたい。なぜならば、民主主義は、本で読んでわかっただけでは役に立たないからである。言い換えると、人間の生活の中に実現された民主主義のみが、ほんとうの民主主義なのだからである。



目次 (上巻)
第1章 民主主義の本質

  民主主義の根本精神
  下から上への権威
  民主主義の國民生活
  自由と平等
  民主主義の幅の廣さ
第2章 民主主義の発達
  古代の民主主義
  イギリスにおける民主主義の発達
  アメリカにおける民主主義の発達
  フランスにおける民主主義の発達
第3章 民主主義の諸制度
  民主主義と反対の制度
  民主主義のおもな型
  イギリスの制度
  アメリカの制度
  スイスの制度
第4章 選挙権
  國民の代表者の選挙
  選挙の方法
  選挙権の拡張
  婦人参政権
  選挙の権利と選挙の義務
第5章 多数決
  民主主義と多数決
  多数決原理に対する疑問
  民主政治の落し穴
  多数決と言論の自由
  多数決による政治の進歩

第6章 目ざめた有権者
  民主主義と世論
  宣傳とはどんなものか
  宣傳によって國民をあざむく方法
  宣傳機関
  報道に対する科学的考察
第7章 政治と國民
  人任せの政治と自分たちの政治
  地方自治
  國の政治
  政党
  政党政治の弊害
第8章 社会生活における民主主義
  社会生活の民主化
  個人の尊重
  個人主義
  権利と責任
  社会道徳
第9章 経済生活における民主主義
  自由競爭の利益
  独占の弊害
  資本主義と社会主義
  統制の必要とその民主化
  協同組合の発達
  消費者の保護
第10章 民主主義と労働組合
  労働組合の目的
  労働組合の任務
  産業平和の実現
  團体交渉
  日本の労働組合
  労働組合の政治活動
第11章 民主主義と独裁主義
  民主主義の三つの側面
  民主主義に対する非難
  民主主義の答
  共産主義の立場
  プロレタリアの独裁
  共産主義と民主主義
索引 
目次(下巻)
第十二章〜第十六章 割愛
第17章 民主主義のもたらすもの
  民主主義は何をもたらすか
  民主主義の原動力
  民主主義のなしうること
  協同の力
  討論と実行


(民主主義 上巻)




第一章 民主主義の本質

 

1 民主主義の根本精神

1101 民主主義は、ちかごろたいへんはやりことばとなって來た。だれしもが、口を開けば民主主義を言い、筆を取れば民主主義を論ずる。そういうことばを聞き、それらの議論を読んでいると、世の中がまわり舞台のように根こそぎ民主主義に変わってしまったようにみえる。独裁者は地球上から死に絶え、封建主義も人の心からぬぐったように消えうせたかの観がある。

1102 しかし民主主義ということばにはいろいろな意味がある。このことばの用いられる方面はますます廣くなって來たし、それだけに、人によってこれを理解するしかたもきわめてまちまちである。したがって、民主主義とはおよそ反対なものを民主主義だといって、それを人々に強要する場合もある。すっかり民主化されたはずの世の中に、はなはだ非民主的な権力を持ったボスがいたり、親分・子分の関係が支配していたりすることもある。だから、民主主義ということばがはやっているから、それで民主主義がほんとうに行われていると思ったら、とんでもないまちがいである。たいせつなことは、ことばではなくて、実質である。それでは、ほんとうの民主主義とはどんなものであろうか。

1103 民主主義とは何かということを定義するのは、非常にむずかしい。しかし、その点をはっきりとつかんでおかないと、大きな食い違いが起る。民主主義を正しく学び、着実に実行すれば、繁栄と平和がもたらされる。反対の場合には、人類の將來に戰爭と破滅とが待っている。人類の住むところは、地球上のこの世界以外にはない。これを、生きとし生けるすべての人間にとっての住みよい、平和な、幸福な、一つの世界に築き上げて行くことができるか、あるいは逆に、これを憎しみと爭いと死の恐怖とに満ちた、この世ながらの地獄にしてしまうかの分かれ道は、民主主義をほんとうに自分のものにするかどうかにある。ゆえに、大袈裟な言い方でもなんでもなく、民主主義は文字通り生か死かの問題である。平和と幸福とを求める者は、何をおいても、まず民主主義の本質を正しく理解することに努めなければならない。

1104 多くの人々は、民主主義とは單なる政治上の制度だと考えている。民主主義とは民主政治のことであり、それ以外の何ものでもないと思っている。しかし、政治の面からだけ見ていたのでは、民主主義をほんとうに理解するもとはできない。政治上の制度としての民主主義ももとよりたいせつであるが、それよりももっとたいせつなのは、民主主義の精神をつかむことである。なぜならば、民主主義の根本は、精神的な態度にほかならないからである。それでは、民主主義の根本精神はなんであろうか。それは、つまり、人間の尊重ということにほかならない。

1105 人間が人間として自分自身を尊重し、互に他人を尊重しあうということは、政治上の問題や議員の候補者について賛成や反対の投票をするよりも、はるかにたいせつな民主主義の心構えである。

1106 そういうと、人間が自分自身を尊重するのはあたりまえだ、と答える者があるかもしれない。しかし、これまでの日本では、どれだけ多くの人々が自分自身を卑しめ、ただ権力に屈從して暮らすことに甘んじて來たことであろうか。正しいと信ずることも主張しえず、「無理が通れば道理引っこむ」と言い、「長いものには巻かれろ」と言って、泣き寝入りを続けて來たことであろうか。それは、自分自身を尊重しないというよりも、むしろ、自分自身を奴隷にしてはばからない態度である。人類を大きな不幸におとしいれる専制主義や独裁主義は、こういう民衆の態度をよいことにして、その上にのさばりかえるのである。だから、民主主義を体得するためにまず学ばなければならないのは、各人が自分自身の人格を尊重し、自らが正しいと考えるところの信念に忠実であるという精神なのである。

1107 ところで、世の中は、おおぜいの人々の間の持ちつ持たれつの共同生活である。したがって、自分自身を人間として尊重するものは、同じように、すべての他人を人間として尊重しなければならない。民主主義の精神が自分自身を人間として尊重するにあるからといって、それをわがままかってな利己主義と取り違える者があるならば、とんでもないまちがいである。自らの権利を主張する者は、他人の権利を重んじなければならない。自己の自由を主張する者は、他人の自由に深い敬意を拂わなければならない。そこから出て來るものは、お互の理解と好意と信頼であり、すべての人間の平等性の承認である。キリストは、「すべて人に爲(せ)られんと思ふことは、人にもまたそのごとく爲よ」と教えた。孔子も「おのれの欲せざるところは、人に施すなかれ」と言った。もしもこの好意と友愛の精神が社会に行きわたっているならば、その社会は民主的である。もしもそれが工場の労働者と使用者との関係にしみこんでいるならば、その工場は民主的である。もしもそれが学校や組合や家庭の人々の間柄を指導しているならば、それらの制度もまた民主的である。どこでも、いつでも、この精神が人間の関係を貫いている場合には、そこに民主主義がある。政治もまた、この精神を基礎とした場合にのみ、ほんとうの意味で民主的でありうる。

1108 だから、民主主義は、議員を選挙したり、多数決で事を決めたりする政治のやり方よりも、ずっと大きいものである。それは、適用される範囲が非常に廣いものであり、したがって、外面に現れたその形は、時により、所によって変化する。しかし、その根本をなしている精神は、いつになっても、どこへ行っても変わることはない。國によって民主主義が違うように思うのは、その外形だけを見ているからである。同じ民主主義の根本精神がしみわたって行けば、どんなに職業や、信仰や、人種が違っていても、人と人との間に、同じ一つの理解と協力の関係が生まれる。單に一國の内部だけでなく、別々の言葉を話し、異なる文化を持つ違った民族の間にも、同じように理解と協力の関係がひろまって行く。そうして、だんだんと世界が一つになって行く。対立と搾取と闘爭のない、ただ一つの平和な世界が築き上げられて行く。

1109 このように、民主主義の本質は、常に変わることのない根本精神なのである。したがって、民主主義の本質について、中心的な問題となるのは、その外形がどの種類かということではなく、そこにどの程度の精神が含まれているかということなのである。民主主義は、家庭の中にもあるし、学校にもあるし、工場にもある。社会生活にもあるし、経済生活にもあるし、政治生活にもある。しかし、どこまでそれがほんものの民主主義であるかが問題なのである。その程度をはかる計りのようなものがあるであろうか。私どもは、合金の中に含まれている純金の分量をはかることができる。それと同じように、私どもは、社会生活や経済生活や政治生活の中に含まれている民主主義の分量を、ある程度の正確さをもってはかることはできないものであろうか。金や銀の分量と違って、民主主義の本質は精神的なものであるから、それをはかることはもとより非常にむずかしい。しかし、民主主義の仮装をつけてのさばって來る独裁主義と、ほんものの民主主義とをはっきりと識別することは、きわめてたいせつである。いかにむずかしくても、できるだけそれをやってみなければならない。

 

2 下から上への権威

1201 民主主義の反対は独裁主義である。独裁主義は権威主義ともよばれる。なぜならば、独裁主義の下では、上に立っている者が権威を独占して、下にある人々を思うがままに動かすからである。國王や、独裁者や、支配者たちは、あるいは公然と、あるいは隠れて、事を決し、政策を定め、法律を作る。そうして、一般の人々は、ことのよしあしにかかわらずそれに從う。その場合に、権威を独占している人間は、下の人たちにじょうずにお世辞を言ったり、これをおだてたり、時にはほめたたえたりするであろう。しかしその人たちはどこまでも臣民であり、臣下である。そうして臣下は、その主人の命令に、その氣まぐれな意志にさえ、無条件で從わせられる。

1202 だから独裁主義は、専制主義とか、全体主義とか、ファシズムとか、ナチズムとか、そのほかいろいろな形をとって現れるが、その間には根本の共通点がある。それは、権威を持っている人間が、普通一般の人々をけいべつし、見おろし、一般人の運命に対して少しも眞劍な関心をいだかないという点である。

1203 専制政治には國王がある。権門政治には門閥がある。金権政治には財閥がある。そういう人々にとっては、一般の者は、ただ服從させておきさえすればよい動物にすぎない。あるいは上に立っている連中の生活をはなやかな、愉快なものにするための、單なる道具にすぎない。かれらは、こういう考え方を露骨に示すこともある。その氣持を隠して、体裁だけは四民平等のような顔をしていることもある。しかし結局は同じことである。そこには、ほんとうに人間を尊重するという観念がない。支配者は、自分たちだけは尊重するが、一般人は一段下がった人間としてしか取り扱わない。一般人の方でもまた、自分たちは一段低い人間であると考え、上からの権威に盲從して怪しまない。

1204 人間社会の文化の程度が低い時代には、支配者たちはその動機を少しも隠そうとしなかった。部落の酋(しゅう)長や専制時代の王は、もっと強大な権力を得、もっと大規模な略奪をしたいという簡單明白な理由から、露骨にかれらの人民たちを酷使したり、戰爭にかり立てたりした。ところが、文明が向上し、人知が発達して來るにつれて、専制主義や独裁主義のやり方もだんだんとじょうずになって來る。独裁者たちは、かれらの貪欲な、傲慢な動機を露骨に示さないで、それを道徳だの、國家の名誉だの、民族の繁栄だのというよそ行きの着物で飾る方が、いっそう都合がよいし、効果も上げるということを発見した。帝の光栄を守るというような美名の下に、人々は服從し、馬車馬のように働き、一命を投げ出して戰った。しかし、それはいったいなんのためだったろう。かれらは、独裁者たちの野望にあやつられているとは知らないで、そうすることが義務だと考え、そうして死んで行ったのである。

1205 現にそういうふうにして日本も無謀きわまる戰爭を始め、その戰爭は最も悲惨な敗北に終り、國民のすべてが独裁政治によってもたらされた塗炭の苦しみを骨身にしみて味わった。これからの日本では、そういうことは二度と再び起こらないと思うかもしれない。しかし、そう言って安心していることはできない。独裁主義は、民主化されたはずの日本にも、いつ、どこから忍びこんで來るかわからないのである。独裁政治を利用しようとする者は、今度はまたやり方を変えて、もっとじょうずになるだろう。今度は、だれもが反対できない民主主義という一番美しい名まえを借りて、そうするのがみんなのためだと言って、人々をあやつろうとするだろう。弁舌でおだてたり、金力で誘惑したり、世の中をわざと混乱におとしいれ、その混乱に乗じてじょうずに宣傳したり、手を変え、品を変えて、自分たちの野望をなんとか物にしようとする者が出て來ないとはかぎらない。そういう野望を打ち破るにはどうしたらいいであろうか。

1206 それを打ち破る方法は、ただ一つある。それは國民のみんなが政治的に賢明になることである。人に言われて、その通りに動くのではなく、自分の判断で、正しいものと正しくないものとをかみ分けることができるようになることである。民主主義は、「國民のための政治」であるが、何が、「國民のための政治」であるかを自分で判断できないようでは民主國家の國民とはいわれない。國民のひとりひとりが自分で考え、自分たちの意志で物事を決めて行く。もちろん、みんなの意見が一致することは、なかなか望めないから、その場合には多数の意見に從う。國民はみんな忙しい仕事を持っているから、自分たちがこれはと思う人を代表者に選んで、その代表者に政治をやらせる。しかし、あくまでも他人任せではなく、自分たちの信念が政治の上に反映するように努める。そうすれば、ボスも独裁者もはいりこむすきはない。

1207 だから、民主主義は独裁主義の正反対であるが、しかし、民主主義にも決して権威がないわけではない。ただ、民主主義では、権威は、賢明で自主的に行動する國民の側にある。それは、下から上への権威である。それは被治者の承認による政治である。そこでは、すべての政治の機能が、社会を構成するすべての人々の意見に基づき、すべての人々の利益のために合理的に行われる。政治の上では、万事の調子が、「なんじ臣民」から「われら國民」に変わる。國民は、自由に選ばれた代表者を通して、國民自らを支配する。國民の代表者は、國民の主人でなくて、その公僕である。國民の意志によって作られた法律は、國民自らの生活を規律すると同時に、國民の代表者たちによって行われる政治そのものを規律する。それが、政治の面に表れた民主主義にほかならない。

 

3 民主主義の國民生活

1301 民主主義の政治組織がどんなものであるかは、第三章で改めて詳しく述べることにしよう。しかし、民主主義の下では、國民の生活はどんな態度で、どんなふうに営まれるか。その点をもう少し明らかにしておくことは、民主主義の本質を理解するために役立つであろう。

1302 前にも言ったように、その根本の精神からいえば、民主主義にはただ一つの種類しかない。しかし、政治を民主的に行うための手続きには、二つの型がある。その中でも廣く行われている型は、「代表民主主義」とよばれる。國民の大多数は、会社に勤めたり、田を耕したり、台所や赤ん坊の世話をしたりしなくてはならないから、公の事柄に対してはその時間と精力の一部分をささげうるにすぎない。そこで、かれらは、國会や、市会や、その他そういう政治上の決定を行うところで、自分たちを正当に代表できる人々を仲間の中から選ぶのである。これに対して、もう一つの型の民主主義では、國民の意見は、代表者を通さないで、直接に政治上の決定の上に示される。すなわち、法律を決めたり、大統領を選んだりするのに、國民の直接の投票を行うというやり方である。これを普通に「純粋民主主義」という。

1303 しかし、この第二の型の民主主義だけを純粋とよぶのは、実はあまり適当ではない。民主主義は、権力を握るために國民をせん動したり、自主的な判断を失ってそのせん動に乗せられたりするようなことがない場合にのみ、純粋なのである。國民投票を行うからといって、それで民主主義が純粋になるわけではない。ルソーは、純粋民主主義の熱心な主張者であったが、國民が奴隷根性になって、権力者にへつらったり、その弾圧を恐れたりして、権力者の言うことを無批判な全員一致で迎えるようになることは、最も戒むべき民主主義の堕落であると説いている。

1304 このように民主主義の政治には二つの型があるが、どちらの場合にも、政治の権威は國民にある。言い換えると、政治の方針の最後の決定者は、國民でなければならない。だから、ほんとうの民主主義では、すべての國民、または、すくなくとも選挙資格を有するすべての國民が現実に政治に参與するようにしくまれる。そうして、有権者の多数の意志を実行するための一番確かな方法は、國民によって自由に選ばれた代表者が、國民の決めた政治の方針の運用に当たるにある。その場合に、政治の目的が國民の幸福と利益との増進にあること、言い換えれば、すべての政治は公共の福祉のためになされなければならないことは、いうまでもない。エブラハム・リンカーンは、この趣旨を簡明に要約して、民主主義は「國民の、國民による、國民のための政治」であると言った。

1305 もちろん理論だけからいうと、独裁者や「情け深い支配者」がその國民に対して、公共の福祉にかなった政治をすることはありうることであろう。しかし、独裁主義の制度の中に國民のための政治の保障を求めることは、常に失敗に終わったし、また、いつの時代にも必ずまちがいである。歴史の教えるところによれば、一部の者に政治上の権威の独占を許せば、その結果は必ず独裁主義になるし、独裁主義になると戰爭になりやすい。だから、國民のための政治を実現するためのただ一つの現実的な道は、政治を國民の政治たらしめ、國民による政治を行うことである。政治が國民のものとなるならば、國民は、それを、各人の権利を守りその生活程度を高める方法として用いるであろう。國民が、國民のためにならない政治を黙って見ているということは、道理としてありえないはずである。

1306 全体主義の特色は、個人よりも國家を重んずる点にある。世の中で一番尊いものは、強大な國家であり、個人は國家を強大にならしめるための手段であるとみる。独裁者はそのために必要とあれば、個人を犠牲にしてもかまわないと考える。もっとも、そう言っただけでは、國民が忠実に働かないといけないから、独裁者といわれる人々は、國家さえ強くなれば、すぐに國民の生活も高まるようになると約束する。あとでこの約束が守れなくなっても、言いわけはいくらでもできる。もう少しのしんぼうだ。もう五年、いやもう十年がまんすれば、万事うまく行く、などと言う。それもむずかしければ、現在の國民は、子孫の繁栄のために犠牲にならなければならないと言う。その間にも、独裁者たちの権力欲は際限もなくひろがって行く。やがて、祖國を列國の包囲から守れとか、もっと生命線をひろげなければならない、とか言って、いよいよ戰爭をするようになる。過去の日本でも、すべてがそういう調子で、一部の権力者たちの考えている通りに運んでいった。

1307 つまり、全体主義は、國家が栄えるにつれて國民が栄えるという。そうして、戰爭という大ばくちを打って、元も子もなくしてしまう。

1308 これに反して、民主主義は、國民が栄えるにつれて國家も栄えるという考え方の上に立つ。民主主義は、決して個人を無視したり、軽んじたりしない。それは、個人の價値と尊厳とに対する深い尊敬をその根本としている。すべての個人が、その持っている最もよいものを、のびのびと発展させる平等の機会を與えられるにつれて、國民の全体としての知識も道徳も高まり、経済も盛んになり、その結果として必ず國家も栄える。つまるところ、國家の繁栄は主として國民の人間としての強さと高さによってもたらされるのである。

 

4 自由と平等

1401 民主主義は、國民を個人として尊重する。したがって民主主義は、社会の秩序および公共の福祉と両立する限り個人にできるだけ多くの自由を認める。各人が生活を経営し、幸福を築き上げて行くことは、他人に譲り渡すことのできない自然の権利であるとみる。

1402 しかし、持ちつ持たれつのこの世では、そうした自由および権利と照應して、社会の一員として守るべき義務があることは当然である。民主主義は、ひろく個人の自由を認めるが、それをかって氣ままと混同するのは、たいへんなまちがいである。事実、民主主義は、他人の権利を害しない限り、個人が自分の好きなように幸福を求めることを認め、それを奨励する。私どもは、自分の思うところに從って、宗教を信じ、政党を選び、ものを書き、また、語る。けれども、私どもは、自分がそういう自由を、喜びをもって受ければ受けるほど、絶えず私どもの隣人の、ひろくはすべての國民の、同様の自由と権利を尊重しなければならないと思うであろう。大きな自由が與えられれば與えられるだけ、その自由を活用して、世の中のために役立つような働きをする大きな責任があるというのが、民主主義の根本の考え方である。自分に與えられた自由を、社会公共の福祉のために最もよく活用するという心構えがなければ、いかなる自由も、ぶたに與えた眞珠にすぎない。

1403 民主主義が重んずる自由の中でも、とりわけ重要な意味を持つものは、言論の自由である。事実に基づかない判断ほど危險なものはないということは、日本人が最近の不幸な戰爭中いやというほど経驗したところである。ゆえに、新聞は事実を書き、ラジオは事実を傳える責任がある。國民は、これらの事実に基づいて、各自に良心的な判断を下し、その意見を自由に交換する。それによって、批判的に物事を見る目が養われ、政治上の見識を高める訓練が與えられる。正確な事実についてかっぱつに議論をたたかわせ、多数決によって意見の帰一点を求め、経驗を生かして判断の間違いを正して行く。ことわざにも、「三人寄れば文殊の知恵」という。まして高い教養を持った國民のすべてが、自由な言論を基礎として共同の眞理を発見するために不断の協力を続けて行くならば、物事の正しい筋道を見いだすことのできないはずはない。かように、國民によって見いだされた物事の正しい筋道こそ、政治のかじを取って行く國民生活のらしん盤である。

1404 これに反して、独裁主義は、独裁者にとって都合のよいことだけを宣傳するために、國民の目や耳から事実をおおい隠すことに努める。正確な事実を傳える報道は統制され、差し押さえられる。そうして、独裁者の氣に入るような意見以外は、あらゆる言論が封ぜられる。たとえば馬車うまを見るがよい。御者はうまが右や左を見ることができないように、目隠しをつける。そうして御者の思う通りに走らなければ、容赦なくむちを加える。うまならば、それでもよい。それが人間だったらどうだろう。自分の意志と自分の判断とで人生の行動を切り開いて行くことのできないところには、民主主義の栄えるはずはない。

1405 自由と並んで民主主義が最もたいせつにするのは、人間の平等である。民主主義は、すべての國民を個人として尊重する。すべての個人が尊厳なものとして取り扱われる以上、その間に最初から差別を設けるということは、あくまでも排斥されなければならない。民主主義が発達するまでは、人間の世の中には生まれながら上下の差別があった。そこでは、あの人は貴族だから、名門の出だからといって敬われる。どんなにすぐれた人物でも、生まれが卑しければ、一生下積みの境遇に甘んぜざるを得ない。そんな不公平なことがあろうか。どんな生まれであろうと、人間の生命の重ぜられるべきことに変わりはなく、人格の尊ぶべきことにへだてはない。人間のねうちは、身分や門地で決まるものではないのである。だから、ほんとうの民主主義の世の中になれば、門閥というものはなくなる。人種や身分や財産による差別もなくなる。すべての人間が、同じ人間として、知識をみがき、能力を伸ばす同じ機会を與えられるというのは、民主主義の高貴な理想である。

1406 しかし、すべての人間を平等に取り扱うということは、ただ單に理想として正しいだけではない。その方が、はるかに社会生活の実益にかなうのである。なぜならば、だれにでもその才能を伸ばす平等な機会が與えられれば、それによって、知識や人物の豊富な鉱脈が掘り出されることになり、そのために國民全体が、経済的にも文化的にも富むようになる。シェークスピアは、貧しい肉屋と、自分の名前もかけないような女との間の子供として生まれた。シューベルトの父親は百姓であり、母親は嫁に來るまで女中だった。大科学者のファラディは納屋で生まれた。父は病身のかじ屋であり、母は一介の勤労女性であった。これらの人たちは、まだ民主主義の発達しない時代に生まれて、それぞれの天才を発揮した。まして、すべての人々に平等に学ぶ機会が與えられれば、國民の中からどれだけ多くの人材が掘り出されることだろう。今まで多くは低い教育しか授けられなかった女性の中からも、キューリー夫人のような人がだんだんと出るであろう。世の中はそれだけ明るく、國民の生活はそれだけ高くなって行くのだ。

1407 人間の平等とは、かように、すべての人々にその知識や才能を伸ばすための等しい機会を與えることである。その機会をどれだけ活用して、各人の才能をどこまで向上させ、発揮させて行くかは、人々それぞれの努力と、持って生まれた天分とによって大きく左右される。その結果として、人々の才能と努力とに應じた社会的地位の相違ができる。それは当然のことである。だから、民主主義は人間の平等を重んずるからといって、人々が社会的に全く同じ待遇を受けるのだと思ったら、大きなまちがいである。すぐれた能力を持つ人、学識経驗の豊かな人と、無爲無能で、しかも怠惰な人物とが、全く同じに待遇されるというようなことでは、正しい世の中でもなんでもない。それは、いわゆる惡平等以外の何ものでもない。公正な社会では、徳望の高い人は、他人に推されて重要な地位につき、惡心にそそのかされて國法を破った者は、裁判を受けて処罰される。むかし、ギリシャの哲学者アリストテレスは、人間の價値に應じて各人にそれぞれふさわしい経済上の報酬と精神的な名誉とを分かつことが、正義であると説いた。民主主義的な正しい世の中は、人間のねうちに應じた適正な配分の上に打ち立てられなければならない。

 

5 民主主義の幅の廣さ

1501 これまで、述べて來たところによって、民主主義とはどんなものであるかについて、おおよその見当はついた。それと同時に、民主主義が非常に幅の廣いものであることも、理解できたことと思う。

1502 繰り返して言うと、民主主義は、決して單なる政治上の制度ではなくて、あらゆる人間生活の中にしみこんで行かなければならないところの、一つの精神なのである。それは、人間を尊重する精神であり、自己と同様に他人の自由を重んずる氣持であり、好意と友愛と責任感とをもって万事を貫く態度である。この精神が人の心に廣くしみわたっているところ、そこに民主主義がある。社会も民主化され、教育も民主化され、経済も民主化される。逆に、この精神が欠けているならば、いかににぎやかに選挙が行われ、政党がビラをまき、議会政治の形が整っても、それだけで民主主義が十分に実現されたということはできない。だから、ほんとうの民主主義は、宮殿や議会の建物の中で作られるものではない。もしも、それが作られるものであるとするならば、民主主義は人々の心の中で作られる。それを求め、それを愛し、それを生活の中に実現して行こうとする人々の胸の中こそ、民主主義のほんとうの住み家である。

1503 政治上の制度の上だけでは、民主主義は決して完成されえないことを知るために、政治と経済との関係を考えてみよう。

1504 公明な政治が行われるために、正確な事実の報道と、それに基づく自由な言論とが何よりもたいせつであることは、前に述べた通りである。しかし、それだけでは足りない。それと並んでぜひとも備わらなければならない條件は、國民の経済生活の向上である。國民の大多数が窮乏のどん底にあって、その日その日のパンに追われているようでは、人間として必要な教養を積むこともできないし、政治上の識見を高める余裕もない。そういう狀態で民主政治の栄えるはずのないことは、だれの目にも明らかである。少数の金持は、そこを利用して報道機関を買収し、ありもしない世論をあるように宣傳して、金権政治を行おうとするであろう。逆にまた、民衆のためを図ると称して、実は少数の支配者の手に権力を握ろうとする者は、生活にあえぐおおぜいの國民をせん動して、政治の方向を思う壺に引っ張りこもうとするであろう。だから、経済上の機会を均等にし、國民の生活を高めるための経済上の民主主義が行われなければ、いかに選挙で代表者を決め、いかに議会で法律を作っても、健全な民主政治は育たない。

1505 経済上の民主主義についてと同様のことが、社会生活における民主主義や教育における民主主義についてもいわれなければならない。しかし、それらの詳しい点は、これから先のいろいろな章でだんだんと説明して行くこととしよう。ここでは、民主主義が政治的組織よりもはるかに幅の廣いものであること、あらゆる民主主義の根底が、同胞に対する人間の精神的な態度にあることがわかれば、それで十分である。

1506 今や日本は、新しい憲法を持っている。この憲法は、確かにりっぱな憲法である。しかし、どんなにりっぱな憲法ができても、それがどのように荘嚴に公布されても、それだけで民主主義がひとりでに動き出すものではない。民主主義は、廣く國民に行きわたった良識と、それに導かれた友愛・協力の精神と、額に汗する勤勉・努力によって自らの生活を高く築き上げて行こうとする強い決意とから、そうして、ただそれのみから生まれて來るのである。

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第二章 民主主義の発達

 

1 古代の民主主義

2101 人はよく、民主主義の政治は遠く古代ギリシャおよびローマから始まる、と言う。デモクラシーということばは、ギリシャ語のデモス・クラートスから出た。デモスは國民であり、クラートスは支配である。そうして、單にことばだけでなく、ギリシャの都市國家、たとえばアテネでは、実際に國民の会議による政治が行われていた。また、ローマは、最初のうちは王政であったが、紀元前五百年ごろから共和制になった。そうして、自由人たちの組織する民会や元老院があって、そこで政治上および法律上の決定を行なっていたのである。だから、單に政治の形態だけいえば、民主主義の起源はギリシャやローマにあるといっても、あながちまちがいではない。

2102 けれども、それらの古代國家には、一般の國民すなわち市民の外に、多数の奴隷があった。市民は自由を認められ、いろいろな権利を持っていたが、奴隷は全くそうではなかった。かれらは、家畜のように、また、物品のように、持ち主の思うままに賣られたり買われたりしていた。奴隷は、家畜や物と同じように、その持ち主の財産であり、持ち主の意のままに働くためにのみ生きていたのである。かれらは、人間でありながら、人間でなかった。そのような世界に、どうしてほんとうの意味での民主主義がありえよう。奴隷を持つ國民が行う政治は、決してほんとうの民主主義ではない。人間が相手の人格を認めないで、自分の思うがままに行動し、他の人々を支配するところには、眞の民主主義はない。

 

2 イギリスにおける民主主義の発達

2201 むかし、サクソン人の王たちがこの國を治めていた時代にも、イギリスの國民はある程度の地方自治の下にあった。しかし、國全体としてある程度の自治が行われるようになったのは、第十一世紀の半ば過ぎになって、この國にノルマン人たちが入りこみ、この國を征服して治めるようになってからのことである。もちろん、それは、自治といってもきわめて低い程度のものであった。その、わずかな芽ばえのような自治が、あらゆる権力の圧迫とたたかって、今日のイギリスのたくましい民主主義の大木にまで育ち、そびえるためには、約九百年の歳月を必要とした。

2202 この國を征服して治めるようになったノルマン人の王は、ウィリアム征服王とよばれた。この王は、強い支配力を持った、ぬけめのない人で、諸地方を領有する封建諸侯を手なずけ、それによって王の地位を強固なものにするという政策を採った。そのころのイギリスには、バロンとよばれる多くの貴族がいて、その貴族たちがそれぞれの領地を専制的に治め、ちょうど日本の徳川時代の藩の制度のようになっていたのである。ウィリアムは、一方では、これらの貴族たちが互に力を合わせたり、ひとりで王に対抗できるほどに強くなったりしないように努めた。しかし、またその反面では、貴族たちが王の権力に心服するように、いろいろな権利をこれに與え、そのきげんをとることも忘れなかった。

2203 ところが、そののち百五十年ばかりたって、その当時のジョン王が、貴族を無視して自分の思うがままの政治を行い、ウィリアムが貴族たちに対して認めていた権利を奪おうとしたので、貴族たちは大いに怒って王に反抗し、王に迫って、再びそういう暴政を行うことがないような約定書を作らせた。これが有名な大憲章(マグナカルタ)であって、そのできたのは千二百十五年のことである。

2204 この大憲章は、イギリス人の「自由のとりで」とよばれて來た。ある点では、それはまさにその通りである。なぜならば、大憲章には、王が税を取り立てるには、原則として議会の承認を受けること、自由民は、法律や適法の裁判によらないで捕らえられたり、財産を奪われたり、禁錮されたり、追放されたりしてはならないこと、王は自由民に対して武力を用いたり、正当な権利を否認したりしないこと、などが定められた。そうして、これらの約束を王に守らせるために、貴族は自分たちの組織する会議でこれを監視し、王が約束を破った場合には、この会議は王に抗議し、それでもなお王が改めない時には、貴族は全國の平民と共に王の財産を差し押さえたり、その他の方法で、王を苦しめることができるものとされたからである。しかし、この文書の直接の目的は、國民の自由を増進し、その運命を改善するにあったということはできない。というのは、それはむしろ、貴族たちの特権を、王の侵害から守ることを主眼としていたからである。

2205 このように、大憲章は、王と貴族との間に取りかわされた、封建的な文書にすぎないものではあったが、それでも、大憲章ができたことは、イギリスの歴史にとって大きな意味を持つ出來事であった。王の権力は、これによってある程度まで拘束をうけることになり、王の権力の上には、王といえども守らなければならない規律が設けられたわけである。そうして、もしも王がこの規律にそむいた時には、國民は実力で、王のこのような行爲を正すことが、公然と許されることになったのである。したがって、それは、そののち幾百年、イギリスの議会の力を大きくするためのたたかいの武器として役立った。

2206 イギリスの議会に加わる者の範囲は、だんだんとひろげられて行ったが、それには代々の王もあずかって力がある。しかし、王が議会を保護し、議会を育てるのに力を尽くしたように見えるのは、ほんとうは、國民に対する愛や民主主義への熱望から出ているのではなかった。それは、むしろ、金銭への愛による場合の方が多かったのである。というのは、王たちは、貴族からだけでは十分に金を集めることができなかったので、租税を取り立てる範囲をひろげる道具として議会を利用し、租税を納める者の数をふやしたのである。したがって、王権が強化された時にも、王たちは議会を廃止しなかった。かれらは、それを存続させて、よろしくこれを利用しようとしたのである。王たちは、議会の協賛を得ることによって、王の意志を國民の意志らしく見せかける方が、政治を行うのに都合がよいと考えたのである。

2207 だから、イギリスに議会が生まれても、初めのうちは國民の代表者によって作られたものではなかった。イギリスの議会は二院制で、貴族院と庶民院とから成り立っているが、貴族院(ハウス・オブ・ローズ)の方は、最初から貴族の、貴族による、貴族のための組織であったし、庶民院(ハウス・オブ・コモンズ)は決してその名のような庶民的なものではなかった。肉屋やパン屋や農民のような「庶民」からその名が出たのではなく、町(コミューン)ということばから出たので、それらの町々を代表する大金持ちや、その他の地方の財産家たちが、それを組織していたのである。このことは、王が財源を得るために、議会に代表者を送る人たちの範囲をひろげたという由來からも、容易に理解しうるところであろう。

2208 イギリスの民主政治の発端が、支配者たちの我欲や利己心によって、かえって促進されたということは、興味のある事実である。たとえば、ジョン王のぜいたくと貪欲とは、かれらをかり立てて、貴族を圧迫する無理な政治を行わしめ、その結果として、大憲章に署名しなければならなくなった。エドワード一世は、貴族から税金を取り立てるだけでは不十分であると考え、もっと廣く財源を富裕な平民の中に求めようとしたために、議会の発達を助長した。更にジェームス一世は、君権の強化を図ろうとして、自分を神と同一視し、王は神の意志に基づいて統治するのであるという、帝王神権説を唱えたが、その強引な政治がたたって、一六四九年に反乱が起り、かれの後継者たるチャールズ一世はついに議会によって死刑に処せられた。

2209 このようにして、議会の力はだんだん強くなって行ったが、その歴史上の発達に重要な一時期を画したのは、權利章典(ビル・オブ・ライツ)である。權利章典が有効になったのは、一六八八年の光栄革命の結果である。それによって、王は、法律を停止または廃止することも、議会の同意なしに税を課することも、できなくなった。また、議員の選挙は自由になされなければならないというような、いろいろな原則が定められた。それは、王の権力を抑制し、議会の地位を高め、國民に対して多くの自由を保障したところの、憲法的な規定であった。したがって、この権利章典は、その後アメリカその他の諸國の憲法起草者によって、参考とされたところが少なくない。

2210 一方、行政をつかさどる制度としては、最初、枢密院が設けられた。枢密院は、王が政治をするに当たって相談相手とし、その意見をたずねるために設けたものである。王は、やがてその中から更に数人の人々を選んで、おもだった行政事務についてはもっぱらそれらの人々に意見を聞き、かれらが議会に対して持っている勢力を利用して、王の望むような法案を議会で通過させようと図った。それが、イギリスの内閣の起りである。初めのうちは、王は内閣の閣議に出席してこれを主宰していたが、おいおいに王の出席はまれになり、大臣たちに政治がゆだねられるようになった。そうして、王の代わりに内閣の中心となって閣議を司会し、これをまとめて行くものができ、それが内閣総理大臣とよばれるにいたった。

2211 そのころまでは、王は自分の意にかなった人々を選んで内閣を作らせ、それと同時に、いろいろな方法で議会を懐柔し、議会が内閣を支持するようにしむけるのが常であった。したがって、國を治めるのは王とその大臣たちの仕事であると考えられ、議会が政治の中心になるというところまでは、まだまだほど遠かった。議会は、大臣たちが協賛を求める法律案を、原則としては政治のために必要なものとして承認し、ただ、國民に不当な政治的圧迫を加え、または、國民の財政上の負担を非常に重くするような法律に反対したり、それを修正したりすることを、おもな任務としていた。

2212 ところが、一七二一年に首相となったウォルポールは、王の力にたよって議会をおさえて行く代わりに、いろいろな方法を用いて議員たちをあやつり、庶民院の中にかれを支持する多数党を作り出して、それを足場に政治を行った。そうして、その内閣が議会の信用を失うにいたった一七四二年に、まだかれ自身に対する王の信任があったにもかかわらず、その職をしりぞいた。イギリスの今日の政党政治の始まりは、ここにあるといってよい。

2213 イギリスの議会には、第一七世紀にすでに宗教問題に関連してトーリーおよびホイッグの二党が生まれ、それがのちの保守党・自由党となった。そこへ今述べたようなことが起って、内閣は議会の多数の信任に基礎をおかねばならないと考えられるようになった。多数の議員を持つ政党は、それだけ多くの選挙民の意志と利益を代表するとみられうる。したがって、内閣は、議会の多数党を基礎として政治を行うべきであり、庶民院の多数の信任を失った場合には、辞職して、新たに選挙を行うのが当然だという考え方が、次第に強くみられるようになって來た。

2214 しかし、そのような政党内閣制度がほんとうに國民の政府となるためには、選挙権の範囲をひろげる必要がある。ところが、有力な権限を持つ貴族院は、門閥と富の代表であり、庶民院の議員も、ほとんど中流階級上層部の出身であった。光栄革命ののちの百五十年近くも、このような人々による権力の独占が続けられていたのである。権力の独占は、一八三二年の選挙法の改正によって初めて破られた。すなわち、それによって新たに興って來た工業経営者たちが、議会に代表者を送ることができるようになったのである。更に、一八六七年の第二次選挙法改正により、小市民階級および都市の労働者にも選挙権が與えられ、一八八四年の第三次改正によって、その範囲は鉱山労働者および農業労働者にも拡大された。そうして、第一次世界大戰の終った一九一八年には、二十歳以上のすべての男子並びに三十歳以上の女子で、一定の財産資格を備えた者に参政権が與えられ、一九二八年に至って。男女平等の完全な普通選挙制がしかれるに至ったのである。

2215 ところで、このように選挙権がひろげられて行っても、それによって選出されるのは庶民院の議員である。したがって、それに対する貴族院の勢力が強い間は、議会はまだまだほんとうの國民の意志を代表するものとはいえない。そこで、議会が國民による政治の中心として重きをなすにつれて、庶民院と貴族院との間の爭いが激しくなって來たのは、当然のことである。庶民院には、自由党の進歩主義と保守党の保守主義との対立があるのに対して、貴族院の空氣が特に保守的であることはいうまでもない。ゆえに、この爭いは、自由党が庶民院の多数をしめて内閣を組織した場合に、特に激化する。かくて、一九〇九年に、自由党内閣が有産者階級に対して大増税を行うために金銭法案を提出した時、貴族院がこれを否決したのが機会となって、ついに一九一一年に國会法の制定をみるにいたった。それによって、貴族院は金銭法案を修正または否決することができないばかりでなく、法案が三会期つづいて庶民院を通過した場合には、その議案は、貴族院が否決しても法律として成立するという原則が認められた。これは、まさしく、貴族院に対する庶民院の優位の確立である。庶民院は、ここに名実ともに議会の中心となり、イギリスのすべての政治組織の中心となったのである。

2216 このイギリスの憲法発達の歴史を通じてみても、民主主義の制度をりっぱに作り上げるためには、いかに長い、しんぼうづよい努力が必要であったかがわかる。近世民主主義の源流たるイギリスも、最初は専制君主の支配する國であった。その、ただひとりの王の手の中に独占されていた権力が、まず貴族たちに分けられ、ついで都市の大商人や地方の大地主がこれに参輿し、次第に小市民や工場労働者や農民へと、権力の主体がひろめられて行った。そのたびに、國民の権利と自由とを守るための激しいたたかいが行われたのである。そうして、第二十世紀になってから、労働者の利益を代表する労働党が庶民院の中に勢力を得て、ついに、労働党内閣も出現する世の中になった。 2217「ローマは一日にして成らず」ということばがあるが、イギリスの民主政治は九百年の長きにわたる國民の努力によってなったのである。そうして、ローマは帝政の腐敗によって滅びたが、健全な民主主義の政治は、あらゆるたたかいに打ち勝って、人間の運命を希望と幸福の道へと切りひらいて行く。私どもは、この大きな歴史の流れから、汲めども尽きない教訓を学び取らなければならない。

 

3 アメリカにおける民主主義の発達

2301 アメリカ大陸に最初に植民地を作ったヨーロッパ人は、スペイン人であった。スペイン人のアメリカに対する支配的な影響はずいぶん長く続いたが、その時代を通じて、この新スペインとよばれた新大陸には、民主主義のほんの一かけらも見いだされえない。それは、黄金をたずね求めて海を渡って行ったスペイン人が、原住民の労働の果実をしぼり取って、ただひたすらにスペインを富ますための支配であった。新スペインの総督たちは、中世ヨーロッパの貴族と同じような絶対の権力を持ち、廣い土地を領有して、そこに住む原住民たちを家畜のようにこきつかった。やがて、新大陸の生む無限の富の分けまえにあずかるために、フランス人が渡って來て、封建制度を打ち立てようとしたが、その試みは失敗に終った。つづいて、オランダ人も同じようなことを試みたが、それはフランス人よりもなお成功しなかった。それは、白人による暴政と残虐の歴史であり、その犠牲になったのは、原住民であった。

2302 民主主義のほのかなあけぼのの光が、この新大陸の空にさしはじめたのは、イギリス人がここに植民地を作るようになってからのことである。

2303 そのころ、イギリス本國で次第に有力な地位を占めるようになって來た商人や貿易業者は、新大陸の富源に着目しだんだんとここへ渡って來た。そこには、かれらの期待した宝石や黄金はなかったけれども、地味豊かな廣野があり、おののはいったことのない大森林があり、本國の産業のために必要な豊富な原料があった。ここと本國との間に交易がひらかれれば、多くの職のない人々に職を與えうるという期待もあった。ヨーロッパでは、かねてイギリスとスペインとの間に勢力爭いがあったので、これに打ち勝とうとする強い愛國心もはたらいていた。更にまた、イギリス人の独立心や、自由、ことに信仰の自由を求める性格も、植民地の基礎を築くのに役立った。

2304 これらの植民地の経営は、経営者の利益を目じるしとして営まれる私企業であったが、それがだんだんとおおきくなって行くにつれて、貿易会社が設立されるようになった。貿易会社には、特定の地域の貿易を独占する権利が與えられ、かなりの程度まで自由に事業を営むことを許された。しかし、植民地の統治権は本國の王と議会の手中にあって、王はこれを治めるために代官を派遣した。こういう形で、イギリス人のアメリカでの植民地経営は、次第にその地歩を固めて行ったのである。

2305 ところで、これらの植民地の経営をあやつっていた商人や貿易業者たちは、自分たちの利益を守るために、植民地にある程度の自治を許す方が都合がよいと考えた。なぜならば、そうしておけば、植民地経営のための費用も少なくてすむし、事業がうまく行かなかった時の損失もうちわになるからである。また、それによって、移民たちを引き寄せ、植民事業を盛んにすることもできる。こういう動機によって、一六一九年に、ヴァージニア会社が、アメリカでの最初の代表制議会の設立を許した。そののち、利益のあがらないことを怒ったイギリス王が、会社を解散してこれを王領に改めてからも、この議会はそのまま残った。

2306 このヴァージニアの議会は二院制で、上院は総督と六人の参議員から成り、すべて王によって任命され、それは植民地の実際の支配権を握っていた。これに反して、下院の方はヴァージニアの各地方区から選出された二人ずつの代表者から成り、その力は弱いものではあったが、大勢の人々の利益を少数の支配者の権力から守るために、ある程度の役割を果たした。それが先例となって、アメリカの大西洋岸のイギリス植民地には、おいおいに代議制がしかれ、第十七世紀の末ごろには、各植民地が大同小異の人民議会を持つようになった。

2307 このように、アメリカに民主主義が芽ばえたのは、最初は決して民衆のためを思う好意から出たことではなく、むしろ、支配者の利益を図ろうとする打算が動機となっていたのである。しかし、どのような動機から出たものにせよ、ひとたび民主主義の芽が出れば、それはあらゆる雪や霜の寒さともたたかって、すくすくと伸びて來る。

2308 ことに、そのころアメリカに渡って行った移民の中には、イギリス本國の宗教上の圧迫からのがれて、信仰の自由を新大陸に求めた多くの清教徒たちがあった。かれらは、信仰上の自由が政治上の自由と離れてはありえないことを確信し、強い信念と不屈の意志とをもって、不合理な傳統のない新天地に、理想の政治社会を建設して行こうとしたのである。中でも「メイフラワー」という船に乗ってアメリカに移住したこれらの信徒の一團が、一六二〇年十一月十一日、はるかに新世界の陸影を望みながら、各人の意志と約束とによって自治的な政治組織を作り上げることを誓ったという事実は、のちのアメリカ独立の精神のさきがけとなった。本國の支配者たちが自分の利益のために種子をまいた民主主義の芽ばえは、こういう精神につちかわれて、だんだんと深く根を張って行ったのである。

2309 このように、方々の植民地に民主主義が生長して行くにしたがって、それと本國の支配者たちも、特にイギリス王との間に次第に激しい衝突が起こるようになったことは、怪しむに足りない。植民地の人々が、自分たちの意志によって事業を経営し、生活を規律して行こうとするのに対して、支配者がこれを圧迫しようとした結果は、ついには武器によって自由を守ろうとするたたかいとなって現われた。「われに自由を與えよ、しからずんば死を與えよ」と叫んだパトリック・ヘンリーのことばは、これらの人々の、情熱にもえる理想をよく言い表している。

2310 もちろん、それとならんで、植民地の人々の間にも、いろいろな対立があった。商人と農民とのあいだにも爭いがあり、都市と農村との間にも利害の対立があった。更に、各植民地相互のあいだにもねたみがあり、摩擦が起った。しかし、何にもまして、本國からの政治上および経済上の圧迫に対抗しなければならないという切実な氣持が、対立するこれらの人々を結びつけ、各植民地を協同させて、これらを一つの戰線に統一した。かくして、独立のための大規模な戰爭が起った。そうして、人々は、自分たちの立場を、民衆に対しても、また全世界に対しても明らかにするために、フィラデルフィアに代表者を送って、一つの声明書を起草することを託した。それが世界の歴史に名高い「独立宣言書」である。

2311 一七七六年の独立宣言書に署名した人々は、決して植民地の全人民の代表者であったとはいえない。植民地の初期の住民の大部分は農民であるのに、これらの人々は、ほとんどすべて都市の出身者であり、法律家や商人が多かった。しかし、実際にこの宣言書を書いたトーマス・ジェファーソンは、農村の人々のために努力して來た理想主義者であって、五十六人の署名者たちの大部分からさえ、むしろあまりに急進的であると考えられていたのである。それだけに、その文章には強い迫力がみなぎり、單にアメリカ建國の精神をよく言い表しているばかりでなく、ひろく民主主義の理想を明らかにし、専制政治や独裁政治をあくまでも排斥しなければやまないという強烈な意志を表明して余すところがない。その中でも特に有名な部分には、次のように書いてある。

2312 「われわれは、次に掲げる眞理を自明のことと信ずる。人間はすべて平等に造られ、造物主によって一定の譲り渡すことのできない権利を與えられている。その中には、生命、自由、および幸福を追求する権利が含まれている。政府は、これらの権利を保障するために人間の間に設けられたのであって、政府の持つ正当な権利は、被治者の同意を基礎としているのである。どんな形態の政府であっても、それがこれらの目的を破壊するようになった場合には、國民は、その政府を変革または廃止して、自分たちの安全と幸福を実現するのに適していると考えられるような、そういう原理に立脚し、そういう形の権力組織を持つ新しい政府を樹立する権利を有する。」

2313 このような理想を掲げて始められた独立戰爭は、ついに植民地の勝利に帰した。アメリカ東部十三州は、イギリス本國の支配から離れて、輝かしい独立をかちえた。中央政府の組織を定め、大統領、議会および最高裁判所の権限を明らかにしたところの憲法が制定された。そうして、長い困難な戰爭を指導して、これを勝利の栄冠に導き、國の内外の尊敬を集めたジョージ・ワシントンが、新たに建設されたアメリカ合衆國の初代の大統領に選ばれた。

2314 しかし、民主主義の根本原理を建國の精神として掲げたアメリカが、それだから最初から民主主義を高い程度に実現していたと思ったら、まちがいである。独立宣言書には民主主義の原理が高く示されていたけれども、できあがったアメリカ合衆國の政治が、ほんとうに民主主義的に運用されるようになるまでには、やはり、長い歳月と國民の大きな努力が必要であった。そうして、その努力は、今日もなお絶えず続けられているのである。

2315 アメリカの場合は、初めは、もっぱら財産のある人々によって組織されていた。それらの議員は、何よりもまず、自分たちの財産を守ることと、その商業を有利にひろげて行くこととを欲した。かれらは民主主義を信用せず、むしろその成長を恐れた。そうして、政治の根本の目的は、財産を守り、特権を持つ人々の特権を維持するにあると考えた。ジェファーソンの書いた独立宣言書は、人間の平等と人権の擁護とを強調しているけれども、それはまだまだ、多くの人々から紙に書かれたことばであると考えられていた。憲法は、「われら合衆國國民が」ということばで書き出されているけれども、憲法を作った人々がまず第一に考えたものは、決してすべての國民の利益ではなかった。選挙権は初めのうちは國民のわずか八分の一にしか與えられていず、したがって、それは國民すべての意志を代表するものではなかった。これに対して、國民の間に、政治上の権力に参與する資格をあまねくひろめて行こうとする運動が起ったことは、もとよりいうまでもない。

2316 これらの二つの動きは、やがて二つの政党によって代表されるようになった。一つは、有産階級の利益を代表し、財産家たちの特権を守るために中央政府の力を弱めようとするもので、連邦党(フェデラリスト)とよばれる。他の一つは、中央政府の力があまり強くなることを好まず、政治権力が少数の財産家に集中することに反対するもので、共和党(レパブリカン)と名づけられた。最初に共和党を指導したのはジェファーソンであったが、その勢力は時とともにだんだんと強くなり、もはや連邦党の存続を許さないまでになった。そののちになって、今度は、共和党の中が二つの派にわかれるようになった。一方は、主として商業に利害関係を持つ人々からなり、共和党の中では中央集権を歓迎する傾きが強く、他方は、主として農業と西部辺境の発展とに関心を持つ人々で、各州の地方分権を支持する傾向があった。そうして、第一の派が依然として共和党と称したのに対して、第二の派は民主党と名のった。これが成長して、今日のアメリカ政界を二つの分野に分かっている二大政党となったのである。

2317 このような政治の動きとともに、選挙権の拡大が行われ、選挙資格として財産上の制限をつけることは、おいおい減少し、ついに、その制度の撤廃を見るにいたった。そうして、のちには、人種や性別による選挙権の差別もだんだんと取り除かれ、ほんとうの意味での國民の政治の実現へと近づいて行った。これらの新しい有権者の大部分は、民主党に参加したので、民主党の勢力は次第に強くなり、さかのぼって、既に一八二八年の大統領選挙には、民主党の候補者たるアンドルー・ジャクソンの当選をみた。これは、民衆の力が政治の上に大きな影響を與えうることをはじめて明らかに示した意味で、アメリカの政治上の新しい時期を画した出來事であったといってよい。

2318 民主党は、主として西部辺境に利害関係を有する人々によって支持されたが、この西部辺境は、大陸の開発がすすむにつれて、だんだん西方に向かって移動して行った。西部は、あらゆる失業問題や社会不安を解決する安全弁であり、ヨーロッパやその他の地方からあい次いで流れこんで來る多数の移住民をも吸収する希望の國であった。しかし、西部への発展の可能性も、決して無限ではありえない。やがて、西部への動きがとまり、アメリカは、更に新たに政治と経済との関係を調整しなければならない時期を迎えた。

23019 なぜならば、産業が興り、資本の集中が行われ、大規模な企業が発達して、財産のない人々の数が多くなり、失業者がたくさんに出ても、西部の辺境にそれらの人々の働く場所があるうちはたいした問題はなかったが、辺境がそれまでのように、いくらでも仕事の場所を提供するというわけには行かなくなってみると、そういう社会問題は、改めてなんらかの政治上の革新によって解決されなければならなくなって來るからである。そこで、一八九〇年ごろから、なお残存している金権政治の弊害を除き、今まで以上にすすんだ民主政治を行って、ひろく民衆の福利を増進することを目ざす革新主義の運動が起って來た。第一次世界大戰のころには、ウィルソン大統領が革新主義によって新しい政治を行い、第二次世界大戰の前には、ルーズベルト大統領によっていろいろな新政策が実施された。かくて、新しい國アメリカの民主主義は、絶えず発展して來た。今も発展しつつあるし、これからも発展して行くであろう。ただ一つの目標に向かって、國民の、國民による、國民のための政治を完成して行くために。

 

4 フランスにおける民主主義の発達

2401 終りに、ヨーロッパ大陸に民主主義の時代を迎え入れたフランス革命前後のありさまを、簡單に省みることにしよう。

2402 革命の起る前のフランスには、専制君主を中心とする貴族および僧侶の特権階級があって、政治上の権力はその手に握られていた。これらの特権階級は、地方に大きな土地を有する大地主で、政治上の権力とともに、社会の富をも独占していた。これに対して、地方の農民はもとよりのこと、都会で商業を営んでいた市民たちは、被支配階級として、その下に長いこと屈從していたのである。

2403 しかし、商業や工業が発達して來るにつれて、市民の富もだんだんと増加し、それだけそのその社会的な勢力も向上するようになった。そうして、政府の発する公債を引き受け、政府の事業をうけおって、國の財政をささえていたのも、これらの商人や銀行家であった。それなのに、支配階級はあいもかわらず、ぜいたくなくらしを続け、國の財政が傾くような狀態になることを省みなかったばかりでなく、租税を免除されるという特権を持っていた。こういうありさまが長く続くはずはない。これに対する市民の不満がだんだんと強くなり、次第に爆発点に近づいて行ったのは、自然の勢いであるといわなければならない。

2404 そのころのフランスには、民主主義の思想がかなり発達していた。モンテスキューという学者は、一七四八年に「法の精神」という大著を著わして、専制的な権力の濫用によって國民が苦しめられることを防ぐためには、立法・行政・司法の三権を、別々の機関によって分立させるのがよいと説いた。また、スイス生まれではあるが、フランスで活躍した民主主義の思想家ルソーは、一七六二年に出版された名著「社会契約論」の中で、いかなる國でも主権は國民にあるのであるから、國民の総意によって作られた法律を、あらゆる政治の根本としなければならないと論じた。これらの思想がだんだんと知識階級の中に行きわたるにつれて、専制政治の不合理がいよいよ明らかに認められ、革命の機が熟して來たのである。

2405 第十八世紀の終りごろになって、ますます財政の困難に悩んだブルボン王朝のルイ十六世は、一七八九年に、貴族・僧侶および市民をそれぞれ代表する三つの議院から成る等族会議をひらいて、これに財政難を切り抜ける方法をはかった。ところが、貴族および僧侶の代表者たちと市民の代表者たちとの間に、たちまち大衝突が起り、市民の代表者を中心とする第三院は、独立して國民議会を組織し、その手によって、今までの専制主義の秩序の変革を断行することを声明するにいたった。大革命の幕はここに切って落とされたのである。

2406 そこで、國民議会は、貴族や僧侶の持っていた特権を廃止することを議決すると同時に、その年のうちに有名な人権宣言を制定して、革命の根本原則を明らかにした。この宣言によれば、人間は生まれながらにして自由および平等の権利を有する。そうして、すべての政治組織は、人間が天から與えられたこれらの権利を、保護するために設けられているのである。したがって、政治組織を動かして行く権力の根源は國民に存しなければならない。言い換えれば、主権は常に國民にある。國民はその総意によって法律を作り、國民の権利を保障すると同時に、社会にとって有害な行爲を禁止する。ゆえに、國民はすべて法律の前に平等であり、法律に反しない範囲内であらゆる自由を持たなければならない。各人は自由であるが、その自由は、他人の自由を侵すものであってはならないのである。人権宣言は、このような原則を確立して、新しい民主主義の時代のいしずえとした。だから、その精神は、「自由」と「平等」と「友愛」の三つに帰着するといわれる。

2407 つづいて、國民議会は、一七九一年に憲法を作り、人権宣言をその初めに掲げて民主政治の基礎とした。

2408 しかし、ものごとすべて、破壊はたやすいが、建設はむずかしい。フランス革命は、まもなく君主政の廃止というところまですすみ、前王ルイ十六世の死刑を宣告したが、一方には、革命に反対の勢力があり、他方には革命の不徹底をいきどおる急進派があって、國内の対立は激しくなるばかりであった。そこへ、ヨーロッパの諸外國の支配者たちは、フランス革命の影響が自分たちの國に及ぶことを恐れて、これに圧迫を加えたので、革命政府の前途はますます困難となって行った。その時、ナポレオンが現われ、無力となった革命政府を倒して独裁制をしき、一八〇四年には國民投票を行って皇帝となったのである。

2409 その後まもなくナポレオンは没落して、ブルボン王朝のルイ十八世が王位につき、立憲君主制が行われるようになったが、これも長くは続かなかった。なぜならば、反動的な傾きの強い政府は、小市民階級を政治から締め出そうとしたので、これらの民衆の不満は強まるばかりであった。そこへ、近代工業の発達につれて、新たに廣い労働者階級ができあがり、それらの人々もまた激しく政治に参加する権利を求めた。それらの新興政治勢力は、一八四八年に至って。いわゆる二月革命を起し、王政は倒れて共和制にもどった。

2410 ところで、今度は、同じ革命勢力の中に、経済上有利な立場にある市民階級と、社会主義の色彩を強く持つ労働階級とに爭いが起り、労働階級は、社会主義の共和國を作り出そうとして同じ年の六月に革命を起したが、激しい市街戰ののちにやぶれた。それがいわゆる六月革命である。その間に、普通選挙による憲法議会が設けられ、一八四八年の憲法を作って、立法権を持つ國民議会と、行政権を有する大統領とに権力を分けた共和制の組織を定めた。しかも、六月革命は市民階級の心に社会主義に対する恐怖を植えつけたし、農民の間には、ナポレオン崇拝の氣持が残っていたために、まもなく反動勢力が強くなって來て、ナポレオンのおいのルイ・ナポレオンが大統領となり、一八五二年には皇帝となって、ナポレオン三世と称するにいたったのである。けれども、ナポレオン三世もまた、一八七〇年のドイツとの戰いにやぶれて失脚し、フランスはここに三たび共和政に立ち返った。

2411 フランスは、そののちも、急進勢力と反動勢力との間に一進一退の爭いが繰り返され、君主政への復帰を図る王党の力の方がむしろ強いくらいであった。しかし、王党の中にもいろいろな派が分かれていたために、まとまりがつかず、結局、王政復古の運動はものにならないで終った。だから、フランスは、それ以來ずっと共和國として存続している。

2412 これで見てもわかるように、フランスでは、君主政と共和政とが互に目のまわるように交替を続けて來た。そうしてそれとともに、民主主義と反動主義との間に激しい爭いが繰り返された。バスチーユの牢獄破壊を発端とする大革命によって、専制政治を一挙にくつがえし、重い封建時代のとびらを押しあけて、近代民主主義の光をヨーロッパ大陸に導き入れたのは、フランス國民である。しかし、それからすぐあとでナポレオンの武勲を賛美し、ついにこれを皇帝にまでまつり上げたのも、同じフランス國民である。そこには、君主政にあこがれる保守党が根強い勢力を持っていたかと思うと、労働者の利益のために市街戰を繰り返す急進派もあるというふうであった。

2413 これは、一方では、感情的なフランス國民性にもよるし、他方では、フランス人の強い愛國心の表れでもあって、そのために、フランス民主主義は、イギリスやアメリカについて見たように、一つの方向にだんだんと発展して行くというわけには行かず、行きつもどりつの経過をたどったのである。しかし、どんなに反動勢力が押さえようとしても、ついには押さえることのできない民主主義の力が、最後にはいつも歴史を導いてきたのである。

2414 第二次世界大戰において、フランスはナチス・ドイツの攻撃を受け、ひとたびはその全本土をドイツ軍のために占領せられたが、連合軍の協力によってついに光栄ある自由を回復した。フランス國民はこの大きな試練を経て、民主主義に対する信念をいっそう深め、改めてそのゆるぎない基礎を確立する必要を痛感するにいたった。このような信念と必要に基づいて、一九四六年の九月に新しいフランス共和國憲法が憲法議会を通過し、同年十月十三日の國民投票によって確認されたのは、まことに意味の深い事柄であるといわなければならない。

2415 フランス共和國の新憲法は、一七八九年の人権宣言によって定められた基本的人権をおごそかに再確認し、共和國の標語が自由と平等と友愛であることを改めて宣言し、共和國の根本原則が、國民のための、國民による、國民の政治であることを明言している。それと同時に、男女の完全な同権を保証し、各人が労働の義務と就職の権利とを持つことを約束している。そればかりでなく、労働者はだれでも、その代表者を通じて労働條件を團体的に取り決め、更にすすんで、企業の経営に参加しうることを明らかにした。それらの点で、この新憲法は、フランス革命の精神をただ單に守り抜いているばかりでなく、その精神を新しい時代にふさわしく拡充しようとしているものであるということができる。

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第三章 民主主義の諸制度


 

1 民主主義と反対の制度

3101  ロビンソン・クルーソーの漂流記は、世界中の少年少女に愛読されている物語だが、この冒險談には一つのモデルがあった。一七〇四年の秋、アレキサンダー・セルカークというイギリスの水夫が南米のチリ沖で離船し、マサタイエラという孤島に打ち上げられて、そこで四年間暮らしたのである。この事実を題材として、別にまたある詩人が次のように詠じた。
 私は見わたす限りすべてのものの王様だ。
 私の権利を爭う者はひとりもいない。
 島のまんなかから四方八方海に至るまで、
 私は鳥や獣の御主人様だ。

3102 しかし、ロビンソン・クルーソーは、果たしてこの詩に歌われているように、島に住む鳥や獣の王様だったのだろうか。たったひとりの人間が孤島に住むようになってからも、鳥どもは自由に空を飛びまわっていたであろう。獣たちは別段その前にやって來て平身低頭したりすることはなかったであろう。ロビンソン・クルーソーは、その中のあるものをとらえて食用に供したろうし、おうむを慣らしてことばを教えたでもあろう。しかし、それは、島の動物のごく一部分だったに相違ない。その他のものどもは、あいもかわらず自由に空を飛び、野山をかけまわっていたに違いない。

3103 人間は、鳥や獣とは比較にならない知能を持っている。それにもかかわらず、たったひとりの人間が多数の鳥や獣の王様になるということは、詩やおとぎばなしの世界以外にはありえない。ところが、人間の世の中には、昔から王様というものが実際に存在した。その王様は、自分よりはるかに知能の低い動物を支配したのではなく、同等の知能を持った多数の人間を支配していたのである。それどころか、王様の方が家來よりもずっと知能の低い「ばか殿様」だった場合が、少なくないのである。それなのに、どうしてたった一人の王様がおおぜいの人たちを支配することができたのであろうか。それは、きわめてむずかしい問題だ。しかし、また、すこぶる簡單な問題だ。どうしてだろう。なぜなら、そういう世の中には、たったひとりの王様をまつり上げて、みんながその命令によって動き、その命令に從わぬ者は、どんなふうにでも処罰されるという政治上の組織が存在していたからである。

3104 そういうぐあいに、ただひとりの支配者が絶対権を握っていて、すべての人がその命令に無条件に服從するような政治のやり方は、専制政治である。特に、その支配者が一般人民の寄りつけぬような高い身分を持っていて、その地位が世襲でうけつがれる場合をさして、専制君主といい、専制君主政と名づける。専制君主が暴君であったり、ばか殿様であったりすることが多いのに、どうしてそれが一般人民からあがめられるのか。まことに不思議なことだ。しかし、その不思議なことを不思議でなくするくふうがある。それは、人民に、君主の地位は神から授かったものであり、君主の命令は神の意志によるものだと思い込ませることである。だから、古來の専制君主政の多くは、君権神授という思想の上に打ち立てられていた。だからまた、人間の自覚が高まって、そういう思想がばかげたものであることに氣がつきはじめた時以來、専制君主政は次々にくずれて行った。

3105 けれども、専制君主政がなくなったからといって、専制主義そのものも消えてしまったと思ってはならない。現代にも金持が政治の実権を握っている金権政治があるし、民主主義のような外形をよそおいながら、國民にわずかな自由しか許さない巧妙な専制主義もある。この、民主主義の形でカモフラージュされた専制政治では、選挙を行っても、政党はただ一つしかなかったりするから、國民の自由な意志は代表されえない。國民は投票権を持っているが、候補者はふつうの場合最初から決まっているから、選挙はしてもしなくても同じことである。國民の政治への参加は名ばかりで、実は、少数の者が権力を独占し、その少数の権力者の意志で万事が決定されて行く。國民は、働き、服從し、戰爭をするために生まれて來たのだと教えこまれる。かれらは、自分たちのもらう賃金が公正であるかどうか、自分たちの服從すべき法令が正義にかなっているかどうか、自分たちの出て行く戰爭がどういう意味のものであるか、を疑うことすら許されない。ただ、黙ってその分を盡し、砲弾の的となって死に、死ぬことが名誉であり、人類解放のためであると考えることをしいられる。

3106 人類の歴史が始まって以來、こういうように人民を所有し、使用し、圧迫した政府は少なくない。そういう政府があまりに多いので、政府などというものは、ない方がいいという議論を唱える人もある。それが無政府主義である。ロシアのクロポトキンなどは、そのひとりとして名高い。

3107 無政府主義の理想とする社会では、権力の組織がないのだから、つまり、君主もなければ、大統領もなく、議会もなければ、裁判所もないということになる。もしも、クロポトキンなどの説くように、それで世の中の平和が完全に保たれ、人々の自発的な協力と援助によって、社会の福祉がおのずからに増進して行くものであるならば、政府などどいうものは、不要となるであろう。政府がなければ、権力をもって人民を圧迫する危險も起らないに決まっている。

3108 しかし、政府がなくてすむのは、理想の社会である。現実の社会では、人々の間に意見の対立が生じ、利害の衝突が起る。その場合、すべての人々の言い分を通すわけには行かない以上、その多数が支持する考えを実行することと定め、それに反対の、もしくはそれとは違う意見を持つ他の人々も、その考えに從うべきものとし、あくまでも反対する人々に対しては、その決定を強制して行かなければならない。かように社会的な強制力を持った組織が、政府である。だから、社会的な強制力の必要がないほどまで人間の世の中が完全になるまでは、政府の必要はなくならない。そうして、政府が必要である以上、その政府の組織はできるだけ多数の人々の考えで決めることが望ましい。ただに政府の組織ばかりでなく、政府の方針も國民の多数で決定すべきだし、その意志に從って政治をつかさどる人々も、國民の中から自由に選ばれた國民の代表者でなければならない。かくて、民主政治が一番よい、一番正しい政治であることが知られる。

 

2 民主主義のおもな型

3201 國民の代表者が、國民の意志により、國民のための政治をするという民主主義の原理は、一つである。およそ民主主義が行われている限り、どこの國でも、この原理に変わりはない。ただ、原理は同じでも、それを実地に行うための制度には、國によってある点までの違いがある。それによって、民主主義の制度の幾つかの型を区別することができる。ここでは、そのおもな型を簡單に説明して、それが実際の上にどういうふうに行われているかを見て行くことにしよう。

3202 政治上の民主主義に、代表民主主義と純粹民主主義という二つの型があることは、第一章で一應説明しておいた。代表民主主義というのは、法律を作ったり、政治を行ったりする場合に、國民の直接の投票によらないで、國民の中から自由に選ばれた代表者たちが、それらの仕事を行うしくみである。この型では、國民の意志は、國民代表の組織を通して間接に政治の上に実現されて行く。だから、それを「間接民主主義」という。これに対して、純粹民主主義では、國民の直接の投票によって法律案を採決したり、重要な政治問題を決定したりする。そこで、これを「直接民主主義」とも名づける。

3203 間接民主主義の組織の中で、國民の中から選ばれた人々を構成員とし、國民を代表して法律の制定に当たる最も重要な機関は議会である。議会の行う一番たいせつな仕事は、立法である。政府の持っている執行権または行政権は、すべて法律の規定に從って行使されなければならない。それゆえ、政府は、議会の議員の多数の支持を受けないでは、思うような仕事をすることができない。そこで、議会で多数を占めた政党が内閣を組織するのが、順序でもあるし、都合もよいということになる。一つの政党だけで議会の過半数を占めることができなければ、二つ以上の政党が連合して、連立内閣を作る。そういうしくみになっているのが、議会政治もしくは議会中心の民主主義である。

3204 これに対して、行政部が議会からもっと独立した地位を占めている組織もある。この組織では、政府の主脳者、たとえばアメリカ合衆國の大統領は、議会が指名したりするのではなくて、別の方法で國民の中から選び出される。したがって、議会中心の民主主義では、行政権が立法権に依存した形になっているのに反して、アメリカのような型の民主主義では、行政権と立法権とが分立している。ゆえに、これを「権力分立」の民主主義という。それと並んで、民主國家ではどこでも、法律によって裁判をする裁判所の制度が発達しており、裁判所は、議会からも政府からも独立して司法権をつかさどっている。この「司法権の独立」という点は、議会中心制の場合と権力分立制の場合とによって変わることはない。

3205 更に、直接民主主義になると、法律は國民の投票によって決められる。議会はあっても、そこでは法律の案を審議するだけで、その採決は國民表決によるのである。國民表決のことをレフェレンダムという。直接民主主義の度をもっと強めた場合には、國民はレフェレンダムによって法律案の可否を決めるだけでなく、自分たちの側からも法律案を提出することもできるようになる。それが國民発案、イニシアティブである。一定数の國民がイニシアティブによって提出した法律案は、更に國民の承認により、あるいは立法機関の採決によって法律となるのである。

3206 民主主義のこれらの三つの型は、それぞれそのまま純粹に実現されているのではなく、いろいろな型が結びついたり、純粋の型だけでは説明のつかない要素をまじえたりして、各國に行われているのであるが、割合に純粋に近い制度が採用されているものをあげるならば、議会中心制の型はイギリスによって、権力分立制の型はアメリカによって、直接民主制の型はスイスによって代表されているということができよう。そこで、それらの三つの國について、民主主義の制度が実際にどういうふうに運用されているかを、調べてみることにしよう。

 

3 イギリスの制度

3301 近代の民主主義が一番最初に発達しはじめたのは、イギリスである。その意味では、イギリスは近代民主政治の元祖だといってよい。よく人が言うように、現代の文明人が宗教を学んだのは東洋から、アルファベットを学んだのはエジプトから、法律を学んだのはローマからであるが、政治制度について多くのものを学んだのはイギリスからである。ことに、新しい日本の憲法で定めた組織はイギリスの制度によく似ているから、日本國民としてはまずイギリスの政治組織の研究から始めるのが必要でもあるし、理解もしやすいだろう。

3302 イギリスの政治組織の中心をなしているものは、議会である。イギリスの議会は、ほとんど万能に近い権力を持っている。これをたとえて、「イギリスの議会は、女を男にし、男を女にする以外はなんでもできる」と言った人がある。この議会は二院制で貴族院と庶民院とから成っているが、貴族院の方はもっぱら世襲の貴族で組織されているから、ほんとうに國民を代表するのは庶民院である。そうして、また、イギリスの議会の中心となっているものも、庶民院である。だからイギリスの政治が民主的であり、議会の権力が強いというのは、つまり、庶民院の力が強いということにほかならない。

3303 ところで、イギリスの政治形態は立憲君主制で、形の上では、一番上に國王のある組織である。國王は、本來、名誉と正義の源泉と考えられ、法律を作り、これを執行する最高の力を持つものと認められていた。それが、民主主義を要求する國民の長い間の政治闘爭の結果として、だんだんと政治の実権が議会を中心として行われるようになって來たのである。だから現在では、法律を立案し、これを審議するのは、議会に専属する権限で、國王は全くこれに関與することはできない。ただ、國王には、形式の上では議会で決めた法律案に同意することを拒む権利があることになっているけれども、その権利も、一七〇七年以來一度も行使された例はない。つまり、國王の実質上の権力は非常に制限されているのである。そこでイギリスの学者は、國王は民主主義という建物の一番上にある飾りで、本國や自治領の國民が仰いで忠誠を誓う最高の尊い象徴であり、イギリス連邦諸國の間をつなぐみごとな鎖だと言っている。

3304 だからイギリスは君主制であるが、政治の実際の中心を成すものは議会である。中でも、國民によって選ばれ、國民を代表しているところの庶民院である。庶民院を中心とするイギリスの議会は、立法権を持った最高の國家機関であって、同時に、政府の行う一切の行爲を批判すると言う重大な役割を果たしている。政府は議会の多数党の支持を受けているが、議会には必ず反対党があって、政府の政策を常に批判し攻撃する。これに対して、政府は、繰り返してその政策を説明し、弁解し、擁護しなければならない。政府は、それによって絶えずその政治方針が正しいかどうかを反省するようなことになるし、國民は、それによって常に政治問題の中心点に批判の目を注ぐこととなる。かような政治上の議論が公明に行われる舞台として、議会は最も重要な機能を果たしているし、イギリスの議会は、この重要な任務を模範的に遂行しているといってよい。

3305 庶民院の議員は、二十一歳以上の男女が選挙する。すなわち、男女同権の完全な普通選挙である。しかし、現在のこの狀態に到達するまでには、ずいぶん長い時日がかかった。ずっと以前には、有権者が財産のある少数者に限られていたために、國民のほんとうの意志はすこしも議会によって代表されていなかった。それが、だんだんと選挙権の拡大が行われ、ついに、一九二八年になって、はじめて婦人にまで完全に平等な選挙資格が認められるようになったのである。イギリスの婦人参政権の運動は、立憲政治の発達史の上でも特に有名である。これに比べると、日本の今日の完全な普通選挙権は、國民の側からのほとんどなんらの苦闘もなしに、一挙に與えられたのである。これだけに、形だけはりっぱに整っていても、國民の政治的自覚や訓練の点では、まだまだ不十分である。このりっぱな形の中に、それにふさわしい民主政治の実質を盛り上げて行けるかどうかは、ひとえに民主主義の根本精神に徹しようとする國民の心構えのいかんにかかっている。

3306 イギリスの庶民党が民意の完全な代表機関であるのに対して、貴族院のほうは、前にも言ったように、世襲の貴族によって構成されている、貴族というものは封建時代のなごりであるから、貴族が当然に議員になるという制度は、民主政治の原則から見て不適当なものであるに相違ない。しかし、イギリスでは、貴族院の権限を非常に小さくして存続させている。前の章でも説明したようにこの貴族院の権限の縮小を断行したのは、一九一一年の國会法であって、これによって、同じ法律案が続いて三回庶民院で可決された場合には、貴族院でその都度それを否決しても、國王の裁可を得て法律とすることができるようになったのである。けれども、そういうふうに、貴族院の反対によって法律案の決定を延ばせば、その間に世論の批判も熟して來るから、軽率な立法を避けるという点ではかなりの効果がある。そこに、また、二院制の長所があることを認めうるであろう。

3307 議会の基礎の上に立って、國王の助力をするという形で実際の政治の運用に当たっているのは、内閣である。内閣の組織と進退については、三つの慣習上の原則がある。第一は、大臣は必ず議会の議員でなければならないということである。しかも、庶民院議員たる大臣のほうが貴族院たるそれよりも、多くなければならないことになっている。これによって、内閣のすることが、絶えず國民代表たる議会の批評や忠告を受けることになる。第二に、各大臣は連帶して責任を負うということで、各省それぞれの事務については別々の責任があるけれど、内閣の仕事については、全部の大臣がいっしょに責任を負っている。これによって、すべての大臣が一致して、一つの方針で仕事をすることが保障されるわけである。第三に、内閣は、庶民院が不信任の決議をしたり、その内閣の生命といってもいいような重要な法案を否決したりすると、総辞職をする原則になっている。総辞職をする代わりに、庶民院を解散して、信を國民に問うこともできる。これらの原則が円滑に行われることによって、内閣が議会の中に、したがって國民の中に深く根をおろした民主主義的な制度であることが保障されるわけである。

3308 イギリスの政治組織は決していっぺんにかような制度としてできあがったのではなく、長い歴史を通じてだんだんとここまで発達して來たのである。そうして、そのしくみは、いろいろな法律によって次から次へとできあがったものであり、それと並んで、成文の形を備えていない慣習上の原則によっている部分も少なくない。だから、イギリスは、立憲政治の源であるといわれるが、日本やアメリカのように、一つの法典の形にまとまっている憲法を持たない。ただ、國家の根本の利益に関係のある法律の改正をする時には、それに先立って総選挙を行い、民意を問わなければならないという原則が、これまた政治上の慣習によって確立されている。

 

4 アメリカの制度

3401 次に、アメリカ合衆國で行われている民主政治の制度を調べてみよう。

3402 近代の民主政治が生まれる以前には、専制君主が國家の権力を全部その手に握っていた。だから、たとえば、ある君主が、ほんのきまぐれから、いぬをいじめたものは死刑にすると言い渡したとする。そうすると、それが法律となって、人をかむ癖のあるいぬを棒で追い拂っても、死刑に処せられる。あらかじめ法律を定めておかないでも、りっぱな宮殿を作るために過酷な税金を取り立てることもできるし、氣に入らぬ家來をその場で手打ちにすることもできる。

3403 そういう乱暴な政治や裁判によって國民が苦しむことがないようにするためには、いったいどうしたらよいであろうか。たとえば、アメリカでは國民を代表する議会で法律を作り、その法律を行政の上に執行する仕事は大統領が受け持ち、法律によって裁判をする仕事は裁判所でつかさどるというふうに、三つの権力をそれぞれ分担して行うようなしくみにしている。つまり、法律を制定する機関は、法律を執行し、裁判を行う機関とは別々でなければならない。立法権・行政権・裁判権を一手に握ると、どんな暴政でも行いうることになる。だから、その三つの権力を区分して、これを独立した三つの機関で運用するようにしなければならないというのが、権力分立または三権分立の原理である。そうして、この原理を一番はっきりと表しているのが、アメリカ合衆國の憲法なのである。

3404 まず、立法権を行うのは、國会(連邦議会)である。國会は法律の制定にあたる唯一の機関であって、後に述べるように、大統領は國会の決めた法律案を拒否することができるけれども、それは絶対的のものではない。しかも、行政権を有する行政機関も、裁判権をつかさどる裁判所も、國会が作った法律によって組織され、法律に基づいて行動し、國会の同意した予算をもって活動するのである。その意味で、國会の受け持つ仕事は、他のすべての國家活動の基礎をなしているといってよい。

3405 國会は元老院(上院)と代議院(下院)との二つから成っている。アメリカ合衆國は連邦の組織で、四十八の州(現在はアラスカとハワイが一九五九年に加わって五十州)から成り立っている。そこで元老院の方は、各州から平等に二名ずつ選ばれた議員で構成される。これに対して、代議院の方は州の人口に應じて各州に割り当てて選挙された議員を持って組織されている。この選挙をする資格はきわめて廣く、かつ平等に認められ、男女の別のないことはもとより、皮膚の色による差別もおいおいに撤廃されつつある。(編集者注:南北戰爭後のアメリカで、一八七〇年、憲法修正第15条によって黒人に選挙権が与えられた。しかし、本当に平等になったのは、一九六四年の公民権法で公共施設における黒人と白人の分離が憲法違反であることが確定し、一九六五年の「投票権法」で、州が黒人の有権者登録を不当に妨害した場合、連邦政府が有権者登録を行えるようにしたという経緯を経ている。)人間はすべて平等に生まれたということは、アメリカの独立宣言書が自明のことと認めた大原則であるが、この原則は、政治に参與する立場の平等としては、合衆國の制度の中に既に廣く実現せられているといってよい。

3406 國会の主たる任務は立法であって、國会以外の機関は立法に参加しない。だから、アメリカでは、大統領は國会に向かって立法の勧告を行うことはできるが、法律の発案権は持たない。

3407 法律が両院のどちらかを通過すると、すぐにももう一つの議院にまわされる。たとえば、法案がまず元老院を通ったとすると、それは、直ちに代議院に送られ、そこも無修正で通れば、両院議長が署名して、大統領に提出する。大統領がこれを承認すると、署名して國務省に送り、國務省がこれを公布する。大統領がそれを拒否する場合には、理由を附して、初めにその法案を通過させた議院に送り返す。しかし、大統領が拒否しても、両院の三分の二以上の多数でそれをもう一度議決すれば、その法律は成立する。前に、大統領の拒否権は絶対のものではないといったのは、このことにほかならない。

3408 次に、アメリカ合衆國の行政権の最高責任者は、大統領である。大統領は一般國民の間から投票によって選ばれるのであるから、どんな貧乏な家庭に生まれた少年でも、いつの日かこの世界第一流國の大統領になることがありうる。四年に一度の大統領選挙は、アメリカ國内を興奮させる。ただし大統領は直接に國民が選挙するのでなくて、國民はまず大統領選挙人を選び、その選挙人が大統領を選挙するのである。つまり、アメリカの大統領選挙は間接選挙なのである。ところで、大統領選挙人は、決して自分一個の意見によって投票をするのでなく、自分の所属する政党があらかじめ指名した大統領候補者に投票する。だから、國民が選挙人を選んだ時に、だれが大統領に当選するかが事実上決まってしまうのである。そこで、各政党が自党の大統領候補者を指名する大会が、すこぶる重要な意味を持つ。二大政党である共和党および民主党の大統領候補指名の大会を皮切りに、その年の十一月に行われる國民投票による選挙人の選挙に至るまで、國内は政治問題でわき立つようににぎわう。そうして、それらの行事がまた、國民の政治意識を高める大きな機会になっている。(編集者注:各州には人口比例ではないがそれに應じた選挙人の定数がある。メイン州とネブラスカ州以外では、他の選挙人團より一票でも多くの票を獲得した選挙人團がすべての選挙人を出すことができる。つまり実質的には、州の一般投票で最多得票の大統領候補がその州の全ての選挙人を獲得する勝者総取り方式である。全州で獲得した選挙人の数を合計し、獲得総数が多い候補者が勝利する。なお、有権者の投票総数が直接反映される制度ではないため、一般投票の全州合計での次点候補が当選することもある。)

3409 大統領は、その行政権を行使するために、職務遂行の協力者として、各省長官を任意に選任する。この各省長官の集まりを内閣とよんでいる。内閣は大統領の下にあって、大統領を補佐するのである。したがって内閣は大統領に対してのみ責任を負い、議会に対しての責任を負わない。行政権の行使についての全責任は、大統領ひとりが持っているのである。

3410 だから、アメリカの大統領は、行政に関してはきわ立って强い権力を持っている。このことを示す有名な例として、リンカーン大統領の逸話がある。ある重大な閣議で全員がリンカーンに反対した。そこでかれは言った。「反対が七で賛成が一であります。そこで、賛成と決定しました。」と。

3411 権力分立の原則が堅く守られている結果として、大統領は國会の運営には関與しない。しかし、大統領の政策を実行するためには、その基礎になる法律が國会で制定されなければならない。そこで、國会をうながして、自分の政策と一致する法律を制定するようにしむけて行くことが、大統領の腕だということになる。そのためには、多数党の活動に待つところが多いが、また、大統領が自分の必要だと信ずる施策について國会の審議を勧告することもできる。この勧告は、普通いわゆる「教書」として國会に送られる。教書は文書として示されることもあるし、大統領自らが口頭で傳えることもある。

3412 三権の中のもう一つ、すなわち裁判権または司法権を行うのは、いうまでもなく裁判所である。しかし、アメリカの最高裁判所は、一般の司法権のほかに、國会で制定した法律が憲法にかなっているかどうかを審査するという、きわめて重大な権限を持っている。これを「違憲立法審査権」という。最高裁判所は、國会で制定した法律が憲法の趣旨に反していると認めれば、その法律の適用を拒否することができ、その結果としてこの法律は自然に効力を失うのである。この原則は慣習によってできあがったものであって、憲法の明文に書いてあるわけではない。しかし、この原則がある以上、國会の立法権も最終的なものではないということになる。國会といえども人間の会議であり、人間の会議である以上、その決定がいつでも必ず正しいということはできない。そこで、最高裁判所の違憲立法審査権によって國会の行き過ぎを戒め、國会での多数決の結果が憲法の精神に反することがないようにしてあるのは、アメリカの制度の持つ大きな妙味であるといわなければならない。

3413 ところで、かように重大な責任をになっている裁判所は、憲法の定める最高裁判所と、法律によって設けられる下級裁判所とから成り立っている。だから、裁判所の組織の細かい点は、國会の制定した法律によって定められている。つまり、最高裁判所は國会の違憲立法を戒める権限を持っているが、裁判所をどういうふうに設けるかについては、逆に國会の決定が大きくものをいうのである。また、最高裁判所で仕事をしている裁判官に関しては、憲法は終身その地位にあるものと定め、それによって裁判所の独立を保証しているのであるが、他方また、裁判官の任命は大統領が元老院の同意を得て行うこととし、その限りでは、最高裁判所の人事に対する行政権の関與を認めている。このように、アメリカの制度は、立法・行政・司法の三権を一應はっきりと分立させつつ、その間を微妙に関連させて、お互の間の均衡が保たれるように、注意深くくふうされているのである。

 

5 スイスの制度

3501 わが子の頭の上に載せられたりんごの的をみごとに射抜き、もしも射損じたならば、二の矢をもって代官を射倒そうとしたウィリアム・テルの話は、世界中の少年少女が知っている。横暴な代官に対抗して、祖國スイスの自由を守ったテルの勇氣は、民主主義の英雄たるにふさわしい。それは遠い昔の話であるが、現在でも、スイスは民主政治の一つの重要な見本を示している。

3502 スイスは、アメリカ合衆國のように連邦であって、いくつかの州から成り立っている。スイス連邦政府は、立法・行政・司法の三部門に分かれ、立法府は國民議会と連邦議会とから成っている。連邦議会には各州から平等に二名ずつの議員を出しており、その点ではアメリカの元老院に似ている。國民議会の方は、各州から比例代表制によって選挙されたおよそ二百名の議員によって構成される。比例代表制というのは、後に選挙についての章で説明するが、各政党が國民の支持する数に應じた議員を出すことができるように、特別にくふうされた選挙方法のことである。選挙権は、二十歳以上の男子に與えられ、婦人参政権はまだ認められていない。選挙は、アメリカその他の國のように鳴り物入りで熱狂的に行われはしないが、棄権者が少なく、政治問題を冷静に判断して投票を行っている点には学ぶべきところが多い。(編集者注:スイスで婦人参政権が認められたのは、ヨーロッパ内でも比較的遅く、連邦レベルで一九七一年、全州レベルで一九九一年であった。また、同じ一九九一年に選挙権は十八歳以上に引き下げられた。投票率は時代が変わって二〇一〇年代には四十パーセントを少し超える程度になっている。)

3503 スイス政府の行政部は、独特な組織を持っている。行政権の首長は、普通は國王とか大統領とかひとりであるものだが、スイスでは、それが多数の人々から成っている。連邦参事会議がそれで、両院が選挙した七名の参事員で構成される。毎年、両院合同の会議で連邦参事会議の参事員の中の一名を参事会議の議長に選び、これにスイス連邦大統領の称号を與える。しかし、大統領は、参事会議の議長となり、可否同数の時にこれを決する権限を持っているにすぎない。官吏を使命することも、法案を拒否することも、外交を行うこともできない。だから、大統領は全く名義上の連邦の元首であって、儀式の時に國を代表するだけである。

3504 しかし、スイスの制度の持つ最も著しい特色は、直接民主主義が発達していることである。すなわち重要な法律案は、立法府で審議した上で國民投票に問い、國民がこれを承認して、はじめて、法律として施行される。更に、國民の中の一定数の有権者の意見がまとまれば、國民の側から法案を提出し、立法府がこれを採決するか、あるいは國民がこれを表決するか、どちらかの方法によって法律が制定される。前の制度は國民表決であり、あとのしくみは國民発案である。(編集者注:國政レベルだけでも年に三〜四回の國民投票が実施されており、更に各州の住民投票が存在する。)

3505 今言う通り、これら二つの方法によって立法の中に國民の意志を直接に反映させる直接民主主義は、スイスの制度の大きな特色であるが、今日では、アメリカの州の中にも同様のしくみを採り入れているところがある。だから、アメリカは、合衆國全体としては間接民主主義によっているが、州によっては、ある程度直接民主主義が加味されているといってよい。

3506 直接民主主義は、國民の意志によって直接に立法の問題を決定しようというのであるから、民主主義としては最も徹底した形である。けれども、他方からいうと、立法の問題はなかなか複雑でむずかしい。しかるに、國民の多くは、決して法律のことに詳しいとは言いえない。そのむずかしい立法の問題を、法律の知識を十分に持たない國民が直接に投票して決めるということになると、氣まぐれや偶然によって事が左右されるおそれがある。そこが、直接民主主義についての議論のわかれるところである。いずれにせよ、國民の政治常識が相当に高まった上でなければ、直接民主主義を実施しても、必ずしもよい効果は望めないであろう。

3507 民主主義の制度には、このようにいろいろな型がある。われわれは、その中のおもだった三つの型の実際をイギリス、アメリカおよびスイスの制度について見て來たのであるが、更にフランスとか、カナダとか、オーストラリアとかの政治組織を考察して行くならば、そこにそれぞれ大なり小なり違った点があることを発見するであろう。更に一つの國の政治組織といえども、時代とともにだんだんと変化して來たのであるし、これからも発展を続けて行くであろう。民主主義はあたかも生きた有機体のように不断に成長しつつある。しかもその根底にある原理、すなわち、自由に表明された國民の意志によって、國民自らのために政治の方針を定め、國民が自由に選んだ代表者によってその方針を実行して行くという原理は、常にただ一つであって、決して変わることはないのである。

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第四章 選挙権

 

1 國民の代表者の選挙

4101 民主政治は、國民による政治である。しかし、國民による政治といっても、國民のみんなが実際の政治の仕事に当たるわけにはいかない。そこで、民主政治は、原則として「國民の代表者」による政治として行われる。國民は、自分たちの中から自分たちの代表者を選ぶ。その代表者たちは、國民の意志に基づいて、國民のための政治を行う。したがって、選挙をする國民の範囲が廣ければ廣いほど、それによって選ばれた人々は、それだけよく國民の氣持を代表することになる。しかも、選挙に対する國民の考えが進めば進むほど、りっぱな代表者に政治をゆだねることができるようになる。だから、選挙がよく行われるかどうかは、民主政治を成功させるかどうかの鍵であるといっても、決して言いすぎではない。

4102 ところで、國民の代表者にはいろいろあるが、その中でも特にたいせつなのは、國民に代わって法律を作る仕事をする議会の議員である。しかし、ただ議会というと、地方自治体にもそれぞれ議会があって、まぎらわしいから、國全体の議会をさす場合には、國会ということにしよう。國会で作った法律は、國民の生活を規律すると同時に、政府が政治をする場合の筋道となる。だから、よい法律ができれば、國の政治はそれだけよくなる。よい法律を作るためには、國会がほんとうに國民の氣持をよく代表するような人々によって組織されなければならない。國会によい人々を送るためには廣く國民に選挙権が與えられ、その選挙権を國民が正しい判断によって用いるようにならなければならない。

4103 専制政治や独裁主義では、ひとりの専制君主やひとりの独裁者と、それを取りまく少数の人々とが、絶対の権力を握っている。そうして、自分たちの思うままにその権力をふるって、國民の生活を圧迫し、國民の権利をふみにじる。そう言う弊害を防ぐために、あらゆる権力を、あらかじめ定めてある法律の筋道からはずれることがないように規律するのは、民主政治の大きな眼目である。専制政治や独裁政治にも法律がないわけではないが、その法律は、専制君主や独裁者がかってに決めたものである。そうして、それは、國民を束縛するために作られているのである。これに対して、民主主義の制度の下では、法律を作るのは、國王でも、大統領でも、総理大臣でもなく、國民自身なのである。そこでは、國王でも、大統領でも、総理大臣でも、その他いかなる公務をつかさどっている人々でも、國民の作った法律には從わなければならない。ただ、國民が直接に法律を作る仕事をする代わりに、それを、國民の代表者たる國会に任せるのである。國会の仕事がいかにたいせつなものであるか、有能で忠実な國会議員を選ぶことが國民にとってどんなに重要であるかは、これによってよくわかるであろう。

4104 もっとも、法律を作る仕事を國会だけに任せておくのはよろしくない、という議論もある。國会を通じて立法を行っただけでは、必ずしも、ほんとうに國民の意志にかなった法律が作られるとは限らない。國会の多数党の考え方一つでは、國民の意志に反した法律が作られて、それによって政治が行われるようになることがないとは言えない。だから、法律を作る場合には、國民の直接の投票によって可否を決するようにしなければならない、というのである。この議論を実際に行おうとする制度が、前の章に述べた純粋民主主義または直接民主主義である。

4105 しかし、今日の國家の法律は非常に複雑な発達を遂げている。したがって、よい法律を作るためには、専門の知識がいるし、よくよく利害得失を考えてかからなければならない。それを、法律についてはしろうとが多い國民が決めるということになると、必ずよい結果が得られるというわけにはいかない。まして、國民が、いいかげんな判断や、物好きな氣持などで投票をすれば、せっかく苦心してできたよい法律案が否決されてしまうというようなことにもなる。それに、何千万というような人口を有する國家で、一々の法律案を國民に示し、國民の投票によって可否を決するということは、たいへんな手数と暇とがかかる。そこで、実際には、高い識見と深い経驗とを持った人々を集めて國会を組織し、法律の制定は國会に任せて、國民は國会議員を選挙するにとどめておく方が、かえってぐあいがよいということになる。それが代表民主主義または間接民主主義であって、今日の大部分の民主國家では、この方法が制度として採用されている、

4106 だから、國会議員によい人を選ぶかどうかは、民主政治が栄えるか否かの大きな分かれめである。選挙は、國民のひとりひとりがほんとうに信頼できる人を選んで自分たちの代表者とし、これにたいせつな立法権をゆだねるための、最も厳粛な行爲でなければならない。ところが、候補者の中には、なんとかして自分に投票を集めようとするために、選挙民のごきげんを取ったり、都合のよい宣傳をしたり、できもしない約束をしたりするものもある。そうした策に乗せられないで、ガラスの玉の中からほんものの宝石を選び出すのは、國民の良識である。國民の代表者がよい法律を作り、よい政治をするようにさせるためには、まず國民の政治的良識が高くならなければならない。人を選ぶ國民の目に狂いがなければ、國民はりっぱな代表者を通じて、國民自身の幸福になるような政治を行うことができる。

4107 法律を作るのは、國会の一番大事な仕事であるが、いくらよい法律を作っても、その運用のしかたが惡ければ、政治の効果は決して上がらない。ところで、法律を運用するには、一方に裁判所があるが、実際の政治の方面で法律の執行をつかさどるのは政府である。したがって、政治が円滑に行われるためには、國会と政府との間の呼吸がうまく合って行くことが必要である。そこで、多くの民主國家では、國会との調子の合った政府を作ることができるようなしくみになっている。日本の新憲法で、「内閣総理大臣は、國会議員の中から國会の議決で、これを指名する。」ことになっているのも、そのためである。だから、國民が國会議員を選挙するのは、ただ國会議員を選んでいるだけでなくて、それと同時に、直接に政治をつかさどる政府の首脳者を選ぶことになるのである。選挙の重要性は、それだけにますます大きいといわなければならない。

 

2 選挙の方法

4201 國会は、政治の筋道を示す法律を作ったり、法律を執行して政治を行う政府の首脳者を決めたりする。だから、國の政治のだいたいの方針は、國会によって決定されるといってよい。しかし、國の政治をどういう方向に決めて行くのがよいかについては、いろいろと違った意見がありうる。そこで、政治に対する考え方の相違によって、幾つかの政党ができて來る。そうして、國会で多数の議席を占めた政党が立法の方針を左右するし、特に議会中心制の民主主義では、その政党が内閣を組織することになる。一つの政党だけでは力が不十分であれば、似通った政策を採ろうとする二つ以上の政党が、連合して内閣を作る。それを議会政治ということは前述した。

4202 このように、國政の中心をなす國会の中に政党の対立があって、互に勢力を爭い合うということは、國全体の足並みが一致することを妨げるという弊害がないではない。しかし、どういう政治をしたらよいかを、ただ一つの考え方だけで決めるのは、すこぶる危險である。やはり、それとは反対の立場の人々もあって、物事を表からも裏からもよくながめ、互に批判し、議論をたたかわせつつ政治をやって行くところに、民主政治の妙味がある。一つの方針だけが絶対に正しいとして、他の立場からの批判を封じてしまうのは、独裁政治の常用手段であって、結局は國民を馬車馬のように破局へかり立てることになる。ただ、あまり多くの政党に分かれて勢力爭いに浮身をやつすようになると、政治の安定が保たれず、國内動揺の源となるから、二つか三つぐらいの政党にまとまって、公明正大な議論をたたかわせて行くことが望ましい。

4203 それであるから、國民が國会議員を選挙する場合にも、ただ候補者の人物だけを見るのではなく、その候補者がどういう政党に属し、どういう政治上の信念を持っているかを、十分に考える必要がある。國民は選挙によって人を選ぶと同時に、政党を選ばなければならないのである。

4204 それでは、候補者の人物と、その候補者の属している政党との、どちらに重きをおいて選挙すべきであろうか。

4205 これは、なかなかむずかしい問題である。政党の分野がはっきりとして、その政策が確立されるようになれば、言い換えれば、政党がそれぞれりっぱにできあがった上は、まず政党を考えて投票すべきである。しかし、政党の境目がはっきりせず、その政策がぐらぐらと変わるような狀態では、人物本位に選挙することも必要になって來る。せっかく一つの政党を支持して、その候補者に票を入れても、当選したあとになって切りくずしが行われたり、寝がえりを打ったりして、その人が別の党派に行ってしまうというようなことでは、政党本位に選挙をしても無意味になる。だから、私たちは、政党に重きをおくべきではあるが、それと合わせてよく人物を見て、それに投票するのがよいであろう。しかも、選挙が終わってしまえばそれでもう用はすんだというような考えになることなく、それから後も、議員たちの行動を注意深く見まもり、これに公明な批判を加え、りっぱな人々によって組織されたりっぱな政党を、國民自らの手で育て上げて行くという心構えを持つことが必要であろう。

4206 議会政治は個人を單位としてではなく、政党を單位として行われる。したがって、いかにりっぱな人が選ばれても、その人の属する政党の議員数が少なければ、議会政治をリードして行くことはむずかしい。ところが、選挙をする場合に、ある政党の中のひとりの候補者がきわだって有名な人物であったりすると、その人だけに必要以上のたくさんの投票が集まってゆうゆうと当選するが、そのお陰で同じ政党の他の候補者が落選してしまうということになる。そこで、ある候補者が当選するのに十分な票数を得た上は、それ以上の投票はその人のものとして数えずに、同じ政党の他の候補者の方へ振り向けるというしくみを考えることもできる。この方法もしくはこれに似た他の方法によって、おのおのの政党から國民の支持に比例した議員が選ばれるように選挙を行うしくみを「比例代表制」という。

4207 比例代表制は、理論の上では最も進んだ選挙の方法であるが、実際にこれをうまく運用することは、なかなかめんどうでむずかしい。そこで、ただ單に一つの選挙区からひとりまたはふたり以上の議員を選び出すという普通の方法が、今でも多く用いられている。わが國では、これまで一選挙区からひとりまたはふたりの議員を選ぶのを小選挙区制、三人から五人の議員を選ぶのを中選挙区制、それ以上の数の議員を選ぶのを大選挙区制とよんで來た。小選挙区制だと、選挙人が候補者のことをよく知っている場合が多く、したがって地方の名望家を選ぶのに適している。大選挙区制だと、いろいろな候補者を見わたして、その中からよいと思う人を自由に選ぶことができ、それだけ選択の範囲が廣いという長所がある。(編集者注:一九九四年以降、日本の衆議院議員選挙は小選挙区比例代表並立制となっている。この小選挙区制は、一選挙区からひとりを選ぶものである。)

4208 いずれにせよ、國会議員の選挙は、民主政治の行う選挙の中でも最も重要なものの一つである。共和國で、國会議員とは別に大統領を選挙するような場合には、その選挙には國民が一番力こぶを入れるのが常であるが、天皇は世襲で定まり、内閣総理大臣は國会の指名で決まる日本のような國では、國会議員の選挙は、なんといっても最もたいせつである。國会議員の選挙権は、民主國家の國民の有する尊厳な権利であり、これを良心的に行使することは、またその神聖な責務である。

 

3 選挙権の拡張

4301 民主主義の発達は、主として選挙権拡張の歴史であった。民主主義のまだ徹底していない時代には、國民は選挙権が與えられても、その範囲は著しく限られたものであった。イギリスやアメリカのような國々でも、最初のうちは、財産のない者や、人種の違う者や、ある種の宗教上の教派に属する者は選挙からしめ出されていた。このように、有権者の数が少なければ少ないほど、一般國民の声は封ぜられて、貴族や財産家だけが思うままの政治を行うことができる。それは、専制政治から民主政治への移り行きの、まだ初歩の段階であった。

4302 いったい、政治上の権力というものは、用い方で、毒にもなり、薬にもなる。ちょうど、同じ薬品が、薄めて用いれば薬となるのに、これを濃くすると少量で人を殺す毒薬となるように、権力もまた、ひとりの人や少数の人々が独占していると、民衆を苦しめる恐ろしい毒薬になる。したがって、権力をなるべく多くの人々に分けて薄め、これを薬として用いることができるようにしなければならない。ところが、現に権力を握っている人々は、権力を独占していればいるほど、自分たちの利益になるような政治をすることができるから、なかなか選挙権を多くの人々に拡張することに同意しない。それに、政治を動かしている少数の人々は、どうしても上に立っているような氣がして、おおぜいの國民の知識や道徳の程度を低く見くだす癖がついている。そこで、かれらは、そんな者に選挙権を與えることは危險であると言って、これに反対する。しかも、そういう特権階級がその氣にならなければ、法律を改正して選挙の民主化を行うことはできないのだから、選挙権の拡張ということはなかなか実現しにくい。その根強い障壁を打ち破って選挙権を廣く國民の間に行きわたらせ、明るい公正な民主政治が行われるようになったのは、次第に高まって來た國民の政治的自覚と、進歩的な思想家たちの熱心な主張とのお蔭にほかならない。

4303 政治の民主化の長い歴史を通じて、特に重要な意味を持っているのは、選挙権についての財産上の制限が取り除かれて行った成り行きである。

4304 いったい、財産を持っているものだけが選挙にたずさわって、財産のない者を選挙からしめ出すというのは、全く理由のないことである。それなのに、以前は、貧乏人は教育がないとか、教養が低いとかいう口実のもとに、選挙権を、一定の財産上の條件を限って認めるということが行われていた。しかし、それは結局、財産家だけの利益のためにする金権政治にほかならない。財産の少ない者は、普通どこでも國民の大部分であるし、それらの勤労階級の額に汗する努力によって、國の力がささえられているのである。政治は、すべての人々の利益のために行わなければならない。それには、まずもって、それらの勤労階級の考えが選挙の上に現れるようにしなければならない。それらの人々は、金持たちのうわべを飾る形式的な礼儀にはうといかもしれないが、眞実の問題を眞劍に考える誠意を持っている。金がないから、上級の学校に通うことはできなかったかもしれないが、義務教育の普及とともに、普通の常識は心得ているし、何よりも実地についての生きた経驗を持っている。そういう誠意や経驗を政治の上に活用しないという法はない。したがって、それらの人々の世論が強くなって行くにつれて、政治の決定権を独占していた財産家たちも、だんだんと譲歩せざるを得なくなり、次第に財産上の條件が取り除かれて、貧富の差別なく、國民が平等に選挙権を行使することができるようになって來た。

4305 財産のある、いわゆる上流の人々だけが選挙権を持ち、その代表者を議会に送って自分たちの利益を守らせるという制度は、初めは、どこの國にも行われた。そういうふうに、金持によって独占されていた政治権力が、一般の國民にひろげられて行ったのは、一つには、民主主義の思想が強くなり、まずしい勤労階級のために努力する人々が多くなって來たため、二つには、第十八世紀の末から第十九世紀にかけて、工業の発達に伴う産業革命という現象が起り、諸國にひろまったためである。これは、農業や手工業中心の経済から大工業中心の経済への変化であって、それによって、おおぜいの農村の人々が都市に出て、工場労働に從事することになった。それらの人々は、それだけ政治に対する知識と自覚を高め、だんだんと大きな政治勢力を形づくるようになって行った。かくて、新たに興って來た労働階級が、都市の小市民や農村の小作人たちと結んで、絶えず政治への参加を要求し、ついに選挙権に関する財産上の條件を取り除くことに成功するにいたった。

4306 これを日本について見ると、明治憲法の下で初めて議会制度ができたころには、直接國税年額十五円以上を納めなければ、議員の選挙に加わることができなかった。それを、明治三十三年の選挙法の改正で、税額十円にまで引き下げた。十円とか十五円というと、今ではほんのわずかなはした金のように思われるが、明治二十年、三十年代には、十円の國税を納めるということは、相当の収入のある人でなければできなかったのである。そこで、大正八年には、税額が三円に改められた。これに対して、いわゆる普通選挙の運動というものが盛んに展開され、大正十四年の改正選挙法によって、いっさいの納税及び財産の資格が取り除かれ、租税を納めない貧乏人であっても、年齢が満二十五歳以上であり、重い刑に処せられた者や精神上の不具者でない限り、選挙権を有するということになったのである。

 

4 婦人参政権

4401 今言う通り、日本では大正十四年に選挙に関する財産上の制限がなくなった。そこで、そのころのひとは、普通選挙が実現されたと言ったのである。しかし、それは男子だけの普通選挙であって、その中にはひとりの女子も含まれていなかった。わが國だけではない。他の進歩した民主主義の國々でも、婦人参政権ということはなかなか行われるにはいたらなかった。なぜだろう。なぜならば、西洋でも、昔から長いこと女は男よりも一段地位の低いものと考えられていたからである。それに、女子は家庭の仕事に専念しているのであって、男子のように社会的な活動を営むわけではないから、分業という点から考えても、政治の問題に参與するのは男子だけでよいというように見られていたからである。

4402 けれども、民主主義の根本精神たる人間平等の立場から見て、かような差別は、とうていいつまでも維持されるべきはずのものではない。しかし、民主主義は、能力や経驗の大小を全く無視して、單にすべての人間を一律平等に取り扱おうとするわけではない。現に、選挙権については、どこの國でも一定の年齢上の制限を設け、子供は選挙に加わる資格がないものとされているのである。しかし、男性と女性との区別になると、事情は全く違う。女性が低い地位におかれていたのは、主として男性が横暴だったからである。婦人の知識が低かったとすれば、それは高い教育を受ける機会が與えられていなかったためである。平均して、女子の方が男子よりも才能が劣っているかどうかは、わからない。よしんばそういうことが言えるとしても、無能な男子にも選挙権が與えられているのに、すぐれた女子には公民としての資格がないというのは、不合理千万なはなしである。それに、社会的な活動への婦人の参加は、おいおい世界の大勢となって來た。婦人のこまかい情操と行きとどいた配慮とは、公共の活動についても、方面によっては男性の及ぶべくもない働きを示すことが明らかになった。たとえば、衣食住の生活改善は、婦人の政治参與なしには解決されがたい。そういう事情と並行して、イギリスのジョン・スチュアート・ミルをはじめ、多くの先覚者が、婦人に参政権を與えよということを主張し、それが大きな世論となって、男女平等の選挙権が認められるようになった。イギリスで婦人参政権が認められたのは、一九一八年であり、アメリカ合衆國では、一九二〇年の憲法改正によって、一般に婦人も選挙権を行うようになったのである。

4403 日本では、大正(一九一二〜二五)の終りになって、男子だけの普通選挙が認められたのであるが、そのころまでは民主主義の方向に発達して來た政治の動きが、昭和の時代にはいるとまもなく、軍國主義や独裁政治の邪道に脱線してしまった。したがって、婦人参政権などどいうことは、全く問題にされる余地もなくなったのである。それが今度の戰爭の結果として、軍國主義や独裁主義は滅ぼされ、民主主義を、改めて政治の上に徹底させることになり、婦人の参政権が一挙に実現すると同時に、選挙を行うための年齢の資格も、男女とも満二十歳に引き下げられた。それによって有権者の数は、全國で約二千三百万人の増加をみた。また、選挙されて國会議員となるための年齢上の條件は、衆議院では二十五歳、参議院では三十歳と定まり、若い國会議員や婦人代議士もできて、新しい日本を築くために働いている。

4404 財産上の制限もなくなり、婦人参政権も実現すれば、それがほんとうの普通選挙である。しかし、ほんとうの普通選挙といっても、選挙権について國民の間になんの制限もなくなったわけではない。重い犯罪を犯した者や、二十歳未満の少年少女には選挙権はない。だから、どんな普通選挙でも、文字通り國民のすべてに行きわたっているというわけには行かない。二十歳という年齢の制限は、かなり機械的なものである。二十歳にならないでも、政治のことに相当明るい、有能な人もあるであろう。三十、四十になっても、政治には無関心な者があるに相違ない。けれども、野球の花形選手を選ぶのとは違って、子供にまで参政権を認めるのは適当ではないとすれば、この辺で線を引くよりほかはあるまい。選挙権拡張の歴史は、これでひとまず到達すべき点に到達したものと言ってよいであろう。(編集者注:二〇一五年・平成二十七年の公職選挙法の改正により満十八歳以上の男女に選挙権が与えられた。)

 

5 選挙の権利と選挙の義務

4501 こうして、日本の民主政治は、選挙権という点に関しては、どこの外國に比べても劣らないほどに、國民の間に廣い地盤を持つことになった。しかし、これは、いま言う通り、敗戰の結果なのであって、日本人がほんとうに民主政治の意味を自覚して、自分たちの力で選挙権の範囲をこれだけに押しひろげたわけではない。したがって、ここでよほどしっかりと民主政治のしかたをのみこみ、人間としての教養と政治に関する常識とを養っておかないと、この廣く認められた選挙権が宝の持ち腐れになる。一時の困難に打ちひしがれたり、過激な思想に雷同したりして、みんなで独裁者をかつぎ上げたりするようなことがないとは限らない。

4502 たとえば、ドイツは、第一次世界大戰に負けたあとで、ゲーテの死んだワイマールという町で新しい憲法を作り、國会を中心とする高度の民主政治を行うことにした。ところが國会の中にたくさんの政党ができて、あーでもない、こうでもないと爭っているうちに、ヒトラーに率いられたナチス党というものが起って來た。政党政治の煮え切らない態度にあいそをつかしたドイツの國民は、男も女も、その與えられた廣い選挙権を用いて、景氣のよいことをいうナチス党に投票を集中し、これを國会の第一党に仕立て、自ら求めて独裁政治の基礎を確立してしまった。そのナチスの独裁主義は、だんだんと図に乗って國際法を破り、國際間の信義を踏みにじり、ついに無謀な戰爭に突入して、國民を日本以上の惨憺たる運命におとしいれてしまった。これでみても、新しい民主主義の憲法ができ、選挙権が國民の間に廣く行きわたったからといって、それだけで民主政治がうまく行くと思ったら、とんでもないまちがいであることがわかる。

4503 選挙権がどんなに拡張されても、國民が、その與えられた権利を用いて独裁者に投票すれば、民主主義はこわされてしまう。が、しかし、それだけではない。選挙権者の多くがその権利に忠実でなく、投票を怠る場合にも、社会の裏面に隠れて民衆をあやつる独裁者の、思うつぼにはまってしまうことを忘れてはならない。

4504 なぜかというと、國民が政治に無関心であれば、ある一つの目的を是が非でも実現しようとする連中だけが、有力な候補者を押し立て、お互に語り合ってその候補者だけに投票を集中する。そうすれば、よしんば、そういうふうにして権力をわがものにしようとする人々が國民の中の少数であっても、結局は無関心な國民の多数を押さえて、権力を独占するという仕事に成功することができる。そうなれば、権力を独占した連中は、多くの國民があとになってこれはたいへんだと氣がついても、もう民主的に自由な選挙を行うことができないように、政治の組織を根本から変えてしまうかもしれない。だから、多数の有権者が自分たちの権利の上に眠るということは、單に民主政治を弱めるだけでなく、実にその生命をおびやかすのである。

4505 それにもかかわらず、世の中には政治に無頓着な人が少なくない。そういう人々には大別して二つの型がある。第一の型に属するのは、相当に知識もあり、能力もありながら、かえってそのために、政治をくだらないこととして見おろそうとする人々である。かれらは、政治のことに夢中になる人々をいやしむ傾きがある。そのくせ、自分よりくだらないと考える人間が権力を握ってしまうと、そのことをだれよりも慨嘆するのは、かれら自身なのである。これに対して、もう一つの型に属するのは、政治などということは、自分たちにはわからない高いところにある事柄だと思う人々である。かれらは、自分自身を卑下して來た長い間の習慣で、政治は自分たちには縁の遠いことだと思いこんでいるのである。しかも、政治のよしあしが、自分たちの運命に直接に大きなかかわりをもつものであることに、氣がつかないのである。

4506 いうまでもなく、それらはどちらも正しい態度ではない。ほんとうの民主主義では、政治は「すべての人」の仕事でなければならない。

4507 だから、選挙権は、権利ではあるが、同時に義務である。義務であるというのは、たとえば納税の義務のように、それを怠れば罰せられるというわけではない。その意味で、熱意と理解とをもって政治に参與することは、法律上の義務ではなくて、むしろ道徳上の義務である。道徳上の義務であるというよりも、むしろ多くの人々の幸福を思う愛情の問題なのである。たとえば、農村の婦人が、選挙などということはわからないと言って棄権したとする。おおぜいの國民の中で自分ひとりが棄権しても、なんでもあるまいと思う。しかし、多くの人々がそういう氣持になれば、それはやはり選挙の結果を大きく左右する。選挙場に行かないで、乳ぶさを與えてあやしているわが愛児が、その一票のために將來独裁政治の犠牲になるかもしれないことは、決して物語でも、おとぎばなしでもない。民主主義とは、そこのところにはっきりと氣がついた人々によって、健全な良識と強い責任感とを持ってなされる行爲を、いわば一つ一つのれんがとして組み立てられて行く、がっしりとした大きな建築物のようなものなのである。

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第五章 多数決

 

1 民主主義と多数決

5101 人間はそれぞれ、天分も違うし、性質も異なるし、境遇もまちまちであるし、趣味や好みもさまざまである。それを一つの型に当てはめてしまうということは、決して人間を尊重するゆえんではない。だから、人間の尊重ということを根本の精神とする民主主義は、何よりも人々の個性を重んずる。すべての人々が自由にその個性を伸ばし、持って生まれた天分を大いに発揮して世の中の役に立つことができるように、平等の機会と教育の自由とを保証しようとする。そういうふうにして出來上がった社会では、各人が思うことを言い、信ずるところに從って行動し、公共の福祉に反しない限り「自分自身になりきる自由」を持っているはずなのである。

5102 それであるから、民主主義の政治を行う場合には、多くの人々の中からいろいろな意見が出て、かっぱつに議論がたたかわせられることになる。各人が自分の判断を主張し、自分の正しいと信ずることを行おうとするのであるから、そうして、各人がそれぞれ違った立場から違った意見を提出するのであるから、当然の結果として、さまざまな見解の対立が起り、利害の衝突を來たすことを免れない。それは、見方によっては好ましくない、不愉快なことであるかもしれない。しかし、そこには民主政治の鼓動があり、活力がある。それが止まってしまえば、民主主義は死んでしまうであろう。

5103 けれども、法律を作ったり、政治の方針を決めたりする場合に、みんなが違った意見を主張し、お互の判断を固執して譲らないということになると、いつまでたっても結論に達することができない。各人の考えは尊重しなければならないが、さればといって、互に対立するどの考えにも同じように賛成し、甲の意見ももっともだ、乙の主張にも理由があると言ってばかりいたのでは、一つの方針でもって実際問題を解決することは不可能になる。そこで、民主主義は多数決という方法を用いる。みんなで十分に議論をたたかわせた上で、最後の決定は多数の意見に從うというのが、民主政治のやり方である。ある一つの意見を原案として掲げ、手をあげたり、起立したり、投票したりして、賛成かどうかを問い、原則として過半数が賛成ならばその案を採用し、賛成者が少数ならばこれを否決する。そうして、一度決めた以上は、反対の考えの人々、すなわち少数意見の人々もその決定に從って行動する。これが多数決である。多数による決定には、反対の少数意見の者も服するというのが、民主主義の規律であって、これなくしては政治上の対立は解決されず、社会生活の秩序は保たれえない。

 

2 多数決原理に対する疑問

5201 ところで、多数決ということは、一つの便宜的な方法である。元來、法律は正しいものでなければならない。政治は正しい方針によって行われなければならない。しかし、どうするのが正しいかについては、いろいろと意見が分かれていて、いくら議論を続けても、意見の一致点を見いだすことができないという場合には、法律を作ることも、政治の方針を決めることもできないから、やむをえず多数決によるのである。

5202 しかしながら、多数の意見だから必ず正しいと言いうるであろうか。少数の賛成者しか得られないから、その主張は当然まちがっていると考えてもよいものであろうか。そうは言えないことは、もとより明らかである。実際には、多数で決めたことがあやまりであることもある。少数の意見の方が正しいこともある。むしろ、少数のすぐれた人々がじっくりと物を考えて下した判断の方が、おおぜいでがやがやと附和雷同する意見よりも正しいことが多いであろう。いや、國民の中で一番賢明なただひとりの考えが、最も正しいものであるということができるであろう。それなのに、なぜその少数のすぐれた人々、最も賢明でただひとりの人の意見を初めから採用しないで、おおぜいにかってな意見を言わせ、多数決というような機械的な方法で、その中のどれか一つに決めるというやり方を行う必要があるのであろうか。

5203 多数決に対しては、昔からそういうもっともな疑問がある。いや、單に疑問があるばかりではない。それだから、多数の意見によって船を山に上げるような民主政治をやめて、最も賢明な人々に政治の実権を任せてしまう方がよい、という議論がある。その中でも最も有名なのは、ギリシャの哲学者プラトンの唱えた哲人支配論である。

5204 プラトンはおおぜいの愚者が数の力で政治を行う民主主義を排斥し、最もすぐれた理性と、最も高い批判力とを備えた哲人が政治を指導するような組織こそ、堕落した人間の魂を救う理想の國家形態であると論じた。このプラトンの理想國家論が後世の政治哲学の上に及ぼした影響は、きわめて大きい。

5205 けれども、プラトンの理想國家論は、政治の理想であるかもしれないが、これをそのまま現実に行おうとすると、必ず失敗する。なぜならば、最も賢明だと称する人に政治の全権をゆだねて、一般の國民はただその鉄人の命令に服從して行けばよいというのは、結局は独裁主義にほかならないからである。独裁主義によれば、独裁者は國民の中で一番偉い人だから、その人の意志に從っていればまちがいはないという。しかし、独裁者が國民の中で一番偉い、一番賢明な人物であるということは、いったいだれが決めるのであろうか。独裁者のお取り巻きがそう言ったからといって、それがそうであるという保証にはならないし、実際にはそれがたいへんなまやかしものであるかもしれない。また、よしんば独裁者がほんとうに偉い人であったとしても、同じ人物が長いこと大きな権力を握っていると、必ず腐敗が起り、堕落が生ずる。そうして、権力が少数の人々に集中しているために、それが薬にならずに、毒となって作用する。その惡い作用を國民に隠して、独裁政治のいい点だけを宣傳するために、いろいろなうそをいう。無理な政治をして、はなばなしい成功を誇ろうとする。その結果は、無理に無理を重ねて、國民をならくのふちにおとしいれるような、取り返しのつかない失敗を演じる。ヒトラーを無類の英雄に仕立てて、これこそプラトンの理想國家を実現したようなものだと自慢していたナチス・ドイツの運命は、独裁國家を二度と再び繰り返してはならないという教訓を、人間にはっきりと示したものであるといわなければならない。

5206 独裁主義は、民主政治を「衆愚政治」だと言って非難する。なるほど、民主主義も、そういう弊害に陥ることがないとはいえない。しかし、教育が普及し、知識が向上した今日の國民は、プラトン時代の國民とは違う。國民が健全な政治道徳を心得てさえいれば、おおぜいの人々の考えを集めて事を議して行くことは、「船頭多くして船山にのぼる」結果にはならないで、「三人よれば文殊の知惠」という利益を大いに発揮することができる。政治のたいせつな要点を國民に隠して、ただ指導者の言うがままについて來させたのでは、國民のなかにある知惠の鉱脈を掘り当てることができない。そうして、國民がめくらにされるばかりでなく、独裁者もまた國民からの批判を受ける機会がないから、自分自身もめくらになって、馬車馬のように破滅のふちに突進してしまう。その危險を避けるためには、なるべく多くの人々が政治に参與して、多数決で意見をまとめて行くという以外に、よい方法はないのである。

5207 それに、民主主義もまた、決してただ玉石混こうの衆議だけを重んじるのではなく、國民の間から識見のすぐれた人を選んで、その人に政治を任せるという方法をも用いるのである。國民がみんなで法律を作ることを議する代わりに、國会議員を選挙し、その道の熟練家に立法の仕事を任せるのも、それである。國会の指名によって内閣総理大臣を立て、他の國務大臣には内閣総理大臣がこれはと思う人々を選び、その政府が行政をつかさどって行くようなしくみになっているのも、それである。ただ、立法権にせよ、行政権にせよ、ある決まった人たちだけが長くそれを独り占めしていると、きっといろいろな弊害が生ずる。ちょうど、水がながいこと一箇所にたまっていると、ぼうふらがわいたり、腐ったりするように。だから、民主政治では、國会議員の任期を限って、たびたび総選挙を行い、それとともに政府の顔ぶれもかわるようにして、常に政治の中心に新しい水が流れ込むようなくふうがしてある。つまり、民主政治は、「多数決主義」と「選良主義」との長所を取って、それを組み合わせたようなぐあいになっているということができる。

 

3 民主政治の落し穴

5301 しかし、それにしても、民主政治を運用して行く根本のしかたが多数決であることには変わりはない。國民の間から國会議員を選ぶにしても、最も多くの投票を得た人が当選する。國会で法律を作る場合にも、多数でその可否を決する。内閣総理大臣を指名するのも、國会での多数の意志によるのである。したがって、民主政治は「多数の支配」である。多数で決めたことが、國民全体の意志として通用するのである。

5302 しかるに、前に言ったように、多数の意見だからその方が常に少数の意見よりも正しいということは、決して言えない。中世の時代には、すべての人々は、太陽や星が人間の住む世界を中心にしてまわっているのだと信じていた。近世の初めになって、コペルニクスやガリレオが現われて、天動説の誤りを正した。その当時には、天動説は絶対の多数意見であった。地動説を正しいと信じたのはほんの少数の人々にすぎなかった。それと同じように、政治上の判断の場合にも、少数の人々の選んだ意見の方が、おおぜいが信じて疑わないことよりも正しい場合が少なくない。それなのに、なんでも多数の力で押し通し、正しい少数の意見には耳もかさないというふうになれば、それはまさに「多数党の横暴」である。民主主義は、この弊害を、なんとかして防いで行かなければならない。

5303 多数決という方法は、用い方によっては、多数党の横暴という弊を招くばかりでなく、民主主義そのものの根底を破壊するような結果に陥ることがある。なぜならば、多数の力さえ獲得すればどんなことでもできるということになると、多数の勢いに乗じて一つの政治方針だけを絶対に正しいものにまでまつり上げ、いっさいの反対や批判を封じ去って、一挙に独裁政治体制を作り上げてしまうことができるからである。

5304 もう一度、ドイツの場合を引き合いに出すことにしよう。

5305 第一次世界大戰に負けたドイツは、ワイマールという町で憲法を作って、高度の民主主義の制度を採用した。ワイマール憲法によると、國の権力の根源は國民にある。その國民の意志に基づいて國政の中心をなすものは、國会である。國会議員は、男女平等の普通選挙によって選ばれ、法律は國会の多数決で定め、國会の多数党が中心となって内閣を組織し、法律によって政治を行う。そういうしくみだけからいえば、ワイマール憲法のもとでのドイツは、どこの國にもひけをとらないりっぱな民主國家であった。

5306 ところが、國会の中にたくさんの政党ができ、それが互に勢力を爭っているうちに、ドイツ國民はだんだんと議会政治に飽きて來た。どっちつかずのふらふらした政党政治の代わりに、一つの方向にまっしぐらに國民を引っ張って行く、強い政治力が現われることを望むようになった。そこへ出現したのがナチス党である。初めはわずか七名しかなかまがいなかったといわれるナチス党は、たちまちのうちに國民の中に人氣を博し、一九三三年一月の総選挙の結果、とうとうドイツ國会の第一党となった。かくて内閣を組織したヒトラーは、國会の多数決を利用して、政府に行政権のみならず立法権をも與える法律を制定させた。政府が立法権を握ってしまえば、どんな政治でも思うがままに行うことができる。議会は無用の長物と化する。ドイツは完全な独裁主義の國となって、國民はヒトラーの宣傳とナチス党の弾圧との下に、まっしぐらに戰爭へ、そうしてまっしぐらに破滅へとかり立てられて行ったのである。

5307 動物の世界にも、それによく似た現象がある。すなわち、ほととぎすという鳥は、自分で巣を作らないで、うぐいすの巣に卵を生みつける。うぐいすの母親は、それと自分の生んだ卵とを差別しないで暖める。ところが、ほととぎすの卵はうぐいすの卵よりも孵化日数が短い。だから、ほととぎすの卵の方が先にひなになり、だんだんと大きくなってその巣を独占し、うぐいすの卵を巣の外に押し出して、地面に落としてみんなこわしてしまう。

5308 多数を占めた政党に、無分別に権力を與える民主主義は、愚かなうぐいすの母親と同じことである。そこを利用して、独裁主義のほととぎすが、民主政治の巣ともいうべき國会の中に卵を生みつける。そうして、初めのうちはおとなしくしているが、一たび多数を制すると、たちまち正体を現わし、すべての反対党を追い拂って、議会を独占してしまう。民主主義はいっぺんにこわれて、独裁主義だけがのさばることになる。ドイツの場合は、まさにそうであった。こういうことが再び繰り返されないとは限らない。民主國家の國民は、民主政治にもそういう落し穴があることを、十分に注意してかかる必要がある。

 

4 多数決と言論の自由

5401 多数決の方法に伴うかような弊害を防ぐためには、何よりもまず言論の自由を重んじなければならない。言論の自由こそは、民主主義をあらゆる独裁主義の野望から守るたてであり、安全弁である。したがって、ある一つの政党がどんなに國会の多数を占めることになっても、反対の少数意見の発言を封ずるということは許されない。幾つかの政党が並び存して、互に批判し合い、議論をたたかわせ合うというところに、民主主義の進歩がある。それを「挙國一致」とか「一國一党」とかいうようなことを言って、反対党の言論を禁じてしまえば、政治の進歩もまた止まってしまうのである。だから、民主主義は多数決を重んずるが、いかなる多数の力をもってしても、言論の自由を奪うということは絶対に許されるべきでない。何事も多数決によるのが民主主義ではあるが、どんな多数といえども、民主主義そのものを否定する資格はない。

5402 言論の自由ということは、個人意志の尊重であり、したがって、少数意見を尊重しなければならないのは、そのためである。もちろん、國民さえ賢明であるならば、多数意見の方が少数意見よりも眞理に近いのが常であろう。しかし、多数意見の方が正しい場合にも、少数の反対説のいうところをよく聞き、それによって多数の支持する意見をもう一度考え直してみるということは、眞理をいっそう確かな基礎の上におくゆえんである。これに反して、少数説の方がほんとうは正しいにもかかわらず、多数の意見を無理に通してしまい、少数の人々の言うことに耳を傾けないならば、政治の中にさしこむ眞理の光はむなしくさえぎられてしまう。そういう態度は、社会の陥っている誤りを正す機会を、自ら求めて永久に失うものであるといわなければならない。

5403 だから、多数決によるのは、多数の意見ならば正しいと決めてかかることを意味するものではないのである。ただ、対立する幾つかの意見の中でどれが正しいかは、あらかじめ判断しえないことが多い。神ならば、その中でどれが眞理であるかを即座に決定しうるであろう。しかし、神ならぬ人間が、神のような権威をもって断定を下すことは、思い上がった独断の態度にほかならないのである。さればといって、どれが進むべきほんとうの道であるかわからないというだけでは、問題はいつまでたっても解決しない。だから、多数決によって、一應の解決をつけるのである。つまり、多数決は、これならば確かに正しいと決定してしまうことではなくて、それで一應問題のけりをつけて、先に進んでみるための方法なのである。

5404 それでは、対立する幾つかの意見の中でどれが正しいかは、いつまでたってもわからないのであろうか。

5405 いや、決してそんなことはない。正しい道と正しくない道との区別は、やがってはっきりとわかる時が來る。何でわかるかというと、経驗がそれを教えてくれるのである。神ならぬ人間には、あらかじめその区別を絶対の確実さをもって知ることはできない。しかし、一應多数決によって問題のけりをつけ、その方針で法律を作り、政治をやってみると、その結果は、まもなく実地の上に現われて來る。公共の福祉のためにやはりその方がよかった、ということになる場合もある。逆に、多数の意見で決めた方針がまちがっていて、少数意見に從っておいた方がよかったということが、事実によって明らかに示される場合もある。前の場合ならば、それはそのままでよい。あとのような場合には、少数意見によって示された方針によって法律を改め、政治のやり方を変えて行く必要が起る。その場合には、國民はもはや前の多数意見を支持しないであろう。反対に、今までは少数であった意見の方を多くの人々が支持するようになるであろう。そうなれば、以前の多数意見は少数意見になり、少数意見は多数意見に成長して、改めて國会で議決することにより、法律を改正することができる。このようにして、法律がだんだんと進歩して行って、政治が次第に正しい方向に向かうようになって行く。かくのごとくに、多数決の結果を絶えず経驗によって修正し、國民の批判と協力とを通じて政治を不断に進歩させて行くところに、民主主義のほんとうの強みがある。少数の声を絶えず聞くという努力を怠り、ただ多数決主義だけをふりまわすのは、民主主義の堕落した形であるにすぎない。

5406 独裁者は豪語する。「予の判断に狂いはない。予の示す方向は必ず正しい。人民どもよ、黙ってついて來い。批判や反対は許さない。現在の犠牲をいとうな。將來の幸福は予が保証する。よしんばおまえたちは苦しみの生涯を送るとしても、その苦労はお前たちの子孫の幸福となって実を結ぶ。だから、しんぼうせよ。民族の繁栄のために、國家の発展のために。」と。

5407 國民の大部分は、独裁者のこの予言に陶酔する。他の人々は、これを疑い、これに反対の考えをいだいているが、その氣持をおもてに表わせば縛られる。だから、しかたなしについて行く。独裁者の予言がとほうもないから手形であったことがわかる日まで。

5408 この独裁者のごうまんなことばに対して、民主主義は説く。「政治は國民の政治である。政治のもたらす福利は、國民自ら刈り取ることができる。しかし、それには、國民自身がよく土地を耕し、よい種をまき、除草や施肥や灌水に不断の努力をしなければならない。いろいろと困難な事情のあるこの世の中で、みごとな政治の実をみのらせるためにどうすればよいか。その方法は、國民自らが考え、だれもが遠慮なく意見を言い、みんなの相談で決めて行くべきだ。しかし、みんなの意見が一致することは容易にありえない。だから、多数決によって一つの方針を採用し、みんなでその方針のもとに協力して行く必要がある。もしも多数決で決めたやり方が惡ければ、その結果は秋の収穫の上にはっきりと現われるであろう。そうしたら、來年はその経驗を生かして別の方針でやってみるがよい。そうやって行くうちに、今日の困難はだんだんと克服されて、國民自身の幸福のためのりっぱな政治のみのりをあげることができるに相違ない。多数決の結論が時にまちがうことがあるからといって、多数決の方法を捨ててはならない。多数決の方法を捨てれば、必ず独裁主義になる。多数決の方法をとりながら、多数決の犯したまちがいを、更に多数決によって正して行くのが、ほんとうの民主主義である。」と。

 

5 多数決による政治の進歩

5501 今日の人類は、無限の宝を持っている。火山を爆発させる水蒸氣の力を利用して汽車や汽船を運轉する。昔の人が雷神のしわざとして恐れていた電氣を用いて、やみを照らし、工場の機械を動かし、電車を走らせる。何千メートルの地下から石油をくみあげて、モーターをまわし、飛行機を飛ばす。今度の戰爭の末期に現われた原子爆弾は、人類を破滅せしめるような恐るべき武器であるが、その同じ原子力を平和の用途にあてれば、どれほど大きな福祉を人類のためにもたらすかわからない。これらの無限の知識の宝は、人類の長い努力と経驗とによって得られたのである。無限に多くの人々がそのために協力しているのである。鉄びんのふたを押し上げる水蒸氣の力にヒントを得て蒸氣機関を発明したのはワットであり、それを應用して汽関車を作ったのはスティーブンソンであった。しかし、そのころのおもちゃのような汽車から、豪華な列車を引いて時速百キロで走る現代の汽関車になるまでには、無数の技師や職工の血のにじむような努力が積み重ねられている。その間には、何度失敗が繰り返されたかしれない。しかし、失敗は発明の母である。一度の失敗にこりて、改善の試みをやめたならば、人類の進歩は、とうの昔に止まってしまったに相違ない。

5502 それと同じことが、政治についても言える。政治をやって、一度で完全に成功しようというのはあまりにも虫のよい話である。人間社会の出來事は、蒸氣や電氣のような自然現象よりも、はるかに複雑である。だから、社会のことを取り扱う政治には、自然力を利用する技術よりも、ずっと失敗が多い。その失敗を生かして、だんだんとよい政治を築き上げて行くのは、國民全体の責任である。みんなが自由に意見を語り、多数決で政治の方針を立て、やってみてぐあいの惡いところは、またみんなの相談で直す。それが民主主義である。その手間と労苦をいとって、ひとりの考えだけにすべてを任せ、一度ではなばなしい成功を収めようとするのが、独裁主義である。それは、神社に祈ってさえいれば神風が吹くと思うのと同じことである。天は自ら助けるものを助ける。人任せの政治に神風が吹く道理があろうか。

5502 それであるから、民主政治は多数決に誤りがありうることを、最初から勘定に入れているのである。しかし、なろうことなら、政治もむだをしない方がよい。多数で決めたことが、初めから正しい政治の方向と一致している方が望ましい。それには、國民の政治上の教養を高めることが第一の條件である。多数決によって運用される民主主義を非難する者は、口をそろえて民主主義は衆愚政治だという。なるほど、國民がそろってばか者の集まりならば、おおぜいのばか者が信ずることほど、まちがいが大きいということになろう。しかし、國民の間に知識が普及し、教養が高まって行きつつある今日、依然としてそう言うことを考えるのは、自分自身が一番の愚か者であることを証拠立てているのである。そういう人間は、裏長屋の貧乏人や台所のおさんどんに選挙権を與えれば政治が乱れるといって、普通選挙や婦人参政権に反対した。ところが、今日の多くの國々では、選挙権が拡大されるにつれて、ますます明るいよい政治が行われるようになって來ている。

5503 それでは、日本はどうであろうか。日本人は、自分たちでほんとうの政治上の自覚を持つ前に、戰爭の結果として最も廣い政治参與の権利を得た。独裁主義は追放されて、万事が選挙と多数決とで行われる世の中となった。これで、これからの日本の政治は明るく築き上げられて行くであろうか。もしも國民が、いままでのように政治的に無自覚であれば、それはおぼつかない。これに反して、みんなが勉強して政治に興味を持ち、自分たちの責任と努力とをもって多数決の原理を正しく運用して行くならば、やがて焦土の上にも明朗な世の中が築き上げられるであろう。世界じゅうの人がそれを見守っている。そこへ至る道は、國民のひとりひとりが毎日踏みしめて行く正しい一歩一歩によって開かれるのだ。

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第六章 目ざめた有権者

 

1 民主主義と世論

6101 民主主義は、單なる政治の形をさすものでもなければ、古い政治組織を進歩したしくみに改めることだけを意味するものでもない。それは、もっともっと大きな事柄を意味している。眞の民主主義とは、われわれが日常生活を送るその方法なのである。世の中には、人間の個人としての力ではどうすることもできないいろいろな事柄がある。そのように、個人個人の努力では到底実現できない仕事を、國民のお互の協力によって達成しうる方法が、民主主義であり、民主政治なのである。

6102 民主國家では、すべての政治の源は國民の意志にある。言い換えれば、主権は國民に存する。しかし、國民がみんなで朝から晩まで政治のことを考えているわけには行かないから、自分たちに代わって政治を行ってくれる代表者を選ぶことになっている。これは、前に述べた通りである。そこで選挙民は、村長・市長・知事・市会議員・國会議員などのような代表者を、自分たちの中から選び出すことになる。これらの代表者が、國民の支持と協力とを基礎として、國民の個々別々の力では実行し得ないようなたいせつな事業、たとえば、学校を作ったり、道路を開いたり、水利を図ったり、疫病や火災や犯罪を防止したりするような仕事を行うのである。だから、國民の代表者は、國民の大多数が何を求めているか、國民にとって何が一番たいせつであるかをつかむことに、絶えず努力して行かなければならない。

6103 ところで、國民の数は非常に多い。だから、國民のひとりひとりが何を考え、何を望んでいるかを、いちいち聞いて歩くわけには行かない。といって、國民の代表者が一部の人々の意見だけを聞いて、それで政治のやり方を決めるというのは、きわめて危險である。そこで、國民は、廣く一般に知れわたるようなしかたで、その希望や意見を言い表わそうと努める。政治を行う代表者たちは、そういうふうにして表明された國民の氣持を公平に判断し、できるだけ國民の意志にかなうように、実際の政策を決めていかねばならない。このように、世の中の注目をひいている問題について、たとえば新聞やラジオへの投書とか、雑誌や書物への寄稿とか、國民大会その他の会議での発言とかいう方法によって、一般的なしかたで表明された國民の声を、世論という。

6104 今日の社会には世論を傳える道筋がいろいろと発達している。自分で新聞や雑誌に書いたり、講演をしたり、ラジオの街頭録音に出かけて行って意見を述べたりしないでも、ある問題について論じている雑誌がどれくらい賣れたか、ある人の講演にどんな人が集まり、どれだけ熱心に拍手したか、どんな映画や芝居に人氣があるか、というようなことを通じても、ある程度まで世論を知ることができる。それは、國民に対して、現在どういうことが問題となり、どんな点に関心が持たれているかを知らせる道であると同時に、國民の代表者たちに世論の傾向を判断させる有力な材料ともなるのである。

6105 しかし、新聞やラジオや講演会などは、用い方のいかんによっては、世論を正しく傳える代わりに、ありもしない世論をあるように作り上げたり、ある一つの立場だけに有利なように世論を曲げて行ったりする非常に有力な手段ともなりうる。もしも、自分たちだけの利益を図り、社会の利益を省みない少数の人々が、巨額の金を投じて新聞や雑誌を買収し、一方的な意見や、ありもしない事実を書き立てさせるならば、國民大衆が実際には反対である事柄を、あたかもそれを欲しているように見せかけることができる。そうして、國民の代表者がそれにだまされるだけでなく、國民自身すらもが、いつのまにかそれをそうだと思いこんでしまうこともまれではない。人々は、その場合、「宣傳」に乗せられているのである。

6106 報道機関を通じて行われる宣傳は、何も惡い働きだけをするわけではない。偽らない事実、國民が知らなければならない事柄を、新聞やラジオや講演会によって廣く國民に傳えるのは、ぜひしなければならない宣傳である。そういう正確な事実や情報を基礎にして、良識のある國民が、これはこうでなければならないと判断したことが、ほんとうの世論なのである。しかし、宣傳は、惡用されると、とんでもない方向に向かって、國民の判断を誤らせることになる。少人数だけの計画していることが、金と組織の力を通じて議会を動かし、國民に大きな不利益をもたらすような法律を制定させてしまうこともありうる。

6107 だから、宣傳の正体をよくつかみ、それがほんものであるか、にせものであるかを明らかに識別することは、民主國家の國民にとっての非常にたいせつな心がけであるといわねばならない。

 

2 宣傳とはどんなものか

6201 宣傳のことをプロパガンダという。プロパガンダということばが初めて用いられたのは、一六二二年であった。それは、ローマ法王の作った神学校の名まえで、キリスト教の信仰を異教徒に傳えひろめるために、世界に送り出されるべき青年たちを、そこで教育した。それ以來、それが、組織的な宣傳を行う技術の名称となったのである。

6202 しかし、人類が宣傳を行ったのは、もっとずっと古い時代からのことである。昔の日本でも、大名同士が戰った時、軍事上の作戰を有利に展開するために、耳から耳へ傳える私語宣傳が行われた。たとえば、人民たちに強い敵対心を植えつけるために、敵を残酷、非道なもののように言いふらしたり、大義名分は自分の方にあると思いこませる手だてが行われた。

6203 このように、昔は、耳から耳へのことばによる宣傳がほとんど唯一の方法であったが、第十五世紀に印刷術が発明されてからは、文書による宣傳が長足の進歩をとげた。特に第十九世紀にはいってから、世界の國々での教育の普及はめざましく、字の読める人の数が一躍増加し、廣い読者を目当てにする新聞や雑誌などの印刷物が非常に多く刊行され、それを通じて宣傳がきわめて有力に行われるようになった。だから、印刷機械の進歩と一般教育の普及とは、宣傳技術を発達させる最も大きな要素となったといってよい。

6204 ひろい意味でいえば、宣傳とは、ある事実や思想を、文書やラジオや講演などを通じて大衆に知らせる方法である。だから、一つの目的をもっておおぜいの人々を感化し、大衆をそれにかなったような行動に導くための報道は、すべて宣傳であるといってよい。しかし、前にも言ったように、宣傳はきわめてしばしば惡用される。そういう惡い意味での宣傳とは、利己的な目的をわざと隠して、都合のよいことだけをおおぜいの人々に傳え、それによって自分たちの目的を実現するための手段なのである。

6205 たとえば、ある種の雑誌や新聞がある政党と特別の関係を持っているとする。それらの新聞や雑誌がその党から金を出してもらっているという事実を隠して、その主張に有利なような論説や記事を載せるとする。その場合、それらの新聞雑誌はこの党の宣傳の道具になっているのである。その外、おかかえの弁士が大衆の考えを変えさせるために派遣されることもある。多くの資金を投じて映画や芝居や小説を作らせ、それを見、それを読む國民が、知らず知らずのうちに一つの考えだけをほんとうだと思いこんでしまうこともある。

6206 日本國民に大きな悲劇をもたらしたあの太平洋戰爭でも、政府や軍部が権力と金をつかって宣傳したために、初めは戰爭をしたくないと思っていた人々も、だんだんと戰爭をしなければならないという氣持になり、戰爭に協力するのが國民の務めだと信ずるにいたった。実際には負け続けてばかりいたのに、まことしやかな大本営発表などというものにあざむかれて、勝ちいくさだと思いこんでしまった。戰爭がすんで、これほどまでにだまされていたのかとわかっても、あとの祭りであった。宣傳の力の恐ろしさは、日本國民が骨身にしみるほどに知ったはずである。

6207 民主主義の世の中になって、議会政治が発達すると、政党が重大な役割を演ずるようになる。政党人の多くは眞劍であり、経済の再建や、産業の復興や、社会の改革のためにいろいろと考え、それに役立つような計画を立てているに相違ない。しかし、また、なるべく多くの当選者を出すために、そうして自分たちの政策通りの立法を行い、政府の実権を握るために、パンフレットを出したり、党の大会や演説会を開いたり、ラジオによって國民に呼びかけたり、さまざまな活動をすることも、事実である。その中には、正々堂々たる宣傳もあるが、隠れた目的のための宣傳がまざっていることもある。そうなると、一般の有権者は、どれを信じてよいかわからなくなり、途方にくれ、健全な判断力を失い、まちがった主張を支持することになりやすい。それを冷静に判断しうるのが「目ざめた有権者」である。理想的な民主主義の國を築くためには、選挙に加わる國民のすべてが目ざめた有権者にならなければならない。

6208 そこで、たくみな宣傳によって國民がどんなふうにだまされるかを、もう少し立ち入って考察してみることにしよう。

 

3 宣傳によって國民をあざむく方法

6301 これは政治ではないが、商品の廣告も宣傳の一種である。産業革命以來、商業が盛んになり、廣告も非常に進歩した。じょうずに廣告をするのとしないのとでは、比較にならない違いがある。どんなによい品を作っても、廣告をしなければ賣れない。惡い品物でも、きかない薬でも、うまく廣告すると、飛ぶように賣れる。そこで、廣告のしかたを研究する専門家があったり、廣告・宣傳を引き受ける業者ができたりするようになった。廣告を信用して、とんでもないものをつかませられる場合があることはだれでも知っている。それにも、かかわらず。きれいな絵や、好奇心をそそることばなどに乗せられて、ついまた買う氣になる。政治の宣傳も、それとおなじようなものだ。

6302 せん動政治家、特にせん動的共産主義者が決まって目をつけるのは、いつもふみにじられて、世の中に不平を持っている階級である。こういう階級の人たちは、言いたい不満を山ほど持っている。しかし、訴えるところもないし、自分たちは人を動かす力もない。それで、しかたなく黙っている。せん動政治家は、そこをねらって、その人たちの言いたいことを大声で叫ぶ。その人氣を取る。もっともらしい公式論をふりまわして、こうすれば富の分配も公平に行き、細民階級の地位も向上するように思いこませる。自分をかつぎ出してくれれば、こうもする、ああもできると約束する。不満が爆発して動乱が起っても、それはかれらの思うつぼである。そこを利用して政権にありつく。公約を無視してかってな政治をする。結局、一番犠牲になるのは、政治の裏面を見抜くことのできなかった民衆なのである。

6303 せん動政治家が民衆をせん動することを、英語でデマゴジーという。日本では、略してデマという。日本語でデマを飛ばすといえば、いい加減な、でたらめを言いふらすという意味である。デマがデマだとわかっていれば、弊害はない。まことしやかなデマには、よほどしっかりしていないと、たいていの人は乗せられる。自分に有利なデマ、相手に不利なデマ、それが入り乱れて跳び、人々はそれを信ずるようになってしまう。

6304 これをもう少し分析してみると、宣傳屋が民衆をあざむく方法には、次のような種類があるといいうるだろう。

6305 第一に、宣傳屋は、競爭相手やじゃまな勢力を追い拂うために、それを惡名をもってよび、民衆にそれに対する反感を起させようとする。保守的反動主義者・右翼・ファッショ・國賊・左翼・赤・共産主義者など、いろいろな名称が利用される。今までの日本では、自由な考えを持った進歩的な人々が、「あれは赤だ」という一言で失脚させられた。民主主義がはやり出すと、「あれは反動主義者だ」と言って、穏健な考えの人々を葬ろうとするだろう。それに、あることないこと、取りまぜて言えば、いっそう効果があるに相違ない。

6306 次は、それとは逆に、自分の立場にりっぱな看板をかかげ、自分のいうことに美しい着物を着せるという手である。眞理・自由・正義・民主主義などということばは、そういう看板には打ってつけである。しかし、ひつじの皮を着たおおかみを仲間だと思いこんだひつじたちは、やすやすとおおかみのえじきになってしまうだろう。

6307 三番目は、自分たちのかつぎ上げようとする人物や、自分たちのやろうとする計画を、かねてから國民の尊敬しているものと結びつけて、民衆にその人物を偉い人だと思わせ、その計画をりっぱなものだと信じさせるやり方である。たとえばドイツ國民には、民族というものを大変に尊く思う氣持があった。ナチス党は、そこを利用して、ヒトラーはドイツ民族の意志を示すことのできる唯一の人物であるように言いふらした。また、日本人には、昔から天皇をありがたいと思う氣持がある。戰爭を計画した連中は、そこをつかって、天皇の実際のお考えがどうであったかにかかわらず、自分たちの計画通りにことを運ぶのが天皇のお心にかなうことだと宣傳した。そうして、赤い紙の召集令狀を「天皇のお召し」だと言って、國民をいやおうなしに戰場に送った。

6308 四番めには、町の人氣を集めるために、民衆の氣に入るような記事を書き、人々が感心するような写眞を新聞などに出すという手もある。たとえば、ふだんはりっぱな官邸に住んで、ぜいたくな生活をしている独裁者でも、労働者と同じように、スコップで土を掘っている映画を見せれば、人々はその独裁者を自分たちの味方だと思う。総理大臣が自動車で遠い郊外にでかけて、貧しい村の入り口でうまに乗り替え、農家を訪問して慰労のことばを語っている写眞を出せば、人々は、忙しい大臣が自動車にも乗らずに民情を視察しているのだと思って感心する。

6309 五番めは、眞実とうそをじょうずに織りまぜる方法である。いかなる宣傳も、うそだけではおそかれ速かれ國民に感づかれてしまう。そこで、ほんとうのことを言って人を引きつけ、自分の話を信用させておいて、だんだんとうそまでほんとうだと思わせることに成功する。あるいは、ほんとうの事実でも、その一つの点だけを取り出して示すと、言い表わし方次第では、まるで逆の印象を人々に與えることもできる。その一例として、次のようなおもしろい話がある。

6310 印度洋を航海するある貨物船で、船長と一等運轉士とが一日交替で船橋の指揮にあたり、当番の日の航海日誌を書くことになっていた。船長はまじめ一方の人物だが、一等運轉士の方は老練な船乗りで、暇さえあれば酒を飲むことを樂しみにしていたために、二人の仲はよくなかった。ある日、船長が船橋に立っていると、一等運轉士が酔っぱらって、ウィスキーのあきびんを甲板の上にころがしているのが目についた。船長は、それをにがにがしく思ったので、その晩航海日誌を書く時に、そのことも記入しておいた。翌日、一等運轉士が任務についてその日誌を読み、まっかに怒って、船長に抗議を申し込んだ。
6311「非番の時には、われわれは好きなことをしてよいはずです。私は、任務につきながら酒を飲んだのではありません。この日誌を会社の社長が読んだら、私のことをなんと思いますか。」
6312「それは私も知っています。」と船長は静かに答えた。「しかし、君がきのう酔っぱらっていたことにはまちがいはない。私は、ただその事実を書いただけです。」
6313 内心の不満を押さえて任務に服した、一等運轉士は、その日の航海日誌に、「きょう、船長は一日じゅう酔っぱらっていなかった。」と書いた。次の日にそれを見て怒ったのは、船長である。
6314「私が酔っていなかったなどと書くのは、けしからんではないか。まるで、私は他の日はいつも酔っぱらってでもいるようにみえる。私が酒を一滴も飲まないことは、君も知っているはずだ。君はうその報告を書いて私を中傷しようとするのだ。」
6315「さよう。あなたが酒を飲まないことは、私もよく知っています。しかし、あなたがきのう酔っていなかったことは、事実です。私は、ただその事実を書いただけです。」と一等運轉士はひややかに答えた。

6316 航海日誌に書かれたことは、どちらも事実である。しかし、言い表わし方いかんによっては、事実とは反対の印象を読む人に與えることが、これでわかるであろう。

6317 もう一つ、忘れてならない重要なことは、民衆がよほど注意しないと、宣傳戰ではいろいろな立場の党派が金をつかって世論を支配しようと努め、一番多くの資金を持っている者が勝を制するということである。たとえば、ある党派が、企業の國家管理のように、企業家にとって不利な法案が議会を通過するのを妨げようとして運動し、それがうまく行かないとみると、こんどは、その法律をほとんど骨抜きにするような修文を入れようと努力する。もしも、そのような企てが金の力で成功したとするならば、民主主義が、それだけ金権政治に道をゆずったことになるのである。

 

4 宣傳機関

6401 現代の発達した宣傳技術で一番大きな役割を演じているのは、新聞と雑誌とラジオである。その他、ポスター・ビラ・映画・講演などもよく利用されるが、今言った三つは特に重要であり、中でも新聞の持つ力は最も大きい。新聞は、世論の忠実な反映でなければならない。むしろ新聞は確実な事実を基礎として、世論を正しく指導すべきである。しかし、逆にまた新聞によって世論がねつ造されることも多い。

6402 新聞が宣傳の道具として持つ價値が大きいだけに、これを利用しようとする者は、巨額な金を投じて新聞を買収しようとする、あるいは、自分の手で新聞を発行する。その新聞がどんな人物により、またはどの党派によって経営されているかがはっきりとしていれば、読む人もそのつもりで読むから、大した弊害はない。しかし、それをそうと見破りにくいような名まえの新聞でじょうずに宣傳をやると、國民の考えを大きく左右することができる。違った名まえの幾つもの新聞を買収すれば、いっそう効果がある。そのようにして、外形だけは民主主義の世の中にも金権政治が幅をきかせる。「地獄のさたも金次第」という。金が万能の力をもって世論を思う通りに動かすようでは、ほんとうの民主主義は行われえない。

6403 新聞の経営には金がかかる。その費用は、購読者が拂う新聞代を集めた額よりもずっと多い。それなのに、どうして新聞の経営が成り立って行くのだろうか。ほかでもない。その足りない部分は、廣告の収入でまかなわれるのである。したがって、購読者も、それだけ安い新聞代でおもしろい新聞が読めることになる。時には、新聞を発行する費用の半分以上が廣告の収入でまかなわれることさえある。それでみても、新聞廣告がどれほどききめがあるかということがわかるであろう。廣告がきくということは、新聞が宣傳機関として、それだけすばらしいねうちを持っていることを物語るのである。廣告でさえそうなのだから、記事をじょうずに、おもしろく、人の目をひくように載せ、珍しい写眞などをかかげれば、どんなに効果があるかは、想像にあまりある。同じ事件を取り扱うにしても、大きな活字で見出しをつけるのと、小さくすみの方にかかげるのとでは、まるでききめがちがう。無根の事実を書いて人を中傷すれば、あとで小さく取り消しを出しても、その人の信用は地に落ちてしまう。世論を動かす新聞の力は、このように大きい。それだけに、新聞を経営する人たちの責任は、きわめて重大であるといわねばならない。

6404 これと同じようなことが、雑誌その他の定期刊行物についても言える。雑誌も、発行部数の多い大雑誌になると、宣傳機関として大きな利用價値がある。したがって、雑誌社の経費のかなりの部分が廣告の収入でまかなわれる。

6405 それよりも、もっとおもしろいのはラジオである。今の日本では、すべての放送局が一つの放送協会によって経営され、その経費は聴取者の拂う料金でまかなわれて、ラジオを廣告につかうということは行われていない。ところが、アメリカでは、六百以上の私設放送局がある。東京の半分ぐらいの都会には幾つもの放送局があって、いろいろとおもしろい番組を作って競爭している。しかも、聴取者からは、いっさい料金を取らない。放送の中に廣告を組み入れ、その料金で経営しているのである。(注:日本でも1951年から民間のラジオ放送が開局した。)

6406 このように、新聞や雑誌やラジオは廣告にそのおもな財源を求めているから、なるべく多くの廣告を得ようとして競爭する。廣告を得るために、特に努力しないでも、廣告主の方から廣告を頼みに來る大新聞や大雑誌ならば、わざと廣告主のごきげんを取るようなことをする必要はないが、そうでない場合は、大廣告主の氣に入るような編集をしたり、その感情を害するような記事を載せることを恐れたりすることもありうる。そういう新聞や雑誌だと、廣告主が集まってこれらの宣傳機関に圧力を加え、自分たちにとって不利な法律案が議会を通ることをさまたげるように、論文や記事の書き方についていろいろと注文をつけることができる。その法律案の惡い点を大きく取り上げたり、その支持者の惡口を書いたりさせる。そういう技巧によって、何も知らない読者の氣持を動かしてしまうことは決してむずかしいことではない。

6407 一方また、小さい雑誌や地方新聞の中には、土地の有力者を、不利な事実を書くぜと言って脅迫し、それを書かないことの代わりに多額の金を出させる者などもある。他方には、自分にとって有利な記事を載せさせるため、それらの雑誌や新聞にたくさんの金をそそぎこむ候補者もいる。そういう惡徳記者や、ずるい候補者がいると、有権者はそれにまどわされて、よい人に投票せず、不適任な人物を選んでしまうということになりがちだ。

6408 新聞記事にはそんな事情でうその書かれることが多いとすれば、それを厳しく監督し、政府が前もって検閲して、そのような弊害を防止すればよいと思うかもしれない。しかし、それはなお惡い結果になる。なぜならば、そうすると、こんどは政府がその権力を利用して、自分の政策のために不利なような論説や記事をさしとめ、その立場にとって有利なことだけを書かせるようになるからである。それは、國民をめくらにし、権力者が宣傳機関を独占する最も危險なやり方である。言論機関に対する統制と検閲こそ、独裁者の用いる一番有力な武器なのである。

6409 だから、民主國家では、必ず言論・出版の自由を保障している。それによって、國民は政府の政策を批判し、不正に対しては堂々と抗議することができる。その自由がある限り、政治上の不満が直接行動となって爆発する危險はない。政府が、危險と思う思想を抑圧すると、その思想は必ず地下にもぐって、だんだんと不満や反抗の氣持をつのらせ、ついには社会的、政治的不安を招くようになる。政府は、國民の世論によって政治をしなければならないのに、その世論を政府が思うように動かそうとするようでは、民主主義の精神はふみにじられてしまう。

6410 政治は眞実に基づいて行われなければならない。しかも、その眞実は自由な討論によって生みだされるということこそ、民主主義の根本の原則なのである。甲の主張と乙の立場とを自由に討議させる。甲は宣傳によって國民の心をひきつけ、選挙でも多数の投票を得て、乙に対する勝利を占める。しかし、もしも甲の宣傳が眞実でなかったならば、その勝利はいつまでも続くだろうか。國民が眞実を発見する能力を持たなければ、眞実を言った乙の立場はいつまでも浮かぶ瀬はないであろう。これに反して、國民にその力さえあれば、甲の人氣はやがて地に落ちる。そうして、少数だった乙の立場の方が有力になって來る。いや、もしも國民がほんとうに賢明であるならば、初めから甲の宣傳に乗せられて判断をあやまることもないであろう。

6411 だから、自由な言論の下で眞実を発見する道は、國民が「目ざめた有権者」になる以外にはない。目ざめた有権者は、最も確かな嘘発見器である。國民さえ賢明ならば、新聞がうそを書いても賣れないから、眞実を報道するようになる。國民の正しい批判には勝てないから、新聞や、雑誌のような宣傳機関は眞の世論を反映するようになる。それによって政治が常に正しい方向に向けられていくのだ。

 

5 報道に対する科学的考察

6501 眞実を探求するのは、科学の任務である。だから、うそと誠、まちがった宣傳と眞実とを区別するには、科学が眞理を探求するのと同じようなしかたで、新聞や雑誌やパンフレットを通じて與えられる報道を、冷静に考察しなければならない。乱れ飛ぶ宣傳を科学的に考察して、その中から眞実を見つけ出す習慣をつけなければならない。

6502 一、科学的考察をするに当たって、まず心がけなければならないのは、先入観念を取り除くということである。われわれは、長い間の経驗や、小さい時から教えられ、言い聞かされたことや、最初に感心して読んだ本や、その他いろいろな原因によって、ある一つの考え方に慣らされ、何ごともまずその立場から判断しようとするくせがついている。それは、よいことである場合もある。しかし、まちがいであることもある。そういう先入観念を反省しないで物ごとを考えて行くことは、とんでもないかたよった判断にとらわれてしまうもとになる。昔の人は、風の神が風をおこし、地下のなまずがあばれると地震になると思っていた。そういう迷信や先入観念を取り除くことが、科学の発達する第一歩であった。近ごろでも、日本人は、苦しい戰爭の時には、「神風」が吹くと信じていた。大本営の発表ならばほんとうだと思いこんでいた。そういう先入観念ぐらい恐ろしいものはない。政治上の判断からそのような先入観念を除き去ることは、科学的考察の第一歩である。

6503 二、次にたいせつなのは、情報がどういうところから出ているかを知ることである。読んだり、聞いたりしたことを、そのまま信じこむことは、ただにおろかなことであるばかりでなく、また非常に危險である。だから、いつも自分自身に次のようなことを質問してみるがよい。すなわち、だれがそれを書き、それを言ったか。それはどんな連中だろうか。かれらにはそういうことを言う資格があるのか。どこで、どうしてその情報を得たか。かれらは先入観念を持ってはいないのか。ほんとうに公平無私な人たちか。あるいは、まことしやかなその発表の裏に、何か利己的な動機が隠されてはいないか。こういった質問を自分自身でやってみることは、確かに科学的考察の役にたつであろう。

6504 三、新聞や雑誌などを読む時に、次のような点に注意する。
 イ、社説を読んで、その新聞や雑誌のだいたいの傾向、たとえば、保守か、急進かをできるだけ早くつかむこと。
 ロ、それがわかったならば、それとは反対の立場の刊行物も読んで、どちらの言っていることが正しいかを判断すること。
 ハ、低級な記事をかかげたり、異常な興味をそそるような書き方をしたり、ことさらに人を中傷したりしているかどうかをみること。
 ニ、論説や記事の見出しと、そこに書かれている内容とを比べてみること。記事の内容にはだいたいほんとうのことが書いてあっても、それにふさわしくない標題を大きくかかげ、読者にまるで違った印象を與えようとすることがあるから、標題を見ただけで早合点してはいけない。
 ホ、新聞や雑誌の経営者がどんな人たちか、その背後にどんな後援者がいるかに注意すること。政府の権力に迎合する新聞を御用新聞というが、政府でなく金権階級におもねるような新聞も、御用新聞であることに変わりはない。

6505 四、毎日の新聞やラジオは國際問題でにぎわっている。今日では、國の内部の政治は國際問題と切り離すことのできない関係があるから、國際事情には絶えず氣をつけて、その動きを正しく理解することが必要である。戰爭前の日本國民は、世界じゅうが日本のやることをどう見ているかをすこしも考えずに、ひとりよがりの優越感にひたっていた。これからも、日本が國際関係の中でどういう立場におかれているかを、絶えずしっかりと頭に入れて、その上で國内の問題を考えて行かなければならない。國際間の宣傳は、國内におけるよりももっと激しく、もっとじょうずに行われるから、いろいろなことを主張し、論爭している國々の、ほんとうの目的を察知するように努めなければならない。特に、言論や出版が政府の手で厳重に統制されている國に対しては、そういう注意がたいせつである。

6506 五、世の中の問題は複雑である。問題の一つの面だけ取り上げて、それで議論をすることは、きわめて危險である。だから、ある主張をする者にたいしては、問題の他の反面についてどう思うか聞いてみるがよい。宣傳を読み、かつ聞くだけでなく、逆にこちらからもいろいろと疑問をいだいて、それを問いただす機会を持たなければならない。それには、討論会などを盛んに開くことが有益である。学校などでも、クラスごとに時事問題についての討論会を行うがよい。研究グループを作る時には、反対の考えの人々をも仲間に入れなければならない。それは、科学者の行う実驗のようなものである。いろいろな場合をためしてみ、いろいろな人の研究の結果を聞くことによって、誤りはだんだんと取り除かれ、共通の一つの眞実が見いだされる。そういうふうにして、物ごとを科学的に考察する習慣をつけておけば、それが民主主義の社会で責任のある行動をする場合に、どんなに役に立つかしれない。

6507 要するに、有権者のひとりひとりが賢明にならなければ、民主主義はうまく行かない。國民が賢明で、物ごとを科学的に考えるようになれば、うその宣傳はたちまち見破られてしまうから、だれも無責任なことを言いふらすことはできなくなる。高い知性と、眞実を愛する心と、発見された眞実を守ろうとする意志と、正しい方針を責任を持って貫く実行力と、そういう人々の間のお互の尊敬と協力と・・・りっぱな民主國家を建設する原動力はそこにある。そこにだけあって、それ以外にはない。

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第七章 政治と國民

 

1 人任せの政治と自分たちの政治

7101 民主主義が、單に選挙の時に投票をしたりする政治上の民主主義でなく、もっと廣い、もっと大きな事柄であることは、前にも述べた通りであるが、その政治上の民主主義を実現するには、各個人が政治に参與することが、不可欠の要件であることもまた、疑いのないことである。教育の普及にせよ、交通の発達にせよ、経済の繁栄にせよ、政治のよしあしによって影響されるところが非常に大きい。そのたいせつな政治を、人任せでなく、自分たちの仕事として行うという氣持こそ、民主國家の國民の第一の心構えでなければならない。

7102 日本人の間には、封建時代からのしきたりで、政治は自分たちの仕事ではないという考えがいまだに残っている。東洋では、昔から「由(よ)らしむべし、知らしむべからず」ということが言われて來た。政治をする者は、人々をその命令に從わせておけばよいのであって、政治の根本方針を知らせることは禁物だ、という意味である。政治の方針を知らせると、それをいろいろと批判する者が出て來て、かってな政治ができなくなるからである。わが國の政治家も、長い間そういう態度を採って來たために、國民は、自分たちは政治をされる立場にあるのであって、ほんとうに自分たちで「政治をする」という考えにはなかなかなれない。主権は國民にあるといっても、なんのことだかよくわからないという。戸まどったような氣持が抜けきれない。政治を人任せにするという態度も、そういうところから來ている。

7103 しかし、いったい、政治を人任せにしておいてよいものだろうか。國民の知らないうちに政治家たちによって戰爭が計画され、夫やむすこを戰場に奪い去られ、あげくの果ては、家を焼かれ、財産を失い、食べるものにも窮するような悲惨な境遇におとしいれられたのは、ついこの間のことではなかったか。政治のやり方が惡いために、一番ひどい目に合うのは、ほかならぬ國民自身である。反対に、よい政治が行われることによって、その利益を身にしみて感じる立場にある者も、また國民自身である。國民は政治を知らなければならない。政治に深い関心を持たなければならない。自分たちの力で政治をよくして行くという強い決意をいだかなければならない。政治のよしあしを身にしみてかみ分けることのできるのは、國民であるから、その國民の手で政治を行うのが、政治をよくする唯一の確かな方法である。民主主義の政治原理の根本は、まさにそこにある。國民が、政治を自分たちの仕事と思い、政治の急所をよく理解することは、政治の成果をあげるためにぜひとも必要である。政治は政府だけで行えるものではない。どんなによい政治の方針を立てても、國民がその氣になって協力しなければ、決してよい結果は得られない。

7104 昭和二十二年の秋の初め、恐ろしい豪雨が関東地方をおそった。利根川を初め、幾つかの河川がはんらんして、大洪水となった。その少し前、東北地方も大水害に見まわれた。これらは天災には違いないが、どんな天災でも、ある程度まで人力で防げないことはない。政府がしっかりとした方針を立て。國民がそれを自分たちの仕事と思って協力すれば、天災をくい止めることも決して不可能ではない。東北や関東の水害の場合には、戰爭中から水源地の森林をむやみに切り倒していたのがいけなかった。弱っている堤防を補強する代わりに、堤防の上まで耕して畑にしたのが、その決壊を早める原因となった。政府にも責任があるが、國民が治水や植林を自分たちの仕事と思って、それを眞劍に考えることを怠っていたというそしりも免れないであろう。山や川が水の出やすい狀態にある時には、雨の少ない季節になると、今度は深刻な水不足に見まわれる。電力は低下し、水道も止まるようなことになる。どうすれば、そういう狀態を改善することができるか。それを國民自らが考え、政府をして適切な方針を立てさせ、國民がすすんでこれに協力して行くのが「國民による、國民のための政治」にほかならない。

7105 自然の災害を防いだり、天然資源を利用したりするにも、國民の協力が必要である。そして、人間の世の中のことをよくして行くためには、國民がその氣になることが、絶対に必要な條件である。インフレーションが恐ろしいことは、だれでも知っている。生産を高めなければならないことは、みんな承知している。しかし、そのためにどんな政策を行っても、國民がその氣にならなければ、決して効果はあがらない。人任せの政治では、國民はかげで政府の惡口を言うだけで、自分で責任を持つという氣持にならない。結局、ずるい人間が得をして、正直者がばかをみることになる。それでは、世の中は惡くなるばかりである。政治をよくして行くには、國民のひとりひとりが責任を持たなければならない。無責任な人間の乗ずるすきのない政治を行わなければならない。だれがそれを行うか。國民がそれを行うのである。だから、政治は、國民にとって「自分たちの仕事」なのだ。だから、民主政治は「國民の政治」でなければならないのである。

 

2 地方自治

7201 國民が政治を「自分たちの仕事」と思わなければならないわけは、これでわかる。ただ、國の政治となると、範囲も廣いし、問題も複雑だし、成り行きの見通しも困難だし、それをどう「自分たちの仕事」とするかは、なかなか見当がつかないと思うかもしれない。しかし、政治は國の政治だけとは限らない。もっと狭い、もっと手近なところにも政治がある。町にも政治があり、村にも政治がある。國民は、同時に市民であり、町民であり、村民である。國の政治はむずかしくてわからない場合でも、町の政治や村の政治ならば、だれにもわかりやすい。それを「自分たちの仕事」と考えるのが、民主政治の第一歩である。

7202 日本の國は、一つの都、一つの道、二つの府、四十二の縣に分かれている。その中にまた、市があり、区があり、町があり、村がある。それらを地方自治團体という。明治憲法の下では、中央政府の支配者たちが天下りの命令を出し、地方の政治を動かし、町や村の事情にそぐわないことをも強制した。しかし、今度の憲法の下では、そういうことはできない。地方自治團体には、それぞれ自分たちの議決機関と執行機関とがあって、地方民がその任に当たる人々を選挙することになっている。縣議会議員・市議会議員・村議会議員などを選挙するのはもとよりのこと、縣議会・市議会・村議会などで議決した事柄を執行して行く知事や市長や村長なども、みな選挙で決める。だれを代表者に選挙するか、選挙した代表者にどういう政治をしてもらうか、代表者たちが、縣民・市民・村民などの期待する通りの政治をしているかどうか、そういうことを自分からすすんで考えて行くことによって、それらの政治がみんなにとっての「自分たちの仕事」になって行く。それは、決してむずかしいことでもなく、わからないことでもないはずである。

7203 たとえば、ある村に荒地がある。水はけが惡いので、耕作に適さない。そこを耕すには、費用もかかるし、労力もたいへんだ。そのために、昔からそのままになっている。しかし、それでよいのか。なんとか金の融通をつけ、みんなの協力でそこを開墾するくふうはないか。川の上流をせき止め、水はけをよくすれば、数町歩の水田が得られるだろう。せき止めた水はかんがいの用水に役立つだろう。それを村民がくふうし、実行力のある人を村議会議員や村長に選び、その計画を実行したとする。二年や三年は、村の財政は、赤字になるだろう。しかし、四年目には少しは収穫があるだろう。五年目の秋には、ふさふさとした黄金のみのりがみられるだろう。もちろん、ものごとすべてがそううまく行くとは限らない。だから、反対もあろうし、反対にも理由があろう。そこをみんなで考える。そうして、多数の賛成者が得られたならば、やってみる。村は進歩し、村民の生活はらくになる。それが村の政治だ。学校を建てるのでも、公民館をりっぱにするのでも、道路を改修するのでも、みな同じことだ。村民にとって、どうしてそれが「人任せの仕事」であってよいであろうか。一家協同で耕す野ら仕事が、家族にとって「自分たちの仕事」であるのと同じように、それらはみんな、村人たちの「自分たちの仕事」でなければならない。

7204 今の世の中では、國にも、地方にも、町にも、村にも、困難な問題が山のようにある。しかし、日本の問題を日本人が解決しようとしないで、だれがそれを解決してくれるか。それと同じく、地方の問題、町の問題、村の問題は、まずその地方の住民が、その町民が、その村民が、自分で考え、自分で解決に努力して行かなければならない。「天は自ら助くるものを助く」という。村が縣の援助を受け、地方が國の補助を受けるのは、それから先のことである。國民全体が努力に努力を重ねて、それでも力の及ばないところがあってはじめて、外國の援助や協力を期待することができるのと同じである。

7205 地方自治の問題は、地方民の力で解決する。しかし、町民や村民は、それぞれ自分の職業を持っているから、町の政治、村の政治だけにかかりきりになっていることはできない。そこで、自分たちの中から代表者を選んで、もっぱらその方面の仕事をしてもらう。けれども、代表者を選んだから、あとはその人たちに任せておけばよいという態度であってはならない。町長や村長は何をしているか。町議会議員や村議会議員は何を議論しているか。感情問題にとらわれたり、党派の爭いに氣をとられたりしているようなことはないか。町民や村民は、いつもそのようなことに注意し、自分たちの代表者のすることを激励批判し、いうべき意見は筋を立てて申し出て、みんなで正しく明るい町の政治、村の政治をもり立てて行かなければならない。

7206 政治は、だれにとっても「自分たちの仕事」であるべきだ。しかし、なんといっても、実際の仕事にたずさわってもらう代表者にその人を得るということは、最もたいせつである。だから、われと思う者は、町長や村議会議員に打って出るがよい。自分が代表者にならない場合にも、自分で打って出るのに劣らない熱心さをもって、自分たちの代表者をまじめに選挙すべきである。

7207 しかし、選挙に熱中しすぎて、冷静な判断を失うようなことになっても困る。アメリカなどでは、選挙は國民の最も力こぶを入れる行事だから、時にはそれが文字通り鳴りもの入りで行われることもある。人目をひいて選挙戰を有利に導くために、樂隊をやとって大がかりな宣傳をする候補者もある。浮き立つ景氣に心を奪われて、いかもの候補者に投票し、じみなまじめな人を落選させてしまう場合もあるそうだ。日本では、まだブラス・バンドで選挙戰に繰り出す者はないようだが、うわべの宣傳につられて、選ぶべき人を選ばない結果になることは少なくない。政治は神頼みでは解決しない。よい政治は、りっぱな人の力に頼まなければならない。だから、鎮守のお祭り以上に選挙に力こぶを入れるようになるのは結構なことだが、それだけ、から宣傳に乗せられないように注意することが、くれぐれもたいせつであろう。

 

3 國の政治

7301 村の政治は村民の力で、町の政治は町民の意志で、地方の政治は地方民の協力でやっていくのが、民主的な地方自治の原則である。しかし、村の政治は村だけでは解決しない。地方の問題には、地方だけではどうすることもできないことがたくさんある。だから、村のことを考えるには、地方全体のことに心を配らなければならない。地方の問題を解決するには、國全体の政治を考えて行かなければならない。初めのうちは、國の政治は複雑で、廣すぎて、わからないように思われるが、こうして地方地方のことを眞劍に考えて行くうちに、大きな國全体の政治問題についても、だんだんと理解ができ、識見を養うことができるようになって來る。

7302 今の日本で一番たいせつな問題の一つが食糧問題であることは、いうまでもない。その食糧の生産を受け持つ農村は、年じゅう休む暇もない重労働に從事している。アメリカのような國では農村の工業化が大規模に行われていて、畑を耕すのも、種をまくのも、収穫をするのも、脱穀を行うのも、大部分機械の力でやる。飛行機で空から種をまくことすら行われている。日本のように土地が狭く、水田の多い國で、そのまねをすることはできないが、せめて電力や畜力だけでももっと豊富に、有効に使うようになれば、どのくらい農業生産の能率があがるかわからない。そうなれば、水力電氣をもっと開発しなければならない。そういうことは、一村・一町・一地方の問題ではなくて、國全体の政治がこれに協力することによって、はじめて解決される。

7303 これはほんの一例であるが、この一例でもわかるように、地方の政治は、すべて國全体の政治と密接に結びついている。だから、村の政治を眞劍に考える人々は、地方の政治にも熱心にならざるを得ない。地方の問題に熱心な人々は、國全体の政治に深く心を配らないではいられない。村の政治を自分の仕事と思う氣持は、そのまま、國の政治を自分の仕事と考える態度となって來るはずなのである。

7304 しかし、町や村の政治から府や縣の政治へ、地方の政治から國全体の政治へと範囲が廣がって來るにつれて、問題が複雑の度をまして來ることは確かである。國の政治といえども、國民が「自分たちの仕事」と考えなければならないことに変わりはないが、一町一村の事柄と違って、國全体の政治となると、一般の國民には、細かいところまで立ち入って、問題の要点をつかむことはむずかしい場合が多い。それに、町や村ならば、自分でその代表者に打って出る機会も多いが、國全体の政治だと、國会議員や大臣になって自分で政治をつかさどる立場に立つということは、ごく少数の人々に限られる。したがって、大多数の國民にとっては、できるだけよい代表者を國会議員に選出することが、國の政治に関與する最もたいせつな筋道だということになる。

7305 ところで、同じく代表者を選ぶにしても、町議会議員や村議会議員ならば、選挙民は候補者の経歴や性質や意見をよく知っているから、だれを選ぶかを容易に決めることができる、これに反して國会議員となると、候補者の公報を見て、はじめて名まえや職業などを知るような場合が少なくない。その中から品定めをするのだから、いわば写眞結婚のようなもので、なかなかどれがよいかを決めかねる。政見発表の演説やラジオを聞いても、それをそのままに受け取ってよいかどうかがあやぶまれる。それでは、選ぶ方も不安心だし、選ばれる方から見ても、投票が偶然のよって支配されることになってぐあいが惡い。また、選挙された何百人かの國会議員が、各個ばらばらの意見を主張し、各個別々の判断によって行動するというのであっては、政治の方針のしめくくりがつかない。そういう不都合は、どういう方法によって取り除かれうるのであろうか。

 

4 政党

7401 今述べたような不都合を取り除くために、民主政治の発達とともに発達して來たものは、政党である。民主政治は政党を本位として行われる。國民にとっては、「人」を選ぶことはむずかしくても、どの「党」の主義主張に賛成すべきかを決めることはたやすい。代議士にとっては、個人としてではなく、政党の一員として行動することによって、その抱負を國政の上に強く押し進めて行くことができる。政党は、地方の政治の場合にもいろいろな役割を演ずるが、特に、國全体の政治は政党によらないでは民主的に運用することはできない。それだけに、よい場合には非常によい働きをするし、惡い場合にはいろいろと弊害を伴なうのが、政党政治だといわなければならない。

7402 政党は、政治について、同じような主義主張を有する人々によって作られる團体である。政治上の見解は、人によって大なり小なり違うのがあたりまえであるが、共通な点を取りまとめて行けばだいたいとして幾つかの色彩に区分することができる。そうすれば、その共通の政策をはっきりと理論づけ、その原理を高くかかげ、一定の方針の下に正々堂々と進退しうるようになる。

7403 そこに政党の意義がある。政治家はどれかの政党に属して選挙戰に臨む。國民は、どの政党の政策を支持すべきかを判断し、合わせて候補者の人柄を考え、これはと思う人に投票する。おのおのの政党が、國民の支持に應じて、あるいは多数の、あるいは少数の代議士を國会に送りこむ。そうして、反対の政党と議論をたたかわせたり、似通った考え方の政党同士が協力したりして、國の政治の方針を決めて行く。國民は、それを激励したり、批判したりして、自分たちの期待する政治が行われるようかじを取る。國の政治もまた、そういうしかたで、國民にとって「自分たちの仕事」となっていく。

7404 國の政治は複雑でむずかしい。複雑でむずかしいから、どういう政策を実行するのが正しいかについては、いろいろと意見が分かれる。だから、二つも三つも、時には五つも六つも違った政党ができて來る。政党が幾つかに分かれるのは、当然のことである。それなのに、一つの政党の立場だけを正しいとし、他の立場の政党を認めないというのは、民主主義ではない。それは独裁主義である。

7405 独裁主義は、反対党の存在を許さない。したがって、一國一党などといって、権力で思想を統制してしまう。これに反して、民主主義は言論の自由と政党を選ぶ自由とをたっとぶ。だから、多数党が政権を握っても、必ずその反対党があって、政府のやることを遠慮なく批判する。それによって、政府も多数党も自分の政策について反省することになるし、國民も、どういうところに問題があり、それについてどういう考え方がありうるかを知ることができる。少数党の意見は多数決によって否決されても、その見解が正しければ、だんだんと國民の支持を得て、少数党も多数党に成長する。このようにして運用されて行くのが、民主主義の正しいあり方である。

7406 しかし、さればといって、政党の数があまりに多くなることは、決して歓迎すべき狀態ではない。政党が五つにも六つにも分かれると、その中のどれか一つが國会の過半数を占めるということは、非常に困難になる。したがって、國会の多数党が内閣を組織する場合、一つの政党だけでは力が足りないで、二つも三つもの政党の寄り合い世帶を作ることになる。二つ以上の政党が協定して連立内閣を作ることが惡いというわけではないが、そういう政府は、ややもすれば政治力が弱くなるおそれがある。一つの信念をもってはっきりした政策を一貫させることができない。政府の中で折り合いが惡くなりやすい。一つの党が寝がえりを打つと、與党が少数になって、内閣が立ち行かなくなる。政府がいつも短命であったり、政府の政策が中途半端でぐらぐら変わったりすると、國民はだんだんと議会政治を信用しなくなる。そうして、反動的に、一筋道をまっしぐらに進む徹底した政治を求めて、独裁主義に走るおそれが生ずる。

7407 だから、あまりに多くに政党に分裂するということはできるだけ避けなければならない。現在の日本のように、民主政治が行われてまもない狀態では、ある党から打って出た代議士が、いつのまにかその党から脱退したり、無所属の議員や灰色の小会派をかり集めて新党を作ったりすることも、ある程度まではやむをえないにしても、早くそういう狀態を精算することが望ましい。そうして、はっきりした主義を持つ二つか三つの大きな政党だけになって、小細工をする余地のない、堂々とした議会政治が行われるようになって行かなければならない。

 

5 政党政治の弊害

7501 民主主義は多数決によって行われる。選挙の場合にも、最も多くの投票を得た候補者が当選する。國会で法律を作るのも、内閣総理大臣を指名するのも、多数の決定するところによる。前の章で述べたように、この多数決原理を否定しては、民主政治は成り立たない。したがって、民主政治でものをいうのは数である。多数を得んがための公明正大な爭いは、民主政治を推し進めるための原動力である。しかし、その反面また、そこに政党政治に特有の弊害がかもし出されることには注意しなければならない。

7502 政党政治に最もありがちな弊害は、「どろ仕合」である。政党は、是が非でも多数を獲得しようとするから、とかくそのために手段を選ばないことになりやすい。そこで、選挙の際には、相手の政党の勢力をそぐために、單なる攻撃のための攻撃を行う。あることないことを並べ立てて、政敵の立場を不利に導こうとする。果ては候補者の私生活までもあばいて、中傷や人身攻撃をやる。攻撃される方も黙ってはいられないから、「賣りことばに買いことば」で、同じように公私の別を無視したそしり合いをする。そういうどろ仕合は相手の顔にどろをぬるつもりで、実は自分の顔にもどろをぬることになる。否、政党政治そのもの、民主主義そのものの顔にどろをぬることになる。こうしたどろ仕合は、総選挙がすんでもまだ終らないで、國会が成立したのちにまで持ち越されることがある。そうなると、一つの政党が他の政党の切りくずしをやる。政敵の信用を落とすような事実をさがし出して、ばくろ戰術を試みる。数ではかなわないとみると、政府の提出した法律案に対して長い反対演説をやる。賛成演説に対しては、野次を飛ばして議場を混乱させる。同じような質問を繰り返して審議を長びかせる。議長が討論を打ち切ろうとすれば、「横暴」と叫ぶ。果ては議長席につめよせたり、乱闘さわぎまで演ずる。そうして採決をおくらせて、審議未了ということに持ちこもうとする。審議未了のまま会期が終れば、多数党といえども法律案を通過させることができない。少数党は少数党で、そのような作戰を用いることがまれでない。

7503 そういうどろ仕合と並んで、政党政治につきまとう大きな弊害は、金の誘惑である。「地獄のさたも金次第」というが、政治の世界も金で動かされることが多い。公明な選挙であっても。多額の金がかかるのが普通である。まして選挙民に金をばらまいたり、新聞を買収したりすれば、ばくだいな費用がいる。選挙の費用の一部は党から出すにしても、政党は株式会社ではないから、自分で金をもうけることはできない。そこで、財閥から金を出してもらうということになれば、政権は金権によって左右されてしまう。以前の日本では、しばしばそういうことが行われた。政友会の黒幕は三井、民政党の金主は三菱ということは、國民の常識までになった。そんなありさまでは、公明な政治の行われるはずはない。またその金が流れて、選挙民がそれによって買収されるようなことになっては、民主政治もおしまいである。昭和の時代になって、軍を中心とする独裁政治が横行するにいたった大きな原因の一つは、こうした政党政治の腐敗にあった。

7504 これらの弊害を取り除くにはどうしたらよいか。

7505 その第一は、政党が公党としての自覚に徹底することである。政党は、國民を代表してその主張を政治の上に実現して行こうとするものであるから、はっきりした政策を掲げ、それを忠実に遂行するように努めなければならない。しかし政治は生きものであるから、はっきりした政策といっても、現実に合わない公式論では困る。そこで、移り変わる世の中に應じうるように、その政策に絶えず新味と弾力性とを持たせて行くことが必要である。政党人はそういう政策を中心として公明正大に行動し、公表された政策に共鳴する國民は、その政党に信頼してこれを支持するようになれば、政党が金や情実によって動かされる危險は、よほど少なくなるに相違ない。

7506 第二に、政党それ自身が民主主義的に組織されることである。政党にりっぱな人物を得ることがたいせつであるのは、いうまでもない。政党は、政策と人とによろしくを得ることによって発展する。特に、党の幹部がしっかりしていないでは、到底政党の團結を維持して行くことはできない。しかし、幹部がしっかりしているということと、幹部の命令が独裁的に行われるということは、全然違う。政党が金で動くようになると、党の幹部の一番大事な仕事は金を集めることになってしまう。そうして、そうした点で最も有力な人間が総裁にたてまつられ、むずかしいことはすべて総裁一任ということになる。

7507 政党は民主政治の中心であるから、その内部が民主的に組織されなければならないことは、あたりまえである。党の規律は重んぜられなければならないけれども、それと並んで党の中での公開討議が尊重され、指導的な人物が推されて幹部になるというふうでなければならない。それと同時に、党の経費は財閥や少数の金持からみつがれるのではなく、なるべく廣い支持者の寄附金によってまかなわれるようにすべきである。

7508 第三に、政党には、相手方の立場を理解する雅量が必要である。政党は、それぞれ違った主義や綱領によって立っているのであるから、その間に対立があり、政爭が行われるのは当然である。しかし、いかに政党の間に対立があっても、それは結局、國の政治をよくし、國民生活を向上させるためなのであるから、互に主義主張を爭うことによって、すべての政党が同じ一つの目的に向かって協力しているはずでなければならない。だから、政党は、相手方の主張にもよく耳を傾け、正しい意見は進んで採り入れるだけの寛容さを持たなければならぬ。特に多数党は少数党の主張を重んじなければならぬ。多数によって少数を圧迫し、是非にかかわらず採決で勝利を獲得すれば、多数党の横暴となることを免れない。國民の禍福の分かれ道になる問題を、右からも左からも、上からも下からもよく見てよく研究し、互の論議を重ねつつ、ただ一つの眞理を発見して行こうとする謙譲の精神があってこそ、花も実もある政党政治が行われうる。

7509 しかし、これらのことの根本をなすのは、國民の良識である。政党は、國民の心の鏡のようなものである。國民の心が曲がっていれば、曲がった政党ができる。國民の氣持がさもしければ、さもしい政党が並び立って、みにくい爭いをするようになる。それを見て、政党の惡口を言うより先に、何よりもたいせつな國民の代表者に、ほんとうに信頼できるりっぱな人を選ぶことを心がけなければならない。國民がみんな「目ざめた有権者」になること、そうして、政治を「自分たちの仕事」として、それをよくするために絶えず努力して行くこと、民主政治を栄させる道は、このほかにはない。

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第八章 社会生活における民主主義

 

1 社会生活の民主化

8101 ポツダム宣言を受諾したのちの日本では、まず、政治の民主主義化が思いきって行われた。憲法ができ、國会を中心とする政治の組織が確立され、天皇の権威をかさにきた軍部や特権階級の勢力は一掃された。前には役所の権力を握って國民をあごでさしずしていた官僚は、國民の公僕とよばれるようになった。地方自治制も改革され、地方の政治のおもだった地位につく人は、選挙で決まることになった。制度の上から見れば、今日の日本はまさにりっぱな民主國家である。政治の形だけについていえば、もうこの上民主主義化する余地は、あまり残っていないといってよい。

8102 しかし、民主主義は決して單なる政治上の制度ではない。それは、その根本において社会生活のあり方であり、社会生活を営むすべての人々の心の持ち方である。政治上の制度だけならば、それを民主化することは必ずしも困難なことではない。もちろん、民主政治の制度を、今日見るような形にまで発達させるために、人間の長い苦闘と努力の歴史が必要であったことは、第二章で概観した通りである。けれども、日本のように、敗戰によって過去の政治組織がいっぺんにくずれ、そのあとに、西洋の進んだ國々の政治形態の大きな影響を受けつつ、新たな制度を採用するという場合には、既にたくさんの模範や先例があるのだから、事は比較的に容易なのである。これに反して、社会生活の根本から民主主義化するということになると、これは一朝一夕にできる事柄ではない。長い間、人の心にしみこんで來た民主主義的でない氣持をぬぐい去り、日常生活のすみずみまで民主主義の精神を行きわたらせるには、なみなみならぬ覚悟と修練とがいる。しかも、それが行われなければ、政治の形のうえでの民主主義も決してほんものにはなりえないのである。

8103 民主主義の発達する前には、西洋にも封建制度が行われていた。諸侯や貴族が廣い土地の領主となって、その土地の人民を支配していた。領主にはおおぜいの家來がいて、それらの家來は、領主には忠節を励むが、人民に対しては大きな顔をして権力をふるっていた。そういうふうに、人間の間に身分の差別があって、身分によって人間のねうちに大きなへだたりをつけるのが、封建制度の特色である。日本にも、武家政治の時代を通じて、長い間封建制度が続いた。中央には絶大の権力を持つ將軍があり、地方には大名があって、どんなばか殿様でも、人民は土下座してこれを迎えなければならなかった。將軍や大名の家來は武士で、武士にもいろいろな階級があり、しかも、その武士はすべて一般人民の上に位していた。士農工商といって、社会生活の階層がはっきりと身分で決まり、両刀を帶びた武士は、ちょっとしたことで人民を殺しても、「切りすて御免」といって涼しい顔をしていた。そういう封建制度は、明治維新によって廃止されたけれども、そのなごりは最近まで存在していた。華族という特権階級が尊ばれたり、士族とか平民とかいう無意味な族籍を履歴書に書いたりすることは、ついこの間まで行われた。

8104 なるほど、それらのことも、今は全くなくなった。しかし、日本人の心の中には、まだまだ封建的な氣持が残っている。人間のほんとうのねうちを見ないで、家柄によって人をうやまったり、さげすんだりするのは、封建思想である。上役が下役にいばりちらしたり、氣に入った子分だけを引き立てたりするのも、封建的である。親の威光で子供の人格を無視したり、夫が妻を一段低いもののように見下すのも、封建時代のなごりである。人と人との間に、人格的な價値とは無関係な上下の差別をつけてみたがるのは、日本人の封建制の表われである。そういうくせを取り除かない限り、社会生活の眞の民主化は行われない。

8105 もちろん、人間の間には、才能の違いもあるし、経驗の大小もあるし、人格の高下もある。人格、識見の高い人が世の中の尊敬をうけるのはあたりまえである。すぐれた才能を持ち、深い経驗を積んだ人が、高い月給で、重い地位につくのも、当然である。社会生活の民主化とは、そういうことを無視する意味では決してない。同じ仕事をして、十の成績をあげる人と、一の能率しか示さない人とを、全く同じように待遇するのは惡平等であって、決してほんとうの平等ではない。しかし、そういう地位や待遇の違いは、人間の眞價によって定まるべきものである。高い地位についているから偉いのではなくて、りっぱな人だから、重要な仕事を受け持つのでなければならぬ。たとえば、学校でも、先生は先生だからなんでも敬われなければならないのではなく、先生は学問もあり、人格も高く、世の中の経驗を数多く積んでいればこそ、生徒を監督したり、指導したりする責任の立場に立つのでなければならぬ。

8106 日本の社会の中でも、特に手近なところで民主化される必要があるのは、われわれの営んでいる家庭生活であろう。父親が父親なるがゆえに、子供に無理なことを強制したり、夫が夫なるがゆえに妻に從属と一方的な奉仕とを要求したりするのは、全く理由のないことである。弟も妹も同じ子供であるのに、特に長男だけをたいせつにするのも、個人を平等に尊重するという精神を妨げる不合理な風習である。親は親だから権威があるのではなく、親たる愛と年長者としての識見と経驗とをもって子供を心から監護すればこそ、子供も自然の敬愛と信頼とをもってこれに從うのである。夫婦の間柄も兄弟姉妹の関係も、お互の人格を認めあってこそ、円満に平和に秩序づけられうる。家庭は社会縮図である。その意味で、社会生活における民主主義の実践は、まず家庭から始められなければならない。

 

2 個人の尊重

8201 社会生活における民主主義の根本の原理は、人間を個人として尊重するということである。尊重されるのは、だれだろう。それは、「わたし」であり、「あなた」である。人はよく、「わたしはこんなつまらない人間だから」などと言う。言うだけでなく、実際にそう思う。人間は、うぬぼれてはいけないから、そういう謙譲な氣持も一面では必要かもしれない。しかし、そういう謙譲な氣持をよいことにして、そういう人々を思うようにあしらい、自分のかってな欲望を遂げようとする者があった場合、それでも黙っているのが正しいことであろうか。「あなた」の生活をふみにじり、「わたし」の努力をだいなしにされても、「御無理ごもっとも」と言って横車を押させてよいものだろうか。そうではあるまい。そうであってはならないと思うところに、人間の自覚がある。「わたし」であろうと「あなた」であろうと、人間としての存在は何よりも重んぜられなければならない。民主的な社会生活は、かような人間の自覚と個人の尊重とから始まる。

8202 「泣く子と地頭には勝てない」ということばがある。「無理が通れば道理引っこむ」ということわざがある。日本人の心にしみこんだ封建的な氣持を、これほどよく言い表わしていることばはない。自分の信念をも主張しえず、権勢の前に泣き寝入りをするのがあたりまえのような世の中が、どうして正しく明るくなって行く見こみがあろうか。卑屈な、じめじめした、陰口ばかり言いあっている社会生活ほど、堪えられないものはあるまい。家庭の中にそういう空氣はないだろうか。学校にはそんな氣分が残っていないだろうか。役場や工場にそうした傾向がありはしないだろうか。もしもそういうところがあったならば、だれがその空氣を拂いのけるのか。その家庭の人々、その学校の先生や生徒たち、その役場や工場の勤務員以外に、それをやり遂げる者はない。みんなが人間としての自覚を持ち、「すべての人に爲(せ)られんと思ふことは、人にもまたそのごとくする」以外に、明るく住みよい社会を作り上げて行く方法はない。

8203 すべての人間は、生きる権利がある。めいめいがその幸福な生活を築き上げて行く権利を持っている。できるだけ多くの人々ができるだけ幸福になることは、人間社会の理想である。

8204 封建社会では、少数の特権階級の幸福のために、大多数の人々の幸福が犠牲にされた。専制時代には、専制君主の虫のいどころ一つで、誠実な家來や善良な人民が虫けらのように殺された。独裁政治の横行している場合には、独裁者の計画した戰爭のために、幾百万という命が奪い去られた。人間の生命は何よりも尊い。人間の幸福は花園のように美しい。人はすべて、平等に幸福を分かちあいうるようにならなければならない。民主主義は、そのために封建制度を倒し、専制主義をくつがえし、独裁政治とたたかった。自ら血と汗と涙でたたかい取った精神的な財宝であるがゆえに、西洋の進んだ民主主義國家の國民は、人間の自由と個人の権利とを、あくまでも守り抜こうとする強い意志を持っている。日本人には、自由と権利とを自分たちでたたかい取った経驗が少ないだけに、まだそれをほんとうに自分から尊く思う氣持が出て來ない傾きがある。しかし、それがこの上もなく尊いものであることは、西洋と東洋とで変わるはずはない。恐るべき戰爭の記憶がまだ生々しい今こそ、その尊さを眞に心の中でかみしめるべき絶好の機会である。

8205 人間は、すべて平等に幸福を求める権利を有する。しかし、幸福は、天から降って來るものでも、地からわいて出るものでもない。幸福は、人間の勤労と努力とによって築き上げられて行くのである。だから、社会に生活するすべての人間は、堂々と働かねばならぬ。自ら働くことの喜びを味わうとともに、他人の額に汗する勤労を尊ばなければならぬ。

8206 もっとも、人間の世の中にはいろいろと矛盾があって、民主主義が行われるようになっても、働く者のくらしがらくにならず、働かない者のふところに金がころがりこむ場合が少なくない。それは、主として経済生活における民主主義の問題であるから、次の章で考察することとしよう。けれども、経済の組織の問題は別としても、ほんとうに人間を個人として尊重する精神が行きわたれば、経済生活に伴う矛盾の多くは、それによって解決されるはずである。個人の勤労によって得られた利益を、働かない人間がしぼり取るようなしくみは、結局は民主主義の根本精神を裏切る考え方が、社会の中に深く巣を食っている結果として現われて來るのである。哲学者カントは、「それが自分自身であろうと、どんな他人であろうと、人間を常に同時に目的として取り扱うべきであり、決してそれを單なる目的のための手段にのみ用いるようなことがあってはならない。」と説いた。他人の目的のための單なる手段として利用される者は、奴隷である。他人を自分の利己心の道具として用いるのは、人間の尊厳なねうちをふみにじる罪惡である。民主主義は、社会生活からあらゆる意味での奴隷を駆逐しなければならない。他人の汗の結晶を、ぬれ手であわをつかむように、つかみ取る罪惡を追放して行かなければならない。

 

3 個人主義

9301 人間を個人として尊重する立場は、個人主義である。だから、民主主義の根本精神は個人主義に立脚する。軍國主義の時代の日本の政治家や思想家たちは、民主主義を圧迫した。したがって、その根本にある個人主義を、いやしむべき利己主義であるとののしった。しかし、これほど大きなまちがいはない。個人主義は、個人こそあらゆる社会活動の單位であり、したがって、個人の完成こそいっさいの社会進歩の基礎であることを認める立場である。すべての個人が社会人としてりっぱになれば、世の中は自然とりっぱになる。個人個人の生活が向上すれば、おのずと明るい幸福な社会が作り上げられる。ゆえに、尊重さるべきものは、「一部の人間」ではなく、ましていわんや「おのれひとり」ではなく、生きとし生ける「すべての個人」である。その考え方のどこに、いやしむべき利己主義がひそんでいるのであろうか。

8302 民主主義に反対するものは、独裁主義である。ゆえに、独裁主義は個人主義を排斥する。そうして、その代わりに、全体主義を主張する。

8303 全体主義は、個人を尊重しないで、個人をこえた社会全体を尊重する。民族全体とか國家全体とかいうようなものを、一番尊いものと考える。民族や國家は、個人をこえた全体として、それ自身の生命を持ち、それ自身として発展して行くにものであると説く。全体がまず尊ばれるということは、部分の價値をそれに從属させるということである。社会全体の部分をなしているものは、個人である。だから、全体主義は、個人の尊さを認めない。個人は、全体のための犠牲とならなければならないと教える。戰時中の日本では、滅私奉公ということが盛んに唱えられた。個人の幸福、否、個人の生命をも捨てて、國家のために殉じなければならないと言う意味である。國民に対しては、「命を鴻(こう)毛の軽きに比する」と言うことが要求された。イタリアのファシズムも、同じような極端な國家主義を採った。ドイツのナチズムは、國家の代わりに民族全体を至上、絶対の尊いものにまでまつり上げた。のみならず、今日のソ連その他の共産主義者のなかにも、これに似通った全体主義の考え方があるようにみえる。

8304 なるほど、民族や國家はたいせつなものである。しかし、民族のひとりひとりが栄えないで、どこに民族全体の繁栄がありえようか。國民のすべてを犠牲にして、どうして國全体が発展する余地があるであろうか。民族や國家の繁栄といっても、その民族や國家に属するすべての個人の繁栄以外にはありえないはずなのである。それなのに、個人の尊さを否定して、社会全体を絶対に尊いものだと教えこむのは、独裁主義のからくり以外の何ものでもない。

8305 独裁者は、國民にそういうことを教えこんで、國民が犠牲をいとわないようにしむける。そうして、これは民族のためだ、國家のためだといって「滅私奉公」の政策を強要する。その間に、戰爭を計画し、戰爭を準備する。戰爭ほど個人の犠牲を大量に必要とするものはない。だから、戰爭という大ばくちをやろうとする者は、國民に、國家のために命をささげるのが尊いことだと思いこませる。道徳も、宗教も、教育も、すべてそういう政策の道具につかわれる。

8306 全体主義者は、民主主義をけなすために、民主主義は個人主義だから、民主國家の國民は國家観念がうすく、愛國心に乏しいという。愛國心に乏しいから、いくら軍艦や飛行機をたくさん持っていても、戰爭には弱いという。それがどんなに大きなまちがいであるかは、今度の戰爭でよく証明された。

8307 民主主義者は、國家の重んずべきことを心得ている。祖國の愛すべきことを知っている。しかし、國家のためということを名として、國民の個人としての尊厳な自由や権利をふみにじることに対しては、あくまでも反対する。國家は、社会生活の秩序を維持し、國民の幸福を増進するために必要な制度であってこそ、重んぜられるべきである。國民がともに働き、ともどもに助けあい、一致團結して築き上げた祖國であればこそ、愛するに値する。民主主義が最も尊ぶものは、個人生活の完成であり、すべての個人の連帶・協力によって発達して行くところの社会生活である。國家は、さような社会生活の向上・発展を保護し、促進するために存在する政治上の組織にほかならない。

8308 全体主義の考え方が危險であるのは、内に向かって國民の個人としての基本的権利や生活をふみにじるためばかりではない。それはまた、外に向かっては他の國家の利益を侵害してはばからない態度となる。全体主義は、すべての國々の主権と安全を等しく尊重するのではなくて「わが國」だけが世界で一番すぐれた、一番尊い國家であると考える。したがって、他の國々はどうなっても、自分の國さえ強大になればよいと思う。そこから導き出される結論は、自分の國を強くするためには手段を選ばないという國家的な利己主義であり、外國を武力でおどしたり、力ずくで、隣國の領土を奪ったりする侵略主義である。全体主義は戰爭の危險を招きやすい。だから、恐るべき戰爭を繰り返さないためには、再び全体主義の誤りに陥ってはならない。

8309 これに反して、民主主義は個人の價値と尊厳とに対する深い尊敬を基礎としている。自分の國の國民を尊重するばかりでなく、外國の國民も等しく人間として尊重する。だから、自分の國が栄えるとともに、他の國々もともに栄えることを願う。そこから出て來るものは、僞りのない國際協力の態度であり、崇高な世界平和擁護の精神である。民主主義によってこそ、世界はだんだんと一つになる。おのおのの國がその特色を生かし、その任務を果たすことによって、生きとし生けるすべての人間に平安と幸福とをもたらすべき、ただ一つの世界が次第に築き上げられて行く。

 

4 権利と責任

8401 個人主義は、自分であると他人であるとを問わずに、すべての人間を個人として尊重する。自分を尊重するのは、自分の人格をたいせつにすることであり、自己の正当な権利を擁護することである。人格を重んずる者は、自分の人格をみがくことに努めなければならない。自己の正当な権利を主張する者は、同様に、他人の正当な権利を重んじなければならない。自分の人格がいやしいのに、どうして他人から尊敬されることを期待しえようか。他人の立場を重んじないで、どうして自分の立場だけを認めさせる資格があろうか。だから、個人主義は、個人の権利を重んずると同時に、個人の責任を重んずる。個人個人がその責任を自覚することによって、すべての社会活動が円滑に行われるようになることを期待する。

8402 民主主義の社会生活では、すべての人々が、自分のいっさいの行動について責任を持たなければならない。何か仕事をやってみて、うまくいった時には大いにその権利を主張する代わりに、失敗すればすぐ他人のせいにするというようなやり方は、最もひきょうな態度である。すべての人がそれぞれその持場を守り、その個性を発揮し、責任を持ってその任務を遂行するのでなければ、社会生活の向上は望まれない。

8403 野球を見ても、投手はボールを投げ、捕手はボールを受ける。遊撃をゴロがおそえば、はっしとこれを取って二塁に投げ、二塁手は直ちに一塁に轉送して、みごとにダブル・プレイを演ずる。ライト・センター間の大飛球をふたりの外野手がともに追っても、右翼手が一歩球に近ければ、中堅手は功名爭いをやめて、捕球を右翼手にゆずる。九人がそれぞれ別々の行動をし、おのおのその特色を発揮しながら、ちょうど一人の手足を動かすように全体の統一がとれ、みんなで共同の目的に向かって一糸乱れずに協力している。民主主義の社会生活も、一流チームの野球のようになればたいしたものだ。

8404 しかし、社会生活は、よりすぐったわずか九人の選手だけでやる野球とは違う。村だけでも何千という村民がある。町には二万、三万人の人が集まって生活している。國全体となると何千万という人口である。その中には、惡い人間もある。したいほうだいなことをして、他人に大きな迷惑をかける者もある。どろぼうもいれば、強盗もいる。それをそのままにしておいたのでは、社会生活は成り立たない。そこで、法律があって、犯罪を処罰する。惡い人間を取り締まる。良民の正当な権利を擁護してくれる。所有権を侵された場合には、それを取りもどしてくれる。不当の損害を受けたならば、裁判所に訴えて、賠償を求めることができる。法律といえば、こわいもののように思い、裁判ざたになるといえば、いまわしいことのように考えるのは、権力をびくびくと恐れていたころのくせが残っているからだ。民主國家の國民は、権利の上に眠っていてはいけない。正しい権利は、堂々と國法に訴えて爭うべきだ。法律と裁判所とは、國民によって作られた、國民のための味方でなければならない。

8405 それと同時に、法律上の権利を主張することだけに急であって、義務を行うことをなおざりにするようであってはならないことは、いうまでもない。まして、法律をたてにとって弱いものをいじめ、非道な契約を押しつけて、不当な利益をむさぼるようなことは、はなはだしい法律の惡用である。

8406 むかし、イタリアのヴェニスにアントニオという善良な市民がいた。友人のために金を用立てる必要があって、高利貸のシャイロックから三千両を借りた。その証文には、返金できない場合には肉一ポンドを切り取ると書いてあった。アントニオは金を返すことができなかったために、シャイロックはこれを訴えて、約束通り肉一ポンドを切り取ると言って迫った。アントニオの恩を受けた友だちの妻ポーシャは、裁判官に変装して法廷に現われ、証文には肉一ポンドを切り取るとあって、血を取るとは書いていない。一滴の血も流さずに、しかも一ポンドかっきり狂いなく切り取ることができるか、できるものならばやってみよ、と判決し、とうとうシャイロックを恐れ入らせた。これは、シェークスピアの「ヴェニスの商人」の物語である。今の世の中に、こんなばかげた契約があるはずはない。しかし、財産というものは、用い方によっては、弱者を苦しめる強大な武器となる。財産家の利益だけを一方的に保護するような法律制度は、國民の意志によって改めて行く必要がある。

8407 財産は、人間の生活を維持するためになくてはならぬ意義を持つ。だから、憲法は財産権を保障し、法律は所有権を保護する。しかし、社会に生活する人々の間の富の不平均が大きくなって來ると、金持の利益はますます増大し、貧乏人はいよいよ不利な立場に追いこまれる。そうなっては、國民のすべてに幸福を分かとうという民主主義の理想は、だいなしになってしまうことを免れない。この弊害を除き去るためには、経済生活を民主化することが何よりもたいせつである。しかも、それと同時に、社会生活を営む人々が、財産というものについて持つ考え方を変えていかなければならない。財産権は、財産家の利益だけのためにあるものであってはならない。財産を持つ者は、それが大きければ大きいだけ、それだけの財産を活用して世の中の福祉を増進して行く責任がある。権利の保護が個人の社会的責任を伴うものであることは、このような現代社会的な財産権の観念の中にもはっきりと現われている。

 

5 社会道徳

8501 社会に生活する人々が、それぞれ責任を重んじ、本分を守り、互に協力しあうのは、人間の踏み行う道徳である。道徳と法律とは、社会の秩序を保つためにどちらも欠くことのできないものであるが、同じ内容の責任にしても、強制的にこれを守らせるのが法律であるのに対して、道徳上の責任となると、自分でそれを自覚し、自らすすんでそれを実行して行くところにねうちがある。しかも、法律上の責任も、國家から強制されるまでもなく、國民がすすんで行うようになることが必要であり、道徳上の責任も、どうしてもそれを守らない者があれば、法律的な強制に訴えるほかなくなる。だから、法律も道徳によって基礎づけられなければ十分に行われないし、道徳も法律が伴わないと力が弱い。

8502 たとえば、電車の運轉手は、いつも信号に注意し、責任をもって運轉に從事しなければならない。友だちとの話に氣を取られて事故を起したり、不注意で人をひいたりすると、法律によって罰せられる。しかし、多くの運轉手は、法律上の処罰を恐れてではなく、たくさんの人命をあずかる責任の重大さを感じて、自らすすんで注意に注意を重ね、いやしくもあやまちが起らないように氣をつけて電車を運轉しているだろう。それらの運轉手は、法律上の責任を道徳的に守っているのである。また、たとえば、人から借りたものを返すのは、道徳上の義務である。友だちから本を借りたならば、忘れずに返そうと思うであろう。困った時に金を用立ててもらったならば、さいそくされないでも都合のつき次第に返済するだろう。けれども、中には、言を左右にして借財をふみたおす者もある。そういう場合には、法律によって弁済を強制する必要がある。すなわち、道徳上の義務を法律的に強く行わしめることが必要になって來る。

8503 このように、道徳と法律とは、車の両輪のように密接に結びついて、秩序正しい人間の共同生活を維持しているのである。しかし、日常の社会生活では、法律に訴えるまでもなく、道徳の力によって正しい秩序が保たれているに越したことはない。  ところで、日本では、昔から人間の間の「縦の道徳」が非常に重んぜられて來た。下は上を敬い、上は下をいつくしむ、というようなことが、縦の道徳である。特に、君に対する忠と、親に対する孝とが、國民道徳の根本であるとされて來た。これに対して國民相互の対等の関係を規律する「横の道徳」は、その割にいっこう発達していなかった。「旅の恥はかき捨て」などと言って、だれも知っている人のいない所へ行けば、不道徳な行いをしても平氣だというような態度があった。「免れて恥なし」と言って、法律で罰せられる心配がなければ、どんな惡いことでもやってのけるといった連中もあった。そのために、日本人は、ややもすれば、見ず知らずの人に無愛想で、非社交的で、公衆道徳を守らないという不評判を取るきらいがあった。

8504 このように、縦の道徳だけが重んぜられて横の道徳が軽んぜられたというのは、日本の社会に封建的な要素が残存していることの一つの証拠である。民主主義の社会では、何よりもまず、だれもが同じ対等の人間として尊敬しあうという氣持を養わなければならない。個人の自由の尊さを認識せず、個人の尊厳を自覚しない者は、他人の自由を侵し、他人の人格を傷つけることを意に介しない。日本人には、特にそういう欠点が多い。他人の私生活に不必要に干渉し、それを惡いことと思わないばかりか、どうかすると、かえってそれが親切でもあるかのように勘違いしている。むやみに他人のことを氣にしたがるくせがあり、人の惡口に興じあったり、人をけなしてむなしい優越感を味わったりする傾きがある。こんなありさまでは、政治や法律が民主化されても、民主國家の國民たるにふさわしい社会道徳を備えているとは、とうてい言えない。

8505 人間として生まれて來た以上、何人といえども、ひとりだけで生きて行けるものではない。人間はお互に持ちつ持たれつの世の中に生まれ、お互のために働き、他人の勤労のおかげで不自由のない生活をすることができるのである。それゆえ、みんなの住む社会をできるだけ住みよい、氣持のいいものにして行くことは、お互の義務である。そのためには、各人がお互の個性を認めあい、自分も他人から不当に自由を束縛されることがないようにすると同時に、自分も他人の自由を尊重しなければならない。そうして、常に眞実を語り、眞実を実行する誠意と、正義のためには断乎として譲らぬ勇氣とを持ち続けなければならない。社会生活における民主主義の成否は、そのように、社会公共の福祉のために盡そうとする誠意と勇氣を持った人々が、多いか少ないかによって決まるのである。

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第九章 経済生活における民主主義

 

1 自由競爭の利益

9101 民主主義の精神は、政治生活や社会生活だけではなく、経済生活の中にも生かされなければならない。経済をはなれては人間の生存は不可能であり、経済の発達なくしては人間の眞の幸福はありえない。経済の目的は、われわれの衣・食・住の生活を豊かにするにある。特に、経済活動における民主主義の使命は、お互が尊厳な人間として生きる権利を尊重し、公平な経済的配分を保障するとともに、すべての人々の生活水準をできるだけ高めて、暮らしよい社会を作り上げて行くにある。

9102 近代の経済は、資本主義もしくは自由企業とよばれる組織によって発達した。ごく簡單にいうと、資本主義とは、個人や会社や協同組合などが生産手段を私有して行われる経済のしくみである。たとえば、土地や鉱山や工場などは、物を作り出す力を持っている。そのような生産財をだれもが私有財産として所有することができ、それを利用していろいろな企業を経営して行く経済のやり方が、資本主義である。だから、資本主義経済の普通の形では、一方には資本をもって企業を経営する資本家また経営者があり、他方にはそれに雇われて働く労働者がある。資本家は、自分の持っている財産を資本にして、思う通りの事業をする。これに対して、労働者は、その事業に雇われ、賃金をもらって働く。そこで生産された品物は、商品として市場に集まり、それを買いたいと思い、かつそれを買う力を持っている人々が自由にそれを購入する。資本主義の経済はそういうふうにして運轉される。

9103 したがって、資本主義は、まず國家の統制を受けない、比較的に自由な形の経済として発達した。自由経済は、政治上の自由主義と深い関係がある。封建主義や専制主義の時代には、人民には政治上の自由はなかった。政治上の自由がない時代には、経済上の自由もほとんどなかった。封建時代の手工業者や農民は、領主の権力の下に圧迫されていた。それにつづいて、近代國家の中央集権が専制主義の形で確立されて來た時代には、國民の経済生活に対して國家の強い干渉が加えられた。しかるに、國民の政治上の自覚が高まり、封建制度や専制主義が没落するにつれて、経済生活に対するこれらの圧迫や干渉も取り除かれ、経済上の活動は、それに比べるとずっと自由に個人や企業経営者の考えにゆだねられるにいたった。それが第十九世紀の経済上の自由主義の傾向である。近代の資本主義は、この経済上の自由主義を基礎として、その上に長足の発達を遂げた。

9104 もちろん、生きた社会経済の組織としての資本主義は、時代とともに動いて行く。第二十世紀の資本主義は、第十九世紀のそれと同じものではない。第十九世紀の自由放任の経済には、長所もあったが、短所も少なくなかった。そのような自由経済の短所は、適当な統制によって是正されなければならない。特に、無統制の資本主義が重大な弊害を生んだことは、確かである。その弊害を是正して、資本主義の経済活動を公共の福祉と合致させて行くものが、経済生活における民主主義の諸原理にほかならない。しかし、それについては、後にだんだんと述べることとして、ここではまず、第十九世紀的な自由経済を基礎とする資本主義が、どのような形で運営せられたか、また、それを経済学者がどういうふうに理論づけたかを考察することとしよう。

9105 第十九世紀における経済上の自由主義の最も大きなあらわれは、「企業の自由」である。資本家は、自分のしたいと思う仕事、有利だと考える事業に投資し、それを自由に経営する。そうなると、有利な事業を経営する者が多くなるから、その間に競爭が起る。競爭が起れば、生産者は、なるべくよい品物をなるべく安く作って、それをたくさん賣ろうとする。しかし生産が多すぎて、需要がそれに伴なわなければ、その品物は賣れなくなる。そこで、資本家は、需要の多い別の品物をねらって事業を経営しようとする。このようにして、あたかも「見えない手」によって導かれているかのように、需要と生産がぐあいよく調節され、資本家は利益を求めて生産するし、社会に生活する人々は、金さえあればなんでも必要なものを求めることができるようになる。そうして、生産は大いに向上し、國民の幸福は増進し、すべての人々の基本的な需要を満足させうるような高い生活水準を保って行くことが可能になる。アダム・スミスというイギリスの有名な経済学者は、経済上の自由主義における企業の自由の重要性をこのように主張し、特に「自由競爭」の利益を力説した。

9106 実際、自由競爭は資本主義経済の原動力である。これがうまく行われるかどうかによって、資本主義のねうちと意義とが定まる。だから、今述べたアダム・スミスの自由経済の理論を基礎として、自由競爭が円滑に行われる場合をもっと具体的に考えてみよう。

9107 ある人が、自分の持っている資本、または他人から借りた資本で労働者を雇い、設備を整え、原料を購入し、そして、自分が利益が多いと認める品物の生産にたずさわったとする。ところが、他の人もその品物を生産することの利益を認めて、同じような事業を経営するから、その間に自由競爭が行われる。これに対して、消費者は自由に自分の好きな品物を選ぶことができるから、自然とよい品物、安い品物に向かって購買力が集中する。したがって、品質のよい、そして安い品物の生産者は、他の生産者よりもたくさんに自分の作った品物を賣ることができ、結局それによって多くの利益を得る。これに反して、品質の惡い、そして高い品物の生産者は、消費者の氣に入ることができないから、自分の品物を賣ることができず、そのため、生産に要した費用を取り返すこともむずかしくなる。そこで、第二の生産者も、生産費を減らしたり、技術を改善したり、あるいは生産品に新しいくふうをこらしたりして、第一の生産者に負けないような品物を作ろうとする。これによって、一般社会にはよい品物が安く供給され、それだけ消費者の受ける利益が増大するわけである。

9108 そればかりではない。今述べたような競爭が激しく行われ、同じ品物が社会の需要以上に生産されるようになれば、劣った地位にある生産者は、その品物の生産をつづけても利益を得ることができなくなる。そうなると、その生産者は最初やっていた品物の生産をやめて、何か別の品物の生産に着手するであろう。そこで、第一の品物の需要と供給が自然に一致し、むだな原料や労働力を使用することがよほど少なくなる。一方、第二の品物の生産についてみると、そこではひとり新しい生産者が現われたことになるから、それだけお互にますます仕事に励むようになり、粗惡な品物を作っていた者は、競爭にやぶれて、よい品物だけが市場に迎えられる。こういうことを繰り返すうちに、社会全体の資金や、労働力や、設備や、原料は、最も有効にむだなく利用されるから、生産力は自然に最も高い水準にまで向上する。資本主義を支持する理論家は、このように自由競爭の効用を力説するのである。

9109 更にこれを消費者の側から考えてみると、経済上の自由主義は「消費の自由」を意味することになる。社会に生活する人々は、めいめい自由に品物を選ぶことができる。だから、だれしもが、自分の最も欲するものを、できるだけ安い値段で買おうとする。その結果、値段が高ければ賣れ行きが惡くなるから、品物の價格は消費者が買いやすい程度に落ち着くかたむきがある。したがって、消費の自由は自由競爭を促し、自由競爭によって消費者の満足するような品物が、消費者の需要を満たすだけ生産されることになるであろう。

9110 自由競爭が円滑に行われれば、このような利益がある。特に第十九世紀の経済上の自由主義は、自由競爭のもたらす利益を最も高く評價し、かつ、その結果が必ずうまく行くということを信じた。すなわち、社会に生活する人々がそれぞれ自分たちの利益を求めて行動すれば、その結果として自然におおぜいの人々の利益が調和して、経済は繁栄し、社会の幸福は増進すると考えた。そうして、資本主義はかくのごとき自由企業を地盤として、たくましく発達して行ったのである。

 

2 独占の弊害

9201 確かに、自由経済にはいろいろな長所がある。健全な自由競爭が社会の経済活動をかっぱつにする力を持っていることは、第十九世紀の自由主義の経済学者が考えた通りである。しかし、各人がそれぞれ自分だけの利益を追求して営まれる経済の働きを、自然の成り行きのままに放任しておいて、果たして社会全体の利益がうまく向上して行くであろうか。実際の結果は、なかなかそううまくは行かないことを示した。それはいったいどうしてであろうか。

9202 歴史上の経驗が示すところによると、全然統制を加えないで行われる経済は、いろいろな弊害を生み出す。それにはさまざまな理由があるが、一番重要な理由としては、「独占」の発生ということが考えられる。独占とは、互に競爭している何人かの生産者が、最後まで競爭を続ける代わりに、競爭の途中で協定を結び、あるいは合併して、價格や生産量や市場を自分たちの都合がよいように決めることである。すなわち競爭によって生産者たちが打撃を受けるのを避けるため、ほどよいところで競爭を打ち切り、話し合いで市場を独占的な支配の下においてしまうわけである。独占の力は、競爭をやめて、妥協によって市場を支配しようとする企業家の数が多ければ多いだけ、それだけ増大する。カルテルとかトラストなどとよばれるものは、企業独占のおもな形態である。

9203 独占は非常に強い力を持っている。その力をよく利用することができさえすれば、社会の福祉を増進するのに役立つことが大きい。すなわち、独占がすすめば、企業の規模は概して大きくなる。しかるに、産業は、大規模に経営されればされるほど、原則として生産費の單價が安くつく。また、優秀な技術を採用したり、新しい発明を取り入れたり、独立の研究所を持ったりすることによって、よい品物を大量に生産することができる。それゆえに、独占による大量生産は、よい品物を安く消費者に供給することができるはずである。したがって資本主義であると社会主義であるとを問わず、産業はだんだんと大企業化されて行く傾向がある。それに、独占がすすんでも、一つの國でのある種の商品の生産が單一の企業体の手で全部統制されてしまわない限り、自由競爭のもたらす利益も失われない。幾つかの大企業が並んで、互によいものを安く提供しようと競爭する場合には、社会生活はそれによって大きな福利を受けることができる。製鋼とか鉄道とかいうような、基礎的な、そうして、公益に関係の深い事業については、特にそうである。これらの事業においては、企業体の数が制限されていることが望ましい。

9204 しかしながら、もしも独占企業家が、その力をこのように善用しないで、逆にそれを惡用するならば、そこからさまざまな弊害がかもし出される。たとえば、大量生産によって生産費は引き下げられているにもかかわらず、企業家が、独占的な地位を利用して、商品の價格を自分たちの間だけの話し合いで決めてしまうならば、消費者は依然として高い品物を買わされることになるであろう。また、競爭者がないのをいいことにして、生産技術の改良を怠るような場合に、品質の向上も望まれないであろう。それに、独占企業家は、外部から新しい競爭者がはいって來ようとすると、その強大な資力を武器として、一時だけ品物の安賣りを行い、競爭者を立ち行かないようにしてしまうことも、やろうと思えばできる。そうなると、独占によって自由競爭の利益は失われることにならざるを得ない。このような現象は、経済生活における民主主義の発達を妨げる重大な障害である。したがって、独占が避けがたい傾向であり、それにはそれの長所もあるとするならば、その反面において独占の力がこのように惡用されることを防ぎ、自由で公正な競爭を行うことができるようにするのが、経済民主化の大きな課題になって來る。

9205 独占の弊害を取り除いて、自由で公正な競爭を行わせるための、一つの有効な方法は、法律による独占の禁止または制限である。國家が弊害の多い独占企業の解散を命じ、あるいは、その経営のしかたを監視して、不当な経営を禁止するようにすれば、独占の脅威はかなり防ぎうるであろう。これまで日本の経済で、大きな力をふるっていた財閥が解体されたのは、それがいちじるしく独占的な性格を帶びて、軍事的経済力の中心をなして來たからである。それと同時に、新たに私的独占を禁止する法律が制定されたことも、公正な取引の制度を確立するのに役立つであろう。

 

3 資本主義と社会主義

9301 資本主義が円滑に行われている社会においては、一方では経済上の自由主義による自由企業制度が発達しつつ、他方では自由企業制度の行き過ぎを戒める独占禁止の措置が採られる。それと並んで、中小商工業者や農民は協同組合を、消費者は消費組合を、労働者は労働組合を作ってそれぞれの地位の向上を図り、経済生活を安定せしめて行くことができる。その上に、國家としてもいろいろな社会政策を実行することによって、失業や貧困や不安を防止し、もしくは少なくともそれを緩和する道がある。これらの事柄については、後にだんだんと述べることとするが、すすんだ資本主義の國では、このようにして、私企業の伸び伸びした活動をいたずらに押さえることを避けつつ、過度の自由経済に伴う弊害を是正し、政治を民主的に運用することによって、経済生活における民主主義を着々として実現している。アメリカ合衆國がこれまですすんで來た道は、だいたいとしてこの方向であったということができよう。

9302 資本主義は、このように時代とともに次第に進歩もし、改善もされ、資本主義の資本主義たる大筋のたてまえを変えることなしに、経済的民主主義の方向に向かって、発展しつつある。しかし、一方またヨーロッパの先進資本主義の國々、たとえば、イギリスなどでは、第十九世紀の終りごろになって自由経済の行き詰まりがかなり強く現われ、その結果としてだんだんと資本主義から社会主義の方向への轉換が行われるようになった。それでは、社会主義とはどのようなものであろうか。

9303 資本主義の社会では、個人や会社が生産手段を私有し、資本家の経営する私企業が経済の中心となる。そうして資本を持たない人々の多くはこれに雇われて、労働によって得た賃金でその生活を維持して行く。その場合、労働者は自由に職場を選ぶことができるのであって、封建社会のように、因襲や身分によって一定の仕事にしばりつけられていることはない。その意味では、経済上の自由主義の中には「労働の自由」がふくまれている。したがって、資本主義は、その点でも自由を重んずる民主主義の要求に合致するものと考えられて來た。

9304 しかし、それでは、労働者に眞の自由があるであろうか。

9305 資本主義の下では、労働者の生活費は労働によって得た賃金でまかなわれる。もっとも、ひろく労働者というと、農民や一般の給料生活者も含まれるが、ここでは主として工場等で働く労働者について考えてみることとする。それらの労働者は職にありつけなかったり、失業をしたりすると、たちまち生活に窮することになるから、何はともあれ仕事を與えてくれる所をさがして、そこで働く。働く場合に、賃金などについていろいろと言い分はあっても、そこで雇ってもらえないと生計を維持することができなくなるから、経営者側の申し出る條件に甘んぜざるを得ない。労働組合が発達するにつれて、労働者もだんだんと企業家と対等の立場で、労働條件についての約束を、取り結ぶことができるようになって來つつあるが、それ以前の狀態では、職業の自由とか契約の自由とかいっても、名ばかりで、経済生活の自由は、主として資本家にとってのみ有利に用いられる傾きがあった。かくて資本主義は、生産力の増大によって、國民生活の水準を向上させるには役立ったが、そのもたらす利益は、一方的に資本家にかたまることを免れなかった。

9306 もちろん、資本主義は企業の自由を保障するから、労働者に対しても、機会さえあれば、資本家になる道が閉ざされているわけではない。しかし、機会だけはあっても、資本がなければ資本家にはなれない。したがって、無統制の資本主義の下では、資本を私有する人々と、それに雇われて働くほかはない人々との間に、はっきりとした区別ができてしまう。これでは、経済上の不平等がますますはなはだしくなることを免れない。しかも、労働者階級は社会の大多数を占めているのであるから、自然のいきおいに放任された資本主義は、できるだけ多数の人々の幸福をできるだけ向上させて行こうとする民主主義の根本精神と矛盾することになる。

9307 資本主義に伴なうこのような欠陥を是正するためには、二つの方法が考えられる。

9308 その一つは、資本主義のしくみそのものは変えないでおいて、資本家と労働者とのへだたりを緩和するための「社会政策」を実行するというやり方である。すなわち、賃金やその他の労働條件を、経営者と労働者の間の約束だけに任せておかないで、あらかじめ最低賃金を法律で定めたり、労働時間の最大限を限ったりして、労働者が不当に不利な地位に立つことがないような措置を講ずる。しかし、それだけではもとより不十分である。そこで、労働者が團結して経営者側と團体的に交渉しうるような組織を作ることがくふうされる。働く手を持っているおおぜいの労働者が團結すれば、非常に大きな力になる。したがって、團体的に経営者と交渉するようにすれば、労働者の立場はよほど有利になる。だから、労働者が組合を作って、組合の力で生活の改善や失業の防止に努力できるようにする。戰後の日本でも、新憲法によって労働者の團結権や團体交渉権が保障され、労働組合法や労働関係調整法が制定されて、各種の労働組合が急に発達するようになった。また、労働基準法の制定や労働省の設置をみて、働く者の利益を保護するための施策が実行されると同時に、労働者災害保險法や失業保險法等が設けられて、労働者の生活に伴なう不安を取り除くための努力がなされつつある。一方では、これらの社会政策が徹底し、他方では、また後に述べるような協同組合や消費組合が発達して、中小商工業者や農民や消費者が、自らの力で自らの利益を守るようになれば、資本主義の大筋を変えることなしに、経済生活における民主主義の目的を達成することができるであろう。

9309 これに対して、資本主義の欠陥を取り除くためのもう一つの方法は、社会主義を実行することである。この考えを主張する人々によれば、今述べたような社会政策を行っても、生産手段の私有を認める資本主義の原則を変えない限り、労働者の地位はとうてい根本からよくはならない。それはなまぬるいやり方であって、そんなことでは資本家と労働者の爭いは容易に解決しえないであろう。そこで、社会主義者は、経済上の平等をほんとうに実現するためには、生産手段の私有を許す資本主義を廃して、資本を國家または公共團体の所有に移すほかに道はないと主張する。つまり、それによって資本家と労働者の対立をなくするとともに、公企業の形で生産力の増大を図るべきだというのである。

9310 このように、社会主義者は、経済上の配分を平等にするための最もすすんだ方法は、資本主義の経済組織を根本から変えてしまうにあると論ずる。しかし、資本主義の立場からいうならば、そのようにしてすべての生産が國営に移されると、資本家が自由競爭によって利益の追求に一生懸命になっていた時のような刺激が失われるから、果たして資本主義の場合と同じように生産を高めて行くことができるかどうかがあやぶまれる。生産が下がり、資源の高度の利用や費用の節減への熱意が減ると、配分は平等になっても、勤労大衆の生活水準が全体として低下するおそれがある。また、自由競爭による経済の自動調節作用がうまく行かないために、社会主義経済では何をどれだけ生産すればよいかを判断する確かな手がかりがなく、その結果として多くの生産力をむだにするおそれがある。その他、いわゆる官僚統制や國営事業にみられるような、実情にそぐわない企業の経営が行われやすいところに、この種の國家社会主義的な行き方の弱点がある。それが資本主義の側から社会主義に対して下される批判の要点であるといってよい。

9311 これに対して、社会主義の論者は、そういう心配はないと言って、次のように説く。

9312 なるほど、社会主義では利潤の追求という刺激は失われるが、労働者は國民に対する義務と責任とを感じて、大いに生産に努力するであろう。また、國営の生産事業の内部でも、いろいろの方法で競爭をすすめることができるから、社会主義を実行したからといって競爭がなくなり、生産を低下させるとは限らない。更に、社会主義経済では、資本主義経済の特色だといわれる需要と供給との間の自働的な調節作用に代わって、國家が全体の生産を総合的に計画し、それによって合理的に経済を運営して行くから、むだや浪費をはぶいて、國民生活に必要なものを、必要な量だけ生産して行くことができる。その点では、資本主義の自由競爭の方がずっと生産力を浪費することになる。なぜならば、必需品よりもぜいたく品が生産され、競爭のための廣告費とか、品物の保管費などが大きくなり、それだけむだが行われる。それは、社会主義の計画経済によってのみ取り除かれるであろう、と。

9313 資本主義がよいか、社会主義によるべきかについては、このように大きく議論が分かれている。しかし、この問題について判断する場合によく注意しなければならないのは、資本主義といい、社会主義といっても、決して普通に本に書いてあるように、また、実際問題から離れた議論の中に出て來るように、はっきりと二つに区別されてしまうようなものではなく、その間に幾つもの中間の形態があり、さまざまな程度の差があるということである。

9314 すなわち、公式論的にいうならば、資本主義は、生産手段の私有を基礎として経営される経済組織であるのに対して、社会主義は生産手段の私有を認めない。しかし、生産手段の私有を認めないといっても、それはどのような種類の生産財を意味するのか。すべての生産手段の私有を禁じ、すべての産業を公企業化してしまえば、それはもちろん完全な社会主義に相違ない。しかし、たとえば單に土地を國有とし、鉱山その他二、三の重要産業を國営としただけでも、十分に社会主義的な政策であると認められうる。けれども、その時には、依然としてその他の生産財の私有が認められているのであり、したがって、社会主義的だといわれる経済の中でも、それらについては資本主義の、または資本主義に近いしかたでの生産が行われているのである。逆に、全体として資本主義的な経済組織が行われている社会であっても、特に國民の福祉に関係の深い幾つかの企業に統制を加え、これに対する國家の管理を実施した場合には、既にそれだけ社会主義的な要素が加味されているのであるということができる。それなのに、第十九世紀的な無統制の資本主義と極端な社会主義とだけを比べて、どちらがよい、どちらが惡いと議論してみたところで、実際には何の役にも立たない。

9315 だから、実際問題としてたいせつなのは、このようなさまざまな社会経済の運営のしかたの中で、どういう方針を採用し、どの程度に二つの要素を結びつけて行くのが、國民経済の民主化のために、ほんとうに適当であるかを考えることである。それには、自分たちの社会がどのような経済條件の下にあるか、自分たちの國が現在どんな國際環境の下におかれているかを、十分に考えあわせてみなければならない。現実の具体的な條件を度外視して、空な理論だけで事を決めるぐらいむだな、いやむしろ危險なことはない。また、今日のような複雑な世界において、外國との関係を無視して経済の再建や國民生活の向上を図りうるはずはない。

9316 民主主義の政治が行われているところでは、われわれは、多数決の原理にしたがって、資本主義の長所を発揮して行くこともできるし、大なり小なり社会主義的な政策を行うこともできるし、両方を併用して行くこともできる。自由競爭の利益に重きをおく政党が政治の中心勢力となれば、資本主義の根本の組織は動かさずに、経済の民主化を図ろうとするであろうし、國会の多数を占めた政党が、重要産業の國有法案を通過させたとすれば、それだけ社会主義の線に近づくことになる。ゆえに、われわれは、日本のおかれた内外の情勢を冷静に見きわめ、各政党の動きをよく注視して、どういう政策を支持すべきかを判断しなければならない。

9317 ただ、その場合に特に注意を要するのは、全体主義的な方法によって社会主義を実現しようとする共産主義の態度である。共産主義は、まず社会主義を徹底させることを目ざしているのであるが、その特色は、資本主義を最初から根本的に惡いもの、もしくは、歴史とともにまもなく滅びてしまうものと決めてかかっている点にある。したがって、多数決の方法によってその時々の具体的な事情に適した政策を採ることに飽きたらず、暴力革命や、いわゆるプロレタリアの独裁などという非民主的な方向に走ろうとする傾きがある。われわれは、民主主義の根本の政治原理たる多数決によって、自由企業制度の長所を生かすこともできるし、自由経済の弊害を除き、行き過ぎを是正して、高度の経済的民主主義を実現して行くこともできる。ゆえに、この弾力性に富んだ政治のやり方に疑惑をいだき、暴力や独裁によって少数の意志を貫こうとする全体主義の誤りに、陥ることがないように、深く戒める必要がある。

 

4 統制の必要とその民主化

9401 資本主義のたてまえを変えずに、しかも経済生活における民主主義を実現するためには、前に述べたような社会政策のほかにも、なおいろいろとなすべきことがある。その中で、特に心がけなければならないことは、適正な経済統制を考え、かつその統制を民主的に行うということである。

9402 資本主義の社会でも、國民経済に対するある程度の國家の統制や干渉を行う必要がある。もちろん、資本主義の下では、企業の自由は、原則として尊重されなければならない。しかし、さればといって、それは決して無制限の自由を約束するものではない。自由企業制度に伴う弊害を防ぎ、社会一般の福利を守るためには、私企業に対して統制のわくをはめなければならない場合が起る。統制は経済上の自由に制限を加える。しかし、前にも述べたように、民主主義の重んずる自由は、決して各人のかって氣ままを許すことではない。したがって、公共の利益のために自由経済に統制を加えたからといって、それが民主主義の原則に反することはない。問題は、ただ、その統制をどういう目的のために行い、それをどこまで民主的に運営するかにある。

9403 日本でも、戰時中盛んに経済統制が行われた。それは、一般國民の需要に應ずる生産を極端に切りつめて、戰爭のための軍需物資を増産することが目的であった。そういう目的のための統制がもはや行われるはずのないことは、もとよりいうまでもない。現在も、今後も、経済統制が行われるとすれば、それはもっぱら國民生活を安定させ、生活水準を向上させるためでなければならない。その中でも、一般に必要と認められているのは、社会福祉を目的とする統制と、景氣対策を目的とする統制との二つであろう。

9404 経済生活における民主主義を実現するために、労働者の地位を向上させることを目的として、いろいろな社会政策が行われるということは、前にも述べた。そのうち、國家の法律によって労働賃金その他の労働條件の最低の基準を公定することなどは、それらの事柄を、雇う者と雇われる者との自由な約束だけに任せないという意味で、やはり経済生活に対する一種の統制である。そのほか、國家は、多くの財産収入のある者には重い税金をかけるとか、公債を発行するとかいうような方法によって財源を作り、それで、失業手当・社会保險・救貧扶助などの施設を行って、恵まれない人々を救済する必要がある。経済組織の欠陥のために貧富のへだたりが大きくなればなるほど、このような社会政策の必要は大きくなり、その使命は重くなる。それだけ、経済に対する國家の統制も増大することにならざるを得ない。

9405 これに対して、もう一つの景氣対策のための統制は、資本主義経済に伴ないやすい景氣の変動を押さえ、特に不況によって生ずる失業その他の民衆の生活難を取り除くために行われる。無統制な自由経済だと、生産が多すぎたり、需要が減退したり、内外の景氣変動の影響を受けたりして、急に不景氣に見まわれることがある。その結果として、一度にたくさんの失業者が出て、民衆の生活が窮迫した狀態におとしいれられる。企業家の協定による独占は、景氣に應じて一つの産業を伸ばしたりちぢめたりすることによって、ある点までこれを防ぐ役には立つが、そういう自治統制では、前にいったような独占の弊害がつきまとうから、これに國家による統制を加えて、公益を主とする立場から景氣に應じて産業を調節することが必要になる。それとともに、不景氣の時には、國家が公共の土木工事などを起して、失業者をその方面の仕事にふりむけたり、金利を引き下げて産業界に活を入れたりする。アメリカで行われたニュー・ディール政策などは、この種の統制の模範を示したものといってよい。ともかく、失業は、國民から勤労の権利を奪い、生きる権利をさえおびやかすものであるから、國家は常にその対策を考えて、いわゆる「完全雇傭(よう)」を目標として、あらゆる努力をして行かなければならない。

9406 資本主義の下で統制を行う目的には、このほかに、緊急の場合を切りぬけるための非常統制が考えられる。たとえば、激しいインフレーションが起ったり、戰爭などによって生産が破壊されたりした場合には、生産力を回復させ、物價の安定を図り、國民生活の危機を切りぬけるために、かなり思い切った統制を加える必要がある。今日の日本の狀態は、まさにそれである。それによって企業の自由が制限を受けても、その目的が國民生活の建て直しにおかれている限り、民主主義の精神には反しない。もしも企業の自由を重んずるのあまり、必要な統制が行われず、そのために國民がいっそうみじめな狀態に陥るならば、それこそ民主主義の目的に反することになる。

9407 これで、ある程度の統制が望ましいことはおおよそわかったが、それでは、その統制をどういうふうに行っていけばよいか。どうすれば、統制を民主化することができるか。

9408 この点は非常にむずかしい。なぜならば、統制を経営者の自治に任せておくと、先に述べた独占的経営の弊害を避けることができない。そこで、統制は國家の手で行うほかはないということになるが、そうすると、今度はいわゆる官僚統制の弊害に陥る。すなわち官吏が國民生活の実情と、産業の実際問題とを十分に知らないで、法律一点ばりの融通のきかない統制をやる危險がある。また、統制に伴ないがちな公務員の不正や、統制の網をくぐるやみ取引が行われる。そうなっては、どんなに適切な統制の組織を作っても、とうてい十分にその目的を達することはできない。

9409 そういう欠点を除き去るためには、いろいろな方法が考えられる。第一に、統制を官廳(庁)だけにまかせておかないで、國民の代表者である國会の監督と発言とを強くすることが必要であろう。それがよく行われれば、統制の行きすぎや不徹底を除き去り、実情に適した統制が実施されるようになるであろう。第二には、官廳の組織の中に、民間のりっぱな人物や学識経驗者をどしどし起用し、國民として実際に体驗したところを、経済統制の上に活用してもらうこともたいせつである。更に、第三には、役所の統制事務が果たしてすみずみまでよく行われているかどうかを監視する組織を作って、それに、一般國民、特に消費者の代表を参加させるという方法も、適当であろう。このようにして、國民が統制の必要を理解すると同時に、統制の実行の上に國民の目がよくとどくようにして、これを民主主義的に行うことが、これからの経済統制には何よりもたいせつである。

9410 このことは、國家が自分の手で行う國営事業についても、あてはまる。資本主義の社会でも、鉄道や電信や電話などのように公益的な色彩の強い事業は、國家の手で経営される場合が多い。それが、社会主義の方向に近づいて行くと、鉄鋼業や炭鉱や電氣事業なども、次第に國営に移される傾向がある。それは、産業の中でも特に重要なものであるから、もしもそれが國家の独占に移された結果として、独占的経営と官僚統制との二重の弊害を生むようになったならば、その及ぼす惡影響は非常に大きくなるであろう。だから、この場合にも、すぐれた学識を持つ人々や、責任感の強い消費者の代表などが、十分に意見を述べうるような組織を作って、國営事業が正しく経営されるように監視しなければならない。國民が國民自らの利益のために政治に参與するという民主主義の原則は、こういう点にも大いに生かされなければならない。

 

5 協同組合の発達

9501 経済生活における民主主義を実現して行くためには、大企業や大地主の経済力に、中小企業や農民が対抗できるようにする必要がある。そこで、多くの國では、中小企業や農民によって組織された協同組合が発達した。近代の資本主義社会では、大規模な企業は、たいてい株式組織にて経営されるが、それと並んで、それほど大きな資本を持たない、たくさんの中小商工業がある。中小商工業にも会社経営があるが、その多くは個人経営である。今日の日本では、財閥を解体し、資本の集中を排除することによって、中小商工業の地位はそれだけ重要になりつつあるが、それでも、大企業の圧迫を受けるおそれは依然としてあるし、仲間同士の間でも、自由競爭の結果として弱肉強食が行われることになりやすい。したがって、中小商工業者は、ますます從業員を安い給料でこき使うというような弊害をも生ずる。これらの欠陥を取り除くには、どうすればよいか。

9502 これに対する一番有効な対策は、同じ種類の中小商工業者が集まって「協同組合」を作り、組合の力によって中小企業の弱点を補い、大企業の資本力に対抗すると同時に、企業の合理化を図るというやり方である。

9503 たとえば、同じような生産を行っている中小工業家が組合を作って、原料も共同で購入するし、製品も共同して販賣する。個々の企業ではなかなかできない施設を行って、組合員が共同でそれを利用する。資金のやりくりがつかない場合には、組合の手で銀行から共同して金を借りる。もっとすすめば、組合員の持つ工場を共同で使って、集中的に生産を行い、損益の計算も共同でやって、その利益を分配する。こういうふうにして行けば、個々の業者に対して組合がかなりの統制権を持つことになり、自由企業のおもしろみが失われるおそれはあるが、それだけ大企業に対して相当の競爭力を持つことができるようになるであろう。また、從來は、中小商工業は問屋に対して頭が上がらず、資金の融通をつけてもらうにも、原料を仕入れるにも、製品の提供および販賣を行うにも、不利な條件に甘んじなければならなかったのが、よほど改善され、中小企業の健全な発展を促進しうることになるであろう。

9504 しかし、このようにして中小企業の地位が改善されても、経営の内部で從業員に対する封建的な支配が行われているようであっては、民主主義の目標へはまだ道は遠いといわなければならない。中小企業が、これまでいろいろ不利な点があったにもかかわらず、根強く存在をつづけて來ることができた大きな理由は、安い労働力を使って、利益をむさぼっていた場合が多かったからである。これからは、中小企業の労働者の地位を守るために、國家も一般社会も十分な監視を加え、その労働條件を引き上げるようにして行かなければならない。人件費がかさめば、中小企業の経営はそれだけ困難になるが、その弱点は協同組合の発達によって補って行けばよい。

9505 協同組合の健全な発達を必要とするのは、商業や工業の部門ばかりではない。國民生活を直接にささえている農業においても、組合の組織によって経済の民主化をはかることがたいせつである。農業は國民経済の中でも、全く特別な、そうして重要な地位を占めている。農業は、全国民に食糧を供給する立場にある。中でも、日本では、全人口の半数近くが農村で占められているから、農村問題は特に重大な関心の的になる。それに、工業にふりむけられる労働力は、主として農村から供給される。したがって、農村の生活水準が低いと、工場労働者の賃金もその影響を受けて、ある程度以上には引き上げることができない。だから、農民の生活を改善することは、同様に都市の労働者の地位を向上させることにもなる。

9506 農村で最も問題になるのは、地主と小作農との関係である。少数の地主が大きな土地を所有して、自分ではほとんど働かずに高い小作料を取り、小作農は、厳しい労働に從事しながら、その収穫の多くの部分を小作料として、しかも現物で拂い、貧困の生活に甘んじているという狀態は、不自然きわまるものであった。それに、「所有の魔力は、砂を化して黄金にする。」ということばもある通り、自作農になって、自分の土地を自分で耕すことになれば、農業に対する身の入れ方も自然に違ってくる。だから、農村民主化の根本は、小作農をできるだけ自作農にするにある。そこで、先に行われた農地制度の改革により、國家が地主の土地を買収して、これを小作農に買い取らせることにした。これは、日本の農村に大きな変革をもたらし、働く農民に対して生活の向上を約束するものであるに相違ない。(編集者注;「農地制度の改革により、國家が地主の土地を買収して、これを小作農に買い取らせることにした。」ことは、実際にそのように実施された。國家が「地主の土地を解放して、小作農に与えた」とすると、現憲法第二十九条の「財産権の保障」を逸脱することになる。これは民主主義の考えと異なる。だから、政府は農地を地主から買収して、小作農に賣却した。ただし、価格は極度のインフレの過程にあったので、実質的には買収価格は「ゴム長靴一足」の値段にも満たないといわれる、事実上の無償買収となった。このため、農地を買収された地主階級から農地買収の違憲訴訟が相次いだ、という。)

9507 しかし、今度の農地改革にしても、約一町歩(一ヘクタール;百メートル四方)以下の小作地、北海道では四町歩(四ヘクタール)以下の小作地は認められているから、それだけまだ小作農は残るわけである。それらの小作農の地位を安定させるためには、もっと自作農化を廣く行うか、または、小作権をはっきりさせ、小作料を引き下げなければならない。ことに、わが國の小作料は、昔から物納の形で、しかも非常に高率であった。これは百姓が領主に年貢を納めていたしきたりの残りであって、農村の封建性の大きな要素をなしていたのである。これも、今後(度)の農地制度の改革によって、金納に改められ、実質的にかなり引き下げられた。

9508 このようにして農地制度は大いに改革されつつあるが、それだけでは、まだ日本の農業の根本の弱点は救われえない。なぜならば、今までの日本では一戸当たりの耕作面積は平均一町歩そこそこであり、全体として、五反歩(五十アール)から一町歩(一ヘクタール)が一番多い、このように経営規模が小さいと、自作しても、農業生産力の発達にはどうしても限度があって、農業経営の安定はなかなか望めない。そこで、これらの小さな独立農民の地位を高めるために、どうしても「農業協同組合」を発達させることが必要になって來る。

9509 農業協同組合は、勤労農民の自立的な組織である。したがって、個々の農家はそれぞれ独立に農業を経営しつつ、種や肥料や農具の購入にしても、資本の融通をつけるにしても、農産物を販賣するにしても、みんなの力を合わせて共同に行うようにするのである。農家が孤立して、農業を経営していると、その利益はとかくに都市の工業や商業や金融業によって左右されやすい。農民は、高い工業製品を買わされ、商人からは農産物を値切られ、高利の借金に苦しめられることが少なくない。しかも小さな経営と、そこから生まれる乏しい利益では、機械設備を十分に利用することなどは、思いもよらない。そこで、農民のばらばらな力を集めて、金融事業を自分で経営し、購買も販賣も共同で行い、機械設備や水利施設などを共同で利用するようにすれば、農家の弱い地位も大いに強化されるであろう。これが協同組合の仕事である。協同組合は、それ自体が民主的な組織であるばかりでなく、農民の地位と生活を安定させるために果たす役割は、きわめて大きい。

9510 しかし、なんといっても、日本の農村の悩みの種は、土地が狭くて人口が多すぎることである。もしも人口がこれまでのように農村にあふれているならば、耕地はもっと細分されるし、小作料も前のように高くなって行くおそれがある。だから、農民の生活をほんとうにりっぱなものにするためには、農村のあり余る人口になんとかさばきをつけて行かなければならない。それには、工業や鉱業を発達させて、農村の人口をその方向に吸収することも必要である。しかし、それと同時に、農村の内部にも、農産物に加工する農村工業を起して、余った人口をそれにふりむけて行くくふうもしなければならない。それはなかなかむずかしいことであるが、健全な農業経済の発達を図るために、ぜひとも実行に努力すべきであろう。

 

6 消費者の保護

9601 國民は、生産の方面では、資本家・労働者・商人・給料生活者・農民などというふうに、立場立場が分かれているが、消費の方面では、みな同じ消費者として共通の利害を持っている。このような消費者の利益を守ることは、國民生活を安定させ、その向上を図る上からいってきわめて重要な課題である。その重要性は、特に都会の場合に大きい。農村では、消費物資が自給される割合が多く、それに、既に農業組合がかなり発達して、必要な品物の共同購入を行っているから、購入物資についてもそれほど問題はない。

9602 消費者の利益を考えるにあたって、最もたいせつなことは、できるだけ「消費の自由」を與えることである。何が一番必要か、まっさきに何が買いたいかは、原則としてその人が最もよく知っている。人にはそれぞれ好みがあり、また、生活上の必要も異なるから、これを一律におさえることはなるべく避けなければならない。もちろん、物資の少ない時には、消費の割当や制限を行うこともやむをえないが、それでも、消費の自由の精神はなるべく生かさるべきである。

9603 消費の自由を最もよく認めるには、販賣を商店の自由競爭に任せて、國民はなんでも好きなものを好きな店から買えるようにしておくのがよい。しかし、商人が生産者と消費者との間にあって、中間で大きい利益を得るようなしくみでは、消費者の利益はおかされやすい。そこで、この場合、消費組合を発達させて、消費者の利益を直接に守るようにして行くことが望ましい。消費組合は営利團体ではないから、中間の手数料はわずかですむ。それに、消費組合が発達すれば、商人のほうでもこれに対抗するために、費用を節約して、なるべく安く商品を提供するように努力するから、消費者の受ける利益は増大する。したがって、商店と消費組合とが両方並んで存在することは大いに結構で、これをどれか一方に限定する必要はない。

9604 消費組合が、小さな地域單位から地方的、全國的な連合組織にまで発達すれば、非常に大きな力になる。イギリス・アメリカ・スウェーデンなどでは、消費組合が大きな工場を持ち、自分の汽船を動かして製品を運ぶまでになっている。そこまで成長するのはたいへんであるが、民主的な消費組合の発展は、國民の消費生活を明るくするのに大いに役立つであろう。

9605 消費組合の機能は、生活必需品の共同購買だけには限らない。大きな連合の組織を背景にすれば、理髪店・浴場・託児所などはもとより、病院を設けることもできるし、共同炊事なども経営して行けるであろう。それに消費組合が発展すれば、各方面の会議に消費者代表を選ぶ場合、消費組合からそれを出すことができる。それは、強大な組織を基礎とする代表だから、消費者の意向を反映するのにはきわめて適しており、おのずから消費者の発言を重からしめるであろう。これも、これからの國民の経済生活の向上にとって、決して軽くない意味を持っている。國民が、個人個人ばらばらの消費者としてはどうすることもできないような事柄を、共同の力によって解決し、團結の力によって主張して行くところに、消費者の利益を守る消費組合の重要な意味がある。

9606 だが、消費生活をささえるものは、根本においては生産である。生産が向上して來ない限り、どんなに完全に組合の組織が発達しても、消費生活の向上は望まれない。それでは、いったい、わが國の生産はどこまで発展するであろうか。それは、八千万の國民のすべてに仕事を與え、その生活を維持させることができるであろうか。日本の経済が果たして十分に民主化されるかどうかは、結局、すべてここにかかって來る。生産がふるわないために、國民の生活水準が低くなり、いたるところに失業者があふれるようでは、経済生活における民主主義はとうてい実現されえない。それどころではなく、経済の不振と混乱とは、やがて政治上の民主主義をも危うくし、民主國家としての歩みを困難ならしめる。そのたいせつな日本経済のこれらの見通しは、どうであろうか。だれが考えても、その前途は決して安心していられない。

9607 第一に、今日のわが國では、すべての人口が狭い四つの島に集中し、人工過剰の悩みはますます痛切である。第二に、國内の設備の破壊と工業技術の低下のため、生産の回復はなかなか思うに任せない。それに戰災・賠償・インフレーションなどによってくずれた経済の骨組を建て直すことは、もとよりやさしい仕事ではない。第三に、これ(か)らは労働者の地位も改善され、農民の生活も向上して行くであろうが、それが直ちに國民生活の向上を意味するかというと、そう簡單には行かない。なぜならば、これからの日本の経済は、前にもまして外國との貿易によってささえられなければならない。その場合、外國と競爭して、わが國の品物を輸出するには、これまでよりもずっと大きな困難が予想される。というのは、労働者の賃金が高くなれば、それだけ生産費がかさんで來るから、欧米各國を生産品との競爭もそれだけ困難になる。それに、日本の産物の重要な輸出先である東洋諸國にも、だんだんと工業が盛んになって行くであろうから、販路が限られて來ることも予想しなければならない。このようにして、輸出がふるわなくなれば、海外から原料を輸入できないことになり、資源の貧弱なわが國の産業をますます困難な立場に追いこむことにならざるを得ない。  このように考えて來ると、八千万の日本人が働いて生活できるようになるのは、決して容易なことではない。だが、われわれは連合國の好意ある援助のもとに、この困難を乗り越えることに全力をあげなければならない。それには、まず、経済統制の適切な運用によって、生産力の回復と経済生活の安定とを図らなければならない。続いて、科学を高度に実用化すること、日本國民固有の細かい技術を活用することとによって、平和産業の発達と貿易の向上とに努めなければならない。更に、窮迫した人口過剰と生活難とを解決する上からいって、結婚年齢の引き上げや産児調節の問題も眞劍に考慮されるべきであろう。日本國憲法は、その第二十五條をもって、「すべての國民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」と規定している。この規定の精神をいかにして現実化し、そのいわゆる最低限度の生活をいかなる水準にまで高めうるかは、かかってわれわれ日本國民の今後の努力いかんにある。われわれの生活水準を向上せしめうるまでは、國民のすべては苦しい生活を送らなければならないが、これは敗戰國として、当然忍ばなければならないところであろう。このように経済生活がなかなからくにならないとすれば、経済民主主義は簡單に実現できないといわざるを得ない。しかし、それだからこそ、逆にまた、経済生活において民主主義を強く主張し、その実現に努力することがたいせつなのである。

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第十章 民主主義と労働組合

 

1 労働組合の目的

10101 資本主義の社会では、民主主義の原則が確立し、各人がそれぞれ幸福を求めてその生活を経営する自由と権利が認められている限り、國民の努力次第で、日常生活はだんだんと豊かになって行くべきはずなのである。しかし実際問題としては、必ずしもそう簡單には行かない。ことに経済的民主主義が十分に行きわたらない狀態においては、労働者の経済上の立場は、とかくなおざりにされる傾きがある。なぜならば、そこでは資本が次第に比較的少数の資本家の手に集中し、その持つ経済的な力が、ややもすれば資本家だけの利益のために、一方的に用いられやすいし、その反面、労働に從事する國民の多数は、不当に低い賃金で、不当に長い時間働くことを余儀なくされ、したがって一般に不利な生活條件に甘んぜざるを得ないことになりがりちだからである。

10102 つまり資本がほとんど無制限にその力をふるいうるような経済社会では、労働者は、だいたいとして資本家側が決めた條件によって工場などに雇い入れられる。このような事情の下では、労働によって得られた生産の價値の大きな部分が、資本家の手に吸収されることを免れない。もっとも、そういう社会でも、労働の條件は、法律上は雇い主と労働者との間に取りかわされた契約によって自由に決められることにはなっている。しかし資本家の方は自分たちにだけ都合がよいような條件を持ち出しうるのに反して、労働者の方は、生活の必要上やむを得ずそれを受諾するというふうであっては、その間に結ばれた契約は、決してほんとうに自由なものであるということはできない。また、そういう狀態をそのままにしておくことは、民主主義の原理に反する。

10103 なぜならば、民主主義の根本精神は、人間の尊重である。人間は、だれであろうと、すべて、生活の福祉を享受する権利を有する。それなのに、まじめに働いている人々が、人間として生きて行くだけの衣・食・住に事を欠くようなことになっては、一大事である。だから、すべての人間は、自分と自分の家族とのために働く権利を持ち、その勤労によって一家の生活をささえるだけの収入を得ることを、平等に要求できるはずでなければならない。それが、國民のすべてに対して等しく認められている基本的人権である。基本的人権を何にもまして重んずる民主主義が、経済生活のいろいろな弊害や不合理を除き去ることに努力するのは、きわめて当然なことであるといわなければならない。

10104 これらは、結局は、前の章で説明した経済生活における民主主義の問題であるが、特に労働者の地位の向上という面から考えて行くと、それがいわゆる労働問題となる。労働問題の対策にはいろいろありうるけれども、それを根本から解決する道は、労働者にとって、不当に不利な諸條件を取り除くという方向に求められなければならない。労働者の團結によって作り上げられるところの労働組合は、そのような要求から見て最も重要な意味を持った組織なのである。

10105 今日の産業組織の中で働いている労働者は、たくさんの工場や職場に分散している。そうして、もしも労働組合がなければ、同じ職場で働いている人々でさえも、企業主に個別的に雇われ、ひとりひとり孤立した立場で賃金やその他の労働條件を取り決めなければならない。かれらは、自分たちの提供する労働が、どのくらいのねうちを持つものなのか、どこでそれが一番求められているか、適正な賃金はどのくらいなのか、というようなことをはっきり知る道がない。会社の都合で解雇すると言われても、ひとりひとりの力では、抗議のしようもないし、抗議しても取り合ってはもらえない。失業すれば、すぐさまあすのパンに困るから、どこでも、どんな條件でも、雇ってくれるところがあれば、そこで仕事にありつかなければならない。だから、このように孤立した立場にあることは、労働者にとって最も不利な点であるということができよう。

10106 それに、現代のように産業の規模が大きくなって來ると、ますます細かい分業が行われる。一つの場所で働く労働者は、たとえばハンマーで鋲を打つとか、機械に油をさすとかいうような、型にはまった單純な一つの仕事だけを分担して、それを年じゅう繰り返しているということになる。そうなると、頭を使って新しいくふうをする余地はほとんどなく、人間が機械同様な働きをするだけになって、精神の創造性も、それを活用する機会がないために、だんだんとすり減らされてしまう。そこに、今日の工場労働者が手工業時代の職人とまるで違う点がある。人間は、そうなればなるほど、それだけ娯樂や慰安や文化的な教養を切に求めるのであるが、一日の大部分を工場で働いて、安い賃金をもらって、家に帰れば疲れて寝るほかはないというふうでは、そのような要求もほとんど満たされる機会はない。労働者の立場が孤立している場合には、自分ひとりの限られた力で教養を高めるための施策をすることなどは、まずもって思いもよらない。

10107 しかし、そのような不利な條件も、おおぜいの労働者が團結すれば、團体の力で、少なくとも一部分は克服して行くことができる。そうして、その團体も、規模が大きくなればなるだけ、それだけ團結の力を大きく発揮するようになる。そこで、それぞれの職場に分散して働き、ひとりひとり孤立した立場にあった労働者は、だんだんと分散、孤立していることの不利を感じ、互に團結して適正な労働條件を確立することに努力するようになって來た。そうして、大企業が発達し、その経済的な力が強大となるにつれて、労働組合もまた、小さな規模のものから、だんだんと力の強い地方的および全國的の組織を作るようになって來た。労働條件の是正も、労働者の生活環境の改善も、このような組合組織の活動にまつところが最も大きい。それとともに、民主主義の國家制度としても、労働者の團結権を認め、法律によって組合の発達を助長するようになって來たことは、経済民主化の方向に向かっての大きな進歩であるということができよう。

 

2 労働組合の任務

10201 このように、労働組合は、適正な労働條件を確立しようとする勤労大衆の自主的な團結である。したがって、その精神とするところは、企業経営者の力が不当に濫用される場合に対して、労働者の立場から基本的人権を守ろうとする民主主義的な運動であるといってよい。言い換えれば、労働組合は、経済上の民主主義を実現するための大衆組織にほかならない。

10202 もしも労働組合という勤労大衆の自主的な組織が存在せず、あるいはその成立が禁ぜられていたとするならば、近代の民主主義の原理は、よしんば法律の形式の上では認められ、制度としては確立されていても、実質的には十分に実現されえない。だから、労働組合は、民主主義の原則を近代的な産業組織の中で具体化するものであり、民主主義を單なる法律制度としてではなく、動く生命のある生活原理として発展させて行くための、不可欠の條件なのである。

10203 ゆえに、労働組合の第一の任務は、適正な労働條件を作り上げることにある。しかし、ただ單に労働條件をよくするというだけならば、独善的な官僚や「慈悲深い」独裁者でもできることであろう。たとえば、ヒトラーなどは、労働者をおだてて「歓喜力行團」という組織を作らせ、大いに勤労大衆のごきげんをとろうとしたことがある。しかし、このようにして與えられた労働條件の改善は、決して正しいものではない。なぜならば、そこでは勤労者の自主性が無視されているからである。封建時代の民衆統治の原則は、「由(よ)らしむべし、知らしむべからず」であった。これに対して。現代の労働組合の理想は、勤労大衆が、正しい労働條件を自分たちの組織の力で自主的に実現して行くところにある。「上から」の命令によってではなく、「下から」の組織と、盛り上がる力とによって経済的民主主義の発展を図るところにこそ、労働組合の大きな使命がある。

10204 その点をよく深く考えてみれば、民主主義の政治は、「國民のための政治」である。しかし、「國民のための政治」ならば、どんな方法で行われてもよいというものではない。「上から」の命令によって國民の幸福が増進されたとしても、それは民主主義ではない。國民自らの力により、國民自らの手によって、國民のための政治を行うのが、眞の民主主義である。それと同じく、政治的な野心家や、労働者のうしろに隠れているボスの力によってではなく、労働者自らの力により、勤労大衆自身の團結によって、働く者の生活條件を向上させて行くのが、労働組合のほんとうのあり方である。そういう自主的な組合の活動によって、労働者は、自分自身を社会的に、また政治的に教育することができる。その意味で、労働組合は、自治的な組織を持った民主主義の大きな学校であるということができよう。

10205 それだから、労働組合の任務は、決して賃金の値上げや労働時間の短縮やその他の労働條件の改善を要求するという経済上の目的だけに盡きるものではない。労働組合は、それ以外に更に重要な社会的・文化的な任務をになっているのである。

10206 前に言った通りに、現代の大規模な工場に働く勤労者は、型にはまった仕事だけをするために、知識の円満な発達を図ることが困難なばかりでなく、精神的なかたわになってしまうおそれがある。それは、資本主義であれ、社会主義であれ、極度の分業を必要とする大企業の形態では、ほとんど免れえないことである。これに対して、労働者の知能の摩滅を防ぎ、その精神生活を豊かなものにすることは、基本的人権を守るという立場からみて、きわめて切実な問題となって來る。人間は食物だけを食べて生きて行けばよいというものではない。すべての人々は、心のかてを得ることについて、平等の権利を持っている。大企業中心の経済組織が、そのように労働者の精神的成長を妨げるおそれがあるのに対して、労働者の自主的な團結の力により、個人個人では得がたい教養を身につけ、新しい文化を吸収できるようにすることは、労働組合に課せられた非常にたいせつな使命であるといわなければならない。

 

3 産業平和の実現

10301  労働組合の活動によって、適正な労働條件が得られ、勤労大衆の地位が向上することは、いわゆる「産業平和」の実現に役立つところが大きい。企業の自由がまったく無統制のままに放任されていると、経営者と労働者との間の地位のへだたりが大きくなって、その間に利害と感情の融和しがたい対立が生ずる危險がある。そうして、それが、生産の増強を妨げ、社会公共の福祉を害する原因となる。これに対して、労働組合が健全な発達を遂げ、経営者と労働者との理解と協力とがすすむならば、そうしたいまわしい現実を防ぎとめることは、決して不可能ではないであろう。産業平和は、健全な発達を遂げた組合活動の目標であって、現実がその通りにうまく行くとは限らないが、その目標を高くかかげ、それに向かって絶えず努力を続けることは、労働組合にとって最も望ましい態度である。それはまた、罷業(編集者注:ストライキ)に訴えるのは、常に最後のやむをえない手段であることを意味する。

10302 産業平和を実現するためには、まず、経営者の側が労働者の現実の立場を正しく理解すると同時に、労働者もまた、企業経営の現実の問題を公正に認識しなければならない。

10303 資本主義の経済では、私企業は、他のいかなる目的を持つ場合にも、原則として同時に営利を目的としてなされる。しかし、資本家や経営者が営利だけを本位として、労働者の立場を無視し、できるだけ安い賃金で、できるだけたくさん働かせようとするならば、労働者側も、團結の力をまずもって闘爭の武器として用いるということにならざるを得ない。そうなれば、経営者側はますます労働者の運動を敵意をもって見るようになるだろう。しかし、工場が動き、生産が行われ、利益があがるのは、主として労働の力によるのであるから、それについて労働者の発言を重んずるのは、当然で正しいことである。経営者側に、労働者の人間としての基本的な権利とその正当な要求を尊重する民主主義的な氣持があるならば、いろいろな問題も、穏やかな話し合いで解決がつかないはずはない。そこに、おのずから産業平和への道が開かれて行くであろう。

10304 第二に、産業平和の目標を達成するためには、経営者と労働者とが共通の地盤の上に立つという自覚を持つことが必要である。

10305 なるほど、経営者と労働者とは一應違った立場に立っている。しかし、事業が経営されて行くためには、両方の協力がたいせつなのであって、一方だけの力で仕事がうまく運んでいくものではない、だから、経営者と労働者とは、感情の疎隔や政治的な対立に走ることを避けて、共同の事業のために力を合わせて行くという考えにならなければならない。企業経営に伴なう弊害を除き去り、事業そのものをよくして行くことに、共通の利益を見いだすならば、経営者と労働者とが互に不愉快な闘爭を繰り返す必要もなくなる。特に、あらゆる生産は、決して生産者だけの利益のために行われるのではなく、國民全体の生活を豊かにし、その福祉を増進するために、欠くべからざる意味を持っている。その目的を主眼として考えるならば、両方の間の意見の一致点を見いだすことがいかにたいせつであるかは、きわめて明白であるといわなければならない。

10306 もしも、このようにして、経営者と労働者とがお互の立場をよく理解し、双方の協力と責任とによって事業の改善に努め、各自がその持場持場を守って仕事に励むならば、おそらく事業の成績は向上し、利益も増加して行くであろう。その場合、もしも経営者が労働者の功労を正当に評價するならば、その利益は賃金を引き上げることによって、労働者にも正しく配分されるようになって行くであろう。それは決して資本主義の考え方が社会化されたということだけを意味するものではない。もしも企業の経営者が遠大な考えを持つならば、そういうふうにするのが事業に成功する要訣(けつ)であることを知るに相違ない。高い給料を拂って大きい利益を上げるという政策は、企業を発展させると同時に、企業に関與するすべての人々に繁栄をもたらすゆえんである。資本主義の下で経済的な民主主義の理想を実現するための最も良い方法は、ここにあるということができる。

10307 これに対して、社会主義的な経営方法を採用することは、経営者と労働者とを同じように取り扱う点で、社会主義の要求にはかなう。しかし、資本主義の長所を生かして行こうとする立場から見るならば、そのような組織の下では、各人がそれぞれの利益のために生産に励むという強い原動力を減退させるおそれがある。そこで、仕事に精を出せば出すほど利益があがるという資本主義の強味を発揮しつつ、勤勉によって得られた収穫に対しては、労働者もまた高い賃金という形でその分けまえにあずかるようにして行くならば、生産の向上とあわせて、社会正義にかなった経営が行われることになるであろう。かくしてはじめて、経営者と労働者との間の円満な協力が生まれ、産業平和の実現が期待されうるであろう。

 

4 團体交渉

10401  労働組合には、今まで述べて來たようないろいろな使命や理想があるが、その根本をなすものが適正な労働條件の確立にあることは、いうまでもない。そうして、労働組合がこの目的を実現するために用いる最も重要な手段は、「團体交渉」である。

10402 労働組合が発達するまでは、労働條件は経営者側の一方的な意志によって決定されるのが常であった。これに反して、労働組合の発展に伴ない、労働賃金・労働時間・休日その他の條件は、経営者側と組合の代表者との間の團体的な交渉によって取り決められる。前には、個々の労働者が別々に雇い主と交渉するために、だいたいとして雇い主側の決めた條件に甘んじなければならなかった。しかるに、團体交渉によれば、労働條件の主たる内容は、一般の標準とにらみ合わせて、合理的に決定されうるようになる。ゆえに、労働者の團結権と團体交渉権とは、労働組合の目的を実現するための欠くべからざる前提である。日本の新憲法が、これらの二つの権利をかかげて、これをおごそかに保障しているのも、そのためにほかならない。

10403 團体交渉によって適正な労働條件が定められるためには、経営者側は、労働組合員の生活水準の向上が経営の健全な運行のために絶対に必要であることを、深く認識しなければならない。また、組合側としても、経営の合理化と生産の増進がなければ、事業そのものが経営難に陥って、適正な労働條件や双方の繁栄ということも單なることばに終ってしまうことを、十分に理解しなければならない。

10404 このような相互の理解によって團体交渉が円滑に進められれば、その結果として、経営者と労働者との間に「労働協約」ができあがる。手工業や小規模企業の場合には、労働の種類や性質がまちまちであるために、一般的な労働條件の標準を求めることは、もとよりきわめて困難である。これに反して、大規模な経営が発達するに從い、労働者の生活環境がだんだんと画一化されて來るから、どの程度の労働條件が適正なものであるかを、廣い立場から一般的に決めることが可能になる。ことに、労働の最低の基準を國家の法律で統一して示すようになれば、團体交渉の目標をどこにおくかが、いっそうはっきりして來る。「労働基準法」という法律は、労働條件の最低基準を決めて、労働者の人間らしい生活を保障するという目的のために制定(編集者注:昭和二十二年四月)されているのである。

10405 次に、團体交渉によって取り結ばれる労働協約は、一年ぐらいの期間を定めて、労働条件を決めることが望ましい。そういうふうにすれば、すくなくともその間は労働條件が安定するから、労働者はそれに基づいて生活の計画を立てることができる。また、経営者としても、それによってどのくらいの人件費がかかるかということがはっきりするから、経営のための計算が立てやすい。それは、双方の側にとってきわめてたいせつなことである。組合によって團体交渉をすることの意義は、このような方面においても経営の合理化のために役立つ。

10406 しかしながら、團体交渉の結果が常に円満な協定に到達するということは、必ずしも予定できない。組合側からは、事業の実情にかなった穏当な要求を提出し、経営側も誠意をもってその実現を図るというふうならばよいが、そうでない場合は、交渉は決裂に近づく。しかし交渉決裂のおそれが大きくなって來た場合にも、当事者は、調停や仲裁の方法によって、お互にとって得るところのない闘爭に陥ることを極力避けなければならない。それでも、どうしても打開の道が見いだされないということになれば、官廳関係の労働者は別として、一般の労働者には、最後の手段として「罷業」に訴える権利がある。

10407 罷業は、労働者の正当な要求を保護するための方法ではある。しかし、罷業を單なる闘爭のための武器として濫用し、罷業のための罷業をするようなことは、あくまでも避けなければならない。いうまでもなく、罷業によって生ずる経済的および社会的な損失は、測り知れないほどに大きい。今日では、一國の産業は、いろいろな分野が互に連関を保って、有機的な統一をなして行われている。したがって、一つの地域や一つの産業の生産がとまれば、國民経済の全体としての機能をまひさせてしまうおそれがある。また、ある労働組合が軽々しく罷業に突入したために、全國民の経済生活をおびやかすというような結果をまねくこともある。だから、罷業権の行使については、かりそめにもその濫用に陥ることがないように、組合の指導者は賢明に慎重に行動しなければならない。このことは、鉄道や炭鉱のような公益事業については、特に強調される必要がある。

10408 罷業にはいることをできるだけ避けるためには、前にも言ったように、経営者側は労働組合の正当な要求を尊重し、組合側は國民経済の実情と経営の内容にてらして過当でない要求を提出するのがたいせつなのであるが、双方が互にその主張を固執してゆずらない場合には、当事者だけでは容易に妥協の道が見いだされえない。そこで、どうしても、公平な客観的な立場から労働爭議を調整する必要が起る。すなわち、経営者を代表する者、労働者を代表する者、および、どちらにも属さない第三者から成る「労働委員会」をおいて、爭議の発生を予防することに努め、爭議が起った場合には、その調停や仲裁を図るようにするのである。

10409 ここにいう調停と仲裁とは、ことばとしては同じようにひびくが、制度としてはかなり違う意味を持っている。「調停」というのは、爭議の内容を調べ、双方の言い分を聞いて、経営者側と組合側とが歩みよりうるような條件を持ち出し、双方を和解させることである。

10410 これに反して、調停だけでは爭議を解決する見込みが立たないような場合には、当事者の申し出を待って、爭議の「仲裁」を行う。仲裁だと、当事者は仲裁者の決定に服さねばならない。労働委員会も、爭議の調停や仲裁を行うが、当事者の話し合いで、外の者に調停や仲裁を頼むこともできる。調停や仲裁の手続きを定めているのは、「労働関係調整法」という法律であって、この法律は、労働組合のことを定めた労働組合法(編集者注:昭和二〇年十二月制定、昭和二十四年全面改正)、および労働條件の最低基準を明らかにした労働基準法と並んで、労働問題の解決を目ざし、産業平和の維持と経済の興隆とを図ろうとしている。

10411 以上に述べたところは、労働爭議を解決するための一般的な方法であるが、これには重要な制限があることに注意しておく必要がある。その一つは、公益事業の爭議の制限である。すなわち、運輸事業とか電氣事業とかいうような公益事業に関して爭議が起った場合には、法律の定めるところによって、必ず労働委員会の調停に付せなければならない。そうして、調停に付すことになってから満三十日を経た上でなければ、罷業を行うことは許されない。公益事業は、國民の福祉に最も直接の関係があるから、法律がこのように抜き打ちの爭議を禁じているのは、当然のことである。

10412 次に、もう一つの点は、官廳労働者の組合運動に対する制限である。國家の公務員は、一般の公益事業の從業員に比べて、更に公共の利益に深い関係を持つ立場にある。したがって、それらの人々のになう重い責任から考えて、官廳の勤務者の團体交渉権や罷業権に対しては、國民の公共の福祉がおびやかされることがないように、これを制限したり禁止したりする措置が加えられる。特に警察官吏・消防職員などについては、労働組合を作ることや、それに加入することさえ禁ぜられているのである。

 

5 日本の労働組合

10501 労働組合は、労働者自身の自覚によって作られ、一般労働者の意志と理性によって運営される自主的な組織でなければならない。ところが、日本のように、労働組合運動が長らく軍國主義の政治によって抑圧されて來た國では、労働組合の自主的な発展や運営を図ることは、まことに容易なわざではない。軍閥や特高警察がなくなり、財閥が解体されたからといって、直ちに日本の労働組合が豊かな自主性をもって生育すると思ったら、とんだまちがいであろう。背中に長らく重い石を乗せられていた者は、突然だれかの手でその石が取り除かれても、すぐさままっすぐな姿勢で正しく歩き出せるものではない。それと同じように、日本の労働組合も、敗戰後はじめて眞の團結の自由が與えられたのであるが、それだけに、日本國民は、まだまだこの團結の自由と権利を賢明に自主的に用いることを十分に心得ているとは言いがたい。だから、日本の労働組合にとっては、このように突然にさしたる苦労もなくて獲得された自由と権利とを、責任をもって自主的に行使するように、特に反省と努力とを続けることを怠ってはならない。

10502 労働組合は、國家や雇い主によって外部から圧迫されてはならないが、逆にまた、それらの援助にたよるようなことがあってはならないのである。なぜならば、そういうことをすると、一時はいかほど労働組合の発展に役立つように見えても、結局は組合運動の自主性が失われ、國家や資本家の御用組合に堕落してしまうからである。だから、労働組合が民主主義の精神にかなった発達を遂げるためには、ただに人的組織の上で自主性を保つことが必要なばかりでなく、財政の点でも、外部からの助力を求めたり、援助を受けたりしないようにしなければならない。どんなに財政が貧弱であっても、組合員自らの力を出し合って運営されている労働組合は、組合員がそれをほんとうに「自分のもの」と思うから、だんだんとすこやかに発展して行くであろう。すべての民主主義的な組織がそうであるように、労働組合もまた、「組合員の組合」であり、「組合員による組合」であってこそ、はじめて「組合員のための組合」たることができるのである。

10503 組合員の中に、よい労働組合を自分たちの力で作り上げようという氣持がみなぎっていれば、その活動の一つ一つが組合員自身の訓練になり教育になる。これに反して、もしも組合員が、ただ組合に名を連ねているだけで、その運営については全く「人まかせ」にしているというふうだと、組合の中の少数の者が実権を握って、その人たちだけの考えで独裁的な支配を行うようになる。それは民主主義の名に隠れたボスの暗躍を許すもとである。

10504 日本人には、長い封建主義の習慣から、頭ごなしの強い意見を主張する者があると、つい「さわらぬ神にたたりなし。」といった氣持で、言うべきことも言わずに、それに從ってしまう傾きがある。労働組合の中にそのような傾向があらわれると、組合はやがて少数のボスに占領されてしまう。組合を動かすものは、組合員全体の盛り上がる意志でなければならない。労働組合を、單なるボスの道具や闘爭の武器にしてしまうことがなく、その本來の経済的および精神的な使命にかなった組織たらしめるのは、すべての組合員の大きな責任であることを忘れてはならない。

10505 日本の労働組合は戰爭終了後わずか三箇年で、組合数は二万八千を越え、組合員の総数は六百万以上に達した。單なる「数」の上からいえば、まさに驚嘆に價する発展である。しかし、「質」の点ではどうかということになると、まだまだ、はなはだ不満足な狀態であるといわなければならない。(編集者注:敗戰当時は八五五組合六十万人、実質は不活動)

10506 日本の組合運動がこのように外形上急速な進展をとげたのは、日本の國民生活を全般的に、かつ徹底的に民主化するという責任を負った政府が、組合の成立や生長を妨げるいっさいの法令を廃止すると同時に、組合に対していろいろな援助を與え、経営者側にもこれに協力することを求めたためである。これは、もちろん、労働組合を「御用組合」にしあげるためになされたことでは決してない。けれども、このように、外部から促された生長は、とかく外形だけがふとり、数の上の増加を示すのみであって、組合員の眞の自覚がそれに伴なわないということになりやすい。日本の労働者が、そういう事情の下に発展した組織をほんとうに「自分のもの」にするためには、ひとりひとりが組合運動の民主主義的な精神をしっかりと身につけることが、何よりも必要である。

 

6 労働組合の政治活動

10601 労働組合の当面の活動は、労働者の生活條件を向上させるという経済上の目的に向けられる。しかし、この経済上の目的は、單なる経済活動だけでは容易に達成されない。一國の経済問題の解決は、政治のいかんによって左右されるところが少なくない。したがって、労働組合は、適正な労働條件を確立するために、政治に対して強い関心を持たなければならない。今日の日本において、すでに六百万人以上の加入者があるという事実からみても、組合が政治に対していかに大きな発言権を持つものであるかがわかる。ことに、組合は、勤労大衆の自主的な團結であるから、その組織の力を正しく発揮して行けば、民主政治の発達に強い影響を及ぼすことができる。経済民主主義の実現を図る上からいって、労働組合の健全でかつ建設的な政治活動に期待すべきものは、きわめて大きい。

10602 さればといって、労働組合は政党ではないのだから、その政治活動には当然に一定の限界がなければならない。われわれは、このことを常にはっきりと心に刻みこんでおく必要がある。すなわち、政党には、一つの決まった政治上の主義主張がある。その主義主張に共鳴する者が、その政党に加入するのであるし、その政党の行き方に不満があれば、それから脱退して、他の政党に加入することもできる。だから、政党の場合ならば、党員に対して、党のかかげる綱領に從って行動することを要求しうる。これに反して、労働組合は、労働條件を改善し、労働者の生活を向上させるという共通の利害関係を持つ人々の、自主的な團結である。したがって、組合員がどういう政治上の主義主張に共鳴し、どの政党を支持するかは、各人の自由でなければならない。しかるに、組合員の政治的自覚が不十分であると、かたよった政治思想をいだく少数の人々が組合を牛耳り、独裁的な権力をふるって、組合の團結力を自分たちの政治目的の達成のために利用するということになりやすい。労働組合がそのように少数の独裁を許し、または、ある一つの政党の道具として利用されることは、組合本來の目的と全く反するものであるから、そういう傾向に対しては、組合員自身が常に厳重な警戒を怠ってはならない。

10603 だから、労働組合の政治活動は、組合そのものの本來の趣旨に基づいてなされるべきであり、また、その範囲内においても、あくまでも公明正大に行われなければならない。

10604 すなわち、労働組合の任務は、勤労大衆の基本的人権の擁護であり、適正な労働條件の獲得であり、働く人々の精神的文化的水準の向上である。ゆえに、組合は、これらの目的にかなった法律が制定されるように、國会に向かって要望すべきであるし、これらの目的を妨げるような立法に対しては、それを阻止することに努力すべきである。また、労働者の立場を守るための法律が制定されても、政府がその精神を行政の上に生かしていく熱意に欠けるようなことがあってはならないから、その意味では、政府とも連絡をとり、労働行政を正しく運用するように激励して行かなければならない。このようにして、働く國民大衆の声を、組合を通じて國政の上に反映させて行くことは、経済上の民主主義の実現を促すための大きな力となるであろう。

10605 前に述べたように、労働組合は、自治的な組織を持った民主主義の学校である。しかし、学校といっても、そこには特別に民主主義のことを教える先生がいるわけではない。また、先生からことばでもって教えられただけでは、決して民主主義の精神を身につけることはできない。民主主義は、それを自分たちの力で築き上げ、それを自分たちで運用し、それが自分たちみんなの生活をどれだけ向上させうるかを体驗することによって、はじめてほんとうに自分たちのものになる。その意味で、労働組合では、組合員のだれしもが先生であると同時に生徒でなければならない。先生が惡ければ生徒も惡くなる。組合員が組合を單なる闘爭の手段と考えているようでは、平和な協力をもって根本とすべき民主主義の精神は、破壊されてしまう。組合員の多くが、自ら先生であることを忘れて、單なる受け身の立場で少数のボスに引きずりまわされているようでは、人々は民主主義の代わりに独裁主義の政治を学ぶことになってしまう。労働組合を、自分たちの力によって作られた自分たちのための組織たらしめよ。日本の社会と経済と政治の民主化は、それによって興り、必ずやそれとともに栄えるであろう。

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第十一章 民主主義と独裁主義

 

1 民主主義の三つの側面

11101 今までの各章で述べて來たところをまとめて考えてみると、民主主義の根本の精神は一つであるが、人間の共同生活の中に表われるその形には、いろいろな側面があることがわかる。

11102 すべての人間を個人として尊重し、したがって、すべての個人の自由と平等とを保障しようとする民主主義の原理は、どこに行っても同じであり、いつになっても変わらない。しかし、民主主義は、長い歴史的発達の産物であり、その具体的な形態は、これまでも時代によって変化して來たし、これからも絶えず発展を続けて行くであろう。それとともに、その適用される範囲もますますひろくなりつつある。その結果として、今日では、民主主義についての三つの側面を区別して考えるようになった。政治における民主主義、社会生活における民主主義、経済生活における民主主義の三つが、すなわちそれである。

11103 第一の、政治における民主主義は、これら三つの側面の中でも最も基本的の形態だということができる。したがって、それはまた、歴史上一番早く自覚され、最初からきわめて強く主張されて來た。

11104 人間はすべて生まれながらにして自由であり、平等であるという思想は、思想としては古い淵(えん)源を持つが、特に近世の初め以來、次第に政治的にはっきりと自覚されるにいたり、人々は政治上の自由と平等とを目ざしてあらゆる努力を続けた。そうして、その努力の結果は、第十八世紀の末に起ったアメリカ合衆國の独立およびフランス革命という二つの大きな出來事を境として、着々と具体化されるようになった。ほんとうに民主的な政治の目的は、公共の福祉を向上させ、すべての人々に、幸福を追求するための平等の機会と條件を與えるにある。このような「國民のための政治」は、國民自らの政治の根本方針を決定し、できるだけ多くの人々が自分たちの代表者の選挙に参加することによって、はじめて実現されうる。もしも、國民の間、もしくは國民の代表者の間に意見の対立があるならば、多数決によってその中のどれを採るかを決めるべきである。これが政治的民主主義の根本方針であり、民主政治の制度上のいろいろな型は、この根本の考え方を実現する方法の違いであるにすぎない。

11105 政治的民主主義と並んで発達して來たものは、第二の、社会生活における民主主義である。

11106 これは、共同生活を営んでいる人々の間に、身分や人種の別による特権が存在することを否定するものであって、あらゆる意味での封建制度の撤廃を要求する。貴族や門閥の家に生まれた者が、一般の人々より当然に高い地位についたり、人種や信仰が違うということを理由にして、その間に差別待遇を設けたりする社会制度は、人間の自由および平等の理念に反する。社会生活における民主主義は、そのような身分上の差別を否定するばかりでなく、女性が女性なるがゆえに男性に從属すべきものとする観念や、家庭の中で、夫が妻に対して特権を持ち、親、特に父親が子供に対して服從を強制し、長男だけが特別の取り扱いを受けるというような制度をも排斥する。もちろん、社会生活において、すぐれた能力を持つ人や、深い経驗を有する者が、人々に推されて指導的な地位に立つのは当然である。しかし、各人がその能力と個性とを伸ばすということについては、人種・性別・信仰・年齢などのいかんにかかわらず、すべての人間に対して均等の機会が與えられるべきであるというのが、社会生活における民主主義の立場にほかならない。

11107 政治における民主主義、および社会生活における民主主義に続いて重要な問題となって來たのは、第三の、経済生活における民主主義である。

11108 民主主義は、すべての人々が幸福を求め、幸福を築きうるような社会を目標とする。その場合にいう幸福とは、もとより、決して單なる「物質的」な幸福ではない。しかし、おおぜいの人々が衣・食・住にも事欠く狀態に苦しんでいるようでは、「精神的」な幸福も求められない。だから、民主主義がすべての人々の経済生活の向上を求めるのは、最初から当然のことである。ただ、初めのうちは、経済の活動については政治による干渉を加えることをなるべく避けて、自由放任の政策を取るのが、この目的のために一番適当な方法であると考えられていた。ところが、その結果、だんだんと資本の独占が行われて、資本家と勤労大衆との間の貧富のへだたりをますます増大させるにいたった。経済的民主主義は、すべての人々の経済上の機会均等を図ることによってこのへだたりを緩和して行こうとする。したがって、民主主義の三つの側面のうち、今日最も切実で、いまだに十分な解決に到達していない問題は、この経済的民主主義であるといってよい。

11109 しかしながら、経済的民主主義は、それだけ切り放しては実現できない。貧乏人の間に、金持を「いい御身分のかただ。」などといって敬う氣持があり、金持もまた、それをよいことにして、貧乏人を安い賃金で不利な労働條件の下に、何時間でも働かせることをあたりまえだと思うような態度がある限り、経済上の不平等は是正されない。尊ばれるべきものは、人間であり、人間の生活を築くための勤労であって、財産ではない。資本主義の社会で大実業家が尊敬に値するとするならば、それは、そのすぐれた経営の才能と、事業に精魂を打ちこみ、社会公共に盡そうとする努力のゆえであって、かれが百万長者であるがためではない。経済生活における機会均等を実現するためには、まず、財産の多少によって人間のねうちを測るような観念を打破しなければならぬ。その意味で、経済的民主主義は、必ず社会生活における民主主義と結びつく。

11110 だが、経済的民主主義を実現するための最も重要な條件は、政治的民主主義である。なぜならば、財産のある者だけが選挙権を持って、自分たちの利益だけを守ってくれる代表者を選んでいるようでは、勤労大衆は、ますます不利な立場に陥って行かざるを得ない。また、男女平等の普通選挙が行われても、選挙民が金の力による宣傳に乗ぜられたり、財閥が政党を買収したりするようなことでは、金権政治の弊害は改まらない。だから、國民がみんなで民主政治の目的をよくわきまえ、選挙資格を有する人々がすべて「目ざめた有権者」となって、立派な代表者を選び、それらの代表者が、國民全体の福祉を眞劍に考えて、適切な政治を行うようにならなければ、民主主義の要求に、ほんとうにかなった経済生活を築き上げて行くことはできない。かくて、経済的民主主義の問題の根本の解決は、あわせて政治的民主主義の徹底に待たなければならないのである。

11111 しかも、経済的民主主義をどのようにして実現して行くかは、最も意見の分かれる点である。資本主義がよいのか、社会主義がよいのか。資本の独占を押さえるには、どういう方法で、どの程度の政策を実行すべきであるのか。労働の権利を保障し、失業者をなくするには、どんな手を打つのがよいか。國民はすべて勤労の義務を有するといっても、現に遊んで食べている人間がある場合、それをどうするか。勤労の義務は各人の道徳的責任にまつべきか、あるいは、法律によってそれを強制すべきであるか。その他いろいろな問題があって、その一つ一つについてさまざまな、そして時としては、激しい意見の対立が生ずることを免れない。

11112 その場合に、民主主義の政治が採用するのは、「多数」の意見である。たとえば、代表民主主義では、國会で多数を占めた政党が、経済に関する立法についても一番大きな役割を演ずるし、國会議員の多数の支持する政府が、國会の多数決で定めた方針に基づいて経済政策を実行する。ゆえに、政治的民主主義の目標は、あくまでも「國民のための政治」であり、國民の公共の福祉であるが、その目標に到達すべき道を選ぶ方法は、多数決である。したがって、多数決原理を否定しては、政治的民主主義は成り立たない。言い換えるならば、どんなに「國民のための政治」という旗じるしをかかげても、多数の意見を無視するような政治を行うことは、断じて民主主義ではない。

 

2 民主主義に対する非難

11201 すべての人間が個人として尊厳であり、自己の個性を生かす自由と、自己の才能を伸ばす平等の機会とを持ち、文化的にも経済的にも、ともどもに平和で幸福な共同生活を営むようになるという民主主義の理想は、きわめて崇高なものであって、何人といえどもそれについて反対することはできない。もちろん、この理想を完全に実現するまでには、人類はまだまだ遠いいばらの道を歩んで行かなければならないであろう。しかし、民主主義は、過去数世紀にわたってこの理想の実現に向かってあらゆる努力を重ねて來たし、その方向に向かって、既に多くの輝かしい成果をあげて來たのである。

11202 けれども、その反面またわれわれは、民主主義が歴史上決して常にただ支持され、賞賛されて來たのではなく、むしろ、あらゆる非難を浴びながら発展して來たものであるということを忘れてはならない。

11203 イギリスで民主主義的な革新が行われ、続いてアメリカに独立戰爭が起り、更に、フランスに大革命が起った当時には、それまで特権をほしいままにしていた連中は、民主主義を憎み、これに激しい非難を加えた。その後になって、民主主義に対する批判はいろいろな思想家や評論家によって行われた。ことに、第一次世界大戰後のヨーロッパの政治情勢が險惡になったころには、「民主主義の危機」ということがほとんど通りことばとなった。そうして、イタリアにはファシズム、ドイツにはナチズムが起り、民主主義に対して総攻撃を加えるにいたった。

11204 民主主義の反対者が一番強く非難する点は、多数決の原理である。民主主義は、どれが最も正しい政治の方針であるか、國民全体の幸福を増進するにはどうすればよいかについて、いろいろな意見が対立した場合、多数の支持する意見を採用してそれを実行する。そうして、政治の問題について意見を述べ、投票を行う権利をできるだけ拡大して、なるべくおおぜいの國民が政治に参與しうるようにしむける。しかし、民主主義の反対者に言わせると、そのようにして得られた多数決の結果は、無知な、目先の見えないおおぜいの人々の意見によって、政治の方針を左右することになる。群集心理によって動かされ、目前の利害にのみ執着する大衆は、ただ「数」が多いというだけで、たいせつな政治の問題をかってに片づけてしまう。これに対して、すぐれた識見を有する人々の考えは、少数であるがゆえに葬り去られることにならざるを得ない。それは、「頭かずの政治」であり、「衆愚政治」である。民主主義に反対する者は、そういって、鬼の首を取ったように民主主義をたたきふせてしまおうとする。

11205 民主主義に対するこのような非難から導き出されるものは、独裁主義である。多数決によって行われる民主政治を衆愚政治であると非難する立場は、それに代るべき政治の根本として「指導者原理」を主張する。独裁主義者が主張するところの指導者原理によれば、いかにおおぜいの人々が雷同する政治の方針であっても、全体の利益に反するような政策は排斥されなければならない。あるいはまた、せっかく政府が思い切った政策を実行しようとしても、反対党が数を頼んでじゃまをしたりするようでは、政治の危機を切りぬけて行くことはできない。だから、そのような多数支配の代わりに、最も有能な最も賢明な、最も決断力に富んだ、ただひとりの人物を押し立てて、その「指導者」に政治の絶対権を與え、國民は指導者の命令通りに足並みをそろえてついて行くのが一番よいというのである。かくて、独裁主義は、政治に対する國民の批判を封じ、政党の対立を禁じ、議会政治を否定して、絶対の権力を握った独裁者にすべてを任せ、まっしぐらに一つの政策を貫いて行こうとする。

11206 独裁主義が民主主義に対して非難を加えるもう一つの点は、「個人主義」である。民主主義は、すべての人間を個人として平等に尊重し、他人の自由を侵さない限りにおいて各人の自由を保障する。しかし、独裁主義者にいわせると、各個人がそれぞれその自由を主張し、かってに自分たちの利益を求めることを許すと、社会全体の統一が乱れ、國家や民族の利益がないがしろにされる。かれらによると、重んぜられるべきものは、個人ではなくて、國家全体であり、民族全体である。個人は全体の部分であり、全体の部分としての價値しか持たない。独裁主義は、そのように論じて個人主義や自由主義を攻撃し、その代わりに、「全体主義」を主張する。独裁者の命令のままに、各人は自己の利益も、あるいは自己の生命をさえも、喜んで全体のために投げ出さなければならないと要求するのは、このような全体主義の結論にほかならない。

11207 民主主義が、古くはギリシャやローマに始まっているように、独裁主義もまた古い歴史を有する。ギリシャ時代にも専制王があったり、ローマの共和制末期にも武断的独裁者があらわれて、ついに絶対君主制を確立してしまった。現代における独裁主義は、だれもが知っているように、第一次世界大戰後のイタリアおよびドイツに起り、基礎の弱いそれらの國々の民主主義を押しのけて、政治の実権を握った。それと同じような風潮が日本の政治を支配しはじめたのは、昭和六年の満州事変のころからである。この政治の独裁化は昭和十二年の日華戰爭によってさらに前進し、昭和十六年の太平洋戰爭の開始とともにますます拍車を加えるにいたった。しかも、日本のファシズムは、ナチス張りの全体主義を唱えながら、その表面に國粋主義の粉飾をほどこし、民主主義や自由主義を攻撃して、「滅私奉公」の道徳を國民に強要した。その態度は、イタリアやドイツの独裁主義と異ならなかったのである。

 

3 民主主義の答

11301 このような独裁主義が國民の運命の上に何をもたらしたかは、あまりにもなまなましい最近の事実であって、今ここに改めて述べるまでもない。また、民主主義を非難する独裁主義の理論がどんなにまちがったものであるかは、これまでのいろいろな章で説いて來たところであるから、ここでまた詳しく論ずる必要はない。ただ、その重要な点だけをまとめてみて、再びそういう誤りに陥ることがないための、反省の材料としておこう。

11302 独裁主義は、民主主義の用いる多数決の方法を非難する。なるほど、多数の意見だから必ず正しいと限ったわけではなく、少数の意見、ただひとりの先覚者の考えの方が眞理であることも少なくないのは、事実である。しかし、それならば、独裁者の判断ならば國民全体の福祉にかなうということを、いったいだれが保障しうるか。一九三九年の夏、ヒトラーが、いまこそポーランドを武力をもって征服すべき時だと判断し、ドイツ軍に進撃を命じた時、その判断は正しかったのか。ドイツ民族を悲惨な運命のどん底におとしいれたのは、この独裁者の國際信義を無視した暴挙ではなかったのか。民主政治が「衆愚の政治」であるならば、独裁政治は、ひとたびあやまちを犯した場合にはとりかえしのつかない「専断の政治」ではないのか。

11303 人間は神ではない。だから、人間の考えには、どんな場合にもまちがいがありうる。しかし、人間の理性の強みは、誤りに陥っても、それを改めることができるという点にある。しかるに、独裁主義は、失敗を犯すと、必ずこれを隠そうとする。そうして、理性をもってこれを批判しようとする声を、権力を用いて封殺してしまう。だから、独裁政治は、民主政治のように容易に、自分の陥った誤りを改めることができない。

11304 これに反して、民主主義は、言論の自由によって政治の誤りを常に改めて行くことができる。多数で決めたことがまちがっていたとわかれば、今度は正しい少数の意見を多数で支持して、それを実行して行くことができる。そうしているうちに、國民がだんだんと賢明になり、自分自身を政治的に訓練して行くから、多数決の結果もおいおいに正しい筋道に合致して、まちがうことが少なくなる。教育が行きわたり、國民の教養が高くなればなるだけ、多数の支持する政治の方針が國民の福祉にかなうようになって來る。そういうふうに、絶えず政治を正しい方向に向けて行くことができる点に、言論の自由と結びついた多数決原理の最もすぐれた長所がある。民主主義が、人類全体を希望と光明に導く唯一の道であるゆえんも、まさにそこにある。

11305 独裁主義は、個人主義を攻撃し、自由主義を非難する。そうして、その代わりに國家全体・民族全体の発展を至上命令とする全体主義の哲学を提唱する。しかし、國家の発展といい、民族の繁栄というのは、いったい何を意味するか。國家といい、民族といっても、実際には非常におおぜいの個人から成り立っているものにほかならない。したがって、その構成員たるすべての個人の文化的、経済的な向上をはなれては、國家全体・民族全体の発展はありえない。それにもかかわらず、独裁主義が、全体の尊ぶべきことを説いて、部分たる個人に全体のためへの犠牲を求めるのは、全体の権威をかさにきて発せられる独裁者の命令をもって、國民をむりやりひきずって行くためにほかならない。そこには、國民の個人としての自由と幸福を奪っても、独裁者の計画を思い通りに強行しようとする底意がひそんでいるのである。

11306 民主主義は、個人を尊び、個人の自由を重んずる。けれども、民主主義の立場は、正しい意味での「個人主義」であって、決して「利己主義」ではない。できるだけ多くの個人の、できるだけ大きな幸福を実現しようとする民主主義の精神は、おのれひとりの利益だけを求めて、他人の運命を歯牙にもかけぬ利己主義とは、正反対である。ただ、各人が自分自らの努力によって築き上げた幸福こそ、ほんとうの人間の幸福であるから、それで、民主主義は、他人の幸福を犠牲にしない限りで、すべての人々に平等に幸福追求の自由を認めるのである。各人の努力によって國民の生活が向上すれば、その國家はおのずからにして発展するであろう。民族のひとりひとりが民族共同の幸福を築き上げて行けば、その民族もまたおのずからにして全体として繁栄するであろう。かくて、すべての民族や國民がそれぞれに繁栄しつつ、しかも互に平和に協力して行くならば、人類の福祉も必ず全体として増進して行くであろう。一本一本のいねからりっぱな穂がたれるようになれば、見わたす限り黄金の波を打つ沃野からも、必ずみのり豊かな収穫が約束されるのと同じように。

 

4 共産主義の立場

11401 第二次世界大戰は、民主主義を守りぬこうとする國々の力によって、イタリアのファシズムやドイツのナチズムや日本の軍閥独裁政治を、完膚なきまでに粉砕した。それらの独裁主義は、戰後の世界からは一掃された。それでは、現代には、独裁主義はもう全くなくなってしまったのであろうか。

11402 いや、そうではない。今日の世界にも、まだもう一つ、独特の独裁政治の形態が残っている。それは、いわゆる「プロレタリアの独裁」あるいは「労働階級の独裁」である。この独裁主義は、ファシズムやナチズムと違って「共産主義」に立脚している。原理的にいえば、共産主義は、社会主義の徹底した形態であって、一般に社会主義がそれ自身としては民主主義の精神と矛盾するものでない以上、共産主義もまた民主主義と相反するものでないというふうに考えられるかもしれない。しかしながら、いわゆる「プロレタリアの独裁」と結びついたところの共産主義は、資本主義と社会主義との間のさまざまな中間形態を幅廣く包容して、その中のどれを採るかを國民の多数の意志で決めて行こうとする民主主義とは、非常に違った性格を持っている。ゆえに、民主主義の眞の精神に立ち入って明らかにするためには、いわゆる「プロレタリアの独裁」によって行われる共産主義が、どのようなものであるかを考察しておかなければならない。

11403 第十八世紀の終りから第十九世紀にかけて、民主主義の制度がだんだんとひろまって行ったころ、それに伴なって急速な発達をみたのは、資本主義の経済組織である。資本主義の組織は、民主主義によって保障された企業の自由を基礎として、きわめてかっぱつに大規模な生産を行い、人間の経済生活に高い水準と豊かな内容を與えるのに役立った。しかし、その反面また、資本家が生産手段を独占する結果、資本主義のもたらす利益は、一方的に資本家の手に集中し、生産のために働く勤労大衆は、しばしば貧困の淵に陥ることを免れなかった。この弊害を少なくしたり取り除いたりすることは、資本主義の原理を認めつつ、経済的民主主義を実行することによっても、もとより可能である。しかし、それでは経済的平等を十分に実現することは不可能であると考える人々は、資本家が土地とか工場とか原料品とかいうような生産手段を私有することを禁じ、これを國有または、國営に移してしまおうとする。それが社会主義である。既に第九章で述べたように、これら二つの経済組織の間には、実際には理論の上で爭われているほどに、はっきりした区別があるわけではない。しかしどのような経済の方針が実際に採用されたとしても、それがその國の事情によくかなったものであり、國民の自由な意志に基づき、議会の公明な討議の結果として得られた結論である限り、その方針ですすむのは、民主主義の原理と決して矛盾することはない。

11404 ところで、今ここで新たに問題としようとしているところの共産主義は、資本主義を否定し、いっさいの生産手段を國有とし、あらゆる企業を公共の経営に移してしまおうとする点では、社会主義の一種であり、その高度化した形態であるといってよい。しかし、一八四八年にマルクスおよびエンゲルスが「共産党宣言」を発表し、共産主義ということばが一般に用いられるようになった時以來、共産主義と社会主義との間には、單なる「程度の違い」を越えた重要な差異があるものと考えられて來た。その差異はどこにあるか。それは資本主義の社会組織を変革して、勤労者階級以外には階級のない世の中にするために、社会主義と共産主義とが採用しようとする「手段」の相違にほかならない。

11405 この点をはっきり知るために、マルクスやエンゲルスによって共産主義の理論がどのように説かれたか、それを実際に移すにあたってどんな方法が考えられ、どんな道筋が実際に取られたかを、簡單にふりかえってみる必要があるであろう。

11406 マルクスおよびエンゲルスの思想の根底をなすものは、「唯物史観」とよばれる独特の歴史観である。それによると、人類の歴史は、常に階級闘爭によって新しい時代へと移って行った。そして、歴史を動かす階級闘爭の根底には、常に経済上の生産方法の変化がその原因となって働いて來たのである。たとえば、封建時代には、農業生産が主であって、領主が廣い土地を支配して、農民から重い年貢を取り立てて、ぜいたくな暮らしをしていた。そこへ蒸氣機関が発明され、機械工業が盛んになって來ると、この新しい生産方法を用いて産業を経営する者や、生産された商品の販賣をする者の手に社会の富が集まって、そこに経済的な力を持った新しい階級が興って來る。この新興階級が封建時代以來の支配階級に対して闘爭をいどむ。その結果革命が起って、古い支配階級が没落する。

11407 このようにして封建時代以來の古い支配階級を倒すことに成功したその当時の新興階級は、自分たちの利益と財産とを守るのに都合のよいような社会制度を作り出した。それがごくおおまかにいって、資本主義の社会組織である。ところで、マルクスやエンゲルスの理論によると、資本主義の経済が発達するにつれて、今度は、前よりももっと大きな規模の階級闘爭が開始される。なぜならば、資本主義の世の中では、おおぜいの労働者が工場などで働いて盛んに生産が行われるが、この生産方法の下では、労働者によって作られた價値や利益は一方的に資本家階級の手に吸収されるから、ますます搾取される労働者階級の数が増えて來る。それらのいわゆるプロレタリアは、初めのうちは資本家の支配の下に押さえつけられていたが、だんだんとその圧迫の不当なことに氣がついて、互に團結して資本家階級に対抗するようになる。かくて無数のプロレタリアが結束して階級闘爭を行うようになれば、資本主義の牙城もついには大きくゆらぎ出すことを免れない。そうしてとどのつまりは革命が行われて、資本主義の社会組織が根本から崩壊する。マルクスやエンゲルスは、このように説いて、まさに近づきつつあるプロレタリアの革命と、それによる共産主義社会への轉換とを予言した。

11408 しかし、マルクス主義の理論によると、プロレタリアの革命が成し遂げられても、すぐに共産主義の世の中になるというわけには行かない。資本主義社会から共産主義社会への移り変わりが完成するまでには、その第一歩として社会主義の段階を経なければならない。この段階でも、資本主義はもちろん崩壊してしまっているのであるから、生産手段の私有はすべて廃止される。そうして、すべての生産が公企業の形で行われる。けれども、その生産はまだまだ満ち足りるというほどにはならないから、すべての人々は労働し、その労働に應じた所得を得て、それで生活して行かなければならない。だから、この段階では、食物とか着物とか日用品とかいうような消費財については、私有が認められるのである。

11409 ところで、マルクス主義の予言は、もとよりそこで終わるのではなく、更にもっと進んだ將來の見通しを説く。それによれば、この社会主義の狀態を押し進めて行くと、やがてもっと徹底した第二の段階、すなわち純粋の共産主義の段階に到達する。純粋の共産主義の社会になると、生産物ばかりでなく、消費財についても、私有ということは全くなくなってしまう。社会主義の世の中では、労働に対してはそれ相應の勤労所得があるが、共産主義の世の中では、勤労所得もなくなる。だれでも働きさえすれば、共産主義の社会は、これに対してなんでも必要なものを與えてくれる。マルクス主義によると、共産主義の経済によって社会の生産力は増大し、社会の富があり余るようになって、所得がなければ生活ができないなどということを心配する必要はなくなる。そこで、マルクスは、「ゴータ綱領批判」という論文の中で、そのような狀態が実現された暁には、人間の社会はその旗の上に、「各人はその能力に應じて働き、その欲求に應じて與えられる。」と書くことができると言った。

11410 これが、マルクスやエンゲルスによって説かれた共産主義の理論のごくあらましである。それでは、このような理論を実際に移して行くには、どうすればよいか。この重要な問題については、同じマルクス主義の陣営の中に、やがて二つの主張が分かれた。

11411 第一の主張によれば、共産主義へいたるための最初の段階は社会主義であり、資本主義から社会主義への轉換は革命によって行われるのであるが、それは、革命といっても暴力を用いる必要はない。むしろ、この轉換は、資本主義社会の代表的な政治組織たる議会制度を利用して行われるべきである。もちろん、議会の中には幾つかの資本主義の政党があって、勢力を占めている。しかし、議会制度においてものをいうものは、「数」である。したがって、社会主義の政党を作り、無産大衆の支持を受けて、その代表者を議会の中に送りこめば、だんだんと多数の議席を占めることができる。社会主義の政党が議会での多数を占めれば、平和な手段で資本主義の法律制度を廃止し、その代わりに社会主義的な立法を行うことができる。そのようにして、漸進的に社会主義への轉換をはかるのがよい、と、マルクス主義を信奉する中でも比較的に穏健な立場の人々は、このように考え、このように主張した。

11412 しかるに、この穏健派の立場に対して激しい非難を加えたのは、第二の主張を支持する人々である。その議論によると、議会制度を利用してだんだんと社会主義を実行しようというのは、資本主義がどんなに強い地盤の上に築かれているかを知らない者の考えである。ブルジョア階級は巨大な資本の力をもって政治権力を握っているから、金と権力にものをいわせて、社会主義勢力の拡大を防ぎ止めようとするに相違ない。したがって、多数決の方法によって行われる議会立法で、資本主義を変革するという企ては、百年河清を待つようなものである。それにもかかわらず、議会政治への便乗を説く第一の主張は、この立場の人々の目から見れば資本主義と妥協するひより見主義にすぎない。ブルジョア支配のとどめをさす最後の武器は、暴力革命でなければならない。穏健派に反対する第二の立場の人々は、このように論じて、過激なプロレタリア革命の必要を力説した。

11413 一九一七年にロシア革命が起った際にも、このような二派が激しく爭った。そうして、最初に革命政府を樹立したのは、比較的に穏健な思想を持つメンシェヴィキであったけれども、ケレンスキーによって指導されたこの政権はまもなく倒れ、それに代わってレーニンを指導者とする過激なボルシェヴィキが政権を獲得し、マルクス主義の理論にいう、共産主義へ移りいくための第一段階としての社会主義を実施し、その目的を達成するのに必要な政治の組織を確立した。今日のソ連に行われている社会制度は、この意味での社会主義である。そうして、この意味での社会主義を強力に押し進めるために採られている政治組織が、すなわち、「プロレタリアの独裁」にほかならない。

11414 これによると、共産主義と比べてみた場合の社会主義には、二通りの意味があることがわかる。

11415 その一つは、共産主義に至るための第一段階としての社会主義である。この意味での社会主義と純粋の共産主義との間には、程度の差があるだけであり、したがって、共産主義は社会主義の一種、またはその徹底した形態であるといってさしつかえない。一九三六年の「ソヴィエート社会主義共和國連邦憲法」の第十二條には、「各人よりその能力に應じて、各人にその労働に應じて。」ということばがあるが、これは、各人がその能力に應じて労働する義務があることを明らかにすると同時に、各人の労働に應じた報酬が與えられることを意味するのであって、今日のソ連の社会が今言った社会主義の段階にあることを物語っている。そこでは、この意味での社会主義が、「プロレタリアの独裁」とよばれる政治組織によって、強力に押し進められているのである。

11416 これに対して、もっとひろく社会主義という場合には、それは、いわゆる「プロレタリアの独裁」とは関係がない。生産手段の私有を廃止するという意味での社会主義は、議会政治によっても実現されうるし、もとより暴力革命を必要とするものでもない。マルクス主義の陣営に属する穏健派の説いた社会主義もだいたいとしてそれである。この意味での社会主義と、レーニンなどによって唱えられた共産主義との間には、單に程度の差があるばかりでなく、その目的を実現するための手段においても大きな違いがある。なぜならば、この共産主義の立場は、議会政治を通じて、社会主義を実現しようとする立場を排斥し、そのためには暴力革命に訴えるのもやむをえないとし、革命が成就した後も、いわゆる「プロレタリアの独裁」を必要としているからである。

11417 だから、ソ連で行われている共産主義は一種の社会主義とみなされうるにしても、その社会主義は普通にいうひろい意味での社会主義とは違って、「プロレタリアの独裁」という政治形態と不可分に結びついている。共産主義とはどんなものであるかを知り、それと民主主義を比べてみるためには、この点をはっきりと頭の中に入れておかなければならない。

 

5 プロレタリアの独裁

11501 共産主義は、なぜ「プロレタリアの独裁」という政治組織を必要とするのであろうか。この問に対する共産主義の立場からの答は、こうである。すなわち、プロレタリアの革命は決して一度で完成するものではなく、ソ連のようにそれが一應は実現された國でも、まだまだブルジョア階級との闘爭を続けて行かなければならない。したがって、純粋に無産勤労大衆だけの世の中になって、階級の対立が全くなくなってしまうまでは、プロレタリアが政治の独裁権を握って、革命の精神を徹底させて行く必要がある。これが、共産主義の考え方である。

11502 元來、マルクスやエンゲルスによると、國家という制度は、支配階級が被支配階級を押さえつけ、被支配階級の勤労によって生み出された利益をしぼり取るために、発達して來たものなのである。したがって、マルクス主義者の主張に從えば、近代國家の法律や政治組織もまた、ブルジョア階級がプロレタリアを抑圧し、労働によって生まれて來る経済的價値を自分たちの手に奪い取るために設けられた大規模な階級支配の道具にほかならない。だから、プロレタリアの革命によってこれまでの國家組織が崩壊し、低い共産主義の段階、すなわち社会主義の段階を経て、高い共産主義の世の中になって行けば、階級の対立は全くなくなってしまうから、階級支配の手段としての國家もいらなくなる時が來るはずなのである。そこで、マルクスやエンゲルスは、そのような時代になれば、國家は自然に枯死してしまうと考えた。言い換えれば、政府が権力を行使して國民を治めるという組織は、無用の長物と化してしまうということを予言した。

11503 しかし、共産主義が普通の無政府主義と違うところは、そのような政府のいらない世の中になるのは、まだまだ先のことであって、プロレタリアの革命が成就しても、当分の間は、強大な権力の組織を存続させておく必要があると見ている点である。ただ、これまでは、國家の権力は支配階級たるブルジョアの手に握られていたのであるが、革命が行われれば、その権力はプロレタリアの手に移る。しかし、ブルジョア階級はそれによって直ちに絶滅するわけではなく、社会のいろいろなところに根城を築いて、再起の機会をねらっている。だから、権力をその手におさめたプロレタリアは、むしろますますその権力を強化し、今度は、遂にブルジョアの残党を押さえつけ、それを根絶やしにしなければならない。共産主義者は、このように考える。このような闘爭の理論を最も激しく説いたのは、レーニンである。一九一七年のロシア革命によって確立されたいわゆる「プロレタリアの独裁」の政治組織は、この理論を実行に移したものであるといってさしつかえない。

11504 一九一七年の革命により、ボルシェヴィキは、労働者と農民とに政治的権力の基礎をおくところの政治形態を築き上げた。それはまさに、「無産階級の主権」である。しかも、ソ連の共産主義者は、この政治的形態がほんとうの民主主義であると主張する。なぜならば、共産主義によらない民主主義の國々では、人民に主権があるというけれども、実際には、その政治的権力は少数のブルジョアの手に握られているというのである。これに反して、ソ連では大多数の無産階級が主権を持っていて、それらの多数の人民のための政治が行われているから、それこそ眞の民主主義であると称する。だから、ソ連では、ひろく世界に行われている一般の民主主義に対して、「ソヴィエート民主主義」ということばが盛んに用いられる。そうして、その立場から、アメリカやイギリスの民主主義に対して厳しい批判が加えられる。

11505 しかしながら、いわゆる「プロレタリアの独裁」は、果たして、人民の大多数を占めている労働者や農民が、自分たちの自由な意志によって行う政治であろうか。ソ連で現に行われている事実によって判断するならば、共産主義者のいう「プロレタリアの独裁」とは、実は「共産党の独裁」である。更にその実体をよくみると、それは單に党の独裁であるばかりでなく、実際は「共産党幹部の独裁」なのである。ソ連には、現在十三人の委員および委員候補からなる党中央委員会の「政治局(ポリト・ビューロー)」があって、共産党の重要な政策は、すべてこの政治局で決められる。したがって政治局での決定が党の決定となり、それが國の政治の根本を動かして行く。

11506 それでは、このような形で行われる「プロレタリアの独裁」の下において、果たして、正当な意味での言論の自由が認められうるであろうか。その用いる方法の上で穏健な社会主義とはっきり区別された共産主義は、一つの絶対主義である。絶対主義は、自分の立場だけが絶対に正しいとする考え方であるから、もとより反対の立場が存在することを許さない。したがって、もしも絶対主義が支配している世の中にも、言論の自由があるとするならば、それはその絶対主義を主張することであり、それに反対する立場を排斥することである。だから、ひとたびいわゆる「プロレタリアの独裁」が確立されるならば、そこでは、もはや共産主義に反対したり、政府の政策を批判したりすることは許されないであろう。もしも、ある人の言論が共産主義のわくを越えたち、その理論と対立したりした場合には、その人は、たちまち「反革命主義者」という烙印を押されて、排斥されてしまうであろう。

11507 このように絶対主義の立場を強く貫ぬこうとする政治組織の下では、政治上の主義主張はただ一つに帰着してしまうから、二つ以上の政党が並び存して政権を競ったり、互に他の立場を批判しあったりする余地はない。したがってそこでは、二つ以上の政党があって、國民は自由にそのどれかを選んでこれを支持し、國民の支持を受けた政党が、互に議論をたたかわせ、その結果多数の意見に從って事を決めるというような、民主主義的な議会政治は行われえない。いわゆる「プロレタリアの独裁」の下では、存在しうる政党はただ一つ、共産党あるのみである。共産党以外の政党は、すべてブルジョア政党として、禁止されてしまう。

11508 それでは、いわゆる「プロレタリアの独裁」による政治が行われた場合、独裁的な権力を持つところの政府の指導者は、どのようにして選び出されるのであろうか。再びソ連の実情についてみると、そこでは人民は、共産党員でなくても、公務員を選ぶためのひろい選挙権あるいは被選挙権を持っている。そうして、普通の民主國家の議会に相当する連邦最高会議の議員をはじめ、中央・地方の立法・行政・司法の重要な機関は、全人民の選挙によって選ばれることになっている。しかし、投票されるべき候補者は、多くの場合各選挙区ごとにただひとりだけが推薦されるにすぎない。したがって、選挙民は、この推薦候補者に投票するか、あるいはそれに対する反対投票をするかのどちらかを選びうるだけであって、他に自分の選びたい人があっても、その名前を書くことはできない。別の名前を書けば、その投票は無効となるのである。だから、ソ連の人民は、性別・教育・資産・住居等の諸條件に関わりのない平等の選挙権こそ與えられているが、選挙の自由は実際には非常に制限されているということができよう。

11509 今日のソ連において、だいたいとしてかくのごとき形態の政治が行われているのには、いろいろな理由があるであろう。元來、自由経済と違って、社会主義の経済は、よしんば比較的に程度の低いものである場合にも、國家による強い統制を必要とすることが多い。ましてソ連で実行されている経済の組織は、共産主義としては低い段階に属するとしても、社会主義としては他の國々に例を見ないほどに高度化したものである。ソ連のように廣大な領土を有し、しかも、複雑な歴史的および社会的な事情を持っている國で、このような高度な社会主義を実行し、そこにくずれを見せずにすすむために、どれほど強い中央の政治力を必要とするかは、想像にあまりがあるといわなければならない。それと同時に、反対の氣持や、批判の声が起るのを防ぐために、このような独裁的な政治を行うのは、その必要がある間だけのことであって、やがて共産主義が高度化すれば、事情はまるで違ってくるというふうにも説明されているのである。

11510 しかしながら、問題は、ソ連ではどのような理由でそういう政治形態が行われているか、ということではなくて、そのような政治形態がそもそも民主主義と一致しうるものであるか否かという点にある。前に述べたように、共産主義の立場からは、「プロレタリアの独裁」と結びついて行われている高度の社会主義こそ、眞の民主主義であるといわれている。が、果たしてそうであろうか。われわれは、その点を問題としなければならない。

 

6 共産主義と民主主義

11601 共産党の独裁によって実行されつつある共産主義は、経済上の平等ということに最も重きをおいている。近世の民主主義は、専制政治にしばられていた人間に自由を與え、封建社会の階級に分かれていた人々に平等をもたらした。しかし、それは、最初は主として法律上の自由と平等とにすぎなかった。法律上の自由と平等とを土台として、資本主義経済が独占的な経営方法を実行するようになった結果として、人々の間の経済上の不平等はますます増大するにいたった。共産主義は、このような経済上の不平等を是正するために資本主義をはげしく非難し、政治的自由を事実上大幅に制限するいわゆる「プロレタリアの独裁」によって、一挙にして勤労大衆のための経済的平等を実現しようとしているのである。

11602 もとより、経済上のはなはだしい不平等は是正されるべきである。しかし、経済上の平等がいかに重んぜられるべきであるからといって、そのために個人の政治的自由を放棄することは、許されない。共産主義は、政治上の自由を單に形式的なものとしてしまっても、平等をかちえようとする。これに対して、民主主義は、あくまでも自由を基礎として平等を実現して行こうとする。いや、國民の自由な意志によって政治を行い、それによって平等に幸福を追求しうるような社会を築き上げて行こうとする。そこに独裁主義と民主主義との間の大きな違いがあることは、明らかであるといわなければならない。

11603 眞の民主主義では、國民すべてのできるだけの幸福を実現するのに、どういう方法によるのが一番よいかは、國民自身の自由な選択に任されている。したがって、政治に関與するすべての人々は、自分が「これは」と思う政党や人物を、自分たちの代表者として選挙することができる。選挙によって代表者が決まり、政府ができあがっても、國民は正しいと信ずるところを自由に述べることによって、政府の方針を絶えず批判して行くことができる。もちろん、國民の間にも、國民の代表者の間にも、いろいろと意見の対立することがあるであろう。その時には、民主主義は、「多数」の意見を採用し、それをもって政治の方針とする。前に言った通り、言論の自由と結びついた多数決の原理こそは、民主主義の本質ともいうべきたいせつな要素なのである。

11604 これに反して、いわゆる「プロレタリアの独裁」によるところの共産主義では、共産主義の主張だけが正しいとされるから、ほんとうの意味での言論の自由はなく、これに対する批判も許されない。そこでは、独裁者の命令が絶対の権威を持つから、多数決ということも形式的には尊重されても、実質的には否定される。人民は、独裁者の命令にただ黙ってついて行くほかはない。黙ってついて行って、いったいどこへつれて行かれるのであろうか。共産主義の立場からいえば、その目的地こそは、すべての働く人々に対していつの日か等しく幸福のもたらされる樂土なのである。したがってそれこそまことの「人民のための政治」だというのである。しかし、目標が「人民のため」であるからといって、そこへ到達する道を、人民が自由に求め、自由に切りひらいて行くのでなければ、「人民の政治」ではなく、「人民による政治」とはいわれない。言論および投票の自由や多数決の法則を單なる形式としてとどめ、いろいろと違った考えを持つ候補者に対して自由に投票する余地を與えないようなところに、眞の民主主義がありうるであろうか。

11605 しかも、共産主義の目標とするところは、決して一國の内部だけでのプロレタリアの革命ではないのである。マルクスやエンゲルスは、共産主義者の革命は一國だけに限られるべきものではなくて、世界革命として行われると説いた。エンゲルスは、一八四七年に「共産党宣言」の草稿として書かれた「共産主義の原理」の中で、少なくともイギリス・アメリカ・フランスおよびドイツで、同時に革命が起るであろうと予言した。しかし、実際には、この予言ははずれて、かえって後進的なロシアで、共産主義の革命が行われた。そこで、レーニンは、すべての國々でプロレタリアの革命が同時に行われることは不可能であると説いたし、スターリン党書記長も、一國社会主義を主張している。(編集者注:二〇二〇年時点では、旧ソ連を含む東欧の諸国が外れて、世界の國々のうち五箇國がマルクス・レーニン主義を標榜する共産主義政党が一党支配を敷く社会主義国である。それは、中国、北朝鮮、キューバ、ラオス、ベトナムである。また、日本を含む五十六の国において共産主義政党が国家議会に議席を保有している。)

11606 けれども、これまでの動向からすれば、そこに、世界じゅうが、いずれはそれと同じ経済組織になるという目標が含まれていることは、明らかであるといわなければならない。今日、世界のほとんどの國々には共産党があって、多くの議員が出ているところでは他の政党と議会での多数を爭い、議員の少ないところでも、いろいろな策略を行っている。  民主主義の立場からいえば、共産党といえども、議会政治の原則にしたがって、公明正大に進退を行い、正々堂々と多数決でその政策を実現しようとしている限り、これを禁ずべき理由はない。なぜならば、民主主義は、各人の政治上の信念の自由と言論の自由とを尊重するからである。

11607 各國の共産党にしても、もし、それが議会政治の規律と秩序とを重んじ、ひとたび議会で多数を獲得すればその経綸を行い、少数党となれば、多数に從うという態度で進もうとしているのであるならば、それは、レーニンなどによってひより見主義として痛烈に非難された、マルクス主義陣営中での穏健派の立場に帰っているのである。反対に、もしそれが、少数党である間だけ議会政治と妥協しているにすぎず、ひとたび絶対多数を獲得した際には、多数決によって多数決原理そのものを否定し、いわゆる「プロレタリアの独裁」へ轉換しようという底意を秘めているのであるならば、それは前に第五章でたとえたように、議会制度の中に「ほととぎすの卵」を生みつけようとしているのであるといわなければなるまい。

11608 政治的な自由に立脚しつつ、それによって國民全体の経済的福祉を実現しようとするのは、経済的民主主義の立場である。國民自らの意志によって経済的民主主義を実行し、その方法について自由に意見を戰わせ、多数決で、政治の方針を決めて行くというのは、確かに暇がかかるであろう。共産主義の立場は、このような「急がばまわれ」の態度にしびれをきらし、いわゆる「プロレタリアの独裁」によって一挙に問題を解決しようとするのである。しかし、その代償として政治上の自由を放棄し、批判を許さぬ「上からの命令」によって動かされるようになるとするならば、果たしてそれは理性によって行動するゆえんでありえようか。既に各章で述べて來た民主主義の原理にてらしてみれば、自由を重んじ、平和を愛しつつ、なるべくすみやかに、できるだけ合理的に、政治的民主主義および社会的民主主義とあわせて、正しい経済的民主主義を築き上げていく以外に、賢明な民主國家の國民の進むべき道がないことは、きわめて明白であろう。

11609 実際、この地球上の住むすべての良識を備えた人々の進むべき道は、ここにある。われわれはそれを選ばなければならない。独裁主義は暴力の哲学に立脚している。これに反して、民主主義の持つ哲学は、平和と秩序と安全とをたてまえとしている。闘爭と破壊とによってではなく、平和と秩序と理解との上に、少数の特権を持つ人々のためではなく、生きとしいけるすべての人々にとっての幸福な社会を打ち立てて行こうというのが、民主主義の理想である。この理想は星の世界に描かれているのではなく、われわれの現に住むこの地球の上に輝いている。それをしっかりと見つめながら、現実の生活の上に絶えざる努力をつづけて行けば、理想はいつまでも單なる理想として輝いているだけではなくて、必ずや生きた現実となり、世界に住むすべての人々、すべての國々の生活を高め、豊かなものとする日がおとずれるであろう。

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索引 (編集者注:上巻部分のみ。ページ表示は割愛する。したがって用語集のようなものとなる。電子データでは、検索で場所を確認できる。) (ア)惡平等、頭かずの政治、アダム・スミス、アメリカの議会、アメリカの建国の精神、アメリカの憲法、アメリカの元老院、アメリカの國会、アメリカの最高裁判所、アメリカの政界、アメリカの代表制議会、アメリカの大統領、アメリカの大統領の拒否権、アメリカの大統領選挙、アメリカの独立、アメリカの独立宣言書、アメリカの独立戰爭、アメリカの独立の精神、アメリカの内閣、アメリカの民主主義、アリストテレス、アンドルー・ジャクソン
(イ)イギリスの議会、イギリスの國王、イギリスの枢密院、イギリスの政党政治、イギリスの選挙法、イギリスの内閣、イギリスの婦人参政権の運動、イギリスの民主主義、イギリスの民主政治、違憲立法審査権、イニシアティヴ(國民発案)
(ウ)ヴァージニア議会、ウィリアム(征服王)、ウィリアム・テル、ウィルソン、ヴェニスの商人、ウォールポール
(エ)エドワード一世、エンゲルス
(オ)王党、穏健な共産主義、穏健な社会主義
(カ)階級闘争、革新主義、過激な共産主義、ガリレオ、カルテル、間接選挙、間接民主主義、完全雇傭、カント、官僚統制
(キ)議会、議会政治、議会中心制、議会中心の民主主義、企業の國家管理、企業の自由、貴族院(ハウス・オブ・ローズ)、基本的人権、共産主義、共産党、共産党幹部の独裁、共産党宣言、協同組合、大統領教書、共和党、キューリー夫人、キリスト、金権政治、近世の民主主義、金銭法案、近代國家、近代の資本主義、近代の民主主義、勤労大衆
(ク)國の政治、クロポトキン、君権神授、群衆心理
(ケ)計画経済、景気対策を目的とする統制、経済上の自由主義、経済上の平等、経済上の民主主義、経済生活における民主主義、経済的民主主義、経済統制、契約の自由、権威主義、憲法議会、権利章典、権力分立の原則、権力分立の民主主義、アメリカの元老院、ローマの元老院、言論の自由、ゲーテ
(コ)光栄革命(名誉革命)、廣告、孔子、公企業、國営企業、國家、國会、國会議員、國会法、國家社会主義、國民議会、國民投票、國民による政治、國民の政治、國民のための政治、國民の代表者、國民発案、國民表決、國民の國民による國民のための政治、國務省、個人主義、コペルニクス、御用組合、御用新聞、コンミューン、ゴータ綱領批判
(サ)財産権、裁判所、産業革命、産業平和、三権、三権分立
(シ)シェクスピア、ジェームズ一世、市場、下から上への権威、自治統制、失業保險法、指導者原理、士農工商、司法権の独立、資本、資本主義、資本主義経済、市民階級、社会契約論、社会主義、社会主義経済、社会政策、社会生活における民主主義、社会福祉を目的とする統制、衆愚政治、自由企業、自由競爭、自由競爭の効用、自由経済、自由のとりで、自由党、自由放任の経済、自由放任の政策、十九世紀の経済上の自由主義、主権、出版の自由、純粋の共産主義の社会、純粋民主主義、小市民、消費組合、消費者の保護、消費の自由、庶民院(ハウス・オブ・コモンズ)、ジョン王、ジョン・ステュアート・ミル、ジョージ・ワシントン、人権宣言、人口過剰、新大陸、眞の民主主義、新聞、人民議会、シューベルト、人権の擁護
(ス)スイスの國民議会、スイスの大統領、スイスの民主政治、スイス連邦政府、スターリン、スティヴンソン
(セ)清教徒、正義、生産財、生産手段の私有、政治局(ポリト・ビューロー)、政治上の民主主義、政治における民主主義、政党、政党政治、政党内閣、政府、政友会、世界革命、絶対主義、選挙、選挙区、選挙権、選挙権の拡張、選挙の義務、選挙の権利、選挙の方法、専制君主、専制君主政、専制主義、専制政治、全体主義、専断の政治、宣傳機関、せん動政治家、先入観念
(ソ)ソヴィエート民主主義
(タ)第一次世界大戦、大憲章(マグナカルタ)、代議院、第二次世界大戦、代表民主主義、多数決、多数決原理、多数党の横暴、縦の道徳、團結権、團体交渉、團体交渉権
(チ)地動説、地方自治、地方自治團体、地方自治の原則、チャールス一世、仲裁、調停、直接民主主義、直接民主制
(テ)帝王神権説、哲人支配論、デマ、デマゴジー、デモス・クラートス、天動説 (ト)統制、等族会議、トーマス・ジェファーソン、トーリー、独裁者、独裁主義、独裁政治、独占、独占企業家、独占の弊害、独占的経営、都市國家、トラスト。奴隷、どろ仕合
(ナ)イギリスの内閣、アメリカの内閣、情深い支配者、ナチス・ドイツ、ナチス党、ナチズム、ナポレオン、ナポレオン三世
(ニ)二院制、二月革命、二十世紀の資本主義、日本の選挙法、日本のファシズム、日本の労働組合、ニューディール政策、人間の平等
(ノ)農業改革、農業協同組合
(ハ)馬車うま、バスチーユの牢獄、パトリック・ヘンリー、反革命主義者
(ヒ)罷業(ストライキ)、罷業権、非常統制、ヒトラー、人任せの政治、ひより見主義、比例代表制
(フ)ファシズム、ファラディ、フラデルフィア、武士、婦人参政権、普通選挙、プラトン、フランス革命、フランス革命の根本原則、フランスの共和國憲法、フランスの革命政府、フランスの民主主義、ブルジョア階級、ブルボン王朝、プロパガンダ、プロレタリアの革命、プロレタリアの独裁
(ホ)ホイッグ、封建主義、封建制度、法の精神、法律と道徳、暴力革命、暴力の哲学、保守党、ボス、ポツダム宣言、ボルシェヴィキ、ほととぎすの卵、ほんとうの民主主義
(マ)マルクス。マルクス主義
(ミ)見えない手、民主國家、民主主義、民主主義に対する非難、民主主義の意味、民主主義の危機、民主主義の起源、民主主義の原則、民主主義の原理、民主主義の國民生活、民主主義の答、民主主義の根本原則、民主主義の根本原理、民主主義の根本精神、民主主義の本質、民主主義の理想、民主政治、民主党、民政党
(ム)無産階級の主権、無政府主義、無統制な自由経済、無統制の資本主義
(メ)明治維新、迷信、メイ・フラワー、目ざめた有権者、メンシェヴィキ
(モ)モンテスキュー
(ユ)唯物史観
(ヨ)横の道徳

(民主主義 上巻 終)
昭和二十三年十月三十日発行



民主主義 上 定価 金三十四円


著作権所有 著作兼発行者 文部省

Approved by Ministry of Education (Date Oct. 26, 1948)


(民主主義 下巻)

第十七章 民主主義のもたらすもの

 

1 民主主義は何をもたらすか

17101 われわれはこれまで、民主主義とはどんなものであるかを、あらゆる方面から考察してきた。あとはただ、民主主義をわれわれの社会生活の中に生かしていくだけである。なぜならば、本で学んだ民主主義は、それだけではまだほんとうの民主主義にはならない。民主主義は、われわれの実践生活を通して一歩一歩と築き上げられていくべきものなのである。

17102 しかし、國民が心をあわせて民主主義的な生活を実行して行くためには、民主主義は國民の將來に対して何を約束するか、民主主義のもたらすものはなんであるかを、はっきりとつかんでおくことが必要である。その点がはっきりしないと、民主主義を実行してみようという決意も鈍る。みんなの足並みがそろわない。それでは、民主主義の建設もうまくいかないであろう。ことに、日本には、しっかりした民主主義の伝統がない。まだまだ日本人の心のなかには、民主主義というと、何かしら「外から與えられたもの」という感じが抜けきれない。そういう他律的な氣持で、半信半疑ですすんでいったのでは、できるはずの祖國の再建も、失敗に終ることがないとはいえない。民主主義は、國民が民主主義によって生活するのがいちばんよいということをじゅうぶんに納得し、自分たちの力を信じ、もり上がる意氣ごみで互に協力するのでなければ、ほんとうには栄えない。

17103 だから、われわれが次のような疑問をいだくことは、きわめてしぜんなのである。

17104 どうして日本國民は民主主義の政治と民主主義の社会とを必要とするのか。民主主義の制度は、それ以外の制度によっては得られないどんなものを、われわれに與えてくれるのであろうか。民主主義は、それを実行する國民に、安全と幸福と繁栄とをもたらすというが、その証拠はどこにあるのか。民主主義の制度は、國民を欠乏と恐怖とから解放してくれるというが、それは実際にはどういうふうにして行われるか。ここに述べられているようなことは、たしかに民主主義の理想ではあろう。しかし、どんな政治でも、すくなくともうわべは美しい理想を掲げる。その中で、なぜ民主主義が理想を実現するのに適しているのか。どうして独裁主義であってはならないのか。どうして民主主義でなければいけないのか。

17105 これらは、いずれも、きわめて当然な疑問である。なぜならば、一つのことをやってみようとする場合、それをやってみて、はたしてうまくいくかどうかを疑うのは、あたりまえのことだからである。疑うことを禁じて、少数者の指令の下に國民を引きずっていこうとするのは、独裁主義である。また、疑ってみる氣力も自覚もなく、ただ黙って、示された制度の下についていくのは、封建主義的な屈從にほかならない。だから、われわれ國民は、だれしもそういう疑問を心の中に持っているものとして、民主主義の立場からそれに答えてみることにしよう。

 

2 民主主義の原動力

17201 民主主義の原動力は、國民の自分自身にたよっていこうとする精神である。自らの力で自らの運命を切りひらき、自らの幸福を築き上げていこうとする、不屈の努力である。自らの力を信じえない者は、何か人間以外のものの力にたよって、局面の展開を期待しようとする。戰爭で負けそうになってきたとき、神風が吹くと期待するのも、それである。人間の力ではどうにもならない必然的な法則があって、それによって歴史の変革がなしとげられると信じ、それ以外のものの考え方を排斥するのも、そのような態度の一つであるといってよい。しかし、人間の社会は人間が作っているのである。人間の歴史は、長い世代を通じての、人間の努力と営みとによって築き上げられてきた。人間の作った社会の欠陥は、人間の力で是正できないはずはない。人間の築き上げてきた歴史は、人間の意志と努力とによって更に向上し、発展して行くに違いない。このような人間の力に対する信頼こそ、民主主義の建設の根本の要素なのである。

17202 しかも、民主主義における人間への信頼は、英雄や超人や非凡人に対してささげる信頼であるよりも、むしろ、ここに住み、そこに働いている「普通人」に対する信頼である。英雄をあがめ、がいせん將軍を王座にまつりあげるということは、すべての専制君主政の始まりであったといってよい。ヒトラーの非凡な力を信じ、ムッソリーニのことばに随喜の涙を流す態度は、文化のすすんだ第二十世紀の世の中に、独裁主義を可能ならしめる基礎となった。

17203 もちろん、民主主義の下でも、りっぱな人物を選んで、それを國民の代表者とし、その人々の決定に從うということは、必要でもあるし、たいせつでもある。けれども、民主主義の國民は自分たちが選んだ人々に無條件の信頼をささげるということはない。りっぱな人物だと思って選んでも、その人々の行動が間違っていると信ずる場合には、これに対して公正な世論の批判を加え、それをたえず是正していくのは、民主國家の國民の自由であり、権利であり、責任である。そこに國民の主権がある。その根底には、國民の、自分自身に対する信頼がなければならぬ。自分自身に対する信頼を失った國民は、かならず他力本願の独裁主義に走る。民主主義は國民自らが築く。民主主義のもたらすものは、國民自らの努力のもたらすものにほかならない。

17204 およそ人間は、生きていくことを求める。生きている以上、だれしも、できるだけ生きがいのある生活をしていきたいと願望している。死にたいと思う人もないわけではないが、それは、生きがいのある生活をしていくみこみがなくなったためである。したがって、自殺する人でも、生きがいのある生活を求めていたといってさしつかえない。生存と幸福と繁栄とを求める意欲は、あらゆる人間生活の原動力なのである。

17205 このことは、個人についていえるばかりでなく、多数の個人によって組織された團体にもあてはまる。一つの家族に属する兄弟姉妹は、かれらの家族たちがいつまでも健康で、樂しい生活をつづけていくことを願う。なぜならば、かれらはその家族の一員であり、その家族はかれらの家族だからである。同様に、野球のチームを組織している少年たち、バレーボールのチームを作っている少女たちは、自分たちのチームが強くなって、試合に勝つことを欲する。なぜならば、それが自分たちのチームだからである。農業協同組合に属している農民たちは、それが自分たちの組合であるという簡單な理由から、その組合が存続し、発展していくことを念願する。そうして、組合員が單にそれを念願するだけでなく、また、組合の運営を少数の役員のみにまかせきっておくという態度にとどまることもなく、みんなですすんで組合の発展のために協力するならば、いろいろな困難はあるにしても、組合員の念願はだんだんと実現されていくであろう。しかも、それが同時に、組合員各個人の福利を増進させることとなるであろう。家族が繁栄し、チームの成績が向上するのも、それとまったく同じ原理によるのであって、それ以外に社会生活を進歩させる秘訣(けつ)はありえない。

17206 これは、きわめて簡單な、わかりきった事柄である。それなのに、多くの人々はすべての人間が生きがいのある生活をすることを求め、かつ、自分たちの属する團体の向上と発展とを強く念願するものであるというきわめて簡單な事実こそ、民主主義によって何がもたらされるかを最も確かに約束するゆえんであることに、氣がつかない。

17207 民主主義の下では、社会または、國家を形作っているおおぜいの個人は、人間がだれしも持っているこのような要求や念願を、政治を通じて自分たちの力で実現していこうとする。民主主義は、國民のものであって、國王のものでもなく、独裁者のものでもない。民主主義の政治は、國民に属する。だから、よしんば國民が自分たちの利益だけを考えて、他のなにごとも考えなかったとしても、國民の行う政治は國民各自の福利を増進することになるはずなのである。もちろん、國民の間には、いろいろな利害の対立があるであろう。しかし、それにしても、民主政治は、國民の多数の意見を基礎として行われるから、國民の政治は、すくなくとも國民の多数の利益と合致するようになっていくはずである。まして、國民が、自分たちのひとりひとりの利益は、社会全体の利益とはなれてあるものではないことを知り、常に個人の利益と公共の福祉との調和をおもんばかって行動するならば、「國民の政治」「國民による政治」はかならず、「國民のための政治」になるというのが、民主主義の根底をなす確信なのである。

17208 これに対して、民主主義に疑いを持つ人々は次のように言うであろう。

17209 民主主義は「國民の政治」であるというけれども、それは実は「財産を持った國民」の政治である。國民の中の階級の対立はきわめて根強いものであって、金持たちはかれらの地位を守るためにあらゆる手段を講ずる。したがって、議会政治といっても、それをそのままに放任しておけば、うわべは経済民主化の政策を掲げている政党でも、裏では成金の提供する金で動くということになってしまう。そこで、階級の間の爭いはますます激しくなって、そのような正しくないことの行われる民主主義そのものを否定しようとする動きが強くなっていく。それなのに、民主主義がひろまっていきさえすれば、かならず國民すべての福祉と繁栄とがもたらされると説くのは、すこぶる甘い考え方ではないか、と。

17210 なるほど、民主主義の憲法を作っても、議会政治を確立しても、独裁に走ったり、金権政治が行われたりする危險は、なくならない。そのことは、これまでにもたびたび述べてきた通りである。けれども、それは、國民が少数で政治を引きずっていこうとする人々のせん動に乗せられたり、選挙のときに投票することだけが民主主義だと思って、あとは政治を人任せにしておいたりした結果なのであって、けっして民主主義そのものの罪ではない。今日の多くの民主國家では、政治に参與する権利は、年齢の点を除いては、ほとんど無制限に拡大されている。もしもその権利を持っているすべての國民が、政治のかじを取る者は國民であることをはっきりと自覚し、代表者を選ぶときにも、眞に自分たちの利益を守ってくれるような人を選挙し、國会や政府の活動に対しても、常に公正な國政の運用が行われるように、批判とべんたつとを加えていくならば、その結果が「國民のための政治」となって現われない理由がどこにあるであろうか。國王が権力を持っていれば、國王と、それをとりまく特権階級とによってつごうのよい政治が行われる。金持によってあやつられ、その思うままに動く政府は、金持の利益になるような政治をする。それはあたりまえのことである。そうであるとすれば、政治が「國民の政治」であり、國民が利害得失をよく考えて、政治の方向を決めていくならば、その結果が國民大衆の利益と合致するということも、それと同様にあたりまえのことでなければならないではないか。

17111 ただ、その場合、大勢の國民が、自分たちには政治のことはわからないと思って、投げやりの態度でいれば、話しはもちろん別である。國民がそういう態度だと、かならず策謀家や狂信主義者が現われて、事実を曲げた宣傳をしたり、必要以上の危機意識を鼓吹したりして、一方的な判断によって無分別に國民を引っぱっていこうとする。そうして、わけもわからずに行う投票の多数を地盤として、権力をその手ににぎる。その結果は、きっと独裁主義になる。

17112 これに反して、せっかく自分たちの手に與えられた政治の決定権を、ふたたび独裁者に奪い取られてはならないと思う國民は、政治の方向を自分たちで決めていくことによって、自分たちにとって生きがいのある社会を築き上げようと努めるであろう。民主主義は、國民の中のどこにもいる「普通人」が、それだけのことをする力を持っているという信頼の上に立脚している。いいかえると、民主主義は、自分たちの意志と努力とをもってよい世の中を作り出していこうとする、一般人の自頼心によって発達する。つまり、民主主義は、國民が、自らのためを思って自ら努力するという、極めて簡單な、きわめてしぜんな法則によって、國民のために最もよいものをもたらすに相違ないのである。

 

3 民主主義のなしうること

17301 われわれは、第二章で、旧時代の専制主義から、主権を持つ國民の政治への進化の跡をかえりみた。昔の専制時代の國王は、自分だけの手に権力をいつまでも独占していたいと思ったにもかかわらず、貴族たちにその権力をある点まで分かち與えることを余儀なからしめられた。また、封建時代の専制者たちは、その意に反して、富裕な商人や大地主の力と発言権とを認めざるを得ないようになった。そうして、数世紀にわたる長い年代を経て、だんだんとそれ以外の人々や階級が権力の分け前にあずかり、政治の責任をになうようになってきた。熟練した職人や、小さな農業経営者や、小作人や、工場や農場に働く労働者や、そうして最後には國民の半数を占める女子が投票権を獲得し、公の仕事にたずさわるにいたった。

17302 このようにして、長い経過をたどって、政治は國民の政治となってきたのである。すなわち、國民によって運用され、國民に奉仕し、國民の利益を主眼とする政治になってきたのである。このような政治の形態は、國民が、政治は國民のものであることをはっきりと意識しているかぎり、また、國民が、政治の第一の目的は國民各自の権利を保護し、國民ひとりひとりに自分自身をじゅうぶんに伸ばす機会を與え、ひろくその生活を豊かならしめるにあることを深く自覚しているかぎり、いつまでもつづいていくであろう。

17303 かくて、民主主義は、安寧と幸福と繁栄との最も確実な基礎となる。この基礎のうえに、國民が営々としてたゆまない努力によって築き上げていく成果が、民主主義のもたらすものなのである。政治が國民のうえに君臨する尊大な主人ではなく、國民のために奉仕する忠僕であるということは、民主主義によってのみ保障される。國民生活をできるだけ幸福に、豊かに安全にするための政治は、政治的権力が國民の手の中にあるかぎり、から手形に終る心配はない。

17304 もちろん、一つの國家の國民がどこまで豊かになれるかは、その國の廣さや、資源や、その他の自然條件に左右される。多くの國々は、原料が不足し、天然資源が貧弱であるために、長い間苦しんできたし、今でも苦しんでいる。たとえば、アジア全体として食糧が不足し、世界全体としては住宅難(住むところがない)に悩まされているのは、今日の実情である。しかし、どんな政府でも、いかにほんとうに民主主義的にできあがった政府でも、土地のないところに土地を生み、鉱脈のない山を鉱山に変化させることはできない。民主主義は、國民にできうる範囲内で最もよい生活のあり方をもたらすことを約束する。しかし、それは、無から有を生み出すわけにはいかない。

17305 日本のように、國土が狭く、資源は非常に限られ、そのわりに人口があまりにも多すぎる國では、特にこの点を最初からはっきりと勘定にいれておく必要がある。民主主義は、戰災の廃虚の上に日ならずしておとぎの國を築き上げる魔法やてじなではないのである。だから、民主主義はできるかぎりの安寧と幸福と繁栄とをもたらすといったからといって、そのような狀態がまもなく到來すると期待し、それが思うようにいかないのを見て、民主主義の理想をあきらめてしまうという態度は、はなはだ短慮であり、また、きわめて危險である。自ら招いて歴史上みぞうの敗戰のうきめをみた日本國民が、当分の間、苦難に満ちた險しい道を歩んでいかなければならないのは当然であり、そこに一時的な混乱や、容易に取り除きえない運命の不公平が生ずることも、やむをえない。しかし、それに絶望し、それをのろう氣持にとらわれていると、そこを利用して、不平を助長し、混乱を増大させつつ、急激に社会機構を変革させようとする政治の動きが現われてくる。

17306 しかし、民主主義が戰災の廃虚の上に日ならずしておとぎの國を築き上げる魔法でないのと同様に、民主主義以外にも、てのひらをかえすように歴史の歩みを轉換させて、不合理なことの多い世の中から、きれいさっぱり不平不満の原因をなくしてしまうてじなは、ありえないのである。荒廃した國土の上に、平和に栄える祖國を再建するにはどうしたらいちばんよいかを國民みんなで考え、お互にそれについて自由に論議をかわし、その中で多数の支持する方針を試みつつ、その方針をだんだんと改善して、その方向に向かって國民の眞劍な努力を傾注していく以外に、確かで安全な道はない。そうして、それが民主主義であり、民主主義以外の何ものでもない。

17307 日本が天然資源に乏しいこと、敗戰によってはなはだしく荒廃した狀態に陥ってしまったことはなんともしがたい事実である。しかしそれだからといって、日本の前途について絶望したり、單なる他力本願の氣持をいだいたりする必要はない。ヨーロッパの例をとってみても、スイスのごときは山ばかりの小國で、取り立てていうほどの資源は何もない。しかも、スイス人は、その勤勉と技術とによって、精密工業、中でも時計の生産において世界に誇る成果をあげている。デンマークも、九州にほぼ等しい面積しかない小さな國で、しかも、一八六四年のドイツおよびオーストリアとの戰爭にやぶれ、いちばんよく肥えた土地であるシュレスウィッヒ、ホルシュタインの二州を失った。それにもかかわらず、ダルガスという先覚者の着想と努力とを生かして、ユトランド半島の荒地の開発と植林とに成功し、世界有数の農業國および畜産國として、みごとな祖國再建をなしとげた。その際、デンマーク独特の國民高等学校による農民教育が、農業の技術をすみやかに普及向上させ、農業協同組合の高度の発達をうながし、デンマークを物心両面におけるヨーロッパの樂土たらしめるのにおおいに力があったことを、忘れてはならない。

17308 およそ、悲観と絶望との中からは、何も生まれてこない。困難な現実を直視しつつ、それをいかに打開するかをくふうし、努力することによってのみ、創造と建設とが行われる。そうして、國民こぞっての努力に、筋道と組織を與えるものが民主主義なのである。

17309 もちろん、日本の再建は、日本國民だけの力ではできない。それには、外國の好意ある援助も必要だし、特に貿易の振興に力を注がなければならない。今日の世界では、國と國の持ちつ持たれつの協力の関係が、ますます必要となってきている。その関係を組織的に秩序づけていこうとする努力が、前の章で述べた國際民主主義となって現われているのである。日本は、一日もはやく國際社会の正常な一員としての地位を回復することを、せつに念願している。しかし、それには、まず日本國民が自分自身の力で立ち上がることが先決問題である。「天は自ら助くるものを助く」という。自分で自分の陥っている苦境を克服しようとする氣慨のない者は、天からも人からも見離されるであろう。日本は天然資源に乏しく、人口過剰に大きな悩みを持ってはいるが、日本人にはまた、きわめてすぐれた技術がある。この技術を生かすと同時に、日進月歩の科学を産業面に高度に活用していくならば、輸出をさかんにすることによって國民経済の水準を向上させることは、決して不可能ではない。その場合もまた、自頼の精神こそ、日本國民の將來のために民主主義が何をもたらすかを決める第一のかぎなのである。

 

4 協同の力

17401 民主主義の社会を動かし、その活動の能率を高めていくものは、人間の力である。しかし、それは、人間の力といっても、單なる個人の力ではなく、また、單なる個人の力の総計でもない。リンカーンは言った。「政治の正しい目的は、國民全体のためにぜひともなされなければならないことでありながら、國民のばらばらの努力やひとりひとりの能力ではすることができず、あるいは、やってもうまくはいかないような事柄を、やりとげていくにある」と。民主主義は、無から有を作りあげることはできない。しかし、一見不可能のようなことを可能ならしめる力を持っている。それは、協同の力であり、組織の力である。

17402 民主主義的な協同の力を発揮して、どうすることもできないと思われていた自然の災害を克服し、みごとに繁栄と福祉とを築き上げた一つの実例をあげよう。

17403 北アメリカの東部に近い山の中を、テネシー川というミシシッピ川の支流が流れている。数世紀にわたって、この川は、自然のままにかってな道を通って流れていた。そうして、ある季節がくると、決まったように大水が猛威をたくましゅうした。数百万トンのよく肥えた土がそのために洗い去られた。町や村は破壊され、何年かの間には数千の人々が溺死したり、家を奪われたりした。自然の災害は起こるままに放任され、人間はただ手をつかねて、どうすることもできずに、ときを決めて訪れる天災と荒廃とを見つめているだけだった。

17404 ところが、やがて、人々の中に次のような考えが浮かんだ。「われわれは、こうして何もしないで、ただ災害の起るがままにまかせておいてよいものであろうか。この暴虐な川をおとなしくさせるくふうはないものだろうか。この荒れ狂う川を手なづけ、それを恐ろしい敵から有益な友に変化させる道はなかろうか。きっと何か手だてがあるに相違ない。われわれは、それをさがし求めなければならない。もしも、そのくふうがつかなければ、われわれはこの谷を見捨てて他の地方に移住するか、さもなくばわれわれの農場が荒地になってしまうのを待つか、どちらかを選ぶほかはない。われわれの生活は餓死に近づくであろうし、われわれの生命が大水に押し流されてしまう危險もある。われわれは生を選ぶか、死を待つか、その決心をしなければならない。」

17405 そこで、テネシー谷の住民は合衆國政府の援助を受けて、テネシー川の大水をくいとめるという大仕事に取りかかった。もちろんこれに対しては、いろいろと大きな障害があった。中でも、保守的な政治家や、電力会社の代表者たちの中には、極力この計画に反対するものがあった。しかしあらゆる障害や反対にもかかわらず、計画は建てられ着々として実行に移された。その計画によれば、すべてで二十八のダムを作る予定であるが、そのうちの二十六までがすでに完成している。これらのダムの建造によって、テネシー谷の住民の生活水準は根本から高められ、その生活の安全は確保されたばかりでなく、一般に國の福祉に大きな寄与をもたらしているのである。

17406 これらのダムができたおかげで、年々多大な財産を破壊し、すくなからぬ人命をさえ奪っていたテネシー川の水は、水力発電にふりむけられることになった。電力が人手をはぶき、能率を高め生産を増加させるのにどれだけ役にたつかは、だれもが知っている。テネシー谷の発電装置は、一年に百五十億キロワット時の電力を供給する。その結果、利用しうる電力がわずか十五年の間に十倍になったために、テネシー谷の農民は、合衆國全体のひとりあたり平均の電力消費量の六割マシの電力を一割六分だけ安い料金で農業経営やその他の事業に使うことができるようになった。一方、大水となって凶暴な破壊力をたくましくしていた水は、貯水池に満々とたたえられることになったために、一年に水害によってこうむる八百万ドルの損害を免れる結果となった。年ごとに洗い流される心配のなくなった土壌には電力によって生産された豊富な化学肥料が施された。かくて、その地方の農民は、とうもろこしと小麦では二倍、大麦では約七割五分の増収をあげるにいたった。かつては、水害のために乾燥することのない湿地帶にマラリアが流行して、住民を苦しめた、その率は一九三八年には、なお人口の十パーセントであったが、一九四八年には一パーセントに低下している。

17407 このような効用と福利とをもたらした事業は、テネシー谷開発廳によって経営されているが、それだけの大事業をやりながら、しかもそれが少しも國庫の負担になっていないのである。それどころか、この事業は財政の面においても非常に成功をおさめてさえいる。すなわち、そこでは、電力を合衆國の平均料金よりもずっと安い料金で賣っているにもかかわらず、それからあがる収入で國庫から借り入れた総金額のうち二千三百万ドルを返済し、一億三千二百万ドルを事業の改良と拡張とにふりむけ、なおかつ、投下資本の五%以上の利益が生み出されつつある。

17408 しかも、テネシー谷開発廳は、もとより営利企業ではない。それは、人民の所有に属し、人民の役員によって経営され、それによって得られた利益は、個人の収入になるのではなくて、すべて人民に生活を豊かにするために用いられているのである。だから、この事業は、資本主義の組織とは違った公企業の経営方針を採用しつつ、それによって経済生活の民主化に成功したすばらしい実例であるということができよう。

17409 日本でも、例えば利根川のような川は、しばしば大水を起して流域地方に大きな被害を及ぼしている。これを上流にダムを作って水をせきとめ、大規模な発電所を設けるならば、ただに大水を防ぎ、かんがい用水を適当に調節しうるばかりでなく、豊富な電力を利用して窒素肥料を作り、各種の工場に動力を供給し、農村生活の電化をも行うことができるであろう。

17410 その場合、そのような仕事をテネシー谷開発廳のように、最初から公共事業として行うのもよい方法である。しかし、それに要する多大な資本を集めるには、これを会社組織にして、ひろく國民の投資をうながす方がやりやすいこともある。かりに、この種の仕事を会社経営で行ったとしても、それによって多くの利益があがれば、從業員にもじゅうぶんな賃金を支給することができ、失業救済にも大きな役割を演ずることになろう。その会社の株式が財閥によって独占されず、直接に利害関係を持つ地方の住民や、ひろく全國の人々に分散されるならば、利益の配分が一方に片よることも防がれうるであろう。そうして、その事業によって國民生活の福祉が増進するならば、それが公共事業として行われるか、会社の経営にゆだねられるかは、大した問題ではないといいうる。経済生活の民主化を図るうえからいって、資本主義と社会主義が、かならずしも普通に考えられるように対立的な意味を持つ者でないことは、前に第九章で説いたとおりである、問題は、公共事業がよいか、会社経営がよいかにあるのではなく、どうすればそのような事業をさかんに興すことができるか、國民を代表する政府がかじを取ってこの種の事業を、民主的に経営していくにはどうすればよいか、にあることを知らなければならない。

 

5 討論と実行

17501 民主主義の理想は、人間が人間たるにふさわしい生きがいのある生活を営み、お互の協力によって経済の繁栄と文化の興隆を図り、その豊かなみのりをすべての個人によって平和に分かちあうことができるような世の中を築いていくにある。ある一つの國が、與えられた歴史的な條件の下で、どうすればこの理想の実現に向かって一歩でも近づいていけるかは、何よりもまず、その國の政治によって解決されるべき問題である。その方針は、國により事情によって種々さまざまであるが、いかなる方針を採用する場合にも、それを決定するものは國民の多数の意志でなければならない。國民のための政治は、國民自らの力によって発見されなければならない。國民の意志で決めた政治の方針は、ときにはまちがうことがあるであろう。しかし、政治の決定権が國民の手にあるかぎり、更に國民の意志によって政治の誤りを是正していくことができる。民主主義の理想に一歩一歩と近づいていく道は、それであり、それ以外にはない。

17502 これが、今まであらゆる角度から見てきた、民主主義の根本の態度である。しかし、これに対して人は不幸にしてなんべんとなく疑いを新たにする。すなわち、そのように、やりそこなってはまたやりなおして、漸進的に理想に近づいていこうとする政治の方針は、なんべんでもやりなおしをしているだけの余裕のある國、余裕のある時代の話である。そんなのんきなことをしている余地のない、せっぱつまった狀態では、すみやかにただ一つのいちばんよい方針、ただ一つの絶対的な進路を見つけて、國民全部の力をその一筋の道に集中していくほかはないのではないか。それには、あちらになびき、こちらに動く、そのときどきの國民の多数意志で政治の方向を決めていくのではだめなのであって、やはり、少数の賢明な人々に全権をまかせるのがよいのではないか。あるいは、歴史の必然的な法則にしたがって、わき目もふらずに直進することにならざるを得ないのではないか。人は、そのように疑う。そうしてそういう疑いをいだくところに、ふたたびみたび、独裁主義への誘惑が忍びこむ。

17503 ことに日本の現狀は、そういう疑いをいだくのにつごうのよいような材料がたくさんある。敗戰と戰災とは、日本の産業に大打撃を與えた。その結果として、日本の経済ははなはだしい窮乏狀態に陥っている。そこからくる社会の不安は、ややもすれば議会政治に対する不信の氣持を強め、この本で説明してきたような民主主義では日本は救えないのではないかという疑問をいだかせる。過激な政治の方針を実行しようとする一部の人々はそこをねらって、ますます社会不安を増大させるような運動を展開し、危機が迫りつつあるという宣傳を行い、自分たちの方針についてくる以外に、日本民族の生きていく道はないと思いこませようとする。そうして、國民を、あらゆる分野で闘爭にかり立てていこうとする。

17504 なるほど、今日の日本は、実に苦しい、実にむずかしい立場におかれている。こういう狀態では、どのような政治の方針によるべきかについて、國民の間に激しい意見の対立が生ずることも、ある点まではやむをえない。

17505 しかし、その中のどの意見といえども、それだけが絶対に正しく、それ以外の意見はすべて絶対にまちがっているといいきる権利はない。なぜならば、人間の考えることには、どうしても誤りがありうる。それなのに、自分たちの方針だけが絶対に正しいと信じる人々は、ひとたび政治の実権をにぎってしまえば、國民をその一つの方針で引っぱっていくだけで、それに対する批判や反対を許そうとしない。したがって、その方針がまちがっていた場合にも、その誤りを是正することができなくなってしまうからである。そればかりでなく、一つの立場を絶対のものとし、他の立場を絶対に許すまいとすれば、違った意見と意見との間に、妥協の余地のない闘爭が行われることにならざるを得ない。國民の生活が一日もゆるがせにできない困難な狀態にあるとき、そのような闘爭を激化させることは、自ら求めて、困難を克服する機会を永久に失うゆえんである。だから、意見の対立も、対立する意見の間の爭いも、國民が協同の力を発揮して困難に打ち勝つための討論の範囲を超えてはならない。それが民主主義の規律である。

17506 日本の前途に幾多の困難が横たわっていることは、誰の目にも明らかである。それに打ち勝つためにどうすればよいかについて、國民が眞劍に討論しようとするのは、当然のことである。けれども、近代國家としての歴史が短く、民主主義の社会生活の経驗に乏しい日本國民にとっては、討論が机の上の討論として空回りしてしまう場合が少なくない。たとえば、人々はよく資本主義の弊害を論ずるが、今日の先進資本主義の國々は、資本主義の制度の根本は変えないで、経済の民主化をはかるために、さまざまなくふうをしている。また、ある國々では、急激な変革を避けつつ、資本主義と社会主義のそれぞれの長所を採った政策が実行されている。大資本に対する中小商工業の立場を守るために、きわめてよく組織された協同組合を発達させたり、大規模な消費組合を作って、消費者の利益をはかったりすることも、行われている。日本では、まだ、そういう経驗があまりない。だから、今日の日本としては、いたずらに議論をたたかわせるよりも、それらの諸外國の実例や経驗をよく研究して、それを日本に適合するようなしかたで実行してみるほうが早道であるといえる。議論もたいせつだが、実行してみたうえでの議論の方がもっと効果がある。日本國民のうえに、大きな苦難がのしかかっていることはたしかだが、その苦難は、それらの建設的な試みを実行してみることを許さぬほどの、絶対にどうすることもできぬ苦難ではない。

17507 かくて、日本の將來の希望は、かかって、今まで人類の経てきたいろいろな経驗を生かして、討論しつつ実行し、実行しつつ討論する、國民すべての自主的な意志と努力のうえに輝いている。議論するのもよい。が、まず働こう。やってみよう。日本人が日本を見捨てないかぎり、世界は日本を見捨てはしない。民主主義の理想は遠い。しかし、そこへいたるための道が開かれうるか否かは、われわれが一致協力してその道を切り開くか否かにかかっている。意志のあるところには、道がある。國民みんなの意志でその道を求め、國民みんなの力でその道を開き、民主主義の約束する國民みんなの安全と幸福と繁栄とを築き上げていこうではないか。



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